RUN!




その大会は、今まで一度も無事に終わったことがない。もはや格闘技の範疇を越えつつある『キング・オブ・ファイターズ』は、毎回いわくつきで有名だった。
今回もまたそうなのだろうと思いながらも、根っからの格闘好きであるテリーとロックには招待を断る理由などなく、寧ろちょうど強い相手が欲しかったところだと喜んだ。丁寧な招待状に従い、身軽な二人は今大会の開催地であるサウスタウンへと早々に赴いた。それがちょうど三週間前のことだったろうか。
「……フッ!」
格闘をやっている時と食べている時が最高に上機嫌なテリーのことをふと思い出して、ロックは息つぎとともに苦笑を吐き出し、振り上げられた足をかわした。
半歩退いて紙一重で避けたそれは、鼻先を掠めて前髪を弾いていく。ロックはすぐに低姿勢で相手の懐に潜り込み、肘を突き上げた。
相手の男は咄嗟に体を後ろに引いてダメージを軽減したものの、肋骨に打ち据えられた衝撃は殺しきれずに、幾らか吹き飛んだ。必然的に開いた間合いに、攻め手の側であったはずのロックの方が思わず安堵する。距離があれば安全というわけではないが、威圧感は僅かに和らぐからだ。
「……ったく、厄介だぜ」
激しい動きに伴って体温は否応なく引き上げられていくが、背中に伝わる冷汗だけは心を強張らせていく。ロックはかさついた下唇を舐めて、落ち着けと自分に言い聞かせた。
今回の大会はいつもテリーが参加しているチーム戦での試合ではない。ギース亡きサウスタウンでは、久しく開かれていなかった個人戦だった。そうは言うものの、参加メンバーはお馴染みの顔ばかりで、いつもテリーに付いて観戦していた身としては特別目新しいということはなかった。
ただしいつもそうだが、大会には主催者の何かしら思惑が絡んでいる。大体は大会の終盤になってやっと分かり始めるのだが、今回はしばらくもしないうちにからくりが分かり始めていた。事前に情報収集していたことも気付く要因ではあったが、何よりも五戦目にして当たった対戦者の目が全てを物語っている。
今、ロックが目の前にしている男は、アルバ・メイラと言い、若いギャング団のリーダーだった。噂によるとあらぬ容疑を掛けられ、現在サウスタウンを牛耳っているメフィストフェレスというギャングに復讐を誓っているとか。
招待状にはメタトロン財団が主催をしていると書かれていたが、ハイエナと呼ばれる男から、それは表向きで本当はメフィストフェレスというギャングだと聞いたときにピンときたのだ。この大会が何のために開かれたか……もっと言えば、一体誰を罠に掛けるために開かれたのか、ということを考えれば、このアルバ・メイラかその弟のソワレ・メイラくらいしか該当者はいなかった。
とはいえ、もちろんロックも詳しいことは知らない。だが、こうして拳を合わせれば自ずと分かるものはある。テリー程の実践経験はないにしても、相手の覚悟がどれほどのものか肌で感じられるくらいにはなったつもりだった。
この男は、何としても誰かに復讐を果たすつもりだ。そのためなら何をも厭わない、そんな冷酷さが、サングラスで阻まれた眼差しで感じる。
状況から考えれば、恐らく彼は背水の陣なのだろう。だがどこまでも冷静さを失わない格闘スタイルは、覚悟と共に自信を表していた。身を投げ打つような真似はせず、確実に目的を果たそうとする『生きた』眼だ。
それだけでも十分に手強いというのに、アルバの実力は本物で、流石のロックも先程から押しつ押されつでなかなか決定打が出せないでいる。互いの格闘スタイルが力でなく技に頼ったものであることも、闘いを長引かせる要因だった。
的確に反応するアルバは、なかなかこちらの撹乱やカウンターに引っ掛かってはくれない。しかし向こうも、ロックが纏わり付くように動くと攻撃が思うように出来ないらしく、攻めあぐんでいる様子だった。
このままでは確実に消耗戦になる。しかし分かっていても、打開策が思い付かなかった。
「ハァッ!」
「ふっ……ぅらッ!」
間合いを詰めてきたアルバの掌底を受けて一瞬息を詰めながらも、ロックは直ぐさま一歩踏み込んで打点の低い蹴りを放つ。咄嗟に防御したアルバを尻目にロックは僅かに身を退き、向こうが反撃しようと動いた瞬間、いきなり大きく踏み込んだ。繰り出された鋭い風を纏う拳に自ら当たりにいくかのようにみせて、飛び込み前転でそれをかわし、ロックはアルバの間合いに入り込んだ。
これまで長引いた闘いでどちらもがダメージを蓄積している。この密着状態が最大のチャンスだと思い、ロックは大量の気を練り上げた。
「レイジング……」
交えた両の腕から青いオーラを立ち上らせて、ロックは間近の標的を睨み付けた。アルバも反撃に出ようとするが、僅かにこちらの方が早い。闘いの勝敗など、コンマ一秒の差で決まってしまうものだ。
これが決まれば勝てる、か……!?
