『もしもソルとカイが兄弟だったら』
「おい、英和辞書貸せ」
「……またですか」
休憩時間にひょっこり現れたソルが、横柄に手を差し出すのを見上げて、カイは呆れた声で応えた。
廊下の窓から上半身を乗り出して、読書中のカイの視界に割り込んできた男は、腹違いの兄であるソルだ。母親が違うとはいえ、ここまで対照的に育つものだろうかと思うほどに、ソルとカイは似ていなかった。清廉潔白で真面目なカイに対して、ソルは自分本位で傍若無人な男だ。
しかしこの高校で、3年生ではソルが、2年生ではカイが、成績でトップを取り続けている点は同じだった。授業はほとんどエスケープし、たとえ出たとしても寝ているだけの最悪な態度だが、それでもソルの頭の良さは自他ともに認める事実である。不思議と学校に来ること自体はサボったことがないということもあり、ソルの不良振りは今のところ処罰の対象になっていなかった。
とはいえ、真面目一辺倒のカイにしてみればソルの行動は許しがたい。口うるさいカイの注意で一応忘れてきた教材を借りに来るようにはなったが、未だにきちんと教科書を自分で揃えてきたことはなかった。
「全く……辞書くらいなら、棚に入れっぱなしにしておけばいいじゃないですか。そうすれば忘れることもないでしょう?」
ため息をつきながらも辞書を取り出すカイに、ソルはそれを受け取りながら事もなげに答える
「今、家で使ってんだよ。この前、新しい経済の論文がイギリスで発表されたばっかだからな」
「……。それ、先生に言ったら多少は多目に見てもらえるんじゃないんですか。忘れ物くらい」
当たり前のように英語の論文を読んでいると言ったソルに、カイは呆れた眼差しを向けた。既に高校のレベルを越えているソルには、学校の授業はただの茶番にしか見えないのしれない。
しかしたとえソルにとってママゴトだとしても、学校では最低限のことはしてほしいとカイは願っている。ソルにはつまらないかもしれないが、カイは学校でもこうしてソルと一緒にいられることが嬉しかったからだ。
「……あ。そうだ、ついでにもう一つ貸してくれ」
「? 何を?」
辞書で肩を叩きながら立ち去ろうとしたソルが、ふと振り返る。長い前髪の合間から覗く赤茶色の眼に見つめられ、カイは内心ドキリとしながらソルに疑問の眼差しを向けた。
「何でもいいから筆記用具、貸してくれ」
「……ちょっと兄さんッ、それって辞書以前の問題でしょうっ!?」
真顔でそう宣ってひらひら手を差し出してくるソルに、カイは読んでいた本を思いきり机に叩きつけて叫んだ。
――とりあえず、この男は始終こんな感じだったので、カイの気苦労は絶えなかった。
そんないつもの日常。しかしその日の放課後、カイがソルを迎えに行ったとき、いつもと違う光景を目にした。
生徒会長を務めるカイはいつも雑務で帰りが遅いのだが、たまたま会議も仕事もなかったので、ホームルームが終わるとすぐにソルの教室を目指した。目立つ容貌と高成績、並外れた運動能力を持つ故に引く手あまたなソルだが、それを無視して部活に入っていなかったので、下校時間は2年生と変わらない。
たまには一緒に帰るのもいいだろうと思ってカイが3年生の教室まで行くと、既に解散した後なのか、教室は静かなだった。
先に帰ってしまっただろうか?と不安になりながら、カイはドアに手を掛けた。
「兄さん、居ます?」
声を掛けながらカイはドアを開け――途中で固まった。
人気の無い教室の中央に、探していたソルと見知らぬ女生徒が立っていたのだ。
思わず目を瞬いたカイは、ふと視線を下の方に向けて初めて気付く。ソルはその女生徒の腰を、片手で抱いていた。
「し…っ、失礼しましたッ!」
カイは反射的に、慌ててドアをぴしゃりと閉める。金髪碧眼で美形のカイだが、真面目すぎるせいで色恋沙汰には全く免疫がなかった。
後ろ手にドアを閉めた姿勢のまま、カイはしばし硬直したまま、やけに早い動悸を抑えるようにゆっくりと深呼吸する。そして混乱した頭を正常に回転させようと試みるが、まだ事態の整理は覚束なかった。
