その夜、ブレイズは宿から抜け出して、薄暗い路地にいた。もう使われていないらしい倉庫の入口の階段に腰を下ろして、徐にズボンのポケットからたばこを一本取り出し、口にくわえて火を付ける。
しばらくの間、ブレイズは何をするでもなくたばこをくゆらせていたが、突然涼やかなベルの音が鳴った。まさにそれを待っていたかのように、ブレイズは胸元から小さなメダルを取り出して通信を開く。
『ソル、いるか?』
「いきなり名前で呼んでんじゃねぇ」
メダルから流れ出て凛とした声音に、ブレイズ――ソル=バッドガイは呆れたように指摘した。いくら警察機構の備品であるメダルを使っているとはいえ、盗聴されていないとは限らない。
ソルの一言で一瞬言葉に詰まった相手は、すまないと謝ってから改めて「そちらの様子はどうだ」と聞いてきた。
「順調だな。明日には兵器が完成する」
面倒なので、ソルは簡潔に答える。実際、あとは全体の連動が上手くいっているかをチェックするのみだった。
『じゃあ、明後日辺りには連中を焚き付けられそうか?』
「なんだ、いやに早いな」
『ああ……。こっちは法力使いが五人もいたから、もうすでに兵器が完成してしまってるんだ。連中は早く使いたくてしょうがないらしくて、抑えるだけで精一杯なんだよ……』
苦笑とともに、疲れたような響きが漏れる。実際、相当疲れているのかもしれない。ソルの方は作業の割合が多いかわりに、一緒に仕事をしている連中はそれほど嫌な奴ではないのでストレスはあまりなかったが、あちらも同じ状態とは限らない。
ソルはなんとはなしに一枚の写真を取り出して、そこに写っている人物を見つめた。
「お前、こっちから偵察が行ってたことに気付いてたか?」
『え……?』
唐突に話題が変わったことに戸惑いを滲ませながらも、意味が分からないというように聞き返してくる。察しの悪さに辟易しながら、ソルは噛んで言い含めるようにもう一度繰り返した。
「偵察が、そっちに行ってた。気付かなかったか?」
『……ごめん、気が付かなかった』
申し訳なさそうに謝ってくるその声に、ソルは「俺に謝ってどうする」と冷たく返す。すると、相手は落ち込んでしまったのか、沈黙が続いた。
その反応に少々困って、ソルは頭を掻きながら幾分トゲのない口調で続きを話した。
「別に大した偵察じゃねぇから安心しろ。……ただな、隠し取りされてて厄介だったから、写真は回収しといたぜ」
『隠し…取り?』
一体なんだそれはと言わんばかりの不思議そうな声の響きに、手元の写真を見ながら、ソルは溜め息をつく。
「よく撮れてるぜ。平和ボケなツラ晒してヘラヘラ笑ってる坊やの顔」
『なっ、なんなんだそれ……ッ!』
いきなりの揶揄に、声の主は憤慨し始める。だが、それくらいがいいのだと思いながら、ソルは写真から目を離した。
「じゃあ、明後日でいいんだな? それに合わせて連中を適当に刺激しておく」
返事を聞くつもりもなく、一方的にそう告げてソルは通信を切ろうとした。だが、「待ってくれ!」と思いの他強い口調で叫んできた声に驚き、思わず手を止めた。
「……なんだ?」
『一つ頼みたいことがあるんだ』
真剣な響きを持つその涼やかな声音に、ソルは肯定の意を含めて沈黙で返した。メダルを閉じようとしていた手を戻し、続きを待つ。
ソル特有の「沈黙」が何を表すか知っているためか、声の主はメダルを通して安堵の気配が漂わせた。
『組織の連中を捕まえるというのは、もちろん承諾してもらってることとは思うが……』
「そのせいで俺はせっかくの休みを潰された」
『う……。それは悪かったと思ってる。でもこれで最後だから……聞いてくれ。雇われていた人の処分についてなんだ』
処分……。つまり組織の連中同様、警察に突き出すということだろうか?
