翌朝カイが目を覚ましたのは、なぜかソルのベッドの中だった。
目を開けた瞬間に間近でソルの裸を直視したカイは、頬を朱に染めて驚いた。咄嗟に離れようと、ベッドの中で後ずさったのだが、ソルの腕が腰に絡み付いていて身動きが取れず、そのまま硬直してしまう。
美しいと言っても差し支えのない、健康的に盛り上がったソルの胸筋に目を奪われながら、カイは唐突に覚醒した頭をフル回転させて昨晩の記憶を手繰り寄せた。
しかし、全部思い出したカイは、余計パニックに陥った。
(わ、私はなんてことをしてしまったんだ……っ!)
確かに最初はソルに無理矢理されていた部分はあったのだが、途中からは自分から求めてしまっていたことに気付いて、カイは胸中で悲鳴を上げる。なんとまあ、はしたないことをしてしまったものだと、自分に呆れた。
もしかするとソルも、こんな浅ましい自分を見て呆れ、嫌気が差してしまったかもしれないと考えた瞬間、カイは不覚にも泣きそうになった。折角自分を必要としてくれる人と出会えたのに、再び捨てられるかもしれないと思うと、胸がぎゅっと詰まって息苦しくなる。
(嫌だ、離れたくない…!)
カイは強くそう思い、ソルの腕から必死で這い出した。
こうなったら自分の能力を、ソルに認めてもらうしかないと思ったカイは、一糸纏わぬ姿のままでソルの部屋を出た。ソルが起き出す前に朝食を用意する必要があったので、カイは洗面所に急いで駆け込み、適当に服を着始める。
しかし焦げ茶のデニムパンツを履き、白のシャツに袖を通したところで、カイはあれ?と首を傾げた。昨晩あれだけのことをしたというのに、体がどこもべとついていないことに気付いたのだ。まさか旦那様が処理してくださったのか!?と思い、カイは再び自己嫌悪に陥る。自分が世話をしなければいけない立場だというのに、主人に世話をされていたなど、笑って済まされることではない。
なにがなんでも仕事の腕を認めてもらわなくては、と決意を新たにしたカイは、シャツのボタンをきちんと留めてからキッチンの方へと駆け出した。


まさかカイがそんなとんでもない勘違いをしているとは思いも寄らないソルは、カイが起きたしばらくあとに目を覚ました。
いつの間に腕の中から消えている存在を、ソルは無意識に目で探す。やはりいなくなっているのだと認識したソルは、ベッドから起き上がりながら溜め息をついた。
まだまだ精神的に子供の部分を残すカイに、セックスを強要させたのは間違いだったかと、思わず後悔する。具体的に何をするのかまだよく分かっていないらしかったカイを抱いたのは、卑怯だったのかもしれない。それでも自分から離れられないようにしてしまいたかったのだ。きっと本当はそんなことをしなくてもカイは勝手に離れていったりはしなかったのだろうが、どうしても縛り付けて雁字搦めにしてしまいたかった。
しかし早まったなと思いながら、ソルは脱ぎ捨ててあった服を拾って着込んだ。
解けてしまっている長い髪を手櫛で適当に整えて、ソルは部屋を出る。
カイの性格から考えると、いくら昨日のことがショックでも、おそらく何も言わずに姿を消すことはないだろうとソルは思っていた。妙に律儀なところがあるだけに、逃げるのなら逃げるで、それなりに何か伝言でも残していきそうな気がする。
だが、何事もなかったように接することができるほど開き直れはしないだろう。
謝ったら昨日のことを許してくれくれるのではと淡い期待を抱きつつも、そもそも自分が素直に謝れるのかどうかの方が怪しいなと思いながら、ソルはキッチンに足を向けた。なんとなく一番カイが居そうな気がしたからだ。
そして案の定というべきか、予想通りカイはキッチンで朝食の支度をしていた。
随分慌てた様子でパンケーキを焼きながらスープの煮込み具合を見ている。
迂闊に声を掛けて良いものかどうか分からなかったソルは暫くその場に立ち尽したまま、忙しく動き回るカイを眺めていた。
