<赤ずきんちゃんと餓えた狼> 


あるところに一人の青年がいました。
いつも好んで赤い服を着ている「赤好き」なため、それがいつしか訛り、周りの人達は青年を「赤ずきんちゃん」と呼ぶようになっていました。その赤ずきんちゃんは歳の頃が17で、整った容姿と宝石のような紅い眼が特徴的な美男子です。
普通に町中を歩けば、若い女性と一部の男性の視線を集めること間違いなしなのですが、今日はいつもと違って赤ずきんちゃんは森の中を歩いていました。そこは危ないと噂されている南の森でしたが、赤ずきんちゃんは臆すことなく、よく晴れた青い空をのんびり仰いでいます。
「……こんな洗濯物がよく乾きそうな日に、なんで俺があんな奴の見舞いなんかしなきゃいけないんだ……」
と、形のいい眉を寄せて所帯染みた文句をこぼし、赤ずきんちゃんは片手に提げていたバスケットを持ち直しました。中で、がちゃりと酒瓶がぶつかる音がして、その重さを伝えてきます。
今日、赤ずきんちゃんはお母さんに頼まれて、森に住むオジサンのお見舞いに来ていました。急に病に伏せたとかで、お母さんに行って様子を見るように言われたのです。
しかし赤ずきんちゃんはこれにとても不満でした。なぜなら、そのオジサンはかなり悪いことをしている人で、赤ずきんちゃんはとても毛嫌いしていたのです。
ついでに言うなら、赤ずきんちゃんは死んだお母さんの代わりに来た今の新しいお母さんも好きではありませんでした。豊かな金髪に整った容貌はどこかの貴族のように見目麗しかったのですが、偏愛癖と妄想癖持ちの困った人だったのです。
しかし元々素直で真面目な性格の赤ずきんちゃんは、言い付けられた通りにオジサンのお見舞いに出掛けました。とてもとても大嫌いですが、病気だというのなら無下にはできません。
「……って、あれ? ここからどう行くんだったっけ」
ふと、分かれ道まで来て赤ずきんちゃんは立ち止まり、周りを見渡しました。どうやらさっそく迷子になってしまったようです。長い間オジサンの家を訪ねることがなかったので、赤ずきんちゃんは道を忘れてしまっていました。
「……。駄目だ、思い出せない。一旦帰って、道を教えてもらおうかな」
初めから乗り気でなかったために早々に諦めモードに入ってしまった赤ずきんちゃんは、お母さんのもとに一度帰ることを考えました。しかし、暑苦しい程に構いたがるお母さんをどうにか振り切ってここまで来たのに、また逆戻りというのも嫌です。何よりも、お母さんに借りを作ると後で何を要求されるのか分からないので、できれば避けたいものです。
やはりここは進むしかない、と赤ずきんちゃんは拳を固めて思い直しました。けれど道が分からないまま森をさ迷い歩くのは危険なので、誰か他の人に道を聞こうと思い、周りを見渡しました。
しかしここは森の中。鳥の囀りは聞こえても人間の姿も声もしないのは当然です。自分以外の気配が全くないことに、赤ずきんちゃんは大きく溜息をつきました。
と、そのとき、突然雄叫びのような声が複数重なって辺りに響き渡り、続いてゴスッ、ズドン!と鈍い音が聞こえてきました。何事かと思い、赤ずきんちゃんは音がした方へと近付いていきます。
恐ろしさよりも好奇心が勝った赤ずきんちゃんは、声を追って横手の茂みの向こう側を覗き込みました。
そこは少し開けた野原になっていて、驚いたことに五、六人が殴り合いでケンカをしていました。しかもそれは、複数の人間と一匹の狼の争いです。
「なんだ……? 狩りでもしてるのか?」
殴る蹴るの乱闘騒ぎに唖然とし、赤ずきんちゃんは小首を傾げます。疑問に答えてくれる人は、もちろん周りにいませんでしたが……。
多少なりとも腕に自信のあった赤ずきんちゃんはその場の騒ぎに怯えることもなく、しばらく様子を見ていました。誰であれ傷付け合うことは良くないことだと分かっているのですが、下手に止めに入ってとばっちりを受けるのはあまり賢明でありません。
そう思って赤ずきんちゃんがしばらく成り行きを見守っていると、最初はてっきり狼が大勢に追い詰められているのかと思っていたこの状況が実は全くの逆であることに気が付きました。たった一匹の狼に、人間達が次々に倒されているのです。
腰まで伸びた黄金色に輝く長い髪をなびかせたその狼は、襲い掛かる人間を渾身の一撃で確実に沈め、その圧倒的な力の差を見せ付けていました。
頭に生えた獣の両耳がぴんと伸びると同時にがっしりとした体が一足跳びに相手の懐に潜り込み、バネのあるアッパーが顎を捕らえて敵を軽々と吹き飛ばします。と、次の瞬間には長い尾を翻して背後の敵を迎え撃ちに行くという、その体つきからは考えがたい素早い動きを見せました。青く輝く鋭い瞳からも、その狼がただ者でないことは明らかです。
流れるような、けれど力強い攻撃を繰り出すその黄金の狼に、赤ずきんちゃんは思わず見惚れてしまいました。自分ではこれほど人を引き付けるファイトは出来ないだろうと、羨ましく思います。それほど、その狼はとびきり強かったのです。
騒ぎが始まってからそれほど経っていないのに早くも決着がついたようで、その黄金の狼以外は誰もその場に立っていませんでした。死んではいないようですが、人間達はみんな気絶してしまっているようです。
辺りが再び静まり返り、その黄金の狼は、こちらにまで聞こえるような大きな溜息を一つつきました。そして自分の汚れた出で立ちに気付いたように、ぱたぱたと埃を払い除けます。
(……あ)
その様子を見ていた赤ずきんちゃんは、狼が腕に怪我をしていることに気が付きました。なんでもないような素振りですが、赤い血が左腕から流れ落ちています。
ケンカも納まったのだからと、立ち去ろうと思っていた赤ずきんちゃんはそれにドキリとして、引き返そうとした足を止めました。争っていたのだから怪我は当然、なにより狼なのだから心配無い、と思うのですが、なぜか気になって仕方がありません。
ここで出て行って大丈夫かと声を掛けるのも不自然ですが、だからといって無視して行くことも出来ず、赤ずきんちゃんは迷います。しかしそんなとき、ふと遠くに立っていた狼がこちらに顔を向けました。
「そこにいるのは誰だ!?」
「……!」
鋭く叫ばれ、思わず赤ずきんちゃんはビクリと体を震わせて驚きました。狼は遠巻きに見ていた赤ずきんちゃんの気配に気付いたようです。
まさかこの距離で気付かれるとは思わなかったために咄嗟に反応できず、赤ずきんちゃんは棒立ちになっていましたが、狼が油断なくこちらを睨み付けたまま近付いて来たので、慌てて前に一歩進み出ました。念のため、片腕に籠を提げつつも降参の意を両手で示します。
そろそろと茂みから現れた赤ずきんちゃんに、狼は途端に驚いたような顔をしました。
「人間の子供……?」
「……もう子供って言われる歳じゃあないつもりではあるけど」
こちらを凝視して零した狼の言葉に、赤ずきんちゃんはおどけたように肩を竦めてみせました。隙のない構えをみせる狼の神経を逆なでしないように、わざと砕けた態度を取ります。子供とは言えないけれど大人とも言えない成長期の、細くしなやかな体のラインを晒して赤ずきんちゃんが狼の前に進み出ると、あと数歩の距離から狼がじろじろとこちらを窺ってきました。
「アイツらの仲間……にはとても見えない、か。……でも、なんで関係ない人間がこんなところにいるんだ?」
緊張を解いた狼が不思議そうに首を傾げてみせたので、赤ずきんちゃんはその、どちらかというと無防備な印象を受ける表情に驚きましたが、すぐに頬を緩ませ、上げていた両手をおろしました。
「ちょっと迷子になっちまって……困ってたところ」
苦笑しながらそう言うと、なんだそうなのか、と狼はあっさり納得してくれました。さっきの闘いぶりでは怖い感じさえしていたのですが、どうやら普段の彼はそれほど近寄りがたいタイプではないようです。
それどころか気安ささえ感じる雰囲気のその狼に、赤ずきんちゃんは顔色を窺いつつ徐に近付きました。
「なあ……それより、ちょっとアンタに触っていいか?」
「え……?」
突然の申し出に、狼は訳が分からないという顔をします。けれどそこに嫌悪や拒絶がなかったことを見て、赤ずきんちゃんは笑って狼の左腕を指しました。
「腕、怪我してるだろ? 放っておくのもなんだし、手当てしようかと思って」
赤ずきんちゃんがそう言うと、狼は初めて気が付いたように腕の傷を見て、ああと軽く頷きます。
「舐めとけば治るさ、こんなのは」
「何言ってんだ! 結構出血してるじゃねぇか」
狼が朱く染まっている腕を口元に持っていこうとしたので、赤ずきんちゃんは慌てて止めました。近付いた人間の気配に狼が一瞬警戒しましたが、赤ずきんちゃんは気に止めずに籠に入れていた酒瓶を一本取り出します。
突然その栓を開け始めた赤ずきんちゃんの行動に狼は呆気に取られて見ていましたが、次にその酒の中身を傷口にかけようとしたので驚いて手を引きました。
「な、何するんだッ!?」
「何って、消毒だよ。……ああ、もしかしてこれが毒か何かかと思った?」
警戒心剥き出しで睨まれ、赤ずきんちゃんは心外とばかりに目を丸くしました。
しかしではどうしたものかと手の中の瓶を見つめて考え込み、徐に赤ずきんちゃんはその酒を煽ります。
狼の怪訝そうな視線を受け止めながら、赤ずきんちゃんは酒を一口飲んでみせました。
「……とりあえずこれで、毒じゃねぇのは分かったろ? 中身、ただのブランデーだからさ。心配しなくていいぜ」
「え…あ、ああ……って、いや、そういうことじゃなくてだな」
お構いなしに腕を取る赤ずきんちゃんに、狼は言い募ろうとしましたが、容赦なく傷口に酒をかけられ、思わず痛みで声を詰まらせました。顔を歪ませて耐える狼を尻目に、赤ずきんちゃんは取り出したハンカチで傷口を押さえ、巻き付けてしまいます。
慣れた手つきで綺麗に手当てを施した赤ずきんちゃんに、狼は純粋に驚きました。
「随分、慣れてるんだな」
「俺もケンカっ早い方だから、怪我はよくする。……これ、きつかったり緩かったりしないか?」
「あ、ああ。大丈夫だ、ありがとな」
マイペースに手当てしていく赤ずきんちゃんの調子に呑まれて、狼は思わず反射的に礼を言ってしまいます。しかし、はたと気付いたように狼は警戒の眼差しを向けました。
「それより……なんでお前、こんなとこにいるんだよ?」
話を慌てて戻し、狼は不審そうに再度聞いてきました。酒瓶を籠に戻しながら、赤ずきんちゃんは特に隠す理由もないと思い、聞かれるままに答えました。
「この森にいるオジサンが病気だとかで、見舞いに行く途中なんだけど……道に迷っちまってさ」
いくら気乗りしないこととはいえ、道をちゃんと把握していなかったことに情けなさを感じた赤ずきんちゃんは少し気まずげに言います。
しかし、それを聞いた狼の表情が少し強ばったように見えました。先ほどの戦いの最中に見せたような鋭い光を帯びた眼差しに、赤ずきんちゃんは僅かに戸惑います。
「この森に住んでる、だって? そいつ……誰なんだ?」
怖いほどの真剣な顔で深く尋ねてくる狼の気迫に押され、赤ずきんちゃんは驚きながらも素直にオジサンの名前を告げました。
「あいつは……ギース・ハワード……だけど?」
「……!」
オジサンの名を口にした途端、狼の表情はなんとも言えない複雑な表情になりました。


