摩擦熱


放浪癖のある親父はいつもあっちにふらふら、こっちにふらふら。家にじっとしていることなんてそうありはしない。そのクセ夫婦仲は悪くないという奇天烈ぶり。全くもって理解不能だ。
そんな親父が、血まみれになって現れてそのまま行方知れずになったのは、ちょうど去年のことだった。キング・オブ・ファイターズの主催者だったルガールに敗れ、その後に京に倒されたルガールが自爆するのに巻き込まれたのだ。生きているか死んでいるかと問われれば、京は間違いなく死んでいると断言する。それくらいに助からない状況だったからだ。
しかし、事の顛末を聞いた母は、悲しむだろうと思った周りを他所に、「きっと生きてるわよ。そのうちひょっこり帰ってくるでしょう」と、ノホホンと言い放った。流石にこのときばかりは京も呆れ返ってしまった。
なぜそこまで信じきれるのか。断言してしまえるのか。
別に京は父が心配だとか思っているわけではない。ただ、何の確証もなしに父の生存を信じる母が、分からなかっただけだ。確かなのは自分だけ、自分の拳だけ。そんな風に思う京には、母の発言が奇異にさえ思えた。
我思う故に我あり。誰も信じられなくても自分は信じられる。他ならぬ自分自身だから。
『今年もやってまいりました。世界規模の無差別格闘技大会、キング・オブ・ファイターズ! 去年に引き続き、豪華な顔ぶればかりです!』
興奮したアナウンスの声を聞きながら、京はうっすらと笑った。期待を表すその表情はいっそ妖しく、隣にいた紅丸が訝しげな視線を寄越す。
「なに、ニヤついてるんだ?」
「んー? 別にいいだろ。俺の勝手」
「そりゃお前の勝手だろうけど、その締まらない顔で女性ファンを減らすのはやめてくれよ」
「俺様のビューティーフェイスに難癖つけんなんざ百年早ぇ。だいたい、きゃーきゃー言われて鼻の下伸ばしてんのはテメェの方だろ」
ハン!と外人のようなジェスチャーで大袈裟に肩を竦める京に、紅丸は不機嫌な顔で文句を言いかけたが、後ろからやってきた吾郎の声に遮られた。
「対戦表が決まったようだぞ」
「そっか。一回戦目の相手はどいつだ?」
何か言いたそうな紅丸を無視し、京が吾郎に聞くと、大きな体躯の男は腕を組んで頷いた。
「見たことのない名だが、確か『八神』と『如月』と『ビリー』だったか。去年にはなかったチームだな」
「じゃあ、誰にも知られないまま帰ってもらおうかね」
茶化すように紅丸がそい言うのを尻目に、京は皮肉な笑みを浮かべる。
「なんだよ、メインディッシュが一番先かよ。勿体ねぇな」
「? 京、そいつらを知ってるのか?」
てっきり同じように余裕のセリフを吐くと思った紅丸は、京を振り返った。吾郎も疑問の眼差しを向けてきたので、京は微かに口端を上げて眼に強い光を宿らせた。
「他の二人は知らねぇが、八神は知ってる。一番やりごたえがありそうだからな、アイツ」
心底嬉しくて、京はグローブに包まれた拳を握った。自然と高揚した気持ちを表すように、そこから炎が立ち上る。陽炎のように揺れるそれに目を留め、紅丸は複雑な表情を浮かべた。
「お前が言うんなら、かなりの相手なんだろうな」
「まあな」
「そんなに言うなら、俺も一度闘ってみたいもんだ」
さらりとそう言った紅丸に、京は怪訝な眼差しを向けた。女性の視線を常に気にする男が闘争心を見せるのは珍しい。そう思ったが、紅丸の射抜くような視線に気付き、京は意味を察して薄く笑った。
「やめとけ。アイツは俺と同じような闘い方だぜ? 俺とやったときみたいに、負けちまうだけだ、紅丸」
見下すように吐き出した言葉に、色男の表情が険しくなる。見越した通りの反応に、京はまた笑った。
紅丸は結局のところ、京に負けたことを一番気にしている。いくら仲間になろうと関係ないということだろう。
だから、お前は面白くねぇんだよ。京は胸中でそう呟いた。
敵はただ一人、京だけだと言いながら、友人だからと仲間に加わる。その曖昧な態度が、京には気に食わなかった。普段なら友達でいいだろうが、本当に真剣勝負をしたいと思うのならチームなど組むべきではない。堂々と敵に回って闘いを挑んでくればいい。お前に勝ちたいのだと、はっきりそう言えばいい。
なのにそうはしない紅丸の態度は友達思いのように思えて実は、すべて上面で胡麻化しているだけの卑怯者だ。京に対しても周りに対しても、あまつさえ自身に対しても嘘で塗り固め、たった一歩さえ踏み出すことができない。ライバルではあるがそれ以前に友達なのだと言い訳をして直接に対峙することを避けようとする態度が、京は気に食わなかった。
闘うことと友情は全く別の次元のものだ。それが分からないほど自分は馬鹿ではないし、勝った負けたで関係が壊れるような浅い付き合いをしてきたつもりはない。
もちろん、そんな感情がハナからなければそれに越したことはないのだが。
本当の闘いとは、命懸けだ。チームで交代だとかタイムアップだとか、そんなものは本来存在しない。どちらかが力尽きるまで闘い続ける、命の取り合い。
殺るか、殺られるか。太古の昔、大蛇を薙ぎ払ったとされる草薙流は、まさに一族が生き残る為に編み出された、相手を殺す為の技なのだ。勝った負けたのスポーツ感覚のものではない。
「……ま、理屈はいらねぇ。要は楽しめりゃいいのさ」
口元に不敵な笑みを浮かべ、京は『キング・オブ・ファイターズ』と書かれた垂れ幕の方に目を向けた。その前にできた人だかりは大半が観客だろうが、出場する選手も紛れているはずだ。
あの中にアイツがいる。
京は一人の男の後ろ姿を思い描き、唯一信じることのできる自分の拳を握り固めた。



