カボチャと踊る夜空



年に一度の行事というものは、ひとり身の――特に男には無縁に近い。日々の忙しさから季節の移り変わりを愛でるのをいつの間にか忘れてしまい、そのうえそれを指摘してくれる者がいないため、精々がクリスマスの礼拝と新年のお祝いをするくらいのものになってしまう。
例に漏れず、仕事に身を捧げて走り回るカイは、その日が何の日であったか全く頭になかった。街の様子に少しでも目を止めていれば思い出していたかもしれないが、ここ数日大きな事件に掛かりっきりで、やっと母国に戻ってきたカイにはそれらに注意を払う気力すら残っていなかった。大量の報告書をやっと書き終え、日も完全に落ちてしまってから、カイは一週間ぶりに自宅へ帰った。
比較的静かな住宅街を抜けてカイが久し振りの自分の家へ着いたとき、その大きめの一軒家に煌々と明かりがついていることに気付き、カイは柳眉を跳ね上げた。
空き巣か、はたまたソルか。
一瞬で思い浮かんだその二択に、カイは改めて呆れ返った。神出鬼没で勝手に家へ上がり込むソルを、いつの間にやら空き巣と同等扱いにしていたことに気付いたのだ。まあ、似たようなものなので全く以て否定できない。
どっちであろうととりあえず出会いがしらに一発殴ろう。
仕事の疲れも合間って少々むしゃくしゃしていたカイは、そんな大ざっぱなことを考える。対応を一通りまとめてしまえば随分と楽だ。どっちであろうと驚くことはない。
しかし鍵が掛かっていた自宅のドアを開け、居間へと顔を出したカイは――その光景に驚き、さっき決めたばかりのことが頭から吹き飛んでしまった。法力で明かりのついたそこにいたのは、ソルだった。ソファの真ん中にさも当然のような顔ででんと座り、足を組んで雑誌を広げて読んでいるその男は、いつものように勝手に家へ上がり込んで寛いでいる。
だが、それだけならカイは驚かない。むしろダッシュで近寄って肘鉄、フック、回し蹴りでトドメにツウァイボルテージ(即死技)で床に沈めている。しかしそれをせずにカイが固まってしまったのは――ソルが有りえない格好をしていたからである。
十字架のデザインをあしらった黒のシャツに、ゆったりとした白のズボンという何の変哲もない普段着。だが――その不機嫌そうなヤクザ顔で雑誌を睨付けるソルの耳に付いているものはなんだろうか。
ふさふさの焦げ茶色の、ぴんと尖った獣の耳。最初はくっ付けているのかと思ったそれは、柔らかそうではないが所々薄い色の毛が混じっていて妙にリアルで、容赦なくソルの耳から伸びている。冗談で付けているには説明の付かない生え方をしていたのだ。
そう。それは普通の耳の代わりに、そこからにょっきりとそこから生えていたのである。
「……ソ、ソル……?」
カイは仕事用の鞄をどさりと床に落とし、ぷるぷる震える手でソルを指さした。
部屋の入口で真っ青のまま仁王立ちのカイに今更気付いたかのように、ソルは徐に雑誌から視線を外し、カイの方を見る。不機嫌そうな表情に紅い瞳が眠そうな光を帯びてヘッドギアの影から覗いた。
「よォ」
ぱたり。
低い声とともに、ソファの上で焦げ茶のふさふさしたものが揺れ動き、ソファを叩いた。それはどこをどうみても尻尾で……。
それに気付いたカイは、吸い寄せられるようにそちらへ視線を向けた。そしてその視線に気付いたかのように、その尻尾がまたゆるく動く。
カイはその瞬間、目の色を変えてソルの元まで駆け寄っていた。
「ソ、ソル……触っても、いい?」
「ん」
カイが頬を紅潮させて躊躇いがちに――だが期待に目を輝かせて聞くと、ソルは相変わらずやる気のなさげな表情で頷いた。
勝手にどうぞといった風な態度でまた雑誌に視線を戻したソルを横目に、カイは許可をもらってその焦げ茶の毛玉にそろりと手を伸ばした。