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陽気な雰囲気が一変して、怒っているのか悲しんでいるのか分からない暗い目をした狼に、赤ずきんちゃんは一抹の不安を感じました。
「もしかして……あいつと何かあった?」
「……」
ギース・ハワードはこの南の森で、とても悪い人として有名です。だからただの当てずっぽうではなく、何かあったのだろうと確信して、赤ずきんちゃんは狼に尋ねました。案の定、狼は返答に困っているようです。
狼が不自然に黙り込んでしまったので、赤ずきんちゃんは先回りして言いました。
「もしそうだったら、謝らなきゃならないよな。一応、身内だし……」
「な、なんでお前が謝るんだっ!」
謝罪しかけた赤ずきんちゃんを、狼は慌てて止めます。オジサンが狼に迷惑をかけたのが事実ならばと思ってのことでしたが、狼はむしろ困惑しているようでした。
「お前は何も……。…って、あ! な、なあ、見舞いだって言ってたよな? 花とか持っていったらどうだ!?」
「へ…っ? なに、いきなり……」
「そうだよ、見舞いには花がつきものなんだろ!? 綺麗な花畑が向こうにあるんだ。な、持っていけよ。うん、名案だ!」
突然ぽんと手を打ち、明るい顔で狼は見舞いに花はどうかと勧めてきました。そのあまりの唐突ぶりに赤ずきんちゃんは一瞬呆気に取られてしまいましたが、話題を変えようとしたのだと気付いて、赤ずきんちゃんは苦笑いを浮かべます。
この狼にとって、オジサンの話に触れられるのが一番嫌なことなのでしょう。
大方、先程争っていた人間達はオジサンがまとめている組織のメンバーだろうと考え、赤ずきんちゃんはそれ以上その話題に触れるのをやめました。
懸命に違う話題にしようとしている狼が可哀相……というか、あまり深く追求して困らせてしまうのも悪い気がして、赤ずきんちゃんは敢えてその話に乗ることにしました。
「そうだな。ランチと酒は持ってきたけど、花はないから……あるんなら、取りに行こうかな」
赤ずきんちゃんがそう言うと、狼は陽気に笑って頷きながらも、どこかホッとした様子を見せます。それに思わず、ロックは口元を弛ませました。
嘘がつけない狼だな〜。……変なの。
森に住む狼はとても狂暴でずる賢いのだと、耳にタコが出来るほど言っていたお母さんの言葉を思い出し、思わず笑ってしまいそうになります。現実はお話と随分違うようです。
楽しそうに目を細める赤ずきんちゃんに、狼は被っていた赤い帽子のつばを直しながら、得意気に茂みの向こうを指差しました。
「すぐ近くだ」
そう言って先導していく狼に、赤ずきんちゃんはその背を見つめながらついていきます。
先程見せた圧倒的な強さに相応しい、筋肉の隆起した逞しい背を、赤ずきんちゃんは羨ましく思いました。
あれだけ強いのならばきっと、オジサンと争うことになったとしても大丈夫なはずです。オジサンは非常に強いことで有名なのを知っているだけに、赤ずきんちゃんは狼の身を案じていました。
怪我をしたときでさえ放っておけなかったのに、オジサンに殺されでもしたら自分はきっと深く悲しみ、後悔するだろうと……。
会って間もない、しかも狼なんかにそこまで思う理由が、赤ずきんちゃん自身にもよく分かりませんでしたが、この狼の無事を願う気持ちは本当でした。
やはりあの立ち回りに見惚れてしまったからだろうなと思いながら、赤ずきんちゃんは苦笑いをこぼして、狼の後についていきました。




「行っちゃったよ、兄さん…… 」
「まあ、気持ちは分からなくもないけどな」
赤ずきんちゃんと狼が花畑の方へと行ってしまったあと、ぽつりと文句を洩らして二匹の狼が茂みから現れました。
消えていった背を恨めしげに見つめている狼は、豊かな金髪を後ろに長く伸ばしています。その隣に立つもう一匹の狼は、黒髪を逆立て頭に白い鉢巻きを巻いており、二人が消えていった方を面白そうに眺めていました。
「今の、なかなかの美人だったじゃないか。男だけど。……テリーも結構、手が早いな〜」
「な、何を馬鹿なこと言ってるんだ!」
ピュィッと口笛を吹き、黒い狼が楽しげに長い茶色の尾を左右に振ると、金の狼がたしなめるように厳しい言葉を飛ばします。
「さっきの話、聞いていただろう! あの子、ギース・ハワードの身内なんですよ!?」
尖った耳をぴりりと立てて、金の狼は抗議しました。黒い狼は金の狼二人がギース・ハワードからどんな目に遭わされたかをよく知っているだけに、それに対して反論はしません。ただ、これからのことについて、疑問を口にしました。
「それはそうと、テリーが行っちまったら先に進めないじゃないか。折角、ヤツをここまで追い詰めたってのに」
気絶したまま足元に倒れている人間達を眺めやりながら、黒い狼はため息をつきます。実はテリーが闘っていた頃、この二匹の狼もまた近くで人間達と争っていました。
もちろん狼達は勝利を収めたのですが、肝心のリーダーである狼が人間の青年と連れ立って花畑の方へと行ってしまいました。これでは折角一緒に人間達へ復讐しに来た意味がありません。
「そうだな…。とにかく、隙を見て兄さんを呼び戻さないといけないな」
「あー? でもそれも、野暮ってもんだろ? 2人っきりで盛り上がってるところを邪魔しちゃ悪……」
「だから! 2人はそういうのじゃないだろうっ」
ニヤニヤと面白そうに笑っている黒い狼を、金の狼は顔をしかめて怒鳴りつけます。その潔癖な反応に、黒い狼は尚更面白がっているようでした。
「でも今まで黙って見てたのは、どこのどいつだよ?」
「そ…それは…。話の邪魔をしたら悪いかなと思って」
「なら、今更邪魔するのも悪いだろ? テリーが自分から帰ってくるのを待った方が無難だと思うけどな、俺は」
「それは……そうかもしれないけど」
すらすらと反論されて、思わず金の狼は眉を寄せて唸ります。黒い狼の言い分ももっともなので、それ以上食い下がるのも難しそうです。
金の狼は一つため息をつき、顔を上げました。
「じゃあ…1時間ほど待って、帰ってこなかったときは僕達が先にギースの元へ行くというのはどうだろう」
「そうだな。その辺りが妥協点ってとこか」
黒い狼はうんうんと頷き、金の狼の提案に乗りました。正直なところ、黒い狼にとってはギースへの復讐には直接関係がないので、金の狼のように焦りは特にありませんでした。
これは戦友としての協力でもありましたが、黒い狼にとっては強い相手と戦いという一点につきます。ここでしばらく待って、もっと他の強い敵が現れるのも一興だと思っていました。
それとは逆にストイックなほど真面目で実直な金の狼は、義兄にあたる狼が早く帰還することを祈っていました。
「早く戻ってきてくださいよ、兄さん…」




「ふん…。やはりあの程度では時間稼ぎにもならんか」
南の森の奥深くに聳え立つ、巨大なお城の一室で、男は革張りの椅子に腰掛けたまま呟きました。口元には嘲笑が張り付いています。
薄暗い照明の中、男は近くに佇むもう一人の男に目線で指示を出しました。
「ちょっと相手をしてきてやれ、ビリー」
ビリーと呼ばれたその男は、椅子に座る男に頭を下げ、口端を上げます。
「奴等を、地面に這いつくばらせてやりますよ」
獰猛な光をたたえた目を覗かせ、ビリーは愛用の赤い棒を握り締めました。そのギラついた様子に、男は薄く笑います。
「いい。適当に相手してやるだけで構わん。…まだ時期ではない」
「分りました」
含み笑いを漏らす男に、ビリーは再び頭を下げ、その足で部屋から出て行きました。


