Birth





「え……? バイトが入った?」
「うん。なんか急に立食パーティーをやることになったらしくて……どうしてもってさ」
その日の朝、仕事の入っていなかったテリーを枕で叩いて起こしたところで、ロックは先程受けた連絡をそのまま伝えた。
いつもなら起き抜けでまだボーッとしているはずのテリーも、事態を理解してぱっちりと目を覚まし、驚きの声をあげる。
今日は、6月24日。ロックの誕生日だ。互いの誕生日は他の予定を入れないというのが、長い間二人の間での習慣になっていた。だからゆっくり過ごそうと、テリーもロックも仕事を休んでいた……はずだったのだが。
ロックがバイトをしているのは、テリーとは旧知の仲であるリチャード・マイヤーの経営するパオパオカフェだ。普段からさほど忙しい店ではないが、格闘家の間では聖地として有名だった。今回急に入ったパーティーも格闘家関係らしく、ロックが呼ばれたのも人手が足りない以上に、あのギース・ハワードの息子というのがあるように思えた。
本当はそういう関係の話題は絶対に関わらないのだが、リチャードが『悪いようにはしないから』と言って珍しく食い下がってきたので、ロックも無碍には断れなかった。
「でも……折角の誕生日だぜ? 今日だけは、譲れないだろ」
ロックの複雑な心境を察してか、テリーは顔をしかめて抗議する。
そしてふと、名案を思いついたと言わんばかりにポンと手を打った。
「よし、俺が言っておいてやるよ。今日はうちのロック、貸せませんってな」
「……そう言うの、読まれてたみたいだぜ? 『じゃあ今までのツケ、全部返せよ』ってリチャードさんから伝言預かってんだけど」
「……」
ロックがリチャードの言葉を伝えると、途端にテリーは何か悪いものでも食べたかのように顔を歪めた。言い返す言葉が咄嗟に見つからないらしく、何か言い掛けて止め、寝癖のついた金髪を掻きむしる。
「あーくそっ、俺のせいかーッ!」
「…アハハ、昔の夜遊びが祟ったな」
わしゃわしゃと頭を掻く様が子供っぽくて、ロックは思わず笑い飛ばした。三十路越えの男で、こうも豪快な動作が似合うのはテリーくらいのものだろう。
それでも彫りの深い精悍な顔立ちが損なわれることのない辺り、やはり本物の男だと思わされる。どんなにおどけて馬鹿なことをして見せても、にじみ出る野生の色香は消せない。
差し込む朝日も相まって、蜂蜜色の髪が輝く様が眩しく映り、ロックは思わず少し早くなってしまった鼓動を誤魔化すように身を翻した。
「……とりあえず、そういうことだから。晩には上がれるだろうし、どこかへディナー食べに行こう」
流石に帰って凝った料理を作る気力は残っていないだろうと思い、ロックはそう提案するとテリーも顔を上げて頷いた。
「そうだな。そうしよう!」
「んじゃ、テリーが店を決めといてくれな」
「……えっ!?」
和やかに賛同するテリーに、ポイッと問題を投げてロックはひらひらと手を振る。呆気に取られた表情をするテリーに鮮やかに笑い、ロックは上着を羽織った。
仕事は入ったが、この穏やかな日々は変わらない。隣で笑ってくれる人も変わらない。
それなら、別にいいのではないのかと。自分にしてはお気楽な考え方をしていると思ったが、ロックはそれでいいと胸中で頷いて歩き出した。