しかしカイの細い指先がその尻尾に触れそうになった瞬間――ぱたりと尻尾が別方向に逃げた。ソルが横でふんと鼻で笑う。どうやらからかわれたらしい。
だがそれを見たカイはむしろ――。
「か…かわいい…vv」
「……おい?」
その動きに見惚れてしまったカイは子供のように目を光らせた。その何か尋常でない様子に退きかけたソルだったが、一足遅く、カイが飛び付いてきて尻尾を思いっきり抱き締めた。
「おいコラ何やってんだ!」
「……ふさふさ〜vv」
驚いたソルが捕らえられてしまった尻尾をばたつかせたが、カイは全く聞いちゃいない。恍惚とした表情で腕の中に捕らえた尻尾に顔を擦り寄せ、勝手に和んでいる。多少ばしばししてはいる毛並みだが、動いている尻尾はカイにとってかなり魅力的だったらしい。すでに、なぜこんなものが生えているのかという疑問は頭から抜けている。
「……坊やはいきなりイタズラか。なら、俺もイタズラで返さねぇとな」
不意に口端から牙を覗かせて、ソルは笑った。しかしカイは手触りのいい尻尾に気を取られていて気付かなかった。ソルがサイドテーブルに置いてあった小さな錠剤とコップの水を口に含むと、尻尾にじゃれついているカイの顎に手をかけた。
「え……?」
突然顔をソルの方に向けられ、カイは戸惑いの表情を浮かべた。だが、ゆっくりとソルの唇が自分の唇に重なったので、青い瞳を限界まで見開く。
「……っ!?」
抵抗する間もなく分厚い舌が滑り込んできて口を開かされ、その隙間から冷たい液体が流し込まれた。カイは突然の口付けに混乱して、その液体と何か小さな固形のものを飲み込んでしまう。白い喉に浮き出た突起が上下してこくんとカイが飲み込んだのを見て、ソルは顎を押さえていた手を離した。
「……へ? え、な、何? 今なんか飲み込んだ……」
抱き抱えていた尻尾も手放し、カイは困惑しながら自分の喉を押さえた。それを、ソルは悪人ヅラでにやにやと眺めている。そして徐に低いハスキーボイスでカウントダウンをし始めた。
「三、二、一……」
ポンッ!
やけにコミカルな破裂音が響き、カイは煙りに包まれた。カイはそれに驚いてびくっと肩を震わせる。
音は派手だったが、別にどこかが痛いわけでもなんでもなかったので、カイは目をぱちくりさせた。体を包んだ煙りもそれほど濃いものでもなかったため、それもすぐに晴れる。しかし視界が元に戻ったところで、床に膝を付いているこちらを面白そうに見下ろしているソルの顔に出くわした。
「……おーおー、やっぱ似合ってんじゃねぇか」
「……え……」
ソルが笑う理由が全く分からず、カイは惚けた顔になる。そこへ、ソルが手を伸ばしてきた。
いつの間にか少し爪が長くなっているソルの指が、カイの頭に触れる。いや、正確には頭ではなく――そこから生えた耳に触れてきた。
「!!?」
ソルの指が触れてきた感触があって、カイは驚きに目を見開いた。耳に触れられている、と分かる。だがそれは頭の上だったのだ。
通常では考えられない事態に、カイは慌てて本来の耳がある場所に手をやった。
しかしそこには耳が全くさっぱりどこにもなかった。
「な……!?」
ただ肌の延長線のようにそこはつるっとしている。つまり耳はなくなっているわけだから、音は一切聞こえないはずだった。しかしソルの声ははっきり聞こえているわけだから……。
そこではたと目の前のソルの姿に目を留めたカイは、さっと顔色を変えた。こげ茶の耳と尻尾が生えた奇妙な状態。そしてさっき飲まされたもの。おまけに確信犯の笑みを浮かべるソルの表情。
不安がほとんど確信になったカイは、ソルが触れている自分の頭の方にそろそろと手をやった。すると――何かふわふわしたものに触れた。
「こ、こ、これ……!」
「猫耳。」
