僕は、青い犬を飼っていた。
…いや、僕ひとりではなく、親友と一緒に飼っていた。
けれどその頃は僕らもまだ子供だったので、下町のみんなに助けてもらって世話しているようなものだった。
だからか、『飼っている』というようなペットの意識は薄く、友達のような仲間のような、とても対等な関係だった。


ひょんなことから、井戸から助け出した一匹の犬。
けれど彼は、形見を手放さないほどに元の飼い主を大切に思う意志の強さに、地元の縄張りを仕切るほどに強さを持った、とても自立した犬だった。
だから僕は、彼がいつかどこかへ旅立って行ってしまうのではないだろうかと、いつも漠然と思っていた。







青空の思い出






「ワン!」
「ラピード……?」
フレンがたまたま街の出入り口に通りかかったとき、オルニオンに訪れたユーリ達と鉢合わせした。そして、フレンの存在に真っ先に気付いて声をあげた青い犬が、真っ直ぐにこちらへ駆けてくる。
細くしなやかではあるけれど、それなりに大きなラピードはぴょんと軽やかに跳ね、フレンの方へと飛び込んできた。大きな毛玉がばふっと胸に突進してきたのを、フレンは咄嗟に支えきれずに尻餅をついてしまう。
昔より随分フレンの背格好は逞しくなったはずだが、ラピードも同じく子犬ではなく成犬になっているので、重みがなかなかに容赦なかった。
「ぅわわっ。ちょっとラピード、手加減してよ」
「ワォン?」
鎧が地面に当たってガシャッと音を立てるが、ラピードは楽しそうに尻尾を振ったままこちらを覗き込む。悪気はないらしいその様子に、フレンは驚きつつも、尻餅をついたままのし掛かるラピードに笑いかけた。普段はクールな犬だと知っているだけに、喜び全開の態度がどこか嬉しい。
「大丈夫か?」
駆け寄ってきたユーリが、苦笑しながらそう声を掛けた。慣れた様子で聞くユーリに、フレンは顔を上げて笑いかけ、肯定を伝える。
しかし後ろに続くユーリの仲間達は、珍しそうにこちらを見ていた。
「ホント、犬っころはこの騎士様が好きよね…。態度、違いすぎでしょ」
呆れた様子で、腕組みをしたリタが感想を述べる。傍らの、ジュディスを除く全員がうんうんと頷いて同意を示した。ラピードの首元を両手で挟み、もふもふした毛を撫でていたフレンは、きょとんと目を丸める。
「そう…かな? でもユーリとも、仲良いよね?」
「ワンッ」
撫でられるのが気持ちいいらしく、お座りの姿勢でフレンのなすがままになっているラピードに問い掛けると、当然だと答えが返ってきた。
ね?とフレンがリタの方を見上げると、魔導少女は難解な本にでも出会ったかのように複雑な顔をした。フレンの主張が間違っていると否定はできないが、納得していない様子だ。
答えに窮するのを見て、ジュディスは何かを見透かしたように、妖艶な笑みを浮かべた。
「LikeとLoveの違いね」
「……ああ、確かにそんな感じよねー」
ラピードを見つめながら言うジュディスの言葉に、レイヴンがうんうんと頷いて同意を示す。リタとカロルとエステルは意味が分からなかったのか、瞬きをして互いの顔を見合わせた。
ユーリは少し眉を寄せて、ラピードを見る。
「マジでそうなのか?」
「……ワゥ」
何故か真面目に聞くユーリに、ラピードはフレンの腕の中で吐息に似た、曖昧な鳴き声を漏らした。それを見て、フレンは思わず苦笑する。
「なに言ってるんだよユーリ。それにジュディスさんも……ラピードは仲間でしょう、みんな好きに決まってるじゃないですか」
にこっと笑って、フレンがそう言うと、何故かユーリがガクッと大袈裟に肩を落とす。ついでレイヴンが空を仰ぎ、ジュディスが苦笑いで首を傾いだ。
一様に予想と違う反応を返され、フレンは目を瞬いた。ラピードが普通の犬と違って誇り高く気難しい故に、認めた者でなければ傍にはいないことは、旅してきたなら分かっているはずだと思ったのだが……そういう話ではないのだろうか。
「あームリムリ。こいつ、そういう方面は全然ダメだから、無駄だって」
「あらあら、そうみたいね。勿体ない」
突然、ぱたぱたと手を振って言ったユーリに、ジュディスが少しも残念がっていない顔で頷いてみせる。
そのやり取りを見て、思わず疑問符を浮かべたフレンに、レイヴンが近付いてきて肩に手を置いた。
