建国してまだ数年という若さで、ここまで争乱に巻き込まれて傾く国は近年においてなかったかもしれない。
そんなことを頭の片隅で自嘲気味に考えながらも、カイは部下からの報告を受け、襲撃者の迎撃策を練っていた。
とはいえ今の現状では、撃退どころか被害を最小限に留めることさえ危ういというのが正確なところだろう。突如として現れた謎の襲撃集団は、一切の法力を受け付けないという性質を持ち、連王国騎士団は敗退の一途を辿っていたのだ。
一方的に攻撃され、部下が次々と命を落としていく最中、せめて一矢報いようと法力が効かない原因を突き止めようとするが、それも明確に分からぬまま城前まで侵略を許してしまった。
「陛下、城の周りを囲まれましたッ! 猛攻が激しく、門も長くは持ちません!」
「……分かりました」
固い声で答え、カイは傷付いた部下を下がらせた。
城の外からは、絶えず爆音と叫びと悲鳴が聞こえてくる。できれば二度と聞きたくはなかった、戦場の音。
幾合にも切り結び、ぶつかり合う剣の金切り声。燃え盛り絡みつく、灰と血を撒き散らす炎のロンド。香ばしく漂う、焼け爛れた肉の匂いと、鉄錆を思い起こさせる血の匂い。
埃に白む視界に眉を顰めながら、砂利を噛み、芯の震える体。興奮か絶望か、それさえ判断のつかない狂気と理性の狭間。
もう、訪れることはないと。……いやせめて、あと数年は先であるはずだと思っていた動乱の気配。
「神よ。やはり私には……平和が似合いませんか」
「?」
唇も動かさずに呟かれた独白は、カイ自身の耳以外には届かずに、喧騒へと溶けていった。背後の巨大なステンドグラスからは、雷鳴が響くのみ。
問いに、神が答える気配はない。だが、カイもまた答えなど求めていなかった。何故なら、カイが神の存在を認めたことは今まで一度もなかったからだ。
祈りも、叫びも、懺悔も。神に届いたことは、ない。救いの手を差し伸べられたことも、一度としてない。
――だから、カイは信じる。多くの民が縋り、信じる神への強い想いを。
その想いは、決して不確かなものではないから。強い意志は、強い行動力を生む。死への絶望は、生への渇望と変わる。
カイは眼を眇め、近くの大隊長の方へと振り返った。
「兵士の中で、まだ訓練を受けて1年未満の者は何名くらいいますか?」
「え……はいっ。恐らくは……40名ほどはいるかと」
厳しい表情でカイが問うと、唐突の質問に戸惑いながらも大隊長は近付き、膝を折って答える。
まだ成立してさほど経っていない為、新兵が比較的多いことは否めない。実践経験のある者となると、更に数字は大きくなるだろう。元老院からの策略か、聖戦で活躍した者達は国際警察機構に留められ、イリュリア連王国に引き入れることが叶わなかったのだ。型にはまった訓練と知識しか得ていない兵士が多いのは、どうしても否めない事実だった。
だが、今のカイの思惑はそれとは逆にある。
「では、半年未満の者はどれくらいですか?」
「……その半分ほどかと、思います」
更に経験の浅い者の数を問うと、大隊長は不安げな表情を浮かべながらも答えた。こちらの考えが読めないのだろう、窺うように片膝をついたまま見上げてくる。
それを安心させるように薄く微笑み、カイは指示を出した。
「入団して半年未満の兵士達を、奥の間に招集してください。あと、結界魔法の得意な術師を3名ほどお願い致します」
「はい。……しかし、何故……」
了解はしたものの、疑問が抑えきれずに兵士が理由を問う。しかしそれには黙したまま答えず、カイは行くように促した。
不安な表情を覗かせながらも、大隊長は一礼するとすぐに身を翻す。その背を一瞥して、カイは傍らの護衛兵2人の方へと振り返った。
「彼の集団の狙いは、この城もしくは私の首でしょう。自宅避難により住民の被害が少ないことと、この城を真っ直ぐに攻めてきたことが何よりの証拠です」
