太陽の光りがカーテンの間から差し込んで朝の訪れを告げたとき、ソルは目を覚ました。
ギアであるが故に、ソルは眠りの深さを調節することができる。いつどこで何が起こるか分からないような治安の悪い街ではいつでも起きられるように眠りを浅くし、たまに立ち寄る大都市では体を休めるために深く眠る。機械のように細かなコントロールが可能なのは、本来ギアが無駄なく活動して速やかに目標となる「敵」を葬るためなのではあるが……。
とにもかくにも、ソルがカイの家に泊まるときはいつも深い眠りに設定していた。だが、今日は違う。
ギア化して暴走したときにカイの右腕を折って左肩に噛みつき、挙句に皮膚が腫れ上がるまで犯し続け、そのあとの休息もそこそこにカイと合意の上で戯れたのは昨晩(もしくは今日)のことだ。カイは微笑みながら何度も縋り付いてきて、ソルが乱暴に穿っても甘い声をあげてねだってきたが、相当な体力を消耗して著しく健康を害したのは間違いない。
そんなカイにもしものことがあってはいけないと思い、ソルは早く起きられるように調整していた。
「……」
ソルは瞼を開いて、何気なく傍らで眠る存在を見つめた。腕の中にちょうど収まる細い肩は幾つもの鬱血の跡を残し、こちらの胸元に押し付けている顔は行為の余韻を残してうっすらと紅い。
さらさらの金髪を僅かに乱したカイは、白磁のような滑らかな肌に包まれた手をソルの背中に回して、穏やかに眠っていた。
しかしその表情とは裏腹に、カイの体は痣だらけで痛々しい。左肩は魔法でほとんど元に戻したはずだったが、昨晩の行為で傷がまた開きかけていて、内出血を起こしている。一度折れた右腕も無理をしたせいで大きな痣が集中していた。
繋がることで相当な痛みを感じていたはずだろうに、カイは全くそんな素振りを見せなかった。
「……」
ソルはシーツを引き寄せ、カイに深く被せた。日差しが顔に当たって目が覚めてしまっては可愛そうだと思い、 影を作ってやる。
決して自分に関わらせまいと考えていた存在だったが、こうなっては仕方がない。あれだけ目の前で泣きじゃくられては知らん顔もできなかった。
それでも自分の私的な事情にだけは巻き込みたくない。ソルが追っているのは、生身の人間ではどうなってしまうか検討もつかない、厄介な連中だ。そんなもののとばっちりでカイを傷つけるわけにはいかない。カイはまだまだ世の中に必要とされる存在だ。
「ん……」
ふと、カイが身じろいだ。無意識に眉を寄せて、呻く。
暫く見守っていると、カイはゆるゆると瞼を開いて目を覚ました。
「……ソル?」
「坊やはもう少し寝てろ」
言い様、ソルは開いた青い目を手で覆い隠してしまう。急に真っ暗になった視界に戸惑ったのか、カイは目をぱちぱちと瞬かせる。長い睫が掌に当たる感触で分かった。
しかしソルが何も言わずにそうしていると、カイは睡魔に負けたらしく、次第に目を閉じていった。ほとんど眠っていないのだから、当然だろう。それでもいつもの起床時間に一旦目を覚ましたのは上等な方だ。
静かになったカイを見て、ソルはそろそろいいかと思いながら手をどけたのだが――。
「しまったぁッ! 仕事に遅れるーッッ!!」
突然カイは大声で叫んで、ベッドから跳ね起きた。金髪を振り乱してシーツを撥ね除けるその表情は、鬼気迫ったものだ。
あまりの唐突さにソルが唖然としていると、カイは慌てた様子でベッドから飛び降りようとした。
しかし、痣だらけの疲れきった体でそんな俊敏な動きができるはずもなく、カイは見事に足を縺れさせてベッドから転げ落ちた。
「いッ、た――ッッ!!」
案の定、どたんっという音とともに盛大な悲鳴が上がった。ソルは思わず、あーあ…と呟きながらベッド端に体を寄せて、床にへたり込んでいるカイを見下ろす。
カイは涙目になりながら全裸のまま床に這いつくばっていた。おそらく腰に力が入らなかったのだろう。はっきり言って、あれだけ犯されておいて平然としていられる方がおかしい。
