ソルは全くの暗闇の中で、白く浮かび上がるカイの横顔を凝視していた。ベッド際の椅子に座っているソルは、いつもの彼らしくなく、少し背中を丸めている。
浅黒く焼けた肌も、普段よりも幾分色を失っているようだった。
「……」
ソルはつと手を伸ばして、カイの前髪に触れた。美しい光彩を放つその金髪は少し汗でべたついていて、先程の行為の余韻をまだ残している。
「……」
ソルはカイの髪から手を離すと、無言で自分の顔を覆った。
カイの目立った傷は、既に塞いであった。夥しい血を流していた肩はもとの白い肌に包まれていて、とても血まみれだったとは思えない。あらぬ方向に曲がっていた細腕も、骨をもとの位置に戻してから接合してある。一見すれば、カイはただ眠っているようにしか見えないだろう。
だが、それは表面上のことでしかなかった。いくら体に付いた血を拭き取ってもシーツは真っ赤に染まったままだったし、皮膚の再生を行っても根本的な筋肉の痛みは取れていない。目に見えない傷が、未だにカイの中に残っている。
それを思うだけで、ソルは居たたまれなかった。カイを傷つけたのは、他でもない自分自身なのだから……。
そもそもカイのもとへ来ようとしたのが間違いだったのかもしれない、とソルは思う。ギア細胞が異常に活性化する時が希にあることをよく分かっていながら、カイのもとに通う習慣ができてしまっていたのはあまりに迂闊だった。いつも仕事場にしているような治安の悪い土地なら、周りの物を破壊するなり賞金首を叩き殺すなりして有り余るエネルギーを発散できただろうが、こんなパリのど真ん中では逃げることもできない。暴走の前兆に気付かず街に踏み込んだのは、完全な失態だった。
そうして最後にはカイを強姦してしまったのだから世話はない。しかも自分だけが満足する身勝手なセックスだった。ただの性欲処理の道具のように扱い、自分だけが何度も達した。暴走していたときの記憶はややあやふやなところがあるが、ソルが覚えている限りでカイは一度も達していない。断続的に締め付けてきてはいたが、おそらくはわざとだろう。快楽に煽られてしたことではない。
「……んとに馬鹿だよ、お前は」
ソルは哀しい目でカイを見ながら呟いた。自ら体を差し出すような行為をしたカイをもっと詰ってやりたい気持ちではあったが、ソルはすぐに口を噤んだ。
あのときカイが最善の選択をしたことは、事実だ。あのまま暴走していたら、ソルは間違いなくカイを殺していただろう。実際カイは死ぬ寸前だった。血の気を失って顔を蒼白にしたまま横たわっているカイを見れば一目瞭然だ。ソルが正気に戻って傷の治療をするのがあと少し遅れていたならば、カイは出血多量で死に至っていたはずだ。
カイが命をかけてまで自分などを救うおうとした理由が、ソルには分からなかった。ギアだと知っていて、そこまでする理由がどこにあるだろうか? 救う価値など少しもありはしないのに。
街を破壊されたくなかったというなら、すぐにでも避難勧告を出せば良かったのだ。それがすぐにできない立場ではなかっただろう。
なのに――。
「ん……」
不意にカイが小さく呻いた。ソルがハッと我に返ってカイの顔を覗き込むと、長い睫が僅かに震えてゆっくりと瞼が開いた。
「ソル……?」
重たげに目を開いたカイは、虚ろな瞳にソルを映し出して不思議そうな顔をした。まだいまいち覚醒しきっていないらしい。
「坊や、大丈夫か?」
カイの頬を撫でながら、ソルは抑えた声で聞いた。あまり大きな声を出しては傷に響くかもしれないと思ったからだ。
しかし聞かれたカイはソルへの応答をそっちのけで、驚いたように目を見張りながらソルをまじまじと見つめた。
「ソル……正気に、戻ったのか……?」
カイは青く大きな目を一杯に広げて驚きながら、ソルに触れようと右手を動かす。だが、何か痛みが走ったのか、カイは肩をぴくっと揺らして動きを止めた。
「あんまり動くな」
穏やかな口調で言いながら、ソルはゆっくりとカイの頬を撫でる。
自然治癒力を高めるだけでは正直追いつかなくて、魔法で傷を縫合したところがある。おそらくはそれが無理な動きについていけず、引きつったのだろう。仮初の接合でしかないので、ひどく脆い。
