無限の始まり




仕事中に人と会うのは嫌いだ。特に、戦場は最悪だ。
なのにどうして、こんな感動の再会に限って自分は血濡れなのだろうか。ジンは運の無さに内心絶望しながら、それとは裏腹に鉄錆の匂いに興奮する体は狂気に満ち溢れ、口端がニィッと釣り上がった。
「兄さん、久し振りだねぇ?」
「! お前は……ジン!?」
近付く気配に振り返ってジンがそう言うと、白髪の男――ラグナが驚愕の声をあげる。別れてから長い歳月が流れていたが、ラグナは一目でジンが弟だと気付いたようだ。正体をすぐに察してくれたのは嬉しいのだが、その昂揚はすぐに別の感情へとすり替えられてしまう。
「会えて嬉しいよ、兄さん。ククク…ッ、アハハハハハハ!」
抑えようのない感情の爆発に、理性が一瞬吹き飛んだ。閉じられなかった口から、嘲笑が響き渡る。……ああ、やってしまった。
胸中ではうなだれたい気分に陥るが、体は勝手に刀を構えている。沸き上がる憎悪のまま突き付けるそれは、血に濡れていた。
先程切り刻んだ、ノエル=ヴァーミリオンの血だ。どういう因果か、まるで責めるようにあの妹と同じ顔の部下にいつも苛立ちを感じていた。出来れば視界に入れたくないくらいだったが、任務に忠実な彼女は自分を追ってきた。普段、あれだけ冷たく突き放していたにも関わらず近付くなど、本当に愚かな女だ。一応急所は外したので死んではいないと思うが、とても無事とは言い難い状態だろう。
足元に俯せで倒れるノエルの姿を見遣り、ラグナの眼が険しくなった。まるであの日の再現のような今の状況に、憎悪が甦ったのかもしれない。
ああ、最悪だ。向けられる憎しみの分だけ、僕の理性はユキアネサに喰われていく。
殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ……黒き者を殺せ!
頭の中で鳴り響く声が煩い。体中の神経が支配されていくのが分かる。いくら抗ってみても、刀を向ける腕も、歓喜に満ち溢れる凶悪な顔も元には戻らない。
なんで僕の前に現れてしまったんだい、兄さん。
「また『殺して』あげるよ、兄さん!」
高らかに言い放った言葉は、傲慢と独占欲に満ち溢れている。違う、そんなことを言いたかったわけではないと胸中で叫んでも、体は言うことを聞かない。いっそこの心も狂気に染まってくれれば、何も感じずにいられたのに……残酷なことをするね、ユキアネサ。
相棒の刀に語りかけるが、彼女はラグナにご執心のようだった。それもそうだ、彼女の目的は黒き者――蒼の魔道書を持つラグナとサヤに関する者の抹殺なのだから。
存在自体が歪みを生じさせる、消さなければならない存在なのだとしたら、他人に殺されるよりいっそ自分の手で……そう思ってユキアネサを受け入れたのはいつだったか。
普通に会話すらさせてくれない相棒に苛立ちながらも、ジンはどこかで諦める。
どうせやることは同じ、もう憎まれ役でいいではないか。
自分のくだらない小さな嫉妬から狂い始めた、運命の輪。すべての後始末をつける為、道化になろう。
「さあ殺し合おうよ、兄さん!」
極寒の冷気を纏う相棒を振りかざし、ジンは初めて彼女と意志を同じくした。





「不様ね……また、繰り返すのかしら」
倒れて身動きの取れないジンの頭上に、少女の声が落ちる。
激痛が過ぎてもはや何も感じなくなった体で、目線だけ動かすと、夜空の下で黒い影が見えた。
「本当の英雄になりたくなくて? えいゆうさん」
淡々と持ち掛けられたその言葉に、微かに口端を上げる。
そうか、成る程。こういうことだったのか。ユキアネサ、お前は正しかった。僕のほんの一欠けらの慈悲と愛情が、終点を始点たらしめていたのだ。
あの時、ラグナの心臓を貫けなかった僕の甘さが原因。
「……なりたい…ッ。いや、ならなければ、ならない……!」
焼け付くような喉を開き、答えを叫ぶ。掠れて不明瞭なそれに、少女は寂しげに微笑した。憐れんでいるのか蔑んでいるのかは、分からない。だが、持ち掛けた話を実行する気はあるようだった。
それで無限の輪が壊せるなら。自分が歪めたすべてが救えるなら。
喜んでこの身も魂も、贖罪へと充てよう。
ジンは眼を閉じ、悠久の旅路へと出掛ける決意をした。



END