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狼に案内されて着いた先には、想像していた以上の絶景が広がっていました。
見渡す限り、コスモスが咲き誇っています。
「うわ……すげぇ」
思わず感嘆の言葉をこぼし、赤ずきんちゃんはその花畑に入っていきました。得意げに笑う狼は、膝丈のコスモスを踏まないように合間をぬって歩き、赤ずきんちゃんに近付きます。
「どうだ、気に入ったか?」
「ああ……、思ってた以上に凄くて……」
木々の合間に流れる川を水源に、辺り一面に咲いている花々は色とりどりで、赤ずきんちゃんは目を奪われたまま頷きました。都会ではそうそう見られない光景です。
目を輝かせて素直に喜ぶ赤ずきんちゃんを見て、狼もまた嬉しそうに目を細めました。
「この辺りは人間が滅多に入ってこないからな。荒らされることも、あんまりないのさ」
自然のままの光景だという狼の言葉に、赤ずきんちゃんはふと顔を上げます。
「俺も、人間だぜ……? いいの?」
「……あ。いや、まあ…そりゃそうだけど」
狼は赤ずきんちゃんが人間だという意識がなかったのか、指摘されて視線をさ迷わせました。困ったように、帽子の端から覗く茶色の耳がぴくぴく動きます。
その様に、赤ずきんちゃんはまた苦笑をもらしました。本当に、戦っているとき以外は怖さのない、お人好しな狼です。
オジサンと対立していても、狼が人間すべてを憎むまでには至っていないことを、赤ずきんちゃんは素直に良かったと思いました。
「折角キレイに咲いてるのに、摘んでいくのは勿体ないよなぁ」
屈み込んで花の香りを楽しみながら、赤ずきんちゃんがそう言うと、狼は隣で立ったまま辺りを見回して言います。
「これだけあるんだ。根っこから引き抜かなければ、少しくらい大丈夫だろ」
暖かな日差しと閑かな景色に機嫌良く尻尾を揺らめかせている狼に弁護され、赤ずきんちゃんはそうかな〜と思い、花に手を伸ばしました。
しかし突然、視界がグラつき、赤ずきんちゃんは頭を押さえました。
「……ッ!」
「? どうした?」
こめかみを押さえて呻く赤ずきんちゃんの様子に驚き、狼は膝を折って覗き込みます。空色の瞳が心配そうに見るのを感じ、赤ずきんちゃんは痛む頭に顔をしかめながらも、狼の方を見ました。
「なん…だろ。頭が、クラクラする……?」
目眩のような感覚に、赤ずきんちゃんは訳が分からせず、不快感に顔を歪めます。しかし間近で覗き込んできた狼は何かに気付いたようでした。
「お前、顔が赤いぞ? ……もしかして、酔っ払ってるのか」
「え……?」
「ほら、さっきウイスキー飲んだろ」
「……あ」
狼に指摘されて、赤ずきんちゃんは体調不良の理由に気が付きました。消毒に使うウイスキーに毒がないことを証明するために、弾みで飲んだ一口が、今頃になって回ってきたようです。
「少しなら平気かと思ったのに……」
朦朧としそうな意識の中、赤ずきんちゃんは悔しげに呻きます。まだ未成年なので、体の方がついていけなかったのでしょう。
「はは! まあ、仕方がないさ。しばらくここで休んでいけよ」
狼は屈み込む赤ずきんちゃんの頭をくしゃくしゃと撫で、陽気に笑い飛ばしました。その楽しんでいるような態度に、赤ずきんちゃんはムッとしましたが、空いた場所に座るように促す気遣いに、文句は言葉になりません。
狼に言われるまま野原に腰を下ろした赤ずきんちゃんは、上から覗き込む狼を見上げました。
「……なあ。名前、なに?」
「え?」
突然の質問に、狼は驚いたようです。しかし構わず、赤ずきんちゃんは重ねて尋ねました。
「狼さんの名前は? それくらいなら、教えてくれてもいいだろ……?」
赤ずきんちゃんは痛む頭を意識の端に追いやりながら、膝をつく狼の長い金髪に触れます。赤ずきんちゃんの体調が落ち着いたら、この狼は恐らくすぐに目の前から去るだろうと感じたからでした。笑ってはいても、瞳の奥には覚悟を決めた強い意志が見えます。
縋るように触れる赤ずきんちゃんに、狼は軽く目を瞠ったものの、手を払い除けたりはしませんでした。
「別に隠してたつもりはないんだが……。俺は、テリー」
「テリー…。うん、いい名前だね。……少し女性っぽい感じだけど」
「あ、お前っ。教えたのに、そりゃないだろ!」
「悪い意味じゃねぇよ? 綺麗でいいと思う。……俺は、ロック」
「……ふーん。石頭のロック(岩)か?」
「言うと思った」
馴れ合いのような言葉の応酬に、狼と赤ずきんちゃんは同時に顔を見合わせ、ぷっと吹き出しました。
ひとしきり笑った後、二人は自然に見詰め合い――赤ずきんちゃんは、少し顔を歪めました。
「じゃあテリー、……ありがとう。こんなとこまで付いて来てくれて」
「あ、ああ。別にそんなこと……大したことじゃない」
「うん、でもありがとう。俺、ここで少し休んでいくから」
バイバイ。
そう言って赤ずきんちゃんはひらひらと手を振りました。最高の笑顔で送り出そうと、赤ずきんちゃんは慣れない笑みを浮かべてみせます。
早々に別れを促され、狼は驚いたようでしたが、赤ずきんちゃんにとってはこれ以上狼と一緒に居るのは辛いことでした。
自分が狼に惹かれている分だけ、狼が自分を気遣ってくれる分だけ、離れがたくなることが分かっていたからです。事情も知らないのに、オジサンの所へ行かないでと引き止めてしまいたくなります。
自分など、彼にとったら通りすがりの人間に過ぎないのに。
赤ずきんちゃんは狼の綺麗な金髪から手を放し、その場に仰向けで寝転びました。
「ほら、他に用事とかあるんだろ? 早く行かないと取り返しのつかないことになるぜ」
「それはそうなんだが……」
「なら、さっさと行けよ」
俺が、変な期待をしてしまわないうちに。
後半は胸中の言葉として呑み込み、赤ずきんちゃんはわざと不遜に笑ってみせます。そして頭の後ろで腕を組み、目を閉じました。眠るスタイルを決め込むことで、心優しい狼がこの場を離れやすくしました。
せめて、彼の邪魔だけはしたくありません。
そうして赤ずきんちゃんが沈黙すると、狼は意図を察したのか、何も言わなくなりました。
花の香りの充満する中、柔らかな風だけが二人の間を流れていきます。それを赤ずきんちゃんは身動き一つせずに頬で感じていると、狼が少し身を退く気配が窺えました。
所詮は人間と狼。望んでも馴れ合えないもの。
そう諦めようとしながらも、もっと一緒にいたいと願う気持ちは捨てきれず、赤ずきんちゃんは目を閉じたまま狼の気配を無意識に追ってしまいます。
それを未練がましいことだと自分で思っていた矢先、狼の気配が唐突に近付いてきました。
「……!」
それに反応する間もなく、赤ずきんちゃんの上に影が落ちました。そして、何か柔らかいものが唇に触れたので、赤ずきんちゃんは驚きで目を見開きます。
「――!?」
「また、会おうぜ」
逆光の中、狼が目の前で鮮やかに微笑んでいました。その間近にある顔にどきりとして赤ずきんちゃんが呆然と見上げていると、狼は微笑んだまま帽子のつばを下げ、くるりと背を向けて去っていきます。
遅れ馳せながら上半身を跳ね起こした赤ずきんちゃんでしたが、その大きな背は遠ざかって消えていくところでした。
「……なんだよ、それ」
思わず意味もなく呻き、赤ずきんちゃんは自分の唇に触れます。自分に都合のいい錯覚だったのでは思いましたが、そこには確かに温もりと感触が残っていました。
キス、された…?
今更ながらその事実を認識し、赤ずきんちゃんは自分の心臓が早鐘を打つのを感じました。余計に体温の跳ね上がった体に戸惑い、赤ずきんちゃんは思わず不機嫌な顔を作ります。
「余計に、熱がひどくなったじゃねぇか……」
ごろりと大の字に寝転び、赤ずきんちゃんは再び眠るスタイルに持ちこみました。しかし消えていった狼に心が残り、なかなか寝付けそうにはありませんでした。



「なんだ、まだこんなとこで油売ってたのかぁ?」
馬鹿にしたような声に、木の陰で座って待機していた金の狼と黒い狼はハッと顔を上げました。
視線の先の向こうから、一人の男が現れます。鋭い目つきに、皮肉な笑いを貼り付けたその表情に、狼たちは腰を上げました。
「お前は……ビリー!」
「へっ、やっと少しはマシなのが出てきたみたいだな!」
金の狼は怒りを露にして男の名を呼びます。それとは対照的に、黒い狼は楽しげに腕を鳴らしました。
その様子を見た男は、持っていた赤い棒を構え、声高く笑います。
「ヒャッハァ! そのまま眠りにつかせてやるぜ!」
適当に遊ぶ程度では恐らく済まないであろう危険な眼差しで、男が凶器を打ち鳴らすのを見、狼たちは拳を握って前に進み出ました。


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狼は花畑から離れ、仲間がいるはずの場所に急いでいました。
しかしその足取りは切羽詰まった状況とは裏腹に、とても重いものでした。
狼は早足で先へ進むのですが、度々後ろを振り返ってしまいます。残してきた赤ずきんちゃんが気掛かりでならなかったのです。
「ああっ、ダメだダメだ! 気にしたってしょうがないだろッ」
狼はひとりで叫び、帽子の上から無意味に頭を掻き毟りました。しかし思い切り自分を叱咤してみても、気になることには変わりありません。
薄い金髪にルビーのような紅い瞳の、ロック。実は最初に見たときから、少し狼の好みでした。一瞬でも男に見惚れてしまったのは初めてですが、それから更に気に入って、男なんかにキスしたいと本気で思ったのも初めてでした。
「もうちょっと、別のときに逢ってればなぁ……」
思わずぼそりと愚痴をこぼしてしまうほどに、狼は赤ずきんちゃんを気に入っていました。しかし宿敵を目前にして、長々と話す事は出来ません。
ギース・ハワードには、父代わりだった狼のジェフを狩られた恨みがあります。だからあの人間に復讐することが、狼にとっては何よりも最優先でした。
それだけに、今のタイミングで会った赤ずきんちゃんと、ゆっくり話が出来なかったことは残念でなりませんでした。
「……生きて帰れたら、もっと色々話してみたいな」
つい、そんな弱気なことを言ってしまう狼でしたが、あながち大袈裟でもありません。仲間と3人がかりでも太刀打ち出来るかどうか分からないほど、ギース・ハワードの力は強大でした。全力で戦っても勝てるかどう分かりません。
「あれ……? でもロックは確か『お見舞い』って言ってたよな」
ふと今更ながら、狼は赤ずきんちゃんが言っていたことを思い出しました。お見舞いとはつまり、ギース・ハワードは病気か怪我をしているという事です。
弱っているときならば、彼を倒す最大のチャンスです。
しかしそう思うと、狼は渋面になりました。確かに復讐が目的ではありますが、ハンデのある状態で勝ったとしても自分は納得できないだろうと思ったからです。卑怯な戦いはしたくないというのもありますが、何よりもテリーはギース・ハワードに実力で勝ちたいと思っていました。
それならばここで戦いを挑むのは、フェアではないのではと狼は考え、茶色の大きな耳を下げました。
「そうはいっても……ここまで来たってのに」
ここで引き返しては、一緒に闘ってくれた仲間や弟にも申し訳が立ちません。
ギース・ハワードの元へ辿り着いてから、闘うかどうかを考えて遅くはないのではないかと思い直し、狼は顔を上げました。
「やれるとこまで、やってみるか!」
どこまで自分の実力が彼に及ぶのか分からない今は、やってみるしかありません。
そうと決めたら、すぐに狼の表情は勇ましく変わりました。太く艶やかな尻尾を振り、狼は仲間の元へ一気に駆けて行きます。
そのときに包帯の巻かれた自分の腕が目にとまり、狼はキスされて戸惑った赤ずきんちゃんの顔を思い出して微笑みました。




義兄の足音に最初に気が付いたのは、金の狼の方でした。
金の狼はハッと顔を上げ、ビリーと闘う黒い狼の方に視線を向けます。遅ればせながら、黒い狼もまた仲間の気配に気付きました。
「どうする……!?」
ビリーと距離を取りながら闘っていた黒い狼は、金の狼に問いかけます。3人で闘えば今相手にしているビリーを倒すことは容易いですが、その分だけ時間を消費することは目に見えています。
逃げられれば元も子もありません。ただでさえ時間がかかってしまっているのだから、それならばいっそここで自分達がビリーの足止めをして義兄を先に行かせた方がいいと判断し、金の狼は黒い狼に頷き返しました。
「兄さんを先に行かせよう!」
「だな」
提案に、黒い狼も賛同します。その間もビリーの赤い棒が唸りをあげて襲ってきますが、それを紙一重でかわしながら、金の狼は叫びました。
「-------!!」
音のような、音でないような声を発した金の狼に、ビリーがぎょっとそちらを見ます。けれどそれは人間であるビリーには理解できない音声でした。
狼たちの間でしか分からないその叫びで、金の狼は義兄に言伝ます。聞こえていればいいのだけれどと思っていると、すぐに同じような特殊な声で狼が叫び返してきました。
了解したとの旨に、金の狼も黒い狼も安心して顔を見合わせます。
「……んじゃ、ちょっくら暴れるか!」
黒い狼はいきいきとした表情でそう言い、拳を打ち鳴らしました。




