昔から、後ろめたいことをするのは夜中だと決まっている。そして、その連中も例に漏れず、夜中に作戦を決行するつもりらしかった。
闇に紛れればターゲットが油断する可能性があるのは確かだが、その分こちらも視界が悪くなる。失敗する可能性を抱きながら夜に行動するのと、自分の行いを暴露しながら昼に行動するのとでは果たしてどちらが良いのか判断に迷うところではあるが、ソルにはあまり関係のないことだった。
昼も夜もなく視界が明るい自分の目を呪うべきなのか感謝するべきなのか分からないまま、ソルは「ブラッドハウンド」のリーダーであるシーザー=ストーに視線を向けた。
「眼鏡野郎の話じゃあ、向こうは法力使いをほとんど解雇したらしいぜ。兵器が完成したから、いい気になってんだろうな」
「その報告は聞いた。こちらも法力使いを二人手放してしまったが、もっとも優秀なお前が残っているのだから、奴等よりは随分優位に立っている」
意味ありげな目差しを寄越しながら、シーザーは髭の下から不明瞭な笑いを漏らした。そして聞こえよがしに、一言付け加える。
「俺自身も法力使いなのだから、『バイオレットスコーピオン』の連中など、ひとひねりだろうさ……クックッ」
下卑た笑いを張り付ける中年男に内心うんざりしたソルは、シーザーから視線を外した。早く坊やの綺麗な顔がみたいと、心底思ってしまう。
「……その割には、奇襲するんだな」
「長年の悲願だったからな、奴等との対決は。だが、生憎とあんな三下と長々遊んでなどいられん。早急に決着をつけて、ゆっくりと酒でも飲みたいもんだ」
ライバルのように対等に扱ったかと思うと、すぐさま見下している。その辺りの矛盾には一切気付いていないらしいシーザーは、芝居がかった大袈裟な仕種で後ろを振り返った。
軽く手を振り、シーザーが実行の合図を出すと、控えていた選りすぐりの十数人の部下が、一斉に動き出す。事前に打ち合わせた通りに数人のグループこどに分かれ、「バイオレットスコーピオン」のアジトを囲み始めた。宿敵と相対するためか、部下は皆息巻いて突入していく。
その性急さと思慮の無さに呆れながらも、ソルは最後にシーザーの背後を追うように中へと入った。事前に調べた通りの間取りなら、これですべての出入り口を塞いだことになる。……だが、そう甘くはない。
ろくに人の気配がしない部屋を抜けて、薄暗い地下に足を踏み入れたとき、唐突に煌々とした照明がついて、すべてを明るみにした。
「! な、なんだ!?」
「……」
予想外の事態に動揺をみせたシーザーに、ソルは敢えて何も答えなかった。直立不動のまま周囲に首を巡らせて、自分達を囲む複数の気配をシーザーに教えてやる。
まるでそれが合図か何かのように、物陰から如何にもタチが悪そうな男が十数人現れた。それぞれ手には剣や斧を持って、にやにやと下卑た笑みを浮かべている。別の入口から突入したはずの「ブラッドハウンド」の男達もすべてが一所に集まってしまっていたので、追い込むはずの獲物に自分達が逆に追い込まれる形になっていた。その事実に気付いた「ブラッドハウンド」の男達は、顔を強張らせる。
まんまと罠にかかったのはこちらの方だった。
それをさも楽しそうに見ていた大男が、左手に持ったサバイバルナイフを弄びながら、幾分顔を青ざめたシーザーに視線を向けた。
「まさかこんなに容易く引っ掛かるとはなぁ? シーザーさんよぉ」
愉悦の笑みを浮かべてご満悦らしいその大男は、「バイオレットスコーピオン」のリーダーらしい。シーザーと面識があるような言い回しと、腕に掘られたサソリの入れ墨がそれを示している。
シーザーは驚きのあまりか、ぎょろつく濁った目で大男を見つめるだけだった。
それに更に気を良くしたらしい大男は、隣に立っていた細身の男の方へ首を巡らせた。