長い足が唸りをあげて近付く気配に総毛立ちながら、ロックは練り上げた気を地面に叩き付けようとした。限りなく五分五分に近いが、若干こちらが有利だと踏んで強行姿勢に出る。
「ストー……!」
いつもの、慣れた技。ロックは叫ぼうとした。
だが、アルバと間近で眼が合った瞬間、思わず言葉をなくしていた。
紅いサングラスの奥にあるその眼は、長く堆積して染み付いた怒りと、何をも敵に回す覚悟を秘めた恩讐の色を宿していた。負けられない、最初から逃げる場所なんてないのだと、たとえ修羅の道であろうと突き進む以外ないのだと。そんな、強い意志を持った眼だった。
それを直視した瞬間、ロックは自分の中に激しい動揺が走ったのを自覚した。その眼差しが、忘れもしない、あの時に見せた――ギースとの闘いに赴く時にテリーが見せた眼差しと酷似していたからだ。
「……!」
狼狽え、気を揺らめかせたロックはその瞬間、敵の前に隙を晒け出していた。それをアルバが見逃すはずもなく。
勝敗を決するのに、コンマ一秒もかかりはしない。
「ッ――!」
弱まったオーラを打ち破り、重い蹴りがロックの胸と腹を襲った。体の捻りで加速したそれは各急所に連続で打ち込まれ、ロックの体は衝撃で跳ね上がる。鋭い痛みが駆け抜け、圧迫で息が詰まった。
何撃目かを受けて後方へと大きく吹き飛ばされた瞬間、追い撃ちの一撃がロックの全身を焼いた。
「覇王雷光拳ッ!」
「ぅぐあぁ…っ!」
焼け付く肌の痛みに、ロックは悲鳴をあげた。アルバの手から放たれたまばゆい光に網膜の奥まで白く塗り潰され、視界は白地と化す。脳髄をも痺れさせるその雷撃は間断なく体を叩き、激痛を上塗りしていった。
悲鳴さえ飲み込まれたロックは大きく吹き飛ばされ、背後の鉄柵に体を強打し、そこで意識はぶつりと途絶えた。


何か、懐かしい感触がした。
だが、同時に違和感も感じた。この気配は、いつもと違う……。
重い瞼を押し上げ、ロックは目を開けた。
「ん……」
「……起きたか?」
眉間に皺を寄せながらどうにか目を開け、声の主に焦点を結ぶ。いつも見慣れているものとは違う、赤と黒の色彩を纏ったその人を、ロックはしばらくぼんやりと見つめた。だが意識がはっきりとしてくると、こちらを覗き込む男がアルバだということや、闘って自分が負けた事実を思い出した。
「あ…っ…、そうか。俺、気絶してたのか……」
緩く息を吐き出し、ロックは上体を起こした。ビルの屋上で戦っていたはずだが、いつの間にか休憩室のベンチに横たえられていた。
まだ痛みの残る後頭部をさすりながら、座り直したロックは隣で寛ぐアルバに視線を向ける。
「悪ィ……、わざわざ看ててくれたのか?」
「ついていただけで、別に大したことはしていない。……それに今はBブロックの結果待ちで、どちらにしろ暇だからな」
特に何を思うでもなく、淡々とアルバは答えた。本当に手持ち無沙汰なのか、黒いグローブに包まれた手には、飲みかけの缶コーヒーが握られている。
廊下の途中に設けられたような、狭く簡素な休憩場所をぐるりと見渡してから、ロックはアルバに視線を戻した。
「……誰もいないな。そのBブロックの方に、みんな行ったのか?」
窺うように、ロックは控えめに聞いてみる。アルバは赤髪にサングラスのうえに、ライダースーツのような隙のない服装をしているので、ただでさえ雰囲気が近寄りがたい。声を掛けられてアルバはこちらに振り返ったが、やはりサングラスに阻まれてどこを見ているのかも分からなかった。
「一階の広間で中継をしているらしいからな、報道もそっちへ行った」
「ふぅん……」
結果が分かれば、試合の終わった選手は興味の対象から外れる。まあそんなものだろうとロックは特に気にせず、軽く相槌を打った。
しかしそれ以上会話が続かず、ロックはしばらく沈黙するが、目の前に自販機が設置されているのを見つけて徐に立ち上がった。ポケットに押し込んでいた薄い財布を取り出しながらそれに近付き、鮮やかなディスプレイを見つめる。どれにしようかと悩むも、習慣で目線がコーラへといってしまうのは、今は傍にいない保護者のせいだろうか。彼はああいう分かりやすい味をよく好み、何度もロックは彼のために買って帰った覚えがある。
だがロック自身はどちらかというと、無糖のコーヒーや紅茶の方が好きだった。分けるのが面倒だとかそういう理由で彼の好みに合わせることがほとんどだったというだけだ。それならば今は好きな方を選ぶか、と思ったが、コインを入れていざ押そうとなると、何故か吸い寄せられるようにコーラのボタンを押してしまっていた。結局自分は、彼と一緒のものなら何でもいいらしい。音を立てて滑り落ちてきた缶を掴み出しながら、ロックは複雑な顔でその事実を認めた。
「……あのとき何故、躊躇った?」
「え……?」
唐突に背後からかかった声に、ロックは振り返る。視線の先には、飲み終わった缶をごみ箱に投げ入れるアルバの姿があった。確認するまでもなく、空き缶はストレートに箱へと消えていく。
ガコンッと音が響くのと同時にこちらに視線を戻したアルバが、再び口を開いた。
「あのとき、君の方が有利だったはずだ。なのに、何故躊躇った?」
今までと同様に、声音はあくまでも淡々としていた。しかし詰問という程にはきつくないが、安易に話題が逸らすことのできない雰囲気を孕んでいる。明るい場所では必然的に陰影が強く、アルバの目元は少しも透けて見えないので睨まれているかどうかは分からないが、強い眼差しで射抜かれていることだけはひしひしと感じた。