心地のいい風に、少しうとうととし始めた頃でした。
赤ずきんちゃんは何か違和感のようなものを感じて、閉じていた目を開けました。野原で起き上がり、原因を探して辺りを見渡します。
…と、そこへ、猛スピードでエンジン音が近づいてきました。
「な……ッ!?」
驚いた赤ずきんちゃんは周りに咲くコスモスに足を取られながらも、慌てて立ち上がり、その場を飛びのきます。
その半瞬後、迫ってきた黒い車が目の前を走り抜けていきました。タイヤに踏まれ、散ったコスモスの花びらが無残に舞い上がります。
「!」
その車が過ぎ去る瞬間、ガラス越しに赤ずきんちゃんは助手席に座る人物と目が合いました。
ギース・ハワード……!
綺麗なコスモス畑に二本のタイヤの跡をつけ、無神経に走り去ったその主に赤ずきんちゃんは目を瞠ります。
通り抜け、すぐに視界から消えていった車の後姿を、赤ずきんちゃんは花びらの舞い散る中で呆然と見続けていました。




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南の森に狼の遠吠えが響き渡り、他の動物達は一様に驚いて姿を隠してしまいます。その中を、一陣の風のように走り抜ける狼の姿がありました。
義弟から先に行くように言われた狼は、急いで木々の間を走ります。人一倍負けん気の強い弟が、自分に仇討ちを譲ってくれたことに感謝しながらも、責任の重さを感じました。
必ず倒さなければならないという思いを新たにして、狼はギース・ハワードの住む城へと近づきます。その建物は見る者を圧倒するほどに物々しく、森の中にそびえたっていました。
「……?」
しかし狼はその城の前で立ち止まり、怪訝な表情を浮かべました。あまりにも辺りが静かすぎることに気が付いたのです。
いつもならば黒のスーツを着込んだ男たちが見張りに立っていたり、頻繁に出入りしたりしているところなのに、何故か今は一人も姿が見えません。狼は鋭い五感で城の中の様子を探りましたが、やはり人間の気配も物音もしませんでした。
「まさか……逃げられたのか!?」
思わず狼は愕然として、城を見上げます。かなりの時間ロスがあったので、考えられないことではありません。
狼は歯噛みしつつも、これからどうするかを考えました。折角ビリーの足止めまで仲間にしてもらったのに、これでは情けなくて帰るに帰れません。
「……そうだ。養父さんの毛皮……!」
狼はハッと顔を上げ、もう一つの目的を思い出しました。養父のジェフはギース・ハワードに狩られたときに毛皮にされてしまっていたので、せめてそれだけでも取り返したいと思っていました。急いで城から出ていったならば、荷物の類は残していっている可能性が高いと考えられます。
城に乗り込むことに決めた狼は、束ねた金髪のしっぽを翻して、高い城門を飛び越えました。壁を蹴って軽々と敷地内に侵入した狼でしたが、すぐに鳴り響いたブザー音に驚いて耳を立てます。
――と、いきなりどこからともなく数本の矢が飛んできて、狼は咄嗟に飛びのきました。
「……うおっ!?」
間一髪でそれらを避けた狼は冷や汗を流しつつも、第二陣の攻撃に気付いて走りだしました。次に踏み出した場所では、カチリという音がして下から爆発が起こりましたが、これも咄嗟の前転でなんとか躱しました。
「お…おいおいおいーッ!?」
最初の弓矢に続いて、銃火器や槍、落し穴などのトラップが作動し始め、狼を罠にはめようと迫ってきます。それをどれも紙一重で逃れながらも、さすがに百戦錬磨の狼も悲鳴をあげます。無機質なそれらは狼の五感にひっかからないので、作動するまで存在が分からないのです。
反射神経と直感ですべてなんとか避けた狼は、城の大きな扉まで辿り着き、一息つきました。
「くっそ〜…! そういうことかよっ」
ぜぇはぁと肩を上下させながらも、狼はギース・ハワードの思惑を理解して目を細めます。あの男は狼が来ることを分かっていて、城に無数の罠を張ったのでしょう。
しかし裏を返せば、城には罠を仕掛けておかなければならない何かがあるということです。しかもそれは狼にとって価値のあるものだということでしょう。
明らかな挑戦状に、狼は息を乱しながらもニヤリと笑いました。目的の人物がいない今は、この城を攻略することがあの男に一矢報いることでもあります。
「ハッ! これくらいで、くたばってなんかいられないぜ!」
狼は額の汗を拭って帽子を被り直し、扉を蹴破って派手に侵入を果たしました。




ビリーのリーチの長い武器は狼達に苦戦を強いていました。二対一でも、ビリーの攻撃範囲の広さになかなか攻め倦んいます。
しかしビリーもまた、流石に二人を相手に立ち回るには辛いものがあるのか、徐々に息があがっていました。
果たしてどちらが先に倒れるだろうかというほどに消耗戦をしていたとき、突然女の子が三人の間に割って入ってきました。
「兄さん! もうこういうことはやめてよ!」
「な…っ、リリィ!?」
自分の背丈より遥かに長い洗濯棒を勇ましく掲げて、おさげの女の子がビリーに向かって叫びます。突然現われた妹に、ビリーは戦闘態勢を崩して驚きました。
第三者の登場、しかもビリーがあからさまに戸惑っている様子から、少し状況が救われたのではと金の狼は切れた口端を拭いながら息をついたのですが、隣で拳を固めていた黒い狼の様子がおかしいことに気付いて視線を向けました。
「可愛い……」
「は……?」
リリィを凝視したまま黒い狼がぽつりと言った言葉に、金の狼は思わずぽかんと口を開けます。何をこんなときに冗談を、と一瞬思いましたが、黒い狼の怖いほどの真剣な眼差しに気付き、金の狼は眉間に皺を寄せました。
「いきなり何を言い出すんだ、ジョー! 確かに可愛いとは思うけど、あの子はビリーの妹みたいじゃないか!?」
「そんなの関係ないさ、俺と彼女の間には。……誰が邪魔しようが、俺は負けねぇ!」
「え…いやッ、すっごい唐突に自分の自分の世界に入ってないか、お前っ!?」
瞳を輝かせて熱く語りだした黒い狼に、流石に金の狼も焦ります。彼がこうと言い出したら聞かない性格だという事はよく分かっていたからです。いきなり、本当に出し抜けでも、黒い狼はどうやらリリィに一目惚れしてしまったのは事実のようです。
「なあ、あんた! リリィさんっていうのか?」
「きゃ…っ! え、ええ? は、…はい、そうですけれど……」
「俺はジョー東っていうんだ、これから宜しくな!」
「あ…は、はい…」
「オイ! 何、どさくさに俺の妹に話し掛けてんだ、このクソ狼ッ!」
「うるせぇな、話し掛けるくらい自由だろ!? ……なあ? 兄貴がヤクザな人で大変じゃないかい、リリィさん」
「え、そんなことはないですよっ。兄さんはとても優しくて……」
「リリィ! そんな奴に、いちいち答えてやらなくていいッ!」
妹に熱い視線を向けて纏わりつく黒い狼に、ビリーが物凄い剣幕で怒ります。リリィの方は礼儀正しいというべきか、黒い狼に律儀に答えてしまっているので、ますます事態を悪化させていました。
金の狼は思わず偏頭痛のするこめかみを抑え、黒い狼の白い鉢巻を後ろから引っ張りました。
「お前は! こんな状況で女性にうつつをぬかすなんて、どうかしてるんじゃないのか!? そんなだから精神がたるんで……」
「あ〜ら、それはどういう意味かしら〜?」
「!?」
金の狼が怒鳴ろうとした矢先、突然背後から怒りを抑えた女性の声がしました。その声に金の狼はぎくりと顔を強張らせます。
どちらかというと振り向きたくないと思いつつも、そちらを見ないわけにもいかない金の狼は、ぎくしゃくと首を後ろに巡らせました。そこには紅白の衣装を身に纏った女の猫が仁王立ちになっており、綺麗な顔をめいいっぱい怒らせて金の狼を睨み付けていました。
「アンディ! 恋愛と修行を混同しないでっていつも言ってるのに、『うつつをぬかす』とか、そんなこと言うわけ!?」
「ま、舞……! なんでここに……ッ」
「そんなことはどうでもいいの! 私の質問に答えなさい!」
白い猫耳と尻尾を威嚇するようにピンと立てて叫ぶその猫に、金の狼は今までの勢いはどこえやら、しり込みするように後ずさります。実はこの猫は金の狼に惚れ込んでいて、種族の違いなど飛び越えていつも求愛してきており、生真面目な金の狼は押しの強い彼女が苦手でした。
思わず助けを求めて金の狼は黒い狼の方を見ましたが、あちらはあちらでビリーとリリィの間に割って入り、大騒ぎになっていたので、とても助けを望める状態ではありませんでした。
「な…なんでこんなことに……」
突然の乱入者二名により、うやむやのうちに休戦状態になってしまったことを、金の狼は猫から説教をされつつ愁いました。




自然のままの森の中に無神経に付けられたタイヤの跡を辿り、赤ずきんちゃんはオジサンの家を目指していました。
元々『お見舞い』を申し付けられていたのですが、今は別の目的でそこへと向かっています。
「これはたぶん……足止めが目的だったのかもしれないな」
赤ずきんちゃんはお母さんから言いつけられたことを思い返し、その意味がそのままではないことに気が付き始めていました。実はお母さんはオジサンとさほど親しい関係にありません。赤ずきんちゃんに至ってはオジサンが大嫌いです。
しかしそれを分かった上でお母さんは赤ずきんちゃんにオジサンのお見舞いをしてくるように言いました。これは何か別の理由があったと考えるべきです。
車で走り去ったオジサンとすれ違い、その理由は明確になりつつありました。恐らく、オジサンが何か事を起こそうとしていることをお母さんは気が付いていたのかもしれません。だから『お見舞い』と称して様子を見てくるように言ったのでしょう。そしてあわよくば赤ずきんちゃんがオジサンの足止め役になればと思ったのかもしれません。
それを思うと、赤ずきんちゃんは花畑に寄っていたことでみすみすオジサンを逃がしてしまったことになります。それならばここで取って返してお母さんに報告するのが最良だと思われます。
しかし赤ずきんちゃんはオジサンのところへ向かっているであろう狼のことが気になって、オジサンの城に向かっていました。恐らく性根の曲がったオジサンのことです。狼が来ることを知っていれば、城の方にろくな土産を残していないでしょう。
狼の安否を心配する気持ちと、もしかしたらまた会えるのではという淡い期待とともに、赤ずきんちゃんはオジサンの城を目指しました。





