高度4000mの上空に浮かぶ、一つのボロ船。それをぶら下げる高度生命体のバウルは、生まれつき眠そうな眼を前に向け、今日も世界を漂う。
腹の辺りで同行人達が賑やかだが、それは与り知らぬ事。
友達の友達と言えど、流石にそこまで面倒見る気はない。


「は〜い、出来たわよ〜。子ども達〜」
「なに、その気持ち悪い掛け声」
フライ返しを持って、体をくねらせながらそう叫んだレイヴンに、半眼を向けてリタが冷たくツッコんだ。
しかし辛辣な扱いには慣れているのか、レイヴンは気にすることなく『お母さんごっこ』のまま、近寄ってきた仲間達に出来上がった料理を振舞う。同じくいちいち相手にするのが面倒くさくなったのか、ユーリやジュディスはひらひらエプロンのレイヴンを完全にスルーしてテーブルのものに眼を向けた。
「あら、オムレツ? 美味しそうね」
「でしょ〜。うまくいったのよ〜。ささ、ジュディスちゃん食べて食べて♪」
手を添えてウフフなどとダミ声で言われ、カロルが心底嫌そうな顔でその様子を眺めている。言われた当人は気にすることなく、いつもの何を考えているのか分からない微笑みを浮かべたまま早々に席へ着いた。そのあとに姿を見せたエステルは、テーブルの上に並ぶオムレツに歓声をあげる。
作った当人はともかく、確かにオムレツはふわふわでプロ顔負けの出来映えだった。
ユーリも静かに席に着き、黄金色に輝くそれをじーっと見つめる。
「黄色……」
忙しさで若干やつれた顔で、ユーリはぼそりと呟き、スプーンを鷲掴んだ。うつろな眼差しのままオムレツの載った皿を引き寄せ、つつく。
「ふわふわ……」
「……ちょっと?」
オカシなユーリの様子に、リタが怪訝な眼差しを向けた。しかしユーリはそんな視線も声も聞こえないのか、いただきますもなく食べ始める。
「どうよどうよ、青年! 蕩けるような食感がたまらないでしょ〜?」
どこのオカマバーかと思わせるような動きで、レイヴンが近付いてユーリに感想を求めた。それを気持ち悪げにリタとカロルは眺めやるが、食べることに専念しているユーリは全くそちらを振り返りもしない。
もくもくとオムレツを頬張り、ぼんやり虚空を見上げる。
「うん……とろけるな〜……」
「でしょ!? でしょ!!?」
珍しいユーリの肯定に、万歳三唱でもしかねない勢いでレイヴンが歓声をあげた。
有頂天に気持ち悪く舞うレイヴンは放置で、リタとカロルは少し薄気味悪げにユーリを見る。
「……ユーリ、どうしたの? なんか変だよ」
「魂抜けてそうな勢いよね……」
あまりに精彩を欠いたユーリの呆けぶりに、流石に二人も冷や汗を流す。確かに魔導器がなくなってから、弱小のはずの凛々の明星も忙殺される日々だが、ユーリの疲弊っぷりは尋常ではない。
心配げな眼差しを受けていることに頓着するでもなく、半分ほどまで食べたユーリだったが、唐突に俯いて拳でテーブルを叩いた。
「ああぁぁぁぁぁ〜……!」
「!? ちょ、何、大丈夫アンタ!?」
いきなりの奇行と呻き声に、リタがびくっと肩を跳ねさせた。カロルも驚きながら、心配そうに見る。
しかしユーリは二人の言葉も耳に入らないのか、ぎりぎりスプーンを握り締めながらテーブルに突っ伏して叫んだ。
「うぁぁぁぁ…フーレーンー! 美味いけど、オムレツよりフレンの方が食いてぇぇぇ!」
「真昼間から言うことじゃないわよ、ユーリ」
淡々と自分のオムレツを平らげながら、ジュディスが相変わらずの笑顔のまま窘める。心配そうだったリタとカロルは、途端にげんなりした表情を浮かべた。
どうやら、オムレツの黄色とふわふわ感にフレンを連想させてしまい、寂しさが爆発したようだ。
「大の大人が……ホント、馬鹿っぽい」
アダルティさが香る二人の会話に、リタが冷やかな視線を向ける。本人は特に明言しているわけではないが、ユーリがフレンを好いているのはメンバーの誰もが知るところだ。
長旅が続くと、フレン不足で騒ぎ出すのは今に始まったことではなかった。
「じゃあ、少し進路を変更しましょうか。バウル、お願いね?」
完食したジュディスが、上空の友を見上げてにこやかにそう言う。周りのメンバーにも顔を向けるが、特に問題ないでしょう?と問いかけるその眼差しに、異論を唱える者はいなかった。
なんだかんだで、ユーリが普段から頑張っているのも知っているし、頼りになるも分かっている。多少の私的な寄り道くらいは大目にみようというのが、口にしないが全員の意見だった。

