キッス・イン・ザ・ダーク
まるで憐れむような、痛ましいものを見るような目が、ずっと嫌だった。
「シン……。ソルと共に行きなさい」
膝を折って視線を合わせ、こちらを射抜く青緑の双眸はしかし、この時ばかりは凛として自分を見つめていた。おそらくこの時がそれまでで一番、父親を近くで見た瞬間だったろう。
間近で見て初めて、常人から逸脱した美貌の中に、猛々しくも毅然とした信念と情熱が宿っているのだと気付く。エメラルドグリーンの瞳は、日の出の光を受けて鮮やかに輝いていた。
「今まで、不自由な思いばかりさせてきました。これからも、私が連王である限り……あなたが母さんの子である限り、不自由な思いはつきまとうでしょう。けれどそれは、自らの手で変えることもできるのだと学んできてほしいのです」
「……?」
微笑みと共にそう言葉を贈られるものの、まだ幼い自分には理解が及ばなかった。ただ、父とも母とも別れてしまうのだという事実のみが胸を満たしていく。
「……母さんは? 母さんも一緒じゃダメ?」
父の後ろに控える母を見上げて、聞いてみた。駄目なのだろうとなんとなく察しながらも、口にする。それが自分の願いだと気付いてほしかったから。
しかし予感した通り、母は寂しく微笑んで、首を横に振るだけだった。
「行けないわ……。ごめんね。……お母さんは目立ち過ぎるの」
そう言って、羽織った白い外套を手繰り寄せる。その下に隠れる色違いの羽根は綺麗で大好きだが、それが人間とは違うことを表すと知っているので、それ以上は何も言えなかった。
うつむき、泣きそうになる目に力を込める。どうしてこんなことになったのだろう、と考えながら。
「さぁ……行きなさい。人目につかないうちに」
だが悲しむ間も与えず、父が出立を促す。それに恨みを込めて睨み返すが、父は柔らかい表情のままこちらを見つめていた。
「あなたが自分の名に負けることのないよう、祈っています。……きっとあなたなら、胸を張って歩けるようになるはずです」
どうか、この子に神のご加護を。そう言いながら、父は首に掛けていた十字架を外し、こちらの首に掛けた。銀製のそれは大きく重かったが、よく磨かれていて光を帯びている。
あまり意味を理解せぬまま、十字架を手にとって眺めていると、背後に立っている男が痺れを切らしたように呟いた。
「早くしねぇと、衛兵が見回りにくる。……行くぞ」
「ああ……。では、よろしく頼む」
これから共に居ることになるらしいその男は、さっさと身を翻して歩き出してしまう。戸惑って父と母を見上げると、二人は寂しさをまとった穏やかな笑みで見送った。
「行ってらっしゃい。時々でいいから、顔を見せてね」
手を振る母に、力なく手を振り返す。重い足はなかなか進まず、先に歩き出した男とはあっという間に距離を離されてしまう。
それを見た父が少し厳しい表情を見せた。
「さぁ、行きなさい……! あなたには大きな翼がある。自分の力で大空を駆け巡れるよう、広い世界を見てきなさい。私たちのような、籠の鳥になってはいけない」
よく通る、凛とした声が背中を押す。意味は一割も分かっていなかったが、促し、応援するその声に足が動き出した。
途中で何度も振り返りながら、先を行く男の後についていく。姿が見えなくなるまで見送る父と母の微笑みは、自分よりも遥かに辛そうで寂しそうに見えた。
昔の夢を見た。気分は、最悪。
そして、悪いことは続くようで――。
「くそっ! またやられた……ッ!」
早朝に安宿の一室で、青年は頭を抱えて地団太を踏んでいた。朝っぱらから、どこからそんなエネルギーが出るのかと思わせるほどの、雄叫びと足を踏み鳴らす音が響き渡る。
そんな、他の客への騒音などお構いなしに悪態を吐く彼の手には、一枚の紙切れが握られていた。それがまさに、青年を最高に不愉快にしている原因である。
『正午に、アムステルダムのいつもの酒場で集合』
たったそれだけの文字が記された、一枚の紙切れ。何の変哲もないように見える――実際、何の変哲もないそれを青年は憎らしげに見つめ、次の瞬間には黒い雷を呼び起こして炭へと変えていた。
見事に八つ当たりの対象へとされたそれは、窓からそよぐ風に乗ってパラパラと舞い散るが、既に青年の視界には映っていない。眼帯で隠れていない緑の左目を眇め、青年は立てかけてあった愛用の棍を握りしめた。
「人が寝てる間に、どっか行きやがって……!」
バンッと棍に纏った旗を虚空で打ち鳴らし、青年は唸るように叫ぶ。しかしそれをぶつけるべき相手は目の前に居らず、虚しく部屋に響くだけだった。
青年の名は、シンという。そして流離いの賞金稼ぎである彼には、保護者がいた。その男の名を、ソル=バッドガイという。
しかしこの保護者は、名前の通りにとても常識人とは言い難い人物だった。その生い立ちを知ればさもありなんと思うが、兎にも角にも無愛想で取っ付きが悪く、乱暴で大雑把な男であることに変わりはない。
それでも無類の強さを誇り、孤高に生きる男を尊敬して止まないシンは、彼に深い信頼を抱いている。血を分けた実の父親の薄情振りに比べれば、ソルの方がどれほど保護者らしいことか。
――しかし、時々突き放されてしまうこともあるわけで。
まさにそれに該当する事態が、今だった。ソルは時々、シンを置いて勝手に先へと旅立ってしまうことがあるのだ。子供扱いを嫌うシンには、足手まといと言わんばかりに置いて行かれることが耐え難かった。