「い…っててッ。あークソ! なんなんだここは……って、あれ?」
城の内部に侵入を果たした狼でしたが、仕掛けられた無数のトラップには流石に無傷ではいられず、所々に傷を負いながらも最上階へと辿り付きました。
そうして最後の物々しい扉を開けた瞬間、狼はその部屋の様子に驚いて瞬きを繰り返してしまいます。そこは他の無機質な部屋とは雰囲気が違い、女性の部屋を思わせる赤を基調にしたコーディネートがされていました。赤いカーテンに赤いバラ、ピンクの絨毯に鮮やかな風景画の数々…どう見てもギース・ハワードの趣味とは違うものでしたが、そこが最上階に位置し、もっとも厳重に守られていたところだということは確かでした。
どういうことだろうと、トラップを警戒しながらも狼は部屋へと入り、周りを見渡します。王宮貴族の部屋を思わせるその豪勢な部屋をざっと見て周った狼でしたが、部屋にトラップが一つもない事と、生活感が感じられないことに気が付きました。手入れはされているようですが、大きなクイーンベッドのシーツは真新しいままで置かれています。
「どういうことだ……?」
他と雰囲気を逸する部屋に、思わず首を傾げた狼でしたが、ベッドの脇の椅子に掛けられた一枚の毛皮に気付いて目を見開きました。
「あれは……!」
捜し求めていた養父の毛皮が置かれているのを目に留め、狼は迷わずそちらへ駆け出します。
しかし近くで物音がしたことに気付き、思わず足を止めました。今まで気配を絶っていたのか、この部屋の廊下に誰かがいる気配がします。
今の今までトラップには散々引っかかりましたが人間は一度も現われなかったので、狼は途端に慌てて周囲を見渡しました。ここが最上階で唯一の部屋であることから、階下に下りる以外に逃げ道はありません。部屋自体にも扉はたった一つでした。
いつものように相手を殴り倒す、ということが一瞬思いつかず、狼は焦って身を隠す場所を探しました。やましいこととは思っていませんが、女性の部屋らしきところにいたことが、狼を慌てさせてしまっていました。
外にいる誰かが、ドアノブがゆっくりと回すのを見て、狼は思わず咄嗟にベッドのシーツを捲って中に潜り込みます。そうしたところで、そこにいることがバレバレだということに気付いて我に返ったのは一瞬あとでしたが、時すでに遅く、その誰かは扉を開けて部屋に足を踏み入れていました。
ゆっくりとした足取りで静かな靴音を立てて近付く気配に、狼は頭からシーツを被ったまま冷や汗を流しました。




