日差しが、眼に痛い。
瞼の裏に突き刺さるような痛みを覚え、ソルは呻きながら手を翳した。額に甲を押し当てて影を作ると、少しは凶悪な紫外線が和らぐが、今度は手の平や体全体が暑い。
顔を歪めて舌打ちしてから、ソルは観念して上体を起こした。開けた視界には、生い茂る木々と嵩高く生える雑草が広がっている。
昨晩の記憶が確かならば、ここは街へと向かう山道の途中だ。街道を歩くのを厭い、獣道すら見えぬ山の中を、シンがぶつくさ文句を言うのを無視して進んだのだ。多少の傾斜はあるものの、比較的地面の凹凸が少ない箇所を探して野宿したのが、昨日。
つまりは、先ほどまで見ていたものは――夢だということだ。
「……ハァ」
らしくもなく疲れた重い溜め息をつき、ソルは逆立った髪を掻いた。眩しい朝日と鳥の声のBGMに晒されながら、まだ寝ぼけた頭で先程まで見ていた夜の戯れを反芻する。
脈略無くイリュリア城の中庭に居た自分やカイのことを冷静に考えれば、夢だと分かりきっていたはずなのに。あんな夢を見るなど、よっぽど欲求不満だったのだろうか。
「……」
欲求不満だというのは……正直、認めるところだとして。
やけにリアリティのある夢だったと思う。GEARになってからあまり夢自体を見ることも無く、見たとしてもほとんどが昔の悪夢のリピートばかりでろくなものはない。なのに、過去の記憶とどれとも符合しないカイの姿が現れた。
触れた体も、交わしたキスも、体に感触が残っている。
土で薄汚れた自分の手をしばらく見つめ、ソルはふと視線を上げた。カイが声もなく泣いていたことは気に掛かるが、所詮は夢の中の出来事だ。人間の脳は記憶領域において、あまり信用できない作りをしている。空白があれば無かった事実を勝手に作り上げて補完することもあるし、一度見たものも体験したことも容易く忘れてしまう。自分はGEARだが、流石に今までのことをすべて覚えているというわけではない。
願望か、過去の記憶を捻じ曲げて生み出された夢だろう。ソルはそう、結論付けた。
カイの姿を思い返して邪な方向へと行きかける思考を振り払うように、ソルは少し勢いをつけて立ち上がる。足元で枯れ枝の折れる音が、うるさく鳴った。
「…ッ!」
――と、その大きく響いた雑音に、息を呑んで大袈裟なほど反応を示す存在があった。気配にソルが首を巡らせると、こちらを凝視するシンと眼が合う。あの寝汚いシンが自分より先に起きていたことも驚きだが、こちらを見ていたことにも驚いた。
まるで熊にでも遭遇したような、いや(シンの場合は喜びかねないので)何か得体の知れないものに遭遇したような眼差しを向けるシンに、ソルは反射的に眉を顰めた。念の為に周囲を眼だけで確認するが、自分以外に他の気配はなく、間違いなくシンが見ているのは自分に他ならない。
「……どうかしたか」
結局意味が分からず、野宿の為に少し離れた場所に腰を下ろしていたシンに、ソルは平坦な声を向けた。
だが、またもシンは過剰反応して肩を揺らした。
「ぅえっ? あぁ、…いや……何もねぇよ、うん」
「……」
明らかに何かあるような反応をしていながら、シンは首が千切れんばかりに横へ振って必死に否定する。怪しすぎる態度にソルは胡乱げな眼差しを向けるが、それをいちいち追求するのも煩わしと感じ、ソルは視線を外した。シンは図体こそ大人だが、中身が子供なだけあって存外くだらないことでもよく驚き、不思議がるのだ。
騒がしいのはいつものこと。ソルはシンの様子に頓着することなく、傍らに置いていた荷物を掴み上げて肩に担いだ。
「起きてんなら、先に進むぞ」
「え、……もう!? ちょ、マジで!? 起きたばっかだぜッ!!?」
「うるせぇな。四の五の言うならそこで寝てろ、テメェは」
そう言い捨てて、ソルは無情にもさっさと歩き出す。枯葉や枯れ枝を踏み分ける音が、静まり返った朝の山には良く響いた。
「あ、ひでぇよ! オヤジィ!」
急な坂も突き出た岩も物ともせず進むソルに、あっという間に距離を引き離されたシンが、遠くで非難の声をあげる。しかし煩い呼び声はいつものことで、ソルは気にも留めずに山を降り続けた。







朝日に照らされた木々が青々しく映える山中で、鮮やかな紅い背が遠ざかるのを、シンは複雑な表情で見つめていた。
「オヤジが……カイと、キ…キスとか。ありえねぇよ、なぁ……?」
誰とも無く、シンは呟くように自問する。それは、つい先程まで夢の中で見ていた光景に対する疑問だったが、もちろん答えてくれるものは居なかった。
シンは一応、ソルから大雑把にだが性教育は受けている。賞金稼ぎという職業と、正体がGEARということから、裏街道などの危険区域を歩くことが普段から多いため、余計なトラブルに巻き込まれないための知識として教えてくれたものだった。体格はさておき、端正な顔は完全に父親譲りなせいで、少し裏道を歩くだけで娼婦が簡単に釣れてしまうのだ。
なので、唇同士でのキスをするのが男女間での行為だということも知っているし、家族愛や友情とは違う恋愛感情ゆえの表現だということも知っている。それがいわゆる恋人同士の行為だということも、時々街で見かけるカップルなどからも見て取れた。
だが、それがソルとカイがとなると――全く別の話だろう。
夢を見るのは、眠っている間に脳内の余計な記憶を整理したり削除したりする過程で現れるものだと、以前ソルは言っていた。大抵は辻褄が合わなかったりするもので、気にすることではないとも言っていたが、流石に今回の夢は色んな意味でインパクトが強すぎる。
まさかソルとカイが恋人同士のように抱き合ってキスをしているのを、ただ遠くから眺めている夢なんて。
叫び出したくても声は出ず、逃げ出したくても体は動かない。これほど居た堪れなくて、胸くそ悪い夢はなかった。
「……夢だ。あれは、夢なんだ。気にすることじゃ…ない」
現実ではないのだから。
シンは眼をきつく閉じて、必死で自分にそう言い聞かせた。
だって、カイには母さんがいる。愛し合って、そういう行為があったから、自分が生まれたんだとオヤジも言ってた。それに、オヤジはカイとの関係を『腐れ縁だ』の一言で一刀両断していたのだ。
有り得ない。ただの、夢だ。
何度もそう呟き、シンはショックから立ち直ろうと荷物を拾って、踏みしめるように歩き出した。






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