この世界から、魔導器が消えた。
事情を知る帝都やダングレストでは、それが人間が生き残るために支払った代償であると知っている者は多いが、まだ知らぬ人々も多い。
星喰みが消え去り、それを成し遂げたユーリ一行の凱旋をフレンはヨーデル殿下と共に、帝都ザアーフィアスにて迎えた。
しかし、魔導器の消失による世界の混沌が大きかった為、あくまで形式的なものであり、英雄を称えるには随分と質素で手短なものだった。事のあらましと報告、問題点やこれからの活動の方針などの会議が主で、支援活動の地域を割り当てが済むとすぐに各々が担当地区へと向かうこととなった。
せめて1日でも休息をと勧めるヨーデルやフレンの言葉を、しかしこれは自分達の為したことによる責務であると、ユーリ一行は断るに至った。
これから先は長いのだから、絶対に無理はしないようにと念を押すフレンに、ユーリはお前もなと笑って言って、ザーフィアスを発った。


――あれから半年。
未だ2人はそれ以来、一度も再会を果たしていない。





うつつをさ迷いて





効率よく世界の復興を進めるとなれば、戦力を分散させて働きかけるのが一番早い。被害の程度や支援する者の手腕で復興速度は変わるが、担当する地区が被らないようにするのは、人材の少ない今は当然の成り行きだ。
そしてバウルという極めて行動範囲の広い移動手段を持つユーリ達が、偏狭の地域を回ることが多くなるのは必然だった。対して、騎士団の活動する地域は帝都やオルニオンなどが中心となり、少なくとも船の着けられる都心中心の行動範囲になる。
そうして必然的にフレンとユーリが会うことのない状態が続いて半年、ユーリはある日移動の最中に無理を言ってオルニオンに一晩泊まることを仲間に頼んだ。
ただ眠るだけで構わないからと、夜中に訪れて宿を取ったのは、どうしてもフレンの顔を一目見たかったから。
最初は恋しさや欲求が強かったが、半年も経つとそれ以上に安否が気遣われて、とにかく無事な姿を見たいという気持ちがユーリの心を占めた。また無理をして倒れてるんじゃないかとか、ちゃんと食事は摂ってるんだろうか、睡眠時間は十分だろうか…など、まるで我が子を思う母親の心境に近付きつつある。
まだ世界は安定していないし、やることも多い。だが、このままやきもきしているよりは少しでも様子を見に行って安心した方がマシだとユーリは考えた。立場上フレンは勝手な行動を取れないのだから、こちらから会いに行くしかないと腹を括り、フレン隊がオルニオンに駐屯しているという情報を掴んだ時、ユーリは滅多に下げない頭を下げて仲間に寄り道を頼んだのだった。
そしてお忍び宜しく、フレンが寝泊りしていると思しき騎士団本部の戸を、ユーリはそっと叩いた。
「……?」
しかし返事はなく、ユーリは少し首を傾げる。夜中とはいえど、まだ大人は普通に起きていておかしくない時間帯だ。もしかしていないのだろうかと不安に駆られつつ、ユーリは試しにドアノブを回してみた。
すると、当然のように扉が開く。こんな夜中に鍵も掛けないなんて無用心すぎるぞと、自分の不法侵入を棚にあげて胸中で小言を言いながら、ユーリはそのまま中に体を滑り込ませた。
狭い簡素な部屋を見渡すと、ランプが一つだけ灯った薄暗い中で、フレンが机に突っ伏して眠っていた。疲れて途中で眠ってしまったようなその態に、ユーリは苦笑する。
音を立てないように気をつけて、ユーリはフレンに近付いた。羽ペンを握ったままだらんと両手を差し出したような状態で首を傾いだまま眠る様が、普段の凛とした彼のイメージとは違っていて面白い。
