香る因果



部屋を満たす熱気は、息苦しささえ感じるほどの密度で素肌に纏わりつく。しかしそれは湿った肌と香り立つ汗の匂いによく馴染み、ロックを幸福に酔わせた。
「ぁ……ンッ、ゥ……!」
呻くような、鼻にかかった甘ったるい声が否応なく唇から漏れる。それを恥ずかしく思う理性は既に程よく溶かされていて、白いシーツの上を引っ掻くように指先を滑らせて抵抗を示すくらいしか出来なかった。しかしそうして柔らかな生地が肌を擦る感触ですら、体の奥の熱を燻らせるには十分だった。洗濯したばかりのシーツから香る太陽の匂いは、夜の気配を漂わせるこの淫らな空間の中ではひどく倒錯的に感じられる。
額から流れ落ちる汗を感じながら、ロックは瞼を閉じ、浅く息を吐いて呼吸を整えた。だがそれを咎めるように、上に覆いかぶさるテリーが深いところを強く突いてくる。下肢が浮く程に揺すられ、ロックは思わず背を弓なりに反らし、悲鳴をあげた。隙間なくぴったりと張り付く肌が熱く、頭の芯まで快感で焦がされていく。
「うッ、あァ……! テリ…っ、も……限界…」
「……なんだよ、もう…ギブアップ、か?」
「くッあ! ハアァ…ッ、ン…!」
弾む息の合間に笑みを零しながら、テリーが耳朶に歯を立てる。まだ余裕を滲ませるテリーは耳の中に舌を這わせながら、下腹部をえぐるように掻き回してくるので、ロックは悪態をつくのもままならず、断続的に嬌声をあげ続けることになった。
大きな声をあげては近所迷惑だと頭の隅で思いつつも、久し振りに容赦なく攻め立ててくるテリーに、ロックは興奮を抑えられなかった。明日にはここから引き揚げ、大陸を南に下るつもりだ。これから数週間は屋根のあるところで寝られるかどうも分からない。それをお互いに分かっていたからこそ、テリーもロックも衝動にブレーキを掛けようとはしなかった。ただ、言葉もなく互いの体に溺れる。
吐く息が熱い、煩く自分の鼓動が早鐘を打つ。みっともなく空虚に不安がる手が大きな背を掻き抱き、縋り付くように体を寄せる。その反動で深く飲み込んだ楔の熱さに、意識は真っ白に染まった。
どうしようもなく、気持ちいい。
本能のままに晒す自分の恥態はあとから思い出せば憤死ものだが、この唯一の人になら、見られても構わないと思える。そして感じるままに声をあげてもこの人ならば大丈夫だと知っている。
体だけの快楽は他にあっても、心まで満たされるのはこの人だけ。
ロックは素直に快感を訴え、キスをせがんだ。それに応えるテリーも次第に余裕を失い、噛み付くように何度も口付けてくる。激しさを増す律動に、安物のベッドが軋みをあげた。
「ア、…ッア! テ、リィ……ッ!」
「ロック……! フッ、うゥ……ク!」
交じり合う吐息も、飲みきれずに溢れる唾液も、体に纏わり付く汗も体液も、何もかも。境目もなくなる程に溶け合って、同じ絶頂を極める。
快感の証に吐き出された白濁の蜜は、一瞬で互いの下肢を汚した。しかし、その感触にすら再び打ち震える程に、それは幸福だった。
既に何度目かの極みにどっとテリーが体を預けてきたので、ロックは自分も深く息をつきながら一回り大きな体躯を優しく抱き留めた。しばし言葉もなく、二人は解放の余韻に浸る。
――と、ロックの髪に顔を埋めていたテリーが不自然に鼻を寄せてきたので、ロックは気怠いままに怪訝な眼差しを向けた。
「? なに…、テリー…?」
「……なんかお前、匂わないか?」
くんくん。
大型犬が匂いを嗅ぐように顔を近付けてくるテリーに笑みを誘われながらも、ロックは身をよじってそれをかわし、気のせいだろと素っ気なく返す。内心では、何だ?と匂いの心当たりを探すが思い付かず、臭かったら嫌だなと体を離そうとしたが、テリーは追い掛けるように鼻を寄せてきた。
「おい…っ?」
「……これ、ああ…あれだ」
尚も動物めいた動作で髪の匂いを嗅ぐテリーが、何か分かったように顔を上げた。鼻が触れ合う距離でじっと見つめられ、ロックは顎を引いて身構えるように次の言葉を待つ。しばしその場を支配した沈黙と、頬に当たる毛先の感触が少し擽ったかった。
何かを思い出すようにテリーは難しい顔で視線をさ迷わせ、ふと瞬きをした。
「何だっけ。ええっと、……そう、バニラ!」
「バニラ……?」
