午後のひととき




「んじゃ各自夕方まで自由行動で、下町の宿屋に集合。――で、いいよなボス」
「……取ってつけたように、僕に振らないでよね。別にいいけど……」
珍しく張り切った様子でそう仕切ったユーリに、カロルが少し諦めたような表情で同意する。一応ギルドのリーダーであるはずのカロルを差し置いての発言に、しかし他のメンバーは敢えてツッコミは入れなかった。
久し振りに訪れたこの街は、ユーリの故郷である帝都ザーフィアスである。城の方はエステルやレイヴンにも馴染みが深く、何かとメンバーには縁のある場所だ。自由行動にしたがるユーリの気持ちも、分からなくはない。
「じゃあ、買い物でもしてこようかしら」
同意の言葉の代わりに、ジュディスがそんなことを言って周囲の店を見渡す。それを聞き付けたレイヴンが、にんまり笑って自分を指した。
「ガイドに俺なんてどうよ? ジュディスちゃん。いい店知ってるわよ?」
「あら本当? 嬉しいわ。でも、可愛い部下さん達に挨拶はしてあげなくていいのかしら、隊長様?」
「……ジュ、ジュディスちゃん、痛いとこサラッと突かないで」
遥かに年下のはずのジュディスに笑顔でアプローチを粉砕され、レイヴンが冷や汗を掻く。そのやりとりを横目で見ながら、リタは読書用に掛けていた眼鏡を指で押し上げて、開いていた魔導書へ視線を落とした。
「あたしは調べたいことあるから、先に宿屋へ行ってるわ」
「え!? そんな、せっかく来たんだから一緒にお店を見て回りましょうよ、リタ!」
興味なさそうに回れ右をしかけたリタに、突然横合いから手を伸ばしたエステルがそう言って留める。二の腕を掴まれ、リタがギョッとして顔を上げた。
「な、なんであたしが…っ!? ジュディスと行けばいいじゃない!」
「リタと……リタと行きたいんですっ、私は!」
「は……はぁ!? なに言ってんのよ、アンタはッ」
子供のように主張するエステルに、リタは恥ずかしさからか、顔を赤らめて叫んだ。それを見て、ジュディスがくすくすと笑う。
「じゃあ私が、先に宿屋でまとめてチェックインしておくわ。二人で楽しんできてちょうだい」
「あ……ちょ、ちょっと!」
待ちなさいよアンタ!と叫ぶリタを華麗に無視して、ジュディスは言いたいことだけ言って宿屋の方へと歩いて行ってしまった。
待ってよジュディスちゃん!と、どさくさに後を追おうとしたレイヴンの首根っこを、ユーリが引っ掴む。
「俺、騎士団の方に用事あるから、おっさんも来いよ」
「げぇッ!? 嬉しくないっ、そんなお誘いは嬉しくないよ青年!」
黒い笑みを浮かべるユーリに、レイヴンは大袈裟に悲鳴をあげた。しかし抵抗も虚しく、城の方へ歩き出すユーリにレイヴンは引きずられていく。
既になんだかんだ言いつつエステルと商店街へ連れ立ってしまったリタは姿が見えず、カロルとラピードだけがぽつんとその場に残された。
「えっと……どうしよう?」
「ワフ〜」
困ったようにそう呟くカロルに、ラピードは好きにすればいいさと言いたげな鳴き声を漏らし、市民街へ行ってしまう。
完全に取り残されたカロルは、思いきり肩で息をした。








『あ、お帰りなさい。ボス!』
特に宛どなく街を歩いていたラピードに、若い声が投げ掛けられた。
振り返ると、シルバーグレイの毛並みが輝くシーズーが、こちらを見て尻尾を振っていた。
『その呼び方はやめろ』
『えぇっ? じゃあなんて呼べばいいんです? ラピード様?』
『だからって、様付けにするな』
くりくりした黒豆のような眼で問い返すシーズーに、ラピードは渋面を作る。しかしシーズーは物怖じした様子もなく、ラピードに駆け寄ってきた。
『……呼び捨てで構わない』
『ラピード、ですか? ボス』
『だから……。いや、もういい』
無邪気に尻尾をパタパタ振るシーズーに根負けしたように、ラピードはため息をついた。天然なのか、シーズーは疲れた様子のラピードの心情にかけらも気付くことなく、首を傾げる。