しかし気を抜いているというよりは、疲労が色濃い様が見て取れて、ユーリは眉を顰めた。そろりと手を伸ばし、前髪を掻きあげる。いつもは透き通るように白く瑞々しい肌が、少しかさついていた。目の下の窪みも、遠目では分からないだろうが近くでは濃くなっているのが見て取れる。
そのまま額から首筋へと指先を滑らせると、今までどんな時も綺麗に切りそろえられていたはずの襟足が、伸びかけているのに気付いた。髪を整える暇さえなかったのかもしれない。
とりあえずは無事なようだが、あまり芳しくないフレンの様子を目の当たりにして、ユーリは眉間に皺を寄せた。フレンが今の立場である以上、どうしようもないことだとは分かっているが、相当な負担を強いている事実に胸が塞がる想いだった。
少し挨拶しようと考えていたユーリだったが、流石に疲れたように寝入るフレンを起こす気にはなれず、今日はこのまま帰ることに決めた。置き土産代わりにと思い、ユーリはフレンの項を露にし、そこへ口付けを贈る。
「ん…っ」
「!」
だが、その感触にフレンが呻いて身じろいだ。慌ててユーリは離れるが、フレンは長い睫を震わせて、夢うつつな蒼い眼を開く。
「……ユー、リ…?」
傍に立つユーリを見上げ、フレンはとろんとした眼差しで問いかけた。無意識であろう、ユーリの姿に気付いてふわっと微笑むフレンの顔に、不覚にも鼓動が早まる。
うわ……やっぱ可愛い。
男に、しかも180も上背のある相手に可愛いはないだろうと頭の片隅で思うが、やはり可愛いものは可愛い。思わず再び近付いて頬に手を伸ばすと、フレンが少し顔を上げ、ユーリの手に自らのそれを重ねた。
擦り寄るように頬を寄せて、フレンが微笑む。
「ユーリ……久しぶりだね」
「…お、おう」
眼を細めて嬉しそうに笑うフレンに、柄にもなくドギマギして、ユーリは手を取られたままぎこちなく頷いた。
「でも……起こして悪かったな。ベッドまで連れてってやるから、ちゃんと寝ろよ」
気を遣ってか、ふらりと立ち上がるフレンを咄嗟に支え、ユーリは近くのベッドに視線を向ける。しかしフレンは緩く首を横に振り、ユーリに擦り寄ってきた。
「いい……。せっかく君が来たのに、寝るわけにはいかない…」
「眠そうな顔でいっても、説得力ねぇぞ。……ほら、こっち来いって」
項垂れたまま縋り付くように服を掴んでいるフレンを立たせて、ユーリはベッドへ誘導する。だが、寝かしつけようと支える手を緩めた途端、いきなりフレンに強く押し返されて思わずよろめいた。
「わ…っ、何すんだ!」
こちらの方が先にベッドに乗っかってしまい、ユーリは俯き加減のフレンを睨み付ける。ゆらりと不安定に立つフレンは、眉をつり上げて怒るこちらを少し拗ねた表情でねめつけた。
「僕が寝たら……帰っちゃうんだろう?」
「そりゃそうだろ。お前、疲れて……」
「じゃあ寝ない。帰さない」
ユーリの正論を、むすぅっと頬を膨らませてフレンが突っ撥ねる。普段はあまり見せない、子供っぽい意地っ張りなところが前面に出ているのを見て、こいつ半分寝ぼけてるな…とユーリは確信した。絶対に部下や街の人々の前ではしない反応だ。
気を許しているからこそだと思うと嬉しい反面、今はあまり有りがたくない。フレンがどう主張しようと、体力的に限界が来ているのは分かりきっていた。
ユーリは長い髪を鬱陶しげに掻き上げ、ため息をつく。
「しょうがねぇな……来いよ。一緒に寝るんならいいだろ?」
妥協点を見つけて、ユーリはフレンに手を差し伸べた。フレンはうつろな眼で、ちょいちょいと指先で手招くユーリの手をじっと見つめた。
聞こえているんだろうか?と疑いたくなるほど間を空けて、フレンは少し面白くなさそうな顔でこくりと頷いた。いつもとは比べ物にならないほどの緩慢な動きで、ユーリの手にひんやりした手を重ねてくる。