咄嗟にどう反応していいか分からず、ロックは手の中のコーラに視線を落とし、意味もなくそれを弄んで言葉を探した。
「あれは……、状況的に五分五分だったと思うぜ?」
自分でも言い訳じみていると思いながらもそう言ってみると、アルバは視線を外してあからさまな溜息をついた。
「そういうことを聞いているわけではない。……あのとき攻撃を続けずに、無防備になった理由を聞いている」
「……」
切り込むような率直な物言いに、ロックは誤魔化すことも出来ずに沈黙する。何と返していいのか分からない……いや、どこまで話していいのか分からないというのが正直なところだった。
ただ少し、あの時のテリーと重なって見えただけだと。それだけの事実なのではあるが、似通った境遇ということでアルバに踏み込んだ意見を言ってしまいそうな自分が嫌だった。似て見えるだけで本当のところは違うだろうに、関係のないアルバに何かを吐露してしまいそうな予感がある。
困ったままぐるぐると考えていると、不意にアルバが肩の力を抜いて緊迫した空気を崩した。
「わかった、もう聞かないでおこう。……こっちに座るといい。いつまでもそこに立っていても仕方がないだろう?」
「え……あ、うん」
ベンチの空いたスペースを指差され、ロックはぎこちなく頷き、怖ず怖ずとベンチに近付いた。怒ったのではなかろうかとアルバの様子を窺いながらも、ロックは言われた通りにその隣へ腰を降ろし、缶のプルタブに指をかける。静まり返った中で景気のいい音を立てたそれは、ひどく場違いな気がした。
あまり飲みたい気分でもないのに無理矢理コーラを喉に流し込み、詰めていた息を吐く。きつい炭酸は喉をヒリリと焼き、甘ったるい味は口の中に爽やかとは言い難い後味を残した。
しばらくの間、ロックはその感触を持て余していたが、不意に背をベンチに預けて体を反らし、煌々と光を燈す天井を見上げた。
「アンタ…、さ。誰かの仇、取りたいんだよな?」
「……ああ」
唐突な質問に、アルバは特に驚いた様子はなかった。ギャング同士の抗争はサウスタウンで最もホットな話題なせいか、それを聞かれることに抵抗はないようだ。……いや、嫌な顔をしないのはアルバの優しさかもしれない。近寄りがたい感じはあるが、沈黙は決して居心地の悪いものではなかった。
ロックは上にあげていた視線を戻して、アルバの横顔を見つめた。精悍なその顔から表情は読み取れないが、ここからはきちんと顔を合わせて話さなければならない。口を開きかけて一瞬躊躇い、言葉を飲み込むが、ロックは一度目を伏せて振り切った。
彼にとっても自分にとっても痛みを伴う問いを、口にする。
「そいつのことは、殺すつもりなのか……?」
「……!」
アルバの表情が初めて動いた。整った眉を跳ね上げ、こちらに振り返ったアルバを、ロックは静かに見つめ返す。無遠慮で残酷な言葉だと分かっていたが、撤回はしなかった。復讐を胸に抱く以上、避けては通れないことだとよく知っていたから。
真っすぐなロックの眼差しを受けて、アルバは僅かに俯く。視線をそらしてしばらく、彼は恐いくらいに平淡な声音で呟いた。
「君には、関係ないことだ」
初めての、拒絶の言葉。踏み込むなという警告に、ロックは眉をひそめたが、目は逸らさなかった。逃げてはいけないのだ、自分も彼も。きっと彼だけの問題ではないはずだから。
もしかすると周りの人を悲しませるかもしれない。あるいは新たに誰かの恨みを買うかもしれない。復讐を叶えて、何がどう変化するのか予測できないが、きっと何も変わらないでいられるなんてことはない。
ギースやテリーがそうだったように。
ロックはコーラの残りを無理矢理喉に流し込み、アルバと同じように缶をごみ箱に投げ入れた。底の方で金属音を奏でるのを遠い意識で聞きながら、背を丸めて頬杖をつく。
「……そうだな、俺には関係ないことだろうな。ただ……、アンタの目が気になったんだ。俺の連れが昔、似たような目をしてたから……」
今でも思い出すと、あの時のテリーの姿には胸が痛む。ギースに勝つことが、復讐だけでなく目標の意味も兼ねつつあった矢先の結末に、テリーは目に見えて落ち込んでいた。恐らく息子の自分よりもテリーの方が遥かにギースの死を重く受け止めていただろう。
どんな結果になるか分からない。それを本気で覚悟していなければ、思わぬ重荷を背負い込むことになるだろう。ただその事実を伝えたいと、思っただけだ。
この複雑な気持ちを表すには自分の言葉では拙過ぎるし、何よりも復讐を果たした気持ちなどテリー本人にしか分からないことだ。それ以上何と言っていいか分からず、ロックが沈黙を保ったまま視線を落とすと、アルバが僅かに顔を上げた。
「……それは、テリー・ボガードのことを言っているのか?」
「! 知ってるのか?」
「この街に住んでいてあの男を知らないのは、最近移り住んできた連中くらいだろう。それに、君の連れともなれば彼以外に思い当たらない」
誰を思い出して話していたのかを言い当てられてロックは驚いたが、アルバは当然のことのように言った。確かにギースを倒した男として、テリーはヒーロー的な存在だ。十年くらいの歳月では、そう容易く伝説は風化したりしないのだろう。その目立つ人物がかつての宿敵である男の息子と一緒であれば、尚更注目される。
何かを思い出すように虚空を見上げ、アルバは口端を微かにつり上げた。目元がサングラスで覆われているので確信は持てないが、それは恐らく自嘲の笑みだろう。
「……そうか。私はそんなにギラついた眼をしていたのか」