とりあえず挨拶はしたのだから、もういいだろうと思ってラピードは立ち去ろうとしたのだが、シーズーは短いコンパスを一生懸命動かしてあとを追ってきた。
『待ってくださいよ、ボス! この先に新しいパン屋が出来て、そこに新顔が入ってきたんです。挨拶に来させますんで、少し時間もらえます?』
『……新顔? いや、別に挨拶することもないだろ。実質的に、俺はここのボスじゃないんだしな』
突然そんなことを言い出したシーズーに、ラピードは眉を顰める。確かにこの町の者であるし、ビッグボス決定戦でプチウルフを負かしたのはラピードだが、他の犬や猫達を従えたり面倒を見たりということはあまりしていない。特に今は世界中を飛び回っているので、ザーフィアスを空けていることの方が多いのだ。ここのボスと呼ぶには、適切ではないだろう。
だが、そういった理屈は全く分からないのか、シーズーは緩んだ口からハァハァ舌を出しながら、尚も食い下がってきた。
『でも、でもほら、なんかあったら怖いですしっ。…いや、そんな悪い奴じゃないんですけどね。でもせっかくボスが来てるんだし、やっぱり顔合わせた方がいいかなって…っ』
『……』
息苦しそうに言葉がぶつ切りになるのを聞いて、ラピードは渋面のまま足を止める。振り返ると、シーズーは若干汗を掻きつつ荒い息をしていた。ラピードの足に追いつくためにかなり無理をしてついてきていたらしい。体格の違いが原因だろうが……それにしても体力がない。
とはいえ、そうまでして慕ってくる相手を無下にできるほどラピードも薄情ではなかった。
『分かった。そいつのところまで、案内を頼む』
『……えっ? いやいや、こっちに連れて来ますんで、待っててもらえれば……っ』
『その様子じゃ、こっちとあっちで往復してきたら、お前……かなりヘバるだろう』
『う…ッ…。いやでも! 頑張りますんで!』
『そんなくだらないことに、努力は見せなくていい。俺が出向けば済むことだ』
必死の形相で主張するシーズーに、ラピードはあっさりそう返す。体力の無さは自覚していたのか、途端にシーズーはしゅんと尻尾を垂れた。
その様子をちらりと見、ラピードは胸中でこっそりため息をつく。こういう子供っぽい反応をする相手の扱いは苦手だなと、普段傍に居る大きな子供2人を脳裏に浮かべながら思った。
『……だが、その体力では何かあったときに自分の身も守れない。これから少しずつでも、鍛えた方がいい』
『! ……はいッ、分かりました!』
ラピードの一言に、シーズーは一瞬で復活してぶんぶんと勢い良く尻尾を振る。全く現金なものだと思いつつも、ラピードはシーズーの案内で店へと赴いた。





当然だが、パン屋は朝方や昼時が忙しい。その忙しい時間帯に店の表へ行くのは余計な騒動になり兼ねないと思い、2匹は裏側へ回った。
表通りは比較的綺麗ではあるが、市民街の裏通りはお世辞にも綺麗とは言い難い。屋根の重なり合う薄暗い路地裏を歩いていた2匹は、前方で何か争う集団を見つけた。
いや目を凝らしてよく見ると、それは争いというには程遠い――随分と一方的な暴行だった。
『お前ら、何してやがるッ!』
ラピードは咆哮をあげ、駆ける。突然の乱入者に、純血のドーベルマンと思しき大型犬3匹が振り返った。ギラついた眼光でラピードを見、牙を剥く。
『何の用だ、テメェ。見ない顔だな』
『そっちこそ見かけない顔だな。……それよりも、そいつをいたぶっている訳を聞こうか』
ラピードと体格のよく似たドーベルマン3匹の前に進み出て、足元を顎で示す。指した先には、ドーベルマンの足に埋もれるように、一匹の茶色いダックスフンドが倒れていた。
『エメラルド!』
遅れて追いついてきたシーズーが、恐らくこのダックスフンドの名前であろう言葉を叫んで走り寄ってくる。致命傷には至っていないようだが、そのダックスフンドの耳や尻尾、足には明らかに噛み跡が付いていた。それを間近で見て、シーズーが息を呑む。
