氷河の境目









天井から下がる、きらびやかなシャンデリア。無数の照明に照らされるテーブルの上には、贅沢な素材を惜し気もなく使った料理が並べられている。どこを見渡しても、すべてが輝きを放ち眩しい。
豪華絢爛。そんな言葉がよく合うこの空間が、しかし外見とは裏腹に、欲望と欺瞞に満ち溢れていることをジンは知っている。
空調は正しく作動しているはずだが、その思惑に満ちた空間を息苦しく感じ、ジンは少し首元を緩めた。久し振りに着た統制機構の制服は、まだ体に馴染まない気がする。
街の警備や出張などで、普段は特注の戦闘服をよく着用しているジンだが、今夜は統制機構主催の交流会ということもあり、他の衛士と同じくスーツ姿だ。
形式的な挨拶などは先程終わり、今は個人で自由に交流する立食時間となっている。ジンも一応ワインを片手に持っているが、綺麗で贅沢なディナーはあまり手を付ける気にはならず、人混みを避けるようにホールの片隅で壁にもたれていた。
しかしそうして面倒事を避けようとしても、イカルガの英雄の異名と若き師団長という肩書から、声を掛けられる率は高い。
普段はあまり対面しない上層部の人間や研究施設の職員、果ては裏で協力関係にある企業の社長なども参加しているので、物珍しさで近寄ってこられるジンは辟易していた。
「いやいや、キサラギ少佐殿は大変素晴らしい。その若さでこれほどの昇進は、そうそうありません」
「身に余るお言葉ではありますが、お褒め頂き光栄に思います。これからも日々精進に努め、平和に貢献したいと考えております」
皮膚の分厚そうな顔に満面の笑みを浮かべて美辞麗句を並べる老齢の男に、ジンは淀みなく社交辞令を返す。
今までは無難な挨拶を返して手短に終わらせてきたジンだったが、その男は他とは違い、弾まない会話を無理矢理繋げて話を引き延ばそうとしてきた。関係がなさそうなことまで題材にして、あれやこれやと投げ掛けてくる男に、ジンはお世辞程度の微笑で相槌を繰り返す。どこかの企業の取締役だっただろうかと、頭の片隅で思い出したがあまり意味のないことだった。
ある程度話し続ければ気も済むだろうと、いつも纏わり付く胡散臭い黒ずくめの男を思い浮かべて、ジンは同じ対処法を取る。
しかし、男が一方的に談笑しながらオードブルを摘もうと手を伸ばした瞬間だった。
「っとと、すまない……!」
突き出た腹のせいか、ほんの少しの動作でたたらを踏んだ男は、謝りながら体勢を立て直そうとするが――よりにもよって、こちらに向かってよろけてきた。
本音としては後ろへ飛び退きたいところだったが、仕方なく倒れてきた巨体を支えるように、ジンは手を伸ばす……が。
「っ……!」
男の脂ぎった手が、ジンの手ではなく腰に絡み付いてきたことに、体が強張った。擦り付けるように這うそれに、背筋に悪寒が走る。
思わず、ジンは嫌悪もあらわに近付いた男の顔を睨みつけた。しかし男は、軽い調子で苦笑を張り付ける。
「面目ない。……歳は取りたくないものだ」
「……いえ」
申し訳なさそうにそう言われ、ジンは曖昧に返した。
喉まで出かかった罵倒を押し込め、なんとか強張った顔を取り繕う。一応謝っているのだ、あまり非難するのも如何なものか。
そう思って応じた矢先、男は腰に添えていた手をそのままに、僅かに顔を近付けてきた。
「しかし……男にしては随分とお綺麗ですな」
「……!」
「その苛烈な瞳もまた、美しい」
打って変わって下卑た笑いを張り付けた男に、ジンは眉を寄せて睨む。だが言葉通りに、それさえ心地好く思っているらしく、男は堪えた様子もなかった。
なんだ、この男?
嫌な予感に身を退きかけると同時に、手を回された腰が強く引き寄せられた。こんな人の目の多い場所で、何を考えているのか。
常識さえ欠如したその行動にジンは嫌悪感を抱き、殴り付けてやろうかと拳を固めた。本当に手を出せば面倒なことになるのは目に見えているのだが、拒絶の態度を示さねばこういう輩は付け上がる。
綺麗だとか、女のようだとか、見た目だけで判断されることにジンはうんざりしていた。
綺麗だから、なんだというんだ。本当に愛して欲しい相手から好かれなければ、そんなものは意味がない。実際、似た顔の妹の方がよっぽど――。
「キサラギ少佐! こんなところにいらっしゃったんですね、お探し致しましたよ~」
ジンの殺気立った空気を打ち消すように、軽薄な声が掛けられた。聞き覚えのありすぎるそれに、ジンの不機嫌指数は一気に跳ね上がる。
確か今日の交流会は、佐官以上の者が出席だったはず。本来はこの場にいることは有り得ないが……何故だろう、この男なら居そうな気がしてしまうのは。
案の定、声のした方へと視線を向けると、糸目で微笑むハザマが立っていた。
いつもと同じく黒いスーツだが、統制機構の制服を着ているせいか、少し印象が違って見える。金糸で刺繍が施された右肩の装飾と、帽子のない鮮やかな緑の頭は、普段より明るい印象を与えた。
「明日の任務について、大佐からお話があるそうです。申し訳ないですが、すぐに向かって頂けますか?」
胡散臭さよりも爽やかさが強まったハザマが、好青年然とした笑みを浮かべてこちらに手を伸ばしてくる。
違和感に一瞬片眉を上げたもののジンはすぐに意図を察して、ハザマの手ではなく肩を叩いて擦り抜けた。
「伝達、ご苦労。すぐに向かう」
「え、少佐殿――」
「実に名残惜しいですが、今日はこの辺で失礼させていただきます。また、いずれお会い致しましょう」
背けた半身を返し、ジンは老齢の男に軽く頭を下げる。惜しみない笑みも、もちろん忘れずに。
白磁の肌に流れるような金髪と、うっとり細められるエメラルドの流し目を受けて、男は僅かに動きを止めた。自分の容姿の利用価値を熟知しているジンには、作り笑顔など安いものだ。
惚けた隙を突いて、ジンは糸目で微笑むハザマに目配せし、直ぐさま踵を返した。血を見なかっただけ幸運だったと思えと内心吐き捨てながら、ジンはホールの出口へと足を進める。
途中、配膳係に空のワイングラスを返し、まだざわめく会場を出たジンは、人の疎らになった廊下を暫く歩いてから、正面を向いたまま後ろに言葉を投げた。
「こんな雑用までこなすのか、諜報部は」
「いや~……ま、ついでといいますか。ディナー食べ放題、ワイン飲み放題だから、イカルガの英雄殿の護衛を少し……と頼まれましてねェ~」
ヘラリといつもの薄っぺらな笑みを浮かべ、ハザマが肩を竦める。本来出席不可能な交流会への許可を出す代わりに、ジンを監視しろということか。
堪忍袋が切れる前に現れてくれたことには感謝するが、だからと言って別にこの男を歓迎しているわけでもないジンは、後ろに付いてくる笑顔のハザマに視線を流した。
「先程は助かった。……もう戻っていいぞ、立食パーティーを楽しめ」
「おやまあ、冷たいですねぇ。別に私、そんな即物的なものに釣られて来たわけじゃないですよ?」
鮮やかな緑の髪を揺らし、ハザマが苦笑しながら近付いてきた。空気の合間を縫うように踏み込んできた痩身が、一瞬で背後にぴたりと張り付く。
「折角お会いしたんですから、この後ご一緒にどうですか?」
「……さっきの輩と変わらないぞ」
くすくす笑いながら、耳の裏に唇を押し当てて囁くハザマに、ジンは大きく溜息を吐き出した。大人しくジンの後をついて来たのは大方そんな理由だろうと思っていたが、意外にも早く下心を晒け出してきたようだ。
先程の場所よりは人目は少なくなった廊下で、後ろから抱きしめるように腰を抱くハザマの腕を、ジンは眉間に皺を寄せつつも払うことはなかった。慣れとは怖いものだ、この男の接触にさほど嫌悪感を抱かなくなりつつある。
しかし、体力的なことや時間の浪費を思えば感覚的な良い悪いの問題ではない。ジンは下腹部を抑える、細くしなやかな手の甲を軽くつねった。
「この間の無体をもう忘れたか。貴様にいちいち付き合ってると、体力が根こそぎ奪われて大変なんだ。……放せ、大尉」
「あらら、意外に弱気ですねェ~。若いんですから、限界にチャレンジしてみてはいかがですか?」
「いらん。それは挑戦ではなくて、無謀と言うんだ」
背後から抱き込むように両腕を絡みつかせてきたハザマに、ジンは冷たく言い放つ。
先日、諜報活動を笠に着て自宅へ不法侵入してきたハザマから、ジンは早朝と深夜の2回に渡って多大な迷惑を被った。早朝の方はまだ良いとして、深夜は明らかに余計で身勝手な行動だ。置いていった服を取りに来たついでとばかりにジンを抱き、次の日まで放さなかった。
なんで同伴出勤せねばならんと、胸中で悪態をつきながら統制機構へ向かった苦い朝の記憶は新しい。適当に許容していると、どこまでも図々しく踏み込んでくるのだ、このハザマという男は。
そろそろ奇異の目を向けられ始めたなと自覚しながら、纏わり付く視線を払うようにジンはハザマの腕を掴んで捻り上げた。
「痛たたたた! ちょッ、痛いです……少佐!」
「貴様がしつこいから悪い。さあ、さっさと帰れ」
「あ~もう、扱いがひどくないですかァ~? さっき見たいに可愛らしい笑みの一つでも、私に向けてくれたって罰は当たりませんよ?」
「何故、貴様如きにそんなことをしなくてはいけない? カロリーの無駄だ」
「カ、カロリーの無駄…ですか」
冷ややかな視線を向けてジンが軽く突き飛ばすと、ハザマの痩身がよろめきながら後退する。
馬鹿馬鹿しい戯れ事をと、苛立ちながらもジンは顔を背けて肩を竦めた。
可愛い笑み、とは先程の男に去り際で向けた笑みだろうか。上っ面だけだというのに、何がいいのか……と脳裏をよぎったが、そういえばこの男はその上っ面だけを楽しんでいたのだと思い当たる。身勝手な振る舞いや告白しておいて返事も聞こうとしない態度からも、別にジンがどう思っていようが関係ないと分かる。
とりあえず、これ以上纏わり付かれるのは面倒臭い。建前であろうが屁理屈であろうが、帰らざるを得ない状況に持っていかなければ。
「そうか……ならば、これで帰れ」
重い溜息を吐き出してから、ジンは顔の筋肉に力を入れた。滅多に動かさないので、意識しなければ口角さえまともに上がらない。
「ご苦労様、ハザマ大尉。今日はもう上がっていいぞ」