怖がらせたようだな、とアルバがサングラスを指で軽く押し上げながら言うのを見て、ロックは慌てて首を横に振った。テリーと重ねて思い出し、動きが鈍ったのは自分のせいであって、アルバが悪いわけではない。どう言葉を選んだものかと考え、まとめることも叶わずに、ロックは思ったことを連ねた。
「いや…、それ自体は悪いことじゃないと思うんだ。ただ、その……アンタには実の弟もギャングの仲間もいるんだから、全部一人で背負い込む必要はないと……そう、思ったから」
アルバの状況とテリーの状況が、同じだとは思わない。だがどこか似通ったところがあるのではと思った。だから背負い込むなと、一人ではないんだと、言いたくなってしまう。
……それは、自分があの時の彼に何も良い言葉をかけてあげられなかった事実を、埋めるようではあるけれど。
今更償うような行動を取る自分に気付き、ロックは愕然として反射的に唇を噛み締めた。本当に許してほしい相手は彼ではないのに、代わりにそうすることで許された気になろうとしていたのかもしれない。実際には何も出来なかった自身の無力さを懺悔するように。
自分の都合で話をしてしまっていたかもしれないと思った途端、ロックは罪悪感に苛まれ、完全に視線を落とした。甘ったれた自分では想像を絶するほどのものを、アルバもテリーも覚悟して背負っているのだろうに……。
「ごめん。俺が口出すことじゃなかったな……」
自分の行動を改めて考えてみて、ロックは身勝手な質問だったと思い直し、頭を下げた。復讐をする側ではない自分が、一体何を語れるというのか。見ていただけの自分が、どうして彼ら兄弟を心配することが出来るというのか。
思い上がっていただけかもしれない。復讐を胸に抱く以上、言われなくとも覚悟などとうにしているだろうに。
しかし、謝罪するロックをアルバは手で制した。無言のその行動にロックが訝しんで顔を上げると、アルバは上げたその手を引き戻してサングラスに当て、苦笑を浮かべる。そこには怒りの色も呆れの色もなかった。
「謝ることはない。今、問われていなければ、私は仇を取った後のことを具体的に考えてみることはなかっただろう。……いかに復讐を成し遂げるかは考えても、その後に何を思い、何をするのかまでは考えていなかったからな」
自嘲気味にそういうアルバに、ロックはゆるりと首を横に振る。
「いや…、復讐の後を考えることなんてきっと……ないことだと思う」
果たせるかどうか分からない復讐の先を、誰が想定するだろう。成し遂げられるかなど分からないし、そこで命を落とすかもしれないのだ。強大な敵ならば尚更、命を賭けても叶うか分からない。そんな先を考えろという方が無理だ。
テリーがそうだったように。そして後押ししてしまった自分がそうだったように。
すべては終わった後に気付くのだ。夢にまで見た復讐の結末が、重く自分の肩にのしかかっていることに。
「……恨む気持ちも復讐したい気持ちも、否定したいわけじゃないんだ。俺も、あんな男なんていなくなればいいって……そう思ってた。ただ、いざ目の前からいなくなると……途端に、自分の感情をどこにぶつけたらいいのか分からなくなったんだ」
ギースが死んで、感情のままテリーに闘いを挑んだことを思い出し、ロックは薄く笑った。幼き日に見上げた夜空の月は大きく、自分の存在がいかに小さいか思い知らされたものだ。
不幸の元凶だとしても、向ける怒りのエネルギーは、いつの間にか自分が生きていくうえで必要なものとなっていた。復讐を思い描くことで、上を目指すことが出来ていたのだ。それを失ってしまうと、どこに向かうべきか全く見えなくなった。
恨みが深かったからこその、痛い傷痕だった。
記憶に引きずられて蘇る苦い感情を押しやるように、ロックは目を眇める。いつまでも囚われるべき感情ではなかった。乗り越えて、自分の中で決着をつけなければいけないことだ。
そうして思わず黙り込んだロックに、アルバは静かに、独白のように言った。
「ただ、私は……フェイトの――恩人の無念を晴らしたいと思っているだけだ。これだけは誰が何と言おうと、果たすつもりだ」
変わらないその決意を、垣間見た気がした。アルバの厳しい横顔を見つめ、ロックは拳を握り締める。誰にだって譲れないものがある、許せないことがある。
たとえその行為で、亡くなった者が帰ってこなくても……。
アルバは黒いグローブに包まれた両手を組み、不意にこちらを見た。サングラスで阻まれてはいたが、確かに視線が絡み合う。彼のその口元に浮かんでいたのは、不敵な笑みだった。
「だが、これは弔いの一つに過ぎない。サウスタウンの平和を保ってこそ、胸を張ってフェイトに会えるのだと思っている」
そう言い切ったアルバに、ロックは瞠目する。
アルバは復讐の一歩先を見つめていた。……いや、最初からその先こそが目的だったのかもしれない。
大切な人が守りたかったものを、守るということ。刹那的な望みではなく、長く生きた目標を見るアルバを、ロックは眩しく思った。
紅い瞳を細め、穏やかな笑みを浮かべたロックに気付き、アルバも気配を和らげて微笑む。
「……とはいうものの、私ひとりの力で容易く出来ることではないがな。皆がいるからこそ、だ。人は独りでは決して生きていけない。……君にテリー・ボガードが必要だったように、彼もまた君の存在に救われたんだろう」
「……!」
不意の言葉に、ロックは目を見開いた。驚愕に一瞬、息を呑んでアルバを見つめる。
サングラスで覆われてはいるが、その視線はいたって穏やかだった。優しい眼差しに、ロックは困惑して俯く。
自分には確かに、テリーはかけがえのない人だ。しかし、逆はどうだろうか……?