「坊や、大丈夫か?」
ソルは身を乗り出して、カイに声を掛けた。驚いて振り返ったカイはソルの顔を見て、何か思い出したように顔を険しくする。
「ソルっ、なんか動けないんだけど!?」
カイは責めるように叫んで、キッと睨みつけてきた。体に力が入らないのは全部ソルのせいだと言いたいのだろう。
だが、そんな色気のある顔で怒られてもピンとこない。
「まあ、そりゃそうだろうな。フロ場で二回、ベッドで一回イッてりゃ疲れもする」
「ソ、ソルッッ!!」
具体的な数字を言ってやると、カイは顔を真っ赤にして怒鳴った。それに苦笑しつつ、ソルはカイの腕を取って引き上げてやった。
「だいたい今日は休日だぜ。仕事、あんのか?」
「あ……」
ベッドに半分身を乗り上げた格好で、カイは固まる。仕事がないことをすっかり忘れていたらしい。
何やら罰の悪そうな顔をしたカイは、ベッドの中に戻ろうと体を動かした。が、途端にうっと呻いて顔を赤らめる。
「どうした」
「えっ、あ…ぅ。な、なんでもないっ」
随分焦った様子で首を左右に振るカイを、ソルは不審な目で見つめた。しかしまあ大したことでもないだろうと判断し、ソルはカイの動きを手伝うように細い腰を掴む。
すると、カイはびくんっと体を震わせて逃げようとした。
「ぁ…触らないでっ」
「んだよ、一体。……ん?」
恥じらうように身を退こうとするカイを捕まえていたソルは、カイが腰を浮かした下に白い小さな染みができていることに気付いた。視線を少し上にずらすと、カイの滑らかな太股に白い液体が伝っているのが見える。
散々ヤッたときに注ぎ込んだソルの精液が、動いたことで溢れ出てきたらしい。
薄桃色の秘部から白濁の液が流れ出てくる様が、ひどく卑猥に見えた。
中から液体が溢れ出てくる感触に顔を真っ赤にしたカイをじっと見つめてから、ソルは不意ににやりと底意地の悪い笑みを浮かべてみせた。
「あーあ、零しちまってるじゃねぇか。ちゃんと食わねぇとダメだろ、坊や」
言い様、ソルは指でその液体をすくって、カイの秘部に押し込む。
「ひゃあうッ!」
やたらと可愛い声をあげて、カイは体を跳ねさせた。羞恥で泣きそうになっている顔はひどく淫靡でそそられる。
またやりたくなってきてしまったソルは、そのまま埋め込んだ指で中を引っ掻き回した。
「やっ、あぅ! ソルっ…や、め…あんっ!」
カイは脱力しそうになるのを必死で耐えているのか、膝立てた足を小刻みに震わせている。そのまま力を抜いて浮かした腰を落とすと、もろにソルの指を奥まで銜え込むことになってしまうからだろう。しかし、その追い込まれた状態が余計にカイを煽っているのも事実だった。
縋るようにソルの腕を掴みながら喘ぎ声で喉を震わすカイに、ソルの欲望はまた頭をもたげてきたが、流石にこれ以上はカイの体がもたないので、ソルは途中で指を引き抜いた。
「んあっ! ふ…っ…」
急に指を抜かれたことで、カイは艶かしい声を漏らす。残っていた精液が、床にぱたたっと落ちた。
放心状態で床に腰を下ろしたカイを無造作に撫でてから、ソルはベッドから降りる。
「坊やはもう少し寝てな。朝食は俺が持ってきてやる」
「え……」
ソルがそう言って徐に立ち上がると、中途半端に煽られて放り出されたカイが、困惑した声を漏らした。それに苦笑しながら、ソルは放り出していた自分の服を拾い上げる。
「ヤりてぇのは山々だが、お前の体がもたねぇから今はやめとく」
ソルがそう言うと、カイは不意に複雑な顔をした。不満げというよりは少し怒っている表情に近い。
微妙に何かを含む表情を見せたカイが沈黙するのを見て、多少違和感を覚えたが、ソルはあまり気にせずドアに足を向けた。
「すぐに飯持ってくるから、大人しくベッドで寝てろよ」




ソルは遠慮しているのだろうか?