ふと、熊男と眼鏡男(名前なんざ覚えていない)の姿が脳裏によぎった。いい奴らとは言えないが、別に悪い奴らだとも思わない。賞金が掛かっているわけでもなし、さしあたって野放しでも構わないように思う。
……まあ、殺さなければ、余分に捕まえても大して後味は悪くないだろうが。
「犯罪に手を貸したから、逮捕する…ってか?」
今更ながら正義感の強さに呆れつつ、ソルはだるそうに聞いた。またやることが増えるかと思うと、気力が失せてくる。
しかし、陰鬱になりながら答えを待つソルの耳に届いたのは、全く正反対の内容だった。
『いいや。彼らが巻き添えを喰わないように、事前に逃がしてやりたいんだ』
「どういうつもりだ?」
怪訝な顔をして、ソルは聞き返す。捕まえるならまだしも、逃がそうとするなど、そうそうあることではない。何か心境を変えるようなことでもあったのだろうか。
『彼らは……ただ生活していくために、そういうことに荷担しているにすぎない。必ずしも逮捕するべき相手ではないと思う』
あらかじめ用意しておいた言葉をなぞるように、答える声は澱みがなかった。だが、その程度で納得できるはずもなく、ソルは構わず追求した。
「どうしてそう思う」
更に質問を重ねられ、向こうは何か逡巡する気配を見せた。しばらく何も言わずにソルが待っていると、先程のような断定口調ではなく、心の戸惑いを露にするかのような躊躇いがちな声が聞こえてきた。
『実際に接してみて、書類上に書かれていることとは随分違うんだと気付かされたんだ。……いや、性格面でみたらお前みたいに腹が立つ奴らばっかりだったけど……』
「なんだとコラ」
『とにかく色々と話してみたら……彼らばかりが悪いわけじゃないような気がし始めたんだ』
合間に茶々を入れながらも、ソルは向こうの言い分を静かに聞く。その辺りは信頼されているのか、弱さを取り繕うでもなく、声は迷う心をありのままに晒した。
『聖戦からまだ復興しきれていない社会、不安定な政治、行き届いていない法……真っ先に弱者が切り捨てられていくのは、未だに何も変わっていない。組織の連中はともかく、ただお金で雇われている人達はそういった社会の犠牲者なんじゃないかと思う』
色々考えるのはいいことだが、またこいつは甘っちょろいこと言い始めた、とソルは思った。世の中すべての理不尽に、いちいち情けなどかけていられるはずがないのだ。不憫な人を全員救えるわけではない。人ひとりの力ですべてがどうにかなるほど、世の中は甘くない。
ソルは、余計な考えを断ち切らせようと、酷薄な態度を取った。
「だが、犯罪に手を貸してることに変わりはないはずだろ。ああいう奴等は自分に甘いだけで、その最低な状態で満足してんだよ。本当に現状が嫌なら、必死で足掻くはずだろ。そんな根性なしの奴等に情けをかけてやる必要はない」
ソルがはっきりと言い切ると、しばらく沈黙がその場を支配した。ソルは目を細めて、反応を窺う。
しばらくすると、不意に悲痛な響きを持った声が静寂を破った。
『それだったら、私も同じだ……!』
「あ?」
言っている意味が分からず、ソルは怪訝な顔で聞き返した。一体、何と同じというのだろうか?