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コツ…コツ…と大理石の床の上を歩く足音に、狼は頭からシーツを被ったまま緊張の面持ちを浮かべました。
一瞬、ギース・ハワードだろうかと思いましたが、足音から察するに体重はあの男よりも遥かに軽いようです。気配も威圧的でないことから別の人物のようでした。
いやそれよりも、近付くにつれ、その気配が自分の知っているものだと気付きます。
「誰だ……?」
「!」
ベッドの横まで来たその人物が、不思議そうに呟きました。その声に、狼の予感が確信に変わります。
男らしさの中にどこか甘さのあるその声は、ロックのものでした。
別れて間もなく再会したことに狼は驚きつつも少し嬉しく思ったのですが、同時に赤ずきんちゃんがここへ来た理由を考えて顔を歪めました。赤ずきんちゃんは狼の思惑に気付きながらも、一応オジサンのお見舞いに来ているのです。
本人は乗り気ではなさそうだったとはいえ、赤ずきんちゃんはギース・ハワードに会わなければならず、そのためにここへ訪れたのでしょう。しかしギース・ハワードはすでにこの場にいません。
このシーツに身を隠しているのが自分だと知ったら赤ずきんちゃんは落胆するのではないだろうか、という思いが沸き、狼はシーツの中に隠れたまま悩みます。幸いまだ赤ずきんちゃんはベッドに寝ているのが狼とは気付いていないようでした。
「ギース……?」
「……あ、ああ。そうだ」
問われて、狼は咄嗟に声を低くして答えます。思わずギースだと言い張ってしまったことに冷や汗を流しつつ、狼はこのまま嘘を付き通すしかない…!と思い、被ったシーツを握り締めました。
狼の発した声はシーツの中でくぐもって不明瞭なものになっていましたが、赤ずきんちゃんは何か違和感を感じたのか、戸惑ったように少し間を置き、ぽつりと呟きました。
「なんか……声、違うような気がするけど」
「え、あ。……ウォッホン! ちょ、ちょっと風邪気味なんだ」
痛いところを指摘され、咄嗟に狼はわざと咳をして風邪をひいているように装います。しかし、こちらからは見えませんが、赤ずきんちゃんはまだどこか疑わしそうにベッドの横で身じろぎました。
「ふーん…。まあ病気だから見舞いに来たんだし、そうかもしれないけど。……この、シーツから出てる尻尾は何なんだ?」
「げ、しまっ……ああ、いや! こ、これはだなっ」
苦しい言い訳に一応納得しては見せたものの、赤ずきんちゃんはシーツの合間から出ていた狼の尻尾に気付いて指摘してきました。顔を隠すことに必死で尻尾が出ていることに言われるまで気付かなかった狼は思わず慌ててしまい、びくっと尻尾を跳ねさせます。
それを見た赤ずきんちゃんは興味を引かれたように、茶色の艶やかな尻尾に触れてきました。
「……動くんだ? これ」
「わ! さ、触るなよッ。これは……犬の尻尾なんだ。寒いからペットを抱え込んでてだな……」
「……犬? ああ、なるほどね」
またもや苦しい言い訳をしどろもどろに口にした狼に、赤ずきんちゃんは淡々と相槌を打ちます。けれど毛並みの良さを楽しむように尻尾を撫でる手は止めてくれませんでした。あまり他人に尻尾を触られるのを好かない狼は、優しいけれどむず痒いその感触に困った顔を浮かべます。
「あーっと。い、犬が嫌がってるから、手を離してくれないか?」
「……ああ、ごめん」
狼がそう言って頼むと、赤ずきんちゃんは少し寂しそうな声でそう言い、すぐに手を引っ込めました。言われて触れるのをやめてくれた赤ずきんちゃんでしたが、その思いのほか落胆した様子に、狼はなんだか悪いことをしたような気になります。しかし自分の尻尾なので、やはり触られるのは困ります。
微妙な気分で悩んでいた狼でしたが、赤ずきんちゃんはすんなり諦めたのか、近くにあった椅子を引き寄せてそこに座りました。そして、ガサゴソと籠の中を漁る音が聞こえてきます。
「これ、一応土産で持ってきたウイスキー。ちょっと色々あって、封が空いてて悪いんだけど」
「ああ、ありがとう。……そこに置いといてくれ」
「うん」
狼がそう返すと、赤ずきんちゃんは取り出したウイスキーの瓶を近くの小テーブルの上にコトンと置きました。続いて赤ずきんちゃんは何か大きなものを取り出し、ばさりと音を立ててテーブルに置きます。
「こっちは見舞いの花。来る途中で摘んで来たんだ。綺麗なのが咲いてるって教えてもらったからさ」
「ああ……ありがとうな」
赤ずきんちゃんがあのコスモスを花束にして持ってきてくれたのだと分かり、狼はシーツの中に埋もれたまま顔をほころばせました。あの時は咄嗟に話を逸らそうと思って言った提案でしたが、こうして赤ずきんちゃんがちゃんとお見舞い用に花を持ってきてくれたのかと思うと、やはり教えた側としては嬉しく感じます。
帽子を被っている分、余計に窮屈なシーツの中で機嫌良くふさふさの耳を動かして喜ぶ狼をよそに、赤ずきんちゃんは花を弄りながら呟きました。
「これ…さ。途中で会った狼に教えてもらって、近くの花畑で摘んできたんだ」
「そうか」
「……あの狼、強くてカッコ良かったよ。男の俺でも……惚れるくらい」
「! ……そ、そうか」
静かにそう告白する赤ずきんちゃんに、狼はドキリとしました。思わず相槌の声が裏返りそうになります。なんとか平静を装いつつも、狼は途端に忙しなくなった自分の心音を自覚して、余計に焦りました。
赤ずきんちゃんの言葉はとても嬉しかったのですが、今の状況ではどう感想を返していいのか分からず、狼は思わず黙りこくってしまいます。ギース・ハワードだと装っている今の状態では、赤ずきんちゃんにありがとうさえ言えません。
しばらくその場に、不自然な沈黙が降り下りました。その空気に狼が慌てて何か言おうと口を開いたのですが、赤ずきんちゃんが溜め息をつくのを聞いて言葉を呑み込みます。
「ごめん、どうでも良かったよな。……あ、そうそう。ランチにクラブハウスサンドを作って持ってきたんだ。食べるだろう?」
「え、あ、うん。ありがと……って、いやちょっと待て! そ、それは〜……」
話題を変えて、何やら美味しそうな匂いのするものを取り出した赤ずきんちゃんの問いかけに、狼は動揺したまま頷きそうになり、慌てて言葉を濁しました。赤ずきんちゃんのお手製のランチは大いに食べてみたいのですが、今、顔を出すわけにはいかないことに気付いたのです。
誘惑に駆られつつも正体を晒すわけにはいかず、狼はしばらくの逡巡の後、シーツの中から腕だけを外に出しました。
「もらうよ」
「え。なんだよ、それ。まさかシーツ被ったまま食べる気かよ」
「あ、ああ。ちょっと……風邪で顔がむくんでてな、見せたくないんだ」
非難の眼差しを向ける赤ずきんちゃんに、狼は咄嗟にそう言って誤魔化します。しかし赤ずきんちゃんは狼のその手を見て眼差しをきつくしました。
「包帯まいてるじゃないか。怪我してるんなら、無理するなよ」
「あ! いや、これは大したもんじゃないんだ。大丈夫、気にするな」
赤ずきんちゃんに手当てをしてもらった方の手を出してしまっていたことに気付き、狼はしまった!と焦りながらもひたすら大丈夫と繰り返します。
その様子に、赤ずきんちゃんはしばらく沈黙して、徐にまた溜め息をつきました。
「……いいよ。俺が嫌いなら、それでもいいから。お礼に食事くらいおごらせてくれよ、テリー」
「き、嫌いなんて、そんなんじゃないさ! 俺はただ……え? あれ?」
「最初から分かってるよ。もういいから、顔出しなよ。狼さん」
「……!」
赤ずきんちゃんの言葉に狼は驚いて、ガバッとシーツを跳ね除け、思わず顔を出します。明るくなった視界の中、傍にある椅子に座った赤ずきんちゃんは、こちらを可笑しそうに見ていました。
狼の姿を見ても平然としている赤ずきんちゃんに、狼は目を丸くします。
「……知ってたのか? ここにギースがいないって……」
「うん。……あいつが車で逃げていくのを見たから、さ」
狼の問いに、赤ずきんちゃんは翳りのある表情を浮かべ、意外な事実を口にしました。ギースが逃げていくところを見たのならば、確かに赤ずきんちゃんはここにいるのがギースでないことは最初から分かっていたのでしょう。
回り道になる花畑の方を通ってギース・ハワードが車で逃走したことを知り、狼は少し悔しげに顔を歪めます。
「ちくしょう……あの野郎」
「ごめん。俺が止めなくちゃいけなかったのに、みすみす逃がしちまって……」
「なに言ってるんだ! お前は関係ないだろう?」
「でも……テリーはあいつに用があったんだし」
「そりゃ確かに俺はそうだけど、お前は違うんだから……」
本当に申し訳なさそうに顔を俯かせる赤ずきんちゃんに、狼は身を乗り出して彼に非がないことを主張します。しかし何か責任を感じるように、赤ずきんちゃんの表情は晴れませんでした。
狼が掛ける言葉に悩んでいると、沈んだ表情をしていた赤ずきんちゃんはふと振り切るように顔を上げて、持っていたクラブハウスサンドを差し出してきました。
「償いにもならないけど、折角だし食べてくれよ。どうせあげなきゃいけなかった奴は、ここにいないんだし」
「え……いいのか?」
「ああ。口に合うかは分からないけど」
微かに笑いながら、赤ずきんちゃんがその色とりどりの美味しそうなサンドウィッチを差し出してきたので、狼はベッドの上で慌てて居住まいを正し、それを受け取ります。具のいっぱい入ったそれを目の前にした途端、空腹を自覚してお腹がきゅるると鳴り、狼はいただきますの言葉もそこそこに齧り付きました。
それは見た目の良さ以上に、具とソースのバランスが絶妙で、狼は美味しさに笑みを零します。
「美味い! こんな美味いの、初めて食べたぜっ」
「そんな大袈裟な……」
「いや、ホントだって! 俺、三食これでも絶対飽きない自信あるな」
「ははっ。そんなに言ってもらえるなら、光栄だよ」
ガツガツと音が聞こえてきそうなくらいに狼がクラブハウスサンドを頬張っているのを、赤ずきんちゃんは照れながらも楽しそうに見ています。美味しい食事に、美人の笑顔付きとくれば、狼も最高に幸せでした。
「なんか俺ばっか食べてちゃ悪いし、お前も食べろよ、ロック」
「え? いや俺は別にいらないよ」
「なんでだよ、こんなに美味いのに」
「自分の手料理なんて食べ飽きちまってるさ」
ふさふさの尻尾をベッドの上でパタパタと機嫌よく動かし、子供のようにはしゃぐ狼に赤ずきんちゃんは苦笑を浮かべます。その、赤い瞳を細めて柔らかく笑う姿に、狼はどきりとして、僅かに手を止めました。男で、しかも狼とは違って人間だと分かっているのですが、惹かれる気持ちがあることにやはり変わりはありません。
じっと見つめる視線に気付いて、赤ずきんちゃんはその意味を違う方向に捉えたらしく、手を横に振りました。
「いや、本当に俺はいらないぜ? 遠慮してるとか、ないからさ。……ああそうだ、デザートに果物も持ってきたんだ。これも食べる?」
そう言って、赤ずきんちゃんは今度は籠から苺を取り出します。クラブハウスサンドをぺろりと平らげた狼は、その熟れた赤い苺を目に留め、赤ずきんちゃんの顔を窺いました。
「いいのか? なんか俺、もらってばっかだけど」
「そんなの、俺の方こそあの花畑に連れて行ってくれたお礼がしたいだけよ」
だから気にしないで食べてほしいと言う赤ずきんちゃんに、狼は帽子の陰で一瞬目を細めてから、笑顔でじゃあもらうよと告げてそれに手を伸ばします。
苺を四つほど掌に乗せている赤ずきんちゃんのその手ごと、やんわり掴んで狼は自分の方に引き寄せました。その行動に赤ずきんちゃんは少し驚いたような表情をしましたが、狼は構わず手に乗っている苺を一つだけ器用に歯で挟んで食べました。
「……うん、美味いな」
「そ…そう。それならいいんだけど……」
手を掴んだまま苺を食べる狼に、赤ずきんちゃんは動揺したように視線をさ迷わせて答えます。手を払いのけたりといった拒絶の態度を見せない赤ずきんちゃんに、狼は薄く笑みを浮かべて次の苺を頬張りました。
掌に乗っていた苺をすべて平らげるまで、赤ずきんちゃんは困ったような顔をしつつも狼の行動を妨げたりはしてきませんでした。その事実に少し満足した狼は、顔を上げて赤ずきんちゃんを真正面からじっと見つめます。
「嫌がらないのか?」
「えっ……あ、いや別に」
「でもここまでやったら、流石に怒るか?」
慌てて首を振る赤ずきんちゃんの顔を窺いながらも、狼は妖しく目を細めてその細い指に舌先を滑らせました。濡れたその感触に、赤ずきんちゃんは驚いて過剰に肩を跳ねさせ、目を瞠ります。
その様子に狼は薄く笑いましたが、次の瞬間には真摯な眼差しで赤ずきんちゃんの赤い瞳を捉えました。
「本音を言うと、お前も喰いたい」
「な…っ…」
「ダメか?」
狼が欲望を吐露して、問いかけながら苺の香りが移った指先に唇を寄せると、赤ずきんちゃんは混乱した様子で瞬きを数度繰り返しました。しかしこちらの視線の意味に気付いたのか、赤ずきんちゃんは徐々に頬を染めていって、耐えかねた様に視線を外しました。
「そ…それは……、食料としてってことじゃあ……」
「ない。腹は十分に満たされてるさ。……そうじゃなくて、俺はお前が好きだからセックスしたいってこと」
「セ…ッ!? ちょ、何言って……!」
「子供じゃないんだ。分からないわけじゃないだろ?」
鋭く尖った犬歯で、傷付かない程度に優しく中指を食みながらそう言った狼に、赤ずきんちゃんは羞恥で白い肌を首もとまで真っ赤に染め上げて動揺します。しかし狼の強い眼差しから逃れられないのか、視線を逸らせぬままに困った顔をしました。
「分からないわけじゃないけど……本当にそういう意味で、なのか? 俺、男だぜ……?」
「さっき、お前も俺を気に入ってるって言ってくれただろう? それと同じさ。性別なんて関係ない。……それとも、お前はそういうことに拘る方か?」
「べ、別に拘らねぇよ……相手が、テリーなら、嫌じゃ…ないし」
「なら、構わないよな」
柔らかく微笑んで真摯な告白をする狼に、赤ずきんちゃんは瞳を揺らめかせます。その大きめの、やもすれば鋭くも見える目尻の切れ上がった赤い瞳が甘く潤んでいることから、赤ずきんちゃんも狼と同様の気持ちであることが窺えました。
しかし狼が空いた方の手を伸ばして赤ずきんちゃんの頬に触れようとすると、赤ずきんちゃんは顔を赤らめながらも、どこか痛みに耐えるように眉を寄せて目をぎゅっと瞑りました。
「ごめんっ、駄目だ……!」
「え……?」
「俺は、あんたに気にかけてもらえるような人間なんかじゃ……ない」
「なんで……」
「今までぼかしてたけど……ギース・ハワードは、俺の実の父親なんだ。今までまともに会ったことなんかほとんどなかったけど……それでもアイツの血が、俺の中に流れてるのは本当だ」
「……!」
赤ずきんちゃんの意外な告白に、狼は目を瞠りました。身内だとは知っていましたが、まさか直接的に親子だとは思わなかったのです。
それほど、狼の目から見て赤ずきんちゃんとギース・ハワードの共通点はありませんでした。言われてみて、人を真っ直ぐに射抜く眼差しの強さと、光の加減で銀にも見える鮮やかな金髪が精々同じに思えるくらいです。
「ギースは表立って俺の存在は認めてないし、必要としてもいないけど……死んだ俺の母親だけは大切にしてた。この部屋は、ギースが特別に作らせた母さんの部屋なんだ」
視線を重たげに落とし、赤ずきんちゃんはこの部屋の真相を語りました。狼はそれを聞き、茶色の大きな耳を立てて部屋の中を改めて見回します。城の最上階に位置し、他とは明らかに違った内装が施されていた理由を知り、納得すると同時にどれだけギースがその女性を大切にしていたかが窺えました。
きょろりと周りに首を巡らせて驚く狼に視線を向け、赤ずきんちゃんは寂しげに目を細めます。
「だから……俺はあんたといるには相応しくないんだよ」
「それは違うぞ」
苦渋に満ちた赤ずきんちゃんの言葉に、狼は存外きっぱりと否定しました。語気の強さに顔を跳ね上げた赤ずきんちゃんは、狼の強い眼差しにまっすぐ射抜かれて、目を瞠ります。
「俺は『お前が』好きなんだ。ギース・ハワードの息子だとか、そんなのは関係ない」
「でもッ、テリーはギースを憎んでるんだろう……!?」
「ああ、憎んでる。許す気なんか、これっぽっちもない。……でもアイツとお前のことは別問題だ。お前はギースじゃない。俺が好きになったのは、ちょっと生意気だけど優しく美人なロック・ハワードだからな」
「テリー……」
ロックは呆然と、目の前で微笑むテリーを見つめました。その鮮やかなスカイブルーの瞳は優しく笑いかけながらも、真摯な色を帯びていて、テリーが本気で言っているのだと分かります。
互いに吸い寄せられるように距離を縮め、顔を寄せ合い、狼は空いた方の手で赤ずきんちゃんの顎をやんわりと掬い上げました。それに赤ずきんちゃんは戸惑いながらも、顔を赤らめるだけで逃げようとはせず、狼の口付けを受け止めます。柔らかい唇に吸い付き、薄く開いたところで舌を絡めて戯れるように舐ると、赤ずきんちゃんは体を強張らせて緊張しながらも狼のキスに答えようと恐る恐る舌を絡ませてきました。
こういったことは初めてなのか、本当に拙い動きをするそれに狼は思わず笑みを浮かべつつも、キスをしたまま赤ずきんちゃんの腰を抱き、ベッドに乗り上げさせました。何を、と目を見開いて視線で問う赤ずきんちゃんに言葉を発する隙を与えず、狼は位置を入れ替えて赤ずきんちゃんをベッドに押し倒します。
「ちょっ、待……テリー!」
「なんだ、嫌か?」
慌てたように体の下でもがく赤ずきんちゃんに、狼は少し首を傾げて問いかけると、赤ずきんちゃんは顔を赤らめたまま咄嗟に二の句が告げず、口をぱくぱくさせました。掌に指を絡めるだけで、無理強いしない程度に緩くベッドに縫い付ける狼に、赤ずきんちゃんは逃げ道が用意されていることを知り、しばらく言葉に迷ったように視線をさ迷わせます。
上から覆いかぶさったまま静かに返事を待つ狼に、赤ずきんちゃんは散々悩んだ末、覚悟を決めたように一つ息をつきました。そして絡まった狼の手をやんわりと解き、赤ずきんちゃんは自ら狼の首に腕を絡めます。
「いいよ……しよう。俺もテリーのこと、好きだから」
「……OK」
少し生意気そうな笑みを浮かべ、赤ずきんちゃんがそう言って承諾するのを聞き、狼もまた微笑んで了解のキスを返しました。