動揺するカイに、ソルがすっぱりと断言する。それを聞いたカイは、くらりと目眩を覚えて倒れそうになった。
それを、肩を掴んで軽々支えたソルは、突然カイの尻の方へ手を伸ばした。驚く間もなく、大きな手に何か妙なところをぎゅっと掴まれ、カイはびくんと体を跳ねさせた。
「尻尾もばっちりあるな」
「え!」
「しかも真っ白か」
いつの間にやらズボンを貫通して生えていたものは紛れもなく尻尾で、それをソルが掴んで引っ張ったために、長くて白いふわふわの尻尾がカイの目の前に晒される。自分が今見ているものが信じられず、カイが硬直していると、ソルはやけに楽しそうな表情で徐にその細い尻尾に口を近づけ――かぷっと噛みついた。
「あ……ッ!」
柔らかい先を尖った牙で甘噛みされ、こそばいような奇妙な感触が下肢と背筋にダイレクトに伝わり、カイは思わず声をあげてしまった。その反応に薄く笑ったソルは、びくびくと跳ねる尻尾の先端を口に含み、舌を這わせてきた。
「ひゃっ、あぅッ!」
やけに甲高い声が出てしまい、カイは驚いて自分の口を手で塞いだ。しかしむしろその反応が面白いらしいソルは、細長い尻尾を逃がさないようにしっかり掴んで口での悪戯をエスカレートさせる。
「ちょっと、やめ…ッ! こらっ」
「なんだよ。気持ちいいくせに」
「馬鹿ッ! そんなわけ……ぅっ!」
「おらおら、我慢せずに声出せよ」
「〜〜〜!」
どがっ!
堪え切れずに、カイは思い切りソルの急所を殴り付けた。それに目を剥いたソルは、顔を色を変えて床に沈んだ。
「て、てンめ゛〜!」
股間を押さえて床にへばってしまったソルは、カイをぎろりと睨んできたが、カイは紅く染まったままの顔でソルをキッと睨み返した。
「今のはお前が悪いッ!!」
「う……」
自覚はあるのか、ソルはそう言われて黙り込む。
「……ところでこの耳と尻尾は、どういうことだ?」
膝を折ったままのソルを見下ろし、カイはふと真顔になって聞いた。痛みが多少引いたらしいソルは押さえていた手をどけ、ゆっくり身を起こす。痛みでへたっていた焦げ茶の耳と尻尾が少し元気を取り戻してぴんとなった。
「薬を飲んだ奴に何かしら動物の耳と尻尾が生えるっつー、ふざけた代物」
「誰だ。そんな迷惑なものを作る奴は」
目の前の男か、それとも闇医者か。
そう思ったカイだったが――、
「『あの男』だ」
どがしゃんっ!
カイは思い切り頭をサイドテーブルにぶつけ、コップが床の上に転がっていった。
「お、お、お前ッ! それは宿敵じゃなかったか!!? いつの間に和解したんだ……!」
「和解なんざするか馬鹿野郎ーッ! 朝起きたらこのなりで、置き手紙にゃ『ハロウィン祝いのプレゼントだ、受け取れ。ついでに誰か巻き込むと尚楽しいぞvv』って書いてあったんだ!」
「だからって私が巻き込まれる道理がどこにあるーッッ!!」
やけにお茶目な宿敵。カイも少しぶっ殺したくなった。しかし――、
「何でかだと? 決まってんだろ。冷蔵庫が空っぽで食いもんなかった腹いせだ!」
「なに胸張って言ってるんだこのポンコツギアーッ!」
まずは目の前の男を葬った方が良さそうである。
「んだとッ!」
「理由になるか、そんなこと! 脳味噌ないのか、筋肉バカ!」
「モヤシに言われる筋合いはねぇッ! いつも坊やが勝負勝負ってうざいから悪ィんだろ!」
「逃げるお前が悪い!」
「追いかけるお前がなお悪い!」
罵理雑言の嵐。
もはやいつもの風景だが、唯一違うのはテンションがヒートアップするたびに毛が逆立つ耳と尻尾。狼と猫がぎゃーぎゃー喧嘩している。
しかしふとその時、ピンポーン♪とチャイムがなった。来客の気配にぴたっと騒ぐのをやめた二人は、しばし沈黙する。
「客か」
「そうみたいですね」
先程までの剣幕はどこへやら、平静な表情で顔を見合わせた二人は互いに呟き、カイは玄関へ、そしてソルは再びソファに腰を下ろして雑誌を読み始めた。
