災難かもしれないけど





どの国に居ようと、どの街にいようと。何をしていても、どんな時でも。
必ず互いの誕生日は祝うことにしている。少し時期が前後することはあっても、忘れることはない。
――そして、いつもと同じようにやってきたテリーの誕生日。今年はロックのアルバイトの都合で少し遅めにプレゼントを贈った。テリーが前々から欲しがっていたビンテージのジーンズを奮発して買ったのはつい先日のことだ。本人に聞かなくとも、ズボンのサイズはもちろん、流石に長年ともに過ごしてきただけあってある程度趣味も把握していたので選ぶのに苦労はしなかった。
本当は本人を連れて店へ赴けば良かったのかもしれない。しかしそこはやはりプレゼントに驚いてほしいというのが本音で、ロックは自分で選んでテリーに贈った。包みを解いて中を見たテリーが目を丸くし、それを手に取って笑みを浮かべてくれたので、選び方は満更間違っていなかっただろう。喜ぶテリーを見るのが何より好きなロックはその様子に微笑を零していた。
そうしてジーンズを気に入ってくれたらしいテリーは、さっそくそれを身に付けて買い物に行かないかと言ってきた。普段はアルバイトで忙しいが、たまたま時間が空いていたのでロックもそれに二つ返事で答えた。
やっと気温が上がってきて心地好く感じられるようになった春。穏やかな風は頬を撫でて過ぎて行く。空も久し振りに青さを取り戻し、太陽の光を隅々まで届けていた。
そんな中で他合いもない会話をしながら、テリーとロックは買った荷物を両手に持って帰り道を歩いていた。しかしあまりに天気が良かったことと、会話が弾んでいたことがそのとき二人の注意を散漫にしていた。
それは一瞬の出来事だった。道路を勢い良く走った車が、水溜まりの上を容赦なく走って泥水を跳ね上げていった。気が付けば、道路側を歩いていたテリーがそれを胸の位置まで浴び、ロックもまた腰まで浴びていた。
「……」
「……」
痛い沈黙。楽しい雰囲気も何もかも突然ぶち壊された。
昨日は確かに雨だった。かなり念の入った降りようだった。しかし今日、あまりに天気が良かったために完全に失念していた。
さあ、どうしようか。なんとなくロックは胸中で自問した。
自然と歩みの止まってしまった足の方に一度視線を落としてから、ロックは隣のテリーの方を見た。
テリーは引きつった笑みを浮かべたまま固まっていた。恐らく自分自身もかなり無愛想な顔で口許を引きつらせていただろう。
「……なんでこうなるかなー」
「日頃の行いが悪かったのかもね……」
ふぅ…と、どちらともなく溜め息をつく。テリーの着ていた白いTシャツもビンテージジーンズも泥によって斑点模様にされていた。ロックの着ていたズボンも汚れていたが、色が元々黒だったのでパッと見では分かりにくい。盛大に汚れたのはどちらかというとテリーの方だった。
折角贈った品もこうなってしまえば即行で洗濯機行きである。
「ま、まあ、もう家に帰るところだしな。すぐに洗えばなんとかなるだろ。な?」
ロックと同じく両手に荷物を抱えたテリーは僅かに冷汗を流しながらも、そう言ってこちらを見た。
贈り物がいきなり台無しにされたのはやはり少々腹立たしいが、確かに洗ってしまえば済むことである。泥を跳ねていった車を恨んだところで仕方がない。
「帰ろうか……」
溜め息とともにそう呟き、ロックは先に歩き出した。テリーも半瞬遅れて足を踏み出す。どんよりとした空気とまではいかないが、なんとも言えない気まずい雰囲気の中、二人はそのまま黙々と家へ向かっていった。
ロックは自分自身で自覚していなかったが、苦労して貯めたお金で買ったプレゼントが台無しになったことにかなりショックを受けていた。そのために思考が鈍っていたロックは、さらに致命的なミスを犯した。