突然の乱入者のために事態の混乱を招いた狼達とビリーでしたが、ビリーにかかってきた一本の電話が最初の転機となりました。
鳴り出した携帯電話を取ったビリーは、電話口で礼儀正しい返事を二、三言返します。
「はい、分かりました。では引き上げます」
そう言い、通話を切ったビリーは妹の方に向き直り、手を引きました。
「帰るぞ、リリィ」
「え、どういうこと? お兄ちゃん」
腕を掴んだまま茂みの方へと歩いていくビリーに、リリィは戸惑いの声をあげます。それを見て、黒い狼は非難を浴びせました。
「ちょっと待て! どこ行く気だよ!?」
「家に帰るだけさ。もうこの森に用はないからな」
酷薄に笑うビリーに、アンディは引っかかりを感じて眉をひそめます。
「どういう意味だ……!?」
「ギース様は、もうここにはいない。ハッ……そういうことさ!」
高らかに笑い声をあげ、ビリーはリリィを連れたまま茂みの中へと飛び込みました。言葉の意味を理解して騒然となった狼達は、慌てて二人を追いましたが、ビリーは隠してあったバイクに跨り、後部座席にリリィを乗せてエンジン音を響かせました。
「テメェらなんざ、一生かかってもギース様に追いつけねぇよ! さっさと諦めてママんとこに帰りな!」
「待てッ、この野郎……!!」
捨て台詞と共に発進したバイクを止めようと狼達は追い縋りますが、いくら身体能力の優れた彼らでもバイクにはとても追いつけません。
まんまと逃げられてしまったことに、狼達は歯噛みします。
「ギースにも逃げられてたなんて……! ビリーは足止め役だったってことかッ」
「うおー! リリィさん、あんな不良兄貴からは俺がちゃんと救ってやるからな!」
「なんでお前はそっちで悔しがるんだッッ、ジョー!!」
明らかに違う方向に意気込みを見せる黒い狼に、金の狼は青筋を立てて怒ります。緊張感のない仲間に、憤りさえ感じました。
「でもどうするの? 肝心の敵には逃げられちゃって」
一部始終を見ていた猫が意外な展開に眉を寄せて問いかけると、金の狼はそちらを振り返り、同じく困った顔で唸ります。
「ビリーもギースもいないんじゃあ……。あ、ということは、兄さんもギースには追いつけなかったってことか!?」
「そうなるわよね。もぬけのカラの城に、意味もなく挑んでることになっちゃうもの」
「そうだよ! 早く呼び戻さなくちゃ……!」
金の狼はもう一度狼特有の叫びで兄に連絡を取ろうと口を開きかけましたが、流石にこの距離では聞こえないことに気付いて叫ぶのを止めました。
連絡を取る手段がないことに金の狼が戸惑っていたその時、いきなり森の中に街の方角から走ってきた車が乱入してきて、狼達の前で急停止します。物凄い勢いで、しかし不思議と危なげもなく森に乗り上げて、黒々と光るベンツが目の前に現れました。
驚きに狼達が身を退いてそれを見つめていると、その車の窓ガラスがゆっくりと降り、貴族を思わせる麗人が顔を覗かせました。
「君達は、まだこんなところにいたのか。これでは確かに、ギースには及ぶまい」
「な……! なんだ、貴様は……ッ」
柔らかな長い金髪に、女性に見まがうような整った顔立ちのその男が、冷淡な眼差しでこちらを流し見たので、狼達はその態度に表情を険しくします。しかしその男はその剣幕に臆することもなく、淡々と答えました。
「私か? 私はカイン・R・ハインライン。戸籍上は、ギースの義弟ということになるな」
「ギースの……!? じゃあお前も…ッ」
「ああ、待ちたまえ。名目上はそういうことになっているだけで、私は彼のやり方はあまり好かない」
冷笑を湛えてそう言うカインに、金の狼は怪訝な眼差しを向けます。新手の敵かと思いましたが、その態度から少し違うように思われました。
何が目的だろうと探るような目で見ていると、カインは手袋を嵌めた手を顎に当て、ところで…と話を切り出しました。
「ここに、赤い上着を着た青年が来なかったかな。私は彼の保護者でね。ギースの魔の手に掛かっていないか心配で、こちらまで足を運んだのだよ」
「あ! まさか、あの男の子の……!?」
「心当たりがあるのかねッ!? どこに行ったか、是非教えてくれたまえ!」
金の狼が赤ずきんちゃんの姿を思い出して声をあげると、カインは途端に目の色を変えて身を乗り出してきました。随分と態度を変えて必死の形相をするカインに、金の狼も彼が赤ずきんちゃんの身を一番に案じていることを感じます。
赤ずきんちゃんといい、このカインといい、ギースの関係者ではあるようですが、組織の者とは違ってギースに賛同していないような節が見られました。
「あの子供なら、一度花畑に寄ってからギースのところに向かったんじゃないのか?」
「花畑?」
「ああ、あっちにコスモスが咲いてるんだ。そっちに行ってからは見かけてないぜ」
黒い狼が顎を掻きながら花畑の方を指差してそういうと、カインはそちらに目を向けました。それに、金の狼が言葉を付け足します。
「僕の兄さんなら行方を知っているかもしれない。途中までは一緒だったから」
「本当かね? では君の兄上は、今どこにいるのだろうか」
「兄さんはギースの城に向かったよ。それは間違いない」
狼達が皆一致でそう頷くのを見て、カインは考え込むこともなくギースの城がある方へと視線を向けました。
「有難う。ではその狼を探しに行こう。……出してくれ、グラント」
「分かった」
奥の方で陰になっていて見えなかったが、運転席に座っていた大男がカインの命令を受けて、アクセルを踏もうとしました。それを、それまで傍観していた猫がどこからともなく出した扇子を広げて柳眉を立て、怒りを露にしました。
「ちょっと! 教えてあげたのに、その態度はないんじゃないの!? こっちだってテリーには用があるんだし、その車で送ってやろうとか親切心が沸かないわけッ!?」
「ちょ、ちょっと、舞! いきなり失礼だろう!」
豊満な胸を揺らして叫ぶ猫を、金の狼が慌てて宥めます。しかしカインはグラントに制止の手を示し、猫の言い分に頷きました。
「いや、確かに私の方が礼儀がなっていなかったようだ。君達もその狼に用があるのなら、乗っていきたまえ」
「え……いいのか?」
「構わない。3人くらいなら増えたところで、さして重荷にはなるまい」
カインがそう言って承諾すると、猫は当然よ!とばかりにドアを開けて早々にベンツへ乗り込みます。戸惑う金の狼をよそに、黒い狼も躊躇いなく中へと乗り込みました。
「ちょ、ちょっと二人とも……!?」
「何してんのよ、アンディ! 早く乗ってよ、時間ないんだから!」
「え、でも本当に信用できるのかどうか……」
「そんなの最初っから無いわよ! でも歩いて行くなんて面倒くさいじゃないの!」
「そ、そういう理由っ!?」
はっきりバッサリ言い切る猫に腕を引っ張られ、金の狼は戸惑いながらも車内へと引っ張り込まれてしまいました。ドアを早々に閉め、完全に仕切ったように猫は扇子を前方に向けます。
「ほら、さっさと出してちょうだい! でも変なところに連れて行ったら承知しないから!」
「言われるまでもない。それに、君達をどうこうする気は毛頭ないさ。……私はロックくんを無事に連れ戻せればいいだけだからね」
軽く猫の言葉を流し、カインは横に座る大男に目配せします。大男は顎を引いて頷き、アクセルを踏み込みました。



