暗い夜空。だが浮かび上がった月は全てを海底のような蒼に染め上げ、闇の中に陰影をつけていた。
寄り添うように頭上にあるその満月の光を浴びながら、カイはかつてないほどの屈辱感にまみれて拳を固めてそこに立っていた。
自分の足元には、人類がこの百年間追い続けてきた宿敵が倒れている。つい先程、カイはこの正義の名を冠した生物兵器に戦いを挑んで敗れたばかりであった。
それが今、煙りを燻らせて神殿の広間に横たわっていた。機械を思い起こさせるその幾何学的フォルムの大きな体は表面が幾らか溶解し、中から覗く筋肉などが焼け爛れて、床のの敷物をどす黒く染め上げる。頭部から生えた赤毛の髪は乱れて床に散り、そこら中にきれつの走った半ば崩れかけの空間に彩りを与えていた。
カイは破壊という名の造形に囲まれたそこで、手に持っていた封雷剣を振りかざした。団長として任に就くときに承った美しき兵器をギアの喉に突き立て、その場に縫い付ける。裂けた肉の間からは鮮血がじわじわと染み出てくるが、それでもギアは動き出さなかった。
完全に運動機能が停止している。
今までにクリフが何度もあいま見えてきてなお、決着のつかなかった敵がこうして動けなくなっている。決して死んではいないが、受けた傷を治すためにすべての機能が極端に低下しているようだった。今、この最大の敵は一時的な停止状態にある。
完全に立ち直ってしまう前にこのまま封じれば、聖戦は人類の勝利として終わる。誰もが願い、待ち望んだ平和が得られる。これ以上、誰かが傷つくことはなくなる。どこも死者で溢れ返ることもない。
それは分かっていたものの、カイはすぐにジャスティスを封じるための準備に取り掛かれずにいた。ただ動かない宿敵を見つめ、込み上げる苛立ちに拳を固めていた。
この所業を成したのがあの裏切り者かと思うと、甚だ不愉快でならなかった。聖戦においてどれほどの人が来たる平和のために命を散らせたことか。多くの良い人達が犠牲となって死んでいくのを、カイは何度も目にしてきた。
なのに、ジャスティスを倒したのがなぜ彼らでなくあの男なのか。今まで死ぬ覚悟で戦ってきたのはなんだったのだ。横からおいしいところだけを持っていかれた私達の気持ちはどうなる。私達が戦ってきた意味は一体どこにあるのだ。
これではあの男一人しか必要でなかったことになるではないか。戦地へ自ら身を投じて死んでいった彼らに、何て言えばいい。
無駄死にでしたと! 無駄な努力でしたと! そう言えというのか。
カイは震える拳を抑え、ジャスティスに背を向けた。
突き立てた封雷剣は、少しでもジャスティスの回復を遅らせるだろう。その間に封印を施せば、ジャスティスは次元牢へと閉じ込められ、二度と地上へは出てこられない。
それで聖戦は終わる。平和が再び訪れる。誰もが願った平和が得られる。
だが、それを素直に喜べない自分がいることを、カイは感じていた。死んだ者達への申し訳ない気持ちと、自分の力量不足を悔やむ気持ちが胸を占め、とても笑うことなどできない。しかしそれでも……自分は笑わなければならないのだ。そうでなければ皆が訝しむ。
カイは真実を胸に秘め続けることを誓い、仲間のもとへと走り出した。