感情が伝わらないもどかしさに、向こうはむきになって叫び続けた。
『私も彼らと同じだ! 今の状態で……満足してしまっている。警察機構に身を置いて悪を裁くことで、世の中に貢献していると勝手に納得してしまってる……! 努力すればもっと何かできたはずなのに、私は……』
「おい、いい加減にしろ」
メダルから零れる、泣きそうに震えた声を遮るように、ソルは厳しく嗜めた。その苛立ったような語気の強さに、向こうは虚を突かれたように息を止める。
「お前がちょっと努力したくらいでどうにかなるようなもんじゃねぇんだよ。自分の力で全部解決できるだなんて馬鹿なこと考えてんじゃねぇ」
『! そんなことを言うつもりはない……! 一人ですべてをなんとかできるだなんて、私は思ってない……。ただ、自分にできることはできる限りしようと……』
「それが傲りなんだろうが」
苛立ちを隠しもせず、ソルは切り捨てるように言った。メダルを見つめる目は、ほとんど睨付けるようにつり上がっている。
だが、それをふと和らげ、ソルは苦笑を口許にのぼらせた。
「いい加減、人のために時間を潰すのはやめろよ。……お前は今まででも充分人助けしてきてるじゃねぇか、カイ」
『ソ……ル?』
驚きと戸惑いをないまぜにしたカイの声が、幼い響きでソルの名を口にした。最初に名前を呼ぶなと注意したにも関わらず、尚も口にするカイを今度は嗜めることもせずに、ソルはやれやれという笑みを浮かべる。
人を誉めるような言葉も滅多に言わないが、それ以上にカイの名を呼ぶこともほとんどなかった。いつも坊やと呼ぶ癖がついてしまっていて、意識しなければ名前で呼ぼうとはソル自身あまり考えなかったのだが、カイは時々それを「子供扱いしている証拠」として受け取るときがある。だから余計になのか、名前で呼ぶとカイは非常に驚く。特にカイが混乱しているときなどはてき面で、聖騎士団にいた頃は二、三度意識して使ったことがあった。
そういえば聖戦後で使ったのは初めてだったなと思い当たったソルが、セックスのときに名前で呼んだらカイはどう反応するのだろうと馬鹿な考えにまで及んだとき、カイが驚きから立ち直ってぽつりと言った。
『……作戦の決行日、変えた方がいいかもしれないな』
「なんでだ?」
『だってソルがそんなこと言い出すなんて、縁起悪そうだし』
「……あとで泣かせてやるから、覚えとけ」
失礼極まりないカイの科白に、ソルはこめかみに青筋を浮かべて口許を引きつらせた。少し甘やかしてやると、いつもこうだ。
それでも、カイが思い詰めてしまう前に止められたことに心中で安堵しながら、ソルはわざとらしく大きな溜め息をついてみせた。
「しゃあねぇから、今回はお前の言う通りでやってやるよ。こっちの法力使いどもには手ェ切るように警告しとく」
『……ありがとう。本当に、ありがとう……ソル』
僅かに涙の匂いを漂わせた甘く幼い声が、表しきれない感謝の意を「ありがとう」のたった一言に詰め込んで囁きかけてきた。ここにカイはいないのだが、なぜかソルには今のカイの表情が手に取るように分かった。手元にある写真に写っているような大人の笑みではなく、おそらく年とは不相応なほど幼く素直なはにかんだ笑みを浮かべているのだろう。目の前にいたら額にキスでもしてやりたいところだが、生憎あるのは写真だけだったのでそれはしなかった。
『でも、結局私のわがままに付き合わせることになってしまって……ごめん』
喜びと同時に後ろめたさも感じるのか、カイは同じその口で謝罪した。そういうところはカイの美徳でもあり、欠点でもある。
だからそれには敢えて答えず、ソルは鋭い八重歯を片方覗かせて笑った。
「その代わり、全部済んだら一発ヤらせろよ」
『なっ!? ソ、ソルの馬鹿ッ!!』
途端に声を荒げて憤慨したカイは、「じゃあまた当日に連絡する!」と投げ捨てるように言葉をぶつけて、通信を切ってしまった。
その、いつまでも変わることのない反応に苦笑しながら、ソルはメダルをしまった。とりあえずこれであとはその日を待つのみとなる。
同じ宿で寝ている熊男と眼鏡男にさっさと立ち去るよう、忠告しに行こうと立ち上がりかけて、ソルは手の中に収まっているものに改めて視線を落とした。
「……俺は写真なんざいらねぇからな」
言い様、ソルはその写真を法力で燃やした。本当にほしいのはカイ自身なのだから、こんなものはいらない。闇に紅い灯がともるのを見つめながら、ソルはそう思った。
はらはらと舞い落ちる灰を残して、ソルは音もなくその場から姿を消した。






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