「ちくしょー…っ。絶っっ対に、追いついてやるからな!」
買い置きしていたフランスパンを丸齧りしながら、シンは高らかに宣戦布告をする。育ち盛りの彼には栄養補給が必須であるが、何よりもソルに追いつくには並大抵の体力では不可能だ。
驚くべきスピードでパンを胃袋に収めたシンは、少ない荷物を担いで慌ただしく部屋を後にした。
ずっとソルを本当の父親と思って育ってきたが、この瞬間ばかりは「預かったガキを放置していくなんて、どうかしてるぜ!」と都合よく他人の子になって悪態をついてしまうシンだった。
王の朝は、早い。特にイリュリア連王国の国王が一人、カイ=キスクの起床は誰よりも早かった。
召使いも兵士も揃っているにも関わらず、カイは自分の基本的な生活において、それらを活用することはまずない。自身の部屋として設計させた王の間に、執務室と寝室以外に簡易キッチンがある辺りが他では考えられないことだろう。
しかし物欲に乏しいカイの唯一の趣味がティーカップコレクションであり、紅茶をこよなく愛していることは皆の知るとこなので、それを王らしからなぬと言って取り上げようとする者はいなかった。
故に、カイが起床してから一番にすることは、紅茶を入れるための湯を沸かすことだった。国際警察機構の長官という役職から、突然連王国の国王という身分になったカイだが、その点においては以前と変わらない。
日の出の気配すらしない時間帯から目を覚ましたカイは、眠気に惑わされることなくベッドから出た。目覚めと寝入りが早く、必要な睡眠を必要な分だけいつでも取ることのできる体質は、聖騎士団時代から身についているものなので苦痛ではない。
寝巻きから王の正装を身にまとい、冠を額につけたカイは、幾重もの衣服を重ね着しているにも関わらず冷たい空気に肌寒さを感じて、椅子に掛けていたマントを肩に羽織り、キッチンへと向かった。そして水を満たしたケトルをコンロに掛け、法力の炎を灯す。
キッチンとしてはなんら普通と変わりないように見えるが、実はこのキッチンはコンロにしても冷蔵庫にしても、すべて稼働原力を絶った状態の造りになっていた。つまり法力を維持する機能はあれども、着火する機能がないという不自然な設備なのだが、それはカイが普段から法力を使う練習になるようにと細工したためである。
カイほどの実力者には家電製品の起動など眠りながらでもできるレベルなのだが、以前の役職より更に自ら動くことの少なくなった今の環境では、そういった些細なことさえ貴重な鍛錬の機会になっていた。
目を慣らすためと、周囲に気を使わせないためにカイは照明をつけないまま、湯が沸くまでの間に寝室へと戻った。徐に、壁に掛けられた神器・封雷剣を手に取り、暗闇の中で素振りを始める。これも毎朝の鍛錬の一つだった。
――が、何かの気配を感じて、カイは剣を止める。剣を構えたままの姿勢で眼だけを動かし、窓へと転じた。
まだ月の明るさしか差し込まない大きな窓に視線を留め、カイは青い眼を細める。足先に力を込め、様子を窺う為に動き出そうとした瞬間だった。
突然、窓が蹴破られる。
「!」
ガシャン!と派手な音を立てて、窓ガラスが内側に飛び散った。その異変に目をみはるが、体は反射的に進み出る。
既に夜目に慣れた眼で、舞い散る破片を見極め、カイはそれらをかわしながら素早く窓へと走り寄った。勢いよく飛び込んできた黒い人影に、カイは躊躇うことなく剣を閃かせる。
コンマ一秒で接触した二人は、金属の高音を響かせて獲物を交差させた。一瞬でも気を抜けば剣ごとばっさり斬られそうな力に全力で鍔競り合いを挑みながら、カイは人影を睨みつける。
剣越しに見た目の前の男は、暗闇の中でニヤリと口端を歪めて鋭い犬歯を覗かせた。
「よォ、元気だったか?」
「ちょっとッ! 窓は壊さないでくださいよ!」
赤い眼に殺気に似た気迫をまといながら、なんとも呑気な挨拶をする男に、カイは柳眉をつり上げて怒った。
不躾な侵入者の正体は、ソル=バッドガイだった。それはカイの予想通りであり、だからこそ剣を向けることを躊躇わなかったのだが、五階の寝室の窓を蹴破って現れたことには苛立ちが込み上げる。
裏の世界での協力者として、ソルはイリュリア連王国――特にカイの支配が及ぶ地域に関してはフリーパス扱いになっている。なのでわざわざ不法侵入者のような真似をして、部屋に乱入してくる道理はなかった。
普通に正面から訪問すれば良いものを。そう思うが、ソルがこちらを見て「遊ぼうぜ?」と笑った瞬間、カイは体の芯が高揚で震えるのを感じた。ソルの狙いが何であるのかに気付き、それが自分も同じく望むものであったことから、怒りは一気に興奮へと変わる。
ソルが、剣の相手をしてくれる。たったそれだけで、カイの青い眼は生き生きと輝きを増した。
「……フッ!」
息を吐きながら、カイは全力で剣を弾く。剣が交差する一点のみに力を集中させたため、剣を取り落としそうになるほどの力が加わり、ソルが僅かに手元を狂わせた。その乱れた一瞬を逃さず、カイは切り替えした刃で手首を狙う。
防ぎきれないと判断したソルが、後方へと飛びすさった。そして振り抜いたこちらの剣を更に外へと弾く。剣を飛ばされそうになった勢いにたたらを踏んだ瞬間、ソルが一歩踏み込んで長い足を振り上げた。
「ぐ……ッ!」
みぞおちを狙ってきた一撃を、カイは両肘でなんとか防ぐが、力を殺しきれずに腕がしびれる。そこへ、ソルの拳が容赦なく顔面を襲ってきた。
