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7年越しの自覚症状





ハッピーニューイヤー? バレンタインデー?
――クソ喰らえだ。
口汚く胸中で罵りながら、カイは軋む階段を上がっていた。後ろからは二人の部下がついて来ており、何れも警察の外套に手錠を携えている。
聖戦が終結して、四年の歳月が流れていた。役目を終えた聖騎士団は解体されて消滅したが、代わりに発足された国際警察機構には多くの元騎士団員が所属することになった。
カイもご多分に洩れず、長官としての地位を頂いた。戦争の傷跡が残る世界に貢献できることはカイとしても喜ばしいことだが、流石に多忙が過ぎる年末年始は恨み言の一つも言いたくなる。
暴れる余力があるなら働け、犯罪者。
体は一つしかないというのに、各地で多発する犯罪の対応に追われるカイは、苛々しながらそんなことを思う。役職柄は本来現場に出ることがあまりないはずだが、聖戦からの復興がまだ完全でないために自ら奔走することの方が圧倒的に多い。
聖戦中のギアとの闘いは、まさに命の取り合いだった。少しの判断ミス、タイミングの違いで死はすぐ目前にある。だが同時に、隙あらば相手の命を容赦なく刈り取ることができる立場でもあるせいか、戦いにおいてカイはストレスを感じることは少なかった。弱肉強食の世界は、絶壁で踊る舞のように恐怖と昂揚が同居している。
しかし人間社会での問題は、剣を振るって解決できることなどほとんどない。いかな極悪人相手でも、正当防衛でない限り暴力を行使することは出来ないのだ。
罪状だけ見れば死んで頂いた方が良いのではないかしらと思うような輩でも、今まで生きてきた一つの命である。他人がその生命を勝手な判断で絶つことは許されない。万が一それを許せば、自分自身もまた他人の判断で命を奪われる可能性を容認したことになる。
とにもかくにも、犯罪撲滅はギア討伐のように単純明快ではなかった。逮捕礼状を取るにも、それなりの物的証拠や状況証拠を揃えなければならない。つまり、ギアと対峙するより危険性は低いが問題解決には時間を要するということだ。
そんな、検挙に手間取る事件が年末から春先まで多発する。集中して事件が起これば、当然ながら人手不足に陥って警察としての機能は低下するので、このシーズンは毎年カイにとっても迷惑極まりない時期だった。
木造の薄汚れた壁や扉を見つめて、三階も二階と同じ造りかと思いながら、カイは脳内に店舗構造を描き留める。隠し部屋や不自然な空間があれば気付けるように、位置関係を把握するのはもう既に癖となっていた。路地裏で隠れるように経営するこの宿は、階数はあるものの驚くほど狭くコンパクトに各部屋が設けられている。
階下で行った対応をそのまま繰り返そうと、カイは躊躇いなく左端の部屋にマスターキーを差し込んで解錠した。カチリという音が響くと同時に、中へと一気に踏み込む。右足の白いブーツが、軋む床板を踏み付けた。
「お取り込み中大変申し訳ございませんが、捜査にご協力頂けますでしょうか」
免罪符のように警察手帳を掲げながらカイはそう言い――思わずそこで停止した。眼前の予想外な光景に、眼を見開く。
目の前にはただ一つの目的の為、狭い部屋に不釣り合いなダブルベッドが鎮座していた。そして予想通りの行為がベッドの上で行われている真っ最中だったが、それは勿論分かったうえで踏み込んでいるので、問題ではない。
では何に驚いたのかと問われれば、そこにいる人物だった。ここ最近の忙しさですっかり忘れていた男が、予想外の形で目の前に現れ、カイは一瞬動揺が隠せなかった。
だが驚いたのは向こうも同じだったようで、緋色の眼がこちらを振り返る。視線がかち合った瞬間、カイは持ち前の強靭な精神を奮い立たせ、年季の入った笑顔の仮面を被り直すのに成功した。
「……というわけで、下のロビーまでお集まり願えますか? 前科五十犯っぽいアナタと、そちらの女性従業員さん」
「なんでだよオイ」
ニコリと笑って言ったカイの言葉に、男がすかさず反応した。着衣はほとんど乱れていないが、下半身はベッドに横たわる娼婦と繋がったままという構図が、客観的に見るとかなり間抜けだ。そんな状態で鋭い眼差しを向けられても、恐れなど微塵も感じない。
掲げた警察手帳を懐に戻しながら、カイは躊躇いなく男の方へと近付いた。昔から変わらない容姿を維持するその男との再会は、どれくらい振りだっただろうかと頭の片隅で考えながら、逆立った茶髪の頭を見下ろす位置に立つ。
そうだ、半年くらい前の大捕物のあと以来だ。その時の協力報酬を支払ってから、姿を見ていない。冷静にそんなことを考えながら、カイはソルの顔を見下ろした。
距離を詰められて戸惑いが強くなったのか、ソルは女の足を手放し、腰を浮かせる。その動きに結合が解け、女は震えながら甘い喘ぎ声を漏らした。
……なるほど。自分はいつも、こんな間抜けな姿を晒しているのか。
身もだえる娼婦の裸体を眺めながら、カイはそんな感想を持った。溶けたように肢体を投げ出す姿に、色気よりだらし無さを感じてしまったカイは、いつも組み敷かれる自身を連想して、なんだか馬鹿馬鹿しく思えた。
自分の思い通りになる相手を見下すのは、さぞ快感だろう。既に忙殺の日々で疲れた頭は、ぼんやりとそんな思考に飛ぶ。
静かに冷え冷えとした眼を向けるカイに、ソルは珍しく動揺しているようで、女から距離を取るようにベッドから降りた。
「なんだ……ガサ入れか?」
「はい。なので疚しいことがなければ、ロビーで身分証明を提示して、幾つか質問に答えてください」
面倒だと思いますが、ここで逃げるととりあえず逮捕することになるので大人しくしてくださいね。
そう言葉を添えたカイは、羽織っている外套を開き、腰に下げる手錠をちらつかせる。それを見たソルが、嫌そうに眉根を寄せた。
不満げな眼差しは横に流し、カイは横たわる娼婦にも視線を向けた。
「貴女も下のロビーに来て下さいませんか? 大変申し訳ないですが、全従業員は暫く事情聴取にお付き合い頂くことになりそうですので……」
「え……っ?」
完璧に近い美貌で微笑み、カイはそう説明する。自分の容姿が、周りにどういう印象を持たれるかは把握しているので、カイはよく意図的に活用していた。異性は勿論、同性をも引き込む柔らかい笑みは、相手の警戒心を解くのに役立つ。ゆっくりと優しげな口調で話せば、安心感も与えられるだろう。
だがカイの穏やかな促しに、娼婦は蕩けていた表情を一変させ、顔を青ざめさせた。顕著な反応に自分の対応を間違えただろうかと不安になったが、慌てたように起き上がる女を見てその考えを打ち消した。
違う、これは……。
「アンタ、警察……!? なんで……」
「この店でドラッグの取引が行われていた疑いがあります。なので、捜査のご協力をお願いします」
