NEW YEAR '06



「年初めに、これかよ……」
席に着いた途端、目の前のロックが大きく溜息をついてぼやいた。テリーはそれに苦笑いを浮かべつつ、同じように席に着いてトレーをテーブルに置き、ヘソを曲げる青年を宥める。
「まあそう言うなよ。夜はお前の美味い料理を食わしてくれんだろ?」
食べ物は手づくりに限る、と常日頃主張しているロックには、この間に合わせに入ったファーストフード店は許せないのだろう。目の前に並んだハンバーガーとフライドポテトを睨むように見つめているロックは、テリーの言葉にもあまり反応を示さなかった。
年末は予想以上の人込みで足を取られて時間を喰い、しかも泊まる予定の簡易ホテルの場所が分からずにさ迷い歩くことになり、辿り着くまでの道の途中で年の変わり目を迎えてしまった。最悪だ、と機嫌を斜めに傾けるロックをキスで宥めて、年初めの一日目は買い出しに走ったのだが、これもまた人込みに呑まれて予定が狂わされてしまった。凝った料理をこしらえたいと願ってロックが大量に食料を買おうとしたことも結局は仇になり、荷物が両手に抱える程になったときには昼をとっくに過ぎてしまっていた、というわけだ。
安売りにつられて買い込んだ生活用品の量はバイクで帰れるかどうか危ぶむレベルに達してしまい、連日移動に体力を消費していた二人は昼ご飯が間に合う時間には流石にホテルへ無事に辿り着けなさそうだと判断した。そうしてとりあえず体力を回復させるために、昼ご飯として久々にジャンクフードへ手を伸ばしたわけである。
「ほら、冷めないうちに食えよ」
新年早々に究極の手抜きであることにロックは相当沈んでいるらしく、テリーが声を掛けても、うー…と不明瞭に呻くだけだった。しかしその表情から、本気で不機嫌ではないことは分かる。拗ねているような、あるいはそういう態度をわざと取っているようなロックを可愛らしく思い、テリーは機嫌よく笑ってポテトを一本摘み出した。
「なんだ、じゃあ俺が食べさせてやろうか?」
「は…っ? って、オイッ。や、やめろって!」
ほれ、と口元にポテトを持っていくと、ロックが途端に顔を赤らめてこちらの手を押し戻す。焦って、簡単に不機嫌の装いが崩れたことにテリーは朗らかに笑い、差し出したポテトを引き戻して自分の口に放り込んだ。
「これはこれで美味いんだよな。何て言うんだ、安もンの味っていうか……懐かしい感じだな」
「そう……かな」
適当に咀嚼して飲み込むテリーを、ロックは羞恥で熱を持て余した顔でじっと見つめてくる。最初は納得いかないという意味かと思ったが、紅い両の瞳が鮮やかな光彩を帯びるのを見て、ベッドで戯れる時の――つまり劣情を抱いた時の顔だと気付いた。口では強気に否定して誤魔化しながらも目がキスをねだる、そんな燻った情欲の色だ。
何が引き金だろうかと考えたが、ロックの視線がこちらの口元と喉仏の辺りをさ迷ったのに気付いて、テリーは口端を上げて笑った。手には新たにポテトを一本取り上げる。
「ほら、口開けて。あーん」
「ばッ、何やって……むぐっ!」
テリーは有無を言わせず、慌てるロックの口にポテトを押し込んだ。驚いたロックは軽く咳込むが、ついでとばかりその柔らかい唇を指でなぞると、ロックの肩が過剰な程にびくりと跳ねた。ハッとこちらを見た顔が羞恥に朱く染まる。
それに笑いかけ、テリーが唇だけで「今晩、な」と言うと、ロックは顔を更に赤らめて俯いた。
「……うるせーよ」
燻る欲望を見透かされたことに決まりが悪かったのか、ロックが負け惜しみのように呟く。そして粗っぽい仕種で目の前のハンバーガーを掴み取り、包み紙を剥いだ。
自棄になったようにハンバーガーに噛り付くロックを見て、テリーも笑って自分のハンバーガーに手を付ける。たかがジャンクフードとはいえ、冷めればまずくなるのは明白なので、早く食べてしまうに限る。
そうして二人が向かい合わせで黙々と食べ始めたことで、その場には自然と沈黙が降りた。途端に耳へ飛び込んでくるのは年始めで賑わう周囲の喧騒で、改めて自分が街の中に溶け込んでいることを感じさせた。
ゴミ溜めに身を沈め、弟を守るためにただただ生き抜こうと必死だったあの幼かった頃には、想像などつかなかったろう。愛する人と買い物に行って、歩き疲れたついでにファーストフード店で昼食を済ます、この和やかなひとときを。
