存在認識(後編)
「もうとっくに終わったぜ。もっかい遠征に行ってきたらどうだ、ジイさん」
討伐から戻ったクリフは、そんな冷たい言葉に迎えられて帰還した。
団長室の前で堂々と煙草を吹かしながら、壁に凭れてそう言うソルに、クリフは半眼を向ける。
「分かっとるよ。ここに来るまでに、報告は受けたわい」
「なら、残りのギア仕留めてこいよ」
「おぬしには、老人を労ろうという気がないのか」
「傷らしい傷も負ってないような奴、労る気ねぇ」
クリフの非難がましい眼差しもキレイに流し、ソルは素知らぬ顔で言葉を投げつけてくる。
本部が危険だと聞いて取って返してきたというのに、この扱いはなんだ。ワシが何かしたか。
思わず卑屈な思いに駆られながらクリフが眉をひそめると、ソルはまだ長かった煙草を握り潰し、炎で灰にしながらこちらに近付いてきた。
「それより、ちと話がある。ツラ貸せよ」
「後輩を呼び出してカツアゲする、不良みたいなセリフじゃな」
「茶化してんじゃねぇ」
少しでも場を和まそうとしたが、見事に失敗した。ソルの苛烈な朱い瞳が、こちらを射抜く。どうやらつついた程度で、どうにかなる状態ではないらしい。
珍しいことだが、ソルは本気で機嫌が悪いようだ。素行は普段から悪いが、さほど感情の起伏が激しい方ではない。なのにここまで突っ掛かってくるとは、余程のことなのだろう。
クリフは一つため息をつき、団長室の扉を開けた。
「何か話があるんじゃろ。中で聞こう」
腰が痛いのにの〜老体に鞭打つとはひどいの〜…などと、これみよがしに呟いてみたが、ソルにまるで無視される。開けた扉の隙間へ体を滑り込ませ、ソルの方が先に部屋と入ってしまった。
この腰の重い男が動くとは、一体何があった?
団長室に自ら足を踏み入れるソルの姿を見ながら、クリフは思案するように髭を撫でた。
ギアとの防衛戦勝利、及び迎撃による殲滅成功祝いに食堂は賑わっていた。
騎士団の被害も無視できないレベルだったが、それを上回って強大な軍勢に勝てた喜びは大きいようだった。団長を除いての初の防衛戦ということもあり、自分達の力で打ち勝ったという事実が多くの団員に自信を持たせたのだろう。団長に依存しなくても戦っていける、と。
遠征に行っていた団長、以下精鋭隊などもまた土産話の披露と共に、今回の活躍などに耳を傾け、留守番組と労い合いをしていた。その為に食堂はただ夕食を済ませるだけでは終わらず、談話室さながらに酒盛りや雑談の場となっていた。今日ばかりは規則も緩く、お咎めなしだ。
そんな憩いの空間において、ある一角だけが異様な雰囲気に包まれていた。
書類を小脇に抱えたカイが、二人の団員と対峙している。ちょうど食事を取ろうとしていたようで、トレーだけを持った姿勢のまま団員に顔を向けていた。
「お前のせいで……お前のせいでアイツは……!」
怒りを抑えられない様子で、団員の一人がカイを睨みつける。隣に立つその男の友達らしき団員も眉を寄せたまま、同じくカイを見つめていた。憤りをぶつける真似はしなかったが、その眼差しには嫌悪の色が滲み出ていた。
そんな上背の勝る年かさの団員達を見上げ、カイは少し首を傾げて微笑む。どうかしましたかと、至ってごく普通に話しかける様は、鈍感なのかわざと受け流しているのか判断しかねるものだった。
だがそれほど滑らかで淀みのない応対でありながら、近付いたソルには、それが虚構で塗り固められていると分かってしまった。何処にも綻びなどないが、あれだけ先の闘いで立ち回れる少年が負の感情に気付かないはずはないと、状況証拠で確信する。
冷静に鑑みれば、カイはまだ子供と言える年齢だ。そんな上司を持って躊躇いなく気分がいいと言い切れる年配は、恐らく一人としていない。取れる揚げ足はないかと常に目を光らせる周囲を、カイはとっくに承知しているのだろう。
だからこそ、余計な争いや揉め事を回避するために無難な態度を取っていた。腰を低く、相手を立てて、本音を決して出さず。何を言われても、笑顔で対応する。それが戦災孤児で逃げ場のないカイの、唯一自分の身を守る鎧だったのかもしれない。
しかし反面、その鎧のおかげでカイ自身に刻まれた心の傷は外から見えないのだ。完璧な笑みの裏に苦悩があることを、知る者は少ない。
自分も本来ならば首を突っ込まないはずだったのだが、クリフから話を聞いてしまった以上は知らぬ振りをするわけにもいかない。あくまで自身の利益の為だと、誰に言うでもなく胸中で言い訳しつつ、ソルはカイの方へと歩いた。
一方的にがなり立てる団員に、これは軽く済まないと思ったのか、カイは夕食を載せるはずだったトレーを元の位置に戻して、体ごと向き直る。神妙な顔付きになったのを見て、団員が更に声を荒げた。
「しらばっくれんなっ! アイツが『洗礼』受けたのは知ってんだぞッ」
「彼を先発隊に選んだのは、確かに私です。『洗礼』を施したのも……事実です」
興奮する団員とは裏腹に、カイは淡々と受け答えをする。話の流れから、地下図書館で先駆けを命じられた団員の友人達だと分かり、ソルはひそやかに嘆息した。闘いは終わったというのに今更文句を言いに来るとは、しつこい奴だなと感想を抱くが、大抵の人間はそういうものなのかもしれない。失ったものを取り戻そうと躍起になり、周りの迷惑も省みずに行動する様は、人の軽く三倍は生きるソルにはもはや理解不能な感覚だ。
世の中は得てして理不尽で、不公平なものなのだ。何故自分がこんな目にと嘆き続けるくらいなら、さっさと割り切って出来ることをやった方が早い。
……まあ、過去にこだわってんのは俺も同じか。自嘲気味に笑い、ソルは未だ燻る迷いを自覚する。
だがその点において、カイは自分より優れているだろう。必要ならば自ら死を選ぶことも、逆に生きねばならぬなら四肢を切り刻まれても生き続ける。そういう、割り切った眼をしている戦士だ。
だからこそ、カイは刃を向けられても毅然と受けて立っていられる。肺腑をえぐる言葉に傷付けられて血が流れても、その瞳が見据える先は揺るがない。
これで、自分は可哀相な人間なんだとでも嘆くようならば、気にも掛けなかっただろうに。欲も保身もなく目的を全うする姿は、野性動物のようにシンプルで目を引いた。
「その『洗礼』とかいうやつ、呪いじゃねぇぜ」
一方的に責め続けられるカイの傍らに立ち、ソルは会話に割り込む。団員は驚いたようにこちらを見て、すぐに顔をしかめた。
カイは気配には気付いていたようだが、関わってこないものと思っていたらしく、少し驚いたようにソルを見上げる。
