ライアー




……そろそろ、あの時期が巡って来る。
いつもは今か今かと待っていた。我慢するのは性分に合わない、焦らされるのも嫌いだ。
早く時が満ちれば……。そう、いつもは思っていた。
――だが、今回は何故かその時期を失念していた。
もうすぐだと頭の隅で認識しながら、具体的な数字を思い出すことがなかった。それを不審に思うことさえ、忘れ去っていた。
そして、こんな不意打ちに遭うのだから世話はない。ハザマは自分自身の有り得ない失態に、内心舌打ちしたい気分だった。その苛立ちすら、把握していなかった自分に対してなのか、目の前の事態に一瞬でも動揺してしまったことなのか、分からない。
とにかく、デスクで項垂れるようにペンを握ったまま止まるジンを見て、『あれ』と会ったのだと理解した。煌めく金髪は陽に映えて変わらず美しいというのに、その端正な顔は反比例するように青白く強張っている。まさに心ここに在らず、といった無表情。しかし一点を見つめて揺れ動く翡翠の瞳は、何かを必死で考えているようだった。
そうさせた原因を、ハザマは知っている。今まで何度も繰り返してきたことだ。だが、それがジンに与えた衝撃がどれ程のものであったかを、今初めて目の当たりにした。
今までは必要以上にジンへ接触することがなかったのだから、知る由もなかった。あの冷徹なジン=キサラギが、茫然自失となる姿など。
ノックも呼び掛けも無視され、仕方なく開いたドアの先にいたジンに、ハザマは少し強めの口調で呼び掛けた。
「キサラギ少佐」
「……」
しかし気付いた様子もなく、ジンは書類に視線を落としたまま微動だにしない。ペン先がサインの欄の上で止まっているジンに、ハザマは肩で息をして、ひらりと手を差し出した。
書類に向ける視線を遮るように出したハザマの手に、金髪の頭が微かに揺らぐ。
「……、なんだ」
やっとハザマの存在に気付いたジンが、緩慢に顔を上げた。元々快活な方ではないが、その端正な顔には覇気が感じられない。曇った翡翠の瞳は、目の前に立つハザマを捉えていないように焦点が定まっていなかった。
そんな挙動不審なジンに気付いていながら、ハザマはいつも通りの言葉を掛けた。
「お昼、食べに行きませんか?」
少し首を傾げ、ハザマがにこりと笑って問うと、ジンは「……ああ」と半ば上の空で返事をする。だが、一拍置いて首を振った。
「すまない……今日は忙しいんだ。また今度にしてくれ」
何かに気付いたように視線を落とし、ジンが返事を翻す。長い前髪が僅かに流れ落ち、切れ長の眼に陰が差した。
その態度にハザマは表情を崩さぬまま、逸らされた翡翠の瞳を覗き込むようにしゃがみ込む。デスクの端に組んだ両手を置き、俯くジンを下から見上げた。
「とても忙しそうには見えませんけどね~? 手が疎かになってますよぉ、しょーさ」
「……! 少し、ぼうっとしてただけだ。ちゃんとやる」
かちりと視線が合うと、ジンは焦点が定まったように瞬きし、そんな言い訳をする。僅かに動揺しながら平静を繕うジンに、ハザマは腹から競り上がる不快感で口角を上げた。
「嘘はいけませんよォ~?」
「……!」
するりと長い指を白い頬に這わせると、ジンは微かに眼を瞠る。しかしいつものような罵声も、拒絶も、羞恥もなく。過剰なスキンシップに見えない毛を逆立てる様は、実はハザマの存在をきちんと認識していたからこその態度だったのだと、今更ながらに気付いた。
今のジンは、こちらの姿が見えていても、意識していない。ただの部下、同じ職場の人間、そういう扱いに成り下がったのだ。
戸惑っているらしいジンの心情は把握しているつもりだが、それ以上にハザマの胸中にはどす黒い靄が広がった。不愉快だ、折角懐きかけたペットがどこかへふらりと消えたような、不愉快さだ。
それを隠すように笑顔を張り付け、ハザマはジンの頬を優しく撫でた。
「顔色が悪いですよ、どうされました?」
あくまで親切に、心配しているのだと表情に出して呼び掛ける。その声音につられて、ジンはこちらに視線を留めて口を開きかけたが、すぐに唇を閉じた。忌むべきものを恐れるように、その表情は固い。
誰にも言っていない過去。醜い嫉妬が招いた惨劇。それらを言える程に、ジンはまだ心を許していないのだろう。
だが、もしそれらを彼の口から引き出せれば? 見せてくれたその傷口を甘い言葉で埋めて癒してやれば、きっと彼は離れられなくなる。優しさに飢えた彼の心を縛り付けて、自分無しではいられない体にしてしまえる。
それはなんて愉快なんだろう。支配欲を擽られるその計画に、ハザマの背筋は震えた。
「私で良ければ、聞いて差し上げますよ」
唯一の味方だとばかりに、甘い囁きを吹き込む。ハザマの穏やかな呼び掛けに、ジンの瞳が揺らいだ。
「ハザマ大尉……あの、聞き流してくれても構わないんだが……その」
「ええ、ゆっくりでいいですよ。聞かせてください」
言い淀みながらも何かを言い出そうとするジンに、ハザマは笑顔を向けて先を促した。罠を張って待ち構えるような心地で、滑らかな肌を柔らかく撫でる。
さァ、堕ちてきなさい。可愛く愚かな子供。
ペンを握り締め、ジンは青白い顔でこちらを縋るように見た。
「……僕は、昔――」
「資料、取ってきました! キサラギ先ぱ……ぇえっと、少佐」
ノックもなしに開かれた扉と、場違いなやや甲高い声。
突然割って入ったそれに、ハザマは思い切り舌打ちしたい気分だった。なんで、いいところで現れるのだ、この女は。