まさに、全身凶器。思わずひやりと背中に悪寒が走るが、避けられるものではないと判断し、一撃もらう覚悟で歯を食いしばる。
しかし予想に反してソルの手はカイの首を鷲掴み、有無を言わせぬ強い力で引き倒した。
「――ッ」
背中から床に思い切り叩きつけられ、呼吸が止まる。しかし反射的に体を丸めたために、後頭部は打ち付けずに済んだ。
上から押さえつけてくるソルを退かそうと、カイが剣の柄を振り上げた瞬間、獰猛だが精悍なソルの顔が急に近付いてきた。
「んむ……っ!?」
そして、何故か荒々しく唇を奪われる。
唇どころか舌まで入れてきて貪るそのディープキスに、カイは事態が呑み込めずに目を白黒させた。何するんだ!と叫ぼうとしても、むーむーと不明瞭な声が漏れるばかりで意味を成さない。
しかし突然のことに慌てるカイなどお構いなしに、ソルは舌を吸い、唇を甘噛みして歯列をくすぐり、性急に性感帯を刺激してくる。剣を持ったまま暴れるカイの腕も巧みに抑えつけ、両足も伸しかかって縫いつけてしまった。
「んっ…ぁ、……ッは」
息苦しさと、体の芯から沸き起こる快感に耐え切れず、カイは目尻に涙を溜めて悩ましいあえぎを漏らす。合わせていた唇が離れると、それを惜しむように混ざり合った唾液が銀の糸を引き、その様に気付いたカイは荒い息をつきながら頬を染めた。
思わず剣を取り落として、上に乗るソルを押しのけようとするが、それを容易く許す男ではない。
「ちょ…ッ、こらっ……何するんだ!」
「遊ぼうぜって言ったろ?」
「…! そっちの意味かッ」
カイの悲鳴に白々しく答えを寄越し、ソルは喉の奥で笑う。怒りと羞恥で目を潤ませ、カイは下心を覗かせる野獣を睨みつけた。
幾らなんでも、いきなりこんな挨拶はなかろう。一矢報いねば気が済まないと思ったカイは、最後の手段として雷撃を放とうと、法力を集中させた。
しかしそれをソルは余裕の態で見つめるだけで、妨害しない。馬鹿にしてるのか!?と苛立って、カイは至近距離で青白い稲妻を発生させた。それは部屋を白く照らし、ソルの顔をめがけて走るが、瞬時に横合いから出たソルの手に握り潰されてしまう。
一瞬だけ明るくなった部屋は再び暗闇に戻り、たんぱく質の焦げる匂いが漂った。加減したとはいえ、カイの雷を強引に消し潰して、無事に済む筈がない。
驚いてカイがソルを見上げると、痛みを微塵も感じさせずにソルは月明かりだけの暗闇で不敵に笑っていた。
「テメェは俺を殺せねぇ。……俺も、テメェは殺せねぇ。理由は互いに分かりきってんだろ?」
「……っ」
勝ち誇ったように笑い、そう言うソルの言葉に、カイは自分でも分かるくらい顔に熱を昇らせた。乱暴な表現だが、それはカイにとって告白に等しかった。
何か言わなければ負けだと思い、カイは視線を泳がせて怒ったように叫んだ。
「何を……勝手なことを…っ…!」
「やっとの逢瀬だ。そう怒った顔ばっかすンなよ」
「誰が、怒らせてると……ッ」
真っ赤になって喚くカイを適当にいなし、ソルは再び口づけてくる。勝手な行動だが、二度目のそれはひどく柔らかく、甘かった。故に拒む気を失い、カイは享受する。
存在を確かめるように舌を絡ませ、弾む息を混じり合せた。互いに顔の輪郭を撫でながら体を擦り合せると、どちらともつかない高鳴る鼓動が響く。まぶたを震わせてすがるように潤んだ視線を向けると、切れ長の眼が嬉しげに細められた。
「ぁ……ふっ」
執拗に求めてくる舌から逃れ、酸素を取り込もうとカイは息を吸うが、すぐにまた舌を掬い上げられ、噛みつくようなキスを施されてしまう。
丁寧だがすべてを食らい尽くすような口づけに酔わされ、背筋を駆ける痺れるような快感にヒクヒクと震えながら、カイが自ら舌を絡めてキスをねだるようになると、ソルは頬に添えていた手を首から胸へ、胸から腰へと徐々に下げていった。
グローブをはめた大きな手が、撫でるように腰骨と背筋の窪みを往き来して体のラインを辿る。マッサージに似た緩やかな感触に、カイも抵抗せずソルの広い背中に腕を添えて厚着のジャケットを掴んだ。
飲みきれずに口端から伝う唾液の感触にさえ、背を反らせて感じ入るカイの服をゆっくり手繰り寄せて、ソルがキスの合間にふと苦笑をこぼす。
「なんか、……痴漢してるみてぇだな」
「ん、ぁ。…え…っ?」
「この服だと、スカートめくってるみたいだって言ってんだよ……」
「? …な…っ!」
ソルの言葉をしびれた脳で反芻し、カイは言われたことを理解して目を見開く。
カイの服装は王としての威厳を出すために、複雑な装飾が施されている。背に垂れたマントも国旗であったり、裾の長い服も白い神父服のような厳格なものになっているのだが、それを捕まえてソルはフレアスカートか何かのようだと言っているわけだ。
失礼なことこのうえないが、ソルが裾を掴んで腹部まで捲り上げ、インナーの中へと手を差し込んでくると、確かにスカートを捲り上げられているような感覚に近いかもしれないと思ってしまう。暴かれていく感覚に顔を赤らめて、カイはソルを弱々しく押すがびくともしなった。
「っ…ぁ、や……ッ」
スラックスを緩め、インナーの下に潜り込んでくる手にカイは喉を震わせる。素肌をまさぐられるその感触に、項の辺りがざわりと総毛立った。
あ、まずい。
その、快感とは紙一重の悪寒が走ったことに、カイは内心焦る。まさしくそれが、いつもの発作が出る前兆だったからだ。
