十の敵を踏み砕き、千の敵を斬り刻み、万の敵を焼き払う。


聖戦という大層な大義名分とは裏腹に、戦場はいずれも阿鼻叫喚と化した。
しかしソルには、その地獄への賛美歌を奏でるひとときが、何よりも安息の時間だった。

闘いはいい。
流れる血や痛む傷がすべてを麻痺させてくれる。
何も考えられなくしてくれる。

……そう、自分自身と向き合わなくて済むのだ。




ふと激闘の最中に訪れる、おとぎ話の一コマのような朗らかな時間。
ぽかぽかと暖かな日が照り付け、憎らしいくらいの雲一つない空が頭上に広がっている。

本当に、無駄に天気がいい。

視界の悪い土砂降りの雨で強行軍をしいられたのは昨日のことなのに、
その面影もない今日に限って、遠征もなく非番である。
神様はとことん意地が悪いらしい。

戦闘がなければ途端に暇になるソルは、手持ち無沙汰なまま、
聖騎士団本部の庭園で寝転がっていた。
十分な睡眠は既に取っていたために眠気はなく、
仕方なしに太陽を仰いだまま剣の手入れをする。

本当に、することがない。

どうせ次の戦闘で折れてしまうであろう剣を意味もなく光に反射させて眺め、
拭いても取れないことを知ってて、曇った箇所を布でこする。
無意味な時間の中、容赦ない太陽光に反射的に目を細め、ソルはふと思い出すことがあった。

そういえば、自分はこの大きな存在から名前を拝借したのだったか。

昔から、自分の名は嫌いだった。
面白みもなければ、特に意味もない。
両親に名付けた理由を聞いても曖昧にしか返ってこなかったのを、朧げに覚えている。
本当に、意味がない。

だから人間をやめてからというもの、自分のアイデンティティは容易く放棄した。
特に愛着もなかったことから、嫌悪の対象になったのは言うまでもない。


熱く、輝けるものになりたかった。
何にも縛られず、ただそこにある、自由な存在に。



……だが、実際はなんと滑稽なことか。
「悪漢」などと添えてみても、結局何も変わらない。
自分は自分でしかない。

あれには、届かない。


今まで、一体何匹のギアを殺してきただろう。
何人の死体を踏み越えて来ただろう。
何年の歳月を重ねてきたのだろう。


……もう、いいだろう?
そんな思いが、時々込み上げてくる。

もう十分、戦った。
もう十分、苦しんだ。
もう十分、生きてきた。


これ以上あがいて、一体、何になる?


自分は、自分以上のものにはなり得ないのに。



「……ちょっと! 何してるんですかっ、あなたは!」


突然、甲高い叫び声が飛来した。

思考を中断させられ、ソルは眉をしかめて影の主を見上げる。
こちらを覗き込む、小柄な少年の顔は逆光で見えにくかったが、誰であるかはすぐに分かった。

いつもの説教か、と思いながら、ソルはカイの方を欝陶しげに睨む。


「何って、昼寝に決まってんだろ」

まさかこんな非番にまで働かす気かよ?

嫌味も込めて、そう言ってやる。
またいつものように、カイは不真面目な態度に腹を立てるのだろうと思っての憎まれ口だったが、
カイは少し体を引き、変な顔でこちらを見た。
その反応にソルが疑問の視線を向けると、今度ははっきりと顔をしかめて、カイが口を開いた。

「あなた……まさか、自分で分かってないんですか? その惨状」
「あン?」

言ってる意味が分からず、ソルは不機嫌な悪態で答える。
しかしカイの視線の先を辿り、自分の手元を見て……驚いた。

なんだこれは。
いつの間に俺は、自分の手を切ろうとしてたんだ?

手入れしていたはずの剣が肌に食い込んでいる。
傷としてはさほどではないが、かなりの量の血が流れ出していた。

知らぬ間に、左手が大惨事だ。

「おいおい……」

何やってんだ、俺は。

思わず自分で自分にツッコミを入れる。
物思いに耽って、自殺未遂ってか?
どこのか弱い乙女だ、呆れて声も出ねーよ。


だらだらと血を流す自分の手を憮然と見つめるソルに、カイは大仰に溜息をついて肩を落とした。

「あなたは図太い神経だから、大丈夫かと思っていたのですけれどね……」
「ンだ、そりゃ」

これみよがしに肩を竦めて首を振るカイに、ソルは口をへの字に曲げた。
とりあえず親指の付け根に食い込んでいた剣を引き抜き、傍らに放る。
血は流れたままでも支障はないが、ギア細胞の再生能力のせいで見る間に傷口が塞がるため、
不審に思われる前に自分で治癒を施した。


その様子を見ていたカイは、無言のままソルの隣にちょこんと腰を下ろす。
それを見咎めてこちらが視線を投げると、カイは真顔でのたまわった。

「とりあえずギアを放り込んでおけば喜ぶのかと思っていたんですが、そうでもなかったようですね」
「……えらい言い草だな、おい」

戦闘狂だと言いたいのだろうが、表現が些か悪い。

顔をしかめるソルに、カイはふと思い付いたように手を伸ばし、血濡れのままの左手を取った。


「ふふ……、あなたもやはり人間だ。少し、安心しましたよ」

取り出したハンカチで血を拭い、カイは無邪気に笑う。


意外にあっけらかんとソルの行動を受け止めるカイに、若干驚いた。
弱い奴だと軽蔑されるか、あるいは可哀相な奴だと薄っぺらな同情でもされるのかと思っていたのだが、
カイは特に何も言及せず、いつも通り笑っている。

ヤなガキだと思う反面……、少し安堵した。



迷って、くじけて、後ろ向いて。

たまにはそれでもいいのだと、肯定された気がした。




「ねぇ、ソル」

「なんだ?」

「これからも騎士として、人々のために頑張りましょう!」

「……はぁ?」


いきなりの言葉に、思わず眉を跳ね上げる。
この子どもの頭の中で、一体どういう風に話の前後が繋がっているのか、思い切り疑った。

だが、カイはお構いなしで話し続ける。


「嫌ですか?」

「ったり前だろーが」

「そうですか。残念です」


にべもなくそう返すと、カイは思いのほか、あっさりと引き下がった。

不審に思って隣で三角座りをするカイをちらりと見上げると、その子供はまた無邪気に笑った。


「じゃあ、妥協します」

「あ?」

「どこに居ようが、何をしていようが構いません。生きててください」

「……!」

「これ以上は、まけられませんよ?」


にっこり笑う子供に、思わず目を瞠る。




なんつー、ガキだ。



「……ヘビーだぜ」


負け惜しみのようにそれだけ呻いて、目を閉じた。

途端に感じる、ぽかぽかと照りつける陽気と柔らかな風。


本当に、憎らしいくらい天気がいい。