「証拠が出揃って立件可能になり次第、連絡いたしますので」
「すみません。面倒事を押し付けてしまって……」
カイは目の前に青年に頭を下げた。指名手配の男を引き渡して自分だけすぐに引き上げることをひどく後ろめたく思ったカイが謝ると、自分の直属の部下である目の前の青年は、慌てて手を振って否定する。
「何をおっしゃるんですか! 今まであの男を追っていらっしゃったんですから、今はもう休んで下さい。ここからは私達がやりますので」
「本当にすみません。ではお言葉に甘えて休ませていただきます」
カイはもう一度部下に深々と頭を下げた。部下は驚いた様子で「顔を上げてくださいっ」と言ったが、カイはしばらく頭を上げなかった。
普通なら最後まできっちり担当するのだが、今回はカイのわがままで早く切り上げさせてもらうからだ。


「あれだけ苦労したのに、こんなものなんですね〜……」
ブリジットは不満げに呟きながら、それでもしっかりと受け取った金を懐にしまった。男の首に掛かっていた賞金は、傷害事件一件のみの金額なので、本当に微々たるものだった。
熊のぬいぐるみを抱えたまま隣を歩くブリジットに、カイは穏やかに微笑みながら持っていた紙袋を渡した。ブリジットはそれを反射的に受け取り、紙袋に視線を落としてから不思議そうにカイを見上げる。
「それは私からのお礼です。今回は色々ありがとうございました」
「えっ!? お礼って……!」
ブリジットは慌てて紙袋を開け、中を確認して目を見開いた。そしてバネ仕掛けのようにバッと顔を上げて、ブリジットは大粒の目でカイを見上げる。
「こ、こここんなにいいんですか!?」
「ええ。それだけの働きをあなたはしてくれましたし、どうぞ受け取って下さい」
カイが渡した紙袋の中には、先程ブリジットが受け取った賞金の三倍以上の紙幣が入っていた。カイが自分のポケットマネーから出したものだが、あのような危険人物を捕まえる手伝いをしたなら当然の報酬だった。
「あの……本当にいいんですかぁ?」
こちらの顔色を窺うような上目遣いで、ブリジットは恐る恐る聞いてくる。しかしその恐縮な態度と裏腹に紙袋を抱える腕はかなり力がこもっていて、放したくない!と主張していた。ブリジットにはお金を必要とする理由があるし、なにより自分で稼いだお金という認識があるだろうから、その態度は当然のことだろう。
カイは優しく微笑んで、頷いた。
「ブリジットさんには助けていただいたこともありましたし、それは当然の報酬なんです。遠慮なく受け取って下さい」
「本当ですかー!? カイさん大好きです☆」
突進してきて抱き着いてくるブリジットを、カイはくすくす笑いながら抱き留めた。素直に喜ぶ姿は、やはり微笑ましい。
「……あ、そう言えば」
「?」
不意にそう呟くとブリジットは顔を上げ、カイを見上げた。
「ウチがこのお金を全部もらったらダメなんですよね。ソル先輩と山分じゃないと……」
「ぷ…っ…」
「え?」
『ソル先輩』という不可思議な単語に、カイは思わず吹き出していた。それに怪訝な顔をするブリジットに「なんでもありません」と断ってから、カイは何事もなかったように柔らかく微笑む。
「そのお金はブリジットさんが全部受け取って下さい。ソルには私から別にお礼を出しますので」
「そんなことしたらカイさんがかなりの出費になってしまうじゃないですか」
「私は仕事のうえで必要になったから賞金首を捕まえたんです。給料をもらっているわけですからご心配なく」
微笑んで説明するカイに、ブリジットは「そうなんですか」と素直に納得する。
そして同時にお金が全部、正真正銘自分のものとなったことに、無邪気な笑みを浮かべた。
「ウチ、こんなにまともな仕事したの初めてなので嬉しいです」
「そうですか。でも、今回のような危ない仕事は極力避けて下さいね」
はしゃぐブリジットに、カイはやんわり釘を刺した。たまたま今回は三人がそれぞれに助け合って乗り切れたが、いつもそうとは限らない。何より一人ではまず達成が不可能な仕事だった。
カイは敵の情報を。ブリジットは窮地からの脱出の足掛かりを。そして……ソルは自分達の命を守った。
カイはソルが撃たれた瞬間を思い出し、ぎゅっと胸元で拳を握った。だがそれをすぐに解き、カイはブリジットに微笑みかける。
「それではそろそろお別れしましょうか。何か今後困ったことがあったら、遠慮なく私のもとを訪ねて下さいね」
カイは名刺を取り出し、ブリジットに渡す。それを受け取ったブリジットは、「はい!」と元気良く返事をしてにこりと笑った。
「ソル先輩にもよろしくお伝え下さいね♪」
「ええ」
ブリジットの願い出にカイは快く返事する。しかしブリジットはふと笑みを消して真剣な面持ちで尋ねてきた。
「ソル先輩、あのケガであそこに残ったままですけど、大丈夫なんでしょうか?」
「ああ……。今のところは大丈夫だと思います。でも私も心配なので、今から急いで引き返すつもりです」
ソルはその体質ゆえに普通の病院へは行けない。それがよく分かっているカイは、事後処理を部下に頼んで早々に引き上げるつもりだった。
カイが堅い表情で答えたのを見て、ブリジットはなぜか感銘を受けたように瞳を輝かせた。
「愛ですね!?」
「……はい?」
カイの表情は一瞬で凍り付いた。ある意味ニアピンな発言に、冷汗が滲む。
しかしブリジットはそんな細かい変化には気付かなかったのか、自分のペースで妙に自信ありげに巻くし立てた。
「ずっと見てて思ってたんですよね。カイさんとソル先輩って、何も言わなくても息がぴったりで、まるで
夫婦みたいだなって!」
「――」
言われた瞬間、カイの意識は遠のきかけた。戸惑いとか恥ずかしさとかよりも、そういう言葉で表現されてしまったことに衝撃を受けてしまう。ブリジットに他意はなかったのだろうが、よりによってそんな言葉を選んで使わなくてもいいような気がした。
なんとかショックから立ち直ったカイは――だがまだ冷汗を流しながら、ブリジットに笑みを向けた。
「ええっと……それは仲が良いとか、そう意味で……?」
「いいえ! それを軽く越えた信頼ですよ!!」
「ええ…っ?」
「アウンの呼吸! 愛のテレパシー! 二人の起こす奇跡!」
「あの……」
「誰も入り込めない二人だけの世界! 誰もが羨む強い絆! 『黙って俺についてこい』! 『はい、あなた』!」
「……お願いです。もうやめてください……」
顔を輝かせて意味不明な(だが確実にカイの肺腑をえぐる)言葉を叫びまくるブリジットに、カイは為すすべなくその場でへたり込んだ。情けないと言うなかれ。かなり男としてのプライドが傷ついた。
落ち込んでいるカイに気付き、ブリジットはその可愛らしい小首を傾げた。
「あれ? カイさん、どうしたんですか?」
「……なんでもありません。ちょっと涙で前が見えないだけです」
自分の情けなさに滲んだ涙を拭いつつ、カイは立ち上がる。引きつる顔を無理矢理笑顔に変えて、カイはブリジットの方に向き直った。
「……では先を急ぎますので、お暇させていただきます」
「はい! 旦那様もお大事に☆」
「く…っ…負けるものか…ッ」
無邪気に言い切るブリジットに、カイは握り拳を作って耐えた……。