床にぺたんと腰を下ろしたまま、カイは思った。
無茶をさせた自分が悪いと思って、気を遣っているのだとしたら、それはお門違いだろうとカイは考える。ソルを受け入れたのは他ならぬ自分自身であり、それを後悔する気はなかった。腰が幾ら痛んでも、それは重々承知の上のことで、それでソルを恨んだりする気はない。
ソルはいつも通りに勝手な振舞いをしていればいいのだ。人のことを心配せずに、好きにやればいい。
そしてそれを何だかんだと言って注意する自分の言葉を、ソルはいつものふてぶてしい態度で無視していればいい。それだけでいいのだ。なのに、なぜ目の前に一線引いてしまう?
カイは痛む腰を摩りながら、その場に立ち上がった。油断すると力が抜けてしまいそうな体をなんとか壁で支えながら、カイはクローゼットから服を取り出して着込む。
「……悪いが気遣われなきゃならないほど、やわじゃない」
他人行儀のような扱いは受けない。壊れ物を扱うような接し方は腹が立つ。
確かにソルに比べれば遥かに脆い存在かもしれないが、守ってもらわなければならないほど弱くはない。自分の身は自分で守れる。たとえ何かの間違いで自分が傷ついたり死んだりしたとしても、それは自分の無力と不運によるものだ。誰のせいでもない。紛れもなく、自分の責任だ。
「なのに……お前は全部自分のせいにするつもりか?」
たとえ自分に関係なくとも、目の前で私が死ねば自分のせいだと悔やむのか?
関わらせてしまったせいだと嘆くのか? ……冗談じゃない。
「私がここにいて、お前がそこにいる。……それだけでいいだろう」
時々話して、時々喧嘩して、時々剣を交える。そのままの自然体で、時々時間を共有する。
失うことや傷つけることを恐れるのではなく、受け入れること。別れは出会った時点で定められた必然であり、死ぬことは人が生まれた時点で決まっている結果だ。それを変えることは誰にもできない。
「でも……きっとまだその覚悟ができてないんだろうな。私も……お前も」
カイは不意に自嘲気味な笑いを漏らす。そしてそのまま黙って部屋を出た。




カイの家にいるということで、多少なかれ気が緩んでいたのかもしれない。
「……?」
ソルは不意にインスタントコーヒーを入れていた手を止めた。一瞬目を細めたソルは、感覚を研ぎ澄ませて周りの気配を探る。
しばらくソルは動きを止めたままキッチンに突っ立っていたが、カイの気配が自分の探知できる範囲から消えていること気付いて、ソルは驚いた。
「どういうことだ……?」
訳が分からず、呻く。カイが家から離れた理由が、ソルには分からなかった。
おそらくカイは誰かに襲われたというわけではない。いくらソルが気を緩めていたからといっても、カイ以外の者の気配があれば気付くはずだ。知らぬ間に気配が消えたというのなら、本人が自分から姿を消したと考えるべきだろう。
しかし、なぜ?