動かせば相当の痛みを感じるはずなのだが、カイは構わず両手を差し伸べてきた。シーツの合間から出てきた繊細な手をソルが柔らかく取ると、カイは安心したように微笑む。
「良かった…ぁ…。ソルだ」
鮮やかな瞳が優しい色をたたえて、眩しそうに細まった。腕を無理に動かしたことで噴き出した冷汗が金の髪を張りつかせ、色を失った肌が透き通るように白いというのに、カイは嬉しそうに笑う。何にも勝るその微笑みは愛惜に満ち溢れていて、握り返してくる手は温かかった。
ソルがその表情に戸惑いを隠せずにいると、不意に握りしめていた白い手から力が抜けていく。
「坊や……!?」
ふぅっと意識を遠のかせて目を閉じたカイに驚き、ソルは咄嗟に手を強く握った。だが、その細い手は完全に力が抜けて重くなる。
ソルが慌ててカイの顔を覗き込むと、薄い唇から規則正しく息が漏れていることに気付いた。
「なんだ、眠っただけか……」
ソルは僅かに頬を緩めて安堵する。かなりの体力を消耗したのだから、休息を必要とするの当然だ。念のため頬に添えていた自分の手をカイの首もとに移動させて脈を測ってみたが、特に異常はなかった。
そうはいっても、カイの体調が油断ならない状態にあることは確かだった。血を失って弱った体や魔法で強引に接合した傷口が完治するまでは、付きっ切りで看病する必要がある。
それが終わったら……もう会わないでおこう。
ソルは静かにそう心の中で決めた。これ以上カイを自分の事情に巻き込ませるわけにはいかない。このままここへ訪れる習慣をだらだら続けていれば、いつかまたカイを傷つけるだろう。そんな姿を見るのは、もう……まっぴらごめんだ。
「短い間だったが、結構楽しかったぜ……」
眠ったままで聞こえていないことを分かっていながらそう告げて、ソルはカイの額に柔らかくキスを落とす。これが最後の戯れかと思うとひどく味気ない気がしたが、下手に何かすれば未練が残りそうで恐かった。
ソルが本気になれば、カイの情報網を掻い潜るのは容易いだろう。そうすれば、もう会うこともない。
「……」
深い眠りに落ちたカイの顔をじっと見つめたまま、ソルは指の間を心地好く流れる金色の髪を梳いた。まるでその感触を記憶しようとするかのように、ソルは何度も飽きることなくその髪に触れる。
楽しげに髪と戯れる手元とは裏腹に、ソルの表情は寂しさを滲ませていた。




何か温かい液体が体の表面に当たる感触に、カイは薄く目を開いた。
「ん……」
眠りから覚めたカイは、ぼうっとする頭のままで一体何が起こっているのか確かめようと、重い瞼を持ち上げて視線をさ迷わせる。
カイが状況を把握しようと思って正面を見ると、タイルの上に素足で立つ二本の足が見えた。それだけでは何なのかよく分からなかったカイは何気なくそのまま視線を上げて……あまり見たくないものを見てしまった。
「!?」
視線で辿っていった先の、足の付け根には大きなものがぶら下がっていたのだ。
それで否応なく、それが真っ裸な男の下半身だと分かる。
「な、ななな……ッ!」
ぎょっとしたカイは裏返った声をあげた。自分にももちろん付いているものだが、それは自分のものより一回りは大きかったので、何か全く別のもののように思えた。
慌てたカイが更に顔を上げてみると、ソルの顔があった。どうやら座り込んでいるカイのすぐ目の前に、ソルが立っていたらしい。
「……起こしちまったみてぇだな」
頭からシャワーを浴びていたソルがこちらに気付き、顔を覗き込んできた。濡れた長い髪の先から滴が降ってくる。
筋肉隆々だが全く無駄のない筋肉の付き方をした、ある種究極の機能美のようなしなやか体を存分に晒したソルに、男同士であるにも関わらず頬を染めてしまったカイは、気まずくなってソルから視線を外し、自分がいる部屋を見渡した。そこは考えるまでもなくバスルームで、カイはシャワーヘッドが掛けてある真下に座り込んでいたようだ。背中に壁が当たっていて、少し冷たい。
「え…っと。なんで私がこんなところに……?」
大方状況は分かったが、自分がなぜバスルームにいるのか分からず、カイはもう一度顔を上げてソルを見つめた。シャワーが降り注いでくる軌道上に自分はいないのだが、時折飛沫がかかるので目を細める。