見上げた先のジンは響いたその声に顔を強張らせ、ハザマから視線を外した。叩き落とされることはなかったが、さりげなくハザマの手を外して、冷めたポーカーフェイスを張り付ける。
入室してきた少女へと、ジンは硬い表情を向けて労いの言葉を口にした。
「有難う、御苦労だった。ヴァーミリオン少尉」
いつも以上に冷たい響きで発せられた言葉を、少女もまた少し緊張した面持ちで受ける。何とも表現し難い、居心地の悪い空気が漂っていた。
新しくジンの秘書官に任命されたのは、ノエル=ヴァーミリオンというこの少女だった。実はイカルガ内戦の折に破壊され、死ぬはずだった第十二素体だ。何度も時空がループしているうちに、ノエルが奇跡に助かるというパターンが生じ始めた。元々イレギュラーに人格を持ち合わせているだけに、観察の余地ありと見た上層部がここへ配属したのだ。
ジン=キサラギの監視も兼ねて。
特異な者同士に密約を与え、互いに監視させる。そうすることで強い力を抑制しようと考えたのだろう。しかしそれは、どちらもそれなりに利用価値があるハザマにとって、好都合な状況だった。
手の届く範囲に、欲しいものがある。何時でもその首を抑えることが出来る。我ながら、完璧な根回しだ。
しかしその優越感に浸る間もなく、ジンは席を立ってノエルに近付いて行った。
「少尉、もう昼食の時間だ。どこかへ食べに行かないか」
「……え?」
硬い表情であるにも関わらず、ジンからの誘いの言葉にノエルが驚いたように声も漏らす。同じく、ハザマも驚いた。まさか明らかに苦手意識を持った相手を、あのジンが誘うなどとは思わなかったからだ。
二人から怪訝な眼差しを向けられるも、ジンは敢えて無視しているようで、有無を言わさずノエルの手から資料を取り上げて近くの棚に置いた。
「……ここは仕事柄、歓迎会などは殆ど開かれない。代わりと言ってはなんだが、昼くらいは奢ろう」
視線も合わせぬまま、ジンはそう言って扉を開く。彼の性格上、照れ隠しとも取れるが、どちらかというと断ることを許さない威圧感に近いものが背中から漂っていた。
素直に喜ぶべきか否か迷っている様子のノエルの後を押すように、ハザマは何食わぬ顔で立ち上がる。
「少佐が奢ってくれるなんて、そうそうないですよね~? 私も是非ご一緒させてくださいよォ」
冗談混じりの口調でそう言って近付いたのだが、肩越しに振り返ったジンが鋭い眼差しを向けてきた。
「大尉は持ち場へ帰れ」
「……あれ? 酷いなぁ、私だけ仲間外れですかァ?」
拒絶するように細められた眼に、ハザマは苦笑いを張り付ける。冷ややかな翡翠の眼差しに胸を燻る不愉快さが増したような気がして、余計にハザマはおどけた態度を取った。
「おやおや、ヴァーミリオン少尉があんまり可愛いからって、公私混同しちゃダメですよぉ~? しょーさ」
「え、…可愛…ッ!?」
ハザマのからかいに、ノエルが驚いて顔を赤くする。お世辞に決まってんだろと内心吐き捨てつつジンの表情を窺うと、意外にもその一言がかなり機嫌を損ねたらしく、鋭い双眸が剣呑な光を放っていた。
まるで、恋敵を見るようにハザマを貫く。
(……いや、そんな筈はない)
射るような視線を受けながら、ハザマは胸中でその可能性を否定した。
だって、有り得ない。ノエルの顔は、あれだけ慕っていた兄を取った妹と瓜二つなのだから。
だからこそ、先程までジンは蒼白だった。自分の過ちに苛まれ、もしや生き別れの妹が責めに来たのではとではないかと、怯えていたのだ。
――それが何故、今は守るように傍らにいる?
珍しくジンの意図が読めず、ハザマは端正な顔を見遣るが、相手の方は不機嫌そうに顔を逸らせた。
「一応、第四師団の親睦会だ。悪いが大尉は別の者と食事に行ってくれ」
それだけ言うと、ジンは早足で扉の向こうへと消えていってしまう。置いて行かれたノエルもまた慌てて頭を下げ、ジンの後について退出していった。
「……」
一人、執務室に残されたハザマは笑顔に不愉快をべったり張り付け、閉まる扉を見つめていた。









積み上がった書類をファイルに整理しながら、小さなことでも見落とすまいとジンは目を眇めていた。既に日は落ち、術式で淡く発光するランプのみが手元を照らす。
膨大な資料に囲まれながらも、ジンのページを繰るスピードは衰えなかった。今調べなければ恐らく後悔することになると、見えない強迫観念に追われる。
それは、全く根拠のないことではなかった。ノエルのあの顔、あの声、とても偶然とは思えない。そして最近、やたらと精神に干渉してくるアークエネミー・ユキアネサ。
何か……見えない何かが、確実に進行している。だが、糸口さえ見えない状況下が更に自身を焦らせた。
本当のところを言えば、すべて投げ出して逃げたい。何も知らない、分からないと喚いてここから消え去りたい。そんな風に思う反面、身に降り掛かろうとしている正体を知りたい気持ちも強かった。
ただ利用されて、惨めな思いをするのはもう沢山だ。せめて一矢報いるくらいはしたい。
統制機構がただの自衛組織でないことくらい、ジンも十分に理解している。だからこそ内部に入り込んで、今まで堪えてきたのだ。幼少の頃の出来事も、今となっては作為があったのではと思う。
まだ今のジンには、見えていないものが多すぎる。何か調べれば分かるかもしれないと、縋るような思いで過去の記録を漁っていた。
その中でも特に確認しなければならないのは、ノエル=ヴァーミリオンの経歴だ。あの、妹サヤと瓜二つの顔は他人の空似で済まされることなのか……?