「……ちっ」
ソルはポットを放り出して玄関へと急いだ。理由は知らないが、今カイは外に出るべきではない。連れ戻さねば。
すでにカイが探知できる範囲にいないということは、住宅地から出てしまっているということだろう。街へ向かったのかもしれない。だがそれにしても、なぜ一言の伝言もなく出で行ってしまったのか。
「ったく、手間のかかる坊やだ」
ぶつぶつと悪態をつきながら、ソルは街まで出た。早朝なので、通りはそれほどにぎわっていない。
人通りが少ない大通りを、しばらくソルは気配を探りながら歩いていた。すると、それほど離れてはいないところにカイの気配を捉える。
ソルはすぐにそちらへ足を向けたが、その方向には仕事場があるわけでも商店街があるわけでもなかった。
寂しい細道を抜けて辿り着いたところは、古い教会だった。
「礼拝ってか?」
ソルはさもつまらなさそうに呟く。実際くだらないことだと思った。
世の中に理屈では説明できないようなことがあるのは確かだが、だからといってソルは神を盲信する気にはなれなかった。神の姿など見たこともないくせに、なぜ神がいると信じられるのだろうか。
もしいたとしても、なぜ神は人を見放し続けるのか。熱心に祈りを捧げる者は山といるのに、なぜ答えない?
だからソルは神など信じなかった。そんな訳の分からないものは信じない。
もしも目に見えない何かを信じるとしたら、それは「運命」だと思った。見えないものに定められた進路は存在するのではないかと、漠然と考えることはある。
自分がカイと出会ったのはただの偶然だろうか? もしも聖騎士団に入らなければ、カイの存在など知りもしなかったはずだ。ところが実際は、その気まぐれな行動が巡り巡って今のこの状態に繋がっている。……つくづく不思議なものだ。
「なら、ここへ坊やが来たことも、俺がそれを追ってきたことも……運命か」
ソルはそう独り言ちて、教会の扉に手を掛けた。軽く押すだけで、それは軋んだ音を立てて開く。
ソルが一歩中へ踏み込むと、埃っぽい空気が舞った。どうやらこの教会は、現在使われていないものらしい。おそらく老朽化が進んだせいで放置されたものだろう。確かもっと大きくて新しい教会が別の場所に建っていたはずだ。
人の手が全く入っていない教会の中をざっと見渡したソルは、一つだけ違和感のあるものに目を止めた。崩れかけた天井の隙間から降り注ぐ木漏れ日を浴びて輝く金髪が、他のものとは全く次元が違うもののように、そこにある。
「案外遅かったな、ソル」
こちらに背を向けて長椅子の端に座ったまま、カイが凛とした声を発した。カイの存在はこの教会にとって異物であるはずなのに、なぜかこの静寂に溶け込んでいて、周りの空気を乱さない。
「人が飯の用意してる最中に姿消す奴がわりィんだろ」
ソルは無遠慮に教会の真ん中を通って、カイに近づいた。カイは祈りを捧げているのか、頭を垂れている。
「どうしてもお前に言っておきたいことがあったからな」
こちらを振り返ろうともせずに、カイは言った。一歩分の間合をあけて、ソルはカイの背後で立ち止まる。
「こんなとこまで来なきゃ言えねぇことか?」
微かに語気を荒くしてソルは聞いた。何かと無茶を仕出かすカイに少し苛立っていたのかもしれない。
「わざわざ出てく必要なんてねぇだろうがよ。……体、痛ぇくせに」
「お前がそういう風に心配するからだ」
「……あ?」
ソルは怪訝に思って、眉根を寄せた。心配して何が悪いというのか。しかも自分のせいで傷ついた者を放ってなどおけるわけがない。
「どういう意味だ」
「気を遣ってほしくないって言ってるんだよ。私はお前が思っているほど、弱くはないんだ」
祈りを終えたカイが、顔を上げた。だが、依然としてカイはこちらに背を向けたままだった。
「……別に坊やが弱いとは思っちゃいねぇ」