「君がロック・ハワード…か?」
比較的軽い心持ちで仕事をこなしていた時、ロックは薄暗いカフェ内で一人の男に声を掛けられた。
パーティーは既に始まり、お決まりの挨拶も終わって各々が知り合いと談笑する時間となっている。そんな中でドリンクのおかわりを作っては運んでいたロックの目の前に、スーツを着た男が現われた。
パーティーの主催者であることを記憶していたロックは、忙しさに片隅へと追いやっていたリチャードの言葉を思い出す。『少し会って話をしてもらいたい人がいる』、と。
「ロック・ハワードですが……それがどうかしましたか」
事前に口添えされていたとはいえ、名を問われるといい気分ではなく、ロックはウェイターであることを一瞬忘れて無表情のまま男を見つめ返した。鋭く赤い一対の瞳に射られ、男は少し眼を瞠る。
「似てないと思ったのだが……やはり、少し似ているな」
「……」
誰と、だ……!?
思わず胸倉を掴んで問いただしたくなったロックだったが、片手にワインを乗せたトレーを持っていたこともあって、実際に手は出さなかった。しかし怒りが眼にこもり、ますます眼光は鋭くなってしまう。
猫が――いや、虎が威嚇するような獰猛な気配を放つロックに、男は驚愕するもすぐに肩の力を抜いて笑ってみせた。
「悪かった。勘違いしないでくれ。……俺はあんたに感謝してる人間だ」
「……は?」
一般人よりは少し険のある、えらの張った顔を崩して、何故か男はそう言って笑う。言われた内容が咄嗟に理解できず、思わずロックは眉間の皺を解いて間抜けな声をあげていた。
「驚かせて悪かった。別に俺は君にどうしようとか、君を利用して何かしようとか、そういう意思はとりあえずないよ。……こちらの世界は、15年以上も前に足を洗ったきりで、もうこりごりだからなぁ」
「……」
男くさく朗らかに笑うさまを、ロックは怪訝な顔のまま見つめた。言葉をそのまま鵜呑みにするほどおめでたくはないが、意味もなく嘘をついているようにも見えない。
意味を測りかねて黙っているロックに、男はふと目を細め、遠くを見るような表情を見せた。
「昔、俺が悪さをしていた時だ。……あの男に目をつけられてな、殺されかけたことがある」
「……!」
男の口から、恐れていたが――予期していた名が出た。名前を言ったわけではないが、誰を指しているのかは確認せずとも分かってしまう。
ギース・ハワード。
自分の存在を語る時に、必ず背後について回る名前。ロックは男の言葉に、はっきりと顔を歪めた。
だがその嫌悪の表情を、男は警戒心の表れと取ったようで手を振って否定を示した。
「だからって、君に復讐しようとかそういうことじゃない。……いや、むしろ礼を言わせてくれ。君が生まれたおかげで、俺はその時に生き延びることができたんだ」
「……え……?」
何を、言っているんだ?
男の話の展開に脳がついていかず、ロックは途端に凍りついた思考で男の言葉を反芻した。
俺が、生まれたおかげ――?
「あの女性……たぶん君の母親だろう。子供が生まれたと言って、ちょうど取り込み中だったところに現れたんだ。……おかげで俺は、どさくさに紛れて逃げることができたってわけだ」
「……!?」
あまりに予想外の事実。信じられないことを語る男に、ロックは息を止めて驚愕の眼差しを向けた。
ロックの記憶の中には、母がギースの元へと駆けたことは一度もない。だが、自分が生まれたばかりの赤ん坊だったならば?
ギースへ報告に行ったことがないとは、決して言いきれなかった。ギースはロックの存在を知っていて、わざと放置していたようなところがあったからだ。
しかしそれが実際にあったとして――、結果的に一人の命を救ったことになっただなんて。
「そんな…こと、あるわけ……」
「あったのさ。だから俺が今生きているのは、君と君のお母さんのおかげというわけだ」
無意識にロックは否定の言葉を呟くが、男は笑ってその憂いを消し飛ばした。そして空いている方の手を取り、一方的に握手をする。
「君は覚えていないだろうけれど、俺が救われたのは事実だ。だから……意味は分からないだろうが、感謝させてくれ。生まれてきてくれて、ありがとう」
「…え…。あ、…ああ」
黙っていれば迫力のありそうなタイプの男だというのに、なんでこんなにも晴れやかな笑みを自分に向けるのだろうか。
流されるままに手を握り返し、ロックは終始戸惑ったまま男との対面を済ませた。
「……」
嵐のように現われたそのスーツの男は、すぐ後に呼びに来た若妻に腕を取られ、再び人垣の中へと消えていった。振り回されるだけ振り回されたロックは、引っ込めそこなった手を空中に漂わせたまま茫然と突っ立っていた。
「生まれてきてくれて、ありがとう……か」
ぽつりと呟き、ロックは少し笑みを口元にのせる。何の縁もないと思っていた人に感謝されるのは、とても驚いた反面――悪くない気分だった。
自分が何をしたわけではないけれど、それで誰かの人生がいい方へと傾いたのなら、それでいいのではないのかとロックはなんとなく思った。











