バウンティハンターズ
昼間から酒を飲む者や世間に顔を出せない者が集まる酒場は、一様にして暗かった。そしてそこにいる者達はどれもこれも陰気な顔つきで、目だけが刃のようにギラギラしている。
しかしその中で、ほかとは幾分異なるシルエットの者がいた。
身長は150cm程度で子供としか思えないその体は、さらに痩せすぎかと思われるほどに細い。フード付きコートを着込んでいたが、袖から出ている手はか細く白かった。
それでも彼は男である。そして賞金稼ぎでもあった。
この酒場に賞金首がよく現れると聞いて、彼はずっとそこで待っているのだ。
「う〜……」
椅子に座ったままで、彼はテーブルの上のグラスを見つめながら唸った。グラスの中はただの水だが、何もすることがない彼にとってはそれさえ恨めしい。
彼はもう一時間近く、そこにいたのだ。だが、目ぼしい賞金首は未だに現れていない。
「……もう帰ろうかな」
別に待たなくちゃいけないわけじゃないし。
溜め息混じりに言葉をこぼし、彼はふぅっと肩を落とした。何もする事がないと、一時間じっとしているのは意外につらい。
もう頃合だろうと彼は思ったが、ちらりと掛け時計を見て、後5分は待とうと決めた。後5分でちょうど一時間だ。これなら区切りがいい。
彼はよしっと気合を入れ直し、姿勢を正した。その様子を不審そうに見る者が数人いあたが、彼は全く気づかなかった。
そうしてとりあえず一分が過ぎた時、新しい客が現れた。
ドアが開く音と共に現れたのは、二人の男だった。最初に入ってきた方は、随分ガタイのいい男だった。ノースリーブの赤いジャケットから剥き出しになっている腕は筋肉がはっきりと浮き上がっている。体のラインを浮き立たせている服のせいで、余計に筋肉質だと分かる。それを男らしいと見るべきか、暑苦しいと見るべきか、彼は少し悩んだ。
後からついてくる形で入ってきた男の方は、その筋肉男とは正反対に、随分細かった。おそらく身長を考慮したなら男として痩せすぎだろう。着ている服は地味な普段着に白いコートを羽織っているだけだが、それらが高価な布地で作られていることに、彼は気付いた。
「いらっしゃい」
マスターがカウンターの向こう側から声を掛けると、細身の男の方は軽く頭を下げた。しかし、先頭を行く筋肉男の方はそれに全く反応せず、そのままカウンターの席に座ってしまう。
姿勢を崩し、些か横柄のきらいがある座り方をしている筋肉男の顔を、彼はまじまじと見つめた。
目許に影を差すほど彫りの深い顔、奥で獰猛な光を覗かせる鋭い目、皮肉げに歪む口端。
完全な悪人ヅラだ、と彼は思った。平気な顔でとんでもないことを星の数ほどやっていそうである。そう思い込んでしまうくらいに人相が悪かった。
きっと賞金首に違いない。いや、絶対そうだ!
彼はそう確信すると、賞金首リストをろくに確認もせずに、二人の男のところまでそっと近付いていった。
その手にはいつの間にか手錠が握られている……。
「バーボン」
慣れた様子で、ソルはマスターの方を見ることもなく注文した。マスターもその御座なりな態度を気にする様子もなく、黙々と酒をグラスに注ぎ始める。
ソルはともかくマスターも無愛想だったので、カイは幾分驚いたが、こういう場では普通なのだろうと思い直した。まだまだこういう場での習慣には慣れず、カイの行動は浮くことが多いので、少し癪だが、ソルの行動を見本にしなければならない。
カイの自宅以外で二人が会おうとするのは意外に難しく、今日はこうして町外れの酒場で密会していた。もちろん、仕事の事でだ。
前にカイがソルに協力してほしいと頼んだ仕事が非常に面倒だったため、それに辟易したソルは今回、断るの一点張りだった。だが、ターゲットである相手の情報を全て提供すると、なぜか話に乗ってきたのだ。一体何が引き金だったのかは知らないが、協力してくれるのは非常に有難かったので、カイは敢えて何も言及しなかった。
コトンッとソルの前に置かれたグラスには、ストレートでバーボンが注がれていた。それを慣れた手つきで手に取り、ソルは一気に仰ぐ。
昼間から酒を飲むな、とは言わなかった。ソルの体がアルコールでどうにかなるようなものではないと、カイも分かっていたからだ。だが、風紀上良くないのは明白だったので、空になったグラスを置いてもう一杯頼もうとしたソルの口を手で塞いだ。