「なんだよ、アンタには関係ないだろ」
団員はソルに関わりたくないのか、カイの時とは打って変わって苦い表情だった。先の戦闘でソルの戦いぶりが噂になっているのかもしれない。
少し声を掛けただけでこれとは、まるで珍獣扱いだなと思いながら、ソルは団員や遠巻きに見る連中を眺める。カイにしてもそうだが、特異な能力者集団の中においても、異質な者は弾かれるようだ。
喧騒に湧いていたはずの食堂が徐々に静けさを伴い、こちらを観察する視線に満ちていた。横目で盗み見るように、成り行きを見守る団員達の眼が纏わり付いて、居心地が悪い。
いつもこんな状態で平然と行動しているのだとしたら、本当にこの子供には頭が下がると思いながら、ソルはカイの方は見ずに団員へ目を合わせた。
「まあ、テメェのオトモダチとは直接関係ねぇが、俺も小僧から『洗礼』を受けたからな」
「え……、は!?」
サラリと事実を告げてやると、一拍置いて団員の顔が間抜けに歪む。混乱したように視線をさ迷わせ、そして言葉を正しく認識するのに二秒。
不意にぱかりと顎を外したように開き、団員は震える指をこちらに向けた。
「なんで生きてんだよ、アンタッ!?」
「だから言っただろ、呪いじゃねぇって」
軽く肩を竦めるソルに、周囲がざわめく。どういうことだと顔を見合わせる団員達の反応は傑作だが、カイの訝しげな表情には僅かに哀れみを覚えた。何かと目立ち、容姿も逸脱したカイが危険に晒されぬようにと、クリフは親心でわざと噂を放置していたのだ。それによって危険からは遠ざけられたかもしれないが、受けた心の傷はいかばかりだろうか。
「……触れられたら死ぬだとか、そういうのは迷信だ。ただ、全く根拠のないことじゃねぇ」
ソルが言葉を付け足すと、周囲が耳をそばだてるのが分かる。目立ちたくはなかったんだがと内心思いながらも、カイが近くにいる時点でそれは無理な話だと気付く。
気のない表情のまま、ソルは親指で隣の少年を指した。
「こいつは持ってる法力がでかすぎて、帯電体質になっちまってんだ。だから触れられた相手の脳や網膜・心臓が、影響を受けて誤作動を起こす。……電気シナプスが働いてる場所だな」
細かい説明は抜きに、誰でも分かるように簡素に言った。が、目の前の団員や周囲は暫くの間、瞬きして固まる。思ってもみなかった方面の話をされて、切り替えが上手くいかなかったのだろうか。
……ああ、そういえばこの時代は科学知識が失われているんだったか。シナプスの話など、一般的ではないのか。なんと説明すればいいんだ。
「脳が手足に指令を出して、動作を行う仕組みは分かるな? 生命を握るのは心臓だが、その心臓を動かすように指示するのは脳だ。だからギアを叩く時に、脳を破壊しても活動が停止する」
「あ、ああ」
具体例を挙げながらの補足説明に、団員が焦ったようにコクコクと頷いた。ソルが理解を求めるように周囲へ視線を投げると、周りの団員も少し納得の表情を見せる。
教授の立場ってのは存外面倒臭いなと感想を抱きながら、ソルはこちらを見上げるカイに視線を移した。
「で、その脳内では情報や命令を電気信号で伝達する。つまりその信号自体に誤りが生じれば、体の動作も当然誤りが起こる。だから、小僧に触れて電気を帯びたことが原因で、思った通りの行動が取れないっていう現象が起きるわけだ」
キス云々じゃなくて、小僧に触れたことで既に条件を満たしてんだよ。
一気に話し、ソルは肩を竦める。久しぶりに話して、唇が痒く感じるのは気のせいか。
法力学なら容易に理解するであろう騎士達も、未知の分野には少し戸惑っているようで、何人かは思案するように眉をしかめていた。しかしカイは金に縁取られた大きな眼を瞬き、ソルを見上げて小首を傾げる。
「ということは結局、私が原因で人が死んでいることに変わりはありませんよね?」
呑み込みの早いカイが、もっともな指摘を口にした。優秀な生徒は楽だと思いながら、ソルは肯定するように顎を引く。
「そうだ。生死を分ける局面で行動を妨げられれば、致死率は高い。だが、そもそもお前が電気を発する相手が限られてる」
「……え?」
ソルの告げた言葉に、カイは驚いたように眼を見張った。『洗礼』の効果が、相手によるとは思い付かなかったようだ。
これだけ長く聖戦が続けば、誰が死んで誰が生き延びたかかなど正確な記録が残っているはずもなく、調べることは不可能だ。カイのせいでなくても、何人かは呪いで死んだということにされていても不思議ではない。
そんな確証のない状況で、いくら語ったところで信じはしない。百聞は一見にしかずとばかりに、ソルはカイの手を取って甲に唇を当てた。
「――っ!?」
零れんばかりに眼を見開き、カイが息を呑む。団員達も、あっと声を零して固まった。まさか自ら触れるとは思っていなかったのだろう。
ソルが唇を触れさせた瞬間、パチリと音を立てて火花が散った。カイの手を取ったソルの右手から体を伝い、唇を介して電気の通り道が出来る。地下図書館でカイから『洗礼』を受けた時に見たものと同じだ。
小さいが目に見えた電気の発生に、周囲が息を呑むのが分かる。恐ろしいものでも見るような視線に、ソルは微かな優越感を抱いた。
武装を解いたカイの手は、剣を振るう者とは思えないほどか細い。子供の柔らかさを持つ白い肌はきめ細かく、吸い付くような潤いを持っていた。
こんなに美しいのに、誰も触れたがらないとは。
驚いたままこちらを凝視するサファイアのような瞳と視線を絡ませて、ソルは――柔肌に舌を這わせた。濡れた感触にカイの体が、びくりと震える。
「な…っ…!」
本気で信じられないとばかりに、驚愕の声が漏れた。大きすぎる眼は零れんばかりに見開かれ、こちらを見つめ返す。
強張る手を捉えて、ソルはわざと色を含んだ眼でカイと視線を合わせたまま、赤い舌をねっとりと這わせた。口端を上げ、眼を細めると流石にカイが羞恥で頬を染める。
指先まで辿り、飴細工のように繊細な人差し指を口腔に含んでやろうかと舌を絡ませた瞬間、我に返ったカイが慌てて手を引っ込めた。
逃げられて空いた空間を握り潰しながら、確信犯の笑みでカイを見ると、秀麗な顔に紅を差して怒ったように眉を釣り上げる。しかし驚きがまだ大半を占めているのか、戸惑いを含んだその表情は可愛らしいものだった。
それに苦笑を滲ませながらソルが団員の方に視線を移すと、あれだけ怒り狂っていた男が言葉を失ったままカイを凝視している。不気味で恐ろしいと思っていた相手が、不意打ちに頬を染めている意外な姿を目の当たりにして、釘付けになっているようだ。周囲の団員達もソルの行動とカイの反応に、ぽかんとしたまま一様にこちらを見ていた。
