KYO



また寒い時期がやってきた。ちらちらと降り注ぐ雪を見ながら、京は何とはなしに思った。
触れては溶けて消えていく雪をぼうっとしながら何度か手のひらに乗せ、その様を見つめる。吐く息は白く、凍てついた空気は吸うたびに喉をひりりと痛めた。
いつものグローブもなく素肌を晒した手の平に落ちる雪が溶けるのに時間を要するようになった頃に、思い出したようにぶるりと肩を震わせて、京は手を引っ込め、厚いレザージャケットのポケットに突っ込んだ。別にいらないと思いつつもやはり自分の一部と化している炎を身に灯せば、冷えた体はすぐに温まるだろうが、この人ごみの中でそれをすれば否応なく目立つことになるために我慢する。
行く先々を転々としている身としては、ポケットに手を入れたからといってそこにカイロがあったりはしない。しかし代わりに指先に触れるものがあった。紙の、そのかさついた感触に、京は反射的に眉を寄せる。若干、口許まで歪んだ。
「……あー、クソッ。なんでこんな日に厄介ごとに巻き込まれなきゃなんねーんだか」
寒さか苛立たしさか、肩を竦めながら京はぶつぶつと文句を零す。言っても仕方がないとは分かっていても、恨めしく思わずにはいられなかった。草薙の血筋ということで、今まで何度面倒ごとに巻き込まれたことか。しかも最近はその頻度は増す一方だった。
火の粉を払うだけで手一杯。しかもその払う動作で余計に目立ってしまうのか、また新たな敵に狙われる。払っても払っても湧いて出てくる、顔も名前も知らない相手。
この誰から送られたかも分からない招待状もまた、その「敵」からのものなのだろう、と京はうんざりしながらポケットから取り出した紙を見つめて思った。
「しっかし……いまいち意図が分かんねぇなぁ〜」
くるくると意味もなくその紙切れを回し見ながら、京は投げやりな口調で呟く。
斜めにして見たところでそこに印刷されている文字に変わりがあるわけでもないのだが、何か仕掛けでも施されているのではないだろうかと思ってしまう。
その手の平より少しはみ出るくらいの長細い紙は、どう見ても一枚のチケットだった。しかも格闘技大会だとかの入場券ではなく、音楽ライブのコンサートチケット。
とびきり有名なアーティストのライブチケットならば、大勢の観客に紛れて密会…というパターンは有り得るが、そこに記されたバンドの名前を京は聞いたことがない。ここ数年は逃亡生活を余儀なくされて元々疎かった世間の流行から遠く離れてしまった身では、自分の知識のみで判断するのは些かずれが生じると思うが、それでもそこに書かれた会場がさほど大規模でないことは知っているので、少なくとも大物アーティストということはない。しかしさりとて会場の規模が狭いかというとそうでもないことからは、テレビに出るほどではないがインディーズでもない、という中間ランクを思い描かせた。
その曖昧な印象が否めないバンドのライブチケットはますますもってどう判断していいのか分からず、結局、京はこのチケットの送り主の思惑に乗ることにした。小難しく考えるのは生来得意ではないし、何よりも自分の身を自分で守りきれる自信がある。
そうしてわざわざ雪の降る寒い夜に街へと出向いた京は、会場の前まで来てようやく、そのチケットの意味がおぼろげに分かり始めた。
「……おーい。自慢話なら他でしろよなー……」
白い息を吐いて首に巻いたマフラーに顔を半分埋めながら、京は半眼で会場を見つめる。始まる前から盛り上がりをみせるそのライブハウスの入り口には、嫌でも目に入るくらいに所狭しと張られたバンドのポスターがあり、まさしくそこに京は仕掛け人の正体を見た。
いつかのライブ最中を撮影したらしいバンドの写真が加工されてポスターにされていたのだが、派手に目立つボーカルやギター、ドラムのメンバーに隠れるように小さく写りこんだ人物は、京のよく知る人物だったのだ。
八神庵。
そういえば、バンドやってたんだっけか。今更ながらにその事実を思い出し、京は口をへの字に曲げた。
実家に送りつけられていた封筒をたまたま帰省したときに受け取ったのだが、バンド名と会場名のみのシンプルデザインのチケットに戸惑い、悩んだ末にここまで来て、今更ながら今日こうして訪れたことが初めから仕組まれていたことだと理解し、京の中でふつふつと怒りが湧いた。安っぽい女の愚痴のように、騙された、と思わず胸中で呟く。チケットにメンバーの顔も名前も載せていなかったのは、故意に違いない。正体の分からない相手には自ら飛び込んでいく京の性質をよく理解している、巧妙な罠だった。
しかしこの場に呼びつけた明確な理由は、正直検討もつかない。大物とは言わなくても、庵の所属するバンドは確かそれなりに名の知れたものだったはず。生憎、京はこの日までそのバンド名を知らなかったが、世間的にはそれなりに名が通っていたように思う。なのに、今更自慢げにバンドのライブチケットを、よりによって宿敵に送りつけるとはどういうことか。
……まさか本当に、ただの自慢か? 俺の晴れ舞台だ、どうだ輝かしいだろ、とか? 嫌味か、くそっ。
黄色い女共の声で湧く会場の入り口で仁王立ちしたまま、京は胡乱げに会場の入り口を眺めた。いやむしろ、睨み、呪う勢いで見据える。
しかししばらくそうして人の流れを割るようにそこで立っていたが、ふと眉間の皺を解いて、京は大きく溜息をついた。
「……流石にそれはない、か。あの野郎、この世で一番嫌いなもんはたぶん、自分自身だからなぁ」
大仰に肩を竦め、京はやれやれ難儀なことだと茶化す。だがそれが事実であろうことを見透かせるくらいには、八神庵という人物を知っていた。あの男は京の命を付け狙うが、それ以上に血筋や宿命を疎み、それに囚われる自分を毛嫌いしている。自身がオロチに命を削られようが暴走しようが全くお構いなしなのは、自分の生に拘っていないからだろう。
……俺はそんなの、まっぴらごめんだけどな。
へっと口先で笑い、京は胸中で言葉を吐き出す。気持ちは分からなくもないが、そこまで根暗街道を突っ走る気は自分には全くなかった。俺は生きたいから足掻いてんだよ、とこの場にいない男に声もなく言い放つ。
「……さて、と。これからどうすっかな」