周囲に佇む術師や司令官などにも聞こえるよう、視線を巡らせてカイは推測を語った。国の転覆が狙いならば、住宅地の占拠があって当然だが、それがない。交渉や要求も無く、ただ一直線に城を目指すのは、そこにしか目的のものがないからだろう。
たとえば、最強国の象徴ともいえるイリュリア城の陥落。あるいは、連王が一人カイ=キスクの死。
……そしてあるいは、この城の奥に隠されたもの……。
カイは腰の剣を掴み、抜き放った。まだ扱い始めて数日という、真新しく装飾の多い大剣。
共に戦場を駆け抜け、カイと同じくギアの血を浴び続けた白刃の神器は、もう手元にはない。
「警鐘を鳴らし、国民を首都外へ避難させよ! 国民の安全を第一とする!」
重厚な剣を構え、カイはしばらく震わすことの無かった喉を張り上げた。天井の高い玉座の間に、凛とした声が響き渡る。
「今より正門を開放し、全軍を以って迎え撃つ。戦闘力の無い者、体調を害している者は迷いなく退避せよ。多くの者に平和と幸福を齎す事こそが、我等国家の義務である。自身もその対象であることを肝に銘じ、無理な戦いは避けるよう努めよ。この度の戦い、生き残ることが勝利と思え!」
振り下ろした剣と共に、応じる声が講堂中に沸いた。奮い立つ叫びが、空気を震わせる。
国旗を背負った青い衣装を翻し、カイは先頭を切って階段を駆け降りた。
先を行く白い背が、不意にピタリと止まった。
シンが何かを覗き込むように身を屈めているのに気付き、ソルが視線を向ける。
「なあこれ、オヤジじゃねぇ?」
「ぁん?」
言われた意味が分からずに、ソルは御座なりな問いを返した。しかし少し首を傾ぐと、賞金首の貼り出しがシンの前にあるのが窺える。
「字は教えただろ。……読んでみろ」
大半がシンの体で見えない為、ソルはそう言ってシン自身に読み上げさせようとした。だが、シンはちらりと肩越しに嫌そうな顔をして見せる。それに睨みを利かせると、舌打ちしてシンは貼り出しの紙へと視線を戻した。
「えーっと…、うぉんてっど……でっど、おあ、あらいぶ?」
「……生死問わず、か。カイの呼び出しだな」
ひどい英語を聞いていられず、ソルは遮るようにその真意を口にする。
ソルが賞金首にされているのは、GEARだとバレたわけでも、今までの罪状が露見したわけでもなく、世界中を旅して連絡を取れないソルに呼びかける為に、カイが用いる手段の一つだった。しかも本来ならば賞金稼ぎであるソルを賞金首に仕立てるという乱暴なやり方は、それだけ緊急性があるということだ。
闇の中で、泣き続けるカイの顔が脳裏を過った。
「……イリュリアに行ってみるか」
「えッ…マジかよ!?」
イリュリアという単語に、シンが嫌そうに顔を歪めて叫んだ。シンがカイを嫌っていることは重々承知だが、何か胸騒ぎがする。
見上げた空は、どんよりと曇っていた。
一体、どれだけの敵を屠っただろうか。
ただひたすら剣を振るい、感覚の麻痺した手で流れる汗を拭う。どれだけ時間が経ったのかも、もはや把握できなくなっていた。
通用しない法力はすべて、回復と補助に回した。だが普段より肉弾戦を強いられる戦い方は、体力の消耗を著しくしていく。敵の魔法も防げず、完全に避けるより他なかった。
隊長、司令官クラスの部下さえ、一人また一人と倒れていく。如何に優秀な戦士とて、攻撃手段の半分を封じられれば力を十分に発揮できない。
臨機応変に戦えるよう、鍛えるべきだったかもしれないと今更思いながら、カイは荒い息を吐いて剣を握り直した。大振りの剣は重く、腕の関節が悲鳴をあげる。最低限の訓練はしていても、自分の体が鈍っていることを実感した。
全盛期を越えてしまったのだろうか。二十歳を越えて衰え始める肉体に、カイは改めて焦燥を抱く。どうしてこうも、日が経つにつれ目標から遠ざかっていくのだろう。
負けたくない。まだ死ねない。熱を持つ裂傷と打撲に歯を食い縛りながら、カイは迫り来る女性型の敵を斬り飛ばした。手応えはあるのに、敵は一様にどこか無機質的で不気味だ。ひたすらに数が多いのもまた、終わりのない恐怖に駆られる。