『この下民の犬が、勝手に俺らのマーキングを荒らしやがったんだ。身の程を教えてやろうと思ってな』
そう言って、ドーベルマン達は下卑た笑みを浮かべた。縄張り争いはどの動物にしろ重要なことではあるが、だからといって新参者を過剰にいびる理由になりはしない。ましてや、ここは人間が主導権を持つ街中だ。純血の誇りか、貴族のペットとしての誇りか知らないが、行き過ぎた行動は秩序を乱す。
ラピードは目を眇めた。
『ここまでやれば、もう気は済んだだろう。……さっさと帰れ』
『お前も、口の聞き方がなってねぇなぁ。同じ目遭わせてやろうか?』
ラピードの警告を、ドーベルマンは嘲笑う。威嚇するように唸る3匹に、シーズーが竦み上がった。
しかしラピードにそんな脅しが通じるわけもなく、鼻で笑う。
『いいぜ。どっちが地べたに這い蹲ることになるか、身をもって現実を教えてやるよ』
徐にダックスフンドを背に庇うように立ち、ラピードは牙を剥く。たかだか普通の犬3匹相手に、携えた短剣を抜く必要はない。
『大口叩くじゃねぇか! 袋叩きにしてやる!』
相手の正体がこの街を牛耳るボスだとは全く気付かぬドーベルマン達がそう吠えて、飛び掛ろうとした瞬間だった。
不意に近くの民家の扉が開き、少女が顔をした。
「……きゃああッ!? エメラルド!!」
『!』
倒れたダックスフンドを見て、少女が甲高い悲鳴をあげた。一斉に全員がそちらを振り返り、予期せぬ闖入者に気付く。
人間の出現に、ドーベルマンは舌打ちした。5、6歳程度の子供など、体格のいいドーベルマンには御しやすい相手ではあるが、流石に人間に噛み付くのはまずいと思ったのか、飛び掛ろうと踏み出した前足を退いた。
『……まあいい。次に会ったら、容赦しねぇからな』
そう言って先頭のドーベルマンが身を翻すと、残りもそれに従って路地裏を走り去っていく。遠くなる黒い3つの背に、シーズーが緊張を解いてホッと胸を撫で下ろした。
しかし、一難去ってまた一難。ラピードがドーベルマンが走って行った方から、少女へと視線を移すと、案の定泣きそうな顔で怒りを露わにする大きな眼にぶつかった。
自分とさして変わらない目線、むしろラピードが伸び上がれば少女の体を上回ってしまう。そんな身体能力の勝る相手に本能的な恐怖を感じるのか、少女は涙を溜めて震えながらも、懸命にこちらを睨みつけていた。
「ぁ…あっち行ってよ! エメラルドを…、いじめないで…!」
『あわわっ。なんか勘違いされてますよ……!?』
引き攣る声で叫ぶ少女に、シーズーが落ち着きなくちょろちょろと動く。先ほどのドーベルマンに飼い犬が襲われる現場を見ていなければ、少女にはラピードやシーズーが傷つけた犯人、あるいはその仲間だと見えたのだろう。
予想していた面倒な事態にひっそり溜息をつきつつ、ラピードは少女から視線を外して、徐にダックスフンドの方へと近付いた。
「…っ…!」
ラピードがダックスフンドを鼻先でつつくと、少女の息を呑む音が聞こえた。ちらりと様子を盗み見るが、睨む少女は半開きの扉にしがみついたままで、助けに行きたいと思っても恐怖でそこから動けないようだった。
(流石にフレンのようには、いかないか……)
ふと、ラピードはその少女の眼差しで昔を思い出していた。
まだ子犬だった頃、ラピードは結界の外で魔物に襲われたときに、フレンに助けられたことがある。当時のフレンはまだ剣の扱いを覚えたばかりで、魔物とまともに対峙したこともほとんどなかったのだが、顔の左半分を傷つけられて倒れるラピードを庇うように飛び出してきたのだ。
そして、フレンは震える手で重い剣を握り、魔物を睨みつけていた。自分の2倍以上もの大きさを誇る熊のような巨大モンスターを前に、自ら壁になってラピードを守ろうとしたのだ。
そのとき右目で見上げた背は、今でも網膜に焼き付いている。――強くなりたいと切に願った、あの悔しさは忘れもしない。
『……生きてるか、エメラルドとやら。主人が心配してるぞ』
