ローマの休日






「なぁ、お前って経営とかに詳しい方か?」
「……ぁあ?」
少し寒さを覚えるようになった近頃、仕事に行くのが多少面倒になってきたソルはカイの家でぬくぬくとソファを占拠していた。空調の整った部屋は暖かい。だが折角の眠りを妨げられて振られた話題は、意味がさっぱり分からなかった。カイはなぜかこうして前置きなしに話し出すことがたまにある。自分のことは棚に上げて、ソルはそれをいい迷惑だと呆れていた。
全く聞く気のない態度でソルは胡乱げな眼差しを向けたが、カイは特に気にした様子もなく、シャワーからあがったばかりのパジャマ姿で突っ立ったまま口を開いた。
「別に得意でなくてもいいんだ。維持さえできればいい」
「……おい。だから話が見えねェって」
勝手に話を進めるカイに、ソルは眉根を寄せた。新手の嫌がらせか?と思わず考える。しかし、今日はカイの機嫌を損ねさせるようなことはしていないはずだ。ソファの上に仰向けに転がったままソルが首を傾げていると、カイはいつもの平静な顔のままこちらに近付いてきた。視線を上げたソルに、カイは朗らかな笑みを見せる。
「資金は私が出すからお前は損しない。だから、経営面をお前に任せていいか?」
「いいも悪いもクソもあるか。一体何のことか分からねぇって言ってんだろ」
「頭悪いな。一を言ったら十は分かるべきだろう」
「十分の一に省略されたら、分かる話も分からんわ」
ソルがぎろりと睨付けると、カイは不服そうな顔で押し黙った。
「……じゃあ、もういい」
不意にそう呟き、カイはそのまま踵を返す。
普段ならやれやれと思ってそのままカイを放っておいただろう。だが、どこか寂しげな表情を覗かせたカイに気付き、ソルは咄嗟にその腕を取っていた。
「分かるように説明しろって言っただけで、どっか行けとは言ってねぇだろ」
上半身を起こし、ソルはカイを引き寄せた。あまり抵抗もなく、その細い体がこちらの腕に倒れ込んでくる。
胸に凭れ掛かった端正な顔をソルがを上から覗き込むと、カイは拗ねたような顔でこちらを見た。
「十も説明したくないんだ。いいから適当に察してくれ」
「なんできっちり話さない?」
「お前は頭がいいから」
「あ?」
さっき、頭悪いとか言ってなかったか?
意味が分からないとソルが眉間に皺を寄せると、カイはそっぽを向いて一言漏らした。
「お前に十も話したら、百も分かられてしまう……」
なんだって?
そう問おうした瞬間、カイがいきなりこちらの横面を平手打ちした。完全に不意打ちだったせいで、ソルはものの見事にソファの上からふっ飛ぶ。危うく顔面から床に突っ込みそうになったところをかろうじて回避し、ソルは顔を上げた。
「てめぇ! いきなり何しやがるッッ!」
怒鳴りながら、ソファに悠々と座るカイをソルは睨み付ける。しかしカイはその剣幕を微塵も気に掛けず、肩を竦めてみせた。
「私に気安く触るからだ。今度やったら、金を請求するからな」
「てめぇはホストかッ!!」
「まあ、そんな感じ。」
「意味分からんわ、ボケ!」
はははと笑いながら、カイはソルの叫びを軽く受け流す。一体何のつもりだ、こいつ。
真面目に相手をするのも馬鹿らしくなって、ソルはソファに引っ掛けていたジャケットを手に取って立ち上がった。
さっさと寝室に行ってベッドを占拠してしまおうと長い足で大きく踏み出したのだが……、後ろからカイも黙ってついてきた。
「……なんで坊やまで来るんだ」
「私の寝室に私が行って何が悪い。お前こそ、ソファで寝たらどうなんだ」
「さっき叩き落としたのはてめぇだ。坊やはソファの方が良かったんだろ?」
「ソファが良いか悪いか以前に、お前が私のベッドを使う権利はない。不法侵入者」
「最近じゃ勝手に上がりこんでも文句言わねぇじゃねぇか」
「それは、言ってもお前が聞かないからだっ」
ソルのジャケットをぐいぐい引っ張って、カイが柳眉をつり上がらせる。黙って立っていればまだ可愛げがあるものを、カイはいつも怒ってがみがみと説教をしてくる。毎回繰り返して、よく飽きないものだ。
カイがその細腕で一生懸命ソルの動きを阻もうとしているのを分かっていながらも丸きり無視して、ソルは寝室まで歩いていって扉を開けた。いつも通り清潔にされているその部屋に堂々と入り、ソルは自分の太い腕を抱えるように引っ張っていたカイの腰を抱きかかえた。
「ごちゃごちゃ押し問答してもしゃーねぇーからな。いつもみてぇに二人で寝るぞ」
そう言って、ソルは軽い体をぽんとベッドに放り出す。負けじとすぐ様カイは起き上がろうとしてきたが、ソルがその上から伸し掛かってやると、動けなくなってしまったカイが悔しげにこちらを見上げてきた。
「いつものことになっているから脱却したかったのに! だいたい、お前は無駄にでかすぎだ。ベッドが狭くなる」
「諦めてキングサイズのベッド買ってこい」
「そんなの買うくらいならもう一つベッド買ってきて一人でゆっくり寝る!」
ぎゃいぎゃい騒ぐカイを無視して、ソルはシーツを被る。カイにも強引に被せてしまうと、今まで騒いでいたのが嘘のように大人しくなった。
それを些か不思議に思って、ソルは埋もれた金髪に視線を移す。カイはその視線に気付いてはいたようだが、シーツに顔を埋めたまま、不意に言葉を漏らした。
「……孤児院を、建てようかと思ってる」
「あ……?」
怒鳴り声でもなく、くどい説教でもなかったその静かなカイの声にソルは少し驚いて、一体何の話だ?と首を傾げる。カイもこちらの様子をまともに見るでもなく、真っ白のシーツに顔を埋めたまま続けた。
「でも孤児院の経営なんてよく分からなかったから……」
「それでさっきの話に繋がるのか」
ようやく分かった。孤児院を自分の資金で運営したいが、その具体的な経営の仕方が分からないから困っているということらしい。
大したオチでもなかったことが分かり、ソルはシーツの上からカイの頭を叩いた。
「んなこと俺に聞くんじゃねェ。もっとそういう関係に詳しい奴がいるだろ」
「……聞いてるんじゃなくて、私はお前に頼んでるんだ」
「あ? ……どういう意味だ」
「……」
何か引っ掛かるその物言いにソルは問い掛けてみるが、カイはそれきり何も言わなくなった。細い手が徐に天井に伸びると、ふっと明かりが消える。半端な言葉を残したままもう寝るつもりらしい。
全く意味が分からない。カイの不可解な行動に、ソルは暗闇で首をひねるばかりだった。











「誕生日が近付くと、どうも弱っていけないな……」
人は自分の生まれた時期に衰弱しやすくなるのだという。
昔聞いたその言葉をふと思い出して、カイは乾いた笑みを微かにこぼしていた。








カイ=キスクの誕生日の一ヶ月前の夜だった。











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