「お前の言う通りだったなぁ、ヴォルト。流石だ」
「喜んでいただけて幸いです」
ヴォルトと呼ばれた男――カイは、大男の言葉を受けて厳かに一礼した。闇を織り込んだような漆黒の長い前髪が揺れ、合間から覗く紅玉の瞳が妖しい光を放つ。
「このオマヌケな奴等、どうするのがいいと思うよ?」
圧倒的に有利な立場にいるせいか、わざと聞かせるように大きな声で話す大男に、カイは優雅に進言した。
「とりあえず労働に使って、用済みになればバラして臓器を売り払ってしまうのがいいんじゃないでしょうか?」
カイは赤みのさした唇を品良く形作り、口にしている内容とは著しく反した柔らかな笑みを浮かべた。その凄艶な微笑みに、「ブラッドハウンド」の男達は怯えたように一歩後退る。そんな中、ソルはカイのなかなか堂に入った悪党ぶりに、一人のんきに感心していた。
「んじゃ、とりあえず生け捕りだぁな」
「そうですね。あまり体に傷をつけると、使い物にならなくなりますから。……でも逆らうようなら、腕の一本や二本は折らざるを得ませんね」
涼しい顔で残酷な会話をする大男とカイを見て、ソルはさり気なくシーザーに耳打ちした。
「囲まれたって構やしねぇだろ。こっちにも兵器があるんだから、下手に手出しは出来ないはずだぜ」
「……! そ、そうだッ。確かにお前の言う通りだ!」
途端に正気に戻ったシーザーは、ソルの言葉に一も二もなく賛同し、不気味な笑い声を上げた。そして素早く懐から、黒い箱のようなものを取り出して掲げる。
それは片手に乗るほどのもので、表面にはびっしり魔法文字が書かれていた。紛れもなく兵器の起動装置だ。
「レイジー、貴様は兵器の存在を忘れたか!? これに法力を送り込めば、すぐさま貴様はこの世から消滅する!」
野蛮な笑みを浮かべて、シーザーは声を張り上げたが、大男――レイジー(らしい)はそれを負け犬の遠吠え程度にしか感じていないのか、いかにも馬鹿にした態度で見下した。
「兵器を使ったりなんかしたら、お前らも一緒に巻き添え喰ってサヨウナラだぜ?」
「ふんッ、何も知らないようだな。俺達の持つ『グリフォン』は貴様らをピンポイントで討ち滅ぼすぞ!」
シーザーの言うことは事実だった。もともと「バイオレットスコーピオン」の連中が買った兵器よりもこちらが買った兵器『グリフォン』の方が、性能は高かったのだ。それに加えてソルが改良を施したので、兵器の威力にはかなり差がついている。
その辺りのことは向こうも分かっていたのか、レイジーは僅かに顔を歪ませた。
だが、その目は決して諦めていない。
「……ヴォルト、こっちの兵器で奴等だけを狙うことはできるか?」
「五分……いえ、三分あれば手動で設定できます」
小声でレイジーに聞かれて、カイは即答した。それを聞いたレイジーは、後ろ手に小さな銀のメダルをカイに渡す。おそらくはそのメダルが兵器の起動装置なのだろう。
二人は抑えた声と僅かな動作でやり取りしていたが、ギアであるソルには充分確認できた。
だが、所詮は人間であるシーザーにはそのやりとりが分かったはずもなく、難しい顔をするレイジーに自分の優位を確信していた。
「さぁ、どうする。俺の言うことに従うというなら、命は助けてやらんことも――…」
突然、レイジーが投げたサバイバルナイフがシーザーの持つ黒い箱を弾き飛ばした。
得意げに話していたところで不意を突かれ、シーザーは遠くに転がっていく兵器の起動装置を呆然と見つめる。
その隙を逃さず、レイジーが喉が裂けんばかりに声を張り上げた。
「今だ! 全員なぶり殺せェーッッ!!」
それに答えるように、「バイオレットスコーピオン」の連中がオォォー!と声を上げ、「ブラッドハウンド」の男達を目掛けて突進してきた。転がっていった『グリフォン』の起動装置がある方に大半が集中したのは言うまでもない。