玄関へ向かったカイが、なんだろうと首を傾げながら扉を開けると、
「トリック オア トリート!!」
「遊びに来たよ、カイちゃん♪」
「夜分遅くにお邪魔します//」
メルヘンチックに背中に黒い羽を付けた小悪魔姿のメイ、格好良くマントを翻す吸血鬼のアクセル、とんがり帽子と手に持つホウキが特徴的な可愛い魔女のディズィーがそこにいた。
突然仮装姿で現れた友人達に最初は目を丸くしたカイだったが、手に手に持ったジャコーランタンにすぐに顔をほころばせた。
「みなさん、いらっしゃい。そういえば今日はハロウィンだったんですね」
今更ながら今日がハロウィンだと気が付いたカイは納得顔でそう言った。しかしその途端、三人がきょとんとした顔でカイを見た。
「カイさん、何言ってるの?」
「びっくりするじゃん、今更そんなこと言うなんて」
「? え?」
メイとアクセルに不思議そうな顔をされ、カイは首を傾げた。確かに年中行事というものを忘れがちである身だが、そんなに忘れていたことが奇異だったろうか。
どう言葉を返していいのか分からなかったカイが頭に?マークを浮かべていると、ホウキを握りしめたままのディズィーがおずおずと近付いてきた。
「だってカイさん……猫の仮装をしてらっしゃるし……。とても可愛いですよvv」
「!!」
言われて、ハッとカイは自分のふわふわの耳に触れた。今更ながらこの妙なオプションの存在を思い出したのだ。
「え、ええっとこれはその……っ」
どう言い訳していいのか咄嗟に思い浮かばず、カイが狼狽えていると、無意識にその動揺を表すように尻尾が下がり気味な状態でゆらゆらと揺れた。その、作りものに思えない尻尾の動きに気付き、三人は目を丸くする。
「それ……もしかして、生えてる…の?」
顔を半ば引きつらせた状態でアクセルはカイの尻尾を指さした。そう言われて自分の尻尾が動揺を表していることに気付いたカイは、今度は慌ててその尻尾を引っ掴んだ。
「あ、あははは。そんわけないじゃないですか、アクセルさん」
自分で制御できないので、カイはそれが動かないように押さえ付けて引きつった笑みを浮かべた。だが、代わりに押さえるものをなくした耳が、カイの心情を表すようにぴくんぴくんと動く。
それを見た三人の目の色が、急に変わった。
「可愛いー! 触らせて触らせて♪」
「俺にも触らせてッ!」
「わ、私もちょっと触りたいです!」
「ええぇ〜!?」
気味悪がるかと思いきや、顔を輝かせて飛び付いてきた三人にカイは驚いた。まさかいきなり触りにくるとは思わなかったのだ。
抱きつくように飛びついてきた三人に、カイは不覚にもその場でひっくり返ってしまった。雪崩れ込むようにカイのうえに乗っかってしまった三人は慌てたが、暴れるように動く耳と尻尾に思わず気を取られる。
どうにも危険な眼差しの三人に思わず後ずさったカイは、ハッとあることを思いついて叫んだ。
「ソル! お客様も来たことだし、何か食べに行こうか!?」
「あ? メシか?」
食べ物関係にはつられてくるソル。カイの思惑通り、のこのこと玄関の方に顔を出した。
食事と聞いて、その大きな焦げ茶のとんがり耳はぴんと立ち、ふさふさふの尻尾は機嫌良く泳いでいる。
それを見た三人がさらに狂喜乱舞したのは言うまでもなかった。
「うわーvv 犬さんだぁー!」
「マジ!? 旦那、それ触らせて!」
「ああッ、私も触りたいです!」
「うおおぉぉぉぉぉぉ!??」
突然走り寄ってきた三人に押し倒され、ソルが悲鳴をあげた。力ではこの三人に勝つのは容易かっただろうが、常ならぬ剣幕で――しかも三人のうち二人は女ということもあって、ほとんど無抵抗で三人に抱きつかれ、床にぶっ倒れてしまった。