カイの予想通り、そこは瓦礫の山と化していた。何か研究所だったらしい小さな一角の部屋を中心に、原形をほとんど留めていないくらいの激しい損傷を受けている。砕け散った水槽からは培養液や何かの生物の胎児が零れ、箱型の機械らしきものが真っ二つに割れて転がっていた。
そこは、およそ何も機能しない状態になっていた。
「……もう少し大人しい破壊の仕方はないのか?」
足もとに散乱する機材や生物の破片を避けて歩きながら、カイは一際大きいクレーターの中心に立つ人物に声を掛けた。この辺り一帯を爆砕した張本人は、カイの呆れたような調子の声に気付き、こちらに振り返る。
「綺麗に破壊したらすぐに修復されちまうだろ」
「……まあ、確かにそうだな」
まだ紅い炎がちらちらと燃えている暗闇の中で、ソルは皮肉げに笑った。ソルがこういう自嘲気味な笑みを浮かべるときは、いつも彼の過去が関わっているときだ。それを知っているから、カイは敢えて普通の顔で応答した。
ここにはどんな旧技術(ブラックテック)があって、なぜそれを破壊する必要があったのか。好奇心も手伝ってカイの胸中には疑問が絶えないが、どうせ聞いたところでソルは答えない。カイが自分で隠れて探ることについては何も妨害はしてこないが、ソルは決していい顔をしない。明確に言葉で言わなくとも、その態度にはっきりと表れている。
『俺に関わるな』。まるでそう言っているようだ。
「『夫婦』には程遠いな……」
カイはブリジットの言葉を思い出し、嘲るような調子で呟いた。
カイは別にソルと夫婦のような関係になりたいだなんて、全く思っていない。ただ隣にいることが自然な関係であればと思う。もちろん常に隣にいろとは言わないし、いつまでもそうしろと言う資格はない。男と女ならば将来を約束して互いに束縛し合えるが、男の自分達には不可能なことだ。互いの気持ちでしか繋がっていられない。
ただ、一時でも気を許し合える仲であればとは願う。……しかしだからこそ欲張りになるのかもしれない。ソルの全部を知りたいと思うだなんて。
カイは自分の馬鹿な考えにくすりと笑い、すぐに何も考えないようにした。
「お前の一番の用事は、もう済んだだろう? ……帰ろう」
カイは微笑んで、ソルに手を差し出した。だがすぐに自分の言い方の間違いに気付く。自分の家を指して『帰ろう』はおかしい。
「……私の家へ来てくれないか。傷の具合を診るから」
カイはそれと分からないように、さり気なく言い直した。ソルは特に言い回しを気にした風もなく、カイの腕を取り、いきなり抱き寄せてくる。
「ちょっ……! ソル!?」
驚いたカイはソルの広い肩幅にすっぽり収められてしまい、顔を赤くしながら抗議した。ソルの胸を腕で突っ張って押し返してみるが、それ以上の力で抱き締められ、カイは必然的に伸ばしていた肘を曲げざるをえなかった。やたらときつく抱き締めてくるソルに訝しんだカイは、顔を上げて間近にある顔を見つめる。
「? どうした?」
カイが首を傾げながらながら聞くと、ソルは何か含むような笑みを浮かべて見せた。
「いや、逃げられないようにしてるだけだ」
「逃げる……? なんで」
意味が分からずにカイが問うと、今度ははっきりと意地悪な笑みを浮かべた。
「賞金、どうせあのガキに渡しちまったんだろ?」
「あ、ああ…。でも私からちゃんと支払うから心配しなくても……」
「金なんざいらねぇって前から言ってるだろ。代わりに、体で支払えよ」
「ええっ!? また!!?」