ジンはハザマへと向き直り、先程と同じように柔らかな笑みを浮かべて労いの言葉をかけた。自分でもこれ以上ないほどの、爽やかで好青年然としたとっておきの笑顔だ。
自分で自分に吐き気を覚えそうになるレベルだが、普段ハザマがやっている胡散臭い笑みとそう変わらない。たまにはこちらからしてやるのもいいだろう。
しかし、意趣返しも含めて笑ってやったジンを見たハザマは、驚いたように軽く目を見開き、すぐに眉尻を下げた。
「……あー、すみません。前言撤回していいですかねぇ?」
「なんだ」
「さっきと同じ笑顔は……やっぱりいらないです」
やや残念そうな、少しトーンの落ちた声でハザマがそう言う。どうやら期待外れか、思ったより気持ち悪かったか、まあそんなところだろう。
ジンの方も流石にこんなことで喜ぶとは思っていないが、とりあえずハザマがやって欲しいと言ったから叶えただけだ。わざわざ労力を割いたのだから、約束を丸ごと反故にされるのは嬉しくない。
「貴様がやれと言ったんだろう」
「ええ、望んだのは確かなんですが……なんでですかねェ、あんまり嬉しくないのは。……あ、少佐の顔はキレイですよ? そりゃぁもう、私のお気に入りですから! でも、何か物足らないというか……」
珍しく歯切れも悪くそう言うハザマが、ふと思い至ったようにポンと手を打った。
「あ。分かりました! ラブですよ、ラブ!」
「――は?」
「やだな~、そんな鳩が豆鉄砲食らったような顔しないでくださいよ~。L・O・V・E、Love! 愛情です、愛情が足りないんです!」
そう言いながらピッと人差し指を立てて、ハザマが顔を近付いてきたので、ジンは思わず後退りした。
何を考えているのか分からないこの男の発言は、いつもジンの想像を遥か斜め上に行く。口にしている言葉とは無縁そう……というか、笑ったまま土足で踏みにじりそうな腹黒さをしているくせに、爽やかさ全開のこの笑顔だ。
正直、気持ち悪い。
「そうか……疲れているんだな、ハザマ大尉。家に帰ってゆっくり休め」
「ちょっとちょっとッ、なんですかその哀れんだ眼は!? 酷いですよ、人が真剣に話してるのに~」
「真剣、か……。尚更、遠慮する」
顔を引き攣らせたまま、ジンは二歩後退した。気分的には逃げ出したいところだが、この男に下手に背を向けては、逆に命取りになる気がする。
そんな逃げ腰のジンに、ハザマはにこにこと笑いながら近付いてくる。
「貴方の心からの笑みが見られたら私、納得するんですが?」
「それは永遠にない」
「あらら、即答ですか~……残念」
ジンの言葉にハザマは大仰に嘆いて肩を竦めるが、僅かに開いた細い眼が鈍い金色を覗かせた。
ぞくりと、何かが項を這うような感覚。これは良くないパターンだ、とジンは頭の隅で思うが既に体は強張り、ゆらりと近付く痩身を退けることも出来なくなる。
僅かながらでも、人の目もあるというのに。じりじりと下がるジンが背に壁を背負った瞬間、ハザマは長い腕でジンの体を抱き締め、肩口に顔を埋めてきた。
「じゃあ、私は帰れませんねェ……。ほんの少しでいいので、今夜は貴方と一緒に居させてください?」
「…っ…!」
「大丈夫。軽く飲みに行くだけですから……ね?」
何もしませんよ、と吐息混じりに耳元に吹き込まれ、背筋が震える。甘く掠れた低音が、蜂蜜のようにとろとろと体に注ぎ込まれる感覚を味わいながら、この嘘つきめとジンは胸中で罵った。
性質の悪い相手に捕まっている自覚はある。油断すれば喉を食い破られかねない、狡猾な男。
だが、その毒と紙一重な甘さが、心地好くあるのも事実。……嫌な、中毒性だ。
壁との間に挟まれたまま、ジンはハザマの胸元に手を当て、力任せに押し退けた。シャツの下に隠れたしなやかな胸筋の存在に、見た目ほど弱くはないことを改めて認識しながら、ジンはこちらを覗き込む琥珀の瞳を睨み上げた。 
「分かった。飲み直しだけなら、付き合う」
「おや、本当ですか? 有難うございます」
溜息混じりの承諾に、ハザマが嬉しそうにニコリと笑う。威圧的な空気が和らぎ、腰を抱く腕が離れていったことに内心安堵したジンは、出来た隙間から体を逃がした。
ハザマの手が届く範囲から早々に脱出し、振り向きもせずに建物の出口を目指すと、後ろから非難がましい声が響く。
「ヒドイじゃないですか、置いて行かないでくださいよォ」
追い縋る声に鼻を鳴らし、ジンは歩を緩めることなく進んだ。どうせ本気で撒こうとしたところで、あらゆる手段を用いて捕まえにくるに違いない。多少早足で距離を空けるくらい問題ないだろうと、ジンはハザマの言葉から耳を塞いだ。







アンティークなカウンターに、飴色のランプ。程よく照明の落ちた店内は、よく見なければ個人の顔は識別できない。
敷居の高そうな隠れ家的なバーを紹介されたジンは、促されるままにカウンター席に着いた。
「遠慮せずに、好きなものを頼んでください。ここは私が持ちますから」
「……部下に奢らせる気はない。僕が払う」
穏やかに促す隣のハザマに、ジンは固い声音で線を引いた。放っておくと、驚くほどこの男は人を甘やかす。本来がどういう関係か知らしめるように、ジンはハザマの好意を払いのけた。
だがそれに眼を細めて笑う男は困ったような、残念そうな雰囲気で、仕方がありませんねと呟く。
「じゃあ……ここは折半ということで、どうでしょう?」
「……そうだな」
そう提案され、駄目だとは言えなかった。気遣いを無下にされて苦笑いを浮かべるハザマに、少し申し訳ないような気がしたからだ。そんなことでどうこう思うような相手ではないと頭では分かっているのだが、一応丁寧に応じているのに……と、どこかで気が引けた。
甘やかされるのは、正直慣れていない。そもそも、冷たくあしらうジンを構おうとする者自体も、ごく一握りだ。それこそ、幼なじみのツバキくらいしか思い浮かばない。
ハザマとはさほど年齢が離れていないはずなのだが、不思議と彼が優しい態度の時は包容力があると感じる。不気味な時は寒気さえするのに、それが表に出なければまるで人畜無害。
考えれば考えるほど訳の分からない男だと改めて思いながら、ジンは上着を脱いで椅子に掛けるハザマを横目で眺めた。
「今日は折角少佐と一緒ですから、ドライ・ジンベースでカクテルでも頼みましょうかねェ~」
「……なんだそれは」
少しおどけた口調で唐突にそう言ったハザマに、ジンも上着を脱ぎながら顔をしかめた。……名前が一緒だから、と言いたいのだろうか。機会がなければあまりアルコール類は口にしないジンは、名前を聞いたことがあるくらいだ。
別のオーダーでレモンをスライスしていたバーテンダーに、ハザマは笑顔のまま注文した。
「ギブソンを一つお願いします」
「畏まりました」
恐らくはカクテルの名前をあげたハザマに、バーテンダーは穏やかな声で返事をする。慣れたその様子に普段からよく飲むのだろうかと思っていると、緑の髪が揺れてこちらを向いた。
「で、少佐はどうされます?」
「……同じものでいい」
上着を椅子の背に掛けていたところでハザマにそう聞かれ、ジンは僅かに首を傾げながら答える。白ワインかシャンパンくらいしか頼まないジンには、カクテル等の種類や良し悪しが分からなかったので無難に返したつもりだったのだが、ハザマは微かに細い眼を瞠って驚きの表情を見せた。
「ギブソンはかなり辛口ですよ。大丈夫ですか?」
「……。やっぱり、別のものにする」
そうだったのか、と胸中で呟きながら、ジンは素直に前言撤回した。甘党寄りの味覚なので、渋味の強い赤ワインですら避けがちなのだ。ハザマがそう警告するからには、恐らくジンには受け付け難い味なのだろう。
メニューを手に取って選び直そうかとジンは逡巡したが、やめた。こんなところで見栄を張っても仕方ない。
「見繕ってくれ。……正直、あまり詳しくない」
「ふふ……分かりました」
降参とばかりに投げると、ハザマは楽しそうに笑みを零した。
からかうでもなく、ハザマはそうですねぇ…と呟きながら小首を傾げる。
「甘いやつは……アレキサンダー、でしたっけ。でもこのレシピで、ジンベースのものもありましたよね?」
「プリンセス・メアリーですね」
「ああ、それです! それ、こちらの麗人に一つ作って頂けませんか?」
「畏まりました」
自分にはよく分からない名前が出ているなと思いながら、ジンは軽くハザマを睨んだ。
「妙な呼び方をするな」
「あれ、嫌ですかァ? 褒めてるんですけど……」

交流会でもそうだったが、外見だけで色目を使われるのは、ジンにとって本当に鬱陶しくて仕方がなかった。どんな絶世の美女でも、歳を取れば皺だらけで醜くなるもの。容姿だけで寄せられる好意が、如何に虚しいものかジンは知っていた。
どうせ本意でないハザマにとって、唯一本音でジンを褒められるのがそこだけなのだろうが、やはりどうしても我慢ならない。折角のいい雰囲気のバーも、ハザマの優雅な持て成しも、下降する気分で台無しになってしまう。
「あ~、すみません。でも少佐、とっても可愛いから」
「……」
「そ、そんな怖い目で睨まないでください。もう言いませんよォ」
不機嫌のまま睨むと、ハザマは降参とばかりに両手を挙げて見せた。へらへらと笑う様がまさに道化といったところだが、それも今更な気がする。
ジンはハザマから顔を逸らし、カウンターの奥に並ぶ酒瓶へと視線を向けた。普段目にすることのないラベルがほとんどで、どれが何なのか判別がつかない。
ただ、様々な色や形の瓶が整列するさまは迫力があり、分からないながらも目を楽しませた。
「お待たせしました、ギブソンとプリンセス・メアリーです」
横から「少佐~」と間延びした声で呼ぶ男を無視していたら、重い空気を割るようにバーテンダーがカクテルグラスをそっと滑らせてきた。
白いチェリーのようなパールオニオンが沈む、透明の液体が入ったカクテルグラスと、薄いブラウンがかった牛乳のような液体が注がれたカクテルグラスに、ジンは視線を向ける。
どちらが自分の分だろうと思っている間に、ハザマがベージュ色のカクテルを手に取り、ジンの前へ置いた。
「口当たりのいい、甘いカクテルですよ」
「……ありがとう」