えーっと、兄さんが女性と……。
冷静に事態を脳裏に描き、カイはしばし虚空を見つめたまま硬直するが、ふと詰めていた息を吐いた。
「まあ……いつものことといえば、いつものことですね」
諦めたように呟き、ドアに寄り掛かっていた背を浮かせた。
ソルはよく彼女をころころと変える。そのために帰宅部であるといっても過言ではないほどに、ソルの異性交遊は激しかった。生徒会長であるために部活に入れないカイとは大違いである。
ため息をもう一度つき、カイは持っていた鞄を握り直してその場を後にした。
カイとソルの住んでいる家には、親はいなかった。ソルの母親は離婚した後に新しい家庭を持ち、すでに二人のもとを去っている。再婚相手のカイの母親は病弱だったゆえに、小学生に上がる前に他界していた。実質、父親のみで育ったも同然だったが、その父親も今は海外へ仕事に行ったきりで戻ってくることはほとんどない。
幼い頃から、いない母親役を埋めるように家事をこなしていたカイに安心して、すべて任せて行ってしまったというのもある。
正直なところ、家事のからっきし出来ぬ父親がいたところで生活は楽になるはずもなかったので、今のように必要な生活費を負担してもらえるだけの方が、カイにとって気楽であった。薄情なようではあるが、炊事洗濯食事が一人分増えるのは結構な手間なのだ。
帰宅早々に、ここのところ忙しくて溜まりがちになっていた洗濯物を済ませたカイは、今晩のご飯をなににするかで手を止めた。
ソルのあの様子では、今日は帰ってこないだろう。今までのことから考えるに、恐らく家には帰ってこず、明日学校で会うことになるだろうとカイは思った。
一応、ソルはなんだかんだで必ず学校には出てくる。そこは信用しているので心配はしていなかったが、今晩は家に一人だ。
自分だけだと思うと、途端に気が抜けてカイはソファに座り込んだ。なんとなくテレビをつけてみたが、目新しいニュースがあるわけでもなく、一通り見れば飽きてしまう。テレビを消してから、やるべきことがあっただろうかと考えるが、今日は特に学校での課題もなかったので思い浮かばなかった。
ご飯は……まあいいか、一食くらい抜いても……などとぼんやり思いながらソファに凭れていると、カイは次第にうつらうつらと船をこぎ始めてしまった。
闇に沈んでいた意識の中で、何かが動く気配がしたように感じた。
音も何も認知できないが、今までと違う雰囲気に意識が浮上し始める。暖かい空気に包まれているような、僅かな温もりに心地好さを感じながらも、カイの体は覚醒へと向かった。
「――」
水中から一気に引き上げられたような、明確な目覚め。
だが眼を開けたカイは、視界の大半を占めるそれがなんなのか、咄嗟に判別できなかった。
一対の、赤茶色の輝き。
半瞬遅れて、それがソルの瞳だと気付いたカイは、ぎょっと眼を見開いた。
「え――!?」
「よぉ、寝坊助」
思わずソファに張り付くように後ずさったカイは、ソルの小馬鹿にしたような笑みに迎えられた。距離を離して尚近い顔に、カイは思わず羞恥で頬を染める。普段はこんな距離で、ソルを見ることはない。
いつの間にか自分は、ソファに倒れ込んで眠ってしまっていたようだった。
「な…んですか、いきなりッ!」
「いや、別に。珍しくこんなとこで寝てやがるから、気になっただけだ」
特に理由はないはずだが、無性に恥ずかしくなったカイは声を上擦らせて叫ぶ。その慌てぶりに、ソルは面白いものでも見たように薄く笑った。
「ど、どいてくださいっ」
カイは思わず、覆い被さるように覗き込んでいたソルを両手で押し退け、跳ね起きる。体を起こしたカイは、押しやられて不機嫌そうなソルから視線を外し、ふと時計を見て眉をひそめた。
短針は11を指し、長針は35を指している。
「あれ? 朝じゃない……」
「なんで朝だと思うんだ」
「だって、兄さんはいつも午前様でしょう」
カイが真顔でそう言うと、ソルが「なんだとテメェ」と舌打ちしてカイの頭をぐしゃぐしゃに掻き乱してきた。加減のないそれからカイは逃げようと身を捩るが、体格的に分があるソルに逆らいきれるはずもなく、カイは思いきり髪を乱されてしまう。