それに気付いたソルが、シャワーを止めた。
「流石にそのまんまってわけにもいかねぇからな。シャワー浴びさせようと思って運んできた」
表情を変えないまま、ソルが事もなげに言う。気絶した人間や眠っている人間は意外に重いものだが、それを易々と持ち上げてしまうのは、やはり力の成せる技なのか。
筋肉は付いているが細くて白い自分の腕を見つめたカイは、ひ弱な己の体に思わず溜め息を漏らす。すべてにおいてソルより劣っている自分が恨めしい。
ふつふつと沸き上がるコンプレックスに眉をひそめたカイが何気なく視線をずらすと、真っ裸の自分の下半身が視界に入って、今更ながら自分が一糸纏わぬ姿であることに気が付いた。
「ちょっと……! なんで私まで裸なんですか!?」
「坊やは服着たままシャワー浴びるのか?」
呆れたような目差しでソルがそう言ったかと思うと、突然頭からシャワーをかけられた。
「ぅわっ!」
「洗ってやるから大人しくしてな」
ソルの大きな手が伸びてきて、乱暴にカイの頭を撫でていく。焦ったカイが、いらないと言おうとすると、それを遮るように顔面にお湯をかけられた。
「わぷっ」
「黙って言うこと聞いとけ。傷は一応治療しておいたが、完治したわけじゃねぇから動かすとまだ痛ぇぞ」
ソルにそう言われて初めて傷の事を思い出したカイは、折られたはずの右腕に視線を落とす。一見なんともなっていないように見えるが、注視して見ると痣になっているところや内出血しているところがあった。しかし、さっき見たときに全く気付かなかったという事実でも分かる通り、それはほんのささやかな名残でしかない。
どう見ても打撲程度にしか見えないそれを、カイは何気なく振ってみた。
「! いッ――!!」
途端に激痛が走り、カイは自分の腕を庇うように抱き込む。骨の芯を捩られたよ
うな痛みに、思わず目尻に涙が滲んだ。
「馬鹿か、お前は」
心底呆れたようにソルがカイを見下ろす。流石に我ながら馬鹿なことをしたかもしれないとカイも思ったので、その言葉に反論できなかった。
怪我をしたときは痛みに構っている暇などなかったのでそれほど痛く感じなかったが、落ち着いてみるとかなり痛い。
堪まらず自分でも回復魔法を唱えていると、ソルがボディーソープを降りかけてきた。意外に優しい手つきで、ソルはスポンジを滑らせていく。
「ソルはもう大丈夫なのか?」
魔法を使ってみたもののあまり痛みが取れなかったカイは、大人しく体を洗われながらソルに聞いた。ギア細胞が鎮静化しているのか、ソルはヘッドギアを外して額からギアの刻印を覗かせている。
カイは至って軽い調子で聞いてみたつもりだったが、ソルはもともと表情の乏しい顔を強張らせた。
「……人の心配なんかしてねェで、自分の心配でもしてろ」
無表情のまま、ソルは平坦な声で告げる。彫りの深いその顔はまるで彫像のように凍りついていて、声は機械のように抑揚がない。感情を隠すというよりは感情が消え失せたかのような無気質さを滲ませたその表情に違和感を覚えて、カイは眉をひそめた。
ソルは笑わない。それは知っている。笑ったとしても、それはいつも意地の悪い笑みだ。だかその代わりに、紅い瞳が優しい色をたたえるのをカイは知っている。表情に変化がなくとも、目を見れば微笑んでいるのが分かる。
しかし、ソルの感情を如実に語るその瞳が、今はまるでガラス越しにあるかのようだった。
「ソル……もしかして怒ってるのか?」
カイは思ったことを口にする。なんとなくそんな気がした。
投げ出したカイの足を洗っていたソルが、手を止めてこちらに顔を向けた。
「ああ、怒ってるぜ。よくも勝手な真似してくれたな、坊や」
恨むような、あるいは憎むような視線を、ソルは向けてくる。刃のように鋭く冷たい目差しをぶつけられたカイは、戸惑った。
「勝手な真似って……」
「淫乱な坊やは自覚もねぇのか? あんな売春婦みてぇな真似して、俺が喜ぶとでも思ったのかよ」
「……!」
カイはソルの言葉に目を見開いた。何か嫌なものでも見るように目を細めてこちらを見るソルに、すっと体温が下がるのをカイは感じた。
「あ、あれは……」