微笑みながらそう言い添えるハザマに、ジンは棒読みで感謝の言葉を呟く。プリンセス……なんだっけ、と思いながらジンはカクテルグラスを手に取った。
ベージュ色の液体が満たされたそれを軽く揺らし、眺める。見た目は、女性がよく頼むカルーアミルクと似ているように思った(カシスオレンジ同様、代表的なので知っていた)。
「では、キサラギ少佐。乾杯♪」
「……乾杯」
調子良くそう言ってグラスを掲げたハザマに、ジンも遅れてグラスを触れ合わせた。控え目にカツンと鳴って揺れたグラスを見ていると、ハザマは微笑んだままどうぞと促す。
上司が口を付けるまで飲まない気なのか、ただ単にカクテルの感想を聞きたいだけなのか、こちらを見る細い眼に圧され、ジンは恐る恐るグラスに口を付けた。
ゆっくりと傾けると、滑らかなクリームのような液体が喉を通る。口に含んだ時に微かにチョコレートの香りが鼻孔をくすぐるのと同時に、甘く濃厚な味が口腔に広がり、ふわりと後からアルコールが舌を痺れさせた。
溶けたアイスにアルコールが混じったような、お菓子に近い味わいに驚きながらジンがハザマの方を見ると、思惑通りの反応に満足そうな顔をしていた。
「少佐のお口に合いましたか?」
「そうだな……飲みやすくて、美味しい」
素直に感想をもらしたジンに、ハザマがやわらかく微笑む。こういう雰囲気を纏う時のハザマは、嫌いではない。
和らいだ空気に促されるようにもう一度口を付けると、ハザマも自分のグラスを傾けた。ギブソンは辛口だと言っていたが、そうするとハザマは辛い方が好みということだろうか。
そういえばハザマに甘党と知られてしまっているが、ハザマの好みがどうなのかジンは知らない。自らの事を迂闊に明かすようなタイプではないので知らされていないのも道理な気がするが、酒の好みくらいは聞いてもいいだろうと思い、ジンはよく冷えた透明のカクテルを飲むハザマに視線を向けた。
「ドライ・ジンにこだわらなくても、好きなものを頼めばいい。辛口の方が、好みなんじゃないのか……?」
アルコール度数の高いものの方が好みなのではないかと思いながら、ジンはそう尋ねる。するとハザマは細い眼を僅かに開き、金色の瞳を覗かせた。
「いいえ? 私は楽しく飲めれば、何でもいいですよ。……まあ確かに、あまり甘いお酒は嗜みませんが、だからと言ってキツいお酒が好きなわけではありませんし」
何でもないような口調でそう言いながらも、ギブソンを水のように飲み干し、ハザマはちろりと下唇を舐める。尖った紅い舌先が目に留まり、ジンは項にざわりと悪寒が走るのを感じた。
何か嫌な感触だなと頭の隅で思った瞬間、ハザマが長めの前髪の間から、細めた流し目でこちらを射抜く。絡み付くような視線に、知らず唾を呑み込んだ。
「特別こだわっているわけではありませんが……私、これでも結構好きなんですよ。――ジンが」
意味ありげに笑む、薄い唇。
言葉遊びのようなそれに、分かっていて尚、心臓が妙な音を立てた気がした。
反応してはいけない、この男を喜ばすだけだと脳裏に警告が走り、ジンは無表情のままでその言葉を受け止める。そして何事もなかったように小さなメニューを摘み、適当な文字に視線を走らせた。
「遠慮しないで、他のも飲めばいい。……色々あるな。カクテルの欄にアイスティーまで混ざってる」
「少佐、頬が赤いですよ」
「……貴様の目が悪いか、照明のせいだろう。それよりも、これは何だ」
見透かしたように発せられた言葉を叩き落とし、ジンは強引に話題を変えた。自分でもあからさまだと思いながらも、それ以外に誤魔化し方が思い付かなくて、大して疑問にも思っていないことをわざと取り上げる。
更に何か揶揄を吐かれるだろうかと内心身構えたが、意外にもハザマは退いて、ああそれは……と話題に乗ってきた。
「ロングアイランド・アイスティーは、紅茶ではなくカクテルですよ。材料に紅茶を一切使っていないんですが、風味はアイスティーに近い不思議なカクテルなんです」
「……ほう」
適当に振った話題にすらすらと答えたハザマに、ジンは思わず目を瞬く。そんな変わったものがあるとは知らず、ハザマの説明に興味を引かれた。
「私、飲み終わっちゃったので、それを頼みましょうか。少佐もひとくち味わってみては如何です?」
名案だとばかりにそう言い、ハザマはこちらの返事も待たずにバーテンダーに注文をしてしまう。必要ないと言いたいところだったが、少し興味を引かれていたので咄嗟に制止が出来なかった。
気を遣われているのだろうか。申し訳ないような気もして、ハザマの細い眼を見る。
「……大尉、そこまでしなくても」
「いや~、これで少佐との間接キスをゲットですね」
へらっと笑って厚顔無知に宣った男にジンは瞠目し、ゆっくりと切れ長の眼を細めた。
カウンターの下で蹴り付ける音に、バーテンダーはちらりと視線を寄越しただけで、すぐにカクテル作りに意識を戻したようだった。




















とにかく、このおカタい少佐をバーに連れ込みさえすれば、酔い潰すくらいは造作もない。
――と思っていたハザマだったが、少し予定外のことに戸惑っていた。
最初は甘みのある飲みやすいカクテルから勧めていき、次に少し変わったカクテルで興味を引いて、蘊蓄を語りながら杯を重ねる。
興味さえ持てば意外に耳を傾けるジンの性格を利用して酒を飲ませようという作戦だったが、それは確かに成功していた。
しかし、もう既に二時間は過ぎただろうか。たわいない話をするハザマに付き合い、ただ頷くジンの表情は全く変化がなかった。幾らか飲めば酔うだろうと践んでいたのだが、どうやらジンはアルコールに強かったようだ。
口当たりのいい度数の強いものを勧めていたのだが、微かに頬が赤くなった程度でそれ以上の変化が見受けられなかった。眠そうな素振りもなく、ただ淡々とハザマの話を聞いて相槌を打つだけだ。
普通ならば相手を酔い潰すまであまり酔うことはないのだが、流石のハザマも少し回ってきて、思考がふわふわし始めている。これ以上は良くない……というか、何かの拍子にタガが緩んで本性が出てしまいそうだと思った。
もし素が出たとしても恐らくジンはさほど気にしないだろう。しかし、その記憶を持ったまま今回もまたループを繰り返してしまった時、ジンであってジンでない彼がテルミの企みに気付く可能性が高い。彼の中で、ハザマ=テルミの図式が成立してはいけないのだ。
最終手段として都合の悪い記憶を奪う方法もあるが、最初から用心しておくにこしたことはない。故に、ハザマはジンの前でテルミの振る舞いをしないようにしていた。
だがこのまま飲み続ければ、いずれ自滅しかねない。ここまで手間をかけて据え膳を投げ出すのは非常に勿体ないが、致し方ないことだろう。
……とは頭で分かっているが、やはり淡い期待があってハザマは席を立てずにいた。ただジンを抱くだけならもう何度もあるので今更だが、前後不覚になった状態で犯してみたいという欲求があった。
何もしないと言ったのはもちろん建前で、なかなか慣れようとしないジンを酔わせて違う面を暴いてやろうという魂胆だ。
しかしジンの変化の無さを見るに、望みは薄そうだと思った。ならばせめて普通に抱くくらいはしたいと思い、ハザマはわざとらしく時計に視線を落とす。
「いつの間にか、もうこんな時間ですね」
「……ん、そうだな」
唐突な話題の転換に訝しむこともなく、ジンはハザマの言葉に頷いた。今日はスーツのせいか、ジンも腕時計をしていてそれに視線を向ける。
時間的には、ポートの最終便が出てしまった後くらいの時刻。勿論わざと、なのだが。
「どうします? 幾らお強い少佐でも空は飛べませんし、適当に近くのホテルで泊まりますか?」
「どうするも何も、それしかないだろう」
ハザマが表情を窺いながら冗談まじりにそう聞くと、ジンは意外にもあっさり頷いた。
時間に気付いて慌てるか、引き留めていたハザマに怒るか、何かしら文句が飛び出てくるだろうと予測していただけに、ジンが当然のように頷いたことに拍子抜けする。
まさかジンもこうなることを望んでいたのだろうか?と一瞬考えたが、馬鹿げた発想だと打ち消した。有り得ない。
まあいい、ごねられて面倒臭くなるよりずっといい。ハザマは黒い携帯端末機を上着から探り出し、周辺地域を確認し始めた。
こんな深夜から宿泊出来るホテルなど種類が限られているが、それをわざわざこの場で口にするほど愚かではない。確実にジンが嫌がるのが目に見えていた。
「……行けそうな所、見つけましたよ」
「そうか。……会計を済まそう」
同性でも黙って通してくれそうなホテルを発見して顔を上げると、ジンは当然の流れのように財布からカードを出して、バーテンダーに渡した。
それに思わず、ちょっと待ってくださいよとハザマは声をあげる。
「折半のはずでしょう」
「ここは僕が払う、だからホテル代はお前が払え。その方が面倒がなくていいだろう。……何より僕にとっても、得だ」
「えー…、なんですかそれ。ヒドイですよ、少佐ァ~」
飲み代より、ホテル代の方が高い。分かっていてそう言うジンに、ハザマは非難がましく文句を言った。最初は部下に奢らせるわけにはいかないとか、言っていなかったか。
持ち合わせはあるので、別に本気で責めているわけではないが、ハザマがふざけてヒドイヒドイと繰り返して言うと、精算を済ませてバーテンダーからカードを返してもらっていたジンが、不意にこちらへ向き直った。
「損した分、どうせホテルで取り返す気だろう。お前の考えなど分かりきってるぞ」
「……え」
ふん、と不遜に鼻を鳴らしたかと思うと、ジンは悪戯っぽく口端を上げて笑った。
してやったりとばかりに、無邪気にそう言い当てた目の前の若い上司に、ハザマは思わずポカンと口を開けたまま間抜けな声を発していた。全く予想外の言葉が飛び出したことも驚きだったが、この楽しそうな顔は一体何事か。
意味が分かっていないで言っている? いや、こちらの下心に気付いたからこそ出てきた言葉だ。……ということは、企みを分かったうえでジンは笑っているということになる。
(んん? しかもこれって、承知しているかのように聞こえるんですが、気のせいですかね??)