慌ただしく服を手に取り着用する女を見下ろしながら、カイはあくまで柔和な雰囲気を纏ったまま続ける。先程までの気怠るげな色気を振り払い、煙草でも吸い出しそうながさつな動きで身仕度を整える様は、流石仕事で性を売る者だと思わせる切り替えの早さだ。女性は男性と違って、性行為において演じることに長けている。
女はある程度着衣を整えるとすぐさまベッドから抜け出て、出入口へと向かった。連れていた部下二人は近付く女の為に、道を開けようと一歩下がる。
しかしその時、ソルが微かに舌打ちして呟いた。
「待て……そいつは別件の関係者だ」
隣に立つカイの耳にしか届かない可聴域ギリギリの囁きに、カイは視線を女の背へと向ける。
そして、次いで走らせた視線は壁に掛けられたままのショルダーバッグを捉えた。瞬時に考えを思い付いたカイは、長い外套の下で手荷物を探りながら、女に声を掛けた。
「あ、お待ちください。お嬢さん」
「……何?」
あくまで穏やかな呼び止めに、女はコートの合わせ目を押さえながら足を止める。カイは振り返る女の視線を感じながら、バッグへと近付き、手に取った。
「これ、どこで買われたんですか? 良いバッグですね、縫製がしっかりしている」
「! 触らないでッ」
カイが和やかにそう言って聞くと、瞬時に女は顔を強張らせて叫び、ツカツカと歩み寄ってくる。態度の豹変に驚く部下達を尻目に、すぐ目の前まで来た女はカイの手からバッグを引ったくるように奪った。
やはり突然の強制捜査に動揺して、大事なバッグの存在を忘れていたらしい。カイはわざと少し驚いたような顔をして、すみません…と気弱な声で謝った。
他意もなく大人しいカイの様子に、過剰な反応をしてしまったと思ったのか、女は少し不自然に口端を上げて微笑んで見せた。
「ごめんなさい。大切な人から貰ったものだったから、つい」
「そうですか、それは失礼致しました」
軽く頭を下げ、カイは一歩引く。それに女は安堵混じりの息を吐き、私こそごめんなさいねと言って、直ぐさま出入口へと踵を返した。
今度こそ部屋を出て行った女は、廊下へと姿を消した。戦場で鍛えた耳の良さで女の気配を辿ると、案の定途中でそれは途切れ、窓か別の出入り口から外に出たようだった。
「……次の部屋へ、先に向かって頂けますか?」
立場上は部下だが自分より目上の男二人に顔を向け、カイは突然そう切り出す。どうしたのですかと尋ねる部下に、カイは困ったような顔をしながら近付き、マスターキーを手渡した。
「そこの男性が捜査協力に渋っているようなので、説得も兼ねて少し調べてみます。ここに三人いても時間が勿体ないですから、次の部屋に呼び掛けを行って下さい」
視線をちらりとソルの方へ向け、カイはそう囁く。秘め事のように声量を落としたカイの様子に、部下達は同じくソルを盗み見て、成る程いかにも怪しそうな奴だと判断したようだった。
実力は聖戦時に折り紙つきであったこともあり、部下達はお気をつけてと言葉を残して、カイの指示通りに隣の部屋へと向かって行った。幸いにも部下達は神器を強奪した経歴を持つソルを知らなかったようで、疑問に思われずに済んだ。
部屋に二人だけになったのを見計らい、カイは徐に手荷物を床に置いて中を探る。服を整え、得物を担いだソルがカイの黄色いつむじを見下ろした。
「……なんか、細工しやがったか?」
「あまり精度は良くありませんが、発信機をバッグに取り付けました。貴方なら大体の位置でも追えるでしょう?」
先程の不自然な行動の真意を、ソルは汲み取ってくれていたようだ。会話の間に発信機を仕掛けたことを告げて、カイが探り出した小型受信機をソルに渡すと、赤い瞳が不遜に見下ろしてきた。
「……形は完全にブラックテックだな。中は法力で動いてんのか」
発信機のおおよその位置を示す、手帳ほどの大きさの受信機のモニターを見ながら、ソルが鋭い指摘をする。直線的で金属が剥き出しのそれは、事実ソルの見解通り聖戦前の精密機械を改良したものだった。
捨てたはずの科学技術が今なお保持されていることにソルは物騒な視線を向けてくるが、カイは怯むことなく無表情で見返す。
「外のパーツは科学技術時代のものを流用していますが、中の構造は大部分が現代のものに替えられています。だから、完全なブラックテックとは言い難いんですよ」
ただしそれは、科学と魔法の融合を表すのかもしれませんけれど。
意味深にカイが微笑むと、ソルは苦虫を噛み潰したような顔をした。科学技術の単なる保持や使用だけではなく、研究して魔法への代替えを行い、更に科学と魔法の利点を応用して使いこなす。まさにそれが、警察や国連の裏で行われているのだという事実を示していた。
モニターに視線を落としたソルは、発信機の位置よりも受信機の構造を知りたそうに見える。ソルの経歴は知らないが、ギアであることやブラックテックに詳しいことから、こういうグレーゾーンの物には興味が強いのだろう。
予想通りの反応に薄く笑いながら、カイは受信機を指した。
「それ、差し上げますから、さっきの女性を追ってください。貴方の用事が済んでからで構わないので、身柄の引き渡しをお願いします。……ただし、殺さないでくださいよ。死人では事情聴取出来ませんから」
「ぁん? 面倒だな、生け捕りか」
如何にも面倒くさそうに、ソルが溜め息をつく。しかし行動は決まっていたらしく、薄汚れたいつもの赤い姿で窓辺へと近付いた。
「こちらの免罪符は捜査令状だけです。人手も足りない今、容疑者をすべて確保するのは難しい。宜しくお願いしますね」
そう言って、カイは微笑んだまま見送る。正規の手段では対応出来ない相手をソルに任せるかたちになるが、この時期は本当に手が回らなくなるので致し方ない。
カイが見つめるなか、ソルが窓を開け放してから少し肩越しに振り返った。
そして、しかめ面で一言。
「その顔、やめろ」
「……え?」
突然、不機嫌そうにぽつりと呟いた言葉に、カイは瞬きした。
顔? 何のことだろうか。
意味が分からず、問うようにカイが見つめ返すと、ソルは小さく舌打ちして顔を逸らせてしまった。それから何の言葉もなく、ソルが窓に足を掛けてガラス戸を開け放つのを見て、カイは慌てて一体何なんですかと声を掛けるが、そのままソルは外へと飛び降りてしまった。
本当に、一体何なんだ。
柳眉を寄せ、カイは男が消えた窓をしばらく眺める。しかし凝視したところで、風に軋みをあげて揺れる戸が答えてくれるはずもなく、カイは溜め息をついて窓を閉めたのだった。







次の日に届いた報告は、ドラッグ密売に関与していたらしき娼婦の死亡と、ある暗殺組織の拠点壊滅だった。
あれほど殺すなと言ったのにと忌ま忌ましい気分に陥りながら、カイが立ったまま報告書を流し見ると、どうやら女性の死はソルの手によるものではないようだった。腰の辺りにあるナイフの傷は足止めに当てられた初撃で、致命傷になっている背中から心臓を貫く穴は、太い針で刺されたのだろう。ソルはそんな物影からナイフで狙うような、まどろっこしい真似はしない。
任務の失敗か口封じかは分からないが、恐らく暗殺者でもあった女を闇に葬ったのは暗殺組織の方だろう。しかしソルに場所を特定するだけの情報を与えてしまった後では、意味がなかったと言わざるを得ない。