非難の声をあげて、カイはソルの腕の中で暴れた。前に同じような理由で抱かれたときは、本当に四六時中ベットの中で抱かれ続け、足腰が立たなくなってしまったのだ。おかげで休みをもう一日取らなくてはならなくなってしまったのだ。
そういう意味で迷惑ではあったが、なにより……お金の代わりに抱かれているようで嫌だ。報酬の代わりだと言われたら結局逆らえず、言われた通りに従順にするしかないのだから……。
カイは歪みそうになる顔をなんとか押し留め、首を横に振った。
「嫌だ。それよりも傷の手当するから放してくれ」
カイはわざと拗ねたような口調で拒んだ。自分の暗い思考を消すように、じゃれあいのような軽い仕種でソルの腕の中でもがく。
それをいなしながら、ソルはにやりと口端を上げて笑った。
「傷はもう大方治った。弾も取り出したしな。……だから大人しく抱かれろ」
「んっ、う……!」
顎を取られて口付けられ、抗議の言葉はカイの喉から出てこなかった。当たり前のように滑り込んでくるソルの厚い舌に擦られ、全身に震えが走る。
体はソルに愛されることに慣れ、キス一つで抵抗が抵抗ではなくなっていく。嬲るように舐め上げ、唾液を混ぜ合わせてくるその深い口付けに舌の根が痺れ、カイの頬は知らず期待に紅く染まった。だが、どこか空しさを抱えたままで、カイはけぶる瞳を伏せる。
私はお金の代わりに抱かれるのですか……?
問うように、カイは胸中で囁きながらソルのキスを甘受していた。
「ふっ…、う」
気が済んだのか、ソルは唇を離した。やっとまともな呼吸ができたカイは、ソルに抱き締められたままで酸素を貪るように喘ぐ。未だに上手くキスも出来ないというのは情けない話だが、ソル相手に余裕などあるはずもない。
ソルも、カイが呼吸もまともにできないことに気付き、クックッと笑った。
「いい加減慣れろよ」
「う、うるさいなっ! 放っておいてくれッ」
ムッとなってカイはソルを睨付ける。それを見て、ソルはまた笑った。
「お前は本当に飽きねぇな」
「え……」
楽しげに笑うソルを見て、カイは目を見開いた。
ソルはカイの驚きの真意には気付かず、カイの髪をくしゃくしゃと無造作に撫でた。
「坊やは面白いな。見てて飽きねぇよ」
「わ! こら…っ、やめろっ! 髪が乱れるッ」
乱暴な扱いにカイは怒ったが、何気なく言ったソルの言葉は嬉しかった。
私はお金の代わり……ではないんですよね? ソル。
自分でも現金なものだとは思うが、カイは取り繕わなくても自然に笑みを浮かべられるようになっていた。
「……私の家へ行きましょう。まず手当をしないといけません」
カイがそう言ってソルから身を離すと、ソルは特に異論は唱えずにまたカイの頭に手をのせた。
「ああ、んじゃ帰ろうぜ。流石に色々疲れたからな」
ソルは穏やかな笑みを浮かべてそう言ってから、すぐに手を退けて出口に向かった。その広い背を、カイは驚きの表情のまま呆然と見つめた。

『帰ろう』。あなたがそう言ってくれた、私の家に……。





その後、家に着いたらなぜかブリジットが早速遊びに来ていて、ソルがキレてしまったというのは、また別の話である。





END




な、なんでこんなに長くなってしまったのでしょうか(汗)。無駄にだらだら続けてしまって申し訳ありません。ギャグで軽く仕上げようとしたのですが、カイちゃんが少しマイナス思考に走ってて所々暗いですね(滝汗)。次の話ではかなりカイちゃんに苦しんでもらうつもりなので、それがちょっと滲み出てしまってます……。
ブリジット、初登場なのに主役の二人を食っちゃってる感があります(爆)。公式とも性格が違いますし……ううむ。でも私のブリジットのイメージってあんな感じなんですよね〜(笑→殴)