「あとは水か何かにしてくれ。酒臭いのは困る」
厳しい眼差しを向けて、カイは静かに告げた。それを聞いて、ソルは僅かに眉をひそめる。
しかし、ふとその不満げな眉がとかれ、平静な表情に戻ったかと思うと、突然指の腹をぺろりと舐められ、カイは慌てて手を引っ込めた。
「お、お前というやつは……ッ!」
「んなところに手なんか持ってくるからだろ」
にやにやと余裕の笑みを浮かべてこちらを流し見ながら、ソルはマスターにもう一杯と告げた。カイは人の目があったことに改めて気付き、僅かに頬を染めたが、マスターはそれに気付いた素振りもなく――だが目の前なのだから気付かないはずもないのだが、こちらを全く注視せずに黙々ともう一杯酒を注ぎ始めていた。
他に誰かから見られていなかっただろうかと、カイが店内に視線を走らせると――何か小柄な人物がこちらに近寄ってきていることに気が付いた。フードを目深に被っているその人物は、何の迷いもなくこちらの側までやってきている。
「……?」
警戒するには、殺気が無さ過ぎるとカイは思った。
そのうえ袖から覗く手は子供のように小さく頼りない。だがこんな場所に迷子がいるわけはないのだから、やはり怪しいことは確かだった。
しかもその人物はソルにだけ視線を向けているらしかった。
「ソル……」
カイは声を潜めて、隣のソルに呼び掛けた。ちょうど二杯目の酒を手に取ったところのソルは、目だけで「なんだ?」と問い掛けてくる。
「後ろ……」
「分かってる」
カイの言葉に短く答えを返し、ソルはグラスに口を付けた。カイは目に止めるまでその人物に気が付かなかったが、ソルは初めから分かっていたらしい。
ソルがなんでもない様子で酒を飲み続けているので、カイはそれ以上口を挟まなかった。だが、視線はその人物に定めたままである。
「ちょっとすみません」
甲高く、可愛らしい声で、その人物は突然話掛けてきた。すぐそばで、ちょいちょいとソルの背をつつくその人物の声は、完全に少女のそれであったので、カイは女の子だったのかと少し驚いた。女性が、しかもこんな幼い子供がこんな場所で何をしているのだとカイが思わず職務質問をしようと思った瞬間――、
ガチャリ。
――と、重々しい金属音が響いた。カイがゆっくりと音の元凶に視線を移すと、そこには手錠をはめられたソルの腕があった。ついでに鎖を辿っていくと、もう片方は少女の手首にきっちりはまっている。
最後にカイがソルの顔へ視線を移すと、そこには世にも珍しい、呆気に取られた表情があった。
「捕まえましたよ、賞金首さん♪」
少女は微妙にしなの入ったガッツポーズを取り、嬉しそうにぴょんとその場で飛び跳ねる。その全ての動作に邪気がなかったために、カイも反応が遅れて止めに入れなかった。同じく気を抜いていたらしいソルは自分の手に掛けられた手錠を見つめ――思い切り顔をしかめた。
「何しやがんだ、このガキゃあッ!」
「きゃーッッ!?」
「うわ、わ、ソル! 馬鹿っ、殺す気か!?」
手錠の存在などなんのその、ソルが少女を宙に浮くほど首を締め上げたので、カイは慌ててソルに縋り付いた。だが、ソルは全く力を緩める気配がなく、首を絞められているその少女の頭からフードがずり落ちる。その下から現れたのは、短めの金髪に修道女の頭巾を被ったあどけない少女の顔だった。
「ソル! 子供に手を上げるなんて何を考えているんだ! 早くその手を放しなさい!!」
「うっせェな」
まだ怒りの収まらないらしい声でソルは文句を返してきたが、少女の首を絞めていた手は緩めた。ずるずると床にへたり込んだ少女は、首もとを押さえて咳き込み始めたので、カイは駆け寄って背をさすってやった。
「大丈夫ですか?」
「けほっ……。はい、まあなんとか……」
少女は涙目になりながらもはっきりと返事をする。こんなにも細い首をソルの馬鹿力で絞められたのだから、それなりにダメージはあるだろう。しかし肌に痣は残っていないようなので、ソルもある程度は加減していたのかもしれない。
手錠で繋がれたままの手を嫌そうに動かしているソルをカイはキッと睨付けた。
「ソル、お前は何を考えているんだ! こんな子供に……しかも女性に対して暴力を振うだなんて……」
「女じゃねぇぞ、そいつ」
「――え?」
事もなげそう言ったソルを、カイは怒りも忘れてぽかんと見上げた。言っている意味が全然分からない。
女じゃ…ない…?