名簿や履歴を漁ったが、彼女の過去はヴァーミリオン家に養女へ入ったところから始まっている。――まるで自分と同じように。
「……くそっ」
苛々と掛けていた眼鏡を外し、ジンは悪態をついた。
昼間、ノエルを秘書官として紹介された時は衝撃を受けたが、彼女の方は仕官学校から知り合いということもあり、多少緊張していたくらいだった。いつまでも不自然な態度は返って警戒されると思い、ジンは積極的にノエルに構うようにしてみたのだが、元々あまり人を楽しませるのは得意ではない。纏わり付くハザマを振り切って昼を誘ったというのに、会話は弾まなかった。
出来れば、ノエル自身の口から過去を聞き出したい。今までの様子から、サヤ本人ではないだろうとは思うのだが、記憶を操作されているということも有り得る。何か不自然な点があれば、ヒントくらいにはなるかもしれない。
自身の記憶が既にあやふやになっていることを、ジンは自覚していた。自分の記憶は当てにならない。肝心なところが抜け落ちているのは、何か弄られたのだろうと推測している。
何か、……何か情報が欲しい。気休め程度でいい、この押し潰されそうな不安を拭いたい。
ジンは顔を強張らせながら、当ての外れた書類を横に投げるように積んだ。
「……乱暴に扱われるのは、困るんですよねェ。埃被ってますけど、一応機密文書なんで」
「!」
静まり返った書庫に、突然声が響いた。気配も予兆もなかったそれは、まるで世間話をするように自然に発せられ、ジンは驚きに肩を跳ね上げる。
慌てて振り向いた先には、暗闇に溶け込む黒い影。露出した僅かな肌色と常盤緑の髪だけが闇から浮き立ち、際立って目を惹いた。下手をすれば生首が浮いているようにさえ見えるその漆黒の服装で、男はゆらりと近付いてくる。
「ハザマ大尉……」
見えない何かに心臓を掴まれたような、一瞬の恐怖が背筋を這った。
思わず相手の挙動を見守るように息を詰めたジンだったが、ハザマはその緊張に気付いた様子もなく、いつもと同じ飄々とした足取りで横へ立った。
「こんな夜遅くまで残っているなんて、随分熱心ですねぇ~。何を調べてらっしゃるんです?」
相変わらずの糸目でニコニコ笑いながら、ハザマがジンの手元を覗き込む。その所作はいつも通りの筈なのだが、視界をべっこう色に染める淡いランプのせいだろうか、何故かハザマの笑顔が薄ら寒く感じた。
「……別に。貴様には関係ない」
自然と早鐘を打ち始めた心臓を抑えるように、ジンは平淡な声を搾り出してで突き放す。なんだろうか、この感覚は……? 総毛立つような気味悪さが首筋を舐めていく。
平静を装いながらジンが見上げた先で、ハザマが少し首を傾げた。まるでカラクリ人形のような、芝居じみた怪訝な表情。
「おや、誤魔化さなくてもいいですよ~? 妹さんのこと、調べてらっしゃるんでしょう?」
「――ッ!?」
当たり前のように発せられたその言葉に、ジンは目を剥いた。
何故、どうして、コイツが知っている……!?
一瞬パニックに陥りかけたが、叫びかけた悲鳴をなんとか喉奥で押し留めるに成功した。無理矢理普段の表情を張り付け、ジンはハザマを睨みつける。
心臓が不自然な音を奏でた。
「……何の話だ? 言ってる意味が分からん」
「はは…、ホント素直じゃないですねぇ~」
シラを切るジンを見て、ハザマがいびつな笑みを浮かべる。怒りを押さえ込んで笑うような、そんな不自然な笑みにジンの背筋が震えた。
その瞬間、無意識に体が強張っていたのだろう。こちらへ手を伸ばしてきたハザマに、咄嗟に反応出来なかった。
「ッぐ……!?」
気が付けば、節張った長い指に首を締め上げられていた。絡み付くそれは爪を食い込ませて、気管を圧迫してくる。貧弱に見えがちな痩身を裏切る握力に、驚きと畏れを抱いた。
瞠目して間近に迫ったハザマを見遣ると、帽子の陰影に隠れた細い眼と視線が絡み合う。僅かに覗いた、金色の瞳に釘付けになった。
どこかで、見た……この眼……。
足元から氷漬けにされたような、じわじわと侵食する恐怖に苛まれながら、ジンはその金色に光る瞳に既視感を覚えて眉をひそめた。何処で見たのだろう、思い出せない。
息が苦しいのは確かなのだが、それ以上に間近で見たハザマの眼に意識が呑まれ、ジンはろくな抵抗も出来ないまま呆然と男を見上げていた。
「あー…、イライラする」
舌打ちしながら、今まで聞いたことのないような乱暴な口調で、ハザマが唐突にそう呟いた。その顔は普段の温厚さを完全に消し去り、凶悪なまでに歪んでいて、ジンは思わず息を呑む。
「ハ、ザマ…大尉…?」
「ねぇ、少佐。なんでそんな見え見えの嘘つくんです? 私、そういう嘘は大ッ嫌いなんですよねェー…」
確かめるように名を呼ぶと、ハザマが取り繕うように薄笑いを張り付けてそう言った。いつもの笑みを浮かべているつもりなのだろうが、殺気紛いの強烈な負の感情を向けられているのが分かる。