ジュディスの言葉を受けて、バウルが進路変更を了承する低い汽笛のような声と、いぬごはんを用意するのを忘れてラピードに噛みつかれたレイヴンの悲鳴とが、大空で同時に響いた。



酒は飲めども…




「……なんで、こんなことになってるんだ……?」
ギルドとの会議を終えて、言伝て通りに酒場・紅の流星群にやってきたフレンは、目の前に繰り広げられた光景に思わずうめいた。
ここはギルドの街、ダングレスト。親睦を深めるため、帝国の代表としてフレンは会議に出席していた。その旨は帝国にも、現在フレンが暫定統治者であるオルニオンにも伝えてあるため、フレンがこの街にいることを知るのはさほど難しいことではない。
よって、凛々の明星が自分を訪ねてこの場に来ているのはおかしなことではなかった。むしろあまり会えない今の状況下では、訪ねてきてくれるのは嬉しいとさえ思う。
だが、しかし。
「よぉ〜…、フレン! マジで待ちくたびれたぞテメ〜。もうちょっとで、寝ちまうとこだったろーがぁ」
「……むしろ眠っててほしかったと心底思うよ、僕は」
「ぁ〜んん? なんだとテメェー…可愛くねえぞコラァ」
真っ赤な顔で半眼のまま不機嫌に抗議するユーリに、フレンは溜め息混じりに本音を吐き出す。本当に、眠ってくれていればまだマシだったと、急にズキズキ痛み出した頭を押さえてフレンは思った。
部下からの言伝てで、ユーリが酒場で待っているとの知らせを受けて嬉しかったのも束の間、ここへ踏み込んだ瞬間にその気持ちは無惨に消え失せた。
まさか、あのユーリが泥酔しているなんて。
「流石に飲み過ぎだ。体に悪いし、店にも迷惑だよ」
「あ、オイっ。返せよ、俺の酒!」
思わずツカツカと歩み寄ったフレンは、ユーリの手から酒瓶を取り上げた。ユーリは不満げに返せと連呼しながらも、体が言うことを聞かないのか、テーブルから上体を離せないまま手で空を掴むのみだった。盛大に溜め息をつき、フレンは取り上げた酒瓶をちゃぷんと揺らして見つめる。
本来酒に弱いのはむしろフレンの方で、ユーリは多少の酒などケロリと飲み干してしまう方だった。だが、テーブルに並ぶ空き瓶の多さを見るに、流石に許容量を越えてしまったらしい。
同じく成人メンバーのレイヴンが、近くの床に転がったまま苦笑いでこちらを見上げてきた。
「いや、ごめんね騎士さま。待ってる間に飲み比べしてたら、こんな有り様になっちゃってさ〜」
済まなさそうに笑うレイヴンは、ユーリと違って意識もはっきりしているようだ。うつろな目でテーブルを叩いて抗議するユーリを無視して、フレンはレイヴンに近付いた。
「会議が長引いてしまいまして……でも、何もずっと待っていなくても良かったのに」
「うん、俺もそう言ったんだけどぉ〜…。今日こそ会うんだって、青年が珍しく我を張っちゃってねぇ」
「……」
「まあ、あんま怒らないであげてちょーだい? 酔いがすぐ回っちゃうくらい、やつれ気味に頑張ってたからね」
苦笑いのなかに神妙さを滲ませたレイヴンの言葉に、フレンは押し黙った。よく見れば、確かにユーリは前より痩せているように思える。きっと、本人は大丈夫だと言い張りながらも、弱っていた体がアルコールに耐えられなかったのだろう。