兵器の起動装置を手にすれば無敵になれるとでも思っているのか、皆がそちらに殺到する。だが、ソルは極めて冷静に状況を見つめていた。
『グリフォン』は高性能であるかわりに、使う者を選ぶ。ピンポイントや時間差攻撃を設定できるのは、複雑な兵器であるからこそだ。そして、それを操る者の最低条件は法力使いであることだった。だから、この場で『グリフォン』を起動させられるのは、ソルとシーザー、そしてカイだけである。「バイオレットスコーピオン」にはカイ以外の法力使いはいない。リーダーとはいえ、レイジーもただの人間にすぎなかった。
青ざめていたシーザーが正気に返って顔を赤くしながら怒鳴り散らしていたが、「ブラッドハウンド」と「バイオレットスコーピオン」の壮絶な乱戦の中で、もみくちゃにされたようだった。禿げ上がりかけた頭が、人の波に埋もれていくのが、ソルには見て取れた。
こうなってしまえば、ほとんど敵も味方もなくなる。両者ともに選りすぐりのメンバーなのだから、互いに味方の顔は覚えているはずなのに、起動装置を奪うことに夢中になって、同士討ちしているところもあった。目の前の者を引き倒し、踏み付け、手に持った剣で互いの臓腑を抉る姿には、人間の強欲さが如実に表れている。
時々周囲から掴み掛かってくる連中を仕込みナイフで一撃し、絶命させながら、ソルはレイジーの方へと視線を向けた。なかなか狡猾な男なのか、乱戦状態のこちらへ来る気配はなく、カイから僅か離れた位置に立ったままこちらを眺めている。だが、流石にこの状況で余裕とはいかないのか、その表情は険しい。
あらかた状況を把握したソルは、とりあえずシーザーを仕留めようと、人の波に逆らいながら移動した。『グリフォン』を操れる人間を一人でも減らす必要がある。それに、この血で血を洗う状況なら、誰にも気に留められることなくとどめを刺すことが可能だろう。
そう思って、あらゆる武器が飛来する中を器用にくぐり抜け、ソルが興奮状態のシーザーの背にナイフを押し当てたとき、レイジーの苛立った声が耳に届いた。
「まだか!? ヴォルトッ!」
「もう少し……ええ、出来ました」
あくまで穏やかな口調のままで頷いたカイは、メダルをレイジーに手渡した。
「メダルを開ければ、兵器が起動します」
「なるほどな……」
口端を上げてにたつきながら、レイジーはメダルを受け取った。シーザーは自分のことで手一杯なのか、二人のやりとりにまだ気付いていない。
起動装置を持っている者を別の者が襲い、またそれを別の者が襲って奪っていくという、未だに混乱を極めた状態にあるシーザーの周辺に視線を向けて、レイジーは高笑いを上げた。
「俺の勝ちだッ、シーザー!」
地下の広場すべてに反響するような声で叫び、レイジーは手の中のメダルを開こうとした――が。
その寸前で、レイジーの手首から先がなくなった。開かれることのなかったメダルが、切断された手首とともに地面に落ちていく。
「……ぎ…っ…」
引きつったような声を、レイジーは唇から漏れらした。途端に手首の切り口から溢れ出す血と、それでみるみる赤く染まっていく地面とを、半ば呆然としたまま見つめる。分離した手首が、その血でほとんど汚れたとき、レイジーはショックで麻痺していた痛覚が戻ったらしく、悲鳴とも憤怒ともつかない声をあげた。
「ぎぃぃがあぁぁ!」
自分の手を抱え込んで絶叫しながらのけ反り、その反動で体を起こしたレイジーは血走った目で、カイを睨付けた。
鋭い視線にも構わず冷ややかにレイジーを見つめていたカイは、手に持った長剣を軽く振って、血を払う。そして、カイは地面に落ちていたメダルを悠々と拾った。
それを見て、レイジーは口から泡を吹きながら、吐き捨てるように叫ぶ。
「ヴォルト……よくも裏切ったなッ!」
その言葉に、カイは眉を寄せて不愉快そうな顔をした。