意外な単語に、ロックは思わずおうむ返しで聞く。母親譲りの長い金色の睫毛を瞬かせ、間近のテリーを見ると、彼はもう一度確認するように髪に鼻先を埋めて匂いを嗅いできた。
「うん、やっぱりそうだ。この甘くて美味そうな匂い」
「……ケーキ作ったときにパニラエッセンス使ったから、それでかな」
楽しそうに顔を寄せてくるテリーを、表向きは平静な顔で邪険に扱いつつ、ロックは思い当たった匂いの原因を挙げた。胸中では、とりあえずテリーがその匂いを不愉快に思わなかったことにホッと胸を撫で下ろす。普段から互いに埃やオイルの匂い等を纏っているのはもはや当たり前だが、体を洗い流した後にも臭うような体臭は、流石に嬉しくない。
しかし、尚も匂いを嗅いでいたテリーが続けた言葉に、ロックは途端に顔をしかめた。
「バニラの匂いの上に、ミルクの匂いも混ざってるなぁ〜。しかも日なたくさいから、なんか子供みた……」
「うるさい、さっさと退けよ。くそオヤジ!」
言い終わらぬうちに、ロックは電光石火で枕を引き抜き、暢気に笑うテリーの横っ面に叩き付けた。突然のことで無防備に喰らったテリーは、くぐもった呻きをあげてロックの横にごろりと転げる。
「……ロ〜ック?」
訳が分からない、とばかりに気の抜けた声で呼び掛けられたが、ロックは無視を決め込んで体の向きを変えた。背中から戸惑うような気配が伝わってくるが、ロック自身も斜めに傾いた機嫌を直すことができず、ムッとした顔のまま真っ白のシーツを睨みつける。
子供扱いされるのは好きではない。しかしこうした自分の行動こそが子供じみているという自覚もある。笑って済ませられずに過剰反応する様が、余裕を持つテリーとの差を余計に感じさせた。
自分の神経質な性格が悪いのだと分かってはいるのだ。テリーは深い意味で言っているわけではない。ただ思ったままを口にしただけ。分かってはいるのだけれど、疑ってみたり言葉の裏を探ろうとしたりするクセはそう簡単に直らない。
降り下りた気まずい沈黙に、ロックは自分が原因でありながら、早くも後悔し始めた。引き寄せたシーツだけでは、まだ余韻を抱えた体は寂しさを訴えて仕方がない。とはいえ、あんなに激しい反応をしておいて、どう言えばいいのか全く思い付かなかった。
とりあえず、様子を窺うようにロックはそろりと後ろに顔を向けてみたが――いつの間にか体を寄せてきたテリーが、後ろから腰の辺りに腕を絡ませてきたので、思わずロックはびくっと体を跳ねさせた。
「別に、馬鹿にしたわけじゃないぞ?」
「……!」
困ったような、だがひどく穏やかで優しい声音で、不意にテリーが耳元で告げる。普段はそれほど低くはない声が掠れた低音を発し、それとともに耳の裏に触れる唇の感触が背筋を粟立たせた。驚いて、首を無理に捩って後ろを見ると、微苦笑を口許に浮かべたテリーと目が合う。
せめて不機嫌そうな顔をしていれば良かったのに。そんな慈愛に満ちた表情で見られたら、いたたまれない。ロックは途端に居心地が悪くなって、視線をさ迷わせた。
「別に……そんな風には、思ってない」
全くかというとそれは違うが、テリーがそこまで自分を軽んじていないことは、よく分かっているつもりだった。ただ、色々な面で彼に追いつけない自分の無力が歯痒い。どうして、彼のようになれないのだろうと何度も思う。
ガキだから、未成年だから。そんな、年さえ喰えば解決するというものではないことを、今はもう知っている。二十歳を越えれば、出来ないことが出来るようになるなんてことはない。
なんだかんだで、どこか甘えてしまっている自分がやはり悪いのだろう。怒って、拗ねて。それで宥められて甘やかされているだけなんて、情けないことこのうえない。
テリーとこうして二人で各地を放浪していく日々は楽しくて幸せだけど、もしかして色んな面で自分の成長を妨げているのではないだろうか……? いつもならば思いもつかない考えがふと、ロックの脳裏を横切った。テリーと一緒に居たいと思う気持ちは変わらず、彼と別れて生活することなど今更想像も出来ないのに、今の自分では共に在ることが相応しくないように思えたのだ。一度テリーという心の支えを失ってこそ、何かそこで自分は得るものがあるのではないだろうか、と……。