とにかく暗殺組織の壊滅はこちらとしても有り難かったが、ドラッグの密売ルートはまだ判然としていないのが実状だ。死体になった女性の身元や店と組織の関与を、地道に洗い出さなければならない。
生きていれば色々と助かったのだけれど。カイは男との交わりに悦楽を見せていた女の姿を思い出しながら、溜め息をついた。ソルのように快楽で情報を引き出すのは無理でも、尋問くらいは警察でも出来ただろうに。
……まあ、どちらにしろ既に手遅れだ。彼女は死んでしまった。
ぼんやりと脳裏に浮かんでいた、性交に悦んでいた女の顔がみるみるうちに生気を失い、血を流していく。艶やかに桜色に染まっていた頬は白くなり、壊死した筋肉は唇をぽっかりと開かせ、生物を固く冷たい無機物へと変える。
あくまでただの妄想に過ぎないが、死に様を容易に想像出来てしまうのは、実際に何人もの死体を目の当たりにしてきたからだろう。カイにとって死とは、ごく身近なものだった。例え聖戦は終わっても、特異な地位にいる為に命を狙われることはままある。そうでなかったとしても、何気ない日常で命を落とす可能性も人間である以上否定できない。階段から足を踏み外すかもしれないし、病で突然倒れるかもしれない。何処で何が起きるか、それは誰にも分からないのだ。
その一つの可能性として。自分もいつか、ああなるかもしれないとふと考えた。
薬にまみれ、手を血で染め、性を売らなければ生きていけなかった娼婦。乱れる女を見下すように、赤い男は獰猛な眼差しで攻め立てる。動かなくなり、利用価値がなくなれば捨てて去られるだけだというのに、それでも快楽に溺れる女が愚かなのか。
感情の伴わない性行為という点において、実はあの娼婦も自分もさしたる違いはない。それを忘れていたつもりはなかったが、ソルの与える快楽が心地好くて、突き詰めて考えることを無意識に避けていたのかもしれない。仕事の報酬が性行為である理由を疑問に思い始めれば、自分は追求しなければ気が済まなかっただろうから。
警察の職について尚、何故未だに金銭の支払いへ切り替えなかったのか。それは少なからず、ソルへ依存していたからとは言えまいか。
異能の才を讃えられながら裏では忌み嫌われるカイを、ただの少年として扱うその態度に、いつの間にか救われていたのだ。外面を気にすることなく素の自分を曝け出せるのは、居心地が良かった。
しかしソルにとっては、どうだろうか。ギアである身からすれば、カイは一時同じ時間を過ごした通行人程度でしかない。老いることのない外見でどれ程の年月を過ごしてきたのかは知れないが、クリフ以上は生きているように思われる。それだけの時が過ぎれば、他人に対する興味も執着も薄くなっておかしくない。
あくまでも仕事上で成り立った関係。利害不一致の場合は、容易く切り捨てられるであろうことは想像に難くなかった。それをソルは躊躇わないだろうし、そういう関係から始まったことだから当然のことだとカイも思う。
完全にソルへ寄り掛かってしまわぬうちに、自分が突き放さなければいけない。今ならまだ傷も浅く済むのだから。
カイは静かにそう心に決めながら、報告書から視線を上げた。
胸中で娼婦の冥福に祈りをあげながら、カイは控えていた部下に引き続き捜査を遂行するよう伝え、外套を羽織った。
朝一に報告だけ受けに国際警察機構パリ支部に立ち寄ったが、今日は本来、要人の警護と案内が予定に入っていた。そのまま目的地で会食に参加する予定だ。腹に一物どころか二物、三物抱えたような集団と顔をつき合わせての会食なだけに、最高級の品々も味が分からなくなることだろう。
カイからすればひどくつまらない、見栄えばかりの無駄な催しだが、そこで取り交わされる会話や人脈は裏から世界に多大な影響を与える。
違法な取引、不道徳、そんなものはざらにあるが、今のカイの地位では、下手に糾弾すると容易く首を撥ねられかねない。無謀と勇気が違うことは重々承知しているので、今はただ沈黙を守るのみだった。
不愉快な気持ちとは裏腹に優雅な笑みを浮かべ、カイは部屋を後にした。





目下の獲物であった暗殺組織は、難無く壊滅させた。指示された娼婦の生け捕りは失敗したが、犯罪の形跡は大方残しておいたので、優秀な長官殿は上手くやってくれるだろう。
自分の目的を果たしたソルは当面の休息を手に入れ、隠れ家である町外れの廃屋で金属の塊を分解していた。カイから貰い受けた受信機だ。
ブラックテックが国際警察機構上層部及び国連で研究され、実際に応用されているであろうことはなんとなく予想していたので、驚きは少なかった。いくら魔法理論が確立したといえど、科学でしか出来ないことがある以上、完全に人類が科学技術を捨て去るとは考え難い。
ツェップが未だ空に独立国家としてあるように、科学技術は魔法と違って特殊技能がなければ発動がままならないという事態が少なく、武器さえ行き渡ればすべての一般市民を兵士へと変えることが出来る。反面、人の資質や理解力に大きく関わる魔法は一個人が振るえる最大影響力を引き上げた。だからこそクリフやカイのような絶大な力を持つ者が、日の目を見るようになった。
便利なものを万人が等しく使うことが出来る。その魅力に気付いたからこそ、カイはブラックテックを容認しているのではないだろうか。堅物ではあるが目的の為には手段を選ばないところのあるカイの性格を思い出し、ソルは口元を歪めた。自身を棚に上げて言うのも何だが、規律や道徳も場合によっては鼻であしらうあの青年なら十分に有り得るだろう。
外蓋をドライバーで外したところで、ソルはふと別れ際に見たカイの笑顔を思い出した。何故かひどく不愉快な気持ちに駆られ、思わず文句が口をついで出てしまった、完璧な笑顔。女も羨む美貌で、睫毛を震わせて蒼玉の瞳を覗かせる様は、誰が見ても綺麗だと称賛するであろうはずなのに、ソルは喉まで競り上がる不愉快さを抑え切れなかった。
何がそんなに違和感を抱かせたのか。配線を引きずり出す作業に没頭しながら、ソルはカイの表情を思い出して――理由に気が付いた。
そうだ。カイは昔、自分に対して笑みなど向けなかったではないか。
精巧な人形のように、完璧な美貌を向けるだけでカイが笑うことは滅多になかった。他の団員には惜しみなく見せる笑顔も、ソルの前では無表情に取って代わっていたのだ。
最初は額面通り、笑顔を見せる価値がないと判断されているのだろうと思っていた。恐らく本人もそのつもりだったはずだ。だが、カイの冷酷なまでの割り切りの良さ、そのくせ妙に素直なところがあるちぐはぐな性格を知るようになってから、苦手意識のあったソルに対して外面が保てないのだと気付いた。普段は綺麗に収まっている負の感情が、対抗意識や反発心に触発されて飛び出してしまったのだろう。
だというのに、仮にも十年近い付き合いがあって、今更笑顔を見せるのは何故なのか? そして他人行儀とも取れるそれに、自分は苛立ちを感じていなかったか?
