I just believe
久し振りにお茶の分かる客人が訪れて、カイはいつもより機嫌が良かった。
「お茶請けは貰いもののクッキーしかないんですけど、それどもいいですか?」
「ああ、全然構わないよ! ……っていうかいきなりお邪魔しちゃった俺が悪いんだけどね」
そう言いながら、自他ともに認めるタイムスリッパーのアクセル=ロウは苦笑いを浮かべる。
「そんなことありませんよ。いつどこへ行ってしまうか分からないんですから、この時代に来たときはいつでも訪ねに来て下さい」
カイはうっすら微笑んで、カップに口を付けた。
しかし一応励ますつもりで言ったカイの言葉に、アクセルは表情を曇らせる。
「そうなんだよねぇ。いつになったら元の時代に帰れるのかなぁ……」
寂しそうに少し笑って、アクセルもお茶を口に含んだ。
カイが紅茶の中でもアールグレイを好んでいることをよく知っていたアクセルは、口の中を満たした風味がいつもと違うことに気付き、不思議そうに顔を上げる 。
「……あれ? これ、もしかして……アッサム?」
「ええ、そうです。たまには良いかと思いまして」
違いに気付いてくれたことが嬉しくて、カイは笑顔で頷いた。
しかしお茶の種類が変われば普通は気付くものだろう。
……気付かないのはあの男くらいだ。
そんなことを考えながら、カイがクッキーを手に取った時、アクセルはテーブルの端に置かれている、明らかにカイのイメージから懸け離れたものを見つけた。
「その灰皿、もしかして旦那の?」
「えっ」
カイはつまんでいたクッキーを思わず落としてしまう。
目に見えて動揺するカイに、アクセルは少し意地悪な笑みを浮かべた。
「へぇ……。旦那、よく来るんだ?」
「ええっと……まあ、そう……ですね」
カイは顔を赤らめて、言いにくそうに答える。
その様子が可笑しくて、アクセルは思わずふき出してしまった。
「な、なんで笑うんですかっ」
ムッと怒った顔で言うカイに、アクセルは余計笑いそうになる。
「カイちゃんって、そういう顔をするホント可愛いよねぇ」
「なっ……。冗談はよしてください!」
「いやいや、ホントだって」
むきになって言い返してくるカイは、いつもより数段幼く見えてしまう。
そういったギャップも、魅力の一つかもしれない。
「……でもさァ。正直な話、旦那にもよくからかわれるんじゃない?」
「あいつは人を馬鹿にしすぎです」
カイは思い切り即答してきた。
ソルに軽くあしらわれて憤慨する様子が、容易に想像できてしまうのが、なんとも言えない。
しかしそれでも、ソルはカイを完全に無視することはなかったように思う。
「なんだかんだでさ……旦那もカイちゃんのこと、結構気に入ってるのかもね」
「え……?」
突然何を言い出すんだという顔で、カイは訝しげにアクセルを見つめた。
そんなカイを、アクセルは真顔で見つめ返す。
「カイちゃんは……旦那のこと、好き? ……あ、別に無理に答えなくていいけどさ……」
アクセルは突然疑問に思ったことを、少し遠慮がちに聞いた。
とはいえ、カイがソルのことを好きかどうかなど、本当は聞くまでもなく答えを知っている。近くで見ていれば、一目瞭然だ。
なら、なぜ敢えて問うのか。
答えは簡単だ。
好きであることを自覚して、認めることができるのか……それを知りたいのだ。
しかし、アクセルはあくまで部外者である。聞く権利などないと言われたら、それまでだ。
そういったものも覚悟の上で、アクセルは目の前の美麗な青年を見つめる。
カイは突然の質問にただ驚いているようだった。
「今、ソルのことを好きかどうかと……聞きましたか……?」
「あー…っと、嫌なら答えなくてもいいよ? 無理強いする気はないから」
冷汗を流しながら、アクセルはへらへらと笑って胡麻化す。
予想していた反応と随分違っていて、本当は内心困惑していた。
ソルのこととなるとすぐにむきになるカイのことだから、言った途端に怒鳴られるくらいの覚悟はしていた。だが、どうもそういう感じではない。
言ったことをわざわざもう一度聞き直す冷静さがあったのだから、むしろ――。
「ソルのことは……好きですよ」
カイは真っ直ぐにこちらを射ぬいて、はっきりとそう言った。