まるで、仕方のない奴だとばかりに快く受け入れているような、そんな雰囲気のジンに、ハザマは強い違和感を抱いた。
おかしい。普段なら怒って斬り掛かるか、嫌悪感も顕わに罵るかのどちらかだ。今までの経験上ジンが折れるのは、しつこく言い寄られて抵抗を諦めた時だけだった。間違っても、こんな快諾する姿は見たことがない。
訳が分からない。不可解だ。
いつまで経ってもお子様思考なこの英雄様など簡単に考えが読めると思っていただけに、ハザマは混乱した。そして分からないという状態が不快で、思わず真剣に思考を巡らせる。
「ハザマ大尉、何をしている。早く行くぞ」
「……あ、はい。すみませんっ」
「上着、忘れないようにな」
慌てて立ち上がったハザマに、ジンが既に歩き出しながら注意を促した。指摘通りスーツの上着を取り上げて腕に掛けたハザマは、眉を寄せながら後を追う。
やはり、おかしい。ジンはあまりそういう事を、わざわざ口にしないはずだ。いつも他人など、どうでも良さそうにしているのではなかったか。
思わずハザマは小走りで横へ並び、ジンの表情を窺い見た。しかし彼の涼やかな面立ちは変わらず、逆にこちらの視線に気付いて怪訝そうに片眉を上げる。
「どうかしたか?」
「……いえ」
何でもありません、としか言いようがなく、ハザマはぎこちない笑みを浮かべる。違和感に内心しきりに首を傾げながら、ハザマはホテルへと向かった。











明らさまにそれと分かる外装ではないが、やはりどういう目的の為かは分かるホテルに足を踏み入れ、ハザマは手短に宿泊手続きを終えた。
その僅かな間、ジンは手持ち無沙汰な様子で物珍しげに内装を眺めていた。普通のホテルならば、ここまでジンは興味深げに眺めたりはしないだろう。つまりは、連れてこられたここが何なのかは分かっているということだ。
益々、内心不安に駆られてきたハザマはひたすら笑顔を貼り付け、悟られないように平静を装っていた。
……気にする必要はない。ジンの状態など、こちらが気にすることではないのだと、胸中で言い聞かせるように呟く。
ただの性欲処理であって、合意さえ得られていれば問題ない。突っ込む穴さえあればいい。ジンがどう思っていようが、どうでもいいことではないか。こんな所まで、のこのこついて来た方が悪い。
簡単に抱けて、妊娠の心配もない都合の良い相手。ハザマはそう改めて思い、受け取ったキーを片手にジンの腰に手を回した。
商品棚に並べられた、毒々しい蛍光色の機具に視線を向けていたジンが、驚いたようにこちらへ振り返る。
「さあ、行きましょう。それとも、玩具が欲しいなら買ってあげますが?」
「……いらん」
耳に吹き込むように囁くハザマに、ジンは眉をひそめて首を振った。下世話な話題に、ジンは嫌悪も顕わに唇を歪めるが、その様がいつもの冷徹な彼らしい表情で、ハザマは僅かに安堵する。可愛くない冷めた態度だが、見慣れているだけにこの方が落ち着く。
渋い表情のジンをエスコートし、ハザマは借りた部屋へ向かった。
「どうぞ」
ファーストレディのように、扉を開けてジンを招き入れる。それなりに良い部屋を取っただけあって、中は普通のホテルに近い広さと内装だった。
しかし淡い照明に照らされた部屋をゆるりと首を巡らせて見、不意にジンが少し戸惑ったように入口付近で足を止める。
「どうしました?」
「……いや」
まさかここまで来ておいて後悔し始めたとか、そんな馬鹿なことではあるまいな。思わず警戒しながらハザマは、何か言葉を呑み込むように言い淀んだジンを後ろから抱き締めた。
今更、逃がしてなどやらない。
「少佐……ベッドに行きましょう?」
「ハザマ、大尉」
抱いた細腰から、スーツをたくし上げるように撫で、覗いた隙間へ指先を滑り込ませた。なめらかな柔肌に触れると、ジンの肩が悸く。
情事の時ですらあまり体温の上がらない、氷を思わせるジンの体。それが妙に熱いことに気付いたのは、シャツのボタンをすべて外した後だった。
「んっ…ぁ、はぁ…」
「少佐……?」
普段は歯を食いしばって、意地でももらすまいと押さえ込む喘ぎ声だというのに、その濡れたパステルピンクの唇から、吐息混じりに惜しみ無く溢れる。その反応に違和感を覚えて、ハザマは僅かに首を傾げた。
いつもなら気絶寸前まで突き倒して、意識が混濁してからやっと緩む唇だというのに、一体どうしたことだろうか。
疑問を抱きながらも、吸い付くような肌触りに無意識のまま胸の淡い飾りをきゅっとつまみ上げると、甲高い声が一瞬上がり、ジンがハザマの手を緩く掴んだ。
「ぁ…駄目、だ。膝が…崩れそう……」
「あらあら、どうしたんですか。もう根をあげるなんて、堪え性がないですねェ~?」
「…っ仕方ない、だろう……貴様の手は、気持ち…いい」
「――」
荒い息を吐きながら呟いたその言葉に、息を呑む。
有り得ない。彼がこんなことを口にするなんて……有り得ない。
何度もイかせてぐちゃぐちゃにしてやった後ならまだしも、こんな、ただ撫でただけでそんな言葉が飛び出るなんて、むしろ自分の耳がおかしいのではないか? 思わず手を止めて固まったハザマに、ジンが肩越しに振り返った。
相変わらず切れ長のシャープな眼が、潤んでこちらを見上げる。頬を染め、今まで見たこともないような甘えた表情で、ぷっくりした唇を開いた。
「ベッドへ……運べ、ハザマ」
数センチの身長差がここまで破壊力を持つなんて、長い人生を繰り返してきたハザマでも知らなかった。蕩けた上目遣いに、完全に心臓をえぐられる。
しかもなんですか、その表情と不釣り合いな命令口調。さりげなく呼び捨てとか、どこまでポイント上げる気ですか。
一気に下半身が重くなるのを感じながら、ハザマはあくまで笑顔を張り付け、「応せのままに」と芝居がかった返事をした。こんな子供の意図せぬ媚態に、自分が一瞬でも意識を奪われたことが許し難く、意地でも余裕の態度を保つ。
しかし、これは一体どうしたことだろうか。あまりにもジンの態度が、豹変してはいまいか。ハザマは本格的に、内心で首を傾げた。
腕の中でしなだれ掛かるように身を寄せるジンを見つめながら、ハザマは考え――至極単純な可能性に思い至る。
「――……もしかして、酔ってます?」
「ん……? んー、そうだな。少し、酔っているかもしれない」
そんな馬鹿なと自分でも思いつつ聞くと、ジンは僅かに首を傾げてからこっくりと頷いた。
聞かれると素直に答えるその様に違和感を抱きながらも、聞き出せるなら確かめておこうと思った。
「少佐、もしやお酒には強くない……?」
「どうなんだろうな……普通、くらいだと思う。ほとんど変わらないから、分かりにくいとは言われたが。……ああ、でも一度泥酔した時に、あまり飲まない方がいいってツバキに言われたような?」
不思議そうに首を傾げながら、少したどたどしくそう言う。言葉だけ聞けば、なんらおかしくはないように思えるが、ここ最近付き纏っていたハザマには違いが見えてきた。
今のジンは、考えたことがそのまま口に出ている。
思考して、いつもならば言っても無駄だと判断したことを省いていたはずが、ストッパーなしに溢れている。だから聞けば素直に答え、反応がストレートだったのだ。普段のジンを知る幼なじみのツバキですら、おかしいと思わせるほどに。
周囲からは常に、厳しい評価と悪意に満ちた視線に晒されてきたジンは、発言を抑える癖が付いている。それがアルコールによって機能しなくなり、今のような状態になったということか。
なるほど、この不可解な事態の理由が分かった。原因さえ分かってしまえば、これはむしろ……美味しい状況ではないか。
意地を張って耐えようとする姿もそそるが、今のように快感を素直に口にする姿も飼い猫のようで可愛いものだ。
むくむくと悪戯心が首をもたげてきたハザマは、口端を釣り上げた。
「そうですか……では、ベッドでとびきり気持ち良くして差し上げますよ」
「っ…、ぁ」
耳に吐息混じりでそう呟くと、ジンの体が震える。期待に満ちたような、艶めいた声が心地いい。
ジンをこちらに向けさせ、ハザマは引き締まった小ぶりの臀部を掬うように手を回して、細い体を持ち上げた。肩にもたれ掛かるような姿勢で、足の浮いたジンが戸惑いながらハザマの首に腕を回す。
華麗に横抱き……をしたいところだが、如何せん体格がほぼ同じなので難しく、ハザマはそうして少し持ち上げたジンの体をベッドまで運んだ。過去の、もしくは未来の彼の体では、持ち上げることすら叶わないことを思うと、こうして腕に収まるサイズなのは幸いなのかもしれない。
「ん…っふ、ぅ」
広いダブルベッドへ痩身を横たえ、ハザマはジンにやわらかく口づけた。腰を撫でながら舌を絡めると、ジンは素直に体を擦り寄せ、キスに応えてくる。
小さい舌が不器用ながら絡んでくる感触に微笑ましい気分を抱きながらも、この態度がジンの本心かと思うと愉悦が止まらない。気持ちいいこと、好意を寄せられることに慣れていない分だけ、ジンはそれを魅力的に感じてしまっているのだろう。どれだけ拒絶したところで、結局折れてしまうところがそれを如実に顕している。
アルコールのせいで熱く熟れた舌を吸い、根元や歯茎を擽ると組み敷いた体が震えた。
「ふぁ…、ぁ…ハザ…マっ」
「……ふふ。気分、いいですね。貴方に、そんな甘ったるい声で呼ばれるなんて」
喘ぐジンの、半開きの唇から零れる唾液を指で掬いながら、ハザマは眼を細めて笑う。すると自分の行動に気付いてか、ジンが顔を赤らめた。恥ずかしそうに視線を逸らす表情は、いつもの苦虫を噛み潰したようなものではなく、困惑したようなそれ。これも普段は滅多にお目にかかれない反応だ。
思考自体は鈍っていないので、恥ずかしいという感情は生まれるが、それがそのまま態度に出る。こういうジンは初めてかもしれない。
(……いや、初めてでもねェか)