有り得ないと胸中で否定しながらも、あの笑顔が表面上のものであると見抜けている自分に気付く。
仕事上、組織に通じていた娼婦とセックスをしていたが、それを目の当たりにしたカイが静かに怒っているように感じられたのだ。顔は笑っているが、眼は氷点下の如く冷めきっていた。
しかし例えカイが怒っていたとして、それが何だと言うのか。自分は何も悪いことなどしていない。カイの機嫌を損ねようが、自分達はギブアンドテイクの間柄でしかないのだから。
……そう理屈で固めてみても、何故か居心地の悪さは拭えなかった。浮気現場を抑えられたような後ろめたさに理性は馬鹿馬鹿しいと訴えるが、冷え冷えとした濃藍の瞳を思い出すと、喉に呑みきれない汚泥が張り付いたような感覚に陥る。
恐らく、カイとのセックスが心地好いと既に知っているからかもしれない。気が強く可愛いげのかけらもない性格だが、カイの容姿は一級品だ。男だという点を差し引いても、そこらの娼婦より色気もあって楽しめる。
だからまるで、美味いものを目の前に好きでもないものを食べているような、後ろ髪を引かれる思いをしたのではないかと……。
「……」
ふと、手元に焦点を合わせたソルは、いつの間にか作業が中断していることに気付いた。途中から手が完全に止まっている。ちらりと卓上のデジタル時計を見ると、随分と長い間配線を指で摘んだまま惚けていたようだ。
……どうでもいいが、さっきから例の青年のことばかり脳裏を横切ってはいまいか。自分の発想の方向性について、小一時間ほど問い詰めたい気分に駆られた。
結局、何だかんだと言いつつも、あの青年が気に入っていることには変わりない。それは自分でも認めるところだ。ここ数十年の間で、一番思い出す回数が多い人物だろう。……いや、二番目か。あの憎むべき男を含むのならば。
どちらにしろこのまま機械弄りが続けられるような気分ではない。こういう作業は好きな方なのだが、珍しく目の前の物体に興味が湧かなかった。
しばしプラスドライバーをコツコツと机に当てて視線を空に泳がせていたソルは、諦念の心地で溜め息とともに手の中の物を放り出した。





飛行艇を利用して、真夜中にパリ郊外の住宅地へ訪れたソルは、一際大きく豊かな庭園に囲まれた邸宅へ訪れた。
中に住む人物の重要性に比例するようにセキュリティ自体は厳重な建物だが、最初の生体認証でソルには通行許可が下りるように設定されており、自動アナウンスは深夜にも関わらずあっさりと門を開く。最初の頃、セキュリティを破壊して侵入したソルに腹を立てたカイが、ソルを通すように設定を変えた為だった。
しかし普通に訪問したのは外門までで、ソルは長い庭園を避けるように大きく跳躍し、邸宅の二階まで一気に飛び上がる。適当な窓枠に手を掛けてぶら下がると、ソルは内鍵に手を翳して法力で解錠し、難無く窓を開いた。
ものの数秒で邸宅内に侵入したソルは、真っ暗闇の中で夜目の利く視線走らせる。蔵書がぎっしり詰められた棚が天井まで伸び、壁のように立ち並ぶその部屋には見覚えがあった。勉学をこよなく愛するカイが、本を保管している書庫だ。
確かこの部屋の隣が仕事部屋、さらに隣が寝室であったと、脳の片隅に留めていた邸宅の見取り図を思い出す。夜中ということで家主は寝室にいるだろうと思い、意識をそちらに向けてみたのだが気配が感じられなかった。
当てが外れたことに、首を傾げながら一階の方へと意識を向けてみると、微かに人の気配がする。なんだまだ起きていたのかと思いながら、ソルは特に気配は絶たずに階下へと降りていった。
しかし廊下へ出た時に、明かりが一切ないことに気付く。暗闇に包まれた広い邸宅は静まり返り、人が住んでいないかのような錯覚さえ起こさせた。
この家には、今までに何度も訪れている。主に依頼の報酬を受け取りに来ているのだが、いつもここには生活感というものが感じられなかった。ゴミも埃も見当たらない、洗い場も居間も常に新品同様。まるでモデルハウスにいるような、住人の個性が一切感じられない家だった。趣味だというティーカップですら、食器棚にひっそりと納められているだけでコレクションというには些か数が少ない。
いらないものは、すべて排除する。目的に応じたもの以外は、最初から手に入れない。それがカイの考え方であり、生き方そのものだった。
そんな家主の思考を表した、生活感のないだだっ広い廊下を歩いて、ソルは居間へと辿り着く。やはりそこは闇に包まれており、微かな気配に気づかなければ留守だと思ったことだろう。
戸を開け、足を踏み入れると、すぐに普段と違う光景に視線が吸い寄せられた。暗闇に浮かび上がる真っ白なソファに、青い塊が横たわっている。
それが、警察の外套を羽織ったまま倒れ込むように突っ伏すカイの姿だと理解するのに、約一秒要した。それくらい、普段のカイのイメージからは外れた行動だったのだ。外套を着たまま、しかも倒れ込むように真っ暗なソファへ横たわっているというのは、基本事項は真面目一辺倒でこなす彼にとっては珍しい。
怪訝に思いながら近付くと、眠っていると思われたカイが身じろいだ。
「……来るな……」
溜息と共に吐き出すように、そんな言葉が紡がれた。掠れて消え入りそうな声は辛うじて聞き取れたが、意図が分からずにソルは構わず近付く。
すると歩みの止まらぬ気配に、カイが反射的に顔を上げた。
「何か用ですか。……受信機は渡したでしょう」
常よりも険を含んだ口調に、ソルは片眉を上げる。そして、カイの明確な異変に気付いた。
いつもは白磁のように白い肌が、鮮やかな朱に染まっていたのだ。首元まで紅潮している様は、まるで風呂でのぼせたかのよう。そして、ブルーサファイアの瞳は熱っぽく潤んでいた。呼吸が苦しいのか、薄く唇を開いて息をつく様が、生唾を呑み込むほど艶やかだ。
常に冷めた態度を取る青年が、情事の最中でしか見せない表情をしていることにソルは驚いた。
「どうした」
思わず尋ねる。不思議に思う理由が分かったらしいカイは、ふいと顔を逸らせて再びソファに突っ伏した。
「いいから、帰ってください」
「何があった?」
カイの冷たい言葉も無視して、ソルは屈んで手を伸ばす。それを露骨に避けるように、カイは体を捩った。
「何もない…っ、いいから帰ってください!」
「何もないってこたぁないだろ」
逃げられるスペースが限られたソファの上では、拒絶は意味を為さない。本気になれば蹴り飛ばしてでも逃げるであろうカイが、ろくに身動きも出来ないところを見ると、全身に影響が出ているようだ。