パートナーであることは自負しているけれど、ギースのことを考えれば恨まれていないとは言い切れない。
「……俺がいたせいで、たぶん……余計に悩ませたんじゃないかな」
俺は、アイツの息子だから。
苦笑いとともに、ロックは言った。もういい加減慣れてもいいはずの事実に、また胸がキリリと痛む。
あまり上手くない愛想笑いが歪みそうになり、ロックが思わず視線を逸らすと、不意に横合いから伸びてきた大きな手が頭に触れた。グローブに包まれたアルバの手が、猫の背を緩やかに撫でるように、柔らかな髪を一撫でしていく。驚いて、ロックは顔を上げた。
「ほとんど仇同士のようなものだというのに、連れ立っているのは不思議だと思っていたが……君とこうして話してみて、分かったような気がするな」
「え……?」
突然の言葉に、ロックは目を瞬かせ、視線で意味を問うた。しかし、アルバは手を引き戻し、笑みを浮かべたままベンチから立ち上がる。サングラスの位置を直しながら背を向けたアルバに、ロックは慌てて腰を浮かせた。
追い縋る気配に気付いたアルバが、僅かに顔をこちらに向ける。窓から差した光が紅い髪を透かし、シャープな顔立ちを映えさせた。
「互いを大切に思う気持ちに、勝るものはない。君も彼も、そうであったからこそ今も一緒にいるのだろう?」
「……!」
「私も、ソワレや仲間達に支えられていることを肝に命じておこう」
フッと笑みを残し、アルバが背を向けた。
不意の言葉に驚いたロックは、動きを止めて呆然とそれを見送る。アルバは、ロックの言ったことに理解を示してくれた。そして、そのことを忘れないと約束してくれた。
ただの憎しみからは何も生まれない。もっと先のことを、周りのことを、よく見ていなければいつか自分自身さえ支えきれなくなる。負の感情のみに突き動かされるのではなく、気持ちの区切りとして闘いはあるべきなのだ。
ロックは遅ればせながら、思わず止まっていた体を動かして叫んだ。
「ありがとう……!」
咄嗟に思い浮かんだのは、その一言だった。
決して上手くはなかった自分の話を聞いてくれたことに、感謝したかった。勝手な仲間意識で、余計な世話だったかもしれない。それでもこうして時間を共にできたことが嬉しかった。
ロックの言葉にアルバは歩く速度を緩め、僅かにこちらへ顔を向けた。その口許が笑みの形を作る。
――しかし、唐突に二人の間へ電子音が割り込んだ。
ピピピと鳴り響くそれに、反射的にロックは首を巡らせて音源を探すと、足を止めたアルバが「すまない、私だ」と軽く手を上げてから自らの懐を探った。
アルバが上着の内側から携帯電話を取り出すのを見て、ロックは音の原因を知る。
「……はい」
平坦な声音のまま、アルバが事務的に電話に出た。服装と同じく赤と黒を基調にしたフォルムの携帯電話を片手に立つアルバは、ロックの目から見ても様になっている。
が、電話から飛び出た思わぬ大音量の叫びに、流石のアルバも大いに怯んで電話機を耳から遠ざけた。
「ッ……!」
「兄貴〜!! ちくしょうッ、負けちまったー!」
電話を通しているにも関わらずはっきりと聞こえた男の嘆きに、端から聞いていたロックも目を丸くした。離れた位置にいるにも関わらずこちらにまで聞こえたそれは、叫ぶにしてもあまりに大きすぎる声だ。
当然、不意打ちでそれを耳元で聞かされたアルバは、思い切り顔をしかめている。なお何かを叫び続ける携帯電話を引き離してしばし見つめ、少し音量が下がってきた頃を見計らって、アルバは携帯電話を引き寄せた。
「ソワレ、分かったから……少し落ち着いて話せ」
溜息交じりに、アルバが相手をいさなめる。そのたった一言で、今までの騒がしさが嘘のように電話は沈黙した。
電話の相手は、恐らくアルバの弟であるソワレ・メイラだろうとロックは思った。アルバを兄貴と呼び、アルバがソワレと呼んだことから、そう確信する。同じく大会の試合に出場していたはずだから、その結果報告を真っ先にアルバにしてきたのかもしれない。詳しく知っているわけではないが、公式プロフィールの好きなものの欄に躊躇いもなく『兄ちゃん』と書くあたり、相当なブラコンであろうことは想像に難くなかった。……自分もあまり人のことは言えないが。
やっと落ち着いて話が出来るようになったのか、アルバは電話機を耳に当ててこちらに背を向けた。話し込んでいるその様子に、ロックは立ち去ろうかとも思ったが、挨拶もなしにというのは少し気が引けて、しばらく待ってみることにする。どちらにしろ試合に負けた身では、特別急ぐ理由もなかった。
……そういえば、テリーの方はどうなったのだろうか。
同じく大会に参加しているテリーをふと思い出し、ロックは日の落ちかけた窓の外へと視線を向けた。サウスタウン内でも会場が違っていたので、今日は朝に別れを告げて以来会っていない。
まあ、彼のことだから試合に関しては心配ないだろうけれど。
むしろ、無様に負けた自分の方がしばらくからかわれることになるかもしれない。今更ながら、試合中に隙を晒した失態を思い出して顔をしかめた。
まだまだだなぁ……と思いながら、ロックが紅い空に浮かぶ夕日を眺めていると、会話を終えたらしいアルバが携帯電話を懐にしまいながらこちらに振り返った。
「弟は負けたようだ。まあ相手が悪かったから致し方ないな」
苦笑交じりのそれに、ロックはアルバに視線を戻す。
「……誰と当たったんだ?」
「君の連れだよ」
何気なく聞いた問い掛けに、アルバが意地悪く笑って答えた。それに何て返していいか分からず、ロックは思わず沈黙する。
確かにこの地で、伝説の男とやり合うには分が悪い。
そうか、やっぱりテリーは勝ったのか…と、自分のことでもないのに思わず笑みがこぼれそうになり、ハッとしてロックは表情を引き締めた。こちらにとっては嬉しいことだが、アルバには面白くないことのはずだ。特に、この大会で復讐を胸に秘める者にとっては、途中敗退ほど痛いものはない。
テリーは事情を知らなかったとはいえ、悪いことをしたかなと思い、ロックは困惑のままアルバを見た。
「ごめん、アンタ達には目的があったのに……。弟さん、怒ってたんじゃないのか?」
「真剣勝負に、事情は関係ないさ。ソワレも悔しがってはいたが、怒ってはいない」
恐る恐るの問いに、アルバは至極あっさりとそう返す。本当に気を悪くしたわけではなさそうなのを見て、ロックはとりあえず胸を撫で下ろした。
しかし次に続いた言葉に、驚かされる。
「それどころか……あっさり買収されて、ソワレのヤツは上機嫌だ。全く……」
「……え? ど、どういうことだ?」
買収……?