「え……」
何と言葉を返すべきか分からず、アクセルは呆然とカイを見つめる。
それくらい予想だにしなかった、きっぱりとした返答だった。
「……あ。もしかして……普段から旦那にそう言ってんの……?」
自分の知らないところで、案外そういうセリフを言っているのではないかと思い直し、咄嗟に聞いてみる。
しかし、カイはゆるゆると首を横に振った。
「こんなこと言いませんよ。……いえ、言えないんです。言いたくても……言えない」
カイは苦しそうに言葉を紡ぎ出す。泣きそうな表情なのに、どこか心が抜け落ちてしまったような瞳をしていた。
「なんでさ? そんなはっきり思ってるなら、言えばいいじゃん。旦那だって、好きって言われて悪い気はしないと思うけどな……」
ソルがいくら普通とは違うといっても、心は人間のままだ。それなら気持ちが通じるのではと思って、アクセルはそう言ってみたが、カイはただ寂しそうに苦笑するだけだった。
「聖騎士団にいた頃なら、言えたでしょうね。……あいつがギアだとは知りませんでしたから」
カイは、静かにカップをソーサーに戻す。
「でも、そんなの……関係ないじゃん」
「いつか必ず置いていかれることが分かっていても?」
カイの言葉に、アクセルは沈黙した。
「あいつはああいう体ですからね。人と深く関わることを極端に嫌うんです。だから、いずれ目の前から姿を消すことは分かりきってます」
カイは徐にポットを取って、二杯目のお茶をカップに注ぐ。アクセルにもお茶を勧めたが、もう十分だと断られた。
取り繕ったカイの笑顔を痛ましげにアクセルが見つめていると、カイはもう一度口を開いた。
「あなたにとったら迷惑な話かもしれませんが……私はあなたの体質が羨ましいです」
「……え?」
アクセルはとんでもない発言に、ぽかんと口を開ける。
間の抜けた表情を見せるアクセルの様子に、カイはクスクスと笑った。
「あのさァ……どゆこと? 俺様、この体質のせいでマジ迷惑してんだけど」
「ああ、すみませんすみませんっ。怒らないでください。ただ、あなたのような体質だったら……私の知らない過去のあいつにも会えるんじゃないかと思ったんです。それこそ、私には知ることもできない未来のあいつにも……」
憂いた顔で話すカイを、アクセルはびっくり眼で見つめる。
「乙女チックだねェー、カイちゃん」
「な…っ」
至って真剣なつもりだったカイはアクセルの言葉にショックを受けたらしく、口をぱくぱくさせる。
その様子が可笑しくて、アクセルはまた笑い出した。
「だってなんか女の子みたいな発想じゃん? そういうの。カイちゃん、旦那とは体の関係もあるんでしょ? なのに今更そんな……」
「はい? 体の関係って、どういうことですか」
カイは思い切り眉をひそめた。
凄まれて、アクセルは瞬時に笑みを凍り付かせる。
「あれ? 違うの??」
「だから何がですか」
「えーっと……。旦那に襲われたこととか、ない?」
笑みを引きつらせて、アクセルは恐る恐る聞いてみる。
するとカイは、ぱっと顔を赤らめた。
「あ、えっと……何度かあったと、思い…ます」
思い返してみると、冗談半分にキスをされたり服を脱がされかけたことは、確かにあった気がする。
だけど――。
「その度に殴るか逃げるか、してます」
「あっちゃー」
アクセルは顔を手の平で覆って、天を仰いだ。
「もしかして、全部未遂?」
「そうなりますけど……それが何か?」
全然分かっていないらしいカイが、きょとんとした様子で聞き返す。
アクセルは唸った。
もしもソルが本気で力に訴えたなら、カイがいくら抵抗しても容易に抑え込まれてしまうはずだ。それだけ歴然とした力の差が、二人にはある。
なのにそれをみすみす逃しているところをみると――。
「旦那って意外と奥手だったん……あいたァッ!!」
突然飛来した物体に側頭部を殴打され、アクセルは途中で悲鳴を上げた。
「アクセルさん!? 大丈夫ですか!」
頭を押さえて蹲るアクセルの方に、カイは駆け寄ろうとしたが、手で制される。
「大丈夫ッ! 大丈夫だから!! ね!?」
アクセルはカイが近寄ってこないように笑顔で宥めた。