狙い通り警戒心を弱くしたところで、ソルは呆然としている団員の手を唐突に鷲掴み、カイの肩に触れさせた。
「……ぅわッ!?」
ぺたりと完全に触れたところで、団員は裏返った悲鳴を上げて慌てたようにソルの手を振り払う。あれだけ嫌悪していたものに触れてしまった事実に、遅ればせながら団員は顔を青ざめさせた。
その反応にカイはスッと表情を沈め、非難を含んだ眼でソルを見上げてくる。元の無表情に戻ったことを少し残念に思いながらも、団員の方へと視線を向けた。
「今ので分かっただろ。俺の時は電気が発生するが、テメェの時は何も起こらねぇ」
「そ……そう、みたいだな」
ソルが説明を続けると、団員は冷静さを取り戻して頷く。電気の発生が呪いの条件だということは把握したのか、安堵したように団員が胸を撫で下ろした。
しかし解せないのはカイの方で、眉をひそめる。
「何故、あなたの時だけ……」
怪訝な眼差しと共に、予想通りの質問を口にしたカイを横目に見、ソルは口角を僅かに上げた。
「お前の電気はあくまでも法力で出来てるもんであって、静電気とは違う。詳しいことは調べてみねぇと分からないが、お前と同じかそれ以上の法力を持ってる奴に限って、共鳴を起こすみたいだな」
からくりを話すと、カイは何か思うところがあったのか、すとんと納得の表情を見せた。不自然な戦死をした騎士が、大隊長クラスだった理由が分かったのだろう。まだ一般騎士に毛が生えた程度の時は、カイより強い騎士は比較的多かったはずだ。
今では恐らく、帯電体質を発揮する相手は片手で数えるほどしかいないだろうが。
「……ま、そういうことだ。テメェもオトモダチも、こいつの影響は受けてねぇから安心しな。良かったな、小僧より弱くて」
「な……!!」
最後の方を強調して言うと、団員が一気に気色ばむ。見下しの眼差しに、怒りを滲ませた団員は咄嗟にこちらへ詰め寄ろうとしたが、今まで付き添っていただけの隣の団員に制された。
頭に血が昇りやすい相方と違って、こちらは探るような眼差しで冷静に確認する。
「ケリーは……影響を受けてないって言うのか?」
「名前は知らんが、テメェらのオトモダチなら何も影響は受けてねぇ。その証拠に、先発隊だったわりに生き残ってんじゃねぇか」
「……え、生きて……!?」
ソルの告げた事実に、意表を突かれた二人が驚きの声をあげる。どうやら薄情にも、死んだものと思い込んでいたらしい。それでカイに詰め寄っていたのだから、マヌケな話だ。
対照的に、カイは団員達の反応に不思議そうな表情を見せた。こちらも勘違いがあったようだ。
「でも……ケリー・クライスさんは利き手を負傷して、前線には出られない状況です。どちらにしろ無事とは言い難いはずですが……」
「生きてんのと死んでんのじゃ、えらい違いだろうが。腕一本くらいで責められてることに、疑問持てよお前」
やっぱりこいつ、根が天然か?と思いながらソルは嘆息した。
目の前の二人の団員は友人がカイのせいで死んだと思い込み、当のカイは一生傷を負わせたことを恨まれているのだと思い込んでいた。情報の食い違いでこんなくだらない騒ぎになるとは馬鹿馬鹿しい限りだが、カイに対する負のイメージが強くて真偽を確かめる前に決めてかかってしまったのだろう。
オトモダチなら、病室が足らなくて武器庫で治療受けてるぞとソルが付け加えてやると、二人の団員はなんとも気まずげな表情で顔を見合わせた。周囲からも呆れの眼差しを向けられ、思わず身を縮こまらせる。チクチクと刺すような視線に晒されて少し気の毒な気もしないではないが、はやとちりしたのだから自業自得だ。
さて、ここらでもう効果は得られただろうと一人納得し、ソルは徐にカイの手を引いた。触れた瞬間に小さく電気が爆ぜたが、先程よりは随分と弱いのは耐性が出来始めているのかもしれない。
大きな掌にすっぽりと収まってしまった己の手と、ソルの顔を交互に見比べてカイが戸惑ったように眼を瞬いた。
「あの……、ソルっ?」
「無駄に長ったらしくしゃべったから、咽渇いちまった。どうせ暇だろ、酒盛りに付き合えよ」
「何言って……! 大体、私は未成年ですよっ」
適当に思い付いた屁理屈を並べて食堂の入口ヘと歩き出すと、カイは焦ったように反論しながらも、引かれるままに不安定な足取りでついて来る。
本気で嫌ならば、この少年は毅然と拒絶をするはずだ。もう片方の手で書類を持ったままということもあり、存外素直について来る少年を伴いながら、ソルは呆然とした団員達が犇めく食堂を後にした。
ソルが無言のまま自室に入ると、カイもまた静かに体を滑り込ませた。きっちりとドアを閉めてから、もたれ掛かるように体を預けたカイが徐に顔を上げる。
「パフォーマンス、御苦労様でした」
能面のような、何の表情も浮かんでいない顔で唐突にそう言った。凝り固まった首を捻って解しながら、ソルは逡巡し――理解する。
冷静に分析することに長けたカイは、自室に辿り着くまでの時間でこちらの下心を見抜いたようだ。確かに普段の物ぐさな態度を鑑みれば、先程の世話の焼き方は些か露骨だったかもしれない。
しかしどちらにしろ、それを話すためにカイを自室にまで引っ張り込んだのだから、話が早くて助かる。
「まあ、座れよ。それについて、テメェに頼みがある」
ソルはベッドのスプリングを軋ませながら端に座り、木製の椅子を顎で示した。言われた先に視線を移し、カイは素直に備え付けの古い椅子を引いて腰掛ける。
高低差はあるものの向かい合う形になったソルは、こちらを見据えるように礼儀正しく座るカイが、奇妙だと内心感想を抱いた。特に緊張しているでもなく自然に座っているのだが、何かの手本のように左右対象の正しい姿勢は、カイの立場をそのまま表しているようだ。清く正しくあれと言わんばかりの、模範生。本当はすべてがそうではないだろうに、他人のイメージに沿うように装うことが自然になってしまっている。
視線の逃がし所のない体勢が、取り調べでも受けてるようだと思いつつ、ソルがサイドテーブルの煙草に手を伸ばすと、カイに鋭く制止された。
「それを吸うつもりなら私は出て行きますが、宜しいですか」
止めろとは言わずに、見事な牽制。ソルは長い溜息を吐きながら、伸ばした手を降参のポーズに変えた。今はカイに出て行かれると、こちらが困るのだ。