思わず押し留めようと、カイはソルの不埒な手を両手で抑えるが、力の差で効果はなく、侵略は止まらなかった。カイは慌てて異常を知らせようと、首筋に顔を埋めて鬱血の痕を残すソルに叫ぶ。
「待って、ダメ…だ…! ゆっくり…ッ、お願い……っ」
痙攣が起きそうになる手を固く握って、その衝動を抑えながらカイが必死にそう言うと、気付いたソルが舌打ちして顔を上げた。
「もうかよ……。間を空けると、駄目だな」
「ごめんな、さい…っ…」
「謝んな。……責めてるわけじゃねぇ」
不機嫌そうな雰囲気に怯え、カイが目尻に涙を溜めて謝ると、ソルはため息混じりにそう言って手を退く。申し訳ないと思いながらも、体を暴く手がなくなったことで、指先の痙攣が少し治まった。
実は5年前から、ソルに犯されそうになるとカイの体は痙攣や呼吸困難に見舞われるようになっていた。理由は恐らく、心理的なものだろうと思われる。性行為そのものに嫌悪があるわけでも、ましてやソルが嫌いなわけでもないが、乱暴に体を開かれそうになると決まって発作は起こった。
たぶん5年前のいさかいで、それまで色んな男に組み敷かれてきた忌まわしい記憶が根こそぎ掘り返されてしまったのだろうと思う。普通の性行為自体はできても、組み敷かれる側になると途端に拒絶反応が出ることから、カイはそう考えている。
しかし原因が分かろうとも、それを克服しない限りは意味がない。特に、自分も望んでいるのにソルと抱き合えないことはもどかしく、辛かった。ソルもまた、本当にただ犯すだけが目的ならばカイを無理矢理組み敷くことは容易いだろうに、それをしないのは偏にカイを気遣ってのことだ。
それがいつも申し訳なく、また呆れられるのではないだろうかとカイを内心脅かせていた。
「ッは、…ぁ…っ」
なんとかして、不自然に乱れかけていた息を整えようと、カイは大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。二度三度と繰り返し、鼓動が正常なリズムを刻んでいることを確認してから、カイはこちらを心配そうに見るソルを見つめ返した。
「……大丈夫。ごめん……もう大丈夫、だから」
「いい、無理するな。……次の機会で構わん」
笑みを作って言うが、ソルはそれを見透かしたように身を退こうとする。それを、カイはジャケットを強く掴んで引き止めた。
「あ……嫌だ…。やめないで」
呆れられて、去られることだけは避けたい。切実にそう思い、カイはソルにすがりつく。
金のまつげを湿らせて上目遣いで見つめるカイに、ソルは一度動きを止め、ふっと息を吐いた。
「しゃあねぇな……。あんま時間がねぇから、ちゃんと慣らせられないが……やらねぇよりは、いいか」
俺は相変わらず、生殺しだけどな。
冗談めかしにそう呟き、ソルが再びカイを抱きしめた。そろそろ召使いや従者が起き出す時間が迫っていることを分かったうえでのソルの言動に、カイは内心焦る。ただでさえこんな発作持ちになって気を遣わせてばかりなのに、ソルに何一つ満足してもらえないまま、また別れるだなんて悲し過ぎる。体の繋がりだけが愛し合う方法ではないが、性欲の強いソルにとって抱けない相手はあまり魅力的ではないだろう。
筋肉質な、しっかりとした体を抱きしめ返しながら、ふとカイは妻である「木陰の君」からのアドバイスを思い出した。彼女はカイの妻ではあるが、それ以上に理解者であり、友だった。もともとは敵対する組織に属した二人だが、同じ悩みを抱えていることに気付いてプライベートでも話すようになったことから、異性としてというよりは自身の片割れのような存在として、彼女はカイにとってかけがえのない人となっている。
そんな彼女は、ソルとの性行為で悩むカイの相談に応じてくれた。「夫の不倫を認めるのもどうかとは思うけど」と笑いながら冗談めかしに前置きして、「たぶんあなたは、支配されることに恐怖を感じるんじゃないかしら」と意見を述べた。
カイは昔、自我も定かではなかった幼少の頃に、村の安全の為に荒くれ者達のいけにえになっていたことがある。その恐怖の記憶は既にあやふやだが、体は覚えているのだろう。ソルとの不和をきっかけに、体の方が組み敷かれて強引に事に及ばれることを怖がるようになった。
だから、「自分からスればいいんじゃない?」と彼女は無邪気に首を傾げて言った。発言に驚くカイに、「だって私とは平気でしょ?」と悪戯な笑みで付け加えたのだ。
そう、「木陰の君」がカイの妻なのは、交わりの末に息子のシンが生まれたからに他ならない。最後までの行為は、傷ついた彼女を慰め、他に目を向けさせるための一度だけだったが、今でも時々夜を共にしている。しかし彼女との行為で発作が起きたことはなかった。
恐らく、彼女の指摘は正しいだろう。自分が積極性を見せれば、済む話なのだ。
カイは唾を呑み込み、意を決してソルを見上げた。そして怪訝な眼差しを向けるソルのジャケットを強く握り、その強靭な体を思い切り横へ引き倒す。
細腕といえど、かつて聖騎士団団長を務めたカイだ。容赦のない力に、不意を突かれたソルはカイの隣の床に放り出された。
「! なん……」
「たまには私からでも……構わないだろう?」