「……ごめん」
「……」
「本当に、ごめん。ごめん……」
「あ、いや…。お前がそこまで謝ることじゃないだろ。仕方なかったことだし」
かなり沈痛な面持ちで視線を下げるロックに、テリーは肩を叩いて朗らかに笑う。本当は呆れているだろうに、気遣ってくれていることが分かるので、ロックはゆるりと視線を上げた。
目の前のソファに座るテリーは、鍛えられた体を惜しみなく晒した格好をしていた。つまり真っ裸の状態で腰にタオルを一枚巻いただけの姿である。
家に着いてから、ロックはテリーに早く服を脱ぐように促し、シャワー室に押し込んだ。汚れを落とそうと急いだために、服を洗濯機に放り込んだ後で、他に着る服がないことに気が付いた。ここ数日雨が続いていたので、やっと晴天となった今日にまとめてすべて洗濯してしまったのである。買い物に出掛ける前に干していったのだが、まだ服は完全に乾いていなかった。
湿った衣類に触れて、ロックは長い長い溜め息をついたのだった。
やむなくタオル一枚という姿でソファに座っているテリーに、ロックは申し訳なくて思わず目を伏せた。
「もう気にするなよ」
「そうは言っても……」
「それより、ロックもそのズボンは洗った方がいいんじゃないか?」
ちょいちょいと自分の黒いズボンを指さされ、ロックは改めて汚れていた事実を思い出した。
「ああ…、そうだな。着替えないと……」
そこまで言って、不意に口を噤む。テリーの服はもちろん、自分の服も同じく洗濯してしまって着る物がないということに気が付いたのだ。
言葉を切って沈黙したロックに、不思議そうな顔をしていたテリーは徐にニヤッと笑った。
「裸の仲間入り、決定か」
「……みたい、だな」
ガクリと肩を落とし、ロックは呻いた。それを見ていたテリーは愉快そうに笑い声をあげる。
「今日は二人して裸で過ごさなきゃな!」
「シャワー浴びてくる……」
筋肉の隆起した肩を揺らしてそう言うテリーを置いて、ロックは観念したように立ち上がる。気だるげなまま向かった先のシャワー室で服を脱ぐと、ロックはすべて洗濯機の中に放り込み、スイッチを押した。