風邪……というには、艶っぽ過ぎる顔。酒に酔ったというのもないだろう。カイは確か酒には強かった。そうなると……。
「ドラッグか」
「……」
ソルがそう聞くと、カイは沈黙した。熱っぽい息が、濡れた唇から漏れる音だけが響く。沈黙は肯定だ。
身を縮ませるカイに触れ、ソルは金髪を撫でた。反発するように、パチリと青白い光が弾ける。昔から変わらない、触れた相手を弱らせる放電だが、自己修復に長けたギアの体には大した影響は及ぼさない。
そのまま、つと血管をなぞるように項へ指を滑らせると、カイが反射的にぶるりと体を震わせた。体が随分と敏感になっているようだ。
しかしすぐに顔を歪め、カイは嫌そうに下唇を食んだ。
「あの娼婦が接触していた……ドラッグ組織、政界にも食い込んで…いました」
「……なんで、坊やまで一服盛られてんだ?」
「招かれた、会食の席で……」
喉が渇くのか、息苦しそうに唾を飲み込みながらカイが言った言葉を聞いて、大体の経緯は察せられた。
ソルは暗殺組織をターゲットに先日の娼婦に接触したが、カイはドラッグの密売捜査で近付いた。娼婦がどちらの組織にも関係を持っていた為に、ソルが先に暗殺組織を壊滅させて世間に炙り出したことで、密売組織も実態が露見するのを恐れたのだろうと思われる。
実際に壊滅させたのはソルだが、表向きはネームレスの賞金稼ぎなので逆恨みされる確率は低い。警察で捜査権限を持つカイの方が、よほど標的にされやすいというわけだ。
しかし、まんまと罠に掛かったカイがらしくないなと思う。社交的に振る舞うカイが実は誰も信用などしていないのは、既に聖騎士団時代に知っている。依頼の報酬として体を繋げても、カイは一度としてソルに縋り付いてきたことはない。それほどまでに頑なな男だ。
幼子をあやすように髪を撫でてやると、苦しそうに耐える表情をするカイが珍しく、面白い。過敏な体は触れる手に快楽を煽られているのだろうが、それを良しとしないカイが理性で抗っているようだ。それでも自分の手に大人しく収まる形になっている姿に可愛い気があると感じてしまうのは、普段の冷たさ故だろうか。
「……麻薬ってよりは、催淫剤っぽいな」
「この時期に流行る…、ラブドラッグ……通称『キャンディー』だそうですよ。ただし強力過ぎる違法商品ですが……」
ハァ…と息をつき、いい加減触るのをやめてください、とカイが恨めしげに睨んで付け加える。払いのける力がないのをいいことに、ソルはそれを聞き流した。
規定内の配合や安全性をクリアしていたならばラブドラッグは合法だが、裏で流通しているものは一歩間違えれば危険な効能のものが多い。確か『キャンディー』は人身売買の業者が、娼婦を仕立てあげる為に用いるドラッグで、かなり強力だったはずだ。一回きりならば依存性は低いだろうが、薬が抜け切るまでかなりの時間を要するだろう。
それでも強力故に、欲しがる人間は後を絶たない。特にバレンタインデーというイベントが近付けば尚更、一般人からの需要も高まる。
結局は美味い商売だ、巨額の富を得られる生業をやめられるはずもなく、邪魔者であるカイを抹殺しようと思ったのだろう。
「しかしまあ、猛毒じゃなくて良かったんじゃねぇか? 死ぬ心配はねぇんだろ」
「……そうですね。代わりに、脂ぎったタヌキ親父に喰われそうには…なりましたが」
ソルの問い掛けに、口端で自嘲気味に笑って、カイが答えた。成る程、本当に殺すのではなく精神的ダメージを狙って脅してきたというわけか。それでも自力で逃れてきたカイの強靭さは、驚愕に値するだろう。
自宅まで辿り着いて既に力尽きたカイは、もう話すことはないと言わんばかりに目を閉じた。一通り説明したのだから放っておいてくれという態度だが、そこではいそうですかと立ち去るソルではない。
「協力してやろうか? 坊や」
「……。何の、話ですか」
「抱いてやろうかって、言ってんだよ」
「!」
ニヤリと笑いながらそう提案してやると、カイが目を見張った。こんな状態ならば、さぞかし魅力的な提案に違いあるまい。そう思って、からかいを含んで言ってやったのだが、カイは眉をひそめて首を振った。
「いりません。帰ってください」
思いの外、はっきりとした拒絶が返ってきたことに驚いた。普通ならば朦朧とした意識の中で、セックスのことしか考えられなくなるのがラブドラッグの特徴だ。快楽を目の前にぶら下げてやれば食いつくのは道理のはずだが、カイの潤んだ瞳は理性を強く宿していた。
「ンなことで今更、意地張る必要もねぇだろ」
くだらない反発心からきた発言だろうと思い、ソルは呆れたように息をつく。意思の強いカイは契約外での接触が許せないのかもしれないが、もう何度もこの体を抱いているのだ。今更一回増えたところで、大して変わらない。
しかしそう言ってソルが構わずカイの服に手を掛けると、鋭く腕を払われた。鞭で打たれたような痛みに顔を顰めてカイを睨むが、カイもまたこちらを睨みつけていた。
重たげに上体を起こし、カイが荒い息をつきながらソファに凭れ掛かる。反抗的な態度に多少面白くない気分になったソルだったが、起き上がったカイが憂いを帯びた目でこちらを見ていることに気付いて、言いかけた文句を呑み込んだ。
「ソル……もう、やめませんか。こういう関係……」
何の話だ――とは、言えなかった。
カイが言いたいことは、分かってしまった。友達でもない恋人でもない、ビジネスだけで体を繋ぐこの異様な関係を終わりにしないかと言っているのだ。だからカイは、頑なにこちらの手を拒んでいたのかと遅ればせながら理解した。
確かに、そろそろ潮時かもかもしれない。いくら割り切った関係と言えど、最初に抱いた頃から既に7年が経過しており、それだけの期間があれば少なからず情も生まれている。
事実、今目の前にいる熱に浮かされたカイを見ていると、つい手を伸ばしたい衝動に駆られてしまう。その筋肉質な体がしなやかで触り心地のいい肌を持っていることも、愛撫に耐え切れずにあげる喘ぎが耳に甘いことも、既に知ってしまっているからだ。
今までの人生から比べれば短い時間だが、カイの体はソルにとって馴染み深いものとなってしまっていた。
「……あれから、ずっと考えていました。私とあなたは……娼婦と客の関係と、大差ありません。昔は……聖騎士団にいた頃は、依頼に見合った報酬を用意できなかったのだからこれでいいのだと…そう、思っていました。でも、今は警察で仕事をしてきちんと給与も貰っている。なのに、未だに体を差し出しているのは……不自然ではないかと思うんです」