何事だと目を瞠るソルの体に乗り上げ、カイは下にあるソルの顔を覗き込んでそう言う。緊張と羞恥で強張りそうになる体を叱咤して、カイは平静を装ったままソルの下肢へと手を這わせた。ゆったりめのスラックスだが、カイとの触れ合いに少し質量を増したソルの中心は存在を主張していて、カイの細い指に引っ掛かった。
それに一瞬怯えるも、すぐに嬉しさが込み上げてきたカイは、布越しに柔らかくそこを揉みしだく。少しでも自分の存在がソルを興奮させることができるのだという事実が、やはり嬉しかった。
悪戯に動く繊細なカイの手に、ソルは仏頂面を奇妙に歪める。
「……ぉい」
「い…挿れるのはちょっと無理だけど、ヌくことくらいは出来る筈だから」
唸るような声に尻込みしながらも、カイは毅然とした態度でそう告げ、ソルの体をまたいだまま後ろに体をずらした。着ている服の裾が広がっているせいで少しもたつくが、カイは位置を落ち着けて、前屈みにソルの複雑なベルトを解き始める。
「そこまでしなくていいっつってんだろ。おい、坊や」
「坊やじゃない。……私だって、お前と愛し合いたいんだ」
ソルの制止をはね除け、カイは真剣な眼差しで着衣を緩める作業に没頭した。しかし、なんとかソルのモノを取り出したものの、久しぶりに見たその大きなものを目の前に、カイは一気に顔を朱に染めてしまう。
両手で握ったまま硬直するカイに、ソルは呆れたような眼差しを向けた。
「まだ無理だ、やめとけって……ッイテ!」
「うるさい、大人しくしてないと握り潰すぞ? ……いいからマグロになっていろ」
「いつもはどっちがマグロだと思っ……分かった、分かったから爪立てんなっ」
柳眉をつり上げて怒るカイに、急所を抑えられたソルは仕方ないとばかりに両手を上げて、降参の意を示す。とはいえ、怒りながらも羞恥で目を潤ませるカイに恐れを抱くはずもなく、ソルは苦笑混じりに従ってみせる。
大人しくなったソルを見、カイは視線を手元に戻した。大見栄を切ってみたものの、経験の浅い自分の手管でソルを満足させられるとはあまり思えない。しかしやってみなければ始まらないと思い、カイはまずは撫でさするようにソルのものを扱き始めた。
自慰もさほど巧みでなく、まともに体を重ねた相手がソルと妻しかいないとなると、どうしてもその動きはぎこちない。それでも一生懸命、ソルが気持ち良くなるようにと考えて、熱く脈打つその根元から先端にかけて指の輪を滑らせていった。
加減がよく分からないままで、太い幹を握り込んで上下させていると、肘で上体を少し起こしてこちらを見ているソルの眉間に皺が寄っていることに気付く。
「……あれ? やり方、違う……?」
「いや、間違っちゃいないが……ぬりぃ」
カイの問い、ソルは気まずげに頭を掻きながら答えた。確かに手の中のものは、なえはしていないものの大きくなる気配は見られない。
思わず戸惑ってカイが動きを止めると、徐ろにソルが手を伸ばし、カイを押しのけようとした。
「いいから退け。これ以上、煽ンな」
「……!」
愛撫はいらないからと押しやるソルに、カイは目を見開く。前戯すら任せられない、余計なことだとでもいうような態度に、カイの胸がズキリと痛んだ。
私だって、ソルを気持ち良くしたいのに。
愛するということが、ただ与えられるだけのものでもなく、ただ奪うだけのものでもないのだと分かっているからこそ、ちゃんと欲望にも向かい合って応えたいのだ。自分の体に原因があるのは分かっているが、だからといって我慢するだけでやり過ごすのは嫌だった。
カイは、ソルの手を強く払いのけた。
「壊れ物のような扱いは……腹が立つ。以前にも言ったが、私はお前と妥協したり慣れ合ったりしたいわけじゃないんだ。……傷ついても構わないから、共に歩みたい」
「……カイ」
深海に光が差し込んだような、きらめきを帯びた深い青色の瞳がソルを真っ直ぐに射抜く。その眼差しの強さに驚いたソルは、しばしの沈黙の後、不意に苦笑を口元に張り付かせた。
「ったく……この、じゃじゃ馬が」
「誰がじゃじゃ馬だ。失敬な」
ソルのこぼした言葉に眉を跳ね上げたカイは、間髪入れずに抗議の声をあげる。
真剣な想いを茶化されては、適わない。
だが、ふと気付いてカイは手元を見た。歪んでいた唇を笑みに変える。
「では、じゃじゃ馬らしくしようか?」
そう告げ、ソルが制止する間もなくカイは手元に顔を埋めた。ぎょっとしたソルが、腹筋で上体を跳ね起こす。
「…ッおい!」
ソルの焦った声などお構いなしに、カイはソルのものを口に含んで頬張っていた。無理矢理一気に押し込んだので、顎が外れそうなほど限界まで開き、先端が喉の奥に当たってどうしても吐き気が込み上げる。
その息苦しさにうっすら涙を溜めるカイを見て、ソルは下肢のものを固くしながらも、カイを引き剥がそうと力を込める。体を押しやられそうになって、カイはその力に抵抗しながら浅くくわえ直し、ソルを上目遣いで睨んだ。
「大人しくしにゃいと……、噛むよ?」
「お……お前、なぁ……」
精いっぱい脅すように瞳に力を込めるが、ソルは呆れたような顔で引きつった声を出す。ソルもカイの強固な態度にどう対応していいものか迷っているようで、カイがじっと睨んでいると、ため息を吐き出してカイの頭を徐に撫でた。
「無理はするなよ。……流石に、上で吐かれるのは勘弁だからな」
「……分かっひぇる」
ソルの冗談混じりのもっともな言い分に、カイも苦笑混じりに頷く。ソルとて、どんなに欲求不満であってもカイが苦しむ姿を見たいわけではないのだろう。それを避けるために、今までカイに気を使ってきたのだから。