子供は言葉や常識が通じなくて苦手なのだが、カイは下手な大人より頭が良く、話しているとつい子供だということを忘れてしまいそうになる。天才的な能力以上に、駆け引きをこなすこの性格の方が驚愕に値するなとソルは改めて思ってしまった。
「……で、頼みとは何でしょうか。それは私の立場が良くなれば、叶えられることなんですか?」
当然の流れのように、カイがそう質問を投げ掛ける。先程の『洗礼』の種明かしが、カイの好印象に繋がると考えたようだ。
特に何も言っていないのに鋭い。やはりカイ相手に回りくどい言い方も、下手な隠し立ても意味を為さないなと思いながら、ソルは単刀直入に望みを口にした。
「お前が次期団長になったら、神器を一つ、俺に渡してくれ」
「神器……! ああ、なるほど」
挙げた単語に、カイは一瞬驚いたものの直ぐに納得の表情を見せる。規律の中に生きるカイにこんなことを言っては怒りを買うかもしれないと少し懸念してはいたが、やはり思った通り現実主義なカイはすんなり呑み込んだ。
神器は、ソルが昔作った対ギア用の武器だ。だが手放した後いつの間にか国連に管理されるようになり、手が出せない状態になってしまった。
自分が製作者だと名乗り出ることは百年以上生きているということを自ら暴露することと同義だ。言えるはずもない。
そうなると、正式に授与されるか、盗み出すしか方法がない。協調性のカケラもないソルに前者の選択肢は最初からなく、狙いは後者だった。
しかしここで問題なのが、神器の所有権は聖騎士団ではなく国連にあるということだ。最初に団長のクリフへ入団と引き換えに交渉をしたのだが、神器を封じる無数の結界を解くパスワードを教えられていないと告げられた。資金面の負担をする国連と、軍隊である聖騎士団との間には見えない溝があるようだ。
そこでクリフから提案されたのは、カイが次期団長と目されているため、神器を授与される可能性が高く、何らかの機会に近付ける可能性があるということだった。宝物庫の構造が分かれば、厳重な警備を破るヒントになる。
だが、カイには団員が恐れる悪い噂があった。これが払拭されれば団長の地位により近付くというわけで、今回ソルが首を突っ込んだのだ。本当はクリフにすべて任せて知らぬ振りをしようと思っていたのだが、ああいった質の悪い風評は身内でなく他人が振り払った方が効果が高い。
「ギアを狩り続けるには、神器が必要だ。だが、あれは国連の管理下で手が出しづらい」
少し声をひそめて、ソルはカイに話を続けた。ソルが本気で暴れれば結界を破るのは不可能ではないかもしれないが、捕まる前に盗み出せる保証はない。カイに協力を仰いだ方が得策だというのが、ソルの出した結論だ。
尤も、それを決めたのはついさっきと言ってもいい。今日の防衛戦を通じて、カイの本性が大分見えた気がしたからだ。この少年はイメージとは裏腹に、理想より現実を取るタイプだ。
ソルの言葉にカイは逡巡する仕種を見せたが、表情に否定的な色はなかった。
「……神器ついては、私も宝物庫にあるよりは使用した方がいいと思っています。通常の武器では強い法力を連発すれば、すぐに壊れてしまいますから。特に……あなたは私より強いですし、尚更」
最後は少し不本意そうに眼を細めながら、カイが同意する。ソルには電気を発するということが、カイより強い法力を有している証明だと知って、悔しいのかもしれない。子供らしい表情が珍しく垣間見え、面白いと思った。
「ジジイも、神器の管理は管轄外だ。正規に手に入れようにも、俺が人の上に立てるとはお前も思っちゃいないだろ」
「……だから、私に白羽の矢が立ったわけですか」
カイは静かにそう言って、長く息を吐いた。途端に視線を落として陰欝な雰囲気を纏ったカイに、ソルは片眉を上げて訝しげに見る。
概ね肯定的に捉えていたカイの変化に眼で問うと、秀麗な少年は唇を重たそうに開いた。
「つまりあなたは、私の手引きで神器を盗み出そうというわけですね?」
「ああ。流石に良心が咎めるか?」
いくらギアと戦う為といえ犯罪者の片棒を担ぐのは躊躇いがあるかと思いながら聞くが、カイは意外にもゆるりと首を横に振った。表情を曇らせる原因は、それではないようだ。
他の答えが思い浮かばず、ソルが無言でカイを見ると、カイは少し困ったような、曖昧な笑みを浮かべてみせた。
「窃盗よりも、その後に欠いた戦力をどう穴埋めするかが問題です。神器を手に入れれば、貴方はここに居られないでしょう?」
「……」
的を射た指摘に、思わず押し黙る。神器という大それたものを盗んでは、ソルはもう二度とこの地の土は踏めないだろう。そうなった時に誰が一番不利益を被るかと言えば、聖騎士団なのだ。
使う者を選ぶ神器よりも、ソルという戦力を失うことの方が困ると、カイは臆面もなく言う。しかしそれは事実で、この人材不足の中わざわざ脱走する危険を冒したいとは思わないだろう。
カイは自分など嫌いだろうからいなくなっても気にしないはずだと、心のどこかで勝手に思っていただけに、カイの指摘は意外だったが尤もだ。
ソルは足を組み、カイを見据えた。神器が欲しければ頑張ってカイを口説いてみるんじゃなと、つい先程クリフに笑いながら言われたが、確かにこの交渉はそうならざるを得ない。切り札を持っているのは、カイの方だ。
「脱走はすることになる……が、こっちの指示である程度は動いてやる。ギアの情報には長けてるだろ」
「普段から指示を聞かない人が、脱退した途端に言うことを聞くんですか? 稀にみる天邪鬼ですね」
自分なりの妥協案を出してみたが、にっこり笑って厭味で返された。他の団員の前では当たり前の愛想笑いを初めて向けられ、何故か背筋が寒く感じる。
天使の皮を被った悪魔と対峙しているような心地を味わいながら、ソルは渋面を作った。
「さっきのギア討伐は、ちゃんとお前の指示通りやってただろ」
「貴方の場合、従わない時の質が悪いんです。完全に行方を眩ませて、通信にも応じない。位置さえ把握出来ないのは、戦力外も同じです」
容赦のない反論に、ぐうの音も出ない。
小言を煩わしく思って避けていただけなのだが、確かにカイのように一人一人の行動を考慮して指示を出す統率の取り方では、思惑外で動く戦力は計算に入れられない。宛てに出来る確証がなければ、意味がないというわけだ。
ああ、これだから組織ってのは面倒臭い。ソルには、報告や連絡が煩わしくて仕方なかった。それをする暇があるなら、一匹でも多くギアを倒した方が早いとさえ思う。
「ギアは狩り続ける。それじゃ駄目なのか」