カイは改めてその少女を見つめた。雪のように白い肌に包まれた小顔に、ブルーサファイアのような瞳が嵌め込まれた幼い顔立ち。青い頭巾から零れる蜂蜜色の髪。コートから覗く細い手足。
……どこからどう見ても少女である。
カイは再び怒りを露にしてソルを睨付けた。
「お前は何をいい加減なことを……!」
「あれー? よく分かりましたね」
「――はい?」
カイは勢い良く少女の方を振り返った。少女は、えへへと笑いを零してから、自分の額の辺りを指さす。そこには、性別で「男」を表す記号が刻まれたプレートが頭巾に付いていた。
「ほら。ウチ、一応男なんですよ。訳あってこんな格好してますけど」
「い、いやでも…まさかそんな…」
カイはその少女――いや、少年を目の前にしてもまだ信じられず、しどろもどろになりながらもまだ否定した。自分自身も何度か女性に間違えられたことはあるが、目の前にいる少年はもはや究極だ。どっちだろうかと迷うべくもなく女性に見える。
まだ俄かに信じられずにどう反応していいのか分からないカイをよそに、少年は感心した様子でソルの方を見た 。
「ウチが男だってよく分かりましたねぇ?」
「長年の経験と勘だ」
どうでも良さそうに投げやり気味な口調で、ソルは言う。最初にソルがあんなにも激怒したのは、相手が子供とはいえ、男だと分かっていたからだと、カイは今更気が付いた。女が相手だったなら、おそらくいきなり首を絞めるような真似はしなかっただろう。
「それより」と切り出し、ソルは手錠が掛けられた左手を無造作に振った。
「どうでもいいが、これ外せ」
「何を言ってるんですか? これから警察に突き出して賞金をがっぽり貰うんですから、絶対ダメです」
少年はさっと立ち上がって、手錠の掛かっている自分の右手を威勢良く引く。逃げられないぞ、とでも言うような勇ましい動作だったが、ソルとの体格の差は明白で、彫像のようにびくともしない相手に少年の方がよろめいた。
その二人の会話を聞いていたカイは中腰から立ち上がって、勘違いしているらしい少年に話掛けた。
「あの、ソルは……この男は賞金首ではありませんよ?」
「えー? ウチはそんな言葉には騙されませんよぉ」
少しぷぅっと頬を膨らまし、如何にも子供っぽい仕種で少年は抗議する。どうやらソルを完全に賞金首と勘違いしているようである。しかも思い込んだらこうという性格なのか、意志は強固そうだった。
あまり荒波を立てずに納得してもらうためにはどうすればいいだろうと、カイは困りながらも色々と必死で考えを巡らせた。
「……あなたは賞金稼ぎをしている方ですか?」
「もちろんそうです!」
カイが何気なくそう聞くと、少年は一歩前に踏み出してきそうな勢いで返事をした。その無邪気な動作に自然と笑みを誘われながら、カイは重ねて尋ねた。
「じゃあ、賞金首リストを持っていますよね?」
「もちろんですっ」
「なら、今からそれで調べてくださいませんか? この、人相も性格も悪い男を」
「おい……」
おざなりな扱いに、ソルが不満げに睨付けきた。だが、それを悪戯な笑みで受け流しながら、カイは視線で少年に事を促す。少年はなんでそんなこと言い出すの?と少し不思議そうに首を傾げたが、一拍置いてから「あ!」と声を上げた。
「ウチが調べている間に、逃げる気ですね!?」
「……。いえ、そんなつもりはないと思いますよ。それに、手錠は掛けてあるんですから、そう簡単には逃げれられないでしょうし」
安心して下さい、というようにカイは柔らかい微笑みを添えた。本当のところは、ソルがこの程度の手錠を外せないなどということはありえないが、そこら辺は敢えて言わない。わざと面倒なことを省いたことに対しては、ソルもこちらをちらりと横目で見ただけで何も言わなかった。
素手で鎖を断ち切れる者がいることをまだ知らないらしい少年はカイの言葉に「あ、確かにそうですね」と素直に納得して、リストを自由な右手で取り出した。