時代は変わった。盗みとごみ箱漁りが日常だった頃より、色々なものが豊かさを増し、概ね人々の顔に笑顔が多く見られるようになった。勿論、虐げられる者や明日が見出だせずにさ迷う者はなくならないが、それでも少しはマシになったと思う。
そうして自分の人生も、思わぬ方向へ転がっていった。ただ暗い憎しみを抱えて生きていた自分が虚しく呆気ない復讐を終え、息子であり弟子であるロックを育て、まるで図られたように恋に落ちて幸せな日々を過ごしている。あの、何に対してもギラついた眼差ししか向けられたかった頃の自分しか知らない者には、今こうしてギースの息子であるロックと共にいるのは、さぞかし奇異に思えるだろう。しかしこれこそが、ギースの本当の望みであったのではと、最近は思う。
ロックを引き取り、そしてギースが死んだ後、田舎で妹と暮らすつもりだと告げたビリーが、ついでだと言ってギースについて淡々と語った。噂でも一切耳にしたことのなかったギースの幼少の頃の話をビリーから聞かされ、ロックの過去とのあまりの酷似に驚き、因果を感じずにはいられなかった。弱い母のために幼い身で懸命に闘い、それでもどうしようもなくて最後に頼った父に呆気なく見捨てられて唯一の家族を失った。父を憎み、嫌悪する様はまるでロックと同じだった。
そのギースが、自分の息子をテリーに預け、何も言及しなかったのは、心の奥底で自分の二の舞を恐れていたからではないかと、今はそんな風に思っている。自分の在り方が変わらないなら、いっそ別の者に子を託そうと。憎しみで強さと権力を求めた自分とは違う道を歩んでほしいという思いが、敢えて宿敵であるテリーを選んだのではないかと。今は何も語ることのないギースを思い、そんな風に考える。
しかしまさか、テリーがロックを恋人として愛するようになるとは流石に思いもしなかっただろうが……。
「なあ……ロック」
「な、なんだよ……」
ふと物思いに耽っていた思考を呼び戻したテリーは、目の前のロックに焦点を結んだ。その眼差しが呆れと驚きを伴っていることに、ロックは些か覇気のない声で答える。
気が付けば、目の前のロックがハンバーガーをバラバラにして食べていた。意図的ではなく、食べている最中に零れ落ちてどうしようもなくなった、という感じだった。
大体のことはテリーより遥かに器用にこなすロックが、かさ高いハンバーガーを食べるのに苦戦している。
「お前、それ……ぷっ」
「わ、笑うな……!」
片手は崩壊寸前のハンバーガーを何とか握り締め、もう片方は一度落ちたらしいキャベツを指で摘み上げ、口には中に挟んであったパンの部分をくわえている……といった、普段の彼のスマート振りから見ればシュールとも言える有様に、テリーは思わず笑いが込み上げた。自分の無様な有り様を痛いほど分かっているのか、ロックの抗議はいまいち力がない。
何をやらせても器用なのかと思っていたが、実はそうでもなかったらしい。
「……ファーストフードなんてあんま食べねぇし」
とりあえずパンを口に詰め込んで、ロックが決まり悪げにもごもごと言い訳を呟く。確かにロックは病弱だった母のために手づくりの食事にこだわっていたので、テリーに比べれば遥かに食べる機会が少なかっただろう。
しかし……それでもこの失態はなかなかに笑える。
「だから、笑うなって!」
「いや……、はは、笑ってないぞ?」
あからさまに笑いながら、テリーがそんなことを言うと、ロックはムッと機嫌を損ねたまま、ソースでベタついた指先を舐めた。濡れた紅い舌がちろりと覗き、白いソースを舐め取っていく様に、思わずテリーは動きを止める。ねぶるように動く舌と俯き加減の紅い瞳が、違うと分かっていても邪な想像を駆り立てた。
しばらくして、沈黙したテリーの視線に気付いたロックは顔を上げ、慌てた様子で手を引っ込めた。
「なん、だよ……?」
「いや……別に」
顔を赤らめてこちらを睨み付けてくるロックを避けるように、テリーは視線を泳がせた。そんな艶やか顔で睨み付けられたら、もとからあまりない理性が焼き切れかねない。
ま、お楽しみは今晩ってことで。
そう自分に言い聞かせ、テリーはコーヒーに口を付けて逸る気持ちを抑えた。
また今年も、変わり映えのないようで二度と同じものはない日常が、始まりそうである。





END





アニメが配信される前にアップしよう、ということで滑り込み;
遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。m(_ _)m