「ちょっと! 私をオモチャにしないでください!」
「可愛がってやってんだろ」
「どこが!」
明らかに人の悪い笑みを浮かべるソルを睨み付けながら、カイは怒鳴り返した。いつも、完全に遊ばれてしまっている。
いい加減ふざけるのをやめろと言って手を振り払おうとしたカイだったが、突然ソルが顔を近付けてきたので驚いて動きを止めた。
「なあ。いつもの、付き合えよ」
「……え」
唐突にそう告げたソルに、カイは反射的に身を固める。まだ完全には起き上がりきっていなかったカイの腹に、ソルの手がひたりと当てられた。
薄い唇の隙間から犬歯を覗かせて笑うソルの顔を間近に見て、カイは意図を察する。
「な…、何言ってるんですか…っ」
「別にいいだろ。お前も溜まってんじゃねぇのか?」
慌ててソルを押し退けようとしたカイだったが、薄く笑うソルに襟元を鷲掴まれ、強い力でソファへ押し倒された。あまりに急のことでろくな抵抗もできず、片膝を乗り上げてくるソルを止めることができなかった。
ソルが何をしようとしているのか、カイには分かっていた。だからこそ恥ずかしくて抵抗しているのだが、我が道を行くソルにはなんら障害になっていないようだ。
性格の相反したソルとカイは、なんだかんだでよく二人でいることが多かった。歳が近いこともあってずっと一緒に育ってきたのだが、そうすると必然的に互いの身体変化が時とともに、目につくようになった。
そして何を思ったか、昔から人一倍大人びていたソルは「やり方を教えてやる」と言って、第一性徴の兆しに戸惑うカイに直接触れてきたのだ。全く知識のなかったカイは意味が分からないまま、ソルの手で精通を果たしてしまった。
それからというもの、カイはたびたびソルの性欲処理に付き合わされるようになった。だが、やがてカイもそういった方面の知識を得るようになり、兄弟で慰め合いをするのが一般的ではない――本来は一人で隠れてやるものだと知り、拒むようになった。
高校に入ってからはカイが逃げるのもあり、以前より頻度は少なくなったのだが、それでも稀にソルは強引にカイを押さえ込んで行為に及ぶことがあった。今がまさに、そのときだ。
「や…めて…ッ! 兄さん!」
狭いソファの上でのし掛かってくるソルを、カイは力の限り押し返す。だが、ソルの厚い胸板はびくともしなかった。
「そんなに時間取らせねぇよ」
「そういう問題じゃ……いたっ」
抵抗すると、制服の襟に力を込められてしまい、カイは容易く動けなくなる。上から見下ろすソルを睨み付けるが、全く動じる素振りはなかった。
ソルの無骨な手が、カイの制止を振り切ってスラックスの前を緩めてくる。
「ちょ…やだ、やめ……ッ!」
「うるせぇ」
カイは必死に叫び、無遠慮な手を押し留めようとするが、ソルは一向に取り合わなかった。妨害を振り切って下着の中に滑り込むソルの手に、カイは体を震わせる。
「やめ…、やめろ……ッ! こんなの……ひ、一人でやればいいだろう!?」
思わず乱暴な言葉が口を次いで出るが、それでも目の前の兄は歯牙にもかけず、カイのものをギュッと握った。
「ッ!」
「遠慮すンなよ。くそ真面目で溜めっぱなしのお前も、抜いてやろうっていう親切心じゃねぇか」
「どっ、どこが……ッあ、く!」
大きな手が、包み込むように性器をしごいてくるのに、堪らずカイはうめく。力の抜けた隙を突いて、ソルはカイのスラックスを下着ごとずり下げると、本格的に追い詰めてきた。
「ッ…、……!」
あげそうになった声を必死で飲み込みながら、カイは学ランのままのソルの袖を強く引いて抗議する。だがそんな抵抗でソルがやめるはずもなく、カイの下肢を弄り回す手は止まらなかった。
いくら平静を保とうと思っても否応なく煽られる快感の波に、体温を引き上げられたカイは漏れそうになる声を無理矢理、震える吐息にして誤魔化す。それでも形をなぞる指の動きが生々しく感じられ、カイは頬を紅潮させながら頭を緩く左右に振った。