それをぱらぱらと真剣な眼差しでめくり始めた少年を確認してから、カイはソルの方へと視線を移す。
「……その手錠、なかなか似合ってますね」
「ざけてんじゃねぇ」
速攻で嫌そうな顔をして、ソルは目をつり上がらせた。それをカイは笑顔で受け流す。
……だが、ふと手錠で手を繋がれたソルと少年を見て、意識した。まるで二人が兄弟か親子のようであることに。もちろん少年は初対面で何者か知るよしもないが、自分とソルが並んで立っているよりは少年が立っていた方がどんな関係かはっきり分かって、違和感がないのだ。カイは自分だけが除け者にされているような錯覚を受けてしまった。
カイはいつの間にか笑みを消し、ソルの横顔を見つめた。後にも先にもおそらく唯一人、自分が誰よりも愛する人。だがそれと同時に、最も愛すべきでない――ギア。ソルがソルであったからこそカイは何よりも求めたのだが、現実はそれだけでは許してなどくれない。ソルがギアであること、男であることは何があっても付いて回り、カイの心を痛める。
かつてソルの隣に誰かいたのだろう。今は空白であるその位置に収まる自分も、いずれ朽ち果て、誰かがまたそこをきっと埋めていく。もちろん男でなく、女が。長い長い時間を何人もの女性が絶え間なくソルの傍らに居続けるのだろう。
自分が果たして何番目であるのか分かるわけもなく、それを聞いたところで答えてくれるはずもないことを知っているから、何も聞かない。……いや、自分は聞かされるのが怖いだけだ。比べられておとしめられるのを何より恐れている。そうしてくだらないプライドと憶病な心に不安を煽られ、時間は容赦なく過ぎ去っていくというのに……。
「坊や」
強くはないがなぜか体に響く低い声が、不意に降ってきた。それに引き寄せられるようにカイが視線を上げると、いつの間にかすぐ横にいたソルと目が合う。
「なんかまた下らねぇこと考えてただろ」
「え……」
「辛気くせぇツラしてるぜ」
そういって眉根を寄せて目を細めたソルが、カイには少し悲しげに見えた。
そうだ。そうして何人もの人達を見送って悲しんでいるのは、他ならぬソル自身なのだ。自分がそのことを憂いてどうするのだろう。暗く思い詰めたところでどうにかなるわけではない。
ただ、もしも許されるなら、ソルを本来あるべき姿に戻してやりたい。死という安息を求めることもなく、自分の殻に閉じ籠もるでもなく、僅かな望みを追い続けるこの男を。彼の願いが達成され、その過程で自分が手助けできたらどんなに良いか。
そうしたい。いや、そうしよう。……必ず。
カイは柔らかく笑みを浮かべ、ソルを見つめ返した。
「なんでもないよ、ソル」
「……そうか」
明るく表情が変わったカイに戸惑った様子のソルだったが、軽く顎を引いて頷いただけで特に何も聞いてはこなかった。その気遣いに、カイは密かに感謝する。
「ん〜…。あれ〜? なんでないんだろ」
全てのリストに目を通したらしい少年が、不思議そうに唸った。それを聞いて、隣のソルが盛大な溜め息をつく。
「なくて当たり前だ。でなきゃ、賞金稼ぎなんざやってられるか」
「ええっ? あなた、賞金稼ぎなんですか!?」
驚いたらしい少年は、リストの束を持ったまま覗き込むようにソルの顔をまじまじ見つめた。ソルはそれにガンを飛ばすが如く、少年を睨付ける。
強面なソルに臆することもなくじーっと見つめていた少年は、しばらくしてしみじみとした口調で言った。
「世の中、不思議なことがあるものですねぇ〜」
本気で不思議がる少年に、カイは大きく頷いて同意した。
「確かに奇跡に近いものだと思われます」
「世界にはまだまだ謎が多いんですね☆」
「意外にも身近なところに転がっていたりもしますが……」
「おい、お前ら」
息のぴったり合った少年とカイに、ソルは顔を引きつらせた。その閉口した様子に、カイはくすくすと笑う。少年は本心から発言していたせいか、カイが悪戯っぽく笑いを零す理由が分からなかったようだ。可愛らしく小首を傾げてソルとカイを交互に見ている。