ぐいっと引っ張ると、崩れるようにフレンがユーリの胸に寄りかかってきた。
「ごめん……ユーリ」
「ん?」
フレンを抱きしめて後ろにゆっくり倒れるユーリに、すまなさそうに謝るくぐもった声が届く。乗っかっていたフレンを横に移動させ、ユーリは腕枕をしてやりながら笑った。
「別に謝るようなことじゃないだろ」
「でも…、抱かれる約束……果たせてない……」
白い頬を薄く桃色に染め、フレンがこちらを窺うように見る。上目遣いのそれに、思わず下半身に熱が溜まりそうになったユーリは、慌てて視線を逸らせた。そういう顔で、そういう台詞を言わないで欲しい。
「……時間はいくらでもあるんだから、焦ることないって」
「でも……」
「いいから。お前はもう寝ろって」
しつこいフレンに、シーツを頭まで被せる。一瞬固まるが、思い出したように中でもごもごと蠢き、クセのある金髪を乱してフレンが顔を半分を出した。
「本当に、ごめん……」
「だから、もう謝んなって言……」
言い募るフレンに、ユーリがため息まじりにそう言いかけた瞬間、突然フレンの顔が近づいた。そして唇に塞がれ、言葉を呑み込む。
しっとりと触れるだけのキスをして一旦離れ、鼻先が触れ合う距離でフレンが苦笑した。
「今度、ちゃんとするから……見捨てないでほしい」
「……は!? 何言ってんだ、お前」
思わぬ言葉に、ユーリは本気で呆れた声をあげた。最初から見捨てられるなら、袂を分けたときに既に見捨てている。忙しい、会えないが理由で嫌いになるなら、そもそも上を目指そうと一人で立ち向かうフレンを好きになどなりはしない。
その生き様と人格に惚れたのなら、尚更。
「……ばーか。とっくに手遅れだっつーの」
「え……」
「どうやったって、お前から離れられないんだよ。俺は」
眼を瞬くフレンに、今度はユーリから口付ける。笑いながら唇を割って舌を入れると、抵抗なくすんなり迎えられた。視界いっぱいに広がるフレンの蒼い瞳が、熱を帯びてこちらを見つめてくる。
探るように歯列をなぞり、熟れた舌を突く。不意打ちのように口蓋を舐めあげると、密着した体がぶるりと震えた。
一瞬恐れるように強張る手で、フレンはユーリの服をくっと掴んだが、尻込みしかけた舌を思い切って差し出してきた。予想外にフレンの舌が強く絡みつき、ユーリは思わず呻く。
負けじと吸いあげると、濡れた音がいやらしく静かな部屋に響いた。
「…っ。なんだよ、好きに…させてくんねぇの?」
「だから…そんなに、ヤワじゃない…って…」
「はは…。違いねぇ」
――でも、今日はもう寝ろ?
頬を染めながら拗ねた表情を見せるフレンに、ユーリは悪戯っぽく笑い、その綺麗な両目を掌で覆い隠した。フレンの体調のためにも、自分のムスコのためにも、これ以上煽られるわけにはいかない。
ユーリの気遣いのほどは理解してくれたのか、一瞬剥がそうとユーリの手を掴んだフレンは、すぐに力を抜いた。
「わかったよ……おやすみ、ユーリ」
「ああ。……おやすみ」
少しはにかんだように笑うフレンの口元を見つめ、ユーリも微笑む。そして、数分と経たずにフレンの体から力の抜けていった。窺いつつユーリがゆっくり手を離すと、あどけなく眠るフレンの顔が現れる。
せめて、朝までは傍にいよう。
そう思い、ユーリは安心しきったように体を預けるフレンを片腕で抱き寄せ、目を閉じた。何年ぶりかのぬくもりに、ユーリは自然と笑みをこぼして眠りに落ちていく――。


今更、時の流れや距離で壊れるほど、俺たちの絆はヤワじゃない。
そうだろ? フレン。





END









あれー、ヤリ損ねた★(^p^)
意外…というか予想以上にユーリが紳士的だったよ(ヘタレともいうが)。
次こそ…!