盛大な溜息とともに吐き出された内容に、ロックは意味が分からずに問い返した。それに、アルバは緩慢な動作で顎に手を当て、苦々しい顔で答える。
「ソワレは、ハンバーガーが好物でな……。試合の後に、テリー・ボガードから驕ってもらったらしい」
フゥ…と再度、深々と溜息をつく。口にするのも億劫だとばかりの解説に、ロックもまた呆れた顔をした。
試合の直後に、しかも負かした相手にハンバーガーを振る舞うテリーも十分脳天気だが、いくら好物とはいえそれに尻尾を振ってついていくソワレの方も、どうか。人柄がいいのか、単に何も考えていないのか。
かつて幼い自分に、何の気概もなくファーストフードをおごったテリーのそういう気さくな態度は想像に難くなく、また電話口で感情豊かに嘆いていたソワレが楽しげにテリーと談笑する姿も想像に難くない。
それを思うと、ロックは思わず笑ってしまった。
「はは…っ。テリーらしいっちゃ、テリーらしいかも。たぶん、いつもの調子で『パオパオカフェ』にでも誘ったんじゃないかな」
いつもテリーは、そんな調子で仲間を増やしていく。そこには敵も味方もない。ただ、闘うことが楽しくて仕方がない、格闘バカが集っていくのだ。
自分もまさにその筆頭なのだが、ロックはそのことを思い浮かべてしきりに笑った。テリーの魅力は強さだけではなく、その器の大きさにこそ彼を伝説と言わしめた訳がある。
色素の薄い髪を揺らして笑うロックに、アルバはふむ…と呻いて頷いた。
「私もそれくらいの度量を持たなければ、とてもじゃないがギャングのリーダーは務まらないだろうな。フェイトは意識せずとも人を惹き付ける力を持っていたが……真似るのは難しい」
変わらぬ表情の中に、憂いと懐かしみの色を見せたアルバに気付き、ロックは笑いを収める。滲む感傷に、余計な言葉をつぐまざるを得なかった。
そうしてその場が静寂に支配されると、黙ったままアルバが何気なく視線を窓の外に向けた。つられて、ロックもそちらに目を向ける。
太陽は半ば、朱く染まるビル郡と地平線に埋もれていた。視界を灼くような鮮やかな光を見て、そういえば目の前の男が『暁の悪魔』という異名を持っていたことを思い出す。
そう名付けた輩は、見た目と強さだけでそう呼んだのかもしれない。こんなにも優しく、誠実な男だと知りもしないで。
「……アンタはアンタのやり方で、いいんじゃねぇの」
「?」
様変わりの激しい町並みを見つめながら紡いだロックの言葉に、アルバは怪訝な眼差しを送ってくる。それを感じたまま、敢えて視線を合わさずに、沈み込む夕日を見ながらロックは微かに笑って言った。
「強さを手に入れる方法は、一つだけってわけじゃないだろ。自分に合った、本当に納得するやり方でやればいいんだ」
「……」
「アンタはアンタだよ。その、フェイトって人の代わりじゃない。……そのことは、アンタの弟や仲間の方がよく分かってるはずだぜ?」
言い終えて、アルバと視線を合わす。ティーンズ特有の小生意気な笑みを見せるロックに、アルバがサングラスの奥で瞠目し、次いで笑う気配がした。
「そうだな……」
軽く頷き、アルバは再び夕日に視線を転じる。ロックもまた吸い寄せられるように夕日へと目を向けた。
もう太陽はほとんど地平線に隠れていた。
「ま、頑張ろうぜ。お互い」
「ああ」
地に沈んで消えていく紅い光が次第に消えていく。代わりに、一日のもう半分を任された宵闇が空に現れ始めていた。






対峙する男二人を囲むように、多くの人だかりができていた。
踏み込んで仕掛け、反撃を誘って半歩退き、隙をついてコンビネーションを叩き込む。
読み合いの闘いは苛烈を極め、そろそろ決着がつく頃だと周りの観客も感じ始めていた。先程までの騒がしい応援と野次が嘘のように、みんな沈黙して闘いの行く末を見守ってる。
今大会の決勝戦を飾る、アルバ・メイラとテリー・ボガードは、互いに距離を置いて睨み合っていた。長時間にわたる戦いに二人とも相当なダメージを蓄積しており、体のそこかしこに傷や痣を負っている。しかし睨み合う眼はどちらも鋭く、ギラついていた。
「ははっ、よく研究したもんだぜ……」
切れた口端を拭いながらテリーが呟くと、それを聞いたアルバがずり落ちかけたサングラスを静かに元の位置に戻し、重い口を開いた。
「こちらも、なりふり構っていられなくてな」
表情の読み取れない男のその言葉に、テリーは眉を微かにひそめた。それがこちらの指摘を、暗に肯定した返答だったからだ。
アルバは確かに実力者ではあったが、テリーと互角に戦うには少し足りない感じだと、拳を突き合わせたときは思った。だが実際は苦戦を強いられることになり、あと二、三発でどちらかが倒れるであろう状態にまで、テリーは追い詰められることになった。
接戦に持ち込まれてしまった大きな要因は、アルバが予想以上に強かったとか、テリーが不調だったとかではない。初対面であるにも関わらず、アルバがテリーの戦い方をことごとく読み、的確に反撃してきたからだった。
最初は偶然かと思った。しかし、フェイントに隠れた本命の一撃をあっさり見抜かれたのを初めに、続く要所要所の攻撃が防がれ、テリーは偶然でないことに気付く。
アルバは極めて精密に、テリーの動きを調べてきていた。攻撃の仕方もタイミングも、退く間合いやガードの動作さえもが把握されている事実に激しい動揺と緊張を強いられ、なかなか思うようなペースに持っていけなけなかったのだ。