自分自身が人間の範疇から逸脱しているだけだ、とソルは胸中で付け足す。カイに限らず、ソルにとっては人間全てが自分より脆く儚い存在だ。
そう思ったことを見透かしたのか、カイは徐に立ち上がってこちらに顔を向けた。青く澄んだ瞳が、正面からソルを捉える。
「いや、少なからずお前はそう思ってる。そうでなければ……今朝、あの時……途中でやめたりはしなかったはずだ」
少し顔を赤らめながらも、カイは真剣な顔で言った。しかしその恥じらいを見せるカイを見て、ソルは人の悪い笑みを浮かべる。
「なんだ、まだ足らなかったのか?」
「……」
ちょっとからかったつもり、だったが――次の瞬間、ソルは手加減なしで足を踏み抜かれた。
「――ッ!」
足から駆け上がってくる激痛に、流石のソルも顔を引きつらせる。いくら体を鍛えているからといっても、足の甲まで強靱ではない。
「私は真面目に話してるんだ。茶化さないでくれ」
怒気を含んだ目でカイに睨まれ、ソルはとりあえず沈黙した。足がじんじん痛んでいたが、黙らなければもう片方の足も犠牲になるだろう。
しばらくソルを睨んでいたカイは、ふと表情を崩して寂しげな目をした。
「そういう問題じゃなくて……ただ私の都合でお前が折れてほしくないだけなんだ。譲り合って保つ関係の方が世の中には多いけど、お前とはそうでありたいと思わない」
海のように深い青の瞳は、不安に揺らめきながらも毅然とした光を宿らせている。おそらく色々考えた結果、口にしている言葉なのだろう。
だが、それはソルが思うところとは少し違った。ソルは別にカイのために折れたつもりはない。もっと突き詰めて言えば、自分のためと言える。
今までにソルは多くの人々を見送ってきている。寿命であったり事故であったり様々だが、やはり知っている者が旅立っていくのを見るのはつらい。ただでさえ、半永久的な生命活動を強いられているソルと普通の人間とでは生きる時間が違いすぎる。
だから……恐いのだ。人の命を失うことが。
「心配しちゃわりィか? 坊やの体に傷をつけたのは俺なんだぜ?」
ソルは自嘲気味に笑ってそう言った。そもそも自分が暴走していなければ、カイに怪我を負わすことはなかったのだ。
だが、それと同時にそれがきっかけでカイに触れることができたのも事実だった。つくづく皮肉なものである。
そう思うと、自然と乾いた笑いが喉の奥から込み上げてくるのが、感じられた。
カイとつながることは自分が一番望んでいたことであるにも関わらず、ある意味一番恐れていたことでもあったのだ。大切なものを抱えるのは幸せかもしれないが、それを失ったときはもっと大きな苦痛を伴う。
ソルが視線を下げてクックッと笑いを漏らしていると、カイが無言のまま両手を伸ばしてきて、ソルの顔を挟み込んだ。
「過ぎたことをとやかく言ったってしょうがないだろう。幸い、私の怪我だって大したことなかったんだから」
優しい色をたたえた瞳が、こちらを覗き込んでくる。だが、いずれこの色は失われていくだろう……。
ソルは何も言葉を返さなかったが、カイは何か察したらしく、怒ったような顔をした。
「だから、そういう風な目で見るのはやめてくれ! 私は死んでない。勝手に殺すな!」
「!」
一喝されて、ソルは瞠目する。カイはソルの顔を両手で挟んだまま、構わず続けた。
「人は生まれた時点で結果的に死ぬことが決まってる。でも、人は人生を楽しむ。精一杯生きようとする。……なんでだと思う? 結果はみんな一緒なのに、なんで笑っていられると思う? みんな、生きる過程が大事だと知ってるからだ!」
細い肩を怒らせて、カイは叫んだ。端正な顔を険しくして詰め寄るカイはかなりの剣幕だったが、勢いで力が込もった繊細な手は微かに震えていた。
それに気付いたソルが、頬に触れるカイの手に自分の手を添えると、カイは不意に涙を零した。