食い込む指を剥がそうと、ジンは遅ればせながらハザマの手を掴んだ。手放した書類がバサバサと音を立てて滑り落ちていく。
しかし両手で引き剥がそうと力を込めてもハザマの手はびくともせず、にこにこと薄ら寒い笑みを浮かべたハザマが顔を近付けてきた。
「妹さん、行方不明なんでしょう?」
「! なんで…っ、知って……!」
「そりゃあ、諜報部ですから。特に少佐は術式適性が高いですからねェ、血縁関係ももしや…ってことで、上が注目してるんですよ」
すらすらと男の口から出た言葉に、ジンは愕然となる。
それが真実かどうか確かめる術がないが、完全なデタラメではないだろうと思った。仕官学校へ入った時、ジンが優秀だと持てはやされたのは術式適性の高さが一つの要因だったのだ。
必ずしも適性が遺伝子によって受け継がれるとは限らないが確率は高く、宗家が権力を持つのはそのせいだった。より良い遺伝子を持つ者を内部に取り入れ、優秀な人材を生み出す。そうして繁栄してきたのがキサラギ家やヤヨイ家のような宗家と呼ばれる一族だった。
養子という立場でありながら、次期当主と噂される理由はこれかと、ジンは改めて理解した。そして、ハザマが部署の違う自分などに構う理由もこれだったのだ。
宗家か統制機構からの監視。もしくは第三者からの偵察。
ジン本人というよりは、恐らく術式適性が高かった妹のサヤが目的だろう。
「…ククッ…、ハハハ……!」
ジンは込み上げる衝動が抑え切れず、笑い声を上げた。これは笑わずにいられない、傑作すぎる。
首を絞めていた手を緩め、ハザマが僅かに怪訝な表情を見せたが、もはやどうでも良かった。
結局、また利用されるだけの存在か。潜り込んだつもりが、釣り餌にされているなど滑稽の極みだ。
誰も彼もが、サヤサヤサヤ――!
分かっていたことだが、自分の存在意義など無に等しい。
「……くだらんなッ!」
ジンはそう吐き捨ててハザマを睨み付けると、首に掛かっていた手を叩き落とした。同時に後ろへと飛び退き、ユキアネサを召喚する。
冷気と共に手の中へ収まった刀を握り締め、近付こうとしたハザマに切っ先を向けた。刀から流れ込む昂揚に、ジンは薄く笑った。
「……で? 結局、貴様は何がしたいんだ?」
散らばった書類を踏み付け、高圧的に言い放つ。刃の前で止まったハザマは、笑顔を張り付けたままこちらを黙って見ていた。
ああ、馬鹿馬鹿しい。こんな胡散臭い男など、さっさと切り捨てれば良かった。周囲は敵しかいないというのに、何を躊躇っていたのだろう。
自分の身は、自分でしか守れない。
「生憎だが、僕はサヤを……妹を見つけた時は、斬るかもしれないぞ。いや……斬らなければならない。それが約束だ」
ユキアネサを突き付けたまま、ジンはハザマを睨み据えた。妹が目的だというが、ジン自身も妹を見つけ出さなければならない使命を負っている。
そして、その命を刈り取る罪も、また。
ジンの宣言にハザマは少し首を傾げながら、突き付けた刀の先に触れた。何人もの生き血を吸った白刃に畏れもなく、紙を摘むように切っ先を指で挟む。
「約束……この、アークエネミーとですか?」
事象兵器と約束など、普通は思い付かないだろうに、ハザマは事もなげに言い当てた。しかしジンは肯定も否定もせず、無言のまま掴まれていた切っ先を振り払う。危ないじゃないですかと言いながら、ハザマは当然のようにそれを避けた。
動いた帽子の位置を直してから、ハザマは軽く肩を竦める。上げた顔には、苦笑が張り付いていた。
「んー…まあ、別にいいんじゃないですかねェ? 貴方が妹さんを殺そうが何をしようが、私には興味ありませんし」
「……なに?」
意外な言葉に、ジンは切っ先を揺らめかせた。興味がない? サヤが必要だからジンの監視をしているのではないのか。
怪訝な表情を向けたジンに、ハザマはニコリと笑いかけて近付いて来た。一体どういう意味なのかが気になり、堂々と間合いに踏み込んでくるハザマを斬り払えない。
思わず躊躇っていると、ハザマは刀の脇を通り、ジンの目の前まで来ていた。刀を構え直そうとしたところで、伸びてきた手にやんわり抑えられる。
吐息を感じるほどの距離に、ハザマの顔が近付いた。
「勘違いされてるようですが、私の目的は妹さんじゃないですよ?」
秘め事を囁くように、色気のある低い声が薄い唇から紡がれる。鼓膜を震わすそれに、ジンの体は見えない鎖に縛られたように硬直してしまった。
弧を描く金色の眼に、自然と視線が吸い寄せられる。
「私が欲しいのは、貴方です。キサラギ少佐」
「――!?」
冗談でもなく、それを聞いた瞬間息が止まった。
眼を剥いて間近にあるハザマの顔を見返すと、やわらかく微笑まれる。余計に混乱した。
……欲しい? 僕が?