サラダを盛り付けようと、食器棚から皿を出そうとしたカイが首を巡らせた瞬間、僅か離れたところにソルが立っていたことに初めて気付き、驚いた。
「だ、旦那様!?」
カイは声をひっくり返らせて、悲鳴に近い叫びをあげる。ついでに取り落とした二本のフォークが床に当たって金属音を奏でた。
その異常なまでの驚きぶりに、ソルは溜め息をつく。やはり昨日の今日で普通の態度が取れるほど神経はず太くなかったか、と改めて思った。
それならば暫くほとぼりが冷めるまで待つしかないと考えたソルは、目を見開いたまま硬直しているカイを正面から捉えて告げる。
「今日は出掛けるから、飯はいらねぇ。留守番はとりあえずお前に任せておくから、あとは……好きしろ」
そう言い残してソルがその場から立ち去ろうとした瞬間――カイは目を見開いたままぼろぼろ涙を零し始めた。
流石にぎょっとしたソルは足を止めて、カイを見つめる。
「……なんで泣いてんだ、お前」
わけがわからないソルは、とりあえずカイに近付いた。そして手を伸ばしかけて――一瞬躊躇い、それでもやはり放っておけず、カイの頭に手をのせて撫でてやる。
昨日散々苛められた相手に触られたら余計に泣くのではないだろうかという不安があったのだが、触れた途端にカイが抱き着いてきたので、そんな心配など一気に消し飛んだ。
カイはソルの胸に顔を押し付けて不意に叫ぶ。
「置いていかないでください、旦那様ッ!」
「あ……?」
なぜただ出掛けるだけで泣いて止められるのか分からないソルは、少し間の抜けた声をあげた。ひとりで留守番することがそんな嫌なのだろうかと、思わず首を傾げる。
カイの泣く理由がよく分からないまま、ソルがカイの腰に両手をまわすと、カイは驚いたように顔を上げた。
「旦那様……私のことが嫌いになったんじゃないんですか?」
「……はあ?」
カイの言葉に、ソルは思わず素頓狂な声をあげた。あまりにも予想外のことを言われ、思考が一時停止する。
何を言い出すんだ、こいつは…と思いながらソルが改めて見つめると、カイは縋るような目で見つめ返してきた。
「だって昨日…あ、あの時…私に呆れてしまったんでしょう?」
「何言ってんだ、お前。それはむしろ俺の科白だろ。無理矢理お前を抱いたのは俺なんだから」
怪訝な顔でソルはカイに言う。
大体、カイがソルを呆れるならまだしも、ソルがカイに呆れるなど有りえないことだ。自分からセックスを強要しておいて、嫌いになる道理などない。好きだからこそ……抱いたのだ。
だが、カイはまだよく理解できないのか、不安そうな目で見つめてくる。
「私は奴隷だから、何をされても当たり前ですっ。でも昨日は……あんまりにも気持ち良かったから…その…自分から旦那様を求めてしまって…す、すみませんでしたっ!」
必死な様子でそう言って、カイは頭を下げた。
その爆弾発言とも言えるカイの言葉に、ソルは思わず片手で顔を覆い、沈黙してしまう。
「……お前、今の殺し文句はわざとか?」
「え? 何のこと…ですか?」
自覚症状のないカイは、何について指摘されているのか分からず、くりっと大きな青い目を瞬かせた。
その様子を見たソルは、これだから子供は恐いんだよなと胸中で呟く。大人のように遠回しで言わない分、ひどく直接的に感情を言葉にするので、思わずどきっとさせられてしまうのだ。そのうえ、頭の中で言いたいことをまとめきれずに、考えていることをそのまま口にするところが、また余計にそそられる。
こいつは俺を殺す気か?と思いながら、柄にもなく照れて赤くなった顔を片手で隠し、ソルはちらっとカイを盗み見た。
「何をどう勘違いしてんだか知らねぇが、俺はお前を嫌っちゃいねぇよ。……それだけは言っとく」
流石に好きだとは言いにくくて、ソルはとりあえずそう言った。体を寄せたままのカイはそれを聞いて、ぱっと顔を輝かせる。
「本当ですか!? じゃあ、私はここにいてても構わないんですね…!?」
「それは最初っからいいっつってんだろ。しつこい奴だな。人の話はちゃんと聞いとけよ」
「……あう」