「如何に強くても、一人の力には限界があります。連携を組むことで、個々の力以上の成果を出せるんです。……ギアと人間との差は知能だと、私は考えています」
「……小僧の意見は、いちいち尤もだな」
流れるように論を並べる、ほの紅い唇を眺めながら、ソルは盛大に溜息をついた。少し前ならば理想論としか捉えられなかっただろうが、今は経験に基づいた言葉だと分かる。組み合わせさえ間違わなければ、一人より二人の方が勝率も生存率も上がるだろう。
だが残念ながら、その理論の中にソルは組み込めない。なぜならば、ギアだからだ。それを隠し続ける限り、ソルはいつまでも力を十分に発揮することが出来ない。
さて、その事実を悟らせないでこの少年を丸め込むには、どうすればいいだろうか。
……少し強気に出るか。紅い眼を細めながら、ソルは薄く笑った。やられっぱなしは性に合わない。
「別に俺は、自力で神器を奪いに行ってもいいんだぜ? 被害は甚大になるだろうがな」
破壊活動も辞さないとばかりに言うと、カイが柳眉をひそめた。しかし予想のうちだったのか、ぴんと伸ばされた背筋も揃えて膝に置かれた指先も微動だにしない。
「そうですね。どちらにしろ、私が封印の解き方を探れなかった場合、そうするしかないと思います」
こちらに賛同するように、カイは顎を引く。素直な態度に見えるが実は、それが脅す材料にならないということを示していた。お好きにどうぞ、というわけだ。
カイの切り札が自らの地位ならば、ソルの切り札は自分の腕。
まだ圧力は掛けられる。ソルはもう一歩踏み込んだ。
「そもそも俺には、神器を手に入れること以外でここに留まる理由はないんだ。いつ出てっても構わないんだぜ」
「……」
言いながら、先程止められた煙草に手を伸ばす。カイは黙ったまま、それを止めない。
少し歪んでいるBOXタイプの箱に、指先が触れた。表情の動かないカイと視線を絡め合わせたまま、それを握り込み、引き寄せる。
箱から煙草を一本取り出してソルが口にくわえても、カイは咎める素振りを見せなかった。それは力関係が変わったことを示唆している。
そうだ。最初からこんな間怠っこしいことを、する必要なんてなかった。欲しいから奪い取る、敵がいるから叩きのめす、それが自分のやり方だ。
神器に近付こうと、聖騎士団に入ったこと自体が間違いだった。柄にもなく、穏便に済まそうと思ったのが愚かだった。
俺はギアだ。どうやったって、人間とは相容れない。
紅い双眸がヘッドギアの影で、ほの暗く輝いた。
「……貴方とは、折り合いが付けられそうにありませんね」
こちらの胸中を読んだように、カイが同じ意見を口にした。悔しがるでもなく、事実を確認しただけの淡々とした口調。だが明確な反論も非難も出ないということは、手詰まりだということだ。
それに皮肉な笑みを浮かべながら、ソルは指先に灯した法力の炎を口元に近付けた。
それを遮るように、カイが再び口を開く――。
「話し合いで解決できれば良かったのですが、仕方がないですね。あなたは――普通の人間ではないのだから」
気がつけば、底の見えない両目がこちらを見ていた。どろりと沼の底から窺うような眼と、整った口元に浮かぶ酷薄な笑み。それを認めた瞬間、比喩でなく息が止まる。
一瞬、言われた意味が分からなかった。いや、脳が言葉を正しく理解出来なかった。しかし老獪のような落ち着き払った、秀麗な少年の薄笑いを見て――体が先に動いていた。
「……ッ!」
均衡を保っていた距離を、伸ばした腕で叩き壊す。ゼロになった間合いで、細い首を鷲掴んだ。接触の瞬間に爆ぜた電気は、何の障害にもならない。握り潰すように締め上げ、軽い体を引き倒す。
ベッドごと叩き折る勢いで、ソルは今まで座っていた位置にカイを打ち付けていた。
掌の中で、骨が軋みをあげる。見下ろした、僅か数センチ先にある顔が苦痛に歪んでいた。安物のシーツに沈めるように体重をかけると、瑞々しい唇が酸素を求めて喘ぐ。
暴れる気配を見せかけた下半身を膝で押さえ込んで、体を乗り上げたソルは、捕らえたカイに笑いかけた。顔が凶悪に歪むのを、自覚する。
「面白いことを言うなァ、小僧?」
「……っ……」
あと少し力を入れれば、この柔な首はへし折れるだろう。条件反射の如く、ソルはカイの命運を握る体勢になっていた。カイの一言が、すべての状況を変えてしまった。
自分が人間でないという、決定的な一言。
カイがいつ正体に気付いたのかは、分からない。だが問題はそこではない。気付いたカイを、これからどうするかだ。
半瞬で風前の灯と化した己の存在に、カイが眼を剥く。
金粉のように眼の縁を彩る睫毛がたおやかに震えた。気管を圧迫される苦しさに、美貌が歪む。それでも、両の碧眼は強い力を持っていた。
「私を、殺しても…っ意味…は、ない」
「そうか? 俺を知る奴が一人減るぜ」
懸命に押し出すように発した言葉を、ソルは鼻で笑った。カイの唇が、見る間に白く変色していく。対照的に顔は酸欠と苦痛で、赤みが増していた。まさに生かすも殺すも、こちらの意志ひとつという状況だ。
それでもカイは首を絞めるソルの手に爪を立て、言葉を絞り出した。
「なんで…あれ、貴方…の価値は、…変わらな、い。騎士団、に…必…要…っ」
「流石は次期団長様だ、心が広い。……だが、ギアなんぞ抱え込んで平気でいられるわけねぇ」
カイが発した意外なキレイゴトに、ソルは犬歯を剥き出しにして嘲笑う。この少年ならばギアと分かった時点で、危険分子として切って捨てそうだと思っていただけに、甘いと感じた。それともこれは、遠回しに命乞いをしているのだろうか。
いずれにしろ、もはや関係ない。神器の件も後回しだ。まずはこの子供の口を封じなくてはいけない。
殺すと後々面倒だ、何か別の方法を……そう思案した時だった。
気が付けば、カイが苦痛で歪めていた顔を、驚愕に染めていた。まるで痛みを忘れたように、眼を見張ってこちらを茫然と見上げる様に、強い違和感を抱く。
なんだ、この反応は。
僅かな戸惑いに思わず腕の力を緩めるが、カイはそれに気付くことなくソルを凝視する。
「……ギ、ア……?」
「? ああ。何言っ――」
確かめるように呟かれた言葉を肯定しようとして、思わず言葉を詰まらせた。
おかしい。このタイミングで確かめるのは、変だ。これではまるで、今それを知ったかのよう……。
「!」
墓穴を掘った。そのことに気付いた瞬間、ソルは顔を強張らせた。
カイは『普通の人間ではない』と言ったのだ。それは=ギアの意味にはならない。まともではないという、常識はずれの意味で言ったのだろう。