しかし不意に、奥へ奥へと沈みかけた思考を遮るように、テリーがロックの腕を引いた。驚いて顔を上げると、微かに眉間に皺を寄せた、どこか苦さを滲ませるテリーと間近に目が合う。なに、と問い掛けるようにロックは眉を上げたが、テリーは無言のまま目を細めた。
「……なんだよ?」
浮かんだ暗い考えをごまかすように、ロックはわざと子供が拗ねるような不機嫌な表情でテリーを見る。テリーは一瞬、怖いくらいの無表情を覗かせてロックを一瞬どきりとさせたが、まるでそれが見間違いであったかのように次の瞬間には表情を崩して柔らかな笑みを浮かべていた。
「ケーキ、作ったって言ったよな? それ、何味なんだ?」
「……はあ?」
人懐っこい笑顔付きで唐突にそう聞かれ、ロックは思わず盛大な呆れ声を返した。まさか、シリアスな顔を垣間見せておいてそんな内容の質問とは……。予想外ではあったが、ある意味テリーらしいといえばテリーらしい。実に全く、脈略がない。
だが、そんな呑気なところに自分は救われているのも事実だろう。母のことで憎んでさえいるというのに、あの男の息子ということで周りから向けられる視線が息苦しくて荒れていたとき、いつも彼の晴れやかな笑みに癒されていた。隣で笑ってくれる人がいたから、自分も安心して笑えたのだ。
いつもいつも、自分は救われてばかり。与えて貰ったことは数え切れないのに、自分は彼に何をしてあげられただろう?
「……ブランデー入りの、ミルクバターケーキだよ。レーズンとナッツもたっぷり、な」
体ごとテリーの方へ向き直り、ロックはじゃれるようにその精悍な顔をぺちっと叩いた。それに瞬きし、テリーは笑ってロックの手を取る。
「酒は太るから禁止!とか言ってたのに、ブランデー入りなのか?」
「どうせ言ったって聞かねぇだろ、アンタ」
アルコール入りと知って途端にご機嫌なテリーを、ロックは呆れた眼差しで見た。料理で風味付けくらいでしか酒を使わないロックとしては、そんなに何がいいのか分からない。だが、彼が喜ぶならいいかと、結局そこに落ち着いてしまう。
自分はこういったことでしか力になれない。料理で喜んでくれるテリーを見ると嬉しい反面、そんな風に申し訳なく思う気持ちも否めなかった。自信の無さが、常に自分を不安にし続ける。
気を抜けば足元から崩れるような不安をごまかすように、ロックはテリーにしがみついた。顔は見られぬよう、素肌の肩口に押し付けてきつく抱きしめる。直に伝わる肌の熱さや、ほのかに立ち込める汗の匂いに、一瞬甘い目眩を感じた。
「……ほんッと、野暮だな。この状況で食い物の話なんかする? 普通さぁ」
「え……? ああ…、そうだな」
何度も抱き合って、体の熱を共有して。そんな風に至福の時間を過ごして余韻に浸るはずが、全然関係のない話になっている。これから暫くの間、次の場所への移動で思うように触れることが叶わないというのに。
少しでもこの温もりを覚えていようと、ロックはテリーに体を擦り付けた。若さなのか、休息もそこそこに体はまた貪欲に彼を欲し始める。しかしそれを悟られるのも恥ずかしく、ただ厚みのあるテリーの首にきつく腕を絡めた。
「……もう寝よう、テリー。明日は早いんだし……」
火照った体を無理に鎮め、ロックは自分にも言い聞かせるようにそう言って目を閉じた。不安も焦燥も、眠りの中でなら感じなくて済む。
だが、耳の横で微かに笑い声がしたかと思うと、突然内股の辺りをするりと撫でられ、思わずロックは驚いて顔を上げた。
「寝る? ……こんな状態で、か?」
楽しげな笑いとともに揶揄され、ロックは頬を紅潮させた。触れられてもいないのに先走る欲望で大事な箇所が固くなりかけていたことに、とっくに気付かれていたようだ。
「ぅ…、うるさいなッ! 放っておけば治……ぅあッ」
強がってテリーから体を離そうとした瞬間、昂ぶりを強く鷲掴まれて思わず情けない声が出る。唇を噛み締めるが既に遅く、ロックは羞恥で顔を背けたが、反対の手でテリーに顎を取られた。
「なんだ、隠さなくてもいいじゃないか。……俺も同じだぞ?」
「え…、そんなこと……」
覗き込むようにこちらを見るテリーに困惑の眼差しを向けたロックだったが、手を下肢に添えさせられて言葉を失う。押し当てられた手の平には、確かに熱を持って硬度を増したそれが脈打っていた。
あんなに何度も精を絞り合ったはずなのに。なんでこんなに熱いんだ……!?