ラピードがダックスフンドに声を掛けると、茶色の毛玉がぴくりと動いた。
『生きてるけど……体中…痛い……』
『……だろうな。少し待ってろ』
弱弱しく言葉を返すダックスフンドに頷き、ラピードは道具袋から小瓶を引っ張り出す。蓋を歯でこじ開け、ダックスフンドの口に中の液体を流し込んだ。
何をするのかと少女が戦々恐々とした顔をしていたが、止めに入ってこないことをいいことに、ラピードは回復薬を勝手に飲ませて、しばらく待った。急激に完治するわけではないが、浅い傷は塞がり、痛みが和らいだのか、ダックスフンドは小さな体をぶるりと震わせる。
「エ……エメラルド?」
「キャゥン……!」
その変化に少女が訝しげに名を呼ぶと、よろつきながらもダックスフンドは立ち上がって答えた。か細いが確かな鳴き声に、少女は目を見開き――大粒の涙を零しながら駆け寄ってきた。
ラピードが身を退くと、少女は小さな手をいっぱいに広げて、ダックスフンドに抱きつく。
「ワゥン」
「良かった! エメラルドっ」
嬉し涙に頬を濡らしながら、きゅうきゅう抱きしめる少女に些かダックスフンドは苦しそうだが、腕の間から出ている尻尾は元気良く振られていた。
もう大丈夫だろう。その様子を見て、ラピードは身を翻す。
『……まだ慣れないうちは、上の貴族街へ行かない方がいい。奴等は何かと理由を見つけては、下の者を虐げるからな』
『そうみたいだね……。助けてくれて、ありがとう』
肩越しに振り返り、ラピードが忠告すると、ダックスフンドが少女に抱かれたままで頷いて礼を言った。シーズーがそれを見て、少し飛び跳ねて自慢げにダックスフンドへ声をかける。
『エメラルド! このひとだよ、前に話してた街のボス!』
『……え! あなたがッ!?』
『もうその話はいい。行くぞ』
思わずダックスフンドが驚きの声をあげるが、ラピードは無視するように背を向けて歩き出した。ダックスフンドはそれを追いかけようと思って体をバタつかせるが、抱きしめる少女はそれ気付かずに家の中へと戻っていく。
必死にワンワン吠える様にシーズーはおろおろとダックスフンドとラピードを交互に見るが、結局ラピードのあとをついてきた。
『い、いいんですかっ? 行っちゃって…』
『あの場に居ても、犯人扱いされるだけだろう』
慌てた様子で聞くシーズーに、ラピードは至極冷静に返す。一部始終見ていたわけでもない、しかも幼い少女では、ダックスフンドを襲ったのが誰であるか分かるはずもない。きっと少女の目には、ドーベルマンもラピードも同じに見えただろう。
人間のように話すことが出来たのなら説明することもできたかもしれないが、生憎犬の身ではそれも叶わない。故に、その場から離れるのが適切といえた。
(まったく、こういうときは不便だな)
咥えている煙管に歯を立て、ラピードは眉を寄せる。多少の誤解や悪意に晒されるのはもう慣れたが、それでも明確に伝わればどれほど楽かと思わずにはいられなかった。
人間の言葉を話せない自分の口は、弁解はもとより、自分の意思も伝えることはできない。尻尾を振って擦り寄ることで好意は示せても、愛が伝わることは決してないのだ。
自分が一番に選ばれることは永久にないと知りながら、隣で寄り添うことしか出来ないのは不幸なのか、それとも犬の身では僥倖というべきなのか。ひとりだけ、どうしても譲れない存在がいることを思い出し、ラピードは眩しい金色の彼に思いを馳せた。
「――待って…、ねぇ……待って!」
「……?」
突然後ろから掛けられた声に、ラピードは訝しげに振り返る。すると、先程の少女が息を切らせてこちらへ駆けてくる姿が目に入った。
足を止めると、追いついてきた少女がいつの間にか持っていた紙袋を差し出す。少し距離を置いて止まった少女は、まだ泣き止んだばかりの緊張に強張る顔でこちらを見つめた。
「これ……うちのお店のパンなの、あげるね? 失敗したやつだから形は悪いけど、焼き立てだから…美味しいよ」