だが、それは言い訳にはならない。そして事前にテリーの戦い方を研究してきたアルバの行動は、決して卑怯なものでもない。己の拳を磨くことはもちろん、相手の動きを研究することも立派な戦略のうちの一つだ。
しかし今まで戦ったことのないタイプであることは、テリーにとって大きく不利ではあった。ロックも似た戦い方をするが、アルバのそれはもっと正確で、容赦がない。積極的に搦手を仕掛けるロックと違い、アルバは相手が罠に掛かるまでじわじわと追い詰めていく怖いタイプだ。
テリーは軽く息を吐いて、再び構えを取った。苦手な相手だからと、四の五の言ってはいられない。
次の一撃で決める。
そう心に決めて、テリーは拳を握った。それに強い気迫を感じたのか、アルバもまた警戒して構えを取る。自然体に近い姿勢に、いつでも攻撃できるように上げられた片腕が添えられ、否応なく威圧感が増した。
「悪いが、負けるわけにはいかなくてね。……この大会だけは」
静かにそう口にしたアルバの表情は窺えなかったが、意志の強さははっきりと伝わってきた。彼の弟と談笑した際にも聞く機会がなかったのだが、何か切羽詰まった事情でもあるのだろう。
だが、勝負そのものに理由は関係ない。テリーは躊躇いなく一歩を踏み出した。
「フ……ッ!」
疲労で重みの増した体を軽いフットワークで運び、テリーはアルバの間合いに入り込む。そしてすかさずジャブを放った。
横面を狙ったかに見えたそれに、アルバは反応してステップで後ろへ下がってかわす。だが、テリーはわざと当たらないぎりぎりの距離でそれを仕掛けていた。なので、退いてから反撃に出ようとしたアルバの距離感が僅かに狂う。
「!」
素早く掌底で踏み込んできたアルバの攻撃が、あと少しのところでテリーの胸元まで届かない。それに微かに動揺を走らせたアルバに、テリーは大きく踏み込んだ。
「パワー……!」
拳に気を集中させ、それを地面に叩きつけようと腕を振り上げる。この状況でアルバは反撃もガードも間に合わない。この大技で決着がつくことを、テリーは確信した。
だが――。
「…ッッ!!?」
接近していたところで、いきなり耳元に息を吹き込まれ、テリーは悲鳴をあげて飛び上がりそうになった。動揺で、集中していた気は一瞬で霧散してしまう。
な、なんだ……!?
まさか初対面の相手に、しかも格闘の最中で突然ふざけたことをされて、テリーは目を見開いた。しかしそのことで自分が十分過ぎる隙を曝け出していた事実に気付き、冷や汗が背を伝うのを感じた。
「すまない」
アルバが低い声で謝ると同時に、テリーの視界は反転した。投げられたと思った瞬間、背中から地面に叩きつけられ、その衝撃で息が詰まる。すでに疲弊していた体はとどめの一撃に悲鳴をあげ、一瞬思考を吹き飛ばした。
最後の足掻きで受身を取ろうとしたもののそれきり体は動かなくなってしまい、テリーは顔を歪めたまま審判の10カウントを聞くはめになった。
「WINNER! アルバ・メイラ!!」
ジャッジの声に、周囲から歓声があがる。喜ぶ声とブーイングの声が混じり合い、耳を塞ぎたくなるほどの騒ぎとなった。
それは確かに大騒ぎだろう。伝説の男を、若きギャングのリーダーが負かしたのだから。
しかし最後のあれは、納得できない。テリーは痛みに顔をしかめたまま、自分の傍らで立つアルバを睨みつけた。
「お前…っ、いくら何でもあれは……!」
「本当にすまない。殴りたければ、いくらでも殴ってくれ」
文句を言いかけたところで、アルバが思いがけず頭を下げて謝った。その潔い態度に、テリーは一瞬口をつぐみ、怪訝な眼差しを向けた。
反則…とまでは言わないが、格闘をするなかでは良くない手を使ったことを、アルバは本当に悪かったと思っているようだ。しかもそれを開き直るのではなく、責めてくれて構わないと言う。
そうした誠実に謝る姿勢があるなら何故、と思ったが、先ほど『この大会だけは負けられない』と言っていたことを思い出し、テリーは痛む体に鞭打って上半身を起こした。
「何が何でも勝たなきゃならなかった、ってことか……?」
「……すまない」
問いかけに、アルバはただ謝罪の言葉だけで返す。言い訳も口にしないその男に、テリーはしばし強い眼差しを向けた。
サングラスに隠れた表情は窺えないが、勝ち方に後味の悪さを感じていることは十分に気配で窺える。
だから、というわけではないが。テリーは溜息を吐きながら、徐に立ち上がった。
「勝ちは勝ちだ。今更どうこう言う気はないさ。……でも、少しでもすまないと思うなら、説明くらいしてくれよ?」
「……!」
テリーがフッと笑ってそう言うと、アルバが驚いたように顔を上げた。許してもらえることを予想していなかったという感じのそれに、テリーは自分の直感が間違っていなかったことを確信した。
基本的に、アルバは悪い人間ではない。ただ、どうしても譲れないことがあったために自分の信条を曲げたのだろう。
どうしても譲れないこと、許せないことがある気持ちはテリーもよく知っている。そうして我武者羅になっていた過去の自分を思うと、アルバを責める気にはなれなかった。
「本当に……構わないのか」
勝ちを奪ったことを許してしまっていいのかと、アルバは再度問うた。その律儀さに、テリーはふと自分の相棒を思い出す。
「構わないさ。ファイトが楽しめたのは事実だしな。俺にはそれで十分だ」
そう言って笑い飛ばし、テリーはこの件は終わりにした。今の自分に、勝敗そのものに固執する気がないのは本当だったからだ。