「全く……どうしていつも君は……」
ユーリを詰る言葉を口にしながら、フレンは自分の不甲斐なさに溜め息をついた。自分がもっとしっかり働けば、ユーリに負担を回さずに済んだかもしれないと思うと、情けなく感じる。
「……で。とりあえず、おっさんを起こしてほしいな〜なんて思ったりするんだけど」
「あ……すみません、シュ…じゃなかった、レイヴンさん。肩をお貸ししますので、どちらに行けばよろしいでしょう?」
力が抜けきっているレイヴンの腕を取りながら、フレンは尋ねる。どうやらレイヴンは酔うと体が動かなくなるタイプらしい。その分、意識ははっきりしているようで、酒場の二階の方に目配せして笑った。
「ここの二階、宿屋になってんのよ。全部貸しきってるから、階段から右側は女性陣、左側が野郎共って感じになってんの」
「では、左側の部屋ですね」
レイヴンの腕を肩に回したフレンは、ふらつく体を支えながら階段を目指そうと歩き出す。
しかし騎士服のマントをぐいっと引っ張られ、フレンは驚いて後ろを振り返った。
「浮気者……」
「……え?」
「男なら誰でもいいのかよチクショー」
「ちょ、ちょっと……なに言ってるのユーリ!」
うらめしげな目で睨みながら、ユーリがとんでもない勘違い発言をする。酔っぱらいのくだ巻きだと分かっていながらも、思わずフレンは顔を引きつらせた。
「なんで、そういう解釈になるんだい……!?」
「だって、部屋に連れ込もうと……」
「してないよ! 部屋に運ぶだけだ!」
「どうせそのまま、朝までヤる気……」
「そんなわけないだろッ! 相手はオッサンだ!」
「うわ。ちょー傷付くよ、その言い方ぁー」
「あ、ご、ごめんなさいッ。思わず売り言葉に買い言葉で……」
「やっぱシケ込む気なんか〜フレン〜!」
「――あーもう、うるさいッ! 馬鹿ユーリ!」
思わずキレたフレンは、反射的に思いきりユーリの頭を叩いてしまっていた。
ゴツッと鈍い音が響いたあとには、テーブルに額をぶつけて目を回したユーリが突っ伏す光景が出来上がっていた。
「あーあ……」
「うわわッ、ど…どうしよう!」
まさかの暴力沙汰に、レイヴンが哀れみの声をあげる。フレンも自分のやってしまった事態に戦いて、冷や汗を浮かべた。
酔っ払い相手に手をあげるなど、騎士団長代理としてあるまじき行動だ。なにより、本来なら友として疲れているユーリに労いの言葉のひとつでも掛けなければならないというのに、まさか殴り付けるなど……。
真っ青になって固まるフレンに、レイヴンが寄りかかったまま苦笑いを浮かべた。
「ま、ちょうどいいじゃないの。静かな今のうちに、オッサンを上まで運んでちょうだいよ。そしたらその後は、青年を運ぶだけで済むじゃない」
「しかし……」
「そしたら、青年に心置きなく弁明もできるし? 久しぶりに二人でいられるじゃないの」
こちらの心情などお見通しとばかりに、レイヴンが片目を閉じて笑いかける。恥ずかしさに頬を染めたフレンは、やはり年長者には敵わないなと苦笑を滲ませた。
「すみません、ではそうさせて頂きます」
テーブルに突っ伏したままの黒い後頭部を見やり、フレンは柔らかい笑みを浮かべた。