幼少の頃、兄に構ってもらえず拗ねていた頃はこんなだった。撫でて抱きしめてやれば喜んだし、悲しければ泣いていた。
いつからひねくれてしまったんだっけと思い、自分のせいかと思い出す。
この愚かな子供の過去も未来も自分の手の中にあるのだと改めて思うと、ひどく満たされる心地だった。
すべて自分の思い通り。鼻歌でも歌いたい気分で、ハザマは乱れたシャツを辛うじて留めている緩んだ赤いネクタイを引き抜き、ジンの胸元を開いた。
「あ…ッ、やめ…ろ! そこは…っ」
薄い筋肉の張った胸を揉みながら、淡い色の可愛らしい突起を吸うと、ジンが逃げるように体をよじった。
今の状態でやめろと言うのだから、本当に嫌なのだろう。だがそれは嫌悪からではなく、困惑からきているのだとハザマは見抜いていた。
局部と違って、男は普通ここに快感を求めない。だから愛撫を施されても、それが快感だと気付けないのだ。
「大丈夫ですよ。慣れたら、ここだけでイけるようになりますから」
「…っ…! や、だッ…そんなの、…んっ」
ふるふると首を横に振るたびに、蜂蜜色の髪が揺れ動く。ぐずる子供のような仕種と、悩ましく悶える肢体のちぐはくさが、見ていると不思議な気分にさせた。
歯で緩く挟み、押し潰すように舌先で弄り回すと、そこは本人の意思に反してぷっくりと勃ち上がる。くすぐったいような痺れるような微妙な感触に堪えかね、ジンの手がハザマの髪を掻き乱した。
「やめ…ぁッ、はな…せっ…んん」
困惑したような悲鳴とともに、セットした髪がぐしゃぐしゃに乱される。何度か弄っているはずだが、未だに気持ちいいところまではいっていないようだ。
素肌を触られるのは嫌いではないのにな……と思いながらハザマが、薄く張った筋肉の筋もついでに舐め上げると、髪を鷲掴む手が戦いた。やはりこちらの方がいいようだ。
陶器のように滑らかな肌を、唾液を絡めてじわじわと舐め上げていくと、ジンは熱い息を吐きながら手を緩め、ハザマの首筋辺りを撫でてきた。あやすようにゆるりと這う細い指先に、ハザマもぞくりと痺れが走る。
少し飲み過ぎたか、などと思いながらハザマは熱い体を舐め上げ、鎖骨を強く吸った。痛みを伴うそれに、ジンは眉を寄せる。
唇を放すと、鮮やかな紅い痕が付いていた。
「少佐の服、ガード固いですからねェ~。痕、つけ放題ですよ」
「…ぁ…も、馬鹿か…貴様はっ」
にこにこ笑って鬱血の痕をつつくハザマに、ジンは顔を赤らめて、こちらの頬をぺちんと弱々しく叩いて抗議してきた。……なにそれ、余計燃えるだけじゃないですか。
恥ずかしがりながらもこちらを見るジンの顔を新鮮な気分で見つめながら、ハザマは再び唇を寄せた。いつもならベッドに押し付ける勢いで頑なに顔を逸らすというのに、今は碧眼がこちらを見ている。期待と不安に苛まれた双眸が、嗜虐心を煽った。
「ヒドイじゃないですかァ、叩くなんて~。仕返ししちゃいますよ?」
ねっとりと唇を舐め上げながら、ハザマは僅かに眼を開いてジンを至近距離で捉える。ふざけた口調とは裏腹に笑っていない金色の両眼に、ジンが釘付けになったのが分かった。
ジンは、ハザマの金色の眼が苦手だ。間近で目が合うと、いつも畏れを滲ませる。
それを知っていて、わざと怯ませるようにジンを見つめたハザマだったが、意外にもジンは一瞬だけ驚き、すぐに慣れたようにこちらを見つめ返してきた。いつもなら目を逸らしたり、負けじと睨み返してきたりするのに、理性が上手く働いていないせいで大胆になっているのだろうか。
どちらかというと物珍しげに見上げて来るジンは、険しさの抜けた子供のような眼差しでぱちぱちと瞬きした。
「……眼、あるんだな」
「うわ、ヒドイ言い草ですねェ~。見たことないわけじゃないでしょう?」
「そうだが……ああ、なんだ。細いからいけないのか」
失礼なことを言うジンを窘めるが、ほとんど聞き流してよく分からないことを言い出した。これだから酔っ払いは困る。ジンの酔い方は全然マシな方だが、それでも普段の彼と比べれば支離滅裂な感は否めない。
生れつきなんですから仕方ないでしょうと、ハザマが軽く流そうとした時、不意にジンが手を伸ばしてきた。繊細だが皮膚の厚い、戦う者の指がハザマの両目尻に触れる。
何だろうかと動向を見守っていると、細い眼を割り開くように、きゅっと力が入れられた。
「……何してるんです?」
「もう少し、開かないかなと思ったんだが」
「余計なお世話ですよ」
悪気もなく真顔で言うジンに、ハザマは半ば脱力する。なんだこれは、警戒心が抜け落ちると天然気味になるのか、この少佐殿は?
折角のムードが完全に壊されてしまう前にと、ハザマは剥き出しの腰に手を這わす。――が、澄んだエメラルドの瞳はこちらを真っ直ぐに射抜いていた。
酔いなのか先程の愛撫のせいなのか、薄っすらと頬を染めた端正な顔が目の前で楽しそうに笑う。
「勿体ないな。よく見たら、綺麗な色なのに」
「――っ」
何を突然言い出すのだろう、このガキは。
気持ち悪い、怖い、という感想が出てくるとばかり思っていたので、完全に不意を突かれた。思わず反応出来ずに停止していると、ジンが今度は意地悪げに口元を歪める。
「クッ……貴様もそんな顔をするんだな。褒めただけだというのに」
「……いやァ~、まさか誉れ高き少佐殿にお褒め頂けるとは、全くこれっぽっちも思いませんでして~。非常に驚いてしまいました」
からかうジンに、ハザマはまいったまいったとわざとらしく肩を竦めた。内心の動揺を隠すように芝居がかった態度を咄嗟に取るが、ジンの面白そうにこちらを見る眼は変わらない。何とも小生意気な。
自分の方が振り回されているようで、なんだか癪だ。ハザマは不機嫌を覆い隠し、ジンの下肢へと手を這わせた。
「ぁ…、待てっ」
「嫌です、待ちませんよォ」
手品のようにいとも簡単にベルトを外し、ハザマが下着の中に手を滑り込ませると、ジンが余裕の表情からうって変わって焦ったように制止の声をあげた。だが当然やめるわけはなく、ハザマは反応して固さが増したジンのものを握る。長い指が形を確かめるように絡まる感触に、細腰が震えた。
「こんなに期待で濡らしておいて、イヤ……な~んてことないでしょう?」
「はぁ…っ、ダメ…ぁ…!」
熱を持って立ち上がる湿ったそれを、窮屈な下着から引きずり出して捏ねくり回す。快楽に素直な体は、擦るだけでも十分気持ちいいようで、閉じかけた細い足が震えた。
大きく開いたシャツは服の意味をなさず、ずり下げたスラックスも足を絡め取るだけのものになっている。襲われたような姿(間違ってはいないが)になったジンを眺め、ハザマは満足げに笑った。いつもの特注の戦闘服もいいが、スーツもなかなか目を楽しませてくれる。いかにも、仕事帰りに凌辱された感じがいい。
「…ふっ…くぁ…ハ、っ」
僅かでも動揺させられた仕返しとばかりに、ハザマは閉じようとする足の間に体を割り込ませ、下肢を弄りながら乳首を甘噛みした。今から徐々に、胸の性感帯も開発していけばいい。
覆い被さり、執拗に弄り回すハザマにジンは顔を赤らめて押し退けようとするが、手に握り込んだものを扱きあげれば、しなやかな背が弓なりに反り、抵抗をやめる。
ハザマはほの紅い胸の尖りを舌先でえぐるようにつつき回し、固くそそり勃った下肢を手の中で弄んだ。流石にもう何度目かの交わりだ、どこが気持ちいいのか把握している。
固さを増す筋をなぞりながら上へと擦りあげ、濡れる先端の余った皮を引き下ろすように指の腹でクッと引っ張ると、ジンの腰がひくんと跳ねた。そのまま剥き出しになったカリをいじくり、割れ目を開くように指の腹を押し付けて頂上へと擦り上げる。
「ぁ、ん……ッ!」
強い快感に肌蹴て乱れた肢体が震え、太股で挟むようにハザマの腰を圧迫した。足を閉じて拒もうとしたのだろうが、既に体を割り込ませて覆い被さってしまっているので、それは何の意味もない。
むしろその行動は、逃すまいとしているかのように見えて、ハザマはくすりと笑った。
「そんなに、がっつかないでくださいよ」
「! 違…っ…ぅ」
「どこが違うんですか? ぐちゃぐちゃじゃないですか、ほら」
紅い顔で首を振るジンに、ハザマはわざと見せ付けるように先走りで濡れた手を眼前まで持ってくる。汚れた指先をすり合わせると、ぬるついた体液がねちゃねちゃと卑猥な音を立てた。
その光景を見せ付けられたジンは、翡翠の瞳を潤ませてこちらを睨んでくる。
「貴様は、本当に……意地が悪い……っ」
「お褒めに与り、光栄です」
「褒めてない!」
ハザマのふざけた言動に、ジンが子供の癇癪のように叫んだ。
その反応にガキだなぁと思いつつも面白そうに見ていると、突然脱ぎかけのシャツを纏わせたままの、白い手がこちらへ伸びてくる。ハザマのネクタイを掴んだかと思うと、乱暴に引かれた。
そして、噛み付く勢いでジンから口づけられる。絡んできた短い舌に、ハザマも少し驚きながら舌を絡めた。
深くまさぐり、捕らえた舌を吸い上げてやると、ジンの手はネクタイから離れ、引き寄せるように後頭部に手を回してくる。ハザマのシャツを挟んでぴたりと合わせた胸から、忙しない鼓動が伝わってきた。間近にある端正な顔と、蕩けたように金の睫毛を震わせる様に、自分も少し鼓動が早くなるのを感じる。
蛇が絡むように執拗なディープキスを繰り返すハザマに、ジンは湿った息を吐き出しながら、悩ましげに小さな喘ぎを零した。
「ん……貴様も、脱…げ」
「あら、大胆ですねェ」
「僕だって……触りたい」
意外なことを口にするジンに、細い眼を瞬いたハザマだったが、するりと頭から外されたジンの両腕が脇腹から服の間へ滑り込んできたことに、その言葉が本気だと悟った。
シャツの端を引っぱり出し、熱い手が腰から素肌に触れてくるのを感じて、ハザマは思わず困ったような笑みを浮かべる。
