同じ冬空を見上げて





突然、色々な重圧から一気に解放された気分だった。
以前に出来たこと、利用していたことは使えなくなったが、代わりに自由が手に入ったのは喜びと同時に戸惑いも大きかった。常に人の目を意識していたのが、むしろ人目を避けなければならなくなったというのは、随分と大きな変化だろう。
そして一番危惧していた体質の変化は、意外な場面で不便だと気付かされた。
「く……!」
カイ――表向きはSIN(シン)と名乗っている――は、向けられた刃を後ろに飛び退いて避けた。次いで振り下ろされる金属棒を横に避け、飛び込んできた相手の顔面をカウンターで殴り付ける。骨が軋む嫌な音とともに、男がくぐもった悲鳴をあげた。
少し痛んだ拳を引き戻し、カイは具合をみるように数度拳を握り直す。
(痛覚が鈍い……)
人間の時との微妙な差異に、カイは戸惑っていた。
ギアになって生まれ変わったのだから、勝手が変わるだろうことはもちろん覚悟していたのだが、意外にも普通の生活においてさほど顕著な違いが見られなかった。
それだけに、ギアの体での戦闘を行って初めて、今更ながらまざまざと違いを突き付けられた気分だった。賞金首の盗賊集団と対峙している今、ギアが如何に戦闘に特化した生物なのかを思い知らされる。
とにかく、痛覚が全体的に鈍いのだ。理由を推測するならば、生命の危機を知らせるための痛覚が、頑丈な肉体を持つギアには不要だったからということだろう。
しかしただの殺戮兵器になるわけにはいかないカイにとっては、厄介な感覚だった。自身の痛覚が鈍ると、周りも同じだと錯覚して、傷付けることをいとわなくなる。今思うと、ソルが粗野で乱暴なのは、性格のせいだけではなかったのかもしれない。
「おい!」
流れるような動きで賊を捌いていたカイに、不意にソルの怒鳴り声が叩き付けられた。ハッと、深く沈んでいた思考を浮上させるが、既に殺気の塊が眼前まで迫っていた。
「――ッ」
瞬間、ゴキッと嫌な音が響く。そして鮮血が散った。
視界の外で映らないが、ソルがカイの側頭部を庇うように腕を突き出しているのが見えた。恐らく、眼帯で右側が見えていないカイに向けられた攻撃を、ソルが自分の腕を犠牲に防いだのだろう。
耳元で響いた音から、刃が骨まで到達してしまったのが分かる。
「……ッ!」
カイは半歩下がり、体の向きを変えた。死角から狙った賊を視界に入れると、カイはナイフののように硬質化させた稲妻を発生させ、心臓目掛けて投げ放つ。
男の胸をそれが貫いた瞬間、圧縮されていた法力が爆発し、男を数メートル後ろへ吹き飛ばした。
「すまない……!」
傷ついた腕を後ろ手に庇うソルを見て、カイは謝りながら敵の攻撃をかわす。すると、器用に相手の武器を無傷の手で絡め取り、捻りあげながらソルが意外そうに片眉を上げた。
「そんな素直に謝ったの、今まで聞いたことねェな」
口端をつり上げ、揶揄るようにソルが言う。それにカイは一瞬眉を動かすも、自分の不注意で招いたことだと、湧き上がった不機嫌を抑え込んだ。ソルが庇ってくれなければ、頭を傷つけられていたのだから流石にギアとて笑い事では済まない。
カイは体を撓らせ、一気に精度の高い雷弾を練り上げると、同時に4球を放ち、残っていた4人の心臓を寸分狂いなく打ち抜いた。少量の血しぶきが上がり、苦悶の声を発しながら賊がくず折れる。
この場で動くものがソルとカイだけになり、2人は息をついた。
「……傷、見せてくれませんか」
「いらん。どうせ勝手に治る」
石畳に血溜まりを作るソルの腕を見てカイがそう言うと、にべもない返答が返ってきた。理屈としては自分の身も同じなので分かるが、だからといってそのままというのは都合が悪い。
死体だらけの路地裏を見渡し、カイはため息をついた。