< 05:再会 >





「封印は無事完了しましたか?」
月明かりで映える鮮やかな笑み浮かべ、カイは団員達に最後の確認を取った。「完了いたしました!」と力強く答える団員は、カイの目の前で涙を溜めながら敬礼をしている。彼の法衣はすでにぼろぼろで、手に持った剣は折れていたが、その声はあまりの歓喜に打ち震えて掠れていた。
その後ろで同じく薄汚れた格好に成り果てた団員達も、半ば放心したような表情でこちらを見つめていた。ある者は剣を支えになんとか立ちながら、またある者は負傷者に肩を貸しながら、既にオブジェと化した無数の仲間が没した地をただ踏み締めている。
団長の言葉をじっと待つ彼らに、カイは労りの笑みを浮かべて言った。
「ジャスティスは、封印されました。これで、長かった聖戦もようやく終わりです。……皆さん、よく頑張りました。お疲れ様です」
カイが笑顔のまま涙を流して言った途端、鼓膜が破けんばかりの歓声があがった。血生臭い匂いの漂う中だったが、もはやそんなちっぽけなことはどうでも良くなっていた。
夢にまで見た悲願が叶ったのだ。喜ばない者などいなかった。涙を流さない者などいなかった。手に手を取って半狂乱のように歓喜の声をあげて騒ぎ回った。
しかしその中でただ一人真実を知るカイは、偽りの笑みを浮かべながら皆の様子をただ見守っていた。




「はッ…ァア!」
甲高い声をあげて、組み敷いた女の体が波打つ。薄汚れた部屋は闇に包まれていたが、ソルにはその様が充分に分かった。腰を揺らしながら絡んでくる足を掴み上げながら、濡れて露を溢れさせるそこに肉棒を深く突き立てる。途端、女の嬌声が長く尾を引いた。
女の体は、文句の付けどころなどないものだった。夜の街を歩いていたときに買ってくれと自ら売り込んできた誰とも知らない女だが、それなりに楽しめている。しかしソルは、その行為に完全に没頭しているわけではなかった。ただ体の中にたぎる有り余った力を発散させようと、無茶苦茶に突き動かしていた。
そうはいうもののソルの技巧は並大抵でなかったため、いい加減に見えてすべて女の性感帯を刺激していた。荒々しいその攻めに、女は目を見開いて体を強張らせる。
「あアァンンッッ!!」
声とともに、女の意識が弾けた。それに伴ってその箇所が引き絞られ、ソルも精液をぶちまけた。熱い体液が注がれる感触に、女は身震いする。
弛緩してベッドに沈んだ女の体を、ソルは朱金の目で見つめていた。シーツの上に広がった金髪が闇の中で鈍く光る様に、思わず目を細める。
顔を突き合わせなくなってもう一年。あの金髪の青年は、さぞや今頃悔しがっていることだろう。ソルは至福を噛み締めるように口端を釣り上げ、鋭い八重歯を覗かせた。
ジャスティスを倒したときに、わざと派手に周りを破壊した。誰がやったのかを知らしめるように、炎をまき散らした。お人形の分際で噛みついてきた子供に、本当の力の差というやつを見せ付けてやるために。
ソルは、まだ気怠げに息を吐く女の足を力任せに掴み上げた。足首に痣が残りそうなほどに強く掴まれ、女は痛みに悲鳴をあげる。だが、ソルの耳にはそんな雑音など聞こえなかった。
俺を思い出せ。忘れることなど許さない。憎め、悔しがれ。その胸に傷を刻んで、そこから病んでいけ。
まるで呪詛のように言葉を胸中で吐き、ソルは再び猛った自分の雄に向かって女の膣を強引に押し当てた。抗えない力に引き摺られ、女の顔が驚愕に染まる。
構わず、ソルは精液まみれのそこを穿った。
「俺を楽しませろ……」
唇を釣り上げ、鋭い歯を覗かせて残忍に笑うソルに、女の顔が恐怖で歪んだ。
殺意を含んだその金の瞳は目の前の女を捉えてはおらず、ただ怯える姿にだけ満足げな光を見せた。