ユーリが女の子ならば良かったのに。
そんなことを人生初めて思いながら、フレンはベッドの端に座り込んで息をついた。その横で、当の本人は眉間に皺を寄せて呻きながら、ベッドに沈んでいる。
自分と同じ体格の相手を部屋まで連れて行くのは、予想以上に大変だった。特に、レイヴンのように意識があるわけでもなく、背負うこともできない相手は俵持ちをするにしても、かなりの重労働だ。
フレンは荒い息をつきながら、こんなにも差はなくなってしまったのだな、とふと思った。いやむしろ、今ではユーリの方が自分よりも勝っているかもしれない。体力面にしても、精神面にしても。
見ない間に少しやつれたように思うユーリの顔を覗き込み、フレンは薄く笑みを貼り付けた。昔は剣の腕にしてもかけっこにしても勝てていたのに、今ではそれに勝てる自信がない。
ずっと前から好きだったが、何をやっても自分が勝てない相手に告白なんか出来なかったと、ユーリはフレンと両思いになってから白状した。そんなことなど気にせず言ってくれれば良かったのにと、フレンは赤い顔で文句を言ったものだが、確かにユーリの立場になって考えてみれば、男としてのプライドが邪魔をして無理だったろうと少し思う。
だが今は、対等どころかフレンはユーリに多くの借りを作ってしまった。ユーリの行いは決して正当に評価できないものも含まれているが、その時その場においてもっとも望まれることを行ってきたのは確かだ。
自分の一番大切な人の上に成り立った名ばかりの騎士団長代理は、今もフレンの胸に鈍い痛みを伴わせていた。
「……本当に、僕なんかでいいのかい? ユーリ」
聞いていないと分かっていて、フレンは眠るユーリに問いかける。面と向かって聞くには、答えが怖かった。
いつも傍にいられるわけでもない、しかも公にはできない同性の恋人など、何のメリットがあるだろう。恐らくはユーリに対して恋に似た憧れを抱いているだろうエステリーゼと恋仲になる方が、よほど幸せだ。身分の差はあれども、すでに皇帝の地位をヨーデルに譲っているエステリーゼは、ひとりの貴族にすぎない。本当は絵本作家を目指しているそうだが、現状報告する役としてユーリと共に世界を旅する彼女は、ユーリにとっても一番近しい存在だ。
……もう少し早くに。ユーリが騎士団に居た頃、あるいはそれ以前に思いを打ち明けていれば、少しは今と違った状況だったのだろうか。
そんなことを、最近フレンは思ってしまう。忙しさの合間に、ふと弱気になる。
暗い思考へと沈んでいく自分に気付き、フレンは打ち払うようにふるりと首を振った。とりあえず今は、そんなことを考える余裕がある現状ではない。
ため息を吐き出しつつ、フレンはシーツを掴んでユーリの肩まで深く被せた。そして自分が取っている宿へと帰ろうと腰を上げかけた瞬間――、急に腕を強く引かれた。
「行くなよ」
「……ッ!?」
不意打ちにベッドへ倒れてしまったフレンの耳に、低いユーリの声が聞こえた。まさか起きていたとは思わず、フレンは驚きに目を瞠る。
何のリアクションも取れずに固まるフレンに、ユーリが至近距離で眇めた目を向けた。アメジストの瞳に射抜かれ、フレンは息のかかる距離で見つめ返す。
「俺は、お前がいい……」
「ユー…リ?」
独り言のような、小さな呟き。それを信じられない思いで聞いてしまったフレンは、思わず視線をさ迷わせた。掴まれたままの腕に、更にきつく力が加えられる。
「フレン……」
「…ぇ、…ちょっと……ユ、ユーリっ?」
据わった眼で見つめながら、ユーリが唐突に上体を起こし、フレンの体を強引に組み敷いてきた。返されないはずの問いに返答があったことに、まだ脳内がフリーズしたままだったフレンは、強い力に抵抗する間もなくユーリに圧し掛かられてしまう。
「なに……ユ、…ッ!」
混乱したままフレンが行動の意味を問おうとした途端、ユーリが首元に噛み付いてきて息を呑んだ。熱く湿った吐息がかかる距離に顔を埋められ、柔らかい肌を甘噛みされる感触に、ぞわりと悪寒が項を這う。
「…ぅぁ…っ。ちょっと、や…めろ! ユーリ!」
急な行動に不意を突かれて止まっていたフレンだったが、身を摺り寄せるように抱きしめてくるユーリの腕と、味わうように首筋を舐める舌に、一気に正気へ立ち返った。しかし困惑と同時に快感を拾ってしまったフレンの体は、抵抗しようとしてもろくな力が入らない。
圧し掛かる体を押しやろうと、震える腕でもがくフレンだったが、ユーリには何の障害にもならないのか、予想外の手の早さで詰襟の騎士服を剥ぎ、腰の辺りから腕を入れてめくり上げてきた。身動くたびに肩や腕の鎧が微かに金属音を立てるが、ユーリは全く構う様子がない。
「フレン……!」
切羽詰ったようなユーリの声と荒い息遣いに、フレンは体を強張らせた。男としての衝動が剥き出しのユーリを初めて見たフレンには、まるで知らない人がそこに居るかのような錯覚に陥る。
……こんなユーリは、知らない……!
混乱と緊張が一気に押し寄せてきたフレンは、頬に血を昇らせ――思い切り腕を振り上げていた。
「こ……虎牙破斬ッッ!」
「ガハッ!?」
技名を叫びながらの渾身の一撃は、ただのアッパーと化していた。
しかし酔っ払ったユーリを沈めるには十分な威力だったらしく、部屋は再び沈黙に包まれた……。





翌日、目を覚ましたユーリは昨晩の記憶がすっぽり抜け落ちていた。
後頭部と顎の打撲痕に気付き、その理由をフレンに聞いたが『知らない』の一点張りだったとか。





END




あれ。なんか、ただのコントに……^^;
カッコイイユーリ像がどんどん崩れていくな…orz