マタドール
流石に寒いな……。
防寒には力が入っているはずの寝室で肌寒さを感じ、カイは戸締まりがなされているか確かめるために窓際へと近付いた。
よく見ると、華美に装飾が施された王室の窓は、ぴったりと閉まっていた。それでも冷気が漏れているように感じるのは、余程外が寒いからだろう。
興味本位で、カイは窓の錠を外した。雪が降るまでには至っていないが、キンと冷たい夜の空気が流れ込み、あっという間に吐息を白く染め上げる。澄んだ夜空に浮かぶ満月を見上げて眼を細めたカイは、しばらくしてからその窓を静かに閉めた。
冷気を感じるのは季節柄致し方ないことだと判断したカイは、残りの窓は確認せずに体の向きを変えた。動く度に擦れる肌の痛みに、ベットへ近付きながら服を脱いでいく。外したマントを椅子の背に掛け、襟を緩めるとカイは上半身を露にした。
灯りもつけぬままだった暗闇に、透き通るような白さを持つカイの背が浮き立つ。痛む背中の辺りに手を這わせ、カイは言葉を紡いだ。
「父、病める時、母、その涙……」
呪文に合わせてカイの掌から淡い光が輝き出し、法力が発現する。柔らかな熱とともに、皮膚が再生する感触が広がった。
痛みが和らいだことにカイは静かに息を吐くが、ふと気配に気付いて顔を上げた。
「……よぉ」
閉めたはずの窓が開くと同時に、低い男の声が闇夜に響く。
ちょうど服を着直したところで現れた侵入者に、カイは顔を向けた。
「ソルか……随分早いな。どうかしましたか?」
月光を背面に部屋へと影を落とすソルに、首を傾げて問いかける。特に呼び出したわけでもなかったので、カイにはソルの訪問理由が思い当たらなかった。
ぞんざいで出し抜けな言葉だったが、以前訪れた時期からそう経ってはいないうちに再度の訪問を果たしたことを珍らしがっての問いだと、男は一拍置いて理解したようだった。
「今日来なくて、いつ来るってんだ」
「……?」
何か引っ掛かる物言いに、カイは襟を正しながら怪訝な眼差しを送る。
何のことだ?と無言で問いかける翡翠の瞳に、ソルは少し口許を歪めた。
「誕生日だろう。毎回ニュースで持ちきりになるじゃねぇか」
「……ああ、なるほど。でもそれは明日の話のはず……いや、たった今、今日になったわけか」
繊細な細工の施された置時計へと視線を流して、カイは淡々と呟く。あまりに冷めた、そのリアクションの薄さに、ソルは一瞬眉根を寄せた。
「別に忘れていたわけではないよ」
それを読んで、カイは苦笑を浮かべて否定する。今までに聖騎士団団長、国際警察機構長官、イリュリア連王国国王という目覚ましい経歴を持っているのだ。その世間的な注目度を軽視するほど、周りが見えていないわけではない。
戦災孤児であるカイは、誕生日を便宜上定めていたに過ぎないが、世間が騒ぎ立てるであろうことは予想していた。いくら大国とはいえ、記念日でもなんでもない三大国王の一人の誕生日を祝う余裕が生まれたということにこそ、感慨はある。
「そうだな……。今日は私の誕生日だ……」
ぼんやりと虚空を見上げながら、カイはその事実を反芻した。普通なら喜ぶはずのものが、何故かひどく物悲しい。
……いや、あまり嬉しくない理由は自分でも分かっていた。だから、こうしてソルが誕生日だからと来てくれたことが、素直に喜べないのだ。
窓枠に乗せたままだった足を降ろし、ソルが室内に入り込む。動く気配につられるようにカイがそちらへ向くと、ソルは近付いてきて徐に腕を伸ばした。
「何が欲しい? 坊や」
「……!」
急に正面から抱きすくめられ、カイは瞠目する。厚い胸板にカイの頭を押し付けるように、温かくてしっかりした腕が、背中までぐるりと抱き込んでいた。
上背はさほど変わらないはずなのに、まるで包み込むようなソルの抱擁。
本当は汗臭いし、埃っぽい。だがそれだけではない、染み付いた太陽の匂いが香り立つ。
夜空を歩いてきたにも関わらず温かいその体温に、カイは不意に泣きたくなった。
「ソル……」
