「……なに、驚いた顔してるんですか?」

目の前の坊やが、本気で怪訝そうにこちらを見た。
余程、俺の呆気に取られた表情が珍しいのか、まじまじと見つめてくる。

普段ならその無遠慮な視線に文句の一つも言っているところだが、生憎と俺の口は凍りついたように動かなかった。
ただただ馬鹿面下げて、坊やの口許を凝視する。


薄っすら赤みの差した坊やの唇には、一本の煙草が挟まれていた。


「……おい」
その違和感満点の情景に耐え切れず、俺は呻くような声を発すると、坊やは片眉を器用に上げて些か不機嫌そうな表情を作る。
「あなたがくれるって言ったんでしょう?」
詰るようなその非難を、俺は確かに、と胸中で肯定する。

そう、確かに俺から言った。
煙草を燻らせながら歩いていると横に並んでいた坊やが「美味しそうに吸いますね」と言ったものだから、悪戯半分な気持ちでつい、

「坊やも吸ってみるか」

と、言って煙草の箱を差し出したのだ。


坊やの家に邪魔しているときはいつも、「ここで煙草を吸うな」「せめて換気しろ」「量を減らせ」などなど、とにかく色々な小言が飛ぶ。
だから当然坊やは煙草が嫌いなのだろうと思っていたし、全く疑ってもみなかった。


「ありがとうございます。じゃあ一本もらいますね」と返される、つい今し方までは。


しかも、その言葉の意味を脳がまともに処理できずにいる間に、坊やは俺の手から箱を取り、慣れた手つきでポンとそれを叩いて中から一本だけを取り出してみせる。
そしてごく自然な動作で煙草を口許に運んでいったのだ。


……待て。いや、マジで待て!
これは一体どういうことだ!?


フリーズしかけた脳は、解凍された瞬間にパニックに陥りかけた。
いや、パニックというよりは拒絶反応に近い。ひたすら目の前の光景が信じられなかった。

坊やが煙草を手に取る動作が、吸い慣れた者のそれだったからだ。

思わず歩みさえ止めた俺に、だが坊やが構わずに顔を近付け、俺の煙草から火を移していった。

「そんなに驚かなくてもいいでしょう?」

困ったような、苦笑交じりの表情でそう言い、坊やは浅く吸い込んだ煙を吐き出す。細く長く漂うそれまでが、坊やにかかるとなぜだか上品に見えてしまう。

……いや、そんなことはどうでもいい。

「坊や……。煙草、吸えたのか」
「吸えない、と言った覚えはありませんけれど?」
さらりと返され、俺は思わず呻く。
確かにそう言ったことはなかった。
「『坊や』だから吸わないとでも? 変な勘違いしないで下さい」
ふんっと高飛車に言い切り、坊やは煙草を燻らせながら俺を見る。

そりゃまあ坊やとは呼んでいるが、本当に子供だとは思っていないし、そうでないこともよく知っている。
しかし……。

「じゃあ、あれだけうるさく注意してたのはなんだったんだ」
「あなたの場合、吸いすぎなんですよ。しかも所構わずだから部屋の中が汚れますし。だから、外で吸う分には、何も言わなかったでしょう?」
言われてみれば、確かにそうだ。
にっこりと微笑まれ、思わず頷きかけた俺は、慌てて動きを止めた。
だからといって、やはりすぐには認められない。
こんな清廉潔白が服着て歩いているような奴が俺と同じ喫煙者だとは。


……こんなことで共通点などみつけても嬉しくない。


「いつからだ?」
「……たぶん、ソルと会う前からだと思いますけど」
小首を傾げて、とんでもない返答をしてくれる。
俺の顔面が引き攣るのを、はっきりと感じた。
「お前……未成年にも程があるだろッ!?」
思わず声を荒げると、坊やは俺の視線から逃れるように視線を逸らせた。
「あなたに説教されるのは納得いきませんが……悪いことだとは分かっていましたし、認めます」

すみません。イメージ、壊してしまいましたね。

「……」
一瞬だけこちらに流れた坊やの目は、謝罪しながらも悲しそうな色を含んでいた。

それだけで、なんとなく事情を察した俺は気まずさに誤魔化すように頭をがしがしと乱暴に掻いた。


「誰かに、何か言われたか」
「……」


あれだけ色々けろっと返していた坊やが、俺の一言に沈黙する。
無理に聞き出すこともないだろうと、俺は短くなった煙草を新しいものに替えながら坊やが話し出すのを待った。


「……何が悪いんだと、言われました」
指の間に煙草を持ち替え、坊やはぽつりと言葉を漏らした。
俺はライターで火を灯しながら、横目で坊やの顔を窺う。
「喫煙を注意したら、か?」
「ええ。……自分の体だから放っておいてくれ。一人で吸う分には迷惑など掛けてないだろう、と」
その言葉を聞いた瞬間、俺は思わず苦虫を噛み潰したような顔をした。
それは普段俺が言っている、言い訳だ。

いや、確かに俺だけではなく、喫煙者の多くはそう言うし、実際そう思っている。

……しかしそれだけに、傷付くような言葉でもないはずだが……?


俺の怪訝そうな様子が窺えたのだろう。坊やは俺を見て、くすり笑った。
「いえ、ね…。確かに自分は何も知らないなぁって思ったんです。やめなさいって言って、なんでと聞かれたら答えられないんですよね、これが。上辺だけで綺麗事を並べ立てられても、誰だって納得などしないでしょう?」
細く白い指で挟んだ煙草を弄びながら、坊やは静かに微笑む。
それは一見憂いているようにも見えたが、そうでないことはこの空のように青く強い光を湛えた瞳で分かった。

「それなら……悪いことも全部知ったうえで、自分の意見を通した方がいいんじゃないかって思ったんです」

鮮やかに笑い、坊やが煙草を放り投げる。
それは法力の火によって、空中で灰になった。


そうして楽しそうに笑っている坊やが眩しくて。
そして、無性に手に入れたくて。


「坊や」
俺は手を伸ばし、舞い散る灰から救い出すように坊やの体を引き寄せた。
それにあどけない表情を晒して驚く坊やに、俺は承諾も予告もなしに口付ける。

「ソ……」

坊やが抗議の声をあげかける。誰が通るともしれない道だ、当然かもしれない。

だが俺はその不粋な抗議を、深い口付けで掻き消す。


キスは、少し苦い味がした。