初めて自慰を覚えた頃からずっとソルの手で快楽を覚え込まされてきたカイは、頭ではだめだと分かっていても、体が貪欲に快感を拾ってしまう。
「…っとに、やめ……ろ」
「ンなエロい顔して言っても、説得力ないぜ?」
途切れ途切れの抗議を、ソルはそう言って嘲笑った。反射的にカイは睨み付けるが、快感に神経を揺さぶれて潤んだ瞳では迫力などあるはずもなく、ソルは愉快そうに笑うだけだった。
「さっさと済ませりゃ、早く終わることだろ。勿体つけんなよ」
固さを持ち始めたカイのものを扱きながら、ソルは襟を絞めていた手を放して、不意にカイの手を鷲掴む。振り払おうとする前に、カイの手はソルの下肢へと導かれた。スラックスを押し上げる膨らみに触れさせられ、カイはぶるりと身を震わす。
よく知っているソルのものを、反射的に思い出してしまった。何度となく触っているため、形も色も感触もリアルに思い出せてしまう。
そんな自分の反応に、カイは羞恥で頬を紅潮させた。堪らず顔を背けるが、ソルに捕まえられたままの手に熱く固いものを押し付けられて、息を呑む。
スラックス越しだが、はっきりと存在を主張するそれの立派さに、カイはより顔を赤らめた。
「やだ……兄さん…っ」
「嫌、じゃねぇだろ。テメェだけ気持ちよくなるなよ」
勝手な理屈を言って、ソルは緩めた下着の中へとカイの手を導く。ぬるりと指先に触れたソルのものは、熱くて大きかった。
「っ……!」
あれ……前より大きい……?
カイは手に握らされたそれの変化に気付き、瞠目する。二、三ヶ月前に触れたときより、ソルのものが成長しているように感じたのだ。
思わず驚いたままそれの形をなぞると、更に熱を帯びてピクリと動いた。
その反応に一瞬手を引き掛けるも、好奇心に負けたカイは羞恥に頬を染めながら、おずおずとその輪郭を辿るように指を這わせる。緩く撫で擦っていると、硬度を持ってずしりと重くなっていくので、カイはまだ大きくなるのか!?と驚愕を覚えた。
やはり、記憶にあるそれと比べて、ソルの持ち物は立派に育っていた。
「兄さん、これ……大きくなって……?」
「ま、成長期だしな」
あまり信じたくないと思いながら聞いたカイに、ソルはあっさり頷いた。
ただでさえカイとソルのものには明確に差があったというのに、追い付くどころか、更に差をつけられてしまうとは……。カイにとっては、かなり屈辱的な事実であり、少し羨ましくもあった。
今は動きを止めているソルの手に、緩く握られている自分のものを改めて見つめ、カイは眉をひそめる。
「それなら、私だってもうちょっと……」
思わず拗ねたような呟きをもらしてしまったカイに、ソルは面白そうに笑った。
「別に平均くらいにはあンだから、気にすることねぇだろ」
色も可愛らしくていいじゃねぇか。
からかうにしては随分と柔らかい笑みを浮かべて、ソルはゆるゆるとカイのものを手の中で弄ぶ。思わずその刺激に溢れそうになった吐息を呑み込み、カイはソルを睨み付けた。
そうでもしないと、久しぶりに間近で見るソルの楽しそうな笑みにほだされて、ずるずると行為を許してしまいそうだった。
皮肉な笑みや含み笑いなどはよく見せるが、瞳の奥で嬉しそうに笑うソルはあまり見ない。だから見慣れているはずの顔なのに、カイはいつも思わず魅入ってしまう。
鋭く野性的な雰囲気を纏うソルは少し表情を緩めると、トゲトゲしい印象が途端に男の色気へ取って代わるのだ。本人が自覚しているかは分からないが、確実にこの笑みに落ちた女性は多いことだろう。
その瞬間、ふと思い出した。学校の放課後に、ソルが見知らぬ女生徒を抱き寄せていたことを……。
脳裏をよぎったそれに不愉快な気分にさせられたカイは、一瞬眉間に皴を寄せるも、珍しく早めに帰宅したソルと今の行動とに繋がりを見て、眼を瞠った。
……そうだ。なぜ、今までそれに気付かなかったのだろう。
いつもなら朝方か、翌日の学校に出てくるソルが早く帰宅したのは、抱き寄せていた女性と上手くいかなかったからではないのか? そして満たし損ねた欲求不満を、カイとの自慰で解消しようとしたのではないだろうか?