自分はギアだからと意識するあまり、言葉を勘違いして受け止めていた。自ら正体を明かす単語を口にしてしまったことを後悔するが、最早なかったことにはできない。零れた水は戻らないのだ。
なんて馬鹿なことを。本気で頭を抱えたい気分だった。
「やはり、秘密が有ったんですね。想像以上ではありましたが……」
ただ掴んでいるだけに等しい状態の、白い喉が震えて言葉を発する。カイは純粋に驚いているようで、大きな眼を瞬かせてこちらを見上げていた。
酸欠から解放されて赤みが少し引いたカイの顔を見、ソルは項垂れるように眼を閉じて息を吐く。
「テメェ……カマかけやがったな」
重い瞼を押し上げるように開き、幼さの残る少年を睨みつけた。やはり、と言ったということは、疑いは持っていたのだ。反応を見るためにわざと曖昧な言葉を選び、挑発的な表情をしたに違いない。
怒りを滲ませた苛烈な眼差しに、カイは眼を瞬いた。そして不意に、造形美のような口角を緩やかに上げ、笑みを形作る。しかし対照的に眉を寄せ、寂寥を漂わせた。
「だって貴方は、私の『洗礼』の影響をほとんど受けなかったしょう。クリフ様でさえ、しぱらくは強い法力が不安定になるというのに……。不審に思うのは仕方がないです」
細い首に掛かっていたソルの手に、カイの細い指が絡まった。先程までは抵抗するように爪を立てていたそれが、包み込むようにソルの手を握る。少しひんやりとした両手が添えられる感触に、内心驚いた。
慈しむようなその仕種に、嫌悪は微塵も感じられない。
「……貴方なら、触れても影響は少ないんですね。少し安心しました」
はにかむように、微笑まれてしまった。
なんだこいつは、馬鹿なのか。事態がまるで分かってない。俺がギアで、そのギアが聖騎士団に紛れてて、しかも今カイの首を絞めているというのに。
正体がバレたこと以上に、カイの反応に混乱する。ギアだと気付かれたのだから口止めをしなければいけない。だが、この予想以上にあっさりした反応は何なんだ。目立つカイは迂闊に手が出せない、脅すか弱みを握るかで口外しないようにしなければならないのだが……こんな驚くだけのリアクションしかしなかった相手に、手荒な真似は正直躊躇う。いや、もうここまでしているなら、後一押しで済むではないかと理性は言う。
恐れるでもない、寧ろ好意的な温度を持つ碧眼に見つめられ、優秀なはずの脳は空回転するばかりだった。
「……もう分かってんだろ、小僧。俺はギアだ。テメェら人類の敵だ」
「信じ難いことに、そのようですね。でも、それがどうかしましたか」
言葉を区切って、脅すように低めた声音で告げてやるも、カイは不思議そうに相槌を打つのみ。思わず、阿呆か!と噛み付き、首を絞める力を強めるが、カイは苦痛に顔をしかめただけで、ソルの手を握り込む両手は変わらず添えられるだけだった。
「だって…、実害はないでしょう? 自我を持つ、極めて人間に近い外見のギアは…前例がありませんけれど、今までの貴方の行動を見れば……特に、問題があるように…思えません」
この少年は、本気でそんな戯れ事を言っているのか。ソルは自分でも滑稽に思えるほど、カイの言葉に動揺していた。
逃げるでもなく抵抗するでもなく、見上げてくるカイはただ語りかけてくる。ソルは、額に冷汗が浮かぶのを感じた。
「……そう見せ掛けて、裏切るかもしれないぜ。ジャスティスと通じて、内部から叩こうと考えてるかもしれねぇ」
「それを…貴方が口にした時点で、選択肢は…消えます。それに、本当に狙っての…ことなら、もう少し…上手く溶け込むべき、だと思います…よ」
貴方、全然協力的じゃないでしょう?と、カイが苦痛の中に笑みを浮かべて言う。気管の圧迫に掠れる声は、からかうような調子でどこか温かみを帯びていた。
ああ、クソッ。なんだってんだ、この子供は。
ソルは思い切りうな垂れたい気持ちに駆られながら、しかし首を絞める手を緩めた。今までのカイの考えと照らし合わせて解釈すれば、ソルの正体がなんであれ実害がないならば、これまで通り最大戦力として認識するという、至って合理的思考によって出た結論なのだろう。
普通はそう考えられたとしても、態度にまで表すことは困難だ。特に前線を走る騎士はギアと何度も戦い、命の危険に晒されている為、理性より先に本能がギアを恐れるはずだ。
……もしや、これもカイの演技なのだろうか。ソルに殺されない為の。
観察眼にはそれなりの自負を持っているが、それでもソルにとってカイは読み切れないところが多い。この態度が演技でないとは言い切れなかった。
見下ろす先の端正な顔は、大人びてはいるが幼い輪郭を残している。瞬く度に輝いて見える金色の睫毛は、まるで装飾品のように美貌を彩るのに、浮かべる表情は悪戯小僧のような無邪気さを滲ませていた。今まで向けられてきた無表情や完璧な笑みとは、明らかに違う類の反応だ。
罠なのか、本音なのか、本気で計り兼ねる。自分の1/10以下しか生きていない相手に、振り回されている事実を認めざるを得なかった。
カイをただ殺して解決ということが出来ない以上、こちらから仕掛けて、態度を見極める他ない。
ソルは静かに決意し、無言でカイの首に当てていた手を鎖骨の辺りまで滑らせた。カイが怪訝そうに見るのも構わず、詰め襟の止めを外していく。
「ソル? 何――」
疑問の声をあげかけたカイを制するように、ソルは屈み込んで晒された白い首筋に噛み付いた。
ビクリと、常の平静ぶりからは考えられないほど、カイの細い体が跳ね上がる。しかしそれを覆い被さって押さえ込み、驚くほど滑らかな柔肌に吸い付いた。痛みを伴うそれが不意打ちだったのか、カイが息を呑み体を強張らせる。ギアと血濡れで戦っていても表情に乏しい少年が、キュッと眉を寄せた。
膝を浮かせて身動きかけるのを体重で押さえ込むと、ベッドのスプリングが悲鳴をあげる。
「……神器を手に入れるまで、俺のことは口外されちゃ困るんでな。お前も秘密を持ってもらう」
「え……っ?」
白磁の肌に浮かんだ鬱血跡を舐め上げながら、ソルは耳元で囁いた。思わずといった態で裏返りかける驚きの声が、新鮮に思える。上手く動揺を誘えているようだ。
首筋から耳の裏まで尖らせた舌を這わせ、柔らかな耳に噛り付くと、カイが何かに耐えるように口を引き結んだ。
「抱かれろよ、カイ=キスク。次期団長様には十分なスキャンダルだろう」
「!」
蒼い瞳が、信じられないとばかりにこちらを見る。零れんばかりに見開かれた空色のそれは、綺麗過ぎて舐めてみたい気さえした。