「別に構いませんが、少佐に満足いただけるような体じゃないですよ?」
「……満足? どうでもいい、僕が触りたいだけだ」
触って面白い体じゃないですよとワンクッション置いてみたが、ジンは言葉通りどうでもよさそうに、言い捨ててハザマの体を確かめるように手を這わせた。
白く細いが、刀を振るう手だけあって骨格は骨張っている。しかも触り方にあまり色気は感じられず、どちらかというと動物を可愛がるような撫で方をされて、ハザマは微妙な顔付きになった。
「少佐……?」
「煩い、少し黙れ」
しかし疑問符を浮かべて口を開いた途端、傲慢に命令されてしまう。
仕方なく口を閉じると、ジンは蕩けた眼差しのままシャツを捲り上げ、前のボタンを全部外していった。余計な脂肪はないが最低限の薄い筋肉しか張っていない、あらわになったハザマの胸にツ…と人差し指を這わせて、ジンは口元に薄笑いを浮かべる。
「貧弱」
「だから、そう言ったでしょう」
「まあ分かってたことだな。着付けの時にも見たし」
艶やかに頬を染めたまま、ぐさっと刺さる一言を言ったジンに少し苛立つが、ジンは厳しい評価の割にはそれを気にしていないようだった。着物を着付けてもらった時のことを挙げられて、そういえばそうだったと思い直す。僕より細いと、揶揄るように言われたのが耳に残っていた。
だが見られるだけでなく、こうしてジンの方から触られるというのは初めてだ。
日に焼けていない肌の感触を楽しむように、白い手がゆっくり這い回るのをハザマは作り笑いを浮かべたまま見つめた。不快ではないが、刺激が少な過ぎてこちらとしては面白みがあまりない。
やられた仕返しか、乳首にもふにふにと触れてくるがハザマが特に反応しないのを見て、ジンは首を僅かに傾げる仕草をした。何度もループを繰り返して膨大な記憶を持ったせいか、正直なところハザマは感覚が総じて鈍くなってしまっており、ちょっとやそっとの快楽では動じなくなってしまっている。期待されている反応が返せないのは申し訳ないが、これはどうにもならないことだった。
こちらの表情を窺うように下から見上げていたジンだったが、すぐ諦めたようにそのまま鎖骨の方へと手を滑らせる。浮き出たラインをなぞり、ふとジンは楽しそうに微笑んだ。
何がそんなに面白いのだろうと思いながら見ていると、ジンはうっとりした表情を浮かべたまま、また下へと手を滑らせて肌の温かみを楽しんでいるようだった。本心は寂しがり屋のこの子供のことだ、単純に人肌に飢えていたというところだろうか。
しかし本当に、見たこともないような満足げな顔をする、とハザマは思った。ゆるゆる肌を撫でながら嬉しそうな顔をするジンに、下肢がじわりと熱を持つ。
手持ち無沙汰に思わず、ハザマが覆い被さったまま同じように片手で剥き出しの乳首を擦ると、ジンが一瞬体を強張らせた。しかし安心させるように緩い刺激で何度か指を往復させると、ジンは眼を細めて湿った吐息を漏らす。
さっきまでの抵抗が嘘のように消え、ジンはハザマの背を撫でながら愛撫に身を任せていた。
まるで初めて恋人同士で行うような、ペッティング。ただ相手の存在を確かめるような、温もりの分け合いは焦れったいことこの上ないが、ジンが穏やかに嬉しそうな表情を浮かべているのが新鮮で、中断するのがなんとなく憚られた。
とっくに下半身は滾っているのに、これでは生殺しにされそうだと思い、ハザマは愛撫を続けながら徐に腰を擦り付けた。
するとその緩い感触に気付いたジンが、意外にもそのまま手を滑らせてハザマのベルトを外し始める。
「……少佐?」
「窮屈、なんだろう……?」
熱に浮されたような眼差しのまま、ジンはそう言ってハザマの前を開放し、鎌首を擡げかけていたものに触れてきた。普段のジンでは見られない積極的な行動に些か驚いたものの、ハザマは好機と取って、包み込んでくる手に一物を擦り付ける。
するとジンは嫌がることなく、熱い塊を素直に上下へ扱き始めた。お互いの腰が密着した隙間で、白い手が窮屈そうに蠢く。
「…ハァ…、大尉のは……長いな」
繊細な指先が、先端から根本まで長さを確かめるように動き、ジンの濡れた唇からそんな感想が漏れた。
いつもなら触るのも嫌だとばかりに体を離そうとするのに、このうっとりした表情はどうしたことだろうか。金の睫毛を悩ましげに震わせながら、優しく愛撫を施してくる様はあまりに刺激的すぎる。技巧自体は無いに等しいというのに、見ているだけで高ぶるものがあった。
自慰をする時もこんな感じなのだろうかと思いながら、ぎこちなく触れてくる熱い手にハザマは笑みを深くする。どこが快感に繋がるのか、正確には把握していないのだろう。全体を包み込むように、ジンは撫で回してきた。
反応して滲み出てきた先走りを塗り広げるように、上下へ擦る様を見つめながら、ハザマは手慰みにジンの乳首を押し潰したり、爪で弾いたりした。こそばゆいかのように微かに肩を震わせるが、腹に付きそうなほど反り返ったジンのものが、快感の度合いを示している。
芯を持ち始めた胸を摘みながら、ハザマはジンの耳元へ唇を寄せた。
「とても気持ちいいですよ。でも……もう少し強くして頂けたら、もっと嬉しいんですけれど?」
「ぁっ…、これ…くらいか…?」
「……ん、悪くないですね」
秘め事のように囁くハザマの声に、ジンがひくりと肩を震わせる。
素直に従うジンというのも、案外可愛いものだ。
ハザマは褒美のように、耳へ音を立ててキスをした。耳が弱いのか、ジンは息を呑んで背筋を震わせる。
「ッ…ふぁ、ん……ハ…ザマ…!」
「はい、どうしました……?」
懸命に喘ぎ声を呑み込みながら名を呼ばれ、ハザマはわざととぼけて聞き返した。耳はやめてほしいと言いたいのかもしれないが、皆まで言わせる気は毛頭ない。
ハザマは長い舌を差し込み、鼓膜を犯すように舐め回した。ジンは唇を震わせ、首をよじって逃れようとする。
しかし下肢を包み込むジンの手は、放すことなく献身的に擦り上げていた。ハザマの舌遣いに身を震わせながら、翡翠の瞳を潤ませる様が小動物のようで可愛らしいと思う。
結局は、こうした触れ合いがさほど嫌ではないのだろう。吐いた息の混じり合う距離で密着することに慣れてはいないが、心地好いと感じているからこそ、本気で拒絶しない。
唾液で濡れた薄い耳たぶに、ハザマが軽く噛み付いて引っぱると、頬を染めたジンが乱れた息を吐いた。
「はぁ…っん、…ふ…んぁ…ッ」
「そんなに顔を真っ赤にしておいて……やらしい手つきで男の体に触れてくるなんて、英雄様は意外に淫乱ですね」
無意識に細い足でハザマの腰を挟み込み、脳髄が蕩けるような艶めいた声をあげるジンに、ハザマは荒い息遣いのまま、吹き込むように耳元で囁く。浮き上がった凹凸を確かめるようにハザマの分身を愛撫していた手が、びくりと強張った。
「っ、違…ぅッ、……ぁん! やめ…、吸う…なぁ……っ」
思わず引きかけたジンの手を押さえ込み、ハザマは少し背を折ってジンの乳首へと吸い付く。拒絶の言葉を吐きながらも、ねぶられる感触にジンの背がしなやかに反った。それに伴って無意識に力んだのだろう、性器をぎゅぅっと強く握られ、ハザマは思わず息を呑む。
「ぁは、……ちょっと痛いですよ、少佐ァ?」
「知ら、ないっ……貴様が悪……はぁぁ…んっ!」
言葉を遮るように、白い肌に色付くしこりを唇で挟み、舌先で尖りを押し潰しながら一気に吸い上げると、蕩けた甘やかな嬌声が迸った。思わずくすりと笑うと、涙目でこちらを睨むジンと目が合う。
抵抗される前に、ジンの手首を抑えている方とは反対の手を、下肢へ滑らせて後孔に触れた。互いに腰を密着させ、どちらともなく零した先走りによりそこは既に湿っており、中指がさほど抵抗もなく潜り込んでいく。
「んッ! く…っ…」
その感触に下唇を噛みしめるも、抵抗はせずに声を殺してジンは堪える。その反応が普段の彼と同じなので、不思議な心地でそれを見下ろした。
だが眉を寄せるジンの表情は、苦痛に耐えるというよりは快感に堪えているように悩ましげで、頬は姫林檎のように紅い。素直に自分の手で乱れていく様に、何かいじらしいものを感じ、ハザマは眉間のシワに口づけを落とした。
すると、驚いたようにジンがこちらを見る。優しくされることが不思議だとでもいうような反応に、これだけ手間を割いてやってるのに失礼だなと思ったが、殊更丁寧にハザマはジンの中を広げていった。
先走りと熱気で蒸れたその内壁を、指の腹でゆるゆると撫で回して馴染ませていく感触に、不思議そうに見ていたジンが、綻びが解けるようにゆっくりと恍惚の表情へ変わっていく。その様に、ハザマは反射的に生唾を呑み込んだ。
可笑しなものだ。こういった行為はもう飽きる程しているはずなのに、この青年の仕種や変化には時々興味をそそられる。絶世の美女も豊満な体の女性も一通り知り尽くしている自分が、何故こんな貧弱な体に勃つのか不思議だ。
未熟で愚かで騙しやすく、利用価値のある子供。冷めきった顔は絵画のように美しく、肌は白磁のように澄んでいる。均整の取れた体は男の中では見栄えがする方で、セックスの相性も別段悪くはない。……だが、所詮はそれだけ。利点を挙げろと言われれば、それくらいで打ち止めだ。
だというのに、自分はわざわざ優しくキスで宥めながら愛撫を進めている。面倒臭い、どうせ酔っているのだから無理矢理突き込んでも大丈夫なのではないか、そんなことが脳裏を過ぎるが、指を動かす度に気持ち良さそうに湿った吐息をもらすジンを見ていると、実行に移す気にはなれなかった。
しかも、ジンはただ受け身になることを嫌うように、愛撫に身を震わせながらもハザマの猛ったものを指でなぞってくる。それ自体は拙く、大した刺激でもないのだが、何かを返そうと献身的なところが垣間見えて愛らしく思えた。
まるで、素直だった幼少期のようだ。