吐息とともに名を呟き、カイも自ら腕を回す。指先に力を込めて服に皺を刻み、ソルの胸板に頬を擦り寄せた。
耳元で、低い苦笑が零れる。
「甘えん坊のボウヤは、何が欲しい?」
「……馬鹿にしてるだろう」
面白がる声に、カイは顔をしかめて悪態をつく。だが、内心ではさほど腹は立てていなかった。
こんな、些細な言い合いや触れ合いが随分久し振りな気がして、大したことでもないのに嬉しかったのだ。
当てた耳に、布越しの心音が届く。ああ生きているのだなあと、当たり前のことを改めて思った。
抱き着く腕に力を込めて、カイはその温もりに浸る。
「ソルが……欲しい」
「!」
自分でも驚くほど、するりと言葉が出た。
囁くような、吐息混じりのそれをしっかり耳に拾ったらしいソルが、驚く気配をみせる。確かに自分にしては珍しい科白だったかもしれないが、思ったままなのだから仕方がない。
「随分と素直じゃねぇか」
一瞬驚きはしたものの、ソルはすぐに面白そうに口端を上げて笑った。埋めていた顔を上げたカイは、間近でからかいの色を浮かべる紅い瞳を見つめて、自らも苦笑をこぼす。
「ダメか?」
「ダメも何も、それは最初っからスケジュールに入ってンぜ。今更なに言ってる」
「……強制か」
当たり前、と言いたげなソルの顔に、カイは思わず呆れた眼差しを送った。だが、そう思ってもらえていることに内心安堵も覚える。
カイがいくらソルを欲したとしても、結局は身体が発作を起こして、交われないであろうことは目に見えていた。性欲を満たすどころか、半端に煽るだけの行為になると分かっていても、優しく承諾してくれたことが嬉しかった。
ソルが腰に回した手に力を入れると、カイの体は片腕で容易く持ち上がる。爪先が少し浮くくらいの浮遊感にカイが顔を上げると、ヘッドギアの影から覗く赤い瞳が間近で楽しそうな光を帯びる。
「たっぷり、気持ちよくしてやるよ。……だが、それをプレゼント代わりにするつもりはねぇ。欲しいもの、何か別に考えておけよ」
「え……」
ベッドへ歩み寄りながらソルが不意にそう言うのを、カイは驚きの目で見た。一時でもソルがいてくれればそれでいいと思っていたのに、更に何かくれるらしい。
なまじ莫大な財産を持っていることを知っているだけに、好きなものを強請れと仄めかすソルは、本当に言ったものを何でも用意しそうで怖いと、カイは少し内心慄いた。
表情の固まったカイに何を思ったのか、ソルはついと視線を逸らせてため息交じりに言葉を継いだ
「……まあ、どうせ朝になりゃイヤっていうほど、色んな奴からプレゼントもらうんだろうがな。カリスマの連王様は」
「そ、そんなことは……! 大体、知り合いならまだしも、よく分からない相手からも贈られるんだ。正直、対処に困る」
ゆっくりとシーツの上に下ろされたカイは、揶揄るソルの物言いに眉を寄せる。誕生日にせよ、建国記念日にせよ、祝辞とともに送られる品々は人々の思惑が入り乱れ、もらっても嬉しくないものの方が多かった。
だからこそ、大切な人から貰うプレゼントはどんなものであれ、嬉しいと思う。
「……よし。じゃあ今度の貿易交渉で使う、相手国の認め印でも盗ってきてもらおうかな」
「外交もくそも、あったもんじゃねぇ強硬手段だなオイ」
真顔で冗談を言ってみたカイに、ソルが呆れの眼差しを送る。しかしふと『月を取ってこいって言われるよりは、現実的か』などと嘯いて、ソルは機嫌よく喉の奥で笑った。
それに思わずつられて頬を緩めたカイだったが、ベッドを軋ませて覆いかぶさってきた男からキスを降らされ、野暮な言葉を呑み込んだ。
ぬるりと内股を滑る熱の塊に、カイは蕩けた息を吐く。
寒くて堪らないと思っていたはずの室内も、今や淫らな熱で生温い空気を漂わせていた。
「ぁ…っ、も…ぃッ…」
既に半ば以上快楽に意識を持っていかれてしまっていたカイは、震える指で湿り気を帯びたシーツに皺を刻む。すでに焼け落ちた理性をかき集めようと、首を緩く横に振ってみるが、伸びた髪の合間から覗いた白い首筋にキスを落とされて身を竦めた。