「賞金首は獲りましたが、これほどの死体となると流石にすぐ騒ぎになるでしょう。しばらくこの周辺は避けた方がいいですね。……でも、そんな血まみれで表通りに出ればどうなることか」
「誰のせいだと……」
「だから。私に治させてください」
睨むソルをものともせず、カイは勝手に腕を取って回復魔法を唱え始めた。淡い光が覆い、日焼けした肌に刻まれた裂傷を癒していく。
振り払われることも考えていたカイだったが、治療が終わるまでソルは腕をこちらに預けたままにしていた。恐らく、振り払うのも億劫になったのだろう。
「……さっきの戦闘、あまり痛みを感じませんでした。そういう、ものですか?」
新しい皮膚が綺麗に覆い、傷跡の見受けられない状態になった腕をゆっくり放し、カイは含みを持たせた言い方で聞いた。ソルは無表情のまま、こちらを見つめ返す。
「深手でなきゃ、ほとんど気付かねぇくらい鈍い。……せいぜい、普通の連中の前では気をつけるんだな。浅かろうと、勝手に傷が治ったら不審がられる」
「……」
怒るでもない、悲しがるでもない、ソルの静かな警告にカイは耳を傾けた。そして、以前では問い詰めても答えることのない、ギア――むしろソル自身についての事柄を素直に告げられ、カイは改めて理解する。
神器の為とはいえ、如何にソルが聖騎士団で窮屈な思いをしていたか。もし正体が露呈すれば、仲間であるはずの聖騎士達が襲ってくるのは必至だ。対ギアエキスパート集団に袋叩きにされれば、流石にソルも無傷ではいられないだろうし、逃げるとしても聖騎士団にそれなりの損傷を与えなければ無理だろう。そうなれば、本来目的の同じ者同士で消耗し合うことになる。
そうなると、怪しまれないようにできる限り他の団員との接触を避けるのが当然というものだ。いるのかいないのか分からないくらい普段は身を隠し、戦場では仲間と逸れて行動する。無法者に思えたソルの行動は、抱えた事情が分かれば、実に理にかなったものだとカイは今更ながら気付いた。
そして、自分の良かれと思っての行動が如何に鬱陶しく、お節介であったかも分かる。朝礼に来い、作戦会議に出ろ、別行動をするな……そんなことばかり言いながらソルに付き纏っていた子供の自分を思い出し、カイは薄い唇を噛んだ。
「わかった……ありがとう。気を付ける」
「……」
それだけ言って、カイはふいと顔を背け、表通りに出る道へと足を向けた。ソルはいつもの無言のまま、遅れてカイの後についてくる。周りの生き物が息絶えた静かな路地裏で、二人の靴音だけが響いた。
……素直に謝れたなら、苦労はしないのだけど。
昔の自分の行動を思い返し、カイはひっそりと内心溜め息をつく。今更8年以上前のことを謝ったところで、あのソルは嫌そうに顔を顰めるだけだろう。それがなんとなく予想できるだけに、謝罪するのは憚られたのだが――どうして言ってくれなかったと、お門違いな憤りをぶつけそうな自分がいることにも躊躇いが生じた。言えるわけがないと分かっていて尚、それを言ってほしかったなんて、矛盾もいいところ。
今まで何を問うても答えなかった男が、カイがギアがなったことで不承不承も仲間と認識して、黙っていたことを語り始めたのも、嬉しいようで少し悲しい。
普段は凍えてさえいる自分の心が、いつもいつもソルの傍にいる時だけ奇妙に浮き沈みがあることに戸惑いながらも、カイはそれを微塵も感じさせないピンとした姿勢で、昼時でにぎわう表通りへと足を踏み入れた。






換金所に登録を済ませた二人は、賞金首の照合が完了するまでの間、近くの喫茶店で食事をすることにした。
すでに人の身ではなくなった為、食料補給はさほど頻繁でなくてもいいのだが、流石に丸2日間絶食状態だったので軽食を摂ることになった。カイは、時々現れては暴飲暴食するソルをよく見ていたので、普段からそうなのだと思っていたが、どうやら食事することを忘れて数日経ち、気付いたように食べるというサイクルだったらしい。