力の入らない体でこちらを見上げるカイは、浮ついた意識の中で懸命に言葉を選んでいるようだった。理性を保つことに集中しているせいか、矛盾を挙げるカイの表情は穏やかに見える。棘も無く、淡々と述べる姿がソルには少し哀れにも思えた。
強引に、半ば騙す様にカイを丸め込んで抱いたのは自分の方だ。そしてそれに味をしめて、今までずるずると関係を続けていた。
先日の娼婦との濡れ場に遭遇して、カイは改めてこの関係を考えたのだろう。こちらもまた、そろそろ結論を出さなければならない時期が来ている。
――本当は、告げる言葉など最初から決まっているのだが。
「次から、報酬は金で受け取る。それでいいだろう」
ソルはカイを見下ろし、そう提案した。
いつかはこういう日が来るだろうと漠然と思っていたが、存外早かったようだ。
……いや、遅すぎたのかもしれない。自分でそう口にしながら、まだどこかで実感出来ていない気がした。
まあ、いずれ慣れるだろう。今までだってそうだった。別の女を抱いていれば、そのうち記憶は上書きされてカイは過去の人となる。たまに会って、皮肉を笑って流すような、そんな知り合い程度の関係に戻るだろう。
ソルがそう安易に考えていたところで、眼下に首を横に振るカイが目に入った。
暗闇で尚鮮やかに浮き立つ金髪が揺れ、熱に潤んだ青い瞳が強い光を帯びてこちらを見る。
情欲に体を蝕まれながらも、カイの眼差しは強かった。
「いいえ、もう貴方とは今後一切関わりません。依頼をすることもないでしょう。……今まで、有難うございました」
「――」
桜色の唇から発せられたその言葉に、何故か息が詰まった。
自分でも信じ難いほど動悸が激しくなったことに、ソルは反射的に眉を寄せる。今、カイはなんて言った? 聞こえたはずの言葉を、思わず反芻して理解しようとする。
そして、優秀なはずの脳はカイの言葉を理解不能と判定した。
「……どういうことだ」
「そのままの、意味です。私も貴方も……忘れましょう、今まであったこと全て」
それが一番いい。そう言ってカイは、火照った顔のまま微笑む。
無性に不快感を煽る、完璧な作り笑いで。
それを見た瞬間、ソルは無意識にカイの顎を引き掴んでいた。下顎が外れそうな勢いに、水晶のように透き通った双眸が驚愕に染まった。
「本気で言ってんのかッ?」
顔を近付け、鼻が触れ合うほどの距離で睨みつけて言葉を吐き捨てる。
なんでそんなことをしたのか、なんでそんな言葉を吐いたのか、自分でも分からなかったが、気が付いた時には既に言葉は飛び出していた。半瞬遅れて理性が追い付いたソルは、思わず硬直する。
何を怒っているんだ、俺は?
自分の行動が理解不能だった。自分の言葉が不可解だ。理性を無視して、その瞬間だけ何かが体を支配したようだった。
だが、ソルの動揺に気付けるほどカイもまた理性は働いていないようだった。形の良い柳眉がきゅっと切なく寄って、潤んだ碧眼が細められる。
それは精巧な人形が命を吹き込まれたような、壮絶に綺麗な憂いの表情だった。
「普通の……ただの戦友に戻れなくて、すみません。私は……いつの間にか、貴方を好きになってしまった」
「……!」
「だから、完全に忘れてしまいたいんです。引きずるようなことは、したくない……」
硬直したソルの手から逃れて、顔を背けたカイが大きく息を吐いた。俯く端正な顔には、湿った睫毛が震えている。
気丈であり続けることに疲れたような、その表情はひどくはかなく――魅力的に映った。
いつも冷酷で、ソルの前では慇懃無礼を地で行く青年が、自分に焦がれていると告げてきたのだ。そしてそれ故に、早く関係を絶とうと言っている。
ポーカーフェスが崩れるほど、哀しみを滲ませながら。
「……」
ああ、駄目だ。どうして、こんなに惹かれて止まない相手を手放せる。
冷静に考えれば、生意気な態度に腹立たしく思うこともあったし、天才と言われるだけの闘いぶりは鬼神の如く容赦がない。可愛げという点では、今まで付き合った女と比べれば雲泥の差があった。
それでも――いや、だからこそ手放したくないと思ってしまうのかもしれない。危険を伴う自分の周りに居られるのは、この青年をおいて他にいないだろう。守らなければならないと思わされる女とは違い、互いに何かあっても乗り切れるという信頼がある。
それは同性であるが故の、愛情と友情の混ざった『好き』なのかもしれない。けれど、ソルにはそれが心地好く思えた。
「……坊や」
顔を逸らすカイの顎をもう一度掬い上げ、ソルは正面から青い双眸を覗き込んだ。潤んだ瞳は戸惑いと畏れを抱いて、ゆらゆらと揺れている。情事でも見せない頼りない眼差しが、愛しいと思ってしまうなんて、自分は相当末期かもしれない。
一体、いつの間にこんな子供に入れ込んでいたのか。突き放そうと漠然と考えていたはずが、そんな気などとっくに消え失せていた。
こんな土壇場で自覚した自分の感情に胸中で自嘲しながらも、何故か悪い気はしなかった。
「本当は……俺もお前が気に入ってるって言ったら、受け入れるか?」
「……え?」
試すように、探るように言葉を口にすると、カイは目を瞬かせた。久し振りに味わう、恐れと期待がないまぜになったむず痒い心地に、顔がぎこちなく引き攣っている気がする。
色恋沙汰だとか、今更自分が直面するなど思いもしなかった。普通の人間の倍以上生きていて、闘い以外で緊張することがあるとは。どこか不思議な気分だった。
暫く反応を待ってみたが、カイはまだ少しぼんやりとしたまま視線をさ迷わせていた。ソルが肯定的な返答をするとは思ってもみなかったらしく、どう言っていいか迷っているようだった。
「……迷惑では、ないんですか。私は……ただの人間ですよ?」
躊躇った末に、ことんと首を傾げ、カイが不思議そうにそう聞いてくる。聖騎士団にいた頃の少年らしい風貌は大分消え去ったはずなのに、そうした動作をすると幼さが際立った。
棘の抜けた表情に、らしくなく心臓が高鳴るのを感じながら、ソルはそれを誤魔化すように意地悪く口端を釣り上げた。
「その言葉は、そっくりそのまま返してやるよ。俺はギアだ。……覚悟は出来てるか?」
「そんなこと……最初から分かっていることです」
ソルが問うと、カイは視線を上げ、こちらを真っすぐに射抜いた。吸い込まれそうな瞳は、薬で熱を帯びていても意思ははっきりしている。