カイに覆い被さる体勢を取りながらも、ソルは決してカイの四肢を押さえつけるようなことはしなかった。しかし代わりに、カイの頭を挟むようにベッドに手を突き、逃げることを許さなかった。
両足を跨ぎ、密着させた腰に絶妙な加減で体重を乗せて押さえ込むソルに、もう軽く1時間は愛撫され続けている。性行為そのものではなく、組み敷かれて暴かれる行為に恐怖を覚える今のカイに、強硬な手段が取れないのは分かるが、だからといって漣のような気持ちいいだけの愛撫を施され続けるのは、もはや拷問の域だ。
射精するには足りず、しかし無視することも出来ない快楽に、カイの理性は既にぐちゃぐちゃにされていた。
高熱にうなされた時のような異常な体温の高まりに、カイは涙で濡れた瞳をうつろわせながら、熱を逃がすように息を吐く。
「ソ…ル…っ、も…イかせ…て」
「イキたいんなら、自分で好きにしな。……俺がやったら、危ねぇんだろ?」
「! …だ…、だからって……ッぁぅ…」
胸の突起に吸い付きながら自分で勝手に抜けと言うソルに、カイは紅潮した顔を歪ませる。考える力を奪われた今の状態では、ソルが気遣ってそう言ったのか、意地悪でそう言ったのかカイには判断がつかなかった。
ただこの熱をどうにかして欲しくて、カイは蕩けた思考で打開策を考える。
「…ソ…、一緒…に……ッ」
肌蹴た服の絡まりに不自由を覚えながらも、カイは両手を下肢へと持っていった。そして、先程から内股に擦り付けるだけしか動きを見せなかった、ソルの抜き身に手を添える。
大きく育ったそれは、先走りに濡れるカイのものと何度も擦れ合い、既に濡れそぼっていた。血管の凹凸がはっきりと浮き出たそれをゆるく撫でると、芯の硬さと熱さが如実に伝わってくる。
カイの行動にソルは僅かに目を瞠って驚いたが、なるほどと口端を上げて納得した。
「これは平気なわけか」
「…たぶ…ん」
面白そうに見るソルに唇を寄せてカイが頷くと、ソルもベッドに押し付けていた片手をするするとカイの下肢へと移動させていった。
鎖骨から胸筋を通って、臍を一撫でし、腰骨を伝って内腿へ滑り込んでいく熱い手に、カイはひくりと背をしならせる。
もう理性などとっくに溶けて、恥ずかしがるどころか、与えられる快楽への期待に震えるばかりだった。
「ん、あッ…! ふ…っはぁ…ああ…」
塞き止めるものも無く、カイはソルに扱かれた瞬間、あられもない喘ぎ声をあげた。抱き合う形の二人の間で水音を立てるその愛撫は最初こそ遠慮がちではあったものの、カイの漏らす凄艶な吐息に煽られて、徐々に速度を増していく。
待ち望んだ刺激に体をひくひくと震わせながらも、カイが分け与えられた温もりを返すように手の中にあるソルのものを擦り上げると、間近にある男の目が細まり、熱い息を吐いた。
少し満足げなその気配に、カイは安堵して更に愛撫を加える。もともと激しいセックスを好む男だ、緩慢な進み方に自身も焦れていたのかもしれない。
申し訳ないという気持ちに駆られながらも、快楽に満たされ過ぎて麻痺しかかけているこの時ばかりは、いつもより大胆に自らソルを求めた。
啄ばむようなキスが舌を絡め合う濃いものへと変わり、互いの息が交じり合う。唾液や体液の粘着質な音もシーツの擦れ合う音も卑猥だと思いながらも、それは体の奥から満たし痺れさせる快楽にすり替わっていく。
むっとするほどに湿りと熱を含んだ空気に包まれて、暗闇の中でまさぐるように互いの体へ触れる。熱を与え、与えられ、思わず『気持ちいい』と言葉を零したのは――果たしてどちらだったか、分からぬほどに解け合っていった。
「そ、る…ぅ……! も…っ…ぁあ、ぁッ」
「ハァ…、カ…イ…ッ!」
責務も罪も使命も――このときだけは忘れて、二人は情欲のままに昇りつめた。
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