他の人と行為に及んだことも、子をもうけたことも、ソルはカイを見放す理由にはしなかった。
挙句の果てに、ギアと人間の間に生まれた特殊な事情の子供だからと、カイがシンをソルに預かって欲しいと頼んだときも怒ったりはしなかった。
ジェリーフィッシュ快賊団に預けるという案もなくはなかったが、カイが事実上「木陰の君」を横から奪ったことからこの一件に関してはジョニーから良くは思われていない。何より、男の子という点においては無類の女好きの彼には受け入れ難いことだろう。
そうしてソルが適任ではとカイの勝手な判断に、しかしソルは「どうなっても知らんぞ」と言うだけで強く拒みはしなかった。それがどういう思惑にせよ、少なからずカイのことを思っての了承だとしたら、それはソルの優しさに甘えていたのだろう。
カイは太いものから口を離し、手を添えて幹の根元からはむように舌と唇で舐め上げていった。滴る唾液を絡ませ、カイは濡れた目を細めて、血管の浮き出たその固いものに横から吸いつく。ちゅぷっと水音が、控え目に響いた。
「ッは、ふ……。……ん…っ」
はしたなく出した舌と上唇で幹を挟み、根元から先端にかけて扱き上げていく。
触れた方がやはり気持ちいいだろうか?と考え、カイは思いつくままに湿った陰毛を分け行って、柔らかい袋に細い指を這わせた。
揉みしだくように手を動かしながら、カイが行き着いた先端を飴のように舐め転がすと、それはヒクリと震えて猛々しさを増す。
「んッ……ひもち、イイ…?」
「っ。分かったから……くわえたまま、しゃべンな」
具合を問うと、こちらを見下ろすソルの声が、僅かに戸惑ったように揺れた。感じてくれているのだと気付き、カイは少し嬉しくなる。独特の匂いや味は決して良いものとは言い難いが、ソルが気持ちいいのなら全く気にならない。
先の割れ目に舌先を食い込ませてから、カイは沈み込むように口腔へと猛ったソルのものを含ませた。収まりきらない根元を両手でゆるゆると扱きながら、芯の固いそれを吸い上げ、時々口を離して舐め上げる。緩急をつけながらその動作を繰り返していると、ソルのものは硬度を増して反り返るほどに成長した。
「チッ……急に、大胆になりやがって……」
「……わたひにだって、人並みくらひには…んっ、は…せいよふは…ある…ッは、ふむぅっ」
頭の上から降ってきたソルの舌打ちにカイが抗議すると、言葉を遮るように大きな手が襟を割ってカイの項へ滑り込んできた。うつむいているせいで無防備に晒されたそこは恰好の的のようで、熱い手が器用に襟元を解いて背中へと潜り込んでいく。
背骨を辿るように這うソルの手に、カイは体を震わせた。
「やっ……ふぁ、あ…!」
「ハッ、どうした。手が止まってるぜ?」
思わず口を離したカイに、ソルが犬歯を覗かせて笑う。その勝ち誇ったような笑みに生来の負けん気を刺激され、カイはムッとして唇を離した。
「絶対……ヒーヒー言わせてやるからなっ」
宣戦布告を叩きつけるや否や、カイは一気に目の前のモノを口に含んだ。先端が喉を突かないように舌で防ぎながら、カイがそのまま急速に頭を上下させると、思わずといった感じでソルの呻き声が漏れ聞こえた。
「――っ。コラ、このッ……くそガキが!」
「! む、ぅ……うる、ひゃい…っ」
少しは不意打ちできたことに喜んだのも束の間、ソルが眉をつり上げ、カイの体をまさぐって反撃に出てくる。すでに三十路近い男だというのにくそガキはないだろうと、カイは悪態をつきながら身をよじった。
こんな情事にさえ、結局勝負事のように発展してしまう辺りは、二人にとってはいつものこと。
片手で背中の浮き出た健甲骨をなぞりながら、もう一方で耳の後ろや首筋を撫で回すソルの手に、敏感になったカイは抑えきれずにひくひくと体を震わせながらも、懸命に目の前のものにしゃぶりつく。いいようにされてなるものかと、袋や根元を揉みながらカイがディープストロークをすると、不埒な手は止まらないもののソルの息遣いが荒くなっていくのが、濡れた音の合間に聞こえてきて分かった。
動きを早めるごとに緩んだ唇の合間から唾液と先走りの混じったものがあふれ、銀糸が顎を伝って滴り落ちる。追い上げるその動きで漏れるひわいな水音と淫らな吐息が部屋に響き渡り、カイは羞恥と快感で鼓動を早めた。頭上から聞こえるソルの吐息も熱く、余裕がなくなってきているのが分かり、カイは歓喜に打ち震えて恍惚としながら、頬を染め上げる。灼熱のような熱さを持つその猛ったものに、自分も下肢に熱を溜めて、カイはソルの分身を口いっぱいに頬張った。
「ふっ、……ん…ッ!」
徑動脈をスルリと撫でていく感触に総毛立ちながら、カイは熱い息と唾液を絡ませて、猛って膨張したそれを喉の奥で締め上げる。途端、それはソルの呻き声とともに弾け、白濁があふれ出た。
「――く」
「んんッ! は…ぅあっ……か、ふッ」
勢い良く飛び散る精液をとっさに飲み込もうと試みたものの、その熱さと量に驚いてカイは途中で口を放してしまう。脈打ちながら数度に分けてあふれ出たそれを、顔面でも受け止めてしまったカイは、思わず咳込んだ。
息苦しさにけふけふと肩を跳ねさせて咳をするカイに、息を整えたソルが窺うように「大丈夫か」と声をかけた。
「あーあ、ッたく……。無理に飲もうとすンじゃねぇ」
「けほ…っ…。だ…だって……久しぶり、だったから…っ」