一体どういう意味だと、ジンは口を開きかけるが、その隙を突くようにハザマが更に顔を近付けてきたので驚いた。
ただでさえ、有り得ない程の至近距離。これ以上近付けば顔が触れ合うのは必至だ。
思わずジンは反射的に後ろへ退いて避けようとしたのだが、右足が書類を踏んでいた。
「ぅあ……ッ!?」
重心を掛けた瞬間に足元が滑り、肝が冷える。崩れたバランスをどうにかしようにも余裕がなく、ジンは後ろへひっくり返りかけた。
だがそれを見越したように、ハザマが手を伸ばす。片腕で掬うように背中を支えられたのだが、ハザマもジンも体格はほぼ同じだ。体重が支えきれず、縺れるようにして床へ倒れ込んだ。
周囲に積んでいた書類の束やファイルも巻き込み、派手な雪崩が起こる。
「あららっ…と。大丈夫ですか?」
衝撃で舞い上がった書類が降ってくる中、どこか楽しそうなハザマの声が聞こえた。
背を支えられていたことで床への衝突は免れたが、目を開けると驚くほど間近にハザマの顔が迫っていた。抱えたまま覆いかぶさるように密着する体に、ジンは動揺を隠せない。
さながら押し倒されたような体勢が居たたまれず、ジンはハザマを押し退けて逃れようとしたのだが、抱えられていた背を床に押し付けられた。
「ん……ッ!」
そして、噛み付くように唇を奪われる。押しやろうとした腕も抑えられてしまい、抗議の為に開けた口は災いしてより深い浸入を許してしまった。
滑り込んできた長い舌は、驚くほど器用にジンの舌を搦め捕る。吸い付くように食まれ、思わず震えが走った。
「…ぁ…ッ!」
怯んだ隙にユキアネサを奪い取られ、遠くへ放り投げられる。ガランと硬質な音が、資料室に響いた。
武器を取り上げられたジンは怒りの眼差しを向けるが、ハザマは堪えた様子もなく、捕まえた獲物を離すまいと床に縫い付ける。ジンの背に挟まれ、書類が耳障りな音を立てた。
「大、尉……! 書類が、ぐちゃぐちゃに…ッ」
「いいですよ、そんなの。あと、あと」
つい先程はジンの乱暴な扱いを窘めていたくせに、今度はどうでも良さそうに言う。そして当たり前のように、ジンの服を剥ぎ取り始めたので驚いた。
「何を…ッ!? このっ、ふざけるな貴様……!」
「ふざけてませんよォ? 少佐が欲しいって言ったじゃないですかァ」
とても本気とは思えない口調でそう言うハザマに、腰帯をあっさり抜き取られてしまう。襦袢まで開かれ、タイツだけになった腰骨を撫でられたジンはびくりと体を跳ねさせた。
あまりの早業に唖然としていたのだが、ハザマが懐からバタフライナイフを取り出したのを見て、慌てて腕を突っ張った。
「貴、様…やはり……!」
「ああ、違いますよ。タイツが邪魔だなーって思っただけですから」
こちらの手をかわして、ハザマがしれっと黒タイツを引っ張り、ナイフで引き裂き始める。刺されるのかと身構えたジンはそれに一瞬拍子抜けしたのだが、いや駄目だろう!と安心しかけた自分に胸中で叱咤した。
――というか、なんでこんなことになってる!?
訳が分からないまま、あっという間に殆ど前をはだけられてしまったことに、ジンは蒼白になった。
「ぼ…僕は、男だぞッ!? こんな…っ…、何が楽しいんだ貴様!」
「私は十分楽しいですよォ? 女性ではないですが、少佐はお美しいので特に問題ありません」
頭がおかしいんじゃないかと怒りをぶつけるジンに、ハザマは楽しそうに笑って流すだけ。それどころか、あらわになった胸の突起を徐に摘んできたので、ジンは悲鳴をあげそうになった。
「……っな、何してるんだっ」
「え? 少佐の乳首、触ってます。ピンク色で可愛らしいですね」
自由すぎるハザマの行動に、ジンは絶句する。前々から冗談にしては度が過ぎたセクハラが多いとは思っていたが、楽しんでいるのは本当らしく、機嫌が良さそうに口元が孤を描いている。
殴りつけようと振り上げた手もあっさり取られ、覆いかぶさってきたハザマに、摘まれていたところを思い切り吸われた。
「――ッひ…!」
普段の生活ではまず有り得ない、奇妙な感覚が全身を襲う。こそばゆいような痺れるような表現し難いそれに、ジンは息を呑んだ。女でもないのに、敏感な箇所を歯で挟まれてチロチロと舐められると、恥ずかしさも合間って頬に熱が上る。
「やめ、ろ…っ! 気持ち悪い!」
「えー? 顔、真っ赤にして言うセリフじゃありませんよ?」
胸元に舌を伸ばしながら、ハザマはジンの叫びを嘲笑った。僅かに感じた感覚を見抜くようなその言動に唇を噛むが、また湿った音を立てて吸い付かれ、悲鳴に口元が解ける。
捏ねくり回すように湿った舌が這い回る感触に歯噛みしながら、伏せる緑の頭を睨みつけると、視線に気付いたようにハザマが顔を上げた。