そして、まだ賞金稼ぎとしては素人なのだからと思ってソルに黙ってついていたカイも、同じくそのサイクルに巻き込まれてしまっていた。
ランチメニューを持ってきた可愛いウェイトレスに、ソルはぶっきらぼうに「甘いもん以外、全部」とだけ言って注文を済ませるのを見て、流石にカイも呆れた眼差しを向ける。
「申し訳ございません。この男は、デザートとドリンク以外の全てのメニューでお願いします」
「えぇっと……デザートとドリンク以外全部ですね」
「飲み物はどうするんです? ソル」
「いらん。水でいい」
「……だそうなので、水をピッチャーでもらえると嬉しいです。水のおかわりで何往復もしてもらうのは忍びないので。……あと、私はミックスサンドとダージリンティーでお願いします」
てきぱきと注文をするカイに、ウェイトレスは冷や汗を掻きつつメモにペンを走らせる。
そして一礼すると彼女は店の奥へと早足に去っていき、何やら嘆くように叫んだ。鋭い聴覚は、『どうしましょう店長ッ、全部ですって! 早く出さないと殺されそうなんですけど!?』と怯えた声を拾ってしまい、カイは肩を落とした。
「ソル……もう少し、穏便にできないのか」
「知るか。何を頼もうが俺の勝手だろ」
「注文じゃなくて、言い方の問題だと思うんだが……」
「ごちゃごちゃうるせェよ」
カイの注意を不機嫌そうに一蹴し、ソルは先程購入した新聞を広げた。英語ならともかく、中国語と思しき文字の羅列に目を走らせるソルに、カイは驚きつつ口を噤む。それなりに勉強はしてきたつもりだが、流石に亜細亜の言語は覚えていない。
今度勉強しようと密かに決意しながら、カイは最初に出された水に口を付けた。
「……お前」
「ん……?」
そういえば久しぶりだったような気がする水分で喉を潤したところで、新聞越しにソルがこちらに視線を向けてきて、カイは目を瞬く。中途半端に途切れる言葉に違和感を抱いて、カイがグラスを口元から放して先を待つと、ヘッドギアの陰で明度落とした燃えるような赤い瞳が、まるで物陰から獲物を狙う獣のように暗く輝いた。
「そんなので、足りるのか」
「……? 何が」
「食事」
カタコトなソルの問いかけに一瞬首を傾げるも、カイは言いたいことを理解して、ああ…と溜め息に似た声を吐き出した。
「足りるというか……正直、いらないくらいなんですけど」
「なんでだ」
「もともと、そんなに食べないんです。気付くと食べてないとか前からよくあったので、その点ではベルナルドに怒られ通しでした」
思わず懐かしむように執事のことを笑って口に出してから、ソルの眉間に皺が寄っているのに気付いてカイはしまったと思った。とっくに決別したもののはずが、どこかまだ割り切れていなかったらしい。
もう以前のようにはいかないのだと、重々分かっていたはずなのに。
押し黙ったカイにソルは鋭い視線を向けたままだったが、それ以上は何も言わなかった。
ソルは苛烈な瞳を新聞へと戻したが、会話もない重い沈黙に居たたまれず、カイは何気なしに店の外へと視線を向ける。幸い向かって左側にガラスが設置されていたので、変な姿勢にならずに残った左目だけで表の人通りを見ることが出来た。
仕事で訪れたここは、スイスのルツェルンという街だ。まだカイ=キスクが死んで一週間も経っていないために国外逃亡というわけだが、独立性の強いこの国を選んだのは正解だったようで、今のところ怪しまれるようなこともなかった。
それよりも今は皆、クリスマスを祝うことに忙しい。クリスマスマーケットと呼ばれる、クリスマスプレゼント用の工芸品や飾り、ワインなどの特産物などを売る店が多く立ち並び、表通りや駅前は賑わいを見せていた。定期的に聖歌隊や合奏団なども来るようで、人通りは多い。