「だから……誰かを傷つけたり失ったりすることを恐れないでくれ。人のことなど構わずに、お前のやりたいようにやればいい。妥協したり馴れ合ったりするよりは……ぶつかり合うくらいの方がいい」
透明の滴が頬を伝い、流れ落ちていったが、カイは笑っていた。整った顔立ちを少し生意気なものに変えて――だが、誇らしげに笑う。
「互いに情けは無用だ。お前は私のライバルなんだからな」
差し込んだ光がカイの顔を照らし、涙を輝かせた。挑むように力強く微笑むカイは、美しい。
それを眩しそうに目を細めて見ながら、ソルはカイが希望と言われた理由を理解した。
カイは小さなことでも躓いて思い悩み、涙を流して苦しむ。けれど、未来を諦めたりは決してしない。どんなに時間がかかろうとも、必ず答えを見出そうとする。
そんな姿はやはり人々にとって希望そのものだったのかもしれない。何度挫折しても未来を見据えて立ち上がるカイの姿に、勇気づけられた者はきっと少なくないだろう。
……俺も騙されてみるか? この坊やの戯言に。
ソルは不意に声をあげて笑った。急に笑い出したソルにびっくりしたのか、カイは目を丸くする。
そのあどけない顔を晒すカイに、ソルは口許を皮肉げに釣り上げてから、ずいっと顔を近づけた。
「んな涙でふやけた顔で言ったって説得力ねぇぜ?」
「う、うううるさいッ!」
ソルが言いながらカイの目尻に溜まった涙をぺろっと舐め取ると、カイは真っ赤になって怒鳴りながら、ごしごしと目許をこすった。そういう負けん気の強いところは嫌いじゃない。
警戒するように少し逃げ腰になったカイを、ソルは不敵な笑みを浮かべたまま強引に抱き寄せた。
「えっ、ソル……!?」
腕の中にすっぽり収まったカイが戸惑ったような声をあげたが、ソルはそれを無視してカイの胸をはだけさせた。
「わぁあッ! な、何をするんだっ。こらッ、ソル!」
「好きなようにヤれっつったのはお前だろう?」
「〜〜! い、意味が違うだろーッ!」
顔を真っ赤にしてばたばた暴れるカイを軽くいなしながら、ソルが首筋に唇を押し付けて強く吸い上げると、カイはびくんと体を震わせて泣きそうに顔を歪めた。それが面白くて、ソルは鎖骨にも口付ける。
「ソ…ル…やめ、ろっ。ここ、は……教会だぞ!? こんな、こと……」
怒ったようにカイは睨んできたが、潤んだ目で言われてはむしろ逆効果だ。ソルはカイの言葉を遮るように、今度は桜色に色付いた胸の頂に唇を寄せる。
「ひゃ…っ! ぁ、んぅっ」
カイはソルを押し返そうと突っ張っていた腕を思わず緩めて、甘い声をあげた。その心地好い音色を聞きながら、ソルは微かに苦笑を漏らして胸中で呟く。
今から先のことをクヨクヨ考えたって仕方ねぇ。今は……今を楽しもう。
カイの胸元から顔を上げたソルは、怯えたようにこちらを見つめながらも、頬を染めて誘うように目を潤ませるカイの顔を覗き込んだ。
「わざわざ覗き見するような野暮な真似、誰もしやしねぇさ。たとえ神でもな」
楽しそうに笑みを浮かべて、ソルが柔らかく口付けると、カイは熱い吐息を零しながらそれを静かに受け止めた。





散々鳴き疲れたカイは今度こそ完全に力尽きたのか、死んだように眠っていた。
それを背負って、ソルは人目を避けるように裏道を抜ける。昼近くになってにぎわい始めた人通りを堂々と歩く勇気は流石にない。下手にカイを背負っているところなど見られては、誘拐犯に間違えられかねなかった。
しかしなにより、余計な騒ぎを起こしてカイを起こしてしまいたくない。カイがそれを聞いたら、また気を遣っていると怒るかもしれないが、早く体調を戻してくれないと思う存分セックスができないというだけだ。まだまだやってみたいプレイが山ほどある。……もちろんそんなことを口に出して言ったりはしないが。