カイの時とは違って、三人は後頭部を打ったソルを気遣うことなくそのふさふさの耳と尻尾を触りまくっている。線の細いカイはのし掛かると危なさそうに思えるが、ソルのような頑丈な男だと心配する気も起きないらしい。
触られるのを嫌がって反射的に逃げる大きな耳を無理矢理ひっつかまえたり、ばたばた暴れる豊かな手並みを持つ尻尾を撫で回したりと、無邪気に戯れてくる三人にソルは目を白黒させた。
「坊や! てめぇ、ハメやがったな!?」
「ははは。いいざまだな、ソル」
悪戯されまくっているソルは、アクセルはともかくメイやディズィーを退かすことが出来ずに尻餅を付いたまま怒りを露わにして叫んだが、カイは離れた場所から高らかに嘲笑うだけで助けに行かない。下手に近付けば自分も餌食にされることは目に見えていた。
「ふさふさの耳〜♪ ね、これってもしかして犬じゃなくて狼?」
「んなこと俺が知るか!」
「この尻尾、すごく手触りいいですねvv 私もほしいです」
「お前はもとから尻尾付いてんじゃねぇか!」
「旦那♪ この耳、すごく面白いよ〜☆」
「俺は面白くねぇ! つーかてめぇはどけッ!」
「ぎゃんッ!」
思い切りソルに蹴飛ばされ、アクセルが悲鳴をあげる。「ひどいよ旦那〜、俺だけ除け者?」と涙目で傷む腰をさするアクセルは、ふとカイの方に視線を止めた。
それにカイはぎくりとしたが、アクセルが至って真顔で近付いてきたので逃げるに逃げられなかった。
「ねぇ、カイちゃん」
「はい……なんでしょう」
目の前までやってきたアクセルに、一抹の不安を感じながらもカイは静かに聞き返す。しかしその怯えたような内心はしんなり垂れた尻尾に表れていた。それに少し笑ったアクセルは、徐にカイの猫耳を指して言った。
「それって趣味?」
「そんなことあるわけないでしょうッ!?」
「じゃあなんで?」
「これはソルが……!」
「あ、じゃあ旦那の趣味なのか〜」
「そんなわけあるかッ!」
すこーん!
「あ痛ッ!」
二人の少女に抱きつかれたままで、ソルは手近にあった小さな置物を素晴らしいコントロールでアクセルの頭にヒットさせた。そしてアクセルがその衝撃で床に沈むのを見てから、ソルは自分の耳と尻尾を掴むメイとディズィーに凄んで見せる。
「お前らも、もう充分気は済んだだろうが。早く離せ」
「えー? ケチー☆」
「ケチじゃねぇッ! ……それよりてめぇら、何しに来たんだ」
ふと気付いたようにソルが真顔でメイに聞く。そう問われ、メイとディズィーは本来の目的を思い出したように顔を見合わせ――にっこりとソルに笑い掛けた。
「お菓子ちょーだい☆」
「くださると……嬉しいですvv」
「……あぁ?」
二人の少女に挟み撃ちされた状態で笑顔を向けられ、ソルは不機嫌そうに――だが微妙になり切れていない顔で目を細めた。
「イタズラを先にする悪ガキにやるもんなんざねぇ……」
「ソルさんは私達が嫌いなのですね?」
舌打ちしながら言ったソルの様子に、ディズィーが目をうるうるさせ始める。流石にそれにはソルも焦たらしく、目が泳いだ。
「あー! ディズィーを泣かしたーッ!」
「う、うっせぇなっ」
メイに野次を飛ばされ、ソルが心底困ったような顔をする。そうして苦虫を噛みつぶしたような表情で狼狽していたが、ふと助けを求めるようにカイの方を見た。
「おい、坊や。なんかないのか、こいつらに渡せるもん」
「残念ながら、お菓子の類は今切らせています……」
倒れて目を回したままのアクセルを介抱しながら、カイはソルの方へ顔を向けて事実を告げた。冷蔵庫の中身が空なのはソル自身も分かっているだろうし、そうなると本当にこの家には食べるものの類がない。
他に何かなかったっけ…と、真っ白の尻尾をゆらゆら揺らめかせながらカイが考えていると、一つ良い物を思い出した。