そんな中を先程まで普通に歩いていたのだが、自分がカイ=キスクだと全く気付かれなかった。意外に世間は自分の顔など知らないものなのかもしれない、と少し安心する。確かに低所得者層は、画像つきの情報受信機を持っていないことも多く、未だに紙媒体の方が根強い。その紙媒体の代表といえる新聞も、必ずしも皆が持っているわけではなかった。
第一、カイ=キスクが死んだというだけの知らせだ。賞金首にでもなったというならその筋に狙われる可能性はあるが、そもそも生きているということを知る者自体がすでに、ソルを除いてこの世にいない。
薄く雪に覆われた街は、様々な装飾も相まって白く輝いている。楽しそうな人々を見つめ、カイは無意識に笑みを浮かべた。
……すると、たまたま視線を向けていた方向に居た女性が一人、驚いたようにこちらを見た。
意外な反応にカイもまた驚いていると、寒空の中でその女性は横にいた友人らしき女性の服を引き、何やら興奮した様子で話しかける。振り向いた同年代くらいの女性は最初面倒くさそうにその言葉に耳を傾けていたが、指さした先のこちらを見て――急に目の色を変えた。
まるで宝物でも見つけたかのような2人の女性の眼差しを向けられ、思わずカイは腰を浮かしかける。
(まさか、バレた――!?)
「おい」
緊張を走らせるカイの耳に、不機嫌そうなソルの声が不意に届いた。振り向くと、いつの間にか来ていたらしいミックスサンドと紅茶を、ソルがこちらに押しやっている姿が目に入る。
「メシ、来たぞ」
「え……。いや…あの、あそこの女性が私に気付いたみたいで……マズイ気が…」
「寝言いってねぇでさっさと食え、モヤシ」
正体が露呈することを危惧して焦るカイに、ソルは暴言に等しい言葉で一蹴した。思わずカイが顔を顰めると、ソルは読んでいた新聞を大雑把に畳んで横にバサッと置く。
「阿呆か。あんな着飾ったガキどもが、長官様の顔なんか知ってると思うか? 単にテメェのみてくれに騒いでるだけだろ」
「……え」
思ってもみなかった指摘に、カイはきょとんと目を見開いた。言われて、改めてカイが女性達の方へ目を向けると、彼女達は紅潮した顔でこちらを見つめていた。
……確かにこれは、人間のときにうんざりするほどあった反応だ。
「疑心暗鬼になりすぎていましたか……」
自分の勘違いに気付き、カイは安堵と共に腰を落とした。無駄に見た目のいい己の顔が、余計な好感を持たれることは自覚しているカイだが、ギアになってからは初めてで思い至らなかった。
理由が分かって、カイは何事もなかったように慣れた愛想笑いで女性達に軽く手を振り、視線をソルに戻した。
「すみません、お騒がせしました。……しかし正直、こんな状態でまだ騒がれるとは思いませんでしたよ」
顔の半分が眼帯で隠れているのに、何がいいんでしょうね。
横目で熱い視線を送る女性たちを盗み見ながら、カイは緋色に変色してしまった瞳を瞬き、首を傾げた。その態度に、ソルは些か呆れた眼差しを寄越してくる。
「そんなもんで誤魔化せるか。見るやつが見りゃ、綺麗って分か……」
言いかけ、唐突にソルは言葉を止めた。一瞬顔を顰めたソルは、視線を彼方にやってから目の前の料理へ戻す。
「冷めるぞ」
そう言って紅茶を顎で指し示すソルに、カイはしばらく呆けた。だが、その誤魔化そうとした一瞬の動揺に遅れて気付き、反射的に口元が歪んだ。
それを慌てて手で覆い隠し、カイは横を向いて肩を震わせる。
「ッざってェな、笑ってんじゃねぇよ」
「ふふ…、だって……珍しい」
くすくす笑うカイとは対照的に、ソルは面白くなさそうに吐き捨てた。ともすれば威嚇に思えるほどの凄んだ声音だったが、しかしそれが照れ隠しであることは、流石に長年の付き合いで分かってしまう。