釈然としなかったソルの行動に合点がいったカイは、愛撫を施してくるソルを冷めた眼で睨み付けた。
熱に潤んでいたはずの瞳は、一瞬で冷ややかな光沢を纏う。
「いくら兄さんが相手でも、こんなことに私が付き合う義理はありません。他に慰めてくれる人は、たくさんいるでしょうっ?」
「……どうした? いきなり」
鋭く睨むカイに、ソルは変化を感じ取ったのか、怪訝な眼差しを向ける。そんな態度に、カイの苛立ちは更に増した。
「口説いていた女の人と上手くいかなかったことには同情しますが、だからといって私がこんなことに付き合う道理はありません!」
「……」
カイがソルの手を払って叫ぶと、図星だったのか、ソルは途端に黙り込んだ。
からかうような笑みも消し去り、無表情になったソルと睨み合いながら、カイは逃げようとソファの上を後ずさる。動きに気付いたソルが、赤茶色の瞳をぎょろりと動かした。
「!」
今まであまり向けられたことのない、射殺しそうな眼に貫かれ、カイはびくりと体を強張らせる。自分でも驚くほどの怯えが、背筋を瞬間的に駆け抜けた。
逃げようとしていたのに思わず体を硬直させたカイを、ソルは掌を叩きつけるような勢いで、肩を押さえつけた。
「……ッ!?」
爪が肌に食い込むほどの力に、カイは瞠目する。覆い被さるように覗き込むソルを真正面から見上げると、その両眼が暗く鬱々と輝く様に息を呑んだ。
喧嘩や殴り合いは散々してきたが、こんな風に怨念のこもったような眼で見られるのは初めてだった。
なんだかんだと言っても、一応二人は兄弟だ。本気で怒りをぶつけたり、殺したいほど恨んだりということは絶対になかった。
なのにどういうことだろうか。今のソルの眼差しは、本気で憎んでいるかのようだった。
燻る業火を秘めたような、緋色の眼がカイを射抜く。
「うっせェなぁ……。テメェにゃ関係ねぇだろ」
喉の奥で唸るような声で、ソルが吐き捨てる。
その言葉に、カイは眼を瞠った。同時に、軋むような痛みが胸に走る。何故不意に痛んだのか分からなかったが、カイは耐えるように少し眉を寄せた。
ソルはそんなカイを見つめながら、自嘲気味な笑みを漏らす。
「男なんてそんなもんだろう? サかるのに、いちいち理由がいンのかよ」
動物なんだから当たり前だとでも言うような口調で、ソルが嘲る。その言葉に、カイは反射的に奥歯を噛み締めた。
「……なら」
震える唇から言葉を絞り出し、カイは拳を固める。触れられたわけでもないのに、肋骨の奥が軋むような痛みを覚えた。
カイは唇を引き結び、ソルを睨み付けた。その苛烈な眼差しに、ソルは僅かに瞠目する。
カイの中に湧き上がってくるのは、怒りの衝動だった。思わず、自由になっていた手を振りかぶる。
「それなら……っ! 私である必要なんか、ないじゃないかッッ!!」
「……!」
叫びながら、カイはソルの横っ面を全力で殴り付けていた。
手加減なしのそれは、もろにソルの左頬を直撃し、大きな体躯を容易くソファから転落させた。
「…ッ、てェ…」
頬を押さえ、ソルがうめきながら顔を上げる。
ダメージ自体はさほどなかったようだが、憎々しげに歪められた表情が、不愉快の色に染まっていた。
「……仮にも兄だってのに、容赦ねぇなテメェは。ぁあ?」
肩で息をするカイを横目で睨み、ソルが忌々しげに舌打つ。その、いつもの兄弟喧嘩とは違う表情に、一瞬背筋がひやりとした。
こんな顔のソルは……知らない。
赤の他人だと突き放すような表情。まるで仇を見るような眼。
強面で腕っぷしの強いソルは、確かに怒るとその筋の人間かと思わせるほどに恐ろしい面を見せる。だが、それがまさか自分に向けられるとは思わなかった。
思惑通りに動かないカイが、そんなに腹立たしかったのだろうか……?