当たり前のことだが、テリーとロックは男だ。それは周りも本人も分かっていることである。
一般的に男の上半身は晒しても構わず、局部だけでも隠していればとりあえず最低ラインは守っていることになる。だから腰にタオル一枚という姿でいようと、家にいる分には特におかしいことではない。……はずだが。
保護者と子供という単純な言葉だけで括ることのできない関係のテリーとロックの間には、なんとも表現しがたい雰囲気が漂っていた。一種の緊張というべきか、羞恥と警戒が入り交じった空気の中で、二人は互いの距離を計りかねてぎくしゃくしていた。
「……」
「……」
普段ならもう少し会話のある食卓も、奇妙な静寂に支配され、二人は黙々と夕飯を口にしていた。
なんとはなしにちらりとテリーはロックの様子を盗み見る。タオル一枚という、限り無く裸に近い状態でいるロックは、テリーの方から視線を逸らすように俯き加減でコンソメスープに口を付けていた。
その口許をじっと見つめてから、剥き出しになっている肩へと目を向ける。筋肉は付いているが一切の無駄なく均等に発達した肩や二の腕は、やはり元々の骨格に沿っているために細く思えた。そのうえ、格闘の練習はしていてもあまりに日に当たっていない肌は普通よりも些か白いので、余計に華奢な印象を受ける。
抱けば折れそうとまではいかないが、触れれば吸い付くような滑らかな肌を持つ健康的な体に、端正な顔のラインと形のいい唇、何より伏せめがちになっている紅い瞳が決して派手ではない穏やかな光をたたえて輝いている様は充分魅力的だった。あまり見続けていると妙な衝動に駆られそうだったので、慌ててテリーは視線を手元のサラダに移す。
普段は嫌がって明かりを消して裸体を晒しているロックが煌々と電気のついているところにいるのは確かに珍しい。見たいのは山々だが、抑えが利かなかったら少々格好悪い。
そうして必然的に黙々と食べることに専念することになったテリーとロックは、早々に食事を終えてしまった。
「……なぁ、テリー。怒ってる?」
「ん? ……なんでだ?」
すらりと伸びたしなやかな足で歩み寄ってきたロックは、手にコーヒーの入ったマグカップを二つ持っていた。そのうちの一つを受け取りながら、テリーは安心させるように微笑んだ。
「別に俺は怒ってないぜ? お前が気にしすぎなんだよ」
「……」
気に病まないようにと思ったのだが、むしろロックはさらに暗い顔をした。
テリーの誕生日を台無しにした。そういう風に思っているのかもしれない。笑って「なんともない」と言っても、ロックの生真面目な性格では余計に落ち込むのだろう。
生まれたときからその背に負っていたもの、テリーが負わせてしまったもの、これから踏み込んで負っていかなければならないもの。些か華奢に思えるロックの背中には少しばかり辛いのかもしれない。そのために誠実であろうと、強くあろうとするがために、真っ正直に物事にぶつかり、それで負った傷を隠そうとしてしまうのだろう。
世の中には自分の非を認めない人もいる。時として目を逸らし、胡麻化して、忘れようとする。それは自分も例外ではない。誰もが持つ裏側だ。だが、ロックはそれをあっさりできるほどに割り切れない。
純粋であるがための迷いと、罪の意識。それに愛しさを感じたテリーは薄く微笑み、ロックを手招いた。
「……何?」
不思議そうな顔をしながらも、ロックは素直にテリーのすぐ近くに来た。多少クセのある金髪を揺らし、こちらを覗き込んでくるロックに、テリーはにっこり笑ったまま顔を寄せる。
「どうしても気が済まないっていうなら、これから俺の言うことを聞いてくれないか」
「え……?」
意味が分からないというか意図が分からない、という風にロックは怪訝な顔をした。それにテリーはニッコリと脳天気な笑いを浮かべて見せる。
「ちょっとくらいお願い聞いてくれてもいいだろ?」
「え、あ……うん。それは構わないけど、一体何を……」
「お前の方からシテくれよ」
「……は……?」
テリーの言葉に、ロックが驚いて二、三度瞬きをした。飾りもなく直球で思い付きを言ってみたテリーは、目の前の青年からの反撃を受けないようにニコニコ笑ったままじっと返事を待つ。ただからかっただけなら、ロックも肩をいからせて怒鳴るか何かしただろうが、こちらの無言の圧迫に晒されて首を横に振ることができず、戸惑ったように視線を泳がせた。
「な、何言って……」
「最初だけでいいからさ、気持ち良くしてくれよ。あんまりお前の方からやってくれたことないじゃないか。初めてのときはあんなに積極的だったのに……」
「う、うわーッ! 分かった、分かったから!」
畳み掛けるようにテリーが言うと、ロックは羞恥で顔を紅潮させながら慌てて叫んだ。最初に体を重ねたときのことを、思い出したらしい。
互いに意識はしていたが、複雑な関係上、長い間何も言えなかった。思いが通じ合ったあとでもセックスに踏み切るまで躊躇いがあった。そうして背徳的行為にテリーが思い切れなかったとき、ロックは自ら誘ってきたのだった。思春期ゆえにセックスに興味はあっても女性を苦手とするロックには実際の経験はなく、随分と不器用なやり方だったのをテリーは覚えている。
少しは前より進歩しただろうか? 保護者としても恋人としても非常に気になるところだ。
最初は焦った様子でなんとか逃れられないかと視線を泳がせていたロックだったが、テリーがじっと期待の目で見ていると、やがて根負けしたように溜め息をついた。
「本当に、そんなこと……言っていいのかよ?」
「どういうことだ?」
「テリーの言葉、全部本気にしてしまいそうだから……」
俺、変になるかも。
消え入りそうな声で、ロックは呟く。俯いているので目許は長めの前髪で隠れているが、晒された上半身や首筋、耳までも赤く染まり、羞恥を露にしていた。
大胆になったらどうなるか分からないんだけど……などと言われて嬉しくないわけはなく、テリーは穏やかに笑った。
「お前はお前だろ。どんなお前でも俺は嫌いにならない。……だから全部見せてくれよ」
そう言って、テリーがロックの腰を引き寄せた。素直に従ったロックは、ソファに座っているテリーの膝を跨ぐように向かい合わせで乗ってくる。
タオル一枚の心許ない格好で体を寄せながら、膝立ちしたロックはテリーより少し目線の高いところからこちらを覗き込んで、はにかむように笑った。
「テリーも、全部見せてよ」
「OK」
二人は互いに笑みを浮かべて、どちらともなく顔を寄せ合い、キスをした。
触れた肌は熱く、心地好い。湿った吐息の合間に吸い込んだ香りは、太陽と雨の匂いがした。
それに溺れながら、二人は戯れるように夜を明かした。








END






テリーの誕生日話でした。
オイシイところで終わるなって感じですけど、お許しを;