揺るぎないその眼差しに言い知れぬ満足感を得て、ソルはカイの柔らかな唇に喰いついた。唐突な行動に驚いてビクリと跳ねた体をソファに押し付け、味わうように舌でべろりと舐め上げる。ラブドラッグのせいか、匂い立つカイの体臭がいつも以上に興奮を煽り、熟れた唇が甘く感じた。
「ん、ぁ……ッ!」
嫌がるように背けようとした顎を捕まえて固定し、ソルは濡れた口腔へと舌をねじ込む。洩れる息と鼻にかかったカイの声が、ダイレクトに腰に響いた。
どんな女の甘えるような声より、こっちの方がいいと思えてしまうのだから不思議なものだ。
ドラッグの影響を押さえ込むのもそろそろ限界だろうという推測もあり、ソルはカイの細い体をソファに横たえた。そして本格的にのしかかろうとした瞬間――思わぬ妨害を受けた。
「待ってください」
穏やかだが芯の強い制止の言葉と共に、容赦なく顔面にカイの張り手が見舞われた。場の空気にそぐわない、ビタンッという音が響く。
「……」
盛り上がった矢先で鼻っ柱を折られ、ソルは思わず沈黙した。女のように平手打ちなどならば別の意味で盛り上がりそうな気がするが、顔面を押さえ込むような形はどうみてもマヌケでしかない。しかも戦士故の腕っ節の強さで、正直そこそこ痛かった。
数秒停止したソルは、こめかみをひくつかせながら唸った。
「何のつもりだ? テメェ」
「……申し訳ないですが、私はまだ、納得していません」
込み上げた苛立ちのままカイの腕を払いのけると、横たわったカイが頬を染めながらも怒ったようにこちらを見上げていた。
この期に及んで一体何だと思いながら黙って見下ろすソルに、カイは毅然とした態度で思わぬ断りを入れてきた。
「今までの延長で、関係を続けるなら…私は、いりません。そんなものは、望まない」
「……何?」
どういうことだ。カイの言いたいことが分からず、ソルは一瞬眉根を寄せた。
今までの自分達の関係は、既に体の関係に及んでいる。普通とは順序は逆だが、少なからず互いを特別に思っていると分かった今、改めて行為に及ぼうとしただけだ。心情は変わっていても、形だけを見れば今までとやることが変わらないのは仕方のないことだろう。
「……報酬でっていうのを、やめろってことか?」
体を差し出すことが報酬の代わりになっていたことを不満に思っているのかと思い至り、ソルはそう尋ねた。しかし予想に反して、カイは首を横に振る。
「……違います」
「じゃあ、何だ」
下手に手を出してもまた反撃を喰らう可能性があると思い、ソルはカイの言葉を待った。ソファに縫い付けられた体勢のまま、カイは濡れた瞳に不釣り合いな鋭い眼差しを向けてくる。
「貴方のことを、教えて下さい。私は……貴方がギアで、封炎剣欲しさに騎士になった、賞金稼ぎだということしか……知らない。それ以外は、何も知らないのに等しいんです」
「――」
予想外の要求に、ソルは思わず息を呑んだ。まさか、お前はそれを俺に聞くのかと、驚嘆が胸中に広がる。
普通の恋愛ならば、相手を知りたいと思うのは当然の欲求かもしれない。しかしソルはおよそ普通とは言い難い存在であり、それをカイも重々承知のうえだったはずだ。まさかこんな場面で、教えろとせがまれるとは思わなかった。
年不相応なほど大人びたカイならば、今更そんなことを言い出すとは思わなかったのだが……。
「勘違い…しているみたいですが、違いますよ……ソル」
しかし、黙り込んだソルの疑問を読んだらしいカイが、微かに苦笑を滲ませた。
勘違い? どういう意味だと思いながらカイを見返すと、確かにそこには恋い焦がれる余り相手を知りたいと訴えるような雰囲気は微塵も見られなかった。
むしろこちらを品定めするような、観察の眼を向ける妖艶なカイがいた。
「秘密を明かせるくらい、私は貴方にとって…存在価値が、ありますか? ……出来ないような、中途半端な好意なら、こちらから願い下げだと言ってるんです」
「……!」
なんでコイツは、いつもいつも人の痛いところを的確に突くのだろうか。
面白そうに微笑むカイに、薄ら寒ささえ感じてしまった。曖昧にして、自分の都合のいい方へ逃げ道を作っているソルの行動を、この賢い青年は見透かしている。
ギアであるソルに好意を寄せた女性は皆、ソルの背負う闇の部分には触れないようにしていた。謎の多さが気になっていても、タブーと思われる領域に踏み込めば、関係を絶たれるか秘密を知って身を危うくするかの二択であろうと容易に察せられ、触れることが出来なかったのだ。
だからソルは、都合のいい時にしか女達のもとに訪れなかった。明確に意識していたわけではないが、嫌われたくないという心情を利用して距離を取っていたのだ。自分のテリトリーへ踏み込ませないよう、牽制するかのように。
それを見透かしたうえで、カイはソルに指摘してきた。いつでも切れる上辺だけの関係なら、今までと何等変わらないだろう、と。
こちらを悠々と見上げるカイを見つめ、ソルは自分の惹かれた相手の恐さを改めて思い知らされた。美しいが下手に侮ると痛い目をみる、夢魔のようだ。
黙ったままのソルに、カイは熱に浮かされた表情とは裏腹の、抑揚のない声で淡々と宣告した。
「……私は、0か10しかいらないんです。中途半端な、5はいらない。……面倒なことも背負う覚悟がないなら、…すべて忘れて、帰ってください」
言い終えて、カイは熱い息を吐きながら眼を閉じてしまう。後は自分で決めろと言わんばかりの投げ出し方だった。潔いにも程がある。
だが、カイの主張は正当だ。片や賞金稼ぎのギア、片や国際警察機構の長官、生温い付き合いではいつか足元を掬われるだろう。
しかしここで別れを決めれば……本当に出会うことが稀になることは目に見えている。二度とこの体に触れることはない、堪えるように掠れた喘ぎも快楽に酔った艶やかな顔も二度と眼にすることはない。丁寧語のくせに生意気な発言をする姿も、踊るように剣を振るう姿も、完璧な愛想笑いをする姿でさえも、見ることは出来ない。
思い返すのは、今まで関わってきた七年の歳月であったことばかりで……忘れられる気配がまるでしないのが、自分のことながら滑稽で仕方なかった。
「俺の本当の名は、――フレデリックだ」
「……!?」
するりと口をついで出たのは、何十年かぶりに発した捨てたはずの名前だった。
発言の内容がさしものカイでも予想外だったのか、驚愕とともぱちりと眼が開いた。そしてこぼれ落ちそうな程に、宝玉のような双眸を見開いてこちらを凝視する。