しかしふと、カイは周りの興味津々な視線に気付いて、笑みを引っ込めた。酒場にいる全員が、いつの間にかこちらを物珍しげに見ていたのだ。普通にしていても恐い雰囲気のソルに、明らかにそぐわない優美なカイが肩を並べていて、そのうえ女の子のような少年が恐れもなくソルに手錠を掛けて色々悶着を起こしているのだ。目立たないはずがない。
明らさまにじろじろと見つめる無数の目に気後れして、カイがソル視線で助けを求めると、ソルが扉の方に顎をしゃくった。
「とりあえず出るぞ。仕事の話もこのガキの面倒も、そのあとだ」
言うな否や、ソルは扉の方へ歩き出した。手錠で繋がったままの少年はソルに引きずられていく。
「わ! ちょっとっ、どこ行く気ですか!?」
「もう少し落ち着いた場所に移りましょう」
有無を言わせない力で引きずられ、虚しくわたわたと暴れる少年の背を押し、カイはその場を後にした。
最後まで刺すような視線がまとわりついていたのは、言うまでもなかった……。
「これ、とってもおいしいです♪」
先程カイがとある店で買ってきたワッフルに齧り付きながら、少年は明るい声で感激の意を表した。ベンチに座って細い足をぷらぷらさせている様は、子供っぽさに拍車を掛けている。……いや、実際まだ子供だ。
「それ食ったら、さっさと手錠外せよ」
うんざりした様子でソルは少年の隣に仕方なく座っていた。手錠がまだ付けられたままだったからだ。
路地裏から表通りに出て来るハメになったソルは、まるで日光に晒されたコウモリのように少し覇気のない顔つきだったが、少年はさらに元気になっていた。
「思ったのですが、賞金首さんが本当に賞金首じゃないかどうかなんて証拠はどこにもありませんよね。だからまだ解放はできません」
口の中に菓子を詰め込んだままで、少年は器用にはきはきとしゃべった。それを聞いて、ソルは鬱陶しそうに片眉を上げる。
「その『賞金首』ってのを撤回しろ。じゃねぇとツブすぞクソガキ」
犯罪者も脅えて逃げ出すような低い声で、ソルは告げた。だが、経験の浅い子供には恐ろしさが伝わっていないようで、少年はピッと指を立ててソルを正面から捉える。
「ウチの持ってるリストには載ってませんでしたが、きっとどこかで賞金が掛かっているに違いありません。こんなに人相が悪い人が性格も歪まないで平穏に暮らしているだなんてことはありえませんからッ!」
「人相が悪かったら平穏に生きれねぇってのかッ、おい!!」
無茶な言い分に、ソルは速攻でぶちキレた。あどけない顔で恐ろしい理屈を口にしている少年の胸倉を反射的に掴み上げる。それをカイは慌てて制止した。
「ソル! そんなに怒らなくてもいいじゃないか。性格歪んでるのは事実なんだから……」
「お前はフォローする気があるのかないのか、どっちだ!」
少年の胸倉を掴んだまま、ぐるりと首を巡らせてこちらをギロリと睨んできた。
かなり不機嫌なその様子少し顔を強張らせつつも、カイは少年の方を見て真剣に話を切り出した。
「先程自己紹介したように、私は警察の者です。それは承知していただけましたよね」
「はい。見せていただいた身分証明カードも間違いなく本物でしたし、親切にもおごってもらっちゃいましたから……。ええっとキスクさんでしたよね」
照れ笑いを零しながら、少年は食べ終わったワッフルの包み紙を丁寧に畳んで膝の上に置いた。手を動かすたびに手錠の鎖がかちゃかちゃと音を鳴らし、ソルの眉間に刻まれる皺が増えていく。
その様子に少し冷や冷やしながらも、カイは話を続けた。
「私はカイ、で結構ですよ。あなたはブリジットさんでしたね」
ブリジットと名乗ったその少年に、カイは柔らかい笑み向けた。
「警察の私が知り合いであることが、この男の無実を証明するに足りないでしょうか?」
「それは……」
カイの尤もな言い分に、ブリジットは戸惑いをみせた。その隣のソルはベンチの背に両腕を掛け、空を見上げたままでなんとはなしに会話を聞いている。
カイがしばらく見守っていると、ブリジットは迷いを消した顔で、真っ直ぐ見つめ返してきた。