カイは男の上に跨って体を揺らしていた。
整形でグロテスクに変形したその男根を秘所に呑み込んで、カイは聞いた者の聴覚を痺れさせるような喘ぎ声を上げ続けている。時折男が突き上げてくるのに合わせて、それは嬌声に変わり、美麗な顔が快楽で歪む様は男を楽しませるには充分だった。
聖戦の終結が報じられ、騎士達はその喜びを噛み締めてその夜、皆で誰憚ることなく騒いだ。街の人々もそこへ混じり、ギアの脅威がなくなったことを心から喜んだ。一見すると動乱にも思えるその騒ぎの中でカイは押し寄せてきた多くの仲間にもみくちゃにされていたが、皆が喜ぶ姿を見るのは嬉しく、それに合わせて同じように騒いだ。
しかしその最中、カイは一人の男に呼び出された。その男は聖騎士団の運営資金の一部を出していた人物だった。公的機関だけでは賄いきれなかった資金を提供していたその男と、カイは面識があった。
いや、本当はそんな軽い言葉で表せるような関係ではなかった。男は資金提供の交換条件の一つとして、カイの体を求めた。聖騎士団を維持するために莫大な金を出すのだから、一番上に立つ者が直接礼をするのは当然だと主張した男の言葉に、カイは眉をひそめてはみたもののその要求を拒むことなどできず、そのまま抱かれることとなった。
男は随分カイに執心していた。カイのスケジュールに少しでも余裕があるとすぐに呼び出し、夜な夜な快楽の宴を開いた。カイが抱かれている事実は外部に漏らされることはなかったが、男が気を許しているらしい数人の男達にはその宴へ招き、一緒に快楽に耽っていた。数人の相手をするのは常で、SMまがいのことも何度かさせられたその行為にカイは嫌気が差していたが、資金提供主である以上、仕方がないと諦めていた。
しかし聖戦が終結した今、こんな行為をする理由などどこにもなかった。カイは聖騎士団団長ではなくなり、聖騎士団も全ギアの機能停止に伴った存在理由を失った。だが、なぜか男はカイを求めてきた。
いつものように数人に無茶苦茶に扱われたのならば流石に抵抗していただろうが、男一人だけで至って普通に行為に及んできたので、カイは断るタイミングを逃してしまい、今に至っている。
まあ、最後なのだからそれなりのサービスをしても構わないか。
そんなことを思いながら、カイは慣れた演技で「もっと…っ」と叫んだ。それを聞いた男が満足げに笑い、体勢を逆転させてくる。中に咥えこまされたままでベッドに仰向けに沈められ、カイは熱っぽく喘いだ。
「なぁ、カイ=キスク君」
不意に男は口を開いた。カイが不思議に思って顔を上げると、男は静かにこちらを見据えていた。
「今回で戦争は終わったが、君は私の手元に居てくれるね?」
「……え?」
紳士的な笑みを浮かべて言ったその男に、カイは思わず眉をひそめた。
何を言っているのだろう、この男は。
聖戦は終わったのだから、もう資金は必要ない。カイがこの男の機嫌を取るためにセックスをする必要もない。団長ではなくなったカイにはこの男と会う理由もない。
意味が分からないというようにカイが男に視線を向けると、男は笑みを貼り付けたまま言った。
「君は私に恩があるだろう。私の言うことを聞くのは当然ではないか」
傲慢さを滲ませたその物言いに、カイははっきりと不愉快を顔に表した。どうやら好きなようにさせていたことで、男は何か勘違いしているようである。
しかし、明らかに迷惑げな顔をしているカイに全く気付いてないのか、男はそのまま滑らかに言葉を吐き続けた。
「君は優しい青年だ。私の元に残ってくれるだろう?」
「……戦争は終わりました。私がここに居る理由はありません」
「聖騎士団のために私は大きく貢献した。その見返りは当然だ」
「見返りを望むのなら、聖騎士団の後に作られる国際警察機構に申請してください。時間はかかるかもしれませんが、必ずお借りした全額を……」
「私は金のことを言っているのではない。君からの見返りについて話しているのだ」
「私はすでに団長ではありません。一般市民に過ぎない」
カイは男を静かに睨み付けた。
途端、男は怒りに顔を歪ませ、腰を突き動かしてきた。