ああ、コイツ相手なら案外イケるかもしれない。揺さ振りをかけるために突き付けた要求だったが、嫌悪感は驚くほど少なかった。
小さな耳穴に唾液を絡ませた舌を捩込むと、ひゅっと息を呑んで組み敷いた体が竦み上がる。空いた手は、押しやろうとする手をいなしてインナーの下から差し入れた。薄く筋肉の張った腰や腹が、身動く度に波打つ。
「こんなっ、ことをする必要は……ありません! 貴方の正体をバラして、私が得することなんて、ない…ッ」
拘束から逃れようと顔を背けて、カイが叫ぶ。首を絞めても焦らなかったのに、この行動には顔色を変えた。この美貌なら狙う輩は多かっただろうから、何か嫌な記憶があるのかもしれない。それとも例の『洗礼』が障害になって、こっちの経験が浅いのだろうか。
だがどちらにせよ、カイを確実に黙らせるにはこれくらいしか方法がない。『洗礼』の噂に再び信憑性を持たせて牽制することは出来るかもしれないが、その為にはカイ以外の誰かを結局殺さなくてはならないのだから。
これは神器の為、保身の為だと胸中で建前を並べながら、ソルは抵抗するカイにうっそりと笑いかけた。嫌がるようにベッドをずり上がる体から、小さな火花のように電気が発生するが、瞬時に中和式で散らす。法力で摩擦を減らして絶縁体に近付けたグローブでインナーをたくし上げ、胸の頂を指で挟み込むとカイの小さな口が歯を噛み締めた。
「これは、交渉だ。だから確約じゃなきゃ意味がねぇ。ホントなら命取ってるところなんだから、有り難く思えよ」
恩着せがましく言い放ち、ソルはカイの薄い唇を奪った。呻く声は喉奥に押し戻され、色白な目元に朱が差す。戸惑っているのか、カイは本気で怒りきることが出来ないままソルの腕の中に収まってしまっていた。
長い人生で、流石に男に手を出したことはない。しかし、裏の仕事上そういう店に居合わせたことやその手の趣向の人間に追い駆けられたことはあるので、不本意ながら知識はある。
解放した唇から荒い息が漏れるのを聞きながら、ソルは迷いなく細い体の下腹部へと手を伸ばしていった。
カイは、意外に従順だった。
無論、嫌がるように抵抗はしていたが、戦場で見せる非情さに比べれば殆ど抵抗していないに等しい力の無さだった。骨張った細く白い片足を掴み上げ、ソルが腰を揺すると、敏感な体が皺だらけのシーツの上で踊り、眼を楽しませる。
繋がった箇所はよく慣らしたお陰で傷つかなかったが、カイの精神は少なからず衝撃を受けたようだった。涙の溜まる瞳が、本気で感情のオーバーフローを訴えている。
見たことも、ましてや想像さえもしなかった、困惑と恍惚を綯い交ぜにしたカイの表情は、色を帯びて凄艶だった。人形めいた無機質さも底の知れない不気味さも綺麗に消え去り、気位の高い娘を手折ったような、満足感を味わわせてくれる。
決してこちらを許していないのは、潤みながらも睨む瞳に表れているが、それさえ心地好いと思いながら中を掻き回すように腰を押し込んだ。競り上がる慣れない快感に浮いた腰が跳ね、ぴんと伸びた爪先が空を蹴る。声だけはあげるまいと自らの口元を押さえるカイは、手の隙間から荒い息だけを零していた。
「声、出してもいいんだぜ? ここは他の寮とは離れてるからな」
耐えるように顔を背けるカイを覗き込み、そう促してやる。事実、特別待遇を受けているソルの部屋は個室で、他の部屋からはやや離れた位置にあった。
だがそれにカイは、眉間に皺を刻んで応える。絶対嫌だとばかりに、強い眼差しが訴えてきた。薄暗い部屋の中でさえ浮かび上がる白い体は、汗を滲ませて刺激に震えるのに、強固な精神はそのままなのが面白い。
局部を刺激して止まない眼下の光景と、絡み付く媚肉のうねりに酔いしれるながら、ソルは自らの下唇を舐めて潤した。
「出し惜しみすんなよ。雰囲気、出ねぇだろ」
「…、……っ…」
抉るように腰を押し付けながら、ソルは薄い胸のしこりに歯を立てる。あまり弄ったことはないらしく、ここへの刺激は一番反応に戸惑うようで、肩を震わせてカイは縮こまった。何度か弄り回して快感を覚え込ませれば、なかなかイイ反応を返すようになるのではなかろうかと、頭の隅で考えてしまう。
人間の限界を超えた年月を生きるソルは、どちらかというと食欲や性欲が希薄になってしまっていた。女の裸体に興奮を覚えていたのは十代、セックスにハマッたのは二十代、ギアになってからはそれどころではなくなった。ギアとして生きることに慣れが生じ始めた頃には、生理現象以外であまり下半身のものを使わなくなっていたというのが本当のところだ。
仕事で情報を得るために女を堕とす手管くらいはあるが、自身の危険性を考えると肌を合わせる行為は避けがちだった。いい女だと思う相手は確かに何人かいたが、踏み込む前にブレーキをかけていた。
だから交渉の手段として始めた行為が、ここまで心地好いと感じたのは初めてて、内心驚いていた。穿つ度に唇を噛み締めて耐える顔や、薄く固いはずの痩身が赤みを帯びて震える様が、何故か自分の性欲を煽る。普段の冷めたカイの姿を知っているからだろうか。
「気持ちいいか? 小僧」
「……ッ…!」
口角を上げて笑みを浮かべながら、ソルはカイの若い幹を扱き上げる。あまり使っていないのか色の薄いそれは、先走りを滲ませてヒクヒクと震えた。快感を押し出すように根本から先端にかけて裏筋を擦ってやると、足を閉じようと内股が痙攣する。
だが生憎、片足を肩に担ぎ、もう片方を膝の関節で挟み込んで動きを封じた今の体勢では、局部を隠すことは叶わなかった。些細な抵抗に心擽られながら、ソルが固くなった胸の飾りを吸い上げ、殊更ゆっくりと抜き差しをしてやると、カイは押し付けた掌の合間から震える吐息を吐いた。
抵抗も出来ずにいいようにされながらも、男のプライドでか、それでもカイは声をあげようとしない。それが面白くもあり、残念にも思う。男の喘ぎ声など野太いだけで可愛いげのカケラもないが、変声期前のこの少年ならきっと耳に心地好い声で鳴くだろう。
試しに、口元を覆う手を力任せに捩り上げて、頭上に縫い止めてやると、カイは限界まで首を捻ってシーツに顔を押し付けてしまった。余程、嫌だと見える。
その抵抗が少し面白くなかったソルは、角度をつけて腰を突き込みながら、カイの両腕を片手で纏め上げてやった。空いたもう片方で小さな顎を掴み、無理矢理上を向かせる。下半身の刺激に唇を震わせていたカイが驚き、すぐに眼を眇めてこちらを睨み上げてきた。
それに笑いかけてやりながら、ソルは前立腺を狙って腰を叩き付ける。瞠目したカイの唇が薄く開き、微かな悲鳴を押し出した。