信じられない、とばかりに向けられる眼差しに気付きながらも、今更踏み出した一歩を引っ込める気はなく、ソルは自分がギアになった経緯を語っていた。
魔法理論の確立、ギア細胞の研究、そして『あの男』の裏切りと被験体にされた事実。今なお宿敵を追っていること……。
一度話し始めると、驚くほどすんなりと生い立ちを口にしている自分がいた。
自棄になったわけではない。意趣返しをしてやろうというわけでもない。ただ、カイならきっとそれらを知っても変わらないだろうと――そう、思えたのだ。
そしてその予想通りに、ごく簡単な説明を終えてソルが口を閉じると、カイは見開いていた眼を細め、驚くほど穏やかで嬉しそうな微笑みを浮かべてみせた。
「ありがとう……ソル」
まるで幸せを噛み締めるように、カイがそう言った。教えてくれて有難うと、華が咲いたように笑っていた。
思わず、見惚れる。繕うでもなく、素直に喜びを表すその笑顔は、間違いなく今までで一番美しかった。それが自分を想って引き出されたものだと思えば尚更、胸の奥が熱くなる。長い時間によって摩耗されたはずの感情が、歓喜で波立つのが感じられた。
ああ……なんて、馬鹿みたいなんだ。こんなバケモノが、人に好かれて喜んでいるなんて。
胸中で嘲笑ってみるも、一度として伸ばされたことのなかった腕が絡み付いてきた驚きに、容易く掻き消されてしまった。
項に回された手に引かれるまま身を屈めると、初めてカイからの口づけを受ける。柔らかな唇を寄せ、舌を差し入れてきたそのディープキスは、激しさには欠けるものの歯列や舌の根を丁寧に愛撫していく、優しさに溢れたものだった。
初めて情事でカイから能動的なリアクションがあったことに驚くのと同時に、今まで如何に自分が身勝手に貪ってきたかを思い知らされた。受け入れて貰える、こんな自分でも確かに愛されているのだと感じられる愛撫は、ただ自分が欲して搾取するだけの快楽とは次元の異なる満足感だった。
「好きですよ、ソル。……少し悔しいですが、認めてあげます」
「言ってろ、ガキが」
笑いながら横柄に言うカイに、ソルもまた憎まれ口を叩いて苦笑した。素直に愛を囁くには男同士の自分達には決まりが悪いが、今は眼を見れば互いの気持ちは十分に分かる。
無粋な口は閉ざし、ソルは期待に震えるカイの熱い体に手を這わせた。






体のいい性欲処理だろうと思いながらも、ソルの激しい抱き方は思いの外嫌いではなかった。だからこそカイは好きなようにさせていたし、連絡を絶つこともなかった。
だが、長い年月はいつの間にかそこに情を生んでいた。肌に吸い付き、花を散らして痕跡を残していくことに文句を言わなくなったのはいつからだったか。言われるままの体勢で交わることに、仕方がないと呟くだけで嫌がらなくなったのはいつからだったか。
ギブアンドテイク。その大前提が無意識のうちに薄らいでいたことに気付いたのは、初めて抱かれてから七年も経った後だった。我ながら、間抜けな話だ。
そして矛盾に気付いてから、自分の感情を突き詰めようと考えるあまり、一服盛られていることにも気付かなかった。なんて救いようのない阿呆か。
なんとか難を逃れ、自宅に帰ったはいいが、そこでまさか問題の人物がやって来るとら思わなかった。誰でもいいから触ってと叫び出したくなるような熱に支配されながら、一番自分の欲する男と相対するのは至難の技だ。正直、気が狂いそうだった。
しかし著しく神経を擦り減らしてしまっていたが為に、普段なら簡単には吐露しないであろう本音が零れていた。好きになってしまったと、口にしてしまっていた。
その失態が……まさかこんな結果に結び付くとは。
カイは沸点を越えてまともに働かなくなってしまっている思考回路の中で、自分を抱きしめる男を見つめていた。猛々しい熱を受け入れている箇所は、既に何度も精を注ぎ込まれて濡れそぼっている。激しく腰を叩き付けられる度に卑猥な水音が響き、泡立った白濁の雫が敏感な内股を伝い落ちていった。
今までにないほど、もう既に何度も絶頂を迎えていた。攻め立てるソルですら、かなりの回数に及んでいるだろう。もはや下半身にほとんど力が入らない状態だった。
しかし、カイはもうやめてくれとは言わなかった。ラブドラッグの効果もあるだろうが、ソルの気が済むまで抱いてほしいと願う自分がいた。
素肌を這う節張った手が、意外に情熱的であることを知ってしまった。口づけるときに、愛しそうに細められる眼に心臓が高鳴った。今まで何度も抱かれてきたはずなのに、今日はあまりにも新しい発見が多すぎた。
「ァ…ッ! ふぁ…、もっ…ッと」
「フッ、ゥ……強欲な坊やだ……!」
「ぁ…ッ、ぁああっ!」
文句を言いながらも楽しそうに笑ったソルに、立て続けに前立腺を先端でえぐられ、カイは甲高い嬌声をあげる。滴ったソルの汗が鎖骨で自分の汗と混じり合い、シーツへと流れ落ちていく些細な感触にも、体は歓喜してヒクヒクと震えた。
突っ張った片足を抱え上げて覆い被さるソルに、カイが熱に浮かされたまま腕を伸ばすと、ソルは荒い息をつきながらも身を屈めてくれる。赤いヘッドギアも長い髪を束ねる紐も取り去った、焦げ茶の頭を抱えるように両腕で掻き抱くと、苦笑したらしいソルの息が胸元に当たった。
「意外に、甘えただな」
「っ…ぅる、さ……ッひぅ!」
思わず文句を言いかけたところで、きつく胸のしこりを摘まれて甘やかな悲鳴に変わってしまう。反射的に睨みつけると、間近でこちらを見る緋色の瞳とかち合い、ぞわりと総毛だった。
何度交わっても、ふとした瞬間の男らしい笑みに見惚れてしまう自分は、相当末期かもれない。
それでもこの関係に後悔はないと、カイは改めて思うのだった。








恋人、という言葉を用いて自分達の関係を表現出来るかどうかは、未だに分からない。
ただ――、
「坊や、俺のバナナ咥える気はねぇか?」
「食い千切っていいなら、やりましょうか?」
2月14日に家へあがり込んできた男の顔面に板チョコを叩き付けて、カイは下品な口を封じていた。
こんな馬鹿なやり取りが出来る、今の関係を実は気にっている……というのは、この男には内緒だ。






END





そういえば存在認識、一応完結してるわりには、体の関係で終わってないかオイとか
思って書き始めたのが運のつきですね。
どうしたのかしら、当初の予定より普通に甘いよこいつら。

とりあえずソルの口から、本名を自白させるのがポイントだったかもしれない。