「……女々しいツラで、いつまでも笑ってんじゃねぇ」
「ひどい言い様ですね。……まあ、否定しませんけれど」
ソルの悪態に、カイは逆に肯定を示した。自分の顔がどういう印象を持たれるか、客観的に分かっているつもりだ。およそ、男性に対して使うべき褒め言葉が出てこないことも承知している。
けれど、それを言ったのがソルならば『貴重』と思うべきかもしれない。
今までカイに対するソルの評価は、軒並み子ども扱いだ。褒める事だって、そもそもあったかどうかも怪しいほど。
それなら、たとえ『綺麗』という表現でも嬉しい。
……そう、これは珍しい故だ。慣れた言葉に、不覚にも鼓動を早めてしまったのは、『貴重』だから。
あくまでも微笑みの表情を崩さず、カイは胸中で言い訳めいた言葉を呟いた。
「ラタトーユとブレッド、トマトサラダ、ムール貝パスタをお持ちしました」
料理を持ってきたウエイトレスが、緊張した面持ちでこちらの様子を窺いながら声を掛ける。それに笑って応対し、カイはソルの前に皿を並べるのを手伝った。
「では、いただきましょう」
「……」
とりあえず腹に入れられるものが揃ったのでカイが笑って声をかけると、ソルは無言でフォークを握った。
そして、いきなりパスタをずるずる啜る様にカイは一瞬呆気に取られるが、その無愛想極まる態度がまるで大きい猫のようだと感想を抱き、苦笑して自分のミックスサンドに手を付けた。






昼食を済まし、賞金を受け取った二人は宿を取り、残り時間をそれぞれ好きに過ごすことになった。
とはいえソルはいつも通り、余った時間は寝て潰すだけだ。外はクリスマスで賑やかだが、自分には関係ない。
だがカイは、今までまともにクリスマスを過ごすということがなかった為に物珍しいらしく、マーケットへ出かけて行った。
……まったく気楽なもんだ、とソルはシーツに埋もれながら胸中で悪態をつく。
人間をやめてまだ一週間程度しか経っていないというのに、カイは驚くほど冷静だ。一度殺されたも同然だというのに、それを微塵も感じさせない。思わず自分がギアになったときはどうだっただろうかと考えてみるが、ショックのあまりでか当時の記憶はあやふやで部分的にしか思い出せなかった。
だがとりあえず、今のカイのように平然とはしていなかった。体の不安定さもあって、目に留まるものを手当たり次第破壊していたように思う。
カイにはソルという先達がいたことが支えになったのかもしれないが、それにしても根本的な生き方がそもそも違うのだろうと思わされた。
ソルが人間として生きていたのは、科学文明の最盛期で、誰もが概ね満ち足りた生活を送れる世界だった。その中で夢を砕かれ、化け物になり果てたのだから、当然落差は大きい。
しかしカイは、生まれた時から戦争の渦中にいた。自ら先陣を切って戦いに身を投じ、平和になっても警察で忙しく働いていた。そんなカイには、人間という枠を捨てることはイコール自由を手に入れることだったのかもしれない。
現に、カイと行動を共にするのは不愉快ではなかった。聖騎士団にいた頃は、ルールを重視するカイにうるさく付きまとわれて辟易していたというのに、今はよっぽど度が過ぎない限り口を挟むことはない。抑えるでもなく、気が楽になったことで自然と寛容な態度を取るようになったようだ。
如何にカイが、今まで縛られ続けて生きてきたかが分かる。ギアになったことは、彼にとって決して不幸ではなかったのだろう。
しかしそれにしても、ギアなのに人生を楽しむのはどうか。
青とも緑ともつかない色をもって、美しく輝いていた瞳は血のように赤く染まってしまった。力を制御するための眼帯は端正な顔を武骨に覆い、かつての甘いマスクはなりを潜めた。しかし、カイはその表情を曇らせることはなかった。