「強盗、二十二件。婦女暴行、ニ十七件。殺人、十五件。……他にもまだまだありますが、これだけでも充分にあなたの罪の重さが分かるでしょう?」
カイは徐に、レイジーに手を伸ばした。繊細な白い手が、レイジーの額に触れるか否かのところで、ぴたりと止まる。
「だから、最初からあなたの味方をしたつもりはありませんよ」
言い様、カイは指先から青白い火花が散った。一瞬にして感電したレイジーは、気絶してその場で倒れ伏す。
「私は……最初からソルだけの味方です」
そう呟いて力強く微笑んだ瞳が、こちらを見た。ソルはその視線を絡め取るように見つめ返してから、シーザーを刺すつもりだったナイフを、『グリフォン』の起動装置に目掛けて投げつける。
兵器が作動するのかと身構えていた連中は、突然の展開に驚きを隠せず、僅かに隙があった。ソルが投げたナイフは人の間をぬって、ちょうど起動装置を手に入れたところだったらしい一人の男の手から、またそれを奪った。黒い鉛のような箱が、鈍い金属音を奏でて転がっていく。
それはちょうどカイの足もとまで来て、止まった。
「……抵抗はしないでくださいね。兵器を無闇に発動させたくはないですから」
拾い上げた黒い箱とメダルを両手に乗せ、見せつけるようにかざしながら、カイは威圧的な視線で周囲の連中を見据えた。
その一連の出来事にやっと理解を示したらしいシーザーは、相当な剣幕でソルの方を振り返る。
「貴様ら! グルになって俺達を騙したな!?」
「気付くのが遅ぇな。そんな頭の悪さだから、大した賞金首でもねぇんだよ」
小馬鹿にしたように嘲笑い、ソルはシーザーを見下ろした。意図的に潰し合いをさせられていたことに今頃気付くようでは、小者としか言い様がない。……もともとこんな田舎の思い上がりな連中には、この兵器は過ぎた玩具だ。
シーザーの叫びで連中は意志が決まったのか、周囲の男達は持っていた各々の武器をこちらに向けてきた。明らかに攻撃の色を見せる無数の目に気付き、カイは眉をひそめて厳しい表情を作る。
「無駄に抵抗するのはやめてください。歯向かうようなら、容赦なく兵器を発動させます」
「どちらにしろムショ入りなら、死んだって構うもんかっ。貴様らも道連れにしてくれるわ!!」
やけになって叫ぶシーザーに賛同するように、男達はぎらぎらとした目で凶器を振りかざしてきた。生き延びて人生をやり直すという選択はないらしい。組織としてのプライドなのかもしれないが、ソルにはくだらないとしか思えなかった。
カイも連中を愚かと思ったのか、一瞬苦渋の色を見せた。だが、すぐに割り切ったのか、封雷剣ではない長剣を構えた。端正な顔に、厳しく光る紅い瞳が添えられる。
ソルも特に身構えることもなく、腰に差していた大剣を引き抜いた。今回はソルもカイも、故意に神器を置いてきたのだ。あくまでも賞金稼ぎとして二人はここにいるので、跡形もなく連中をふっ飛ばしてしまっては意味がない。最低でも首は残るようにしなければ、照合ができないのだ。
だが、ソルとカイがわざわざハンデを与えているなど知るよしもなく、「ブラッドハウンド」と「バイオレットスコーピオン」の男達は、容赦も何もなく襲いかかってきた。
「うざってェ。邪魔だ、どけ!」
皮膚一枚が焼ける程度に火力を抑えて、ソルは群がってきた連中を吹き飛ばす。魔法に対する防衛にはあまり考慮していなかったのか、成す術もなく数十人が薙ぎ倒されていく。それほど広くもない倉庫で三、四メートルをふっ飛ばされ、運の悪かった者は別の者の下敷きになって無様な呻きをあげたり、お世辞にも整理されているとは言い難い乱雑に置かれた荷物に衝突したりと、随分派手な騒ぎになっている。
だが、全体の敵の人数自体は最初の三分のニほどに減っていた。同士討ちの結果、絶命した者や身動きが取れなくなった重症者が続出したせいだ。
