餌付けも悪くない


仕事はとりあえず一段落。通常業務ならば、ジンもそろそろ昼食時間だろうと踏んで、ハザマは執務室へと歩いていた。
先日はジンの反応が面白くて、ついノリで取引を持ち掛けてしまったが、改めて考えるとどうとでも解釈できる便利な内容だった。これを利用しない手はない。
執務室の前に辿り着いたハザマは、鼈甲色の扉を軽快にノックして返答も待たずにノブを回した。
「キサラギ少佐~♪ お昼、ご一緒しませ――」
「ぅ、ん?」
開けた瞬間、糸のように細いハザマの眼に飛び込んできたのは、小瓶を口元に傾けるジンの姿だった。状況というか、ジンの持つ茶色の小瓶が何なのか判断がつかず、一瞬固まってしまう。
しかしハザマの登場に驚きながらも、ジンが手元にあったコップの水を口に含んで何かを飲み下す仕種を見、ハザマは直感的に何か嫌な想像が駆け巡った。
「それ、今……何を呑みました?」
「? 急に入って来て、何なんだ」
「勝手に入った非礼は詫びますから、とりあえずそれが何なのか教えてください」
開いているのか開いていないのか定かでないような眼で、ハザマが茶色の小瓶を見つめると、ジンは釣り上がり気味の眼をぱちくりと瞬く。視線の先が小瓶だと気付き、ジンがそれを軽く振った。
「サプリメントだ」
「あ、睡眠薬とか硫化水素とかじゃあないんですね」
「……そんなに貴様は、僕に死んでほしいのか」
意外にも健康的な答えが返ってきて安堵し、思わず考えたことがぽろりと口をついで出た。明らかに自殺を連想されるそれらに、ジンが鋭い眼光で睨みつけてくる。
失言だったと気付き、ハザマは両手を振って否定を示した。
「いやいや、まさか! そんなつもりじゃないんですよ。むしろ、少佐の身に何かあったら一大事だと心配したくらいです、はい」
「……ふん。期待に沿えなくて悪かったな」
「だから違うんですってば、少佐~」
眉間に皺を寄せて皮肉を言うジンに、ハザマは困ったように笑いながら近付く。どさくさに入室を果たし、デスクに手を置いて正面のジンを覗き込むように顔を傾いだ。
「私、少佐と昼食を食べに来たんですよ。そんな風に思ったりするわけないでしょう?」
「昼食?」
ここに来た理由を言うと、ジンが意外そうに片眉を上げた。真偽を問うようにこちらをしばし見つめていたが、本気だと分かったのだろう。
気まずそうに視線を逸らせた。
「悪いが……さっき済ませた」
「え? そうなんですか?」
あら、あてが外れた…と思いながらハザマは眉尻を下げて、残念そうな顔をしてみせる。それに悪いと思ったのか、ジンはこちらに視線を戻し、言い訳をするように説明を始めた。
「貴様も見てただろう。このサプリメントが昼食……」
「はい、ストップ。」
予想外の言葉に、ハザマは思わずジンの唇に人差し指を押し当てて続きを遮った。まさかとは思ったが、何を言い出すのだこの人は。
しかも何故止められたのか分からない、という顔でジンは碧眼を瞬かせている。ハザマは笑みを深め、潤いのある唇が変形するほどググッと指を押し付けた。
「それは食事とは言いませんよォー? しょーさ」
「んむッ! …って、何をするんだ貴様はッ!」
笑った顔のまま怒りのオーラを放つハザマから、ジンは椅子に座ったままのけ反るように離れる。
所属部隊は違えど、一応ジンはハザマより階級が高いのだが、今はそんなことなど知ったことではない。ハザマは溜息を吐きながら、サプリメントの入った小瓶を摘まみ上げた。
「いいですか、サプリメントというのはあくまでも栄養補助食品であって、主食ではないんです。ちゃんとした食事を摂らないと、顎や胃腸が退化して使い物にならなくなりますよ」
「う……。で、でも晩はちゃんと食べているぞ」
「朝と昼は?」
「……」
「はい、では一緒にランチ食べに行きましょうか。決定です!」
パンッと手を叩き、ハザマは強引にまとめてしまう。しかしその言及を尤もだと思ったのか、ジンはぐうの音も出ない様子。大きめの碧眼で睨み上げてくるジンに怯みもせず、ハザマはその細腕を取った。
「いい店を知ってるんです、さぁ行きましょう」
「……だからって、なんで貴様と……」
不満げに呟くジンだが、渋々と立ち上がる。手元の書類は綺麗に片付いているので、ちょうど終わったところだったのだろう。
案内しますよと、ハザマが執事の如く恭しく頭を下げると、ジンは微かに顔を赤らめながらも、居心地悪げに眉間に皺を寄せた。