反射的にソルがきつく言い返すと、カイがまた泣きそうに顔を歪めた。その様子に内心焦って、ソルは胡麻化すようにカイの唇に口付ける。カイが驚いて目を見開いた。
「んっ…ふ」
しかしカイはすぐに頬を染め、うっとりと目を閉じる。ソルが唇を重ね合わせたところから舌を差し入れると、カイは自ら口を開いて奥へと誘った。
「んぅ、う…んっ…」
搦め合った互いの舌が湿った音を立てて、淫らに擦れ合う。飲みきれなかった唾液が、カイの顎を伝った。
「んん……っはぁ」
柔らかい舌の感触を充分に堪能してから、ソルがカイから唇を離すと、胸に縋り付いたままのカイは熱い息を吐く。そして催促するようにとろんとした目でソルを見上げた。
「旦那様…ぁ…」
熱に浮かされたような声で、カイが呼ぶ。その甘い声が、かなり腰にきた。
昨日の今日でこんなことをしていいのだろうかと思いながらもソルは衝動を抑えきれず、カイの細い腰を強く抱き寄せ、鎖骨に舌を這わせた。その刺激にカイは一瞬ぴくっと震え、ソルの服の端を掴んで耐える。
「ぁ、ん…っ」
カイは悩ましい声をあげて、無意識にソルを誘う。ソルはカイの服をくつろがせ、直接舌で胸の飾りを愛撫した。途端にカイは体の芯が痺れるような快感に呑まれ、悦びの声をあげる。
「あッ、は…っん」
思わずカイが体を反らせると、首輪の鎖がちゃり…と音を立てて揺れた。その背徳的な音にカイの被虐心が刺激され、余計に感じてしまう。
カイの白い肌がほんのり桜色に染まっているのを見てとったソルは、カイのズボンに手を掛けた。もはやこの時間帯や場所が、行為を続けるに相応しくないものだということは、問題ではなくなっていた。
しかし、突如として鳴り響いたベルの音に、二人は動きを止める。
「……お客さま……?」
ぼんやりとしたまま、カイは呟く。
最悪のタイミングで現れた来客が誰なのかすぐに分かったソルは、忌ま忌ましげに舌打ちした。
「担当のヤツだ。原稿の催促でもしに来たんだろ」
「え…。じゃ、じゃあ急いでおもてなししないと……!」
慌ててカイはソルから離れ、玄関へと向かおうと駆け出したが、ソルに腕を掴まれて引き止められる。
「お前、その格好で外に出る気か?」
「あ…っ」
ソルに指摘されて気付いたカイは、はだけた服の前を合わせて剥き出しになっていた白い肌を隠した。しかし昨晩の名残である鬱血の跡が耳の後ろ辺りにあるので、見る人が見れば、何があったかくらいは分かるだろう。
あまりカイを人目に晒したくなかったソルは、自分が客に応対しようと決める。
「俺が出るから、お前はお茶か何か用意しといてくれ」
「は、はいっ」
今回ばかりは流石にこのまま人には会うことなどできないと判断したカイは、素直にソルの命令に従った。急いでシャツのボタンを留めるカイを見つめながら、ソルは何か逡巡したあと、口を開く。
「原稿自体はもう書き終わってるんだが、次の仕事の打ち合わせとかがあるから暫くかかる。でもそれが終わったら……」
一旦言葉を切って、ソルはにやりと人の悪い笑みを浮かべた。
「もう一回、ヤらせろ」
「……!」
はっきりと要求され、カイは思わず顔を赤らめた。咄嗟にどう答えていいか迷ったが、すぐにカイははにかんだ笑みを浮かべる。
「はい。旦那様の望むままに……」


END




さて、お子様思考のカイちゃんはどうでしたでしょうか? 普段は気の強いカイちゃんばっかり書いている私なだけに、周りの反応がちょっとコワイです(汗)。
しかしこれだけオイシイ設定にしといて、こんなほのぼの話になってしまっているあたりに、私の意気地の無さを感じますね!(笑) 奴隷ネタっていったら普通は鬼畜に走るはずなのに……なんなんでしょう、この少女マンガな展開は。いい加減甘々から抜け出したいです。
そしてそれとはまた別に、ソルの描写も大きな課題だなと痛感。私にはソルの言動が予測できないので、すごくツライです。セリフなんか何度も回チェックしないといけないし…。しょ、精進致します。