お城の最上階の部屋で、二人は邪魔な帽子や上着を互いに取り払い、体温を感じ合うように薄着で体を重ね合わせました。
しかし探るようにシャツの裾を手繰り、素肌に手を這わせる狼に、赤ずきんちゃんはどうしていいか分からずに体を緊張で強張らせたままでした。
「そんなガチガチなるなよ。もっとリラックス、リラックス」
「で、出来るわけないだろ……! …んっ」
シャツを捲り上げられ、胸の頂を指先で弄られた赤ずきんちゃんは眉根を寄せて呻きます。真新しいシーツに埋もれるように上から押さえられている赤ずきんちゃんは顔を逸らすこともままならず、触られるたびに反応を返す自分を冷静に見つめる狼に、非難の眼差しを向けました。
「なんか……馬鹿にしてるだろっ」
「してないさ。でも初めてなんだな、こういうの」
「悪かったなッ。そんな、テリーみたいに慣れてなんかないよっ……、くッ」
肩口に顔を埋め、狼が首筋にきつく吸い付きながら胸の突起を両方押し潰すように弄ってきたので、赤ずきんちゃんは顔を紅潮させて悲鳴を噛み殺します。自分が普段と違う声を漏らしてしまうことが恥ずかしくて唇を噛み締めるですが、その様子に気付いた狼が直接下肢に手を差し入れてきました。
「! ……ッ…あ!」
闘いに節くれた無骨な指が、器用に革のパンツを緩めて素肌を外気に晒していきます。熱を持って緩く反応しかけていたところに指を絡められ、赤ずきんちゃんは羞恥に顔を背けました。しかし間近にある狼が纏わり付くような視線を向けていることを感じてしまい、余計に赤ずきんちゃんの体温は上がります。
「っ…、っ……ぅ…!」
赤ずきんちゃんの反応を見ながら、狼は徐々に中心への愛撫を強め、同時に胸の飾りを口に含んで転がしました。拒絶はしないものの、声が出ることを嫌がる赤ずきんちゃんの態度を非難するように、狼は感じる複数箇所を攻めてきます。空いた手で自分の口を塞ごうとした手も、シーツに縫い止められてしまいました。
「やっ…! テリ…ッ…」
「なんで? イイ声じゃないか」
心底楽しそうに微笑む狼を、赤ずきんちゃんは眉を寄せて睨みつけましたが、潤んだ目ではあまり効果がありません。悪戯な手を止めることも出来ず、赤ずきんちゃんはなんとか手だけでも解こうとしますが、抵抗すると余計に両腕をまとめ直して、頭上に押さえつけられてしまいました。
「ッハ! ぅ…っ。やだ…、テ…! キ…ス、…キス、してっ!」
「なんだよ、そんなに嫌なのか……? すごく、そそるんだけど?」
「…っ、あ…!」
愛撫を止めないまま、耳元で狼に吐息交じりの声で囁かれ、赤ずきんちゃんはびくりと体を跳ねさせました。既に狼の手の中で、赤ずきんちゃんの下肢は濡れそぼって熱くなっています。
好きな人に触れられるだけでも充分に悦ぶ未開発な体は、狼の器用な愛撫に早々に根をあげ始めていました。初めての行為ということもあって、赤ずきんちゃんは自分の理性が早くも霞みそうになっていくのを感じます。
「テ、リ…ッ…!」
「分かったって。……そんな目で睨むなよ、無茶苦茶にしたくなるだろ」
そう苦笑まじりに言葉を零し、狼は赤ずきんちゃんの望むとおりにキスをしました。しかし深く喰らいつくように唇を割り、舌を絡めてくるその感触に、赤ずきんちゃんは目をぎゅっと閉じて喉をひくつかせます。狼にはなんてこともないものでしょうが、初心者の赤ずきんちゃんにはキス一つでも十分に刺激が強すぎました。
「ん…っ、む……ッ!」
追い上げるように強弱を付けて愛撫を施され、赤ずきんちゃんは耐え切れずに狼の手の中で果てます。幸い、嬌声はキスに呑み込まれて聞かずに済んだのですが、断続的に吐き出す欲望が止められず、赤ずきんちゃんは体を弓なりに逸らせて体を震わせました。
強い解放の余韻に、荒い息をつく赤ずきんちゃんの蕩けた表情に、狼が目を細めて喉を鳴らします。
まだ意識がぼんやりしている赤ずきんちゃんの片足を肩に掛け、狼は粘ついた指先を奥の窄まりへと滑らせます。自分でさえ滅多に触れない箇所を探るその感触に、赤ずきんちゃんは思わず腰を浮かせました。
「な…ッ、にをっ」
「まさか、やり方を知らないわけじゃないだろう」
「知ってるけど、でも……!」
深く潜り込み、中を探られる感触に赤ずきんちゃんは声をうわずらせます。日常ではまず有り得ない異物感に混乱して、赤ずきんちゃんは漏れそうになる悲鳴を自分の指を噛むことで抑えました。
「噛んだ痕が残ったら、大変だろ。俺の指にしておけよ」
「ふッ、ぅ!」
そう言って狼は赤ずきんちゃんの手を外し、自分の指を唇から割り込ませて口腔内を掻き乱しました。加減を緩めることなく下肢を慣らしながらも、柔らかくキスを落とす気遣いを見せる狼に、赤ずきんちゃんは痛みと圧迫感に耐えながらも縋り付きます。
長い金髪に指先が触れ、赤ずきんちゃんはそれをがむしゃらに引きました。
「……痛いって。引っ張るなよ」
「ぅぐっ……、ふ…っ!」
「ん? どうした?」
何かを訴える眼差しに気づき、狼は赤ずきんちゃんの口から指を除けます。すると、大きく息をついて、赤ずきんちゃんは涙目のまま狼を見上げました。
「も…、十分だろ…っ? 挿…て、いいか…ッら!」
「ロック……」
大分緩んだとはいえ、まだ簡単に事が運ぶまでにはいかない段階でしたが、赤ずきんちゃんはそう言って行為を促します。その健気な訴えに狼は逡巡を見せたものの、流石に自分の理性を抑えるにはそろそろ限界が来ていたので、赤ずきんちゃんの言葉に従いました。
「後ろからの方が、少しでもラクなはずだから……」
そう告げて、狼は指を引き抜き、赤ずきんちゃんをうつ伏せに寝かせて腰を上げさせます。力の入らない下半身に叱咤して膝立ち、赤ずきんちゃんもまた狼のやりやすいように協力をしました。訪れるであろう未知の痛みに恐怖は拭えませんが、赤ずきんちゃんはシーツを握り締めてその時を待ちます。
「テリーも……気持ちよくなって、ほしい」
「ロック……ありがとうな」
嬉しい言葉を口にしてくれた赤ずきんちゃんに、狼は覆いかぶさって首筋にキスを落として答えます。そして、できるだけ赤ずきんちゃんを傷つけないように慎重に腰を進めました。
「……ッッ!!」
しかし狭い赤ずきんちゃんの中にすんなり入り込むにはまだ難しく、赤ずきんちゃんは走る激痛と圧迫感に声もなく息を呑みます。狼もまた、そのきつい締め付けに眉根を寄せました。
「悪い……ちょっと無理する、ぜッ」
「ひぁッ――……!」
やむなく、狼は謝りながら一番入りづらい難関を強引に進めました。引き裂かれるような痛みに、赤ずきんちゃんの体が大きく跳ね上がります。
しかしなんとか奥まで入り込め、互いの肌が密着した状態になり、狼は後ろから抱きかかえるように荒い息をつく赤ずきんちゃんの体を優しく宥めました。下半身から響く痛みに顔を歪めていた赤ずきんちゃんでしたが、辛抱強く狼が愛撫を施しているうちに、少し痛みが治まってきます。
途切れ途切れに、大丈夫だからと言って先を促した赤ずきんちゃんを、狼は心配した表情で見ながらも、熱が体中を巡っていて暴れだす寸前だったので、その誘惑には勝てませんでした。
「ロック……っ」
「! あ、ふぁ…ッ…! んんッ!」
促されるまま、狼は赤ずきんちゃんの腰を抱いて動きました。圧迫感と未知の感覚に、赤ずきんちゃんが耐え切れずに声をあげます。
しかし逃げることを決してしない赤ずきんちゃんに狼は愛しさを感じ、強弱をつけて熱い中を貪りながらも、しなやかな背にキスを降らせました。
「好きだ……、ロックっ」
「っ、……テ、リ…ッ。……あっ」
痛みだけでない感覚を感じ始めた赤ずきんちゃんは、頬を紅潮させながら肩越しに狼を見つめます。狼もまた、赤ずきんちゃんに顔を寄せて笑いかけました。
「ロック、一緒に――」
狼がそう言って、赤ずきんちゃんと頂点まで昇りつめようとしたまさにその時。
『ヒムリッシュ・ゼーレッッ!!』
いきなり高らかに叫ぶ声が響き渡り、ドアが吹っ飛びました。
「「!!?」」
部屋を一瞬で半壊させるその爆発に、狼と赤ずきんちゃんはベッドから転げ落ちます。勢いで繋がりの解けた二人は、突然の事態に驚きながら、煙の立ち込める部屋を見渡しました。
爆発の起こった方に視線を向けると、壁をドアごと見事に吹き飛ばした状態で、一人の男が立っています。しかもその表情は、完全に怒りに染まっていました。
「貴様……ッ! 獣の分際で、よくも私の可愛いロックくんを汚してくれたなッ!!」
「――げ。カイン!?」
怒り狂っているその人物が、ギースの見舞いを申し付けたお母さん(便宜上)のカイン・R・ハインラインだということに気付き、赤ずきんちゃんは先程の甘い余韻もすっかり引いてしまうくらいに顔を引き攣らせました。彼は危険なくらいに、赤ずきんちゃんを溺愛している男です。
カインを初めて見た狼は彼が誰であるか分かりませんでしたが、不穏な雰囲気に自分が敵視されていることはハッキリと感じました。
「今すぐそこから退きたまえ、ロックくん。その不届きな狼、私が消し炭にしてあげよう……!」
「お、おいっ待てよ! 合意のことだってッ、カイン!」
赤ずきんちゃんは慌てて制止しますが、カインは怒り狂っていて聞いていません。もう一度技を放とうと、全身に力を込めます。
「ヒムリッシュ――!」
「龍炎舞ッ!!」
今まさに襲い来るかと思った瞬間、突然背後から巻き上がった炎に、カインは呑まれて吹き飛ばされました。狼と赤ずきんちゃんがその展開を唖然と見ていると、煙の向こうから猫が胸を張って現れます。
「合意の上なら、私は大賛成よvv ほら、今のうちにさっさとお逃げなさいな、お二人さん」
「舞……!」
知り合いが助け舟を出してくれたことに気付き、狼は笑みを浮かべました。小粋にウインクを寄越す猫とその後ろからついて現れた金の狼と黒い狼に赤ずきんちゃんはきょとんとした表情をしましたが、狼の明るい表情から彼の仲間であることがわかって助けが入ったことを知ります。
狼は素早い切り替えで近くに掛けられていた毛皮を取り、裸の赤ずきんちゃんをそれで覆い、抱きかかえました。それに驚いた赤ずきんちゃんは狼の肩に担がれたまま声をあげます。
「テリー!?」
「悪いが、俺は欲張りなんだ。養父さんの形見も、ロックも頂いていくぜ!」
狼は鮮やかに笑い、人を担いでいるとは思えない走りで狼達の横をすり抜けて部屋を脱出しました。それを見送る猫は、満足そうな笑みを浮かべてます。
「保護者でも、恋路を邪魔しちゃ馬に蹴られるものよ♪」
「蹴られたって言うより、燃やされてるね……」
過激な行動に金の狼はげんなりとツッコミを入れましたが、猫の行動を諌めることはしません。黒い狼もまた、二人の後ろ姿を面白そうに眺めるだけでした。
狼と赤ずきんちゃんの姿が見えなくなってしばらく沈黙し、不意に三人は顔を見合わせて笑いました。自分の仲間にはやはり幸せでいてもらいたいものです。
しかし、砂利を靴底でする音が聞こえたかと思うと、憂いを帯びた溜息が辺りに響きました。
「まったく……なんて野蛮な連中だ」
「! あんた、無事だったの……!?」
大して何事もなく、コートの埃を払いながらすっくと立ち上がったカインに気付き、猫はぎょっとして後ずさります。背後からの奇襲を受けたにも関わらず火傷一つ負っていないその様子に、金の狼も黒い狼も思わず身構えました。
その様子にカインは妖しく笑い、手袋に覆われた右手に蒼い炎を灯します。
「さて、私のロック君をかどわかした代償、支払ってもらおうか……!」
「待て、カイン」
カインが集束した力を放とうとしたとき、狼達の背後に位置するドアから突然、仮面を付けた巨漢が現れました。新たな敵、しかも挟み撃ちかと思わず狼達は気色ばみます。その大男は、先程までカインの車を運転していた男です。
しかしその大男は狼達の横を素通りしてカインの方へと歩み寄り、真正面に佇んでゆっくりと首を横にふりました。「分かっているだろう。……ロックが自分自身で選んだ相手だ、止めたところでどうにもなるまい」
「なッ…! お前までが、そんなことを口にするとは思わなかったぞっ」
「冷静になれ、カイン。普段のお前なら、本人の幸せを一番に考えるはずだろう。ロックが……姉の息子というだけで執着するのは良くない」
「……!」
大男の説得に、カインは言葉を詰まらせます。図星だったのでしょう、秀麗な顔を歪めて顔を逸らせました。
狼達が事情を呑み込めずに一体何事だろうと不思議そうに見ていると、その視線と大男の威圧に耐え切れなかったのか、カインは右手の炎を振り払い、さっと身を翻しました。
「……これから、ギースを追う。グラント、付いて来い!」
「カイン……」
不本意ながらもロックの行動を黙認しようと決めたのか、カインが語気も荒く怒鳴りつけるようにグラントに命令して部屋を出て行きます。その態度が決まりの悪さを隠すためだと知っていたグラントは仮面の奥で苦笑を零し、カインの背を追いました。
事態を沈黙したまま見守っていた狼達に、グラントは部屋から出る前に一言声を掛けます。
「ロック・ハワードを宜しく頼む」
「え、あ、はい……!」
反射的に猫が返事をし、大袈裟なほど首を立てに振ります。それを目の端に止めるか否かで、グラントは部屋を出て行きました。
しばらくして、どうやら狼と赤ずきんちゃんの仲を認めてもらえたらしいことを認識し、狼達は少し柔らかい笑みを零しました。





END


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ロックの誕生祭に、一週間ごとにアップしたパラレル小説でした。
久々にノルマの圧迫を受けつつ、うんうん唸りながら書きましたよ(笑)。
テリーとロックが何の先入観もないまま、25歳と17歳の状態で会うとどうなるか、というのが密かな課題だったり。
一応修正も加えてみたりもしたのですが……微妙な出来ですみません;