流れる長めの前髪の合間から、開いた細い両眼が琥珀色に輝いてこちらを射抜く。その両目に見つめられると、心臓を鷲掴まれたような震えが走った。
その、内部に直接手を入れられたような侵食感に反発するように、ジンが生理的に潤みかけた碧眼で睨み返すと、ハザマが嗤いながら顔を近付けてきた。
「少佐……好きですよ。貴方を、私にください」
「――っ」
その愛おしそうに囁かれた言葉は、傷口から染み渡るように、甘かった。
長い間、忘れてさえいた古傷を癒すような、そんな甘ったるさと快感が体を満たしていく。同じような言葉を過去に何人かに向けられたことはあったはずだが、まるで違う印象を与えた。
だが、得体の知れない満足感と共に思考を支配したのは、状況を冷静に分析する理性だった。
――この男、嘘をついている。
高ぶる体と、冷えていく頭。ジンはハザマの言葉が本気でないことを、この瞬間見抜いた。
愛を囁くには、温度のない琥珀の瞳。欲望に輝く様は、まるで獲物を狩る猛獣さながら。
これは愛ではない、好意でもない。ただの、狩り、だ。
堕ちてくる獲物を丸呑みしようと、待ち構えているのが分かる。食欲を満たすだけの行為を、嗜虐心もついでに満たして愉しもうとする毒蛇の顔。
この、ウソツキめ。
どこまでも食えない男に内心嘲笑を送りながら、ジンはハザマの深い口付けを享受した。もはや、拒むのも面倒臭い。体も煽られて、収まりがつかなかった。
今は、コイツの好きなようにさせてやろう。ただし、そう簡単に腹に収まる相手ではないということくらいは、思い知らせてやる。
偽りの愛を囁くハザマのスーツに爪を立てながら、ジンは熱い息を吐き出した。









押しやろうとした腕を絡め取られ、文句を言おうとした唇もやんわり塞がれる。
閉じようとした足は宥めるように撫でられて、開くように誘導された。
体を支配する熱に感覚が麻痺しかけていると、ジンは頭の端で認識していながら、どうしようもなくなってきている自分の状態を自覚する。
あー…くそ。コイツ、上手い。
強引な始まり方だったにも関わらず、ハザマの愛撫は進め方が実に巧みだった。
無理矢理体を割り開くのではなく、心地好い快感だけを与えてくる。そして抵抗が緩んだ瞬間に、さりげなく踏み込んでくるのだ。拒絶の手を捩じ伏せずに、受け流す。そんな的確な緩急の付け方は、嫌悪感を悉く取り払っていく。
どうでもいい相手でも、ここまで丁寧なセックスが出来るとは、本当に妙なところで器用な男だとジンは思った。正直、感心している場合ではないが……。
「…っく、…ぁ…ッ!」
「我慢しなくていいですよォ? 誰もいませんから、ね」
施される快感に背をしならせるジンの下腹部で、ハザマがやわらかく微笑んでそんなことを言う。快楽で酔いしれた脳には蜂蜜のように甘いと、舌打ちしたい気分で思った。
気怠い両足をなんとか閉じようと力を入れてみたが、内腿に音を立ててキスを施されてしまい、思わず動きが止まる。ジンは嫌がるように顔を歪めたつもりだったが、ハザマにはそう見えなかったようで可愛いですねェと呟きながら、剥き出しになっているジンの分身を擦った。
長い指が器用に絡まり、痛すぎない程度の絶妙な加減で扱かれて、ジンは慌てて唇を噛む。
「……ッ…ぅ」
男なら誰だって、そんなところを触られればたまらない。これは生理的な反応だ、仕方ない。
自分に言い訳するようにジンは胸中で叫びながら、顔を床に押し付けた。こちらを観察する視線から逃れるように、眼をぎゅっとつむる。
しかしその現実逃避を男は許してくれず、突然襲った湿った感触にジンの体は跳ね上がった。啜るような音と共に、局部がおののく程の快感に晒され、ジンは肘をついて顔を上げる。
信じられないことに、ハザマはジンのものを口に咥え込んでいた。
「馬ッ……鹿、者! や、め――ッぁひ!?」
堪らずジンは緑の頭を押しやろうと掴んだが、ろくに力が入らないまま強く吸われて、罵声が悲鳴に変わる。
男相手に抵抗はないのか、コイツ……!?
男の一物を口で愛撫するフェラチオ自体は、別段珍しいものではない。だが、それが同性の場合は話が別だ。普通、男は他の男のものを口に入れるなどやりたいとは決して思わない。手くらいは貸せたとしても、口は勘弁してほしいと思うのが普通だろう。
何なんだ、いやに手慣れてると思ったが……。
「くそっ、……貴様、ゲイだったのか!」
「ん……、ぇえ? 何か今、非常に不名誉なこと言われませんでした?」
怒りやら羞恥で朱くなりながらジンが叫ぶと、ハザマが驚いたように口を離した。
細い眼を僅かに瞠り、ハザマが少し不愉快げに眉を寄せているのを見て、どうやら本当に心外だったらしいと察する。