法力の放出で舞い上がった金髪がゆっくりと黒いヘッドギアにかかるのを感じる間もなく、ソルは次の行動に移った。
黒髪、外骨格な顔、三十代後半の厳つい体……強盗、婦女暴行で指名手配されている男に近づき、ソルはその男の右足に大振りな剣を叩き付ける。悲鳴が上がる前に剣を引き戻し、ソルは上半身を捩って、斜め後ろにいた男――窃盗、放火、殺人の罪に問われている賞金首の左肩を、撫でるような仕種でばっさりと切り落とし、そのまま滑った剣で婦女暴行と殺人容疑で指名手配されている男の右手足を切断した。一秒にも満たない時間で、三人の賞金首が健康体とおさらばする。
賞金首の人相と罪状をすべて記憶しているソルは、間違えることなく手配されている者だけを狙って近付き、手足のいずれかを斬り落としていった。はっきり言うと殺した方が楽なのだが、あまりに賞金首が多いので(大半が安い首ではあるが)、損傷しようとも生きていてもらわなければ、大量の死体を運ばなければならなくなってしまうからだった。
一瞬で不自由な体にされてしまった男達が引きつった金切り声を上げるのを聞きながら、ソルはカイの方にちらりと視線を投げた。なぜかカイの方に襲い掛かる者が多く、四方八方から攻められている。
体格が明らかに華奢なカイの方が御しやすいと考えたのか、あるいは兵器の起動装置を二つとも持っているからなのか、カイはソルの倍以上を相手していた。だが、カイのその表情に焦りはなく、至極落ち着いた剣技をあたかも舞うように披露していた。この程度の相手で慌てていては、聖騎士団の団長や国際警察機構の長官が勤まるわけがない。そもそも聖戦のときはギアを相手にしていたのだから、今相手にしている連中とは比べものにならない。
とはいえ、一瞬でも判断を誤れば危険に晒されることは必至だ。ソルは早々に自分の周囲を片付けて加勢に行こうと考えた。
しかしその矢先のことだった。
「――この淫売がぁッッ!!」
ちょうどカイが左右からの攻撃を受け止めようとした瞬間、突然あがったその声に、カイはびくりと体を強張らせ、隙を生んでしまった。タイミングがずれ、カイは振り下ろされた左右からの斬撃を受け止め損ない、右肩と左腕を切り付けられてよろめく。体が傾いだその一瞬を見逃さず、周囲の男達は一気に襲い掛かった。
だが、カイには法力がある。
「はあぁぁっ!」
カイ自身から発せられる法力が極度に高まった瞬間、空気中に含まれる力さえもが引き寄せられるように集約し、半瞬後にその何倍もの反動で力が弾けた。発生した波は、分子を振動させて周囲を圧倒的な力で押し流す。それに飲まれた者は、吹き飛ばされると同時に全身を雷に撃たれたかのようにその場でくずおれていった。
「く……」
だが、急激な力の放出にカイの傷が疼く。僅かでも疲労を抱えた体は動きが鈍るのか、剣の重みに自然と剣先が下がった。
緊張が解けたその瞬間、カイは予期せぬ方向から反撃をくらった。
「な…っ…うわぁッ!」
不意に足首を引っ張られ、カイが僅かにバランスを崩すと、そのまま誰かに背後から押し倒された。羽織っていた灰色のコートが舞い、広がって落ちた裾を、大男が伸し掛かって押さえ付ける。
カイを引き倒したのは、気絶させられていたはずのレイジーだった。下手に手加減をしたせいで、すぐに目を覚ましてしまったらしい。
咄嗟に起き上がろうとしたカイの黒髪を鷲掴み、レイジーはあまり顔色が良くないままにたにたと笑った。
「へへッ……この体で、一体何人の男を騙したんだ? お嬢ちゃんよォ……!」
言い様、もがくカイを左腕で捩伏せる。右手首は切り落とされたままで血を流し続けて体力を奪っているようだったが、レイジーは代わりに全体重をかけて馬乗りになっていたので、カイは自分の倍以上の重みに苦痛の色を見せた。漆黒の前髪の合間から覗く紅い瞳だけが、怒りを宿してレイジーを睨付ける。