むしろ以前より健康的な輝きを増したカイは、眩しいほどによく笑った。たまに顔を突き合わせては剣を交えていた頃には、見る機会などなかった本心からの笑み。
その、罪と過ちから生まれたはずのギアの重荷を感じさせない、カイの態度がソルを苛立たせた。死にかけたくせに、生を謳歌するようなその言動に吐き気さえ覚えた。
何故、悲観しない。これからずっと歳も取らずに、生き続けるのに。
何故、不安がらない。いつ破壊衝動に理性が剥がされるか分からないのに。
何故、怖がらないんだ。お前はもう人間じゃないんだぞ――。
「ソル、寝てるんですか?」
唐突に掛けられた声に、沈んでいた思考が浮上する。ソルはシーツを被ったまま身じろいだ。
確認するまでもなく、カイが帰ってきたようだ。特に気配を絶っていたわけではないようだが、気付くのが遅れた。
寝返りを打って、不機嫌のままそちらへ顔を向けると、カイは如何にも機嫌の良さそうな笑みを浮かべて、買い込んできた荷物を机に置く。
「一通り回ってきましたけど、凄いにぎわいでしたよ。聖歌隊の子供たちも素晴らしかった。ソルも見に行ったらどうです?」
「……いらねぇ」
予想通りの浮かれたセリフに、ソルは顔をしかめる。しかしその冷めた反応に気分を害することもなく、カイはにこにこと笑ったまま箱を持ってこちらに近付いてきた。
「そう言うだろうと思って、ケーキ買ってきましたよ。一緒に食べませんか?」
いつもの面倒くさがりを見越して、カイはケーキを買ってきたようだ。そのいらぬ気使いに、ソルの表情は険しさを増した。
緩慢に体を起こし、ベッドに膝立てたままソルはカイを睨む。
「いらねぇっつてんだろ」
「たまにはいいじゃないですか。せっかくクリスマスなんだから……お祝いしましょう?」
射殺しそうな視線を向けても、カイはにこやかに笑ったまま。ソルはギリッと奥歯を噛んだ。
クリスマス? だからなんだというんだ。
祝う? 何をだ、神にはとっくに見放されてる。
ヒトでない生き物に、人間と同じ思考も文化も、意味なんてない。――なのに。
「今日くらいは楽しみましょうよ、ソル」
その、信じ難い言葉がカイの唇から滑り出た瞬間、ソルの視界は怒りで赤く染まった。
反射的に勢いよく横へ薙ぎ払った手が、カイの腕から白い箱を吹き飛ばす。バン!と大きな音を立ててぶつかったそれは、薄汚れた壁に白いクリームの飛沫をまき散らした。
一瞬で惨状を晒したそれに一瞥もくれず、ソルは燃えるような光彩を放つ眼でカイを睨む。
「テメェは、自分が化け物だって自覚はあンのかッ!?」
「……!」
叩きつけた言葉に、カイが瞠目した。強張るその顔を睨み続けると、元々白いのその顔から色が抜け落ちていく。
そして、凍っていた笑みはゆっくりと、悲しそうな表情へと変わっていった。
「……そうだな。クリスマス、初めてだったから浮かれ過ぎていたかもしれない」
眉尻を下げ、カイは薄く笑む。箱を持っていたはずの手の空白に視線を落とし、カイはケーキの末路に視線を向けぬまま、腕をだらりと落とした。
その様にソルは、ざまあみろと思うより先に、心臓に爪を立てられたような痛みを覚える。深手でやっと痛みを感じるような鈍い体が、軋むような痛みを感じたことに戸惑った。
この、杭を体の奥に捻じ込まれたような痛みは、なんだ――。
「……俺たちはとっくに、まともに生きちゃいない。端っから神なんぞに、縁はねぇ」
だが内心の動揺を誤魔化すように、ソルは言葉を吐く。棘のあるそれに、しかしカイは悲しい中にも凛とした表情を見せた。
まるですべてを見透かしたかのような、赤い隻眼に見つめられて、思わず肌が泡立つ。
「前から、思っていた。……お前は何故、わざと不幸になろうとする? 自虐で罪を償っているつもりなら、それは違う」
カイの言葉は、切れ味のいいナイフのようにソルを刺し貫いた。余計な個所は傷つけず、出血も最小限で、芯を絶つ。