くにくにと濡れる先端を弄びながら、ハザマがわざとらしく拗ねた表情を作った。
「できれば私だって、女性の方がいいですよォ。でも少佐は男性なんですから、仕方がないでしょう? ……それともなんですか、私好みのスカートでも履いてくれます?」
「! ッふ、ざけ……ぁ、ゃっ…!」
頭に血が上って怒鳴ろうとした瞬間に、また敏感な箇所に吸い付かれた。
だからなんで、そんなに躊躇いがないんだ!と叫びたい気分でいっぱいだったが、今下手に口を開ければあられもない声が出てしまうと、ジンは必死に自分の口を塞いだ。
絡みつく舌と窄む熱い口腔が、膣の比ではない快感を与えてくる。しかも、同じ男だからだろう、裏筋や亀頭の窪みなど弱い部分ばかり的確に狙ってくるのでたまったものではない。
ちょうど股の間に首があるのだから、挟んで絞め殺してやろうかと、沸騰する頭で考えたジンだったが、首に絡みつかせた瞬間に片足を掴まれてしまった。意図に気付かれたらしい。
潤みかけた眼で下腹部で蠢くハザマを盗み見ると、向こうもこちらを見ていた。琥珀の瞳が妖しく光る。
「ふッぐ! んんっぅ…、ぅ…ッ」
嗜虐に歪んだ瞳を見たと思った途端、愛撫が一気に加速した。
まるで仕返しのように、幹だけでなく袋まで片手で揉み込んで、容赦なく吸い付いてくるハザマの愛撫にジンの脳裏で火花が散る。擦り付けられる生々しい舌の感触に加え、先走りを絡めた指が蟻の門渡りまで這い回る感触が背筋を震わせた。
まずい、耐え切れない。
快楽には鈍い方だと思っていたのに、早々に根を上げそうになっている自分に腹立たしい思いを抱くが、白んできた思考は収まるはずもなく。
「ハ、…ザ…! 離…ッ…、ぅぐ……んん――ッ!」
あっさりと追い詰められ、ジンは自分の手に噛みつきながら果ててしまった。二度も良いようにされたという事実が、余計に悔しくてならない。
みっともない嬌声はなんとか殺せたが、吐き出してしまったものはどうしようもなく、ジンは荒い息をつきながら大惨事になったであろう下肢の方を見遣った。
生臭いそれをさぞかし嫌がっているだろうと思ったのだが、顔を上げたハザマはいつもの微笑みのままペロリと唇を舐めていた。
まるで零れたバニラアイスでも舐め取るように、白濁に濡れた長い指先に舌を這わせるハザマに、羞恥が一気に込み上げた。
「は……っ、吐き出せッ! 早く!」
「え? 無理ですよ、飲んじゃいましたから」
ジンの叫びに、ハザマはしれっと事も無げに答えた。もう、絶句するしかない。
自分だったなら、精液を飲み込むなど絶対できない。完全に拷問の域だ。
嫌がらせだとしても、普通ここまではやらない。こんな枕営業じみたことがハザマの密命の一部だとしたら、目的は一体何なのだろうか。
急に疑問が湧き上がり始め、ジンは興味を抱く。こんな捉え所のない男が執着する事とは、何だろう。仕事熱心なタイプではないので、本人が余程積極的になることに違いない。
熱い息を吐きながら思案するジンに、ハザマが怪訝そうな顔をした。
「どうしました? 少佐」
「……いや。趣味の悪い男だと思っただけだ」
「あらら、そうですかねェ? 自分では一般的な方だと思っていたのですけど」
どの口が一般的、などというのか。
同性を襲っている時点で異常だと気付け、と胸中で罵るが、この行為が何かの布石だとしたら本意ではないと考えるべきか、とジンは思い直す。
ここは騙された振りをして、話を合わせておこうか?
利用されるのはうんざりだが、折角何かの手掛かりになりそうな相手が近付いてきたのだから、乗っておくのも悪くないかもしれない。どうせ、一人で調べられることには限界がある。ハザマの動向を見張るのも有りだろう。
ジンが顔をしかめたままそう考えていると、突然臀部を撫で摩られて驚いた。
「なに…、触るなッ!」
「あれ? 逃げようとされないので、承諾して頂けたのかと思ったんですけど」
「? 何の話……」
ハザマの言いたい意味が分からずに聞き返そうとした瞬間、異常な感覚が下肢を襲う。
一瞬何をされたのか判断がつかなかったが、内臓に向かって何かが押し入ってきたような気持ち悪い感覚に、ジンは反射的に後ずさろうとした。しかし体を押さえ付けるようにハザマが覆いかぶさってきて、逃げ道を失う。
「ぅッ!? なに……んんっ」
「すみませんねェ~。私も流石に限界なので、やめてあげられません」
鼻先が触れ合う距離に近付いたハザマの顔が、毒々しいほど爽やかな笑みを浮かべていた。口では謝りながら、あまりそう思っていないのが分かる。肩を押さえる力が容赦なかった。
そして、潜り込んだ指が蠢き、ぐにぐにと肉壁を押してくる。
そうだ、この話に乗るということは、このまま掘られるのと同義だった……!