思わず胸中で慄くが、それは自分も同じだと気付く。求めても求めても、まだ足りない。
「テリー……」
湿った吐息とともに言葉を吐き出し、ロックは突き上げてきた衝動のままに、目の前の薄い唇に喰らいついた。噛み付くような激しい口付けに、テリーが驚いて目を白黒させる。
一瞬動きを硬直させたものの、すぐに調子を取り戻したテリーは大胆だが器用に動く舌で、ロックの挑戦を迎え撃つように歯茎を探って舌を吸い上げてきた。その感触に息が弾みそうになるのを抑えて、ロックも甘噛みを交えた獰猛なキスを仕掛ける。湿りを帯びた卑猥な音が響き、お互いの体をまさぐり合う手が衣擦れの音を奏でた。
いつであろうと、どこであろうと。彼がいれば最高に違いない。
「テリー…、……きだ…っ…」
「ああ、俺も……」
笑って、テリーが答える。
だが、ロックは不安ばかり胸に溜まっていくのを自覚していた。鉛を飲み込んだように、腹が胸が喉が塞がって、重い。
きっとこの幸福は、長く続かない。今にも崩れ出しそうな、張りぼてのようだ。
目が覚めたらすべて夢だったら?などと、そんな恐怖に駆られる。
だが、それは。
どんなに粋がって背伸びしても、自分がまだ彼に守られている「子供」に他ならないからだろう。自らの足で、未だ自分は立っていないのではないか?
胸を掻き毟りたくなるような焦燥を誤魔化すように、ロックはテリーの熱い塊に自ら手を伸ばし、先の行為を強請った。すべての指をバラバラに動かして撫で上げると、テリーの唇から熱い息が零れ、強い力で体を抱きこまれる。
「……大丈夫だから。焦らなくても、いい」
不意に首筋へ顔を埋め、可聴範囲ぎりぎりの、ひどく抑え込んだテリーの声がロックの耳を掠めた。剥き出しの下肢が露を垂らしたまま擦れ合う感触にぶるりと震えながら、ロックはテリーの言葉に僅かながら違和感を覚えて怪訝な色を瞳に浮かべる。気遣うともからかうとも違うニュアンスの言葉は、果たして行為を指しての言葉だろうか。
しかし次の瞬間には疼く箇所に楔を突き立てられ、意識は真っ白に染められた。
「アッ、ァアー! クッ、は…っ…!」
思わず叫びが、口をついで出る。抑えようとしても息継ぎの間に嗚咽のような声が漏れ、深く沈み込まされるたびにキイが甲高くなっていった。
この部屋の壁は薄いのに、でも明日にはここを出るから…、いやそんな問題ではなくて! でも気持ち良過ぎる……。
意識が白濁し、断片的な言葉が浮かんでは消え、全く形にならない。激しく揺すられ、安いベッドが軋みをあげるたびに体が跳ね、ロックを快楽に叩き落した。
何も言わないで。与えるだけ与えて。テリーはいつもそうなんだ。
砕かれ、壊れかかった意識の中で、ロックは詰った。声にはならなかったが、確かにそれが自分の言いたかったことだと知る。
そうだ、こんな風に甘やかされ、それに縋り付く自分が嫌だったのだ。自分には彼が必要なのに、彼には自分が必要かどうか分からない。それが、怖くて恐ろしくて……寂しい。
不意に溢れそうになった涙を、ロックはなんとか抑え込んだ。テリーの前で泣くことだけはすまいと。
甘えたいわけではないのだ。ただ、隣に並びたいと強く願う。
圧倒的な快楽に声をあげながらも、ロックの意識は一瞬、明日から向かう先へ飛んだ。

サウスタウン。――すべての、因果の地。

そこで自分が何を得て何を失うかは分からない。
ただ確かなのは、どんなことがあっても、どれだけの時を費やしても、自分の望む居場所はテリーの隣しかないということだけだった。







END








マキシマムインパクト1・2、ネオジオバトルコロシアム、餓狼MOW…と、最近出番が出てきたロックの経緯と繋げたいという意図で、閑話を挟んでみました。……が、暗いー……(泣)。なぜっ! あーくそー、ホントはもっと明るい話にしたかったのにー。で、出直してきます…。