「ぁ……っ!」
思った以上に艶を帯びた、甘い声が鼓膜に響く。
耐え切れずに傷跡の残る剥き出しの肩や首を震わせ、恥じるように頬に熱を昇らせる一連の変化を余すことなく見つめ、ソルは満足げに喉を鳴らした。四肢を封じられても抵抗を示す碧眼が、ほんの一瞬だけ陥落する様に下肢が熱を帯びる。
中に咥え込まされたものが肥大したことに気付き、カイが戦いたように震える息を吐いた。それを宥めるように、尖った顎からこめかみまで舐め上げて、ソルは熱い息を吐く唇に喰らい付く。
小さな舌を捕らえて吸い上げ、歯茎の凹凸をなぞってやると、カイは胸を喘がせながらソルの後頭部から垂れる長い髪を掴んで引いてきた。やめろ馬鹿、とでも言いそうな眼差しを受けて、ソルは喉の奥で笑う。
やばいな、これは病み付きになる。
本来の目的を忘れそうな魅力的な体を食い荒らしながら、ソルはそんなことを思った。
――それから、3年の月日が流れた。
ギアの出現を知らせる鐘が鳴り響く中、カイは出撃の準備に急いでいた。今日は特別な節目なだけに、特に気合いが入る。
新しく相棒になった白刃の長剣を光に掲げ、その不思議な輝きに眼を細めた。剣を握っていると、内包される法力の大きさを感じる。
簡易救急用具や保存食を入れた袋を腰のベルトに留めた時、ポケットに入れていた私用の通信機が鈴やかな音を奏でた。
『インドの方で、メガデス級が暴れてるぜ』
「不思議ですね、我々はスイスで感知しましたよ」
挨拶も無しに用件を話し出す声に、カイもまた落ち着いた声音で言葉を返した。幾度として繰り返した戦場報告で、互いに挨拶も前置きも無い。必要なことを短時間で伝える、それが暗黙のルールだ。
通信機の向こうで話すのは、2年前に封炎剣をまんまと盗み出して脱走した、目下手配中のソル=バッドガイだった。もっとも表向きがそうであるだけで、カイも神器強奪に関しては一枚噛んでいるので共犯だ。当時はソルという戦力を失うことに同意しかねたが、今は彼の正体を知っているので、むしろ別行動の方が能力を発揮できると知っている。
ギアの出現場所を告げたカイの言葉に逡巡するように、通信はしばし沈黙した。
『……どっちかが、陽動か?』
「可能性は高いと思います。最近は主力と思しきギアの殲滅に成功していますし、ジャスティスが策を練ったのではないかと」
『それにしちゃ、お粗末だな』
「戦力を分断するには効果的だと思いますよ。特にギアは、1体いるだけで人間にとって十分な脅威と成り得るのですから」
カイが可能性はあると肯定すると、ソルはすぐに考えをまとめたようだった。
『じゃあ後払いで、インドの方は俺が受け持ってやる。始末できたら、前の未払い分と合わせて三日だ』
「……ゲテモノ食いも程々にしておかないと、お腹壊しますよ」
助力は有り難いが、ソルの言った支払いに顔を顰めて厭味を言ってみる。脱走してから、ソルはカイの協力要請に応えてくれるようになったが、それは夜を共にすることと交換条件だった。どういう思惑でそんな条件を提示したのかは分からないが、正直言えばカイもソルとのセックスは嫌いではないので黙って享受していた。
しかし不可解だとばかりの厭味に、通信機の向こうで、ゲテモノ食い? 美食家の間違いだろとソルは臆面も無く返してくる。男として、その言葉は喜ぶべきかどうかは微妙だ。
カイの渋面を予想していたのか、こちらが無言になるとソルが喉の奥で笑うのが聴こえた。馬鹿にされている。
思わずイラッとなった自分に、駄目だと言い聞かせて抑制した。代わりに満面の笑みを浮かべながら、そういえば…と違う話題を切り出す。
「先日、16歳の誕生日を迎えると共に、正式に団長の地位を拝命しました。貴方から祝いの言葉は、無いのでしょうか?」
『ァア? やっとかよ。遅かったな』
祝うどころか、気だるそうな文句で返ってきた。本当にこの男は、人の神経を逆撫でするのが上手い。
笑顔のまま物騒なオーラを漂わせたカイだったが、通信機の向こうではワンテンポ遅れて不自然な沈黙が降りた。
『……16、つったか? 今』
「そうですが、それが何か」
改めてソルに年齢を確認され、カイは棒読みで返す。それにまたもや不自然に沈黙する通信機に、カイは首を傾げた。
通信が途切れたのだろうかと一抹の不安を抱いて、懐中時計型の通信機に耳を近付けたカイは、微かに呟かれた『……13……』という言葉に眼を瞬く。すぐには気付かなかったが、話の流れを振り返ればソルが何を考えてそう呟いたか、分かってしまった。
そして同時に、今更過ぎるソルの認識に長い溜息が漏れた。
「……だから、ゲテモノ食いだって言ったんです。普通は犯罪ですよ。……今もどうかとは思いますが」
『お前、……老け過ぎだ。もっと子供らしくしろよ』
唸りながら、珍しくソルが弱々しい声音で文句を言ってきた。姿は見えないが、なんとなく頭を抱えているような気がする。余程、カイの年齢が衝撃的だったらしい。
ソルのような傍若無人でも気にするのかと意外に思いながら、カイは手に握っていた剣に視線を落として、もう一つの報告を口にした。
「あと、無事に封雷剣も授かりましたので、今度お手合わせ願えますか?」
『……あ? 神器は良いとして、なんでお前と手合わせしなきゃなんねぇんだ』
まだ衝撃から立ち直っていないらしく、言葉の割には覇気の無い声音で尋ねてくる。それに苦笑しつつ、ずっと待ってるんですけれどね?と付け加えると、益々怪訝な気配が向こうから漂ってきた。
「気が変わるまで待ってると、言ったでしょう?」
『……いつまでも保留にしてんじゃねぇよッ!!』
3年前のやり取りを思い出したらしいソルが、通信機の向こうで思い切り怒鳴る。それに涼やかに笑いながら、この関係は嫌いではないなと、カイは思った。
END
こんなに手綱が握れないソルカイは、久しぶりでした。
やっと終わりました。お待たせしすぎました。ごめんなさい… orz
1年ほど前に同人誌のネタでアンケートを取り、リクエストの多かった聖騎士団時代です。
カイの有り得ない設定と有り得ない性格が災いし、どこへ暴走するのか書いてる方も分かりませんでした。
そして仰々しく敷いた伏線が、お粗末なタネ明かしで本当に申し訳御座いません。管理人の科学知識は、小学生の理科で止まってます;;
ちなみにカイの年齢については、聖戦終結した年と団長任命が同じ年だと仮定しての設定です。
ソルが入団した時期にすでにカイが団長なら、もっと歳を食ってる計算になります。