大人と子供





手の中に収まる体温計に視線を落とし、ロックは溜め息混じりに呟いた。
「まさか、テリーが風邪引くなんてなぁ」
「……それって、どういう意味? ロックちゃん」
「気にしなくていいよ。……ただの独り言」
冗談めかしにちゃん付けで呼ぶテリーにそっけなく返し、ロックは体温計を収める。
37度7分
微熱というよりは高い。けれど高熱とまではいかないだろう。
ベッドに横になっている図体の大きなテリーに深くシーツを被せ、さらに奥から引っ張り出してきた毛布を上から掛けてやり、ロックはテリーの鮮やかな金髪に指先を滑らせた。
「喉は? 前より痛い?」
「んー、結構痛くなってる気がするな……」
「そっか……」
テリーは苦笑いのような表情を浮かべて、喉を押さえてみせる。苦悶の表情とまではいかないことから、症状はまだ重くはなっていないのだろう。しかしこのままいくと病状が悪化する可能性は充分にある。
さらさらと指の間を通る髪を弄びながら、ロックはしばし思案顔を作った。
「……やっぱり一度、病院に行った方がいいよな」
「え…ッ、あぁ、いやまあたぶん大丈夫だって!」
「大丈夫ってことはないだろ。市販の薬だって効果に限度があるんだし」
「大丈夫大丈夫ッ! これくらい勝手に治るさ、放っといたってっ」
「そんなわけないだろ!? たかが風邪だ、って甘くみるのは良くない!」
気楽に笑って平気だというテリーに、ロックは些か華奢な肩を怒らせて嗜める。
病気で母を失ったことのあるロックには、たとえ些細な病でも侮ることのできないものだった。
しかしそんな心配をよそに大丈夫の一点張りであるテリーに、ロックは何か違和感を感じて眉をひそめた。
「もしかしてテリー、病院に行くのが……嫌なだけ?」
「う……」
なんとなくそう聞いてみると、テリーは口許を引きつらせて押し黙った。
伝説のヒーローがたかが病院なんかを怖がっているだなんて、とてもじゃないが街の子供達には言えないな……などと思いながら、ロックは深々と溜め息をついた。嫌いなものを好きになれとはロックも言えないが、それが原因で病状が悪化されても困る。
ロックは氷水を入れた洗面器にタオルを浸し、それを絞ってテリーの額に当てた。
「病院の何が嫌なんだ? ヤブ医者にでも当たったとか、そういうことでもあった?」
大事があっては事だと思ったので、ロックはあくまでも病院へ行く方に勧める。
何が嫌か原因がはっきりすれば、少しはテリーの嫌がらない病院を選んで行けるかもしれなかった。
何より、ロックが幼少の頃に病気にかかったとき、テリーは躊躇いなく病院へ連れていってくれた。その事実を考えると病院そのものを毛嫌いしているというわけではないだろう。
しかし穏やかな口調で問うたロックに、テリーは複雑な顔をする。
「いや、そうじゃなくてだな……痛いのがちょっと嫌なだけで……」
「もしかして、注射とか点滴のこと?」
「あー……んと、まあそんなところ…かな。はは……っ」
「……」
困ったように頭をがりがりと掻きながらて笑うテリーに、ロックはハァ…と溜め息をつく。普段からストリートファイトで思わず目を覆いたくなるような怪我をしてくることも少なくないというのに、今更針で刺されるくらいでそんなにも後込むことはないだろうに。KOF などの大会で大怪我をした際も注射や点滴を受けるはずだが、意識がない場合は嫌がる間もないから関係ないというところか。
ともかく。
「……今度のKOFのプロフィールには、嫌いなもの『なめくじ』の隣に『注射』って書かなきゃね」
「そりゃないだろッ、ロック〜っ!」
意地悪くそう言ったロックに、テリーは情けない声をあげて服の裾を引いた。もちろんそれは二人とも冗談と分かってやっていることなので、どちらも僅かに笑みを浮かべている。ロックは元々そういった楽しい雰囲気に乗るのは得意ではないが、テリーとなら自然に笑っていることができる。それはテリーが自分の養父であるからという理由だけではなかったが……。
「まあ冗談はさておき……現実的な話に戻すと、これくらいの熱なら注射や点滴を打つことはないと思うけど」
「お、ホントか?」
途端に嬉しそうな表情になるテリーに、ロックは思わず苦笑を漏らす。まるで子供のようだとも言えるが、そうした飾らない態度や豊かな表情は、ロックにとって一種の憧れを抱かせるものだった。
素直に自分自身を表現できるテリーを羨ましく思って一瞬眩しそうに目を細めたロックは、すぐに微笑をたたえて近くに引っ掛けてあった皮のジャンパーを取った。
「ほら、そうと決まればさっさと病院へ行く! 放っておいたらますます悪化するだけなんだからな」
「わかったって! そう急かすなよ。全く……病人だと思ってないだろ」
ロックが強気のまま、やや強引にテリーの腕を引いて上体を起こさせると、テリーは困ったような表情をしながらも「仕方がないなぁ」とばかりに子供の我儘を聞く大人の顔でなされるがままになる。そんな様子のテリーには御構いなしに、ロックは滑り落ちたタオルを取って洗面器に放り込み、その広い背には皮のジャンパーを着せ、てきぱきとベッドを降りるように促した。
しかし普段より幾分緩慢な動きでテリーがベッド端に体を寄せて靴を履くのを見て、ロックは「やっぱりなんだかんだ言っても病人なんだし」と少し思い直す。
「肩、貸そうか?」
「んー、じゃあお言葉に甘えて」