「メイさんとディズィーさんが食べられるものはないのですけれど、ジョニーさん用にお酒を差し上げることはできます」
「え、本当!?」
ジョニーという単語を聞いて途端に目を輝かせたメイは、真っ黒の衣装のまま飛び跳ねるように立ち上がった。その嬉しそうな様子に、ディズィーも安心したように柔らかく笑う。その横でソルが、とりあえず自分に注意が向かなくなってホッとしていた。
「……ねぇ、カイちゃん。俺様にも恵んでほしいんだけど」
「あ、アクセルさん。そうですね、あなたにも一本ワインを差し上げます」
カイに膝枕をされて多少幸せそうだったアクセルも目をぱっちり覚まし、ものを頼んでくる。普通なら図々しいと思うところだが、アクセルの場合は食うにも困る状態がよく続いているようなので、カイは快くその頼みを聞いて台所まで走っていった。
すぐに戻ってきたカイは持ってきた二本の酒瓶を、メイとアクセルに一本ずつ渡した。やっと解放されて起きあがれたソルが、カイの隣に立って大仰に腕を組む。
「それやったんだから、大人しく帰れよ」
「あくまでもあげたのは私だが……」
「俺を囮に使ったのはどこのどいつだ」
「う……。仕方ない、帳消しだな」
なんだかんだで二人仲良く並んで話すソルとカイ。
それにメイとディズィーとアクセルは密かに笑い、そして次の場所へ押し掛けるために別れを告げた。
「んじゃ、貰えるものも貰ったから帰るね〜♪」
「まったねー☆ 仕事の最中じゃなかったらソルさんもカイさんもまた遊びに来てよ♪」
「今日はありがとうございました! またお会いしたらお話ししましょうねvv」
三者三様の挨拶を述べ、三人はそのまま闇へと紛れていった。


が――、
「ねぇ、あの耳と尻尾。面白いからみんなにも教えてあげよっか☆」
「うんうん、あれはちょっと傑作だよね」
「とても可愛かったですものね〜vv」
という企みが交わされていたことをソルとカイは知らなかった。


「あー…、疲れた」
「私も疲れた……」
「てめぇは何も被害受けてねぇじゃねぇか」
「最初に抱きつかれた。ついでに言うなら、こんな姿になったのはお前のせいだから一番の被害者は私だ」
「……」
「あ。目を逸らすな、こら」
あらぬ方向を向くソルの尻尾を、カイはぐいっと引っ張る。途端にムッとした雰囲気になったソルが、カイの尻尾を掴んできた。互いに尻尾を掴んだまましばらく睨み合った。
「……ところで、ソル」
「なんだ」
「この薬の効果って、いつ切れるんだ?」
「……さァ」
本気で首を捻るソル。真っ青になったのはカイの方だった。
「さァって! お前よくそんな呑気なことを――」
ピンポーン♪
突然鳴り響いたチャイムに、カイの言葉は遮られた。その来客を告げる合図に、ソルとカイは一様にしてシン…となる。
なぜだろう。悪い予感がする。
カイは何となく胸中でそう思い、いつものように玄関先へ自らで向かず、セキュリティシステムを通して外の客に声をかけた。
「すみませんが、どなたですか?」
「あ、元気だったかい? カイ殿」
「ああ、闇慈さんでしたか」
少しホッとしたようにカイは表情を緩めた。しかしそこへ狙ったかのように、いっそ冷たいと感じるほどの涼やかな声が流れ込んできた。
「私もいるわよ」
「え……? その声は、ミリアさん?」
「ええ。分かってくれたようで嬉しいわ」
ふふっと上品に笑う声が管理装置を通して部屋に響く。普通の男ならそれだけで骨抜きにされたかもしれない妖しげな声音だったが、なぜだかカイは不安を拭えなかった。同様に隣に座っていたソルも顔色が良くない。
「あの、ミリアさん。つかぬことを聞きますが……」
「なぁに?」
「あの……どうしてここへ?」