「……」
「……助けてくれて、ありがとう。犬さん」
泣きすぎで腫れてしまった顔で、少女がにっこり微笑む。あまりに意外な展開に、呆気に取られたラピードは呆然と少女を見つめた。まさかあの状況で正しく理解されるとは思いもしなかった。
どう反応を返すべきか咄嗟に分からずラピードが戸惑っていると、少女は「ここに置いておくね。…食べてね?」と言って、パンの入った紙袋をその場に置いて家へと戻っていってしまった。
『良かったですね、ボス』
思わず眉間に皺を寄せて紙袋を睨みつけるラピードに、シーズーが尻尾を小刻みに振りながら嬉しそうに言う。そのお気楽な態度にラピードは一瞥をくれるが、香ばしく漂うパンの匂いにつられるように紙袋へ近付いた。
念の為にくんくんと匂いを嗅いでみるが、特に変わったところは感じ取れない。本当に、ただのパンのようだ。
お前が食べるか?とラピードが目線で問うと、シーズーは嬉しそうに忙しなく体を震わせながらも首を横に振った。
『助けたのも、感謝されたのも、贈られたのもボスですから! 良かったですね!』
我が事のように楽しそうなシーズーの様子に呆れた眼差しを送りながらも、ラピードは少しこそばゆい嬉しさを胸に、紙袋を咥えた。








いつもは煙管が収まっているはずの口許に紙袋を咥え、ラピードは城の方へ歩いていた。先程まであとをついてきていたシーズーには別れを告げたので、今はひとりだ。
紙袋から漂うパンの香ばしい匂いに鼻をひくひくさせながら、ラピードは一人の面影を探す。ユーリが先に訪ねていそうな気がするので、黒い背も同じく視線で探した。
貴族街か、あるい城の中かと思ったが見当たらず、引き返すと市民街の噴水前で発見した。
ユーリとフレンが、何やら立ち話をしている。その隣では、手持ち無沙汰にレイヴンが周りをきょろきょろと眺めていた。まだユーリに捕まったまま、解放してもらえていないようだ。
かなり離れた坂の上からその様子を窺っていたのだが、たまたま暇そうに周りを見ていたレイヴンと視線が合った。紙袋をくわえたままで何のリアクションも取れないラピードをしばらく見つめて――レイヴンは不意にニヤリとタチの悪い笑みを浮かべた。
一体何を思い付いたんだ、この胡散臭い野郎は。
思わず警戒するラピードに、レイヴンはいきなりバチン☆とウィンクを寄越し、傍らのユーリに手を伸ばした。
引っ張られて何事だと振り返るユーリに、レイヴンが遠くに並ぶ店を指差して何事か言う仕草をする。明らかに渋い顔つきになったユーリを宥めるように肩を叩きながら、レイヴンは掴まえた腕をぐいぐい引っ張り出した。
ついでとばかりに長い髪も一緒に掴まれてしまい、振りきれずに引き摺られて行くユーリと、片手で拝んで謝るレイヴンに、フレンは意味が分からないまま手を振って見送る。商店街へと行ってしまった二人にぽつんと残され、フレンは噴水前で少し首を傾げていた。
(……余計なことを)
一部始終を見ていたラピードは、鼻でため息をついた。遠くから眺める自分に、レイヴンが気を遣ってわざわざ場所を空けてくれたのは明白だった。
相棒に迷惑を掛けたなと思いつつも、せっかくの機会をもらえたのだからと、ラピードは素直に坂を駆け下りた。






嫌々引き摺られて行くユーリと、何か訳あり顔で謝るレイヴンが見えなくなり、フレンは無意識に溜め息をついた。
毎日色々と仕事は山積みで、ギルドと帝都、騎士団と評議会の間を取り持つのに各地を奔走せざるを得ない状況だった。ごくたまに偶然会えるユーリ達の顔を見ると疲れも一瞬忘れるのだが、姿が見えなくなると途端に気が重くなる。
寂しいと思うのは、本当に今更なのだけれど。ユーリと袂を別けてからもう何年も経つ。目的は同じであるが故か、それぞれの道を歩んでいても時々交差したが、それはほんの一時だけ。表舞台と裏舞台で活躍する、相反した組織に属する2人はもうほとんど会うこともなくなっていた。