咄嗟にどう言えばいいのか分からず、無意味な言葉を紡ぎ出す。
そんな風に言われるとは……思わなかった。褒められるだなんてもちろん思っていなかったし、たぶん罵られるだろうと覚悟もしていた。でも……こんな……。
カイの足を洗い終えたソルが、スポンジを投げてよこし、徐に立ち上がった。シャワーヘッドを手に取って湯の温度を調節する。
「わりぃが俺にはそんな趣味はねぇ。ケツの穴差し出すなら、他の野郎にするんだな」
言い様、ソルに温かいシャワーを頭からかけられた。俯いたカイの顔に、幾筋もの湯の跡が伝う。
程よく温かい液体が頭から体を包み込み、湯気を立ちのぼらせたが、カイには何も感じられなかった。体のすべての感覚が心と切り離されたかのように何も感じられない。まるで外界で起こった出来事くらいにしか感覚が捉えなかった。
ソルの言葉を否定する術を、カイは持っていない。誰とでも体を繋げる人間だと思われたのは心外だったが、相手がソルだと限定すれば……交わっても構わないと思う自分がいるのは事実だ。そういう、同性同士であってはならない感情があるのは本当だった。
だから、違うとは言えない。この感情が嘘だとは、決して言えない。たとえ罵られようとも、この気持ちは消せない。自分の汚い部分から目を逸らすのは、もう……やめたから。
「……否定はしない」
全身から押し流された泡が排水溝に向かっていくのを凝視しながら、カイははっきりとした口調で呟いた。
「五年前の事がきっかけで、お前をそういう対象で見ていたことは……否定しない」
五年前のあの夜。ソルに犯されたあの時から。
ソルへの見方が微妙に変わった。
それは紛れもない事実で、良くも悪くも自分の後の人生を変えてしまった。
「……覚えてたのか」
ソルが僅かに眉を寄せて、唸る。その表情を見て、カイは乾いた笑い声をたてた。
「忘れられるわけがないだろう。……忘れたふりはしたけどね」
ソルが今の今まで自分の嘘に騙されていたらしいことが分かって、面白かった。
なんとなく、ざまあみろと言いたい気分だ。
あの夜、カイはソルに犯されてから必死で考えた。ソルに罪を償わせるか、それとも知らないふりをして事実を葬り去るか、カイはソルが眠る横で悩んだ。当時はソルを問題児くらいにしか考えていなかったので、犯されたことに関しては本気で恨んでいたし、殺してやろうかと思わなかったわけではない。
だが結局は知らないふりをして、なかったことにした。ソルほどの人材を失うのが痛かったというのも理由の一つだったが、ソルをもう少し側で見ていたと思ったのが一番の要因だった。
ソルの性格や態度には多々問題があったが、周りに振り回されることなく自分の道を突き進むその姿に、カイは惹かれていた。自由で堂々とした生き方がひどく羨ましく、いつもカイの目には鮮やかに映る。雁字搦めな自分とはまるで正反対のソルを、もっと見ていたいといつの間にか願うようになっていた。
だから、すべてをなかったことにした。嘘をつくのは容易ではなかったし、鏡に映し出される鬱血の跡を見るたびに噴き出す怒りや悔しさを抑えるのは一苦労だった。それでも、もうしばらく見ていたかった。自分が憧れた生き方を体現する、この男を……。
「覚えてたんなら、尚更だな」
ソルはシャワーを止めて、壁に掛けた。その目差しはひどく冷めている。
カイは覚悟するように、目を閉じた。
「遊び半分でちょっかい出してたつもりだったが、お前が本気なら話は別だ。……もうここには来ない」
ソルがゆっくりとした口調で告げた。しかし穏やかとは程遠く、固い声だった。冗談で済ます気など、もとさらないと言いたげな無情な宣告。
この男がわざわざ宣言したのだから本気なのだろうな…と、カイは暗い瞼の裏で思った。ソルにとっては自分など、ただ鬱陶しいだけのどうでもいい人間なのだろう。だからこちらの気持ちなど気にも止めない。お金のかからない都合のいい寝床を一つ失うくらいにしか、きっと感じていない。
こちらの都合なんていつも御構いなしで、現れたり消えたりする。それに振り回される者の気持ちを、この男は少しでも考えたことがあるのだろうか? ……だけど、そんな身勝手な振舞いさえ羨ましい。自分には到底できない。