疑問に思ったことを、カイは恐る恐る口にした。闇慈はもともとよくカイの家に訪れることがあったので、突然の訪問が可笑しいということはない。だが、ミリアはあまり人と群れるのを好まず、それこそ恐れを知らないメイなどに引っ張ってこられない限り表には顔を出さないのである。カイにとって、あまり親しいといえる関係ではないのである。
「あら、理由がないと来てはいけないかしら」
「いえ……そういうわけではありませんが……」
少し口調が怖くなってきたように思うのは気のせいだろうか。本人が目の前にいるわけでもないのカイは少し後ずさった。
「そうねぇ……敢えて言うなら」
「敢えて言うなら……?」
思わずごくりと唾を飲み込む。その恐れに気付いているかのように、ミリアは尚更妖しげな笑いを零した。
「私、猫を追いかけるのが趣味なの」
「……」
「可愛い子猫ちゃんが逃げまどう姿が楽しいのよねぇ……」
「……」
カイは静かにソルの方へ顔を向けた。ソルは哀れみの表情でこちらを見、ご愁傷様と言いたげに目の前で合掌する。
見捨てるつもりらしいソルに、カイが掴みかかろうかと思った瞬間、やけに脳天気な調子で良く通る声が横から割り込んできた。
「あ、ついでにいうなら、俺は狼が見てみたいんだよね〜!」
「……!」
「だってほら、昔は日本にもいたんだけど、列島が消滅する前にもう絶滅してたらしい、結構希少動物だろう? ちょっと見てみたくってさ」
朗らかに闇慈が話すのを聞いて、ソルの顔が引きつる。見るからに嫌がっているその様子に、今度はカイが同情の眼差しを向ける。
それが癪に障ったらしいソルがさっきのカイと同様に腹立ち紛れに掴みかかってこようとしたのだが、システムを通して響いてきた声に硬直した。
「俺は流離いの探求者! 興味のあるものはどこまでも追い掛けるぜ?」
「――と、いうわけで覚悟はいいかしらvv」
やばい。これは、やばい。
二人の考えはその瞬間、ほぼ一致していた。
言葉を交わすこともなく、視線だけで意思を疎通し合い、二人は全力で窓から飛び出したのだった……。




「だぁー……っ。 こ、ここまでくれば……」
「だ、大丈夫……ですよ、ね?」
ソルとカイは明かりもない真っ暗な墓地までやってきて、二人揃って地面に座り込んだ。戦いには慣れた二人だが、流石にただただ逃げ回る(しかも一般市民に迷惑を掛けないようにする)のは骨が折れ、多少息が上がっていた。
なんとか闇慈とミリアを捲いた二人は、行き当たりばったりでやってきた墓地で仕方なく休むことにした。しかし墓地とは言っても、公園のように広く芝生も綺麗に整えられているのでそれほど気味悪いとも思わない。真っ暗ではあるが、月が出ていて多少は明るく、闇は青みを帯びていた。
拓けてところに生えていた大木の下で、二人は並んで芝生の上に足を投げ出した。
「あー、くそっ。あの変人科学者野郎のせいでひでぇ目に合ったぜ」
「ホントだ、全く。見つけたら是非私にも知らせろ。回し蹴り喰らわせてやる」
カイは長く白い尻尾をばしばしと地面に打ちつけながら、文句を言った。ソルは怒りも萎えるくらいに精神的に疲労しているのか、毛艶のいい焦げ茶の尻尾は芝生の上でへたっている。
ぷりぷり怒っていたカイだったが、心地の良い闇に包まれているうちに、ふとこの場がどこなのかを思い出した。
「あ……」
「……? なんだ?」
「いや……」
ソルの訝しげな眼差しも無視して、カイはすっと立ち上がった。そして吸い寄せられるように墓地の群に足を運ぶ。それに些か驚いたらしいソルはカイの後ろからゆっくりとした足取りでついてきた。
それを気付いていながらも、カイはそちらを振り返らずに大きな墓の前で立ち止まった。ソルが追いついてくるのも待たずに、カイはそこで徐に膝をついて十字を切った。
「……誰の墓だ?」