かの有名なイカルガの英雄と街中を歩く、という機会はあまりないのだろうと、ハザマは改めて思う。鮮やかな青い制服のせいもあり、ジンは擦れ違う女性の視線を集めていた。構うなというオーラを醸し出した冷たい横顔だが、端正な容貌は否応なく目立つ。
周りの色目に苛立つ雰囲気はあるものの、今回はハザマの案内ということもあり、ジンは大人しく斜め後ろについて歩いている。だがこれがもし逆の立場だったなら、ジンは容赦なくハザマを置いていく早さで歩いていただろう。そんな、硬質な雰囲気が漂っている。
なかなかガードが固い…と思っていたところで、更にジンの機嫌を降下させる要因が現れた。
待て待て~い!と往来で迷惑も省みず大声で叫ぶ男が、行方を遮ったのだ。
「貴様はジン=キサラギ! ここで会ったが百年目、殿の仇とらせていただくぞーッ!」
「……?」
暑苦しく叫び散らす、妙な服装の男。見たところイカルガ内戦の生き残りといったところだろうが、生憎ジンの記憶にはないようで、足を止めさせられたジンは微かに片眉を上げただけだった。
ハザマが操っていた時に関わった人間なら記憶にあまり残っていないのも道理だが、この男は別の意味で記憶にあまり残したくない感じだ。叫ぶ度に唾が飛んでくるのは、本当に勘弁してほしい。
とりあえず、この場は立場上自分がジンの壁になるべきだと判断し、ハザマはジンを背に庇うように立った。
「あのー、すみません。どちら様でしょう?」
「拙者は愛と正義の咎追い、シシガミ=バ――!」
「やっぱ長いのでいいです。とりあえず今は、お引き取り願えますかねぇ? こんな街中で物騒じゃないですか」
「なぬッ!? 最後まで聞かぬか、貴様!」
カッコイイ決め台詞を遮られ、バングが憤慨する。誰得だよそれ、とか内心で吐き捨てながら、ハザマはあくまで街中であることを強調した。治安維持に勤める統制機構が白昼堂々武器を振り回すなど、相手が賞金首でもない限り出来る訳がないのだ。
しかし相手は常識というものがおよそ通用しない生き物のようで、背中に背負っていた太い釘を掲げて叫んできた。
「殿ォ! 今から仇を討ちますぞ! 見ていてくだされ!」
「あのーもしもし? だからここでそういうことは、止めてくださいって……」
「もういい、ハザマ大尉。僕が直接話す」
脳まで筋肉で出来ているのか、全く聞く気のない相手に呆れ果てていたところで、後ろからジンが進み出た。あくまでやんわりとこちらの腕を抑えただけのその手に、ジンが感情的でないことが如実に表れている。イカルガの生き残りに喧嘩を売られる程度では、ユキアネサの干渉は起きないようだ。
しかしだからといって機嫌がいいわけもなく、ジンはバングを正面に捉えると、無表情のままひらりと両手を広げてみせた。
「見た通り、今の僕は武器を持っていない」
「なぬッ!?」
「丸腰相手に斬り掛かるのが貴様の正義なら、好きにすればいい」
「ぬ…ぬぅぅ~ッッ!!」
ジンの至極冷静な反撃に、バングは口元をわななかせる。さもありなん、自分の掲げる正義を逆手に取られては何も言えまい。
思わず胸中でお見事と称賛し、ハザマはジンの手を取った。
「では行きましょうか、少佐。私、勤務時間外に働くのは嫌なんです」
「それは僕も同じだ」
緩く手を引くと、意外にも同意の言葉を口にし、ジンは手を振り払わない。
文句を言われないのをいいことに、ひんやりとしたその白い手を包み込むように握り、ハザマは怒りをあらわにするバングに軽く会釈した。
「用事があるので、失礼しま~す」
「待て貴様ッ」
「分かっているとは思いますが、咎追いは統制機構と協力関係にあるはず。あんまり騒ぐと、要注意人物として各支部に通達しますよ?」
「うぐッ……!?」
賞金首捕まえても、賞金出ませんよォ?と笑いながら言ってやると、バングは悔しそうに歯ぎしりする。
開き直って斬りかかられないうちに面倒事とはおさらばだと、ハザマはジンの手を取って早々に退散した。