「……んだぁ? その目はよォ。誘うんならもっと色っぽい目ェしてみせろよなぁ」
尚も卑猥な中傷を口にしながら、レイジーはカイの手から『グリフォン』の起動装置をもぎ取った。だが、自身が法力使いではないので持っていても扱えないということを重々分かっていたのか、ゴミでも捨てるように適当に放り投げる。
扱えないのだとは知りもしない部下達は、それを手に入れようと群がった。
レイジーは明らかに出血多量で長くは持たないような状態であったが、だからこそなのか、兵器の起動装置には興味が無くなっていたようだった。どこか投げやりなその表情に剣呑な目を宿し、カイに顔を近づける。カイは怒りを含んだ目でレイジーを睨付け続けていたが、なぜかその顔は強張っており、恐怖を滲ませていた。法力を使えば容易くどけることができるはずだというのに……。
それに気を良くしたらしいレイジーは、カイの頬を舌でねっとりと舐め上げた。
「澄ました顔しやがって……それで一体何人のものを咥え込んできたんだァ? このケツでよぉ」
伸し掛かったまま、レイジーはまるで突き上げるようにカイに密着して腰を擦り付けた。その不快な感触に、カイの端正な顔が歪む。
その態勢だけでもひどく腹立たしかったというのに、そういう動作を見せ付けられ、ソルは頭の中で何かが切れたような気がした。険しい表情をさらに凶悪にして、ソルは背後から襲い掛かってきた男から斧を無造作に取り上げ、レイジー目掛けて全力で投げ付けた。目標は外れることなく、レイジーの頭部をあっさり斬り飛ばす。
「……」
ゆっくりと倒れていったレイジーの首から下だけの体を横目で見て、カイはやっとその下から抜け出して立ち上がった。だが、カイは右肩の傷を押さえながら、どこかまだ恐怖を拭いきれていない様子でレイジーの死体を見つめていた。聖戦の最中を生きたカイには、死体は別に珍しいものでも何でもないはずなのに、怯えたように後ずさって距離を取る。
その行動にソルは僅かに疑問を抱いてカイに近付こうとしたが、不意に癇に触る下卑た笑い声が響いた。
「ははは……! 俺が勝者だ!!」
大声で叫んだのは、シーザーだった。盛大に広げた手には、どさくさに紛れて奪ったらしい黒い箱が握られている。『グリフォン』の起動装置だ。一応法力使いの端くれであるシーザーにはそれを起動させることができる。
シーザーの様子に気付いたカイは慌てて止めに行こうと足を踏み出しかけたが、ソルはそれを目で制した。意味は察したのだろうが、納得のいかない様子で見つめ返してくるカイに、ソルは僅かに口端を上げてみせる。残忍さをたたえて八重歯を覗かせるソルに、カイは不思議そうに大きな目を瞬かせた。
ソルの思惑など知る由もないシーザーは、起動装置に法力を注ぎ込み始めた。
「全員死ねーッッ!!」
黒い箱の表面にびっしり描かれていた文字が黄金色に光り、発生した強大なパワーにそれがカタカタと振動し始めるなかで、シーザーは愉悦の笑みを浮かべた。
自分を軽視することを許さない傲慢で極めて恣意的なその性格は、当たり前のように自分以外の全てに攻撃の標準を合わせていた。
だが、兵器は思わぬ方向に暴走し始める。起爆剤として注ぎ込んだ法力が何十倍もの力に増幅され、シーザーに襲い掛かったのだ。
「ぎ…ぎゃあぁぁぁ!!」
突如悲鳴をあげたシーザーの手が、ぼこぼこと鍋で液体を煮るような音を立てて溶け出していた。起動装置に手が張り付いたまま放すことができないのか、シーザーは痛みと恐怖に顔を歪めたまま、肉がただれていくのを為すすべなく凝視していた。
周りにいた男達はあまりの驚きに思わず後退り、恐ろしげにその光景を見つめる。カイもこんな事態は予想していなかったのか、瞠目していた。