寂しくて堪らなかった少年は、少し構ってやっただけで喜び、笑った。何の為に近付いたかなど知りもせずに、知らない男に無邪気な笑みを見せていた。そんな純粋で愚かな根本は、あの頃から変わっていないということなのだろうか。
だからこんな、タチの悪い男に引っ掛かるのだ。
他人事のようにそう思いながら、ハザマは埋め込んだ指を曲げ、内側から腹を押し上げる。
その圧迫に細腰が戦くが、ハザマが顔を上げて口づけると、逃げそうになる体を押し止めてジンが口づけに応えた。なんて素直で健気なのだろう、酒の力とは恐ろしいものだと改めて思う。
湿ったやわらかい唇を割り開き、長い舌を差し入れると、ジンもまた小さめな舌を伸ばし、絡めてきた。濡れた舌の感触を楽しむように擦り合わせて軽く吸うハザマに、ジンはふるりと身震いし、やんわり押さえていた片手を引き上げて、頭を抱え込むように腕を回してくる。
自ら縋り付くような体勢でキスをしながら、片手ではハザマのものを熱心に愛撫する姿に、ハザマは熱い息を吐きながら苦笑を零した。
「はぁ、…ふ…っ。なん…だ……?」
「んっ……、いえ? 可愛いなぁと、思っただけです」
どちらのものとも分からなくなった唾液の糸を引きながら、ハザマがにっこり笑ってそう言うと、一瞬の間の後、ジンの上気した頬が更に赤みを増した。
文句も嫌味もなく、照れたように少し顔を逸らせて、ジンは「そうか……」とだけ呟く。
素直に喜ぶまではいかないジンを少し残念に思いながらも、三本目の指を潜らせたハザマだったが、不意にジンにシャツの袖を引かれて動きを止めた。
「もう、いいから……挿れてくれ」
「……おや、そんなに欲しかったんですか? 私が」
羞恥を滲ませながらもこちらをしっかりと見てそう言ったジンに、ハザマは意地悪くそう聞き返す。からかうような言葉で返してしまうのは、もはや条件反射だ。
だが、普段なら怒るか拗ねるかするジンが、潤んだ瞳のままこちらを見つめ返してきたことが、意外だった。そして、ゆっくりと開く唇から発せられた言葉に驚愕する。
「貴様が、いい……。早く……しろ」
「――少佐?」
じっとこちらを見つめる翡翠の瞳に見入られながら、ハザマは目を瞠って聞き返した。押し切られて仕方なく体を交える姿しか見たことのなかったハザマには、今日のジンの言動は驚きの連続だ。
しかも、やわらかく緩んだ表情でこちらを見上げて、小首を傾げるのだからタチが悪い。
「思いっ切り、突いて……ぐちゃぐちゃに……して……?」
「……っ!」
綺麗だが、確かに男の顔なのに。蕩けた表情でそんなことを言われ、思わず息が詰まった。
自分の今の有様がどれほど破壊力を持っているのか、熟知したうえでこんな台詞を言ったのなら、とんだ策士だ。
思わず吐き出しそうになった感嘆の息を、呆れた溜息に変えてハザマはジンを見下ろした。
「何時からそんな言葉で、男を誘惑するようになったんです? ……いけない子だ」
シーツに広がる柔らかな金髪を撫で、殊更子供のように言い聞かせるように、穏やかにそう言う。こちらの僅かな動揺も悟られたくなくて、隠すように出たその言動に、ジンは少し不思議そうな表情をした。
そして、徐ろにハザマの猛ったものを愛おしむようにゆるゆる撫で始める。
「でも、さっきので、大きくなったぞ……?」
ダメなのか? なんで?
そんな言葉が続きそうな無垢な顔でこちらを見上げながら、そんな愛撫。なんというミスマッチだろう。内心、頭を抱えたい気分に駆られた。
理性や思慮の抜け落ちた今のこの青年に、形だけの嘘や建前は通用しない。駆け引きや言葉遊びも意味をなさない。真理の前に、虚像は脆く砕けてしまう。
いつもなら嘘に塗り固めた笑みを向けて、お決まりの愛を囁いて、技巧に頼ったセックスをして。そうして適当に流すところが、恐ろしく的確に意表を突かれる。
なんて、怖い子供だ。
そもそも、酔ったこのジンにいつもと同じような調子で仕掛けた自分も悪いのかもしれない。明日には記憶が飛んでいることを願いながら、ハザマは観念したように溜息を吐いた。
降参とばかりに肩を竦め、ハザマは金の瞳を覗かせて少しガラの悪い笑みを浮かべる。
「あはっ、そうですねェ~。図星です、すみません。少佐があんまり淫らなことを言うものだから、ギンギンになっちゃってます」
「っ……はっきり、言い過ぎだ。ばか」
本音の感想をぶつけてやると、ジンは目元を染めながら、小声でそんな罵りを口にした。だがその表情は、むしろ悦びに溢れて見える。まるで、馬鹿をやっている恋人を楽しそうに窘める、それ。
……あーもー、なんなんだ。この背筋が痒くなるようなやり取りは。
ハザマは自分で内心そう罵りながらも、快楽に正直にジンの足を抱え上げて腰を押し当てた。もう遠慮も何もない。
「じゃあ、たっぷり注ぎ込んであげますね。イイ声で鳴いてください?」
その言葉に了承を示すように、ジンの唇がうっすらと弧を描いた。








よく解かせたジンの中は、最高だった。ハザマの長く固い一物も全部呑み込み、きゅうきゅう締め付けてくる。
奥まで収め、思わず感嘆の息を吐くと、こちらの背に両腕を回したジンが目を細めて聞いてきた。
「気持ちいい、か……?」
「ええ、とっても気持ちいいですよ。……このままずっと、挿れっぱなしにしたいくらいです」
「……ばかか。いいから、早く動け」
ハザマが笑いながらそう言ってやると、ジンは頬を染めながらも急かすように腰を押し付けてくる。媚肉の擦れ合う感触が心地いいのか、自分から動かしておきながらジンの中はうねり、ハザマのものに吸い付いてきた。
ホント、この体はサイコーだ。そこらの娼婦みたいに、ガバガバじゃねェし、処女みたいに本気で痛がられて、興が削がれることもねェ。骨格のしっかりした体は、ガンガン突いてもちょっとやそっとじゃ、くたばらねェし……。
こりゃあ、生きたダッチワイフにもってこいだ。
――と、ほの暗い笑みを浮かべたハザマは腰を少し引き、一気に奥へと叩き付けた。
「あっ、あぁッ!」
「あんまり、男を煽っちゃダメですよォ~? 足腰立たなくしちゃいますから、ねェ?」
「んっ、あんっ…ふぁッ、ああ!」
固い砲身で突き上げ、締まる肉壁に逆らうように引き抜く。衝撃に悲鳴をあげるジンに構いもせず、ハザマは立て続けに腰を叩き付けた。細い体が弓なりに反り、肩に担ぎ上げた足が宙を掻く。
ぐちゅぐちゅといやらしい音を響かせるそこは、ハザマの猛ったものをめいいっぱい呑み込み、紅く熟れていた。
「んぁ…ッ、はっんん、ゃ…ハザ……ひぁッん!」
急過ぎたせいか、早くも生理的な涙を目尻に浮かべ始めたジンは、何かを訴えるようにハザマのシャツに爪を立てる。だが、そんな縋り付く腕は黙殺し、欲しいとねだったのはジンの方だと免罪符を掲げて、ハザマは跳ねる体に何度も猛った凶器を捩込んだ。
流石に男だと思わせる力で背を抱きしめられるが、臀部に股間が激しく当たる度に、ジンの蕩けた嬌声があがり、鼓膜が震えてゾクゾクする。こんなにも抑えることなく、明け透けに鳴くジンは初めてだ。
いつもならば、氷を纏って独り佇む青年。それが自分の腕の中で、身を火照らせて喘いでいる。なんという、優越感。
もっと責め立ててやろうと、ハザマは長い指をジンの性器に絡めた。すっくと勃ち上がったそれの先端に、指の腹を擦り当てる。
「ひゃッ、ぁ…ん! や、あ…っだめ…ッ!」
ぐにぐにと手の中で弄びながら腰を回すように中をえぐると、二カ所から襲う快感にジンが髪を振り乱して、制止の声をあげた。過ぎた快楽に腰がびくびくと跳ね上がり、反射的に突っ張るように腕で肩を押されたが、逆にその手をシーツに縫い付けて唇に食らい付く。
「ふっ、んぐ…! んんッ、ぅっ」
悲鳴をすべて飲み込み、長い舌で捕らえたジンの舌を吸い上げた。反応して、熱い内壁が収縮する。僅かに固い媚肉を探り当て、先端で腹を突き破る勢いで突き上げると、前立腺への強烈な刺激に、ジンが喉の奥で悲鳴をあげた。
その悲鳴すら吸い尽くすように舌を絡め、綺麗に並んだ歯列をなぞり、やわらかな下唇を甘噛みする。今まではあまり見せなかった、欲望のままの激しい交わりに、ジンが早くも息も絶え絶えで涙目になっていた。
「んんッ、んっ…んぅ…!」
震えて泣き濡れる性器を扱きながら、体を折り曲げるほどに覆い被さって、ハザマは容赦なく腰を叩き付ける。ベッドのスプリングがギシギシと煩い音を立てた。
遠慮のない責め立てに、ジンがくぐもった喘ぎをあげ、中が絞り取るようにぎゅっと締まる。
「ん、ん、んッ、…ん――…ッ!」
深く重なった口腔内で、一際高い声があがった。手の中で白濁が弾け、ジンがイったことを示す。意外に早かったなと思いながら、ハザマは放出に弛緩する体を解放した。
蜂蜜色の髪を汗で張り付かせ、荒い息をついてシーツに沈むジンから、ゆっくりと唇を離すと、銀糸がツ…と零れ落ちていく。
「はッ、はッ、はぁっ……はぁ…、ん…く…」
汗に濡れた胸を上下させ、酸素を求めて喘ぐジンの碧玉からは、珍しく涙が伝っていた。だがそれが苦しみだけでなく、それを上回る快楽によるものだというのは、恍惚として潤んだ瞳と紅く染まった頬で分かる。
乱れた息が少し整ったところを見計らって、ハザマは不意を突くように腰を押し付けた。
「あ…っ…!?」
「すみません。私、まだイってないもので」
悪いとも思っていない謝り方をしながら、ハザマはニッコリと目を細めて笑う。
埋め込んだままの熱い塊に改めて気付いたジンが、目を瞠ってこちらを見上げてきた。
「ぁ……も、もうちょっと…待って…――」
「イ・ヤ・です♪」
殊更楽しげに笑い、ハザマはジンの足をむんずと掴む。ずり上がって逃げようとした体を引き戻し、ハザマは中を突き上げた。
「ひゃあぁ……っ」