皆が遠い。下町で無邪気に遊んでいた、2人と1匹の思い出は今でも鮮やかなのに、それがもう訪れないことを誰よりも自分が一番分かっている。
だから。分かっているからこそ、余計につらい。無意識に縋りたくなる、弱い自分が顔を出してしまうのだろう。
強い感傷に思わず溜め息をつき、フレンは近くのベンチに腰かけた。本来はランチをとるための休憩時間だったが、あまり食欲がわかなかった。
「ワフっ!」
不意に聞こえたくぐもった鳴き声に、フレンは顔を上げる。坂の方へ視線を向けると、チャカチャカチャカ…と石畳に爪の当たる音を立てて、青い犬が走ってきた。
膝のすぐ横まで来て、ひょこりと顔を出したラピードに、フレンは驚いたもののすぐに笑みを浮かべる。鋭く強面な顔立ちだが、その懐かしい澄んだ翡翠の瞳に安堵を覚えた。
「ラピードも来てたんだね。会えて嬉しいよ。……あ、でもあっちの方にユーリが行っちゃったけど……ん?」
ユーリを探しているのだろうかと思い、ラピードの頭を撫でてフレンはそう声をかけたのだが、見慣れぬものがその口に咥えられていることに気付いた。いつも咥えている煙管は短剣と共に鞘へ収められ、代わりに大きめの紙袋があることに、フレンは首を傾げる。
それはどうしたの?と聞こうとしたフレンだったが、ラピードに紙袋を膝に載せられ、目を瞬いた。
「え……。くれる…の?」
「ワン!」
意図が読めずに試しにそう聞くと、ラピードが肯定する。思わぬ返答にフレンはラピードと紙袋を交互に見つめるが、彼が中身を言えるはずもないので、フレンは遠慮がちに紙袋を手に取った。
ほのかに温かいそれを開くと香ばしい匂いが鼻孔をくすぐり、小麦色のパンが顔を覗かせる。
「うわ……焼きたてみたいだね。どうしたんだい、これ。……誰かにもらったの?」
「ワォン!」
威勢のいいラピードの返事に、フレンは一瞬浮かんだ懸念が杞憂だと確信した。昔は下町でいつも貧乏暮らしだったため、食うに困っときに貴族街から食べ物をくすねるようによくユーリがラピードをけし掛けていたのだが、それ故に多少手癖が悪いことはフレンも知っていた。しかし、このパンはそういう経緯で入手したものではなさそうだ。
恐らくは、誰かの厚意。少し形の崩れたパンばかりが詰められていることから、売り物にならなかったものを貰ったのだろう。
「そっか…。でもそれなら、僕がもらうわけにはいかないな。ラピードが食べなよ」
これをあげた誰かは、ラピードに食べてもらいたかったはず。そう思い、フレンは中からミニバゲットを取り出してラピードに差し出した。だが、そう返されるとは思わなかったのか、ラピードは緩く動かしていた長い尻尾をぴたりと止め、こちらを凝視してくる。
「ワゥ…」
「僕はいいよ。……あんまり、食欲がないんだ。ごめんね」
真っ直ぐ見詰めてくる隻眼に、フレンは薄く笑って謝った。焼きたてのパンは確かに美味しそうだが、相変わらず重だるい体は食べ物を欲しない。
しばらく止まったままだったラピードだが、フレンが食べる気がないと分かったのか、ミニバゲットをぱくりと咥えた。それにフレンは微笑むと、他にラピードが食べられそうなパンはあるだろうかと、中を探る。動物には塩気や甘味の強いものは体によくないので、総菜パンや菓子パンは避けなければいけない。
「ワフっ」
「……。え?」
何故か真横で声が聞こえたので、驚いて振り返ると、眼の前にミニバゲットを咥えたラピードの顔があった。少し視線を逸らしていた間に、ラピードはベンチの上に乗ってフレンの横に移動していたようだ。
お座りしたまま尻尾をぱたぱた振って、咥えたミニバゲットをこちらに差し出すラピードに、フレンは困惑した。
「いや…ラピード? 僕はいらないって…」
「ワフ」
「あんまり食欲が…」
「ワフゥッ」
「えーっと…」
「ワウゥ!」
ミニバゲットを口元に押し付けてくるラピードに、フレンはベンチの上で後ずさりして逃げようとするが、すぐに端まできてしまった。本気で逃げようと思えば可能だが、そこまでするのはラピードの好意を踏みにじっているような気がして悪い。