「今度、俺様がナンパの仕方を特別に伝授しちゃおう。青春は謳歌しなきゃダメよ? 団長様」
「えっ……。なんでそんな話になるんですか、シュヴァー…いえ、レイヴンさん」
座り込んだままのフレンを覗き込むように、レイヴンは膝を曲げて突然そんなことを言うものだから、フレンは驚く。
しかし意味を問う前に、腕の中のラピードがぐるんと後ろへ振り向き、いつも口にくわえている煙管をレイヴンの顔目掛けてバシッと当てた。
「あ痛ッ!?」
衝撃にレイヴンは間抜けな声をあげて、鼻を押さえる。鼻先に煙管が当たったようだ。
「なッ…、何てことするんだっ。ラピード……!?」
予想だにしなかった行動に、ぎょっとしたフレンは咄嗟にラピードを押さえようとするが、青い背は手をすり抜けていってしまった。
飛び退いたレイヴンを追いかけるように、軽い身のこなしでラピードが突進する。
「ワン! グルルル……ワンワンッ!」
「ぎゃああッ!? ちょっ、お茶目な冗談じゃない! な…なに本気になってんのッ」
ラピードの急な行動にフレンが呆気に取られている間に、鋭い威嚇に思わず逃げ出したレイヴンを、ラピードが追いかけ始めた。しかし人間と犬とでは足の速さが根本的に違う為、すぐに追い付かれてしまい、レイヴンが盛大に転ばされる。
慌てて止めようとフレンが立ち上がると、体を折り曲げて笑うユーリが視界に入った。
「笑ってる場合じゃないだろう!? ユーリ!」
「ぶっ……はは…! いやいや、心配ねぇって。オッサンにはイイ薬だ。あー面白ェ」
起き上がっては飛び掛かられ、逃げては服を引っ張られる哀れなレイヴンの様子に、ユーリは本気で面白そうに笑っている。よく見ると、ジュディスのみならずカロルやエステルまで笑いつつ見守っていた。
リタはひとり、呆れた顔でお決まりの「バカっぽい…」という呟きを漏らしている。
完全に傍観している仲間達に、フレンは思わず呆気に取られてしまったが、改めてラピードの方を見ると、一見レイヴンを苛め倒しているように見える彼が、携えている武器を抜いていないことに気付いた。
ああ…なんだ。本気で怒ってるんじゃなくて、あくまでもじゃれているんだな。
ぎゃーぎゃー喚きながら逃げ惑いつつも、レイヴンに怪我はない。絶妙な力加減で、ラピードは攻撃しているようだった。
思わず、フレンもみんなにつられるように笑みを浮かべる。
「楽しそうだね」
「小一時間くらいしたら、オッサンが汚くなってそうだけどな」
ラピードに踏まれては、どてっと倒れて土を付けるレイヴンを見ながら、ユーリがそんなことを言った。確かにこのままいくと、怪我はなくても服は泥だらけになりそうな勢いだ。
そうして全身でぶつかってじゃれ合う様を眺めていたフレンは、ふと昔を思い出した。身寄りもなく下町でユーリとともに世話になっていたとき、ラピードも含めて3人で遊んでいた頃のことだ。
今と同じように、泥だらけになりながら追いかけっこをしていた。訳も無く、転んでは笑っていた。生活に不安はあっても、不思議と本気で悩むことはなかったあの頃。
爽やかに晴れる青空を仰ぎ、フレンは目を細めた。そして視線を戻し、駆け回る同じ色の背を見つめる。
「僕もまぜてよ、ラピード!」
「ワン!」
「え……おい、フレン!?」
思わず衝動でそう言うと、ラピードが吠えて応えた。ユーリの驚く声と、レイヴンの情けない悲鳴が重なる。
もう子供ではないのは、十分に分かってはいたけれど。楽しそうに走るラピードを見ていたら、どうしても気持ちが抑えられなくなっていた。騎士団に入ってから、特に最近は全くといっていいほどラピードと戯れることもなかったから、余計にかもしれない。
馬鹿げたことだと思いつつも、歓迎とばかりに長い尻尾を振るラピードを見て、フレンは笑顔でそちらへ走り出した。





それから10分後、オルニオンの入り口で悪目立ちする団長を見かねて、ソディアとウィチルに止められてしまったのは……まあ、必然というものだろう。





END






ついに抑えきれず、自給自足してしまったラピフレです。
いきなりハードな内容はどうかと思ったので、普通な感じで。

ちゃんと思い合った異種姦が好きなんですよ、うん。
…ははは、スンマセン…orz