仕掛けが分かれば途端に興味は失せるもので、京は小指を耳穴に突っ込みながら会場となっているビルを見上げた。ここも例に漏れず、クリスマス仕様のイルミネーションで眩しいほどに華やかに着飾られている。それこそ、京や庵が世界の存亡を賭けて血にまみれながら戦ったことなど露知らず、実に平和に。
庵の思惑が何処にあるのか分からないが、このまま茶番に付き合おうかと、ふとそんなことを思った。ネタが分かればもういいやというのが本音だが、こんな風に平和ボケした日常で、あのいつも殺気立っている八神庵がどう過ごしているのか少し気になったのだ。楽しそうなのかつまらなさそうなのか。あまり日常の姿を知らないので想像がつかず、興味は引かれる。
どうせ今日は他に何も予定はない。自分にとっては一年に一度の特別な日ではあるが、日本を転々としている今の生活では連絡を取れる知人は限られており、また連絡を取ろうとしてくる相手もほとんど皆無に等しい。そんな中でわざわざチケットを送ってきたのだから……まあ暇つぶしに付き合ってやってもいいか、と思う。
周りから邪魔に思われ始めるほどそこに突っ立っていた京は、やっとその足を持ち上げ、騒がしい会場の入り口へと向けた。明確な理由ができれば、物見遊山な足取りは実に軽い。
受付でもぎった半券を受け取り、京は薄暗い会場内を物珍しく見回した。音楽はそこそこに聴きはするもののそれほど拘りがある方ではないので、周りに犇めく音楽愛好者達の輝く瞳は一際眩しく見える。自分だけがこの喧騒の中で浮いているような感覚はあるけれど、この何となくこそばゆい様ななまぬるい雰囲気もたまには悪くない。
チケットには席の指定がしてあったが、京はそこに座ることはせず、一番後ろの立ち見席で壁に身を預け、コンサートを見守ることにした。
鼓膜を打ち破らんばかりの歓声を期に、室内は暗転。そしてその場の興奮さえ圧倒するギターの前奏が響き渡った。様々な音が大音量で重なれば、それは拾いきれずに無音となって耳に届く。そんな中で鮮明に焼きつくのは、目から飛び込んでくる赤いライトと複数の人影。ステージの上で各々のスタイルで登場した男達は、明るく切り替わったライトの下で観客の歓声を受け、コンサートの開始を高らかに告げた。
「あの野郎……」
ボーカルやギターの後ろ、ドラムやキーボードと並び、ベースを構える人物に視線を止め、京は乾く唇を吊り上げて笑った。プレッシャーか高揚か、その場の熱気に酔ったように早まる鼓動と、逆に叩き付けられる鮮やかな色に冴える意識は戦いのときに似て異なる興奮を体の奥から引きずり出していく。それが不快に感じないのは、一切馴染みのないこの空間で唯一知る彼の男がいるからだろうか。
エレキギターを主旋律に腹の底に響くドラムが刻むビートをバックに、掠れ気味の色気のあるボーカルの声が歌を紡いでいく。なるほど、これだけの観客を集めて魅了するだけのことはあると、素人の京でさえも納得させた。しかし生憎と、京の視線は最も注目を浴びているはずのボーカルには注がれていない。
あくまで人の影に半身を隠して、さりげなく曲の深みを与えるべくベースを奏でる男、八神庵へと視線は縫い止められていた。
こうして見ると、女共が黄色い声をあげる理由が分かる気がする。もちろんKOFで対峙するときにその端正な顔と体躯に気付いてはいたが、如何せん京と向き合うときの庵は殺気に満ち過ぎていて、正直おっかない印象が強かった。だがこうしてベーシストとしてステージに立つ庵は剣呑さを滲ませることはなく、それどころか演奏することに気持よさそうに時折瞳を閉じて微笑さえ口許にのぼらせている。ここまで印象が違うか、というほどに、ここにはバンドのメンバーとしての「庵」が確立されていた。
なんだ……やっぱ自慢かよ。
戦いの場に不自由はしなくても、今までの日常を奪われて追われる身としては少々恨めしい。京は不機嫌に眉を寄せ、壁に背を押し付けた。
しかしそんな風に妬んだところで自分の生活が以前に戻るわけもなく。ふぅと溜息をついて体の力を抜いてから、暖かい部屋の温度に合わせてマフラーを取り払った京は、一曲目の演奏が終わったことに気付いて顔を上げた。
「みんなッ、来てくれてありがとうー!」
エロティックな声音で歌っていたボーカルが、思いのほか朗らかで能天気な口調で挨拶を始めた。どうやら歌声と本人のキャラにギャップがあるタイプらしく、しかしそれもまたファンを惹きつけるのか、ハイテンションの軽いノリのまま他のメンバーにもマイクを回していく。
何人目かの挨拶で、京が目を逸らすことなく見つめていた男の手にマイクが渡った。ベースを携えて気配もなくスラリと立っていた庵は、長い深紅の前髪の間から鋭い瞳を覗かせ、僅かに顔を上げた。
瞬間、静電気が弾けるかのような衝撃を伴ってバチリと視線が絡み合った。会場の端から端と言っても過言でない距離の隔たりを何の問題ともしないその視線の強さに驚き、思わず京の喉はひくりと鳴る。有り得ない、こちらを見えているだなんて有り得ない。たまたま奴がこっちの方に向いただけだ。
そう思いながらも目を逸らすことを許されぬまま、京は庵の薄い唇が妖しげな笑みをたたえてゆっくりと開くのを見た。
「キョウ…、来てくれて感謝する。……ありがとう」
「……ッッ!?」
そこから滑り出した言葉に、京は瞬間的に声を奪われた。驚愕に、壁に預けていた背がぴんと伸びきり、自覚なしに瞳孔が開く。
今、呼ばれた……!?
い、いや、ちょっと待て、ちょっと待て! 冷静になれ、俺ッ!
こんなところで呼ばれるなんて、そんなわけあるか!!
途端にパニックに陥った思考で、必死に落ち着けと自分に繰り返す。ただ一言で激しく動揺した自分が腹立たしく、もどかしい。
「キョウ」と庵は言ったが、それが自分を指す言葉とは限らない。というか、この状況でそれはまずないはずだ。有り得ない。
自分が「京」という紛らわしい名前だから、惑わされたのだ。庵は「京」ではなく「今日」と言っただけに違いない。
自分の耳がおかしいだけ。微妙な発音で言った庵も悪いが、自分が過剰に反応してしまっただけだ。
そう思い、うんうんと自分で頷いて納得した京は、早々にマイクを他のメンバーに渡した庵に再び視線を向けた。観客の目は次のメンバーへと移り、役目を果たした庵は場所を譲って後ろに身を退く。その様を見、他のメンバーが話し始めても庵から視線を外さなかったのは、おそらくバンド自体に興味のなかった京くらいのものだったろう。
その中で気が付く、不意に動いた庵の唇。