敏感なままの中に再び刺激を受け、ジンが甘い悲鳴をあげる。体を強張らせた隙に組み敷き、ハザマはジンの顎を捉えた。
「逃げちゃダメですよ? しょーさ」
完全に獲物を捕らえて、蛇は笑む。睨まれた蛙よろしく、ジンはひくりと体を震わせた。激しい責め方に晒され、後込みしたのだろうが今更気付いたところで遅い。
「っ、……せめて、もうちょっと……休ませ、ろッ」
「却下です、我慢できませんから。……それとも、少佐がその可愛いお口で抜いてくれます?」
私はどちらでも構いませんよ? 声が枯れるまで責め立てるのも、フェラチオで済ますのも。
苦汁の二択を突き付け、ハザマはジンを見つめる。金色の瞳に射抜かれ、ジンは迷うように視線を右往左往させたが――、長い睫毛を伏せて羞恥で頬を染めた。
その反応に、おや…と思っていると、金髪の頭がこくりと揺れて消え入りそうな声で囁いた。
「……口で……する」
「あらァ、本当ですか? 嬉しいですねェ~」
意外な選択をしたジンに、ハザマは内心驚きつつも、満面の笑みで応える。こんな大サービス、そう滅多にあることではない。
快楽に従順になりつつある今なら、色々出来るかもしれないな。
腹黒い願いをあれこれ思い浮かべながら、ハザマは可愛い子供へご褒美のように甘ったるいキスを贈った。



















濡れた髪をタオルで乾かしながらシャワーから出ると、カーテンの向こうから朝日の気配が漂っていた。
床に投げ捨てられたスーツやシャツに、致命的なシワが残っていないことを祈りつつ拾い上げるも、ハザマはそれらを椅子の背に投げ掛けるだけで後回しにする。
スラックスだけの素足でぺたぺたとベッドへ近付いたハザマは、そこで丸まっている青年を見下ろした。先に汚れを洗い流してベッドへ運んでおいたジンは、死んだようにぐったりとシーツに沈んでおり、暫く起きる気配はない。
さもありなん。結構、色々やらせて何度もイかせたのだから。最終的には玩具まで持ち出して、ローターを押し込んだ上から突きまくって昇天させた。
まあ…なかなか可愛かったし満足かな、などとニヤニヤ笑いながら感想を抱いたハザマはベッドの端に座り、昏々と眠るジンの頭をゆるりと撫でた。やわらかな手触りのそれは、まだしっとりと濡れている。
プライドの高い猫を手なずけたような、そんな充実感。流石にこちらの体も気怠いが、気分はいい。
出勤時間までは寝かせておいてやるかと思いながら、ハザマがシーツをめくって体を滑り込ませると、寝返りをうったジンがこちらに擦り寄ってきた。無意識に暖を求めてきたのだろうと思いながら、髪を梳いてやると、あどけない寝顔が僅かに綻んだ。
だが、それを可愛いと思う間もなく、ほの赤い唇が微かに動いた。そしてそこから紡がれた言葉は――。
「……兄、さん……」
「――」
なんで、こんなタイミングで、このガキは。
愚かな子供がいつまでも兄という存在に固執していることは、それこそ飽き飽きするほどに何度もループで見てきている。分かっていたことでもあったし、それを利用して成立するループでもある。その感情が無くなること自体、あってはならないのだが……。
情事の後でこの一言は、気分を害するのに十分だった。ハザマは笑顔のまま舌打ちすると、ベッドから抜け出して身支度を始める。
馬鹿馬鹿しい。所詮、来たる日までの暇潰し。
黒き獣を討ち倒したあちらの英雄ならまだしも、こちらの彼は未熟も極まりない。思慮もなければ、信念もない、ただの餓鬼。
体が魅力的だということは唯一認めるところだが、それもいずれはアークエネミーの傀儡と化す運命。
ネクタイを締め、スーツに腕を通したハザマは、喉の奥で笑い声をあげた。
どう足掻こうと、この子供の末路は変わらない。掌で踊る駒のひとつ。
その事実を思うと、少し気分が晴れた気がした。















思い切り遅刻。重役出勤。
その事実だけでも、若くして英雄と持て囃されるジンには、大きな失態だった。
キサラギ家としてもジン個人としても、足を引っ張って引きずり落としたいと思っている輩は多いのだから。今のところは大佐にチクリと言われただけで済んでいるが……。
しかし、そもそもハザマが起こしてくれれば、こんなことにはならなかったのに。あれだけ好き勝手しておいて、ホテルに置き去りとは一体どういう了見だ。
へらへら笑う憎たらしい糸目を思い出し、ジンは盛大に舌打ちする。自分のことかと勘違いしたノエルが大袈裟に肩を跳ねさせたが、無視。申し訳ないが今は本気で気分が悪く、他にかまけている余裕がない。
不運なことに、昨夜のことをジンは朧げに覚えていた。今からでも、デスクに頭を打ち付けて忘れてしまいたいような恥ずかしい行為の数々がフラッシュバックし、簡単な書類作成を難解なものにしてしまっている。深酒は二度するまいと、心に誓った。
久し振りに苛々しながら長い指先でデスクを叩くが、そんな程度で収まるはずもなく。唯一自分を慰めているのは、今朝見た昔の夢だった。
兄を刺し、シスターを死に追いやり、妹の拉致の手伝いをした自分の罪は変わらないが、夢で見た兄は自分の頭を優しく撫でていた。まるで許されたような気になり、ジンは夢の中で甘えて擦り寄ったのだ。
所詮、昔の記憶をもとに作り出された勝手な妄想に過ぎないのだが、それでもその一瞬は安らかな気分でいられた。
――だというのに、起きれば昨晩散々抱いてきた男はいない。慌てて時計を見れば、もう昼過ぎ。目覚めは最悪だった。
ホテル代の支払いは済ませられていたが、あの表面上は紳士然とした男が、一応上司に当たるジンを置き去りにしたことは、正直少し意外でもあった。内心でどう思っていたとしても、そこら辺は我慢して付き合いそうだと思っていただけに、妙な気はする。
まあ、こちらとしても顔を合わせづらかったから、別にどうでもいいことだが。
ジンがそう胸中でぶつぶつ文句を垂れていると、不意に扉からノックが聞こえた。おざなりな返事を返すと、昨日散々耳元で聞いた甘い低音が響く。
「諜報部のハザマです。書類をお届けに参りました」
「……入れ」
やはり来たかと思いながら、ジンは無表情のまま入室を促した。同時に出来上がった書類を手に取り、ノエルを呼び付ける。
「これは第三師団、こっちは人事部へ持って行ってくれ」
「あ…、はい、わかりました」
戸惑いながらも走り寄って書類を受け取るノエルの後ろから、いつもの黒いスーツが現れるが、今はとりあえず無視。
ノエルの小さい背が扉の向こうに消えたのを確認してから、ジンはハザマへと視線を向けた。
言うべきことは、決まっている。だがどう切り出したらいいものか。いざとなると迷いと緊張が生まれ、ジンは視線をさ迷わせた。
「ハザマ大尉、……昨日の、ことだが……」
「ああ、はい。分かっていますよ、オフレコでしょう?」
どう口止めしようかと思い悩んだジンの言葉を遮るように、ハザマが相変わらずの嘘くさい笑みを浮かべたまま、事もなげにそう言い当てた。
なんだ、分かっているじゃないかと感心し、次の瞬間に疑念が湧く。この男のことだ、黙っている変わりに何か要求するのではないか、と。
しかし身構えるジンに、ハザマは緑の髪を揺らして苦笑を漏らした。
「いやァ~、昨日はお互いにかなり酔っていましたからねェ~。まあ事故ということで、ひとつお願いします」
「……え?」
予想外の言葉が出たことに、ジンは思わず取り繕うのも忘れて、聞き返してしまった。
あんな恰好のからかい要素を、この意地の悪い男がつつきもせずにいるはずがないと思っていただけに、かなり不意を突かれた返答だった。
だが、これは自分にとって良い事だ。あんな有り得ない程乱れた失態を何の代償もなく黙っていてくれるというのだから。
動揺しつつも、咄嗟に頭が弾き出した答えは、目の前の男の案に乗ることだった。
「そうだな。……情けないことだが、あれは酔っていた。ほとんど記憶にない」
「ええ。私も久し振りに泥酔してしまいまして……お恥ずかしながら、あまりよく覚えておらず」
引き攣りそうになる口元を苦笑に形作り、ジンがそううそぶいた言葉に、ハザマは当然のように調子を合わせる。
物分かりがよくて、助かる。……はずなのだが。
こうもあっさりと頷かれてしまうと、何か釈然としないものを感じた。その不快感はどこからくるのか、何故現実の都合とは相反しているのか、それを深く考える前に、ジンは「書類を」と一言呟いて掌を差し出していた。
その行動は、一種の防衛本能だったのかもしれない。踏み込んではいけない領域の手前で、ギリギリ踏み止まる、そんな心境。
一歩踏み出せば、そこはきっと奈落――。
「こちらは経理部からの通達で、来年の予算案です」
「有難う」
しかし実際に取った行動は、至って日常的で。
ジンは無表情のまま封筒を受け取り、目の前の男は用は終えたとばかりに背を向けた。
いつもの執拗な接触も、意味不明な質問責めも、何もない。それが本来の自分達のあるべき姿であるはずなのに、感じる違和感。
遠ざかる漆黒の背に見つめていたジンは、いつの間にか無意識に口を開いていた。
「怒っているのか? ……大尉」
どうしてそう思ったのか、分からない。根拠もなければ、思い当たる節もない。だが何故かそう思い、口に出ていた。
その言葉に、すらりと立つ痩身が扉に手を掛けて、僅かに足を止めた。
「……いいえ? どうしてそう思われてしまったのか、見当もつきません」
首を巡らせたハザマの表情は、先程から変わらない笑顔。だがそれに寒気を覚えたジンは呼吸を止めた。
……図星だ、恐らく。
何故かそう確信したジンだったが、それ以上の追求はせず、笑顔を貼り付けたままの男を見送る。
閉まる扉の虚しい反響音を聞きながら、ジンは急に痛んだ心臓に、軽く爪を立てた。










END






長い、長かった…。
悲愛の方向へ向かっている気もせんでもない。