「お前がここへ来るかどうかは、お前の勝手だ。それをとやかく言う気はない」
閉じていた目を開いて、カイは平静な声を出した。心の動きを悟られてはいけない。醜態を晒すのはみっともないだけだ。
ソルはカイの考えなどよそに、ひたひたと近づいてきて傍らにしゃがみ込む。
「じゃあ、前みてぇに俺の後を追いかけ回すのもやめろよ」
「……」
無表情でソルがこちらを覗き込んでくる。言われたカイは前の空間を凝視したまま、微動だにしなかった。
「分かったな?」
念を押すように、ソルが言う。それを聞いて、カイは声もなく苦笑を漏らした。
「忘れろ、と?」
「ああ」
淀みなくソルは頷く。カイは眉根をきゅっと寄せて、震えそうになった唇を噛んだ。
胸の奥が軋むように痛むのを感じながら、不意にカイは嘘の笑みを浮かべてみせた。できる限り軽快で悪戯っぽい笑顔を張り付かせる。
「悪いがそれなら条件がある」
カイがそう言うと、ソルは不審げに眉をひそめた。こちらの考えが全く読めなかったのだろう。
「……一体なんだ」
慎重に問い返すソルを横目で見てから、カイは天を仰いだ。
「抱いてくれ」
「!」
傍らでソルが驚く気配がする。それに気を良くしながら、カイはからからと乾いた笑いを漏らした。
「嫌がらせだよ。お前はそういうのが嫌いなんだろう?」
「……」
「だから……復讐だ」
濡れた髪から滴が伝い、首筋を流れていく。それを感じながら、カイは魔法で淡い光を放つ照明を眩しそうに見つめた。
暫く何も言葉を発せずにそうしていると、ソルが徐に体を起こして、照明を遮った。落とされた影に、カイはゆっくりと瞼を閉じる。無言のままで覆い被さってくるソルの気配を感じた。
「ん……」
ソルの骨張った指が、座り込んでいるカイの秘孔に触れた。それはさ迷うように周辺を撫で、躊躇いをみせながら奥に潜り込んでくる。
「……!」
下半身を走る痛みに、カイは思わず肩を揺らした。暴走したソルに無理矢理入れられたときの傷が治っておらず、再び裂けそうになる。
血が滲み出してきたことに気付いたソルが、指を差し入れたまま回復の魔法を唱えて、ゆっくりとだが確実に傷を塞いでいく。低い声が滑らかに呪文を紡ぎ出していくのを聞きながら、ああ…もうこれで最後なのだなとカイは思った。意味のないことだと知りつつも、ソルの声を耳に焼き付けようと、聴覚に意識を傾ける。
傷がほぼ完治したのを見計らって、ソルは中を引っ掻き回し始めた。危うくあげそうになった声を喉の奥で押し留めながら、カイはきつく目を閉じて絶対にソルを見ようとしなかった。
見てしまったら、きっと……離れたくなくなる。
「…っ…」
いつの間に手に取ったのか分からなかったが、ぬるぬるとしたボディーソープが指とともに塗り込められていくのをまざまざと感じて、カイは左手でタイルに爪を立てた。弄られているそこから駆け上がってくる快感に耐えようと、カイは震える唇から息を漏らす。
「……」
ソルは沈黙したまま、カイの前にも手を這わせてきた。一定の速度で上下に扱いてくるそれは、ひどく事務的にカイを追い上げる。冷静で正確なその手の動きに、カイは腹立たしさが込み上げてくるのを感じた。
少しくらいは好意を持たれているのではないかと考えていたことが、全くの幻想だったと突き付けられた気がした。ソルにとっては本当に自分など、どうでもいい存在だったのだろうのか。そう思うと、復讐をされているのは自分の方なのではないかという気がした。
「面倒くせぇ。もう、ぶち込むぞ」
ソルが不意にそう呟いたかと思うと、秘部に埋めていた指を引き抜き、自身を穿ってきた。
「く……っはぁ」
無理矢理押し入ってきたソルに身震いしながら、カイはすべてを受け入れる。数時間前に何度となく突かれたそこは裂けることなくソルを包み込み、中へと誘い込んだ。
ソルに触れられただけで体温を上げる体が、ソルのものを銜え込んだことで喜びに浸る。だがそれと裏腹に、カイは心が冷めていくのを感じた。
自分が望んでいるのは、こんな体だけの交わりだろうか? 心など伴わなくても満足できると本当に考えていたのか? そんな程度の軽い気持ちでしかなかったのか?
違う……!