八神と初めて出会ったのは、ほんのガキの頃だった。
その時の記憶は、正直ほとんどない。ただ、髪が赤っぽくて瞳が鮮やかな紅玉だったことは鮮明に覚えている。中学の頃に再会したヤツは髪を真っ赤に染めていたが、最初からヤツの髪は赤みを帯びた日本人離れした容姿だった。
そのうえ肌の色は白く、どちらかというと貧弱な印象を受けた。実際、あの頃は自分の方が背も大きかったはずだ。
「何してるの、こんなところで」
「……別に、何も。待ってるだけ」
八神が何者で、自分がどういう立場にいたか、子供の頭では到底理解できなかったってのが本当のところで。
両家の親が話し合うときは、次期当主といえど暇を出されて近くの公園で遊んでいるように言われたものだった。それは八神も同じだ。
必然的に顔を合わせるようになった庵と京は、同年代の子供という気安さから、なんとはなしに話すようになった。しかし互いに正体は分からないまま。
何の壁もなく話せたのはこの時期だけだったかもしれない。次に庵と合ったとき、京はその変貌ぶりに驚かされた。
「お前は……俺が殺す」
子供の頃のひ弱な姿は、もうそこになかった。視界に捉らえたものを切り刻む、狂気がヤツの中に住んでいた。
だが、それはとても純粋な闇だった。
真っ直ぐに敵意を抱かれるのは、むしろ清々しい。なぜなら、自分もまた全力で立ち向かえるからだ。
ただ相手に拳を当てること、行動を読み、避けて切り替えして、渾身の連続技を叩き込む、ひたすらに相手を地に沈めることだけを考えられる。
余計なものは何も要らない。
信じられるのは自分の拳とヤツの拳だけ。
「んじゃ、おっ始めようか。死合いをよぉ」
不敵な笑みを口元に浮かべ、京はキング・オブ・ファイターズの会場へと向かって歩き出した。



END




二人の過去って謎なままですよね…。どういう出会いだったのでしょう??