観念するほかなさそうだと思い、フレンは詰めた息を吐いて、苦笑を浮かべた。
「分かった、…分かったよ。僕はこっちの、フランク入りのパンを貰うから。…ね?」
フレンが紙袋からパンを一つ取り出して言うと、ラピードは迫るのをぴたりと止める。しかし、じーっと疑ったようにこちらを見るラピードにフレンは冷や汗を浮かべ、渋々パンに口を付けた。
それを見て納得したのか、ラピードは咥えていたパンを足もとに落して食べ始める。まったくもって賢い…と内心舌を巻きつつ、フレンは諦めてパンを口に含んで喉の奥に押しやった。
「……!」
嫌々ながらに食べ始めたのだが、思わぬ美味しさにフレンは目を瞬いた。あまり具材の入っているものは好きではなかったはずだが、不思議と美味しく感じるそれを、フレンは一口、二口と早くはないが着実に食べていく。
なんだかんだでパンを丸々一つ腹に収めてしまったフレンは、ふと気付いて横を見ると、食べ終わったラピードがこちらを見つめていた。慌ててフレンは次のパンをと、紙袋を漁る。しかし、それが待ち切れなかったのか、ラピードはフレンの方へとすり寄ってきた。
「えっと、待って。今渡すから……」
そう言ってフレンが笑ってラピードの方を振り返った瞬間――ぺろりと口元を舐められた。驚いて思わず固まるフレンに、ラピードは構わず前足を膝に掛けて、伸び上がってもう一度舐めてくる。
「っぅ、…ちょ…ちょっと。ラピードっ?」
「ワォンッ」
楽しそうに尻尾を振って圧し掛かってくるラピードに、パンの催促ではなく、遊びモードに入っているのだと気付いた。しかし片手にパン入りの紙袋を持っているのと、既にベンチの端まで追い詰められていたことで、もろにラピードの体を受ける羽目になる。
「ラピード、くすぐったいってっ」
大きい体を抱き止めるも崩れそうになりながら、フレンはラピードに笑いかけた。ラピードも嬉しそうにフレンにじゃれつく。
相変わらず忙しい毎日だが、今日はユーリにもラピードにも会えてよかったと思いながら、フレンはさっきまでだるかったはずの体の疲れを忘れて、ラピードを抱きしめた。








そんな微笑ましい、しかし見ようによっては際どい騎士団長代理の美青年と大型犬の戯れは、市民街の中央噴水場前でかなり目立っていた。
噂の騎士ともなれば注目を浴びて当然だが、犬に押し倒されて楽しそうに撫でている姿は一部の市民の心を射抜いたようで、本人非公式の親衛隊が増えることとなった。
そして、商店街を一巡して帰ってきたユーリはその光景を見て、口元を引き攣らせたのだった。
「ぁあっ!? ラピードだけズルいぞ!」
「ちょ――青年!?」
ユーリは突然そう叫び、購入したアイテム類をレイヴンに押し付けて、大人気もなく2人のもとへ走っていく。止める間もなく行ってしまった背に、レイヴンはあちゃ〜っと額に手を当てて呻いた。
しばらくと経たず、辿り着いたユーリがフレンを押し倒すラピードの上に圧し掛かり、重みに耐えかねたフレンの哀れな悲鳴が響いた。








END











ラピフレのはずなのに、何故かユーリが乱入した;;
いや…ラピードのものは俺のものでもあると、ローウェル氏が主張されますので……なんて、冗談ですゴメンナサイ。

そして初めて犬語の訳を書きました。
ちょっと合ってるかどうか不安です; GGのソルっぽいしゃべりだなと思いながら見てたのですが、基本的にラピードは義理人情の厚い性格なので、冷たくならないように加減するのが難しかったです。
フレンと接しているときはちょっとテンション高めな行動してますけどね、ラピードは(笑)

大怪我した時に看病したとか、その辺りのエピソードはあまり詳しく描かれてなかったので勝手にねつ造しました。
…サブイベントちゃんと拾ってなかったけど…なかったよね?(汗)