カイは目を見開いた。腰を使い始めたソルの顔が視界に飛び込む。
「ソル……っ! やっぱり嫌だ!」
カイは逞しい肩に縋り付いて、至近距離のソルを正面から見つめた。カイの両足を抱えたまま、ソルは表情を全く変えずに数回立てて続けに突き上げてくる。
「ひっぁ! ぅ、く…ソルっ…私はやっぱ、り」
なんとか言葉を紡ごうとすると、ソルはそれを遮るように奥を抉ってくる。
背筋を駆け上がる快感に思考を侵食をされながら、それでもカイはソルの紅い瞳から視線を逸らさなかった。
「私は…んぅっ! お、まえを……追い続け…っる! やっぱり諦められな…ぁあ、っう」
何度も穿たれて探し当てられた弱い所を執拗に攻められ、火照って言うことを聞かなくなりつつある体でカイは叫ぶ。熱い息を吐く唇からは、喘ぎ声ばかりが漏れそうだった。
それなのに、貪欲に中を蹂躙するソルは、冷めた表情のままで見つめ返してくる。
「絶対……諦めない! どんな時でもお前を…ぁんっ、う…視界に、留め続ける……!」
腰を打ち付けられるたびに体が揺れ、より深い挿入を強いられる。だが、カイは叫び続けた。言葉が途切れ途切れになっても構わない。今言わなければ、きっと後悔することになる。
ソルはその言葉に一瞬目を細め、足を持ち上げていた手を放して、カイの顎を強く掴んだ。
「約束、破る気か?」
嘲笑うように、ソルが聞く。追ってこないというからわざわざ抱いてやっているのに、約束を違えるのかとカイを責める。
だが、カイは怯まなかった。挑むようにソルを睨付ける。
「悪いが約束は……守れ、ない。罵られても…ぁうっ…軽蔑さ、れても構わっ…な、いッ。お前は私の……目標だ!」
叫んだ途端に一際強く貫かれ、カイはあられもない声をあげてソルの肩に爪を立てた。耐えきれずに思わず体をのけ反らせたカイを、ソルは平然と幾度も突き上げてくる。それが悔しくてカイは歯を食いしばっていたが、ふと祈るように天を仰ぎ、穏やかな表情を作った。
「たとえお前が遠いところへ行っ、ても……私は必ず追い続け…る。それが私の……正直な気持ち、だから……ぁああッ!」
カイがくっと締め付けた瞬間、ソルのものが奥で弾けて温かい液体を叩き付けてきた。それと同時にカイも達して、ソルの腹を欲望で濡らす。
急速に体を支配した脱力感にカイがぐったりと壁に背を預けると、ソルが無造作に己のものを引き抜いた。銜えるものを失ってひくつくそこから、白濁液がとろりと滲み出る。
「……」
カイは足を広げて秘部を晒したまま、目を閉じた。もはや自分の格好や体裁を繕う余裕などない。体のだるさよりも、心の虚無感の方が遥かに強かった。
何があっても……追うから。
カイはからっぽになった心の中で呟いた。それは自分への誓いでもあり、ソルへの宣戦布告でもあった。
最初からこの気持ちが報われないことを、カイは分かっていた。ソルがそこにいるのはただの気まぐれだと、いつも自分に言い聞かせてきた。
いつでも諦められるように。この気持ちを拒まれたときに、自分の心が壊れてしまわないように。
ずっと言い聞かせていたつもりだった。ずっとずっと。……何度も。
「…っ…」
だが、今は泣きたかった。
涙を流したところで何にもならないことは分かっている。ソルに対して、当て付けにもならない。泣けば自分の心がもっと悲鳴をあげることも知っている。
それでも今は、泣きたかった。
「…ぅ…っ」
閉じた瞼から涙が溢れ、幾筋もの跡を残していく。カイは時折喉をひくつかせ、嗚咽を漏らした。冷たい滴が頬を濡らし、顎を伝って零れ落ちていく。
カイは何度も肩を震わせて泣いた。滅多なことでは涙を流さない瞳が、とめどなく滴を溢れさせ、終わることなく顔を濡らし続ける。
息がしづらくなって、カイは声もなく大きく喘いだ。口を薄く開け、喉を逸らせる。
――と。傍らでソルの動く気配がした。
そして近づいたかと思うと、ゆっくりと唇を塞がれた。
「……!」
カイは驚いて目を見開いた。間近にソルの顔があるのを認め、更に驚愕する。
ソルが私にキスをしてる? なんで?