「あっ!? ちょっと止まりなさい、そこの男!」
少々物思いに耽りながら歩いていたソルは、背後から掛けられた言葉に舌打ちした。気配を殺しては逆におかしいかと思って普通に歩いていたのだが、どうやら目に止められてしまったらしい。
徐にソルが背後を振り返ると、国際警察機構の制服を着込んだ男が走り寄ってくるのが見えた。
警察だなんて、えらく面倒な奴に見つかったなとソルは内心悪態をつく。カイはなんだかんだで目立つので、知っている者が見れば一発で分かってしまうのだろう。
後ろから追いすがってくる痩せ型の男をしばし見つめた後、ソルはさっさと前へ向き直って歩き始めた。厄介事に関わるのはごめんだ。
「こらッ、待て! 逃げるなと言ってるだろっ」
やっと追いついてきた男が、ソルの肩を掴みながら叫ぶ。どっかで聞いたセリフだな…などと思いながらも、ソルは完全にそれを無視して歩を進めた。
「止まれと言ってるだろ! カイ様をどこへ連れていくつもりだ!?」
しつこくソルの横にへばりつきながら、男は眠っているカイの方をちらっと見る。「カイ様」ときたか…と内心うんざりしつつ、ソルは更に足を早めた。この男はカイの後輩か何かなのだろうか。
「……うっせェ。こいつを家まで運ぶところだ。邪魔すんな」
「なんだって!? 嘘をつくな、嘘を! だいたいなんでお前のような不審者が……」
ソルが男の方を見向きもせずに言うと、男はこちらを指さして非難してきた。余計にうるさくなった相手に舌打ちしたソルは、片手でジャケットのポケットを探る。
探しあてた小さなカードを取り出し、ソルはそれを男の前に突き出した。
「不審者じゃねぇ。ギルドに登録してる賞金稼ぎだ」
「……なに?」
男はそのカードを手に取ってまじまじと見つめる。不審な点を探しているのだろうが、生憎正真正銘の登録証明カードだ。調べられたところで困らない。
しかし、引き離そうと先を急ぐソルに追いすがりながら、男は質問を重ねてくる。
「賞金稼ぎ風情がなぜカイ様を背負ってるんだ!? おかしいじゃないか!」
「一応知り合いなんでな。詳しい経緯は後日、本人に聞いてくれ」
男の手からカードを取り上げて、ソルはうんざりしながら言った。男はまだ納得できないらしく、小走りで追ってくる。
「じゃあ、カイ様とはどういう関係なんだ! それくらいは言えるだろう!?」
「あ?」
ソルは眉をひそめて男を睨付けた。鋭い視線を向けると、男はヒィッと悲鳴をあげて怯える。うるさくつっかかってくる割には根性なしらしい。
「どんな関係かだと?」
ソルは難しい顔をして唸った。改めてなんだと聞かれてもよく分からない。
恋人? 愛人? セックス友達?
いや、どれも違うか。
カイが聞いたら怒り狂いそうなことをぽんぽん考えながら、ソルは背中で眠り続けるカイをちらっと盗み見た。
……ああ、そうか。
ソルはふと一人で納得して、口端を上げる。そこには不敵な笑みが張り付いていた。
「確か……ライバルってやつだ」
「へ?」
男は間の抜けた声をあげて、その場で足を止めた。突っ立ったままの男をぐんぐん引き離して、ソルはさっさと角を曲がる。
細い路地裏には、ソルの楽しげな笑い声だけが残された。



END


ぷぇ〜。お疲れ様でした〜。書く方も疲れるけど読む方も疲れるという最悪な話を読んでいただき、ありがとうございました。ここまで読んだあなたはすごいですよ☆
いやしかし正直こんなに長くなるなんて思いませんでした(汗)。そのくせ当初考えていたキーワードとかテーマが半分くらいに削られているという……。うう、もっと文章力がほしい。マンガだったらもっと書きやすいだろうに(でも小説以上に手間と時間がかかる)。
まあ、ともかく二人が収まるとこに収まってくれたので良しとしますか☆ さあこれで心置きなくじゃんじゃんヤれるぞぉー!(下品)