「淫乱な君は常に従順だったはずだ!」
「仕方がなかっただけですが」
男の肉棒に秘所を貫かれながら、カイは平然とした顔で男を見つめ返した。それに男が一瞬驚愕する。だが、こちらがやせ我慢していると思ったのか、次の瞬間にはさらに激しく何度も穿ってきた。男の腹とカイの股がぶつかり、パンパンと音が鳴る。
「君はこうされる度によがり声をあげて、悦んでいただろう……!」
「演技に決まっているでしょう。……何を勘違いしているんですか」
体を揺すられていながらも、カイの声は冷え冷えとしていた。先程までの乱れた表情はどこにもなく、呆れたような眼差しで男を見る。
勘違いされてややこしいことになる前に、この男と関係を断ち切ってしまうか。カイは冷静にそんなことを思いながら、男に冷ややかな言葉を浴びせた。
「私は別にあなたのことなどどうでも良かったのですが、莫大な資金が動くともなければ嫌だとも言えませんからね。機嫌取りのための接待、といったところです」
「貴様……ッ!」
男はその言葉に激怒し、ベッドサイドにあった引き出しに手を伸ばした。あらかじめ用意してあったのか、その中からナイフが取り出される。それを握り、男は危険な笑みを浮かべた。
ぎらつく刃を向けられ、カイはそちらに目を遣るが、特に何の反応も返さなかった。
「そんなことをして何の意味があるのですか。ご自分の首を絞めるだけですよ」
「うるさいッ! その薄汚い口を開けなくしてやる!」
何の躊躇いもなく、男はナイフを突き出してきた。その形相と対照的に、カイは溜め息を吐き――ナイフの先に手をかざした。
「!」
青白い火花が散り、ナイフが弾け飛ぶ。装飾だけが無駄に施されたナイフが床に落ちて乾いた音を立てた。
「団長を務めた私にそんなものが通用すると思っているのですか?」
驚愕に目を剥いている男にニコリと笑いかけ、カイはそのまま片足をひらめかせた。のし掛かられた状態のままでカイは男の首めがけて回し蹴りを放ち、男をベッドから転落させる。
顔面から床に沈んだその男に一瞥もくれず、カイはベッドから降りて、床に散らばった自分の服を拾い、着始めた。
「私の体に傷を付けられるのは、ただ一人だけです」
憎しみを奥に秘めたままカイは胸に薄く残った傷跡を撫で、柔らかく微笑む。凄艶な表情を見事に裏切り、憎悪で暗く濡れた青い瞳に射すくめられ、顔を上げた男の顔が恐怖に引きつった。
アイツもあれくらい怯えてくれれば、少しは気分が晴れるものを。
そんなことを思いながら、カイは身支度を整えて部屋を後にした。男のことは放置しておく。例え非難を浴びせられたところで気にはしないし、上層部にあの行為をバラされたところでもはや今更だ。上層部の半分くらいとはすでに体の関係を持っている。
カイは屋敷を出て、夜空を見上げた。変わらず丸い月はそこにある。どこか妖しげなその光に目を細め、カイは皆の元へ戻るために足を早めた。
聖騎士団のために色々な男と体を繋げたが、どれも大して感じなかった。何とも思っていない連中にどんな優れた技巧で体を高められても、頭は平静のまま。先程の男にも散々貫かれたが、こうして歩くのに何の弊害もない。
すべて計画通りに進んできた。悪魔に魂を売ってでも世の中を平和にし、皆に笑顔で生きてほしかった。ただその願いのために戦ってきた。
なのに、ただ一人の男が自分を掻き乱す。計画を妨げ、思い通りに事を運ばせてくれない。
次に会ったら、容赦なく排除する。
そう決意するカイの胸に男の姿が深く刻まれている事実に、カイ自身は気付いていなかった。














次に会ったときは。
てめぇの魂まで喰らい尽くしてやる。
死体と化した女の隣に座って煙草を吹かしながら、ソルは残忍な笑みを浮かべて、同じ月を見上げていた。
















END







「再会を誓う」ということで、無理矢理まとめてみました。
というか、二人とも無茶苦茶しすぎですね(滝汗)

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