ジンはどちらかというと、諜報部のハザマという男は苦手だった。しかし具体的にどこが、とは挙げ難い。何故なら、殆ど彼に関して知らなかったからだ。
だがそれでも感じる、何かしこりのような違和感に、ジンはハザマと距離を取ろうとした。だというのに、こんな有様だ。
半ば諦めの境地で、ジンは目の前のレストランを見つめていた。ハザマに連れられて辿り着いたのは、意外にも隠れ家的なこじんまりとした店だった。
店は悪くない。しかし何故この男と昼食なんだ?
疑問は喉まで出かかっているが、声にまではならなかった。ここまできて拒む特別な理由もないし、何よりハザマの慇懃な態度を冷たくあしらえるほど鬼でもない。
そうだ、そもそもハザマの態度が丁寧且つ親身なのがいけない。悪く言えば飄々として捕え所がないのだろうが、表面上は紳士的な態度を取っているので、ジンとしては非常に拒みにくい相手だった。同じ十二宗家の出であるツバキ=ヤヨイという幼馴染みがいるのだが、彼女も非常に礼儀正しく、ジンが絶対に冷たく接することが出来ない人間の一人だった。
敵意を向けられれば、敵意で返すのが自分の流儀だ。それが逆の感情であっても同じこと。
流石に握られた手は振りほどかせてもらったが、ジンはハザマに誘われるまま店の中へと入っていった。
「いらっしゃいませ」
カランカランと鳴り響くベルと共に、ウエイターの穏やかな出迎えを受ける。店内も綺麗な欧風民家といった内装で、落ち着いたものだった。
ランチタイムということもあり席の半分以上は既に埋まっていたが、比較的上流階級の客が多いようで、煩くしゃべる者は殆どいない。皆、純粋に食事を楽しみに来ているようだった。
無駄に豪華過ぎもしない、だが安っぽくもない、まさに品が良いという言葉が当て嵌まるレストランにジンが驚き、思わずハザマを見ると微笑を返された。
「どうですか、いい感じでしょう?」
「……ああ、そうだな」
ニコニコと笑うハザマの言葉をそのまま肯定するのがなんだか癪で、ジンは少し目を逸らせて頷く。そんな素直でない態度を気にすることなく、ハザマはウエイターと短く言葉を交わすと、案内で奥の席へと進んだ。
「ここはサラダバーがあるんです。ドレッシングも豊富ですから、少食な少佐でも食べやすいと思いますよ」
「サラダバーか、それは有り難いな」
席に着いて帽子を外したハザマが、厨房前のカウンターを指して説明する。見れば、確かに色鮮やかな野菜がサラダボールに入れられて並んでいた。遠目から見ても、珍しい色の玉葱やパプリカ、ハーブなどが盛られており、安い食堂に有りがちなサラダとは明らかに違う。
「少佐は、メインが魚料理のランチセットでいいですよね」
「ん? ああ……」
ランチ用に置かれたメニューを手に取り、ハザマがごく当然のようにそう聞いた。思わず生返事を返してから、ジンは少し首を傾げる。
「なんで今、魚にした?」
「え? だって少佐、肉が食べれないでしょう」
「……何故、知ってる!?」
さらりと答えたハザマに、ジンは驚愕した。普段からあまり人と関わらない為に、ジンが偏食気味であることを知る者は皆無に等しい。にも関わらず断定したハザマに、薄気味悪さすら感じてジンは口元を引き攣らせた。
その反応に、むしろ得意げにハザマは人差し指を立ててみせる。
「私、これでも諜報部ですから。少佐のことなら、身長体重はもちろん3サイズから下着の色まで把握してますよ♪」
「気持ち悪い嘘を平然とつくな! …というか職権乱用だ、それはっ」
どこまで本気だか分からないハザマの言葉に、思わず喰ってかかる。いくらなんでも、自分でさえ測ったことのない3サイズや下着まで分かるわけがない。……はずだ。
とはいえ肉類が食べられないのは事実で、ジンはなんとも気持ち悪い心地に顔を歪める。しかしそんなことなどお構いなしに、ハザマはウエイターを呼んでテキパキと注文を済ませていた。
「では、メインが来る前にサラダを取りに行きましょうか」
「大尉……」
この男、どこまでもマイペースだ。
もはや色々ツッコむのも面倒になり、悠々と席を立つハザマに合わせてジンも腰を上げた。