礼儀正しく跪くカイの横で仁王立ちをするソルは、なんとはなしに聞いてくる。その態度を窘めることもなく、カイは顔をあげて墓石だけを見つめた。
「スティル、クルツ、ウィデット、マイヤー…」
「……」
「ジルクハルト、ミルトニア、ジオ、アレク…」
「……」
「ルーディア、アルベルト、マルガレア――」
「おい、そんなにいんのかよ」
延々言い続けそうな気配に、ソルがカイの言葉を遮った。
それを失礼とは取らず、カイは少し寂しげな笑みを浮かべて言うのをやめた。自分にとって大事な名前だが、ソルには関係ないだろうと思ったからだ。
「この墓標の下に埋まっているのは、その人達の遺品が少しだけだ。遺骨はない」
「……聖騎士団の奴らか」
「そうだ。骨を持ち帰る余裕はないからな。……そして、埋める場所も限られているから、ひとまとめにされてしまう」
「……」
戦争の無情さは、こういうことでもひしひしと感じる。そのやるせなさを消すように、カイは目を閉じてゆっくりと息を吐いた。
戦いは何も生み出さない。破壊ばかり。
だか、もう二度と繰り返さない。
カイは強い光を帯びた瞳を瞼の奥から覗かせ、墓石を見つめた。
「……さて、もう少し休もうか」
カイは今までの表情を打ち消し、悪戯っぽい笑みを浮かべてソルの肩を叩いた。ソルはカイの様子に全く口は出さず、カイの意見に賛同するように先程の大木の方へと歩き出した。



静寂。暗いが青く澄んだ空気。葉の間から覗く月の光と星は美しい。
「なあ、ソル」
筋肉質の太股に頭を置いて寝そべるカイは、白い耳を動かしながら男を見た。大木に背を預けて夜空を見上げる男は、どこの部位も動かさずに彫像のような姿でカイの青い目に映る。
「死んだ人に生きている人がしてあげられる、一番いいことってなんだと思う?」
「知らねー。死んだことねぇから何がいいかなんて分からん」
らしいと言えばらしい答え。カイは期待を裏切らない男の不貞不貞しい態度に、笑った。
「そうだな。でも、私は思うんだ。きっと死んだ人達のこと忘れないことが、私達に唯一出来ることだと」
「……まあ、それもありか」
男は気のない返事で一応肯定してみせた。互いにほとんど微動だにせず、夜空を見上げる。
「だから……私が死んだら」
カイは徐に細い腕を伸ばし、空を掴むような仕草をした。
「私が死んだら、覚えておいてくれないか」
「やなこった」
即答で男は言った。
それにカイは一瞬目を瞠ったが、男の腕が気配もなく伸び、カイの細い手を掴む。
「そんな縁起の悪い頼み事は聞かん」
どこか怒ったような声が漏れた。
男はこちらを見ているわけではない。カイもそちらを見ていない。だが、天に向かって伸ばしたはずの手は男の手によって地上に戻された。
カイは笑った。
「なら、私もお前の遺言は聞かない」
「……あ?」
訝しげな声。時の止まった体を持つ男には、確かにカイの言葉は奇妙だったかも知れない。
「自分が死なないとでも?」
「……どういう意味だ」
少し困惑したように問う男に、カイは声をあげて笑った。
「明日がどうなるか、誰にも分からないからな」
誰も知らない明日。変わり続ける未来。予測など出来ない。絶対の保証はどこにもない。
だから、面白いんじゃないか。
カイは自分の白い耳に触れながら、夜空を見上げた。







その後、二人が再び闇慈とミリアに追いかけ回されたかどうかは……その日の夜空だけが知っている。











END







久々にこのノリは楽しいですね(笑)。
ああ、でもすごい阿呆なことしましたね。猫耳とか狼尻尾とか!
意味があったかどうかは、私にもわからない(爆)。でもやりたかったからやった!(反省の色なしかよ;)



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