ピンポイントで容赦のないそれに、ソルは口元を歪めた。
「そんなつもりはねぇ。だが、遊び呆けているわけにはいかないだろ」
「もちろん、何もかも忘れていいとは思っていない。でも、たまの休憩は必要だ。目的があるなら尚更、万全の体調を期すべきだろう」
カイの言葉は、実に的確だった。戒めというには足りない自虐的な行為には、何の利益も生まないと告げる。
それはただの自己満足だと。
気持ち悪いくらいに効率的な思考をするカイが、これほど腹立たしいと思ったことはない。
「たかだか20年くらいのガキが、何を分かった風なクチ聞いてやがるッ。180年以上も生きてたら……もう、色んなモンが擦り切れちまうんだよ!」
寝てようが、食べてようが、戦ってようが、何も変わらない。
時間という名のヤスリに感情の起伏は削られてしまい、平坦になってしまった。無感動な自分が形成されてしまった。
今更、なにが変わるというのか。
勝手な持論を押し付けられることにソルが苛立つとともに、カイもまた次第に苛立っていく。
「何も感じないことはない! お前はそれを感じようとしないだけだ、不幸になりたがってるに過ぎない!」
「テメェッ、言わせておけば……ッ!」
叫ぶカイの胸倉を掴み、ソルは思い切りその痩身を突き飛ばした。不意の乱暴に、カイは防ぐことも出来ずに後ろへよろめき、床に尻餅をつく。真新しいカイの白い服が、舞った埃に薄汚れた。
「ごちゃごちゃ言うんなら、どっか行きやがれッ。テメェみたいな、人の為とか言ってる偽善者は虫唾が走る!」
「! 違うっ、そんなつもりじゃ……!」
ソルの投げつけた言葉に、カイは叫び返そうとして――不意に顔を押さえた。
眼帯の上から押し潰さんばかりに爪を立てて、顔半分を覆ったカイは呻きながら項垂れる。唐突な異変に気付き、ソルは喉の奥まで出掛かった罵倒を呑み込んだ。
苦悶の表情を浮かべるカイは、ギアの刻印が刻まれた眼が痛むような仕草をしている。
思わず具合を診ようと伸ばしたソルの手を、しかしカイは後ずさって逃れた。また掴まれ、突き飛ばされることを警戒した、強張った表情がソルの眼に焼きつく。
そこには、いつもの愛想笑いなど微塵もなかった。完璧に被っていたはずの殻が、一瞬剥がれ落ちて覗いた、怯えた素顔。
カイは冷静だったのではない。冷静な振りをしていなければ、理性が保てなかったのだと、この瞬間にソルは理解した。
感情の振れ幅を強調したような脈動で、カイの纏う法力が揺らめいている。ソル自身にも覚えのある、力の暴走の前兆だ。これが大きく乱れれば、理性が決壊する。
「…っ…」
それをカイも分かっているのか、うつろな瞳で床を睨みながら、ひたすら無言で唇を噛んでいる。感情を殺して、安定を取り戻そうとしているのが手に取るように分かった。
……坊やの方こそ、不幸になりたがってるじゃねぇか。
慣れない力をなんとかコントロールしようと、ひとりで藻掻いているカイを見つめ、ソルは今までの苛立ちが消えていくのを感じた。
カイは別に能天気なわけではなかった。完璧に仮面を被っていて気付かせなかっただけだ。本当は、ソルと同じに不安を抱えている。いつ壊れるか分からない自分の力に怯えている。
なのに、ヒトには勧めるのだ。楽しまなくてはいけない。ひとりで居てはダメだと。
その言葉、そっくりそのままお前に返してやる、とソルは思った。
「坊や。意識を眼に向けるな」
「え……」
片膝をつき、ソルは冷や汗を浮かべるカイに声を掛ける。息を乱し始めたカイは、一瞬すがる様な眼差しでこちらを見上げたが、すぐに視線を逸らせた。余裕がなくなりつつあってなお、頼ることを無意識で拒んだのだろう。
結局、自分もカイも、不器用なだけなのかもしれない。
「カイ、こっちを見ろ」
「……ソル……?」