「申し、わけございま…せん……陛…、ゴッ、ボ…!」
血を吐きながら、最後の衛兵が倒れた。広がる血溜まりと動かなくなった姿に、事切れたのだと分かる。
反射的にカイは講堂の入り口へと視線を走らせた。そこからは、衰えることのない勢いで続々と敵が侵入してきている。
目眩と共に、思わず自嘲の笑みを貼り付けた。
「……すみません。私もすぐに、そちらへ行くことになりそうです」
すでに物言わぬオブジェと化した兵士にそう言葉を掛け、カイは痺れる腕を振り上げる。飛びかかってきた敵の攻撃を弾き、大きく後退させた。
だがもはやここまできては、時間稼ぎにすらならない。最後の悪足掻きでしかなかった。
正面には五人、更に後方から三人がこちらを狙っている。その更に後ろには、異形の巨大な生物が何体も控えていた。進む道どころか、逃げ道さえありはしない。
これが、私の最後か……。
ハッと喉の奥で笑い、カイは顔を歪めた。王になってから見せることのなかった、勇ましくも凶悪な笑みを浮かべてカイは笑う。
「最後くらいは、華々しく散るとしよう……!」
剣を高く構え、全身に高圧な雷を纏った。青白い光が迸る。
――だがそこに、声が割り込んだ。
「散られては、色々と困るんだよ。カイ=キスク」
「――ッ!」
大人とも子供ともつかないその声が耳に届いた瞬間、カイは自分の体が高密度の法力に絡め取られるのを感じた。
急速に力の抜ける体を咄嗟に剣で支えるが、意識まで一気に白み、抗う力が根こそぎ奪われる。青い光が全身を包んでいき、カイの体も意識もすべてを停止させていく。
「ここで死なれては、僕の計画が台無しなんだ」
笑いを含んだ、遠い声。それを最後に、理解が追い付かないほどの文字と記号の奔流に呑まれて、カイは動きを完全に止めた。
膜のように煌めく結界の中、剣に凭れ掛るようにカイは目を閉じて佇む。そこだけが時間が停止したように、乱れた金髪も風に揺れることすらなかった。
迫ってきた敵が鍵型の鉄棒を投げつけるが、青白い結界がそれを弾き返し、カイ自身に触れることすらなかった。
その現象に、ガスマスクを被った覆面の女は無言のまま首を傾げる。それを見て、空中に浮いていたフードの男は影に隠れた表情を皮肉な笑みで彩った。
「無駄だよ。タネの分かった手品ほど、つまらないものはない」
まだ前方に群がる敵に、すぅっと手を伸ばしたフードの男は、あれだけカイが放っても通用しなかった法力を展開した。そして小さく見えた光が飛び、敵の中心に着弾すると、一気に炎の波が講堂の中に広がって爆発音が鳴り響いた。
断末魔が響き、すべてが炎上する。無数の敵も事切れた衛兵の体も、灰と化して舞い上がった。
停止したカイとフードの男だけが、その炎に赤く照らされながらも灰を被ることはなかった。
「……何故、こんな手助けを?」
「レイヴン、来ていたのかい」
燃え盛る中、黒い風とともに現れた男を一瞥し、フードの男は表面上だけ驚いたように肩を竦めてみせる。空に漂うフードの男に恭しく頭を垂れてから、レイヴンと呼ばれた男は佇むカイの背にちらりと視線を投げた。
それに苦笑を零し、フードの男は透かすように空を見上げる。
「厄介なことをしてくれたんだよ、フレデリックが。……まあ、まだこの男には役があるから生きてもらわないと困るし、いいんだけどね」
「……では、私がここで見張りを致しましょうか」
「そうだね。そうしてくれると助かる」
レイヴンの申し出に頷き、フードの男はその体を空間に溶けさせていった。
音もなく消え去って行った主人を見上げていた視線を戻し、レイヴンはしばしの時を待つことにした。
運命の歯車は、5年の時を経て再び動き出す。
そこに巻き込まれる者達の意志は、関係ない――。
END
やっと本編に入りました。これからまた、長そうだ…。
カイ封印までしかいけなかったぜオイ…orz