ソルを、ちゃんと味わいたかった……。
そんな言葉をうつむきながら、もごもごと濁して言ったカイだったが、鋭い聴覚のソルには拾われてしまったらしく、聞き咎めるように顎を掴まれて上を向かされた。
けぶる劣情を隠しもせず、赤い瞳が至近距離でカイを射すくめる。
「下の口でも味わうか? カイ」
「あ……」
欲を剥き出しにした苛烈な眼差しに、カイは頬を染めて思わず潤んだ瞳を横へ逸らせた。油断すれば、その視線に自分は自ら囚われて、快楽に流されてしまうであろうことが、容易に想像できるからだ。
今のところ、確かに拒絶反応は出ていない。しかし口でできたのは、カイが自ら行動したことと、何よりソルがカイを押さえつけたりしなかったからだ。
もしソルが何の配慮もせずに、カイの頭を押さえて突いて来たなら、その瞬間にもう気持ち悪くなって続けられなかったろう。それだけ今のカイの快楽と嫌悪の境目は、紙一重になっている。
……なんて、厄介な体。
カイは奥歯を噛みしめ、自己嫌悪にうつむいた。今までにも散々色々と試しているだけに、この先を続けて交わろうとすれば、また呼吸困難に陥るであろうことが想像に容易かった。
ちゃんとソルと愛し合いたいと思っているのに、体が言うことを聞かない。もどかしい思いに、胸の奥がチリチリと焦げ付くように痛んだ。
「……そろそろ時間か」
「え……」
不意に、ソルが顔を上げて窓の方を見る。外はいつの間にか薄明かりを帯び始め、夜空がブルーグレーに染まっていた。
太陽が顔を覗かせるまで、さほど時間はないと思われる。
ソルが時間を気にする理由は分かり切っていた。
朝がやってくれば、カイの連王としての一日が始まる。それはカイが20余からなるイリュリア連王国を統べる3人の国王のうちの1人として、否応なくやらなければならない責務であり、それはカイの意思も人格も関係ない。
国の安泰を、民の平和を、望まれる結果を、カイは実現していかなければならない。そういう立場に、カイはいる。
「そうだな……もう、こんな時間か」
一人の人間として、ただのカイ=キスクとして扱われる時間の終わりが迫っているということに、カイの胸は痛んだ。自分で選んだ道、自分が望んだ人生……確かにそれは間違いではないのに、胸の奥底で悲鳴をあげる自分に気付く時がある。
自分を犠牲にして、人のために頑張って……それで何になるのだ、と。
今更な問いだが、心が弱っているときはどうしても首をもたげる疑問だった。人のために何かをして、それが報われるとは限らない。下手をすれば恩が仇で返ってくることもある。
それでも――この道を貫くのが、己の正義なのだと。自分が納得する公平で平和な世界の実現が、自分を自分たらしめるものなのだと。
例え迷ったとしても、疲れ果てたとしても、この生き様はきっと変えられないから――。
カイは己の葛藤に、苦笑をこぼした。大義や野望を持たなければ自身だけの幸福を追及できたのだろうが、果たしてそうしたときに自分は納得できただろうか。
そしてそんなカイに、ソルは惚れただろうか。
そう思うと、一時的な気の迷いはあっさりと消え去った。
ソルのこれまでの暗く長い過去とそれを生き抜いてきた不屈の精神、そして尚も歩みを止めない強い意志にこそ、カイは惹かれている。それはソルもまた、カイに対して同じ思いを抱いていることだろう。
だからこそ、歩む道が全く違っても、こんなにも惹かれてやまないのだ。
カイは乱れていた鼓動を落ち着け、ソルを静かに見つめた。
「すまないが……今日のところはこれで勘弁してくれないか。皆も起き出す頃だろうから……」
「ああ、そうだな。……ま、しょーがねぇさ」
控えめな申し出に、ソルは肩をすくめてあっさり頷く。既にこうした夜中の密会は今までに何度もあるので、要領は心得ているようだった。
こんな面倒な逢瀬しか出来ないことには、本当に申し訳ないと思いながらも、カイは早々に頭を切り替えようと立ち上がる。
……が。
「待てよ。お前、そんなナリでどこへ行く気だ」
「え……?」
腰を上げたところで、ソルに腕を掴まれた。中腰のまま、カイはソルの問いにきょとんと目を瞬く。
そしてソルの視線に促されるまま、自分の体に目を落としたカイは、途端に顔を真っ赤にした。
「俺は別にいいが……何してたかバレるぞ」
「うわわッ」
呆れたようなソルの指摘に、カイは慌てて肌蹴た服を掻き寄せる。そういえば、上半身はソルにほとんど剥かれていたのを忘れていた。流石にいきなり外へ出る気はなかったが、こんな姿で部屋をうろつけば、もしも従者が入ってきたときに事がバレかねない。
「無防備すぎンだよ、お前は」
晒された肩や首筋を隠すように襟元を正すカイに手を伸ばし、ソルがため息をつきながらカイの顔を撫でた。擦られてぬるっとした感触に、カイはソルの精液を被ったままだったことに気付く。
忘れていたとはいえ、なんて格好を……! 思わず恥ずかしさのあまり、かぁぁっと顔を真っ赤にするカイを、ソルはさも面白そうに見ている。
「王冠にも、ベッタリついてるぜ? とんだ淫乱連王だな」
「な…っ…」
目を丸くするカイの額からティアラを外し、白く汚れた箇所を見せつけてソルは言った。突き付けられた汚れた王冠とニヤニヤ笑うソルを見、カイは二の句が告げないまま口をぱくぱくさせる。
そ、それを出したのはソルの方であって……! ああぁ、でも飲み込むのに失敗したのは私の方か……!