「確かに今は無実かもしれませんが、いつかきっと大事件を起こすに違いありません! 事前に捕まえておいた方が事件を未然に防げます!」
「どうあっても、俺を犯罪者にしたいらしいなぁ?」
押し殺した怒りのオーラを纏いながら、ソルはブリジットの小さな頭を片手で鷲掴んだ。
「いッ、いたたたた!」
「あー? ふざけんのも大概にしとけよ、クソガキ」
みしみしとこちらに音が聞こえてきそうなほど締め上げられ、涙目になって悲鳴をあげているブリジットに、カイは涼しい顔のまま同意した。
「確かにそれはいえてますね。事前に捕まえておいた方が社会のためかもしれません」
「……坊や。そんっっなに鳴かされてぇのか?」
恐ろしい形相でこちらを振り返ったソルの紅い瞳は、金色を帯び始めていた。そして何気に「泣く」の字が違っていたりする。
感情の昂りからか、無意識に放出した炎の熱で体から湯気を発しているソルに、カイは流石にマズイと感じた。更に力を増してブリジットを締め上げるソルのジャケットを、慌てて引っ張り、カイは止めに入る。
「ソル、ごめんっ。冗談だから……ブリジットさんを放してあげてください」
「……」
調子に乗ってからかいすぎたことに罪悪感を感じ、カイはすまない思いでソルをじっと見つめて懇願すると、ソルは不機嫌な表情のままブリジットから手を放した。解放されたブリジットはじんじん痛む頭を抱えて「う〜」と呻く。
放出する熱は収まったようだが、怒りは収まらないらしい不機嫌なソルの腕に手を添え、カイは重ねて謝った。
「ごめん……」
「……んな顔で謝んな。俺が苛めてるみてぇじゃねぇか」
ムスッとした様子で、ソルは無造作にカイの頭の上に手を置いて引き寄せてきた。その自然な仕種に流され、カイはソルに寄りかかるような態勢になる。それを一瞬居心地良く思ったが、ここがどこなのかを思い出し、慌ててソルの手から逃れた。
「わ、悪かったと思ったから謝っただけじゃないかッ。子供扱いしないでくれっ」
赤らむ顔を押し隠しながら、カイは精一杯強がった。ソルの気遣いをふいにしたくはなかったが、場所が場所なだけに甘えられない。
ソルもカイが幼い反抗を返すことは予測のうちだったのか、わざと嫌味ったらしく口端を上げて見せた。
「ガキがいっちょまえに吠えてんじゃねぇよ」
くつくつと笑うソルは犬歯を覗かせて意地悪くそう言ったが、その瞳が穏やかな色を纏っていることに気付き、カイは怒った表情はそのままでそれ以上何も言わなかった。
頭を抱えていたブリジットは痛みが和らいだのか、顔を上げた。
「ねぇ、本当に賞金首じゃないんですか?」
「何度もそう言ってんだろ」
ソルは呆れ顔であどけない少年の方を一瞥する。だがそんなおざなりな態度を気にする様子もなく、ブリジットは身を乗り出した。
「じゃあ、あなたの名前はなんですか? 賞金稼ぎをやってるんだったら、ギルド発行の功績書に書かれてるはずですよね」
大粒の瞳にじっと見つめられ、ソルは少し眉をひそめた。ブリジットの意見は正しかったが、ソルはいつも名前を出さずにギルドから賞金を受け取っているので、ソルの名で功績が残ることはない。つまりはその「ネームレス」がソルと証明するものはなにもないのだ。裏社会で生活の長い者にはソルの名はある意味禁忌とされるほどに有名だったが、この素人同然の少年がそれを知るはずはない。
そうは言うものの、下手にだんまりを決め込むとまた犯罪者扱いされかねないと思ったのか、ソルはベンチの背に凭れ掛かったまま唇をほとんど動かさずに言った。
「ソル=バッドガイ……」
「バッドガイ!? やっぱり悪人なんじゃないですか!」
ブリジットはソルの言葉に重なる勢いですかさず叫んだ。ソルが思い切り顔をしかめる。
「あーもー、うぜぇッ!」
ソルは苛々と叫ぶと同時に、手錠の鎖の部分を空いた手で鷲掴み、力任せに引き千切った。ひしゃげてバラバラになった鎖を見て、ブリジットがあー!と非難の声