そして嫌な予感とともに、さり気なく飛んできた物体を拾い上げる。
それは、使い込まれたジッポライターだった。
「……」
「? アクセルさん、どうしたんですか。顔が真っ青ですよ」
心配そうにカイが声を掛けてくるが、それすらアクセルの耳には入らない。
……あの男が近くにいる……。
自分の生命のためにも、早くこの場を立ち去るべきかもしれないと、本気で思い始めた。
「あのー、カイちゃん? 俺様そろそろお暇するよ」
「え…。折角来て下さったのに、もう帰るんですか?」
突然帰ると言われて、カイは悲しそうな声を上げる。
捨てられた子猫のような表情で引き止められると、ほとほと弱ってしまうのだが、これ以上長居すると、今度は封炎剣が飛んで来かねない。
アクセルはこんなところで人生を終わらせる気はなかった。
「ごめんね、カイちゃん。ちょっと急用を思い出したんだよ」
「そうですか…。それなら仕方がないですね。また暇があれば、いつでも来て下さい」
カイは満面の笑みでアクセルを見送る。
玄関先まで来たとき、アクセルは不意に振り返った。
「……俺は、カイちゃんの方が羨ましいよ」
「え?」
突然の言葉に、カイは目を見開く。
アクセルは遠い目で続けた。
「だって普通に時間を過ごせるんだからさ。……俺だってこんなややこしい体質じゃなかったら、今頃めぐみと一緒に暮らせてたはずなのに」
アクセルが元々いた時代に「めぐみ」という彼女がいたのだということを、カイは前に一度聞いたことがある。
自分の愛した女性と会うことさえできないというのは、一体どんな気持ちだろう 。
明日が「明日」とは限らない人生は、どれだけ不安なものか。
カイは、軽々しく羨ましいなどと口にした自分を恥じた。
「すみません。あなたの苦労も知らずに、無神経なことを言ってしまって……」
「いやいや、そんなことないよっ。あの旦那と付き合えてるカイちゃんの方がすご――」
アクセルの言葉を遮るように、何かが鼻先を掠め飛ぶ。
その物体は派手な音とともに、そのまま壁に深々と突き刺さった。
確認するまでもなく、封炎剣だ。
アクセルは、全身から血の気が引くのを感じた。
「カイちゃんッ。んじゃ、またね!!」
顔面蒼白のアクセルは大袈裟に手を振って、逃げるようにその場を立ち去る。
「アクセルさん……?」
ばたばたと慌ただしく飛び出していってしまったイギリス人を、カイは呆気にとられたまま見送った。
しばらくすると、頃合を見計らったように気配もなく男が現れる。
「やっと帰ったか」
「……ソル」
いつの間にか背後に立っているソルを、カイは険しい顔で仰ぎ見た。
「いきなり客人に向かって武器を投げ付けるなんて、一体どういうつもりだ」
「うるせェな」
また説教かとうんざりしながら、ソルは頭をがしがしと掻いた。
カイは、いい加減なソルの態度にムッとしながら睨付けた。
「だいたい、来るなら来ると事前に言ってくれ。また夕食の材料が足りないじゃないか」
「別に飯食うなんて言ってねぇだろ」
「じゃあ、即刻帰れ」
にべもない。
とてもさっきまでしおらしく告白していた人物とは思えなかった。しかも本人を目の前にして、あまりと言えばあまりの態度だ。
「俺のことが好きだったんじゃなかったのか?」
ソルが軽い調子で聞いてみると、カイは思い切り不愉快そうな顔をした。
「何を寝ぼけたこと言ってる。お前など大嫌いだ」
すっぱりそう言い切って、カイは部屋に戻っていく。愛情など微塵も感じられなかった。
「……」
ソルはその場に突っ立ったまま、沈黙する。
さっき聞いた話は嘘だったのだろうか。
あの軽快なイギリス人とグルになって自分を担ぐために芝居を打ったのだろうか 。
わけがわからない。
しばらくソルはあれこれ考えながら、しきりに首を捻っていたので、カイが密かにぺろっと舌を出して、いたずらな笑みを浮かべていることには気が付かなかっ た。
END
先日、飼っていたハムスターが死んでしまいました。寿命ではなく、私の不注意が原因だったので、悔やんでも悔やみ切れません。でも、もし最後まで生きたとしても、ハムスターの寿命は二、三年です。犬でも十五年くらいしかありません 。
寿命の長さが違うというのは、結構つらいものですね。