代わりに、テリーは試合会場から退場しながらアルバを手招いた。
「ただし、きっちり説明してもらうからな。今からパオパオカフェに寄るから、ちょっと付き合えよ」
「……わかった」
表情を変えぬまま、アルバが承諾する。彼にとって事情を話すのはあまり気分のいいものではなかろうが、話によってはテリーも何か協力できるのではと考えていた。……お節介、というやつかもしれないが。
そうしてテリーがアルバを連れ立って観客の方へと向かうと、盛り上がる人々の中で埋もれるように立っている二人の男を発見した。
鮮やかな青い服装に陽気な笑顔をのせるソワレ・メイラと、その傍らに静かに佇むロック・ハワードだった。
ソワレは周りも憚らずに「流石、兄貴だぜーッ!!」と大声で叫び、こちらに対して盛大に手を振っている。それに苦笑いの気配を滲ませて、アルバも軽く手を振り返していた。
群集の声さえ圧倒するソワレの絶叫を真横で聞かされているロックは少々顔をしかめていたが、テリーが視線を投げると、表情が明るく変わった。
それにテリーも顔をほころばせかけたのだが――、何故か次の瞬間、ロックはハッと顔を引き攣らせた。
「……?」
なんだ?とその変化を、テリーは訝しげに見つめる。何かあっただろうかと自分の周りを見渡してみるが、興味を引かれるものは何もなかった。
再びロックの方に視線を戻すと、今度はいつの間にかロックはこちらから顔を背けていた。気まずげなその態度に、テリーはふと何かが引っかかる。
「おい、アルバ」
「……何だ?」
視線を合わせようとしないロックを見据えたまま、テリーはぞんざいな口調でアルバを呼んだ。少し気配の変わったテリーに、アルバは不思議そうに視線を向けてくる。
「さっきの試合の、アレ。誰かから聞いて知ったのか?」
ほぼ確信に近いものを抱きながら、テリーはアルバに問いかけた。しかし視線はロックの方へと突き刺さったままだ。
アレとは、先程の試合で動揺を誘われた、耳への悪戯だ。こういうのもなんだが、実はテリーは耳への刺激に弱く、息を吹きかけられるのを苦手としていた。
しかしそのことを知る人物は数少なく。――というか、自分以外には一人しかいない。
「あれは……最終手段ということで、ロックから教わったのだが……」
少し気まずげに告白したアルバの言葉に、テリーは自分の考えが当たったことを知る。そして同時に、形相が凶悪になるを抑えられなかった。
テリーが放つ痛いほどの殺気に、ロックがギクリと体を跳ねさせる。
犯人、確定。
「ロー…ック〜〜〜…ッッ!!!」
地を這うような声をあげ、テリーは突然ロック目掛けて走り出した。試合のダメージなど毛ほども感じさせないマッハの走りに、ロックも悲鳴をあげ、慌てて回れ右をする。
人ごみを掻き分けて逃げようとする背を、テリーは憤怒の表情のまま追いかけた。
絶対ッ、逃がすか!!
胸中で絶叫し、あらゆる仕返しの方法を思い浮かべながら、テリーは驚く観客の中へと突進していった。






「なんだぁー? あれ」
いきなり逃げ出したロックに、それを悪鬼の表情で追いかけるテリーを間近で見たソワレは、訳が分からないとばかりに不思議そうな声をあげた。
それに、責任の一端を感じながらもアルバは苦笑を零さずにいられなかった。
「痴話喧嘩、というやつだろう」
「……はぁ?」
アルバの楽しげな顔を見ながら、ソワレは首を傾げる。特に何か心配するでもないアルバの様子に、たまにしかしないが自分達の兄弟喧嘩と似たようなものだろうと、ソワレは思うことにした。
「……そうだッ、それよりも! 優勝したじゃねぇか、兄貴っ。 おめでとう!!」
陽気に笑い、ソワレが手放しで祝いの言葉を挙げる。それに軽く頷いて返し、アルバは厳しい表情のまま晴れ渡る日中の空を見つめた。
「私がこうして勝つことが出来たのは、みんなのおかげだ。感謝している」
どこか遠くを見るアルバに、ソワレは思わず口をつぐむ。真剣なその表情に、何か声をかけるのを躊躇われた。
しかしふと表情を和らげて、アルバはソワレに視線を戻す。
「そして、これからも私を助けてほしいと思っている。……当てにして、構わないか?」
予想外の言葉に、ソワレは瞠目した。
今まで、アルバはフェイトに関する一切を自分の身に背負い込んできた。そうして悲しみも葛藤も表に出さずにきたのだ。
だから、驚いた。アルバが自ら助けを請うことは、今までになかったから。
だがそれは、ソワレにとって一番嬉しいことだった。
「もっちろんだぜッ、兄貴!! じゃんじゃん俺様のこと当てにしちゃって頂戴よッ!!」
どんっと胸を叩き、ソワレは自慢の笑顔を向けた。その喜びように、アルバもまた微笑した。
「……彼らには大きな借りができたようだ」
観客や取材陣が周りを囲み始めるなか、アルバは柔らかな風に髪が弄ばれるのを感じながら、二人の消えていった方を漠然と見つめた。








END






というわけで、KOFマキシマムインパクトのお話でした〜。
シリアス内容のはずが、時々妙な方向へ流れるのはテリロク話の一部なので仕方がない……ということでご容赦を;

書いてみて思いのほか、アルバがテリーと状況がかぶってて、性格がロックに近いことに気付いて驚きました。
……しかし難点はサングラス。どこ見てしゃべってんのか分からんというのは、文章を書く上では非常に表現が難しい…!(><;)