思わず怖じ気づきそうになっていた心は苛立ちと悲しみに取って代わり、カイは眼を眇めてソルを睨み返した。
「一体……なんだっていうんですか……!? 兄弟でこんなことするのがおかしいから、私は怒ってるんですっ。あなたが兄だから……兄だからこそ、殴ったんですよ。なんでそれが、分からないんですか……!」
カイはソファから立ち上がり、ソルを見下ろして叫んだ。
ソルが兄だから、許せなかった。弟だからと無理強いされるのが、嫌だった。
そんな理由で振り回されるのは御免だ。欲求不満だからという理由で、どうして付き合わなければならない?
……私のことなど、なんとも思ってないくせに。
青色と緋色の瞳が、無言で絡み合った。
「……そういう衝動があるのは、同じ男だから分かります。でも、ぶつける相手をはき違えないで下さい。私はもう……子供じゃない」
こちらを睨み上げるソルにカイはそう言葉を放ってから、返事も反論も聞かぬまま、足早にその場を去った。
ソルがあとを追ってくる気配はなく、二階の自室に入ったカイは、内側から施錠した途端、力が抜けてズルズルとその場に座り込んだ。乱れた衣服を掻き寄せて、カイは震える唇で息を吐く。
些細なことでの喧嘩など日常茶飯事だ。しかし、こういう言い争いをするのは初めてだった。
拒絶した自分は間違っていないと思うが、そう思った理由が果たして正しかったのか、カイは自分でも自信が持てずにいた。
兄弟では常識的にやらない行為だと口にしながら、自分はそこではなく、違うところに腹を立てている気がするのだ。
「どうして……私なんですか、兄さん……」
他の誰でもいいと言うのなら、何故自分を選んだのだと、カイは責めたかった。女の人が捕まらなかったから、カイにしたというソルの言葉に、頭に血が上った。自分なら言うことを聞くと、自由にできるのだと思われたのが悔しかった。
何より、そこにカイの気持ちを求めることも気遣うこともなかったことが、心を打ちのめした。
「……嫌いです。あなたなんか……」
ドアに背を預け、カイは呟く。自分の頬が濡れる感触すら悔しくて、睨むような眼差しで部屋を凝視した。
ソルはドアに身を預け、瞳を閉じていた。
背中越しに聞こえた言葉に、自嘲の笑みを貼り付ける。だが、どう頑張ってもそれは弱々しいものとなっていた。
目の前にカイがいなければ、途端に歯止めが利かなくなる。絶対に気付かれてはいけないという思いが無意識に緩み、鉄面皮も容易く形無しにしてしまう。
「……」
どうして、身勝手なこの自分が嫌々ながら学校に通うのか。どうして、相手の女を取っ換えひっかえしなければならなかったのか。
その理由に、あの馬鹿は気付かない。
気付いてほしいという欲望と、気付くなと思う理性の板挟みに遭いながら、ソルはいつものように吐き出しても意味のない溜息をついた。
END
ようやっと、できました。大変お待たせして申し訳ないですm(_ _)m
『もしもソルとカイが兄弟だったら』というリクエストをいただき、書かせていただきました。
珍しく、パラレルで悲恋ですね★
でもソルの変態的調教により、それなりのことはヤッちゃってる感じですけど;
俺の紫の上計画、みたいな感じですね!(氏ね)
大変お粗末さまでした。
読んで頂き、有難うございますm(_ _)m