今更ながら状況を把握し、ジンは青ざめた。自分とは無縁の世界だと思っていたのに、直面する羽目になるとは。本当に、さっき余計なことを考えずに逃げておけば良かったと思うが、後悔先に立たず。
イかされるだけなら羞恥で済むが、抱かれるのは全く次元が違う。
「やめ、ろ! そんなところ……ッ!」
「大丈夫ですよ、ちゃんと慣らしますから」
ハザマの体を押しやろうともがくが、細い体のくせにびくともしない。普段は、戦闘が苦手だと言っているが、明らかに嘘だ。
あくまで紳士的な笑みを浮かべるハザマを、憎しみを込めてジンは思い切り睨みつけるが、やわらかく口づけられてしまい、文句は言葉にならなかった。唇を割って滑り込んでくる舌に噛み付いてやろうかと待ち構えるが、飴でも舐め転がすように甘ったるく舌を絡められ、肩を押さえていた手で頬を撫でさすられては、その気概も削がれてしまう。
これは、遊びで抱かれた女も容易く勘違いするな…と悔しい思いを抱きながらジンは考えた。他の男がどういう風に女を抱くかなど考えたことも比べたこともなかったが、これは完全に負けたと思う。甘やかすのが、恐ろしく上手い。
自分でもそうそう触ることのないところに、他人の指が入り込んでいるというのに、口腔への愛撫と愛しそうに掛けられる言葉で誤魔化されてしまう。異物感は変わらずあるが、マッサージにも似た心地好い愛撫やキスがそれを和らげていた。
もう……溺れた方が楽かもしれない。
どう足掻いても抱かれる運命にありそうだと観念し始めたジンは、腹立たしい思いを抱きながらもハザマの広い背中に腕を回した。










「ふ…、ぁ……はぁ…っ」
喉が焼け付くような錯覚を催す熱い息を吐き出し、ジンは白い背をしならせた。逸らせた喉に浮き上がる凹凸をなぞるように、赤い舌が這う。
濡れた感触に剥き出しの肩を震わせると、宥めるように唇を寄せられ、軽く吸われた。
陶芸で土を成形するようにゆっくりと内部を指で広げられ、殆ど抵抗がなくなってきた頃、ハザマが熱い息を吐きながら細い眼を瞬かせた。
「……いいんですか?」
耳元で、囁くように問う声。
得体の知れない恐ろしさばかり感じていたはずの琥珀色の瞳が、抑え切れない熱を孕みながら僅かな迷いを見せる。何を今更聞くのだと思うが、この瞬間だけは迷い子のような頼りなさを垣間見たようで、怖いとは思わなかった。
ジンは紅潮した顔のまま、わざとらしく溜息をついて常磐緑の髪に手を伸ばす。
「どうせ、止める気もないくせに……。勝手にしろ。仕事に影響が出ない程度なら……尻くらい貸してやる」
「いやはや……身も蓋もない言い方ですねェ」
思いの外柔らかい髪を梳きながらジンが言葉を吐き出すと、ハザマが苦笑いを浮かべた。
一応宣言通り、ハザマは根気よく繋がる箇所を慣らすのに徹底していた。本音はさっさと挿れて終わらせたかっただろうに、よくまあ耐えたものだと思う。同じ男だけに、面倒臭さと辛さは分かるつもりだ。
途中で痺れを切らせて本性を出すだろうかと少し期待していたのだが、時折内股に当たる熱い塊に気付いていたので、取り合えず今回は許してやることにする。
「痛くしたら……斬り殺すからな」
「はいはい、応せのままに」
高飛車に言い放つジンに、仕方がない人だと言わんばかりにハザマが返事を返した。
どうせどちらも、本気の想いなど無い。騙し合いと快楽で、ずるずるとここまで来てしまっただけ。
お陰で男のプライドはズタズタにされたが、ハザマの愛撫は確かに気持ちが良かった。悔しいが、それは認めざるを得ない。
正直まだ未知の領域に対する恐怖はあるが、それ以上に余裕を失ってきているハザマがどういう表情を見せるのかが、少し――ほんの少しだけ、楽しみな気がする。
「では……失礼しますよ」
ベルトを解いて抑えていたものを取り出したハザマが、ジンの片足をやんわり掴んだ。
苦しくないですか?と声を掛けながら、ゆっくり足を胸まで折り曲げるハザマを見上げながら、ジンは妙な不協和音を奏でる心臓に、鎮まれと念じた。


















窓から差し始めた光りに顔をしかめ、ハザマは溜息を吐いた。
ランプの明かりも消していたので今まで見えていなかったが、朝になって書庫の一角が酷い有様になっていることに気付いてしまった。
散らばった書類の束に、崩れて順序がバラバラになったファイル。そして、それらを下敷きに眠るジン=キサラギ。
自分と彼の周辺に関しては特に酷く、何枚かの機密文書は皺くちゃになって破れていた。新しく書き直す手間と言い訳を考えなければならないことに、頭痛がしてくる。
「あー…、メンドくせェことになっちまったなー」
帽子をくるくる回して弄びながら、ハザマは低い声で文句を呟いた。後片付けの煩わしさも勿論鬱陶しいが、予定と違った結果が出てしまったことが何より痛い。
迂闊に情報を喋るべきではなかったと、ハザマは今更ながら自分の行動を悔いていた。何も知らない振りをして、ただ強引に抱いた方がまだマシだったかもしれないとすら思う。
弱いところを突いて堕とそうと思っていたのに、見事に裏目に出てしまった。結局体だけ受け入れて、ジンは最後までこちらに心を明け渡さなかった。
快楽にけぶる翡翠の瞳は、壊れそうな弱さも縋るような怯えも見せず、ただ仕方ないと苦笑いのような笑みを滲ませていた。全く以って、何処までも可愛いげの無い子供だ。
――しかも、そんな子供相手に充足感を得てる自分が、なおさら終わってる。
最初は堕とそうと面倒な手順を踏んで、うんざりするくらい甘い台詞を吐いてやって、正直勘弁してくれと思っていた。それが、こちらの愛撫に徐々に酔っていく表情や繋げた体の熱さに、自分ものめり込んでいくのが分かってしまった。
「体の相性だけイイなんてよ……ホント『神』はろくでもねェーことしやがんなぁオイ」
ハッと嘲笑い、ハザマは帽子を被り直した。釣り上がった口端を引き下げ、『諜報部のハザマ』の笑みに作り直す。
さて、寝坊の上司をどうからかって起こそうか?
新たな玩具を手に入れたハザマは、ご機嫌で輝く金髪に手を伸ばした。





END







今後の分岐点だったので、少し長くなりました。
気持ち、希望がある方向で二人の関係を進めてみたつもり。

某バビロンみたいに思いっ切り信用させて裏切るバッドエンドもこの二人なら有りだとは思うんですが、バッドはきっと公式がやってくれる、ということで避けました(笑)。

※過去の接触やアークエネミーなどの設定は間違っていることが後に判明しています。