しかし、ただ一人、ソルは表情を変えていなかった。魔法陣に細工し、使用者に向かって魔法が発動するようにしたのは他の誰でもなく、ソル自身だったからだ。
「ひイィィッ! 助っ…助けて――」
「今更助けろだァ? てめェにいたぶられて死んだ奴等が、あの世で怒り狂ってるだろうぜ」
シーザーに一足飛びで近づいたソルは、その罪深い男を一瞬にして両断した。横に薙いだ剣が血で汚れることもないほどに高速で斬り落とされたシーザーの上方の体が、ずた袋を叩き付けたような音を立てて地に落ちる。その全体が完全に溶かし尽くされ、固体とも液体つかないものに変貌すると、光を放っていた起動装置はただの箱に戻った。呆気なく、悪夢のような魔法の暴走は収まっていた。
その場に充分すぎる静寂を与えたその光景の中、不意にソルは舌打ちをした。
「しまった、賞金が丸損じゃねぇか。これじゃあ照合なんぞ出来やしねぇ」
顔どころか頭蓋骨さえ残らずどろどろになったシーザーの上半身に視線を投げながら、ソルはわざと大きな声でひとりごちる。その言葉に、残った男達は怯えを走らせた。
抵抗する気力を根こそぎ奪う悲惨な死に方を見せられ、残っていた連中はただただ呆然とする。ついでにカイも驚いた様子で突っ立ったままだった。
不意に、ソルは目を細めて口端を釣り上げ、鋭利な八重歯を見せた。
「まだ無駄に抵抗するんだってんなら、これと同じ運命を辿るが……どうする? おとなしく捕まってくれりゃあ、こっちも楽なんだがなぁ」
その問いに、誰一人として異を唱える者はいなかった。
昼間でも薄暗い路地を、ブラウンは指名手配書のコピーを眺めながら歩いていた。
そこに載るっていたはずの「シーザー=ストー」と「レイジー」を始めとする「ブラッドハウンド」と「バイオレットスコーピオン」の面々がすべて削除されていた。言うまでもなく誰の仕業か、ブラウンには分かった。おそらくはブレイズだろう。ちょうど四日前の夜中に突然叩き起こされ、この仕事から手を引くように言われたのだ。特に組織と関わりがあるわけでもないブラウンは、素直にその忠告を受け入れた。そうして今はまた本業の情報屋に戻っている。
ブレイズが何か異質なものを持っているのは最初から分かっていたことだった。
組織に関わるようなタイプには思えない。もっと深い意味で、彼は組織よりも危険な男だろう。
「……ま、何はともあれ、話すネタができたな」
ブラウンはにやにやと笑いしながら、一人ごちた。同じく情報屋を営む友人をこれから訪ねに行くところだ。
「ついでに、あのヴォルトとかっていう美人さんの素姓も調べてみようかね」
ブレイズとヴォルトがグルだったことを知らないブラウンは、軽快な足取りでのんきにそんなことを考えていた。
それから五日後――
ブラウンがヴォルトの素姓を掴みかけたとき、どこからともなく現れたブレイズに半殺しの目に合されたとかそうでないとか……。
END
ブラウンはオリキャラですが、あくまでも二人の関係を客観的に見るということに重点を置きたかったので、あまり目立った個性をつけないようにしてみました。どうでしょう? ……あ、鬱陶しい、と(笑)。ソルとカイの偽名についてですが、これは初代ギルティの一撃必殺の名前(オールガンズ ブレイジングとツヴァイヴォルテージ)から取りました。黒ソルと黒カイを、クローンとか分身という形で出すのは原作から大きく外れてしまうような気がしたので、変装という形で出してみました。その辺りはまあ…いいとして……なんでこんな血生臭い話になっちゃったんだろ?? 私としてはどうもすっきりしない。……ということで、アフターストーリーをつけてみたり。むしろこっちがメインか?というようなハードな内容ですが……気になった方はどうぞ読み進めてみてくださいf(^_^;)