ぐるぐると恥ずかしい叫びが頭を巡って、ひとり赤くなったり青くなったりするカイだったが、急に立ち上がったソルに腕を引っ張られて、我に返った。
「え……なに」
「フェラが出来たご褒美だ。隅々まで、キレイに洗ってやるよ」
「!? い、いらないっ!」
突然、余計な親切心を見せるソルに、カイはぶんぶんと首を振って拒否する。体を洗うと言いつつ色々と悪戯されるであろうことは、ソルの浮かべるタチの悪い笑みを見れば、想像に難くなかった。
しかし拒むことを許さぬ強い力に引きずられ、カイはソルについて行かざるを得なくなる。勝手知ったる何とやらで、ソルは当たり前のように簡易シャワールームに足を向けていた。
豪華な浴場はいらないから、自室にシャワールームを設けて欲しいと要望を出して設計した部屋が、どうやら今はあだとなってしまったようだ。
「ちょ…、いらないからっ。なあ、ソル……ッ!?」
「なんだよ、洗うだけだぜ? …クックッ」
「そ、その笑みが怖いんだーッ」
カイは悲鳴をあげながら全力で抵抗するが、悲しいかな、ソルの前では無力に等しい。ソルとの行為で体が幾らか反応してしまって、力が入らないのもあり、カイはソルに抱えられるようにつれて行かれてしまう。
しかし不意に、二人の耳に人の足音が届いた。それは小柄で軽い足音ながら、人としては脅威に値するスピードでこちらに向かってくる。
その覚えのありすぎる気配に、ソルとカイはピタリと動きを止めた。
「――ソルさんッ、来てたんですねっ!?」
ばたーん!と景気良く扉を開き、部屋に飛び込むなり元気いっぱいに叫ぶその声。突然乱入して現れた青い髪の少女に、ソルとカイは一様に目を向けた。
束ねた長い髪を振り乱し、満面の笑顔で現れたのは、件の「木陰の君」その人だった。意図は違えど、妻の登場にカイは一瞬安堵の息をつく。ソルはこの少女を前々から特別視していて、無碍には扱えないところがあるので、彼女の前では無体なことはできないのだ。
案の定、複雑な表情で彼女を見つめ返すソルに、とりあえずは救われたかと思ったカイだった、が――。
「あ、ごめんなさいっ。いいところを邪魔しちゃったみたいで……! 私、後で改めて挨拶に来ますね!」
ソルとカイの様子に気付いて、彼女は無邪気にそう言い、部屋から出て行こうとしてしまう。カイはソルに捕われたまま、慌てて叫んだ。
「い、いやいやいや! ちょっと待ってッ、助けてくださいよ!」
「……え?」
カイの必死の形相に、彼女は出て行きかけた体を止めて、振り返る。少女はその可愛らしい顔で不思議そうに首を傾げ、困り顔のカイを見つめた。
「でも……私、折角のところを邪魔しちゃったみたいだし……」
「いえ、断じてそんなこと……!」
「ああ、邪魔だ。ちょっと引っ込んでろ。後で相手してやるから」
謙虚過ぎる態度に、カイが是非とも居て欲しいと訴えようとしたところで、ソルの容赦ない横槍が入る。カイは思わず反射的にソルを睨みつけるが、どこ吹く風で堪えた様子はなかった。
妻に対しても失礼な態度に、カイが柳眉をつり上げる。
「ソル、何を勝手な……!」
「そうですよね。後でまた来ます」
「は、……え?」
「30分くらい後で来い。ガキの様子も気になるだろうしな、その時にゆっくり話してやる」
「ちょ……、二人とも、私を無視して会話を進めるなーッッ!!」
悪気は無いが色々とズレまくった妻と、傍若無人なソルに見事にスルーされ、カイは力の限り叫んだ。
……しかしこれもまた、日常といえば日常な辺り、つくづく厄介な人達を好いてしまったものだと、カイは諦めの境地でガクリと肩を落とした。
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