名を呼ばれ、カイが不思議そうにこちらを見た。赤い瞳は血の色だというのに、熟れた果実のような蟲惑さがある。
それを見つめながらソルがカイの肩に触れようと手を伸ばすと、カイは再び逃げようと体を捻った。
「待て、『逃げるな』」
「――!?」
ソルの鋭い命令に、カイがぴたりと止まった。急に動かなくなった己の体に、カイは目を剥いて驚愕する。
カイは幸運にも自我を持ち合わせ、自立型ギアとして生まれ変わった。だが、司令塔としての力までは持っていない。ソルのプロトタイプギアの細胞を株分けしたため、他の司令塔ギアの命令を受ける回路は持ち合わせていないが、親株に当たるソルは同調させることが可能だった。
しかし感覚の一部が繋がって操られる奇妙な状態に、カイは不安の色を強めて泣きそうに顔を歪めてしまう。それに伴って力の揺らぎが大きくなるのを感じ、ソルは内心焦ってできうる限り穏やかな笑みを浮かべてみせた。
慣れない笑みは若干引き攣ってしまったが、ソルは構わずカイの手を取って握り込んだ。
「誘導してやるから、俺の法力の流れに合わせろ」
「でも」
「1人でどうにもならねェなら、2人でやりゃあいい。……そういうことだろ」
「……!」
含みのある言い方をして、ニッと口端を上げてソルが笑うと、カイは瞠目した。カイの考えを全面的に肯定するつもりはないが、確かに意地を張って1人でするよりも2人の方が容易いこともある。
特にソルとカイは、同じくギア細胞という諸刃の刃を抱えているのだ。互いが互いを重石にすれば、より安定するのは明白。
ならば、それを拒む理由はなく。
カイも同じことを思ったのか、見開いていた赤い瞳を細め――微笑んだ。
「ありがとう……」
そう言って手を握り返すカイに、何かがぐらりと傾きかけたが、気のせいだということにして意識の端に追いやり、ソルは法力の流れに集中した。









カイが落ち着いたあと、突然ソルは上着を取ってカイに投げつけた。
頭から青いコートを見事に被り、驚いたカイが反射的にソルを睨むと、年中ノースリーブの男は珍しくコートの袖に手を通していた。
「? どこか、行くんですか?」
明らかに外に出る支度だと分かるそれに疑問を投げかけると、ソルは宿についている唯一の窓を顎で示した。
「雪、降ってるだろ。上着着ろ、寒いぞ」
「え。いや、だからどこに……」
若干求めた答えと違うものが返ってきて、カイは戸惑う。しかしソルは財布をコートに突っ込み、部屋から出るために足を向けた。
「祝うんだろ。仕切り直しだ」
「……どういうことです」
こちらに背を向けたままのソルに、カイは少しの予感とともに問い返す。祝う、とわざわざ口にしたこととこちらを見て話さないソルが、その期待に似た予感が現実味を強めた。
「クリスマスなんざ、よく分からねぇもんを祝う気はねぇ。……だが、人間やめちまったカイ=キスクの残念会なら開いてやるってことだ」
「……! どういう意味ですか、それ!?」
予感は当たったものの、斜め45°
嬉しいはずなのに嬉しくないその言葉に、カイは思わず非難の声をあげた。かつての自分との決別を残念会とくくられるのは、些か業腹だ。
しかし、構いもせずに扉を開けて出て行こうとするソルを、結局カイは慌てて追うことになった。
万が一の時、カイを抑えられるのはソルだけなのと同じように、ソルもまた、同じ理由でカイが必要なのだと分かったから――。








END






クリスマス、とっくに過ぎてんよ!(叫)
当日にあげるつもりが、2日も過ぎた…orz

しかもなんですか、この二人は。
意識し始めてるけど、いい歳した大人なんだから…と無意識に抑え込んでる感じになりました。
双方、恋愛感情とすら気づけてないです。

それにつけても、ギア化カイは楽しい…。