ロックの申し出に素直に従ったテリーは、何故か嬉しそうにロックの背後から伸し掛かる。全体重とまではいかないが、自分よりも大きい男に幾らか体重を掛けられればいかに体を鍛えているロックといえど、重みに耐えかねる。
おんぶお化けのようにだらりと背に凭れ掛かるテリーに、ロックは抗議の声をあげた。
「誰が背負って行くっつったよ!? 肩は貸してやるけど、乗るんじゃない! 自分のウエイト考えろよっ」
「チッチッ。これくらいでネをあげてちゃ最強のファイターへの道程は遠いぞ〜」
悪びれもせずさらに体重を掛けてくるテリーに、ロックも流石に焦る。情けない話だが、ロックはどちらかというと技に頼った闘い方をするので、純粋な力だけではどう足掻いてもテリーには勝てないのだ。
とりあえず転倒は免れているが図体のでかいテリーを引きずって前に進むこともままならず、ロックは悔しさを滲ませながら朗らかに笑うテリーを睨付けた。
「テリー! いい加減にしろよっ」
「そんなに怒るなよ、ちょっとしたジョークじゃないか。……しっかし、ホントにお前は力がないなぁ〜。そのうえ弱点だらけだし」
「え、…あ…っ」
言い様、テリーの手が敏感な内股を撫でていったので、ロックは思わずびくっと震えて膝を折りかけた。テリーに体を預けられたままの体制で思わず転倒しそうになってロックは焦ったのだが、まるでそれを予想していたかのように、テリーの大きな腕が軽々とこちらを支えた。
安堵と同時に苛立ちが込み上げてきたロックは、ぎろりとテリーを睨付ける。
「全然病人じゃないだろ、それ!」
「『腐っても鯛』って言うだろう? ……ん? この用法であってたかな」
弟のアンディから聞いたらしい日本の諺を使ってみせて、ふとそれがあっているのか訝しがるテリー。それを呆れ顔で見つめたロックは、大きく溜め息をついた。
「……もう、勝手にしろよ」
「あ、あれ? ロック?」
自分でもガキっぽいとは気付いているが、なんだか本気で心配しているのが馬鹿馬鹿しくなってきたロックはテリーが追いすがるのも無視して部屋を出ようとした。思えば、テリーが風邪を引いたと知ってバイトのキャンセルだって慌てて入れたのだ。ふざけた態度に多少なりとも怒る権利はある。
しかし、不意打ちのようにテリーがこちらを抱きしめてきたので、ロックは足を止めざるを得なかった。
「怒るなよ、ロック」
「……怒らせてるのはテリーだよ」
耳元で囁かれるその大好きな声に、思わずロックは負け惜しみのように小声で文句を言う。心底惚れてしまっているのはこちらの方なのだから、折れるのはいつもロックだ。それを甘いだなんだと言われても、変えようがない。
テリーにこうして宥められれば、結局怒りもどこかへ行ってしまう。
「わかったよ……。ほら、早く病院に行こう」
苦笑にも似た笑みを浮かべ、ロックは肩越しにテリーを振り返った。その表情に少し驚いたらしいテリーはそのスカイブルーの瞳で一度瞬きしてから、ふと慈しむような大人の笑みを浮かべた。
「ここしばらくお互いに忙しくてまともに顔合わせられなかったから、病院に行くにしても、一緒いられるってのは嬉しいよなぁ」
「……っ」
にこにこと笑ってぎゅーっと抱き締められては、もはや言葉も出ない。
いつもより少し熱いテリーの腕に顔を埋めながら、ロックは困ったように眉を寄せて顔を赤らめるしかなかった。
この、子供のような大人にはいつも勝てやしない。
「……うん。俺も……嬉しいよ」
「ロック……」
子供っぽい最後の意地で、赤くなっている顔だけは見せまいとロックはそっぽを向いたまま、こくんと頷く。その態度が珍しかったからか、あるいは本当に久し振りのまともな顔合わせだったからか、テリーは楽しそうに笑ってロックの首筋に軽く口付けた。その感触に些か驚きはしたものの、ロックは頬を染めたまま苦笑を零す。
「じゃあ、さっさと病院に行こう」
「……やっぱり行くのか……?」
「ちゃんと行って帰ってきたら、テリーの好きな物作ってあげるからさ」
自然に微笑を浮かべてロックがそう付け加えると、「じゃあスパイシーホットドッグを頼むぜ!」と機嫌良さげな声が返ってくる。そんないつもと同じ日常に、ロックは笑みを浮かべたまま頷いた。


結局、病院までテリーに肩を貸して歩いたロックだったが、なぜか体重が全くと言っていいほど掛かってこなかったので、どうにも自分の方がテリーに抱き寄せられているような錯覚を受けてしまい、なんだか恥ずかしくなってひとり顔を赤らめていた……。



「やっぱり大したことなかっただろ?」
「そうかもしれないけど、ちゃんと休んで治してくれよな。……はい、薬」
「口移しで飲ませて。ロックvv」
「……テリー……」
病人という立場を最大限に利用して甘えてくるテリーに、ロックは思わず口許を引きつらせる。しかし最後にはどうしたってテリーの望む通りにしてしまうのだから、結局甘いのかもしれない。
大人のキスで驚かせてやろうか、などと考えてはみるものの、どんなに頑張ってみたところでテリーに敵うはずもない。
大人のキスでメロメロにされるのはこちらの方だ、きっと。
どうしても勝てない悔しさと僅かな期待とを抱きながら、ロックは薬と水を口に含んでテリーに口付けた。





END







38度で平然とゲームをし、39度で医者のとろい作業に文句を言いかける。
そのうえ、体がなまる!と言って38度前後で腕立て伏せやってた私が暇つぶしに書いた代物です…。