―― オ メ デ ト ウ ――

マイクもなく音など伝わらないのを承知で紡がれた言葉は、確かに意図的に伝えようとするようにゆっくりと開かれ、唇で表されていた。添えられるのは、業火の炎を思わせる鮮やかな赤い瞳と、苦笑に似た口端だけの柔らかな笑み。
「――。」
京はそれを己が眼で認め、今度こそ絶句した。
こいつ、わざと。やっぱり「今日」じゃなくて、「京」かよッ。つーか、オメデトウって、それ……!
視線をこちらから外すことなく、意味ありげに笑う口許に、全て仕組まれていたのだと思い知らされる。気付いたところで今更だが、自分はものの見事に踊らされていたらしい。
「あークソッ。てめぇなんかに祝われても嬉しくねぇってーのッ!」
腹立ち紛れに、無駄と知りつつ京は喧騒の中で悪態をついた。案の定、盛り上がる一方の会場内では京の声など容易く歓声に掻き消される。
……しかしそうした怒りの一割くらいは嬉しいと感じているのは、今日が何の日か覚えていてくれていた男に対する少しの感謝だったのかもしれない。





END








急遽書き上げた京様誕生祝い小説。一日遅れとなって申し訳ないです;
でもとりあえずオメデトー! 20歳で止まったまんまだけどねー!(笑)
……ちなみに、タイトルは某サムライディーパーからではなく、偶然;