やわらかい春キャベツに、レッドオニオンと完熟トマトをスライス、新鮮なオリーブを散りばめてサーモンマリネを混ぜ合わせれば、舌も喜ぶサラダの出来上がり。
前菜代わりに出た、こして煮詰めたカボチャスープも、甘くて口当たりがいい。色鮮やかな茹で野菜を添えた白身のソテーも、バジルソースがきいていてあっさりと喉を通る。
どうしよう。予想以上に美味しい。
思わず無言で食べながら、ジンは素材の味が活きた料理に舌鼓を打っていた。
特別変わった料理ではないが、野菜の切り方や面取りが丁寧で、非常に舌触りがいい為、あまり食べ物を受け付けない体でも簡単に喉を通る。野菜の味を引き立てるように旨味を閉じ込めたソースも、手間隙がかけられているのが分かる。決して高級な食材を使っているわけではないのに、調理の仕方でここまで差が出るのかと思わされる料理だった。
「しょーさ」
「……ん?」
不意に猫撫で声でハザマに呼ばれ、ジンは手元を止めて顔を上げる。すると、映える緑の髪を揺らしてにっこりと笑うハザマと目が合った。
「笑うと可愛いですね~、キサラギ少佐」
「……!? …ッぅ、けほ!」
いきなりな言葉に、ジンは思わず噎せる。飲み込もうとしていた白身が気管に入りかけた。
何がどうしてそんな台詞が飛び出て来るのか、皆目検討がつかないが、とりあえず目の前の男の頭がどこか可笑しいことは再認識した。一体なんのつもりだ。
「意味が、分からない……!」
水を流し込み、ジンはなんとか呼吸を整えて掠れ声で叫んだが、ハザマは何が楽しいのか相変わらず細い眼を三日月にして笑っていた。
「料理、お気に召して頂けたようで良かったです。少佐が嬉しそうに食べてるのを見てると、和みますね~」
「なご……!?」
思いがけない言葉に、顔が引き攣る。どうやら知らぬ間に顔を綻ばせながら料理を食べていたらしい。
美味しいのだから仕方ないとはいえ、非常に恥ずかしかった。無意識だったということが、余計に。
じわじわと頬に熱が上っていくのを感じて、ジンは視線を茹で野菜に落とし、フォークでつついた。
「……う、煩いな。僕の顔なんか見るな」
「えー、嫌ですよ。少佐の顔、好きなんですから」
「! だから、そういうことを平気で言うなっ」
ふざけた冗談に、キッと睨みつけるが、ハザマはにこにこ笑っているだけで堪えた様子は全くない。どうしてこの男は、こんなに厚顔無恥なんだ。
いや、こんな奴など相手にしなければいいんだ。過剰反応するから面白がられるんだろう。
無視だ、無視。そう念仏のように唱えながらジンが料理を口に運んでいると、既に食べ終わったらしいハザマが、メニューを開いて見ていた。
追加で何か頼むのだろうかと思っていた矢先、ハザマがいいものを発見したとばかりにメニューを指差した。
「デザートに、スペシャルイチゴパフェがありますよ。頼みます?」
「……は? 何を言ってる」
「だって少佐、この前喫茶店で大きなパフェをひとりで食べてたじゃないですか」
「!! だからなんで知ってるんだ貴様はッ」
またもや平然と個人情報を口にしたハザマを怒鳴り付けて、ジンはメニューを取り上げた。
何なんだコイツは。何故、休日の僕の行動まで知ってる!?
すべて筒抜けになっている不気味さに、ジンは思わずこれから先のことが思いやられる気分だった。
やはりこの男と食事に来たのは、間違いだったかもしれない。――既に、遅かったが。




後日、きっちり変装していたにも関わらず、喫茶店に入ろうとしたところでハザマに声をかけられたジンが目撃されたとか、されなかったとか。




END




ハザマは何でも知っている。