「ん……っ」
カイの思考を遮るようにソルが深く口付けてきて、カイは甘い声を漏らしながら目を閉じた。合わせた唇の合間から舌を差し入れられ、カイは思わずソルの体にしがみつく。まだ熱の冷めない肌を擦り付けるように密着させると、ソルがしなるほどに抱き締めてきた。
「ふ…ん、ぅ」
すぐに火を着け始めた体を持て余して、カイは自分からねだるように舌を搦めて吸い上げた。すると、お返しとばかりにソルがカイの舌を搦め取ってきつく吸い上げてくる。途端に腰の辺りからぞくぞくとした快感が這い上がってきて、カイは泣くのも忘れてソルの唇を貪った。
だが、何度目かの深い口付けで、カイはソルから手を放した。自分から唇を寄せるのをやめて、腕をだらりと下げる。
カイはキスの合間で、唐突に思った。自分はソルに哀れまれている、と。そうでなければソルの行動は辻褄が合わない。
同情なんかいらない。哀れみのキスなどいらない。そんなことをされるくらいなら、はっきりと嫌われた方がマシだ。
「……」
一瞬止まっていたはずの涙が再び溢れ、カイの頬を濡らしていった。さっきとは違い、たった一筋だけが流れ落ちる。
カイの体から完全に力が抜け落ちたことに気付いて、ソルが抱き締めていた腕を緩めた。そしてカイの顔を覗き込むように顔を近づけたが、カイの歪んだ視界には映らなかった。
「……やっぱガキには敵わねぇな」
不意に苦笑するような声が耳を掠めたかと思うと、生温かい舌にぺろりと目尻を舐められる。
「……!」
カイはその感触に驚いて、肩を揺らした。一体何が起こったのか分からず、目を瞬かせながら至近距離にいるソルを見つめると、
ソルは――穏やかに笑っていた。
「…ったく、人の決心を見事にぶち壊してくれやがって」
文句を言いながらもなぜか楽しそうに笑ったソルが、もう一度唇を寄せてくる。
ソルが微笑む理由が分からず戸惑っていたカイはそのまま唇を奪われ、目を白黒させた。
「んっ…ぅん」
分厚いソルの舌が滑り込んできて、悪戯にカイの舌を搦め取って吸い上げていく。その刺激に体をびくっと震わせたカイは、ソルの手から逃れようと身を捩ったが、腰を強く抱き寄せられて動けなくなってしまった。
ソルは片手でカイの体を捕らえたままもう片方の手でカイの足を広げ、体を割り込ませてくる。ぴったりと密着してきたソルに、カイは好き勝手に唇を貪られた。舌をきつく吸われ、時折戯れのように甘噛みされて、カイは訳が分からないままソルの体に縋り付いた。
「ん、ぁ……なんで」
つうっと移動してきたソルの舌が首筋を伝って耳の後ろまで這い上がってくるのを感じて、思わず頬を染めながらカイが疑問を口にすると、ソルは耳元で笑った。
「降参だって言ってんだよ。騙す気が失せちまった」
意味が飲み込めずに瞬きを繰り返していると、カイはソルのごつごつした手に顎をくっと持ち上げられた。間近で覗き込んできたソルの表情は、困っているのか喜んでいるのか分からない、微妙な笑みを浮かべていた。
「俺も約束、破らせてもらうぜ」
「え……?」
「これからもここに来る。坊やが嫌がっても、ここに帰って来てやる」
「……!」
カイは信じられない思いで、ソルの顔を見つめた。赤茶の瞳が、優しげに笑っている。
それに目を見張りながらも、カイはやはりソルの言葉が信じられず、ゆるゆると首を振った。
「うそ、だ……」
「嘘じゃねぇよ。誰がこんな、こっ恥ずかしい冗談言うってんだ」
「でもっ、だってお前は私を嫌って……!」
必死で言い募ろうとした途端に、カイはソルに唇を塞がれる。
「んっ……!」
言葉も吐息も奪い尽くすような深い口付けに、カイは体の力を抜いてソルの腕に身を預けた。もう気を張り詰めなくて良いのだと、本能が告げる。
包み込んで支えてくる腕が温かく力強いことに安堵しながら、カイは唇を離してソルを見つめた。濡れた長い髪を張り付かせたソルは、少し怒ったような表情を浮かべながらも刺のない口調で囁く。
「嫌いな奴のとこなんか、はなっから来るわけねぇだろ。坊やの顔が見てぇから
、わざわざこんなとこまで来てるんじゃねぇか」
普段のいい加減な態度からは想像もつかないほど真剣な眼差しを向けられ、カイは体の奥が脈打つのを感じた。鼓動がうるさいくらいに早まり、頬がかぁっと熱くなる。何も考えられなくなるくらいに、頭の中を熱に支配された。
「ほんと……に?」
上がった体温のせいで瞳を潤ませながら、カイは微笑んで聞いた。ソルは穏やかな瞳で苦笑する。
「ああ」
「……嘘じゃない?」
「嘘じゃねぇよ」
答えながら、ソルは軽く口付けてきた。それを甘く受け止めながら、カイは至福に浸った笑みを浮かべた。
「まるで夢みたいだ」
「夢じゃねぇよ。いい加減、納得しろ」
露骨に不機嫌な顔をしたかと思うと、ソルは無防備なカイの太股に手を這わせてきた。カイが驚いて体をびくつかせると、ソルはにやりと意地悪な笑みを刻む。