しかし、仕事は仕事。誕生日だとか、関係ないこともある。
いや、それが現実というものか。
「悪いネ! そっちのテーブルセッティング頼んだヨ!」
「……マジかよ」
無駄に茶目っ気たっぷりに、リチャードが指示を飛ばしてくる。ロックはうんざりした顔で返事しながらも、慣れた手はテキパキと食器類を磨いてクロスの上へと並べていっていた。
また、最後に急なディナーの予約が入ったのだ。平日だというのに、この満員御礼具合は一体どうしたことなのか。
非常に迷惑だ、とぶつぶつ胸中で詰りながらもロックは言われたとおりの仕事をこなしていた。テリーとのディナーが、また遠のく。
「……」
本当は。
生まれてきてくれてありがとうと言ってほしいのは、ただ一人だった。
今日会った男にもらった言葉も、もちろん嬉しい。だが、本当にその言葉がほしい人は、一人だけ。たぶんその人に言ってもらえれば、自分というの存在が少しは信じられる気がする。
ギース・ハワードの息子ではなくて。テリーの弟子ではなくて。一人の人間としての、ロック・ハワード。
未熟さも可能性も抱えた、ただの17歳の青年。
「そう……ただのガキだ」
いつもは言われて腹を立てる言葉を、ロックは自分に向けて呟いて微笑んだ。ただのガキ、どこにでもいる一人の青年。本当は、何も特別ではない。
"特別"であるかどうかは、これから歩む道と本人が決めることだ。
「――Hey !  Rock !!」
「え……?」
ちょうどセッティングが終わったとき、まるで見計らったかのように聞き覚えのある声が聞こえた。慌てて顔を上げたロックは、入口から歩いてくるスーツ姿の男を発見して、驚愕に眼を瞠る。
視界に映ったのは、何故か正装したテリーが、こちらへ足早にやってくるところだった。
「な……なんで、いんだよ……!?」
歳の割に人懐っこい笑みを浮かべる目の前のテリーを見上げ、ロックは思わず声を裏返らせてしまう。しかしこちらの驚きぶりなどお構いなし、永遠のヒーローと謳われた男はロックの手からトレーとナプキンを取り上げて隣のテーブルへと放った。
「ディナー、一緒に食べる約束だろ?」
「……いや、だから……さっきメールしたろ!? 予約が入ったから遅れるって……」
「こんなギリギリに予約入れて、ディナーの用意させるなんて、ここじゃ限られた奴しかできないって思わなかったのか?」
「――!」
テリーの遠回しの言い方に、ロックは口を『あ』という形にしたまま固まった。
少し違和感はあったのだ、確かに。ここは普通のバーと違って、凄腕の格闘家が集う場だ。しかもマスター自身が、指折りの格闘家ときている。
格闘家にはそれぞれの考えがあり、意志が強い為に金で動くとは限らない人種だった。特にここはその典型で、情が通えば酒をおごることもあり、逆に札束を積まれても容易に突っぱねてしまうこともある。
そんなところで、閉店時間を押してまでディナーを用意する相手とは?
「……そうならそうって、最初から言えばいいだろっ!? …ちょっと、リチャードさんもそんなとこで笑うな!」
「まあまあ、そんなカリカリするなよ。制服脱いで、席に着けって」
「これが怒らずにいられるか! 俺の気も知らないで……ッ」
宥めるように肩を叩くテリーを邪険に払いながら、ロックは吠えた。まさか自分の為に用意されたテーブルだったとは、思いもしなかったのだから。
「な、……ロック?」
「なんだよっ」
カウンターの隅から顔を覗かせて笑いを堪えるリチャードに睨みを効かせながら、ロックはテリーの呼びかけに反抗的に返事をする。
だがそんな、毛を逆立てた猫のような威嚇などものともせず、テリーはロックの耳に口を寄せた。
「Happy Birthday」
「!」
息さえ触れる距離で流し込まれたバリトンの声とともに、チュッと音を立てて耳朶にキスを送られ、ロックは思わず顔を真っ赤にしてテリーを殴り飛ばしてしまう。
盛大にひっくり返るテリーの姿に、リチャードの笑いは最高潮に達した。










END






大幅遅刻で申し訳ない;;

でも久しぶりで、ロック動かすのがちょっと楽しかったです。

誕生日おめでとう! 永遠の17歳!(笑)