「ぁ…っ…」
ソルの手が太股から足の付け根までゆっくりと滑り、カイの敏感なところを柔らかく握り込まんでいく。その感触に、カイは熱い溜め息を漏らした。さっきのような、ただ追い上げてくるだけの愛撫とは違って、愛おしむように何度も上下にゆるゆると扱かれ、そこはすぐに熱を持ち始めてしまう。その反応が恥ずかしくて、カイはぎゅっと目を閉じたが、ソルは更に指を絡めて嬲ってくる。
「あっ…んぅ…はっ、あん」
根元をきゅっきゅっと絞られてから、裏筋を指の腹でなぞり上げられ、最後に辿り着いた先端の窪みを爪の先で弄られるという拷問にも等しい愛撫を受けて、カイは体を震わせた。すぐに上を向いて潤み始めた己のものが、欲望に醜く震えている様が容易に想像できて、目を閉じていても居たたまれない。
「ぁ、んっ…ソ…ルぅ」
腰から波打つように押し寄せてくる快感をどうしていいのか分からず、カイが縋るようにソルの名前を呼ぶと、愛撫が一瞬止まった。本当はもっと激しくしてほしいと願っていたのに、それとは反対のことをされ、カイは不安に揺れる。
しかしそれはほんの一瞬のことで、熱を持ったそこはすぐに温かい粘膜に包まれた。
「え……っ」
初めて知るその感触に、カイは驚いて目を見開く。視界に飛び込んできたのは、自分のものを口に含んだソルの姿だった。
「うそ……あっ」
信じられないものを見て驚愕していたカイだったが、柔らかい口腔内で軽く絞られ、甘い声をあげてしまった。思わず体を突き抜けた快感にのけ反ったカイだったが、慌てて我に返ってソルを引き剥がそうと試みた。しかし髪を掴んで強く引っ張っても、ソルは全くびくともせず、それどころか更に愛撫を加えてくる。
口付けと同様に、乱暴だが正確でそのくせ時折優しい舌の動きが生々しくそこに施され、カイは圧倒的な快楽に飲まれて喉を震わせた。泣きそうな声を漏らしながら、己のものが熱を持って限界を迎えそうになっているのを感じる。
「ぁふ、あ…ソルっ…だ、めぇッ! お願い放し……ぁっ、あああ!」
カイは壁に背を押し付けて足を突っ張った。途端に白濁の液が溢れ出たが、ソルに一滴残らず飲まれてしまう。
「な…んて、こと…を」
まさかあんなものを飲まれてしまうだなんて思いもしなかったカイは、呆然としながらソルを見つめた。
顔を上げたソルはにやにやと質の悪い笑みを張り付かせて、殊更見せ付けるように口許を拭う。その様を見たカイは、羞恥に頬を染めた。
「お前はホント、ヤラシイ顔するよな」
カイの足を掴み上げながら、ソルが感心したように呟く。言われたことが咄嗟に理解できなかったカイは、目をぱちくりさせてソルの動作を見つめていたが、遅ればせながらやっと気付き、真っ赤になって叫んだ。
「そ、そんな顔なんか、してないッ!」
「してるじゃねぇか。特にこことか……触ったときにな」
言い様、ソルが中指で秘部に触れてくる。驚いたカイが腰を退こうとしたが、後退った分だけ力を増して指を押し付けられた。
「やっ…あぅ」
指先がぐっと潜り込んでくる感触に、カイは声を漏らす。
後ろが壁なので大して逃げることもできず、半分まで埋まった骨張った指が内壁を押し上げてきて濡れた音を響かせた。先程吐き出されたソルの精液はまだ中に残っていて、それが潤滑油の代わりになっている。
ソルの指が滑らかに埋め込まれていく様が、大きく開いた自分の足の間から覗いていて、カイはその卑猥さにたまらず顔を背けた。
「あっ…ぁん、ぅ…やぁっ」
「そうそう。その顔だ。五年前と変わってねぇな」
「んっ、ぅ…っは…ぁ」
埋め込まれた指が鈎型に曲がって中を掻き回していく感触に、カイは肩を震わせて声を漏らした。押し寄せる快感の波に頭の中が白んできて、まともな言葉を発することができない。
「う…っん、ぁ…っ。ソ、ル…ぅ」
「なんだ。もう我慢できねぇってか?」
やっとの思いでカイがソルの名を呼ぶと、ソルは意地悪く笑ってから優しく体を抱き寄せてくれた。筋肉の盛り上がりがありありと分かるソルの太股の上に腰を下ろされ、指を引き抜かれる。
急に何も銜えるものがなくなって、そこはしっとりと濡れながらひくついていたが、代わりに下から押し上げてくるソルのものの先端がグッと潜り込んできたので、カイは喜びにぶるっと震えながらソルの首に腕を回した。
吐息がかかるほどに近づいたソルに、カイが自分からキスをすると、ソルはカイの細腰を強く掴んだ。
「五年分の清算にきっちり付き合ってもらうぜ?」
ソルが何かを含む鮮やかな笑みを閃かせたのを見て、カイは顔を引きつらせたが、次の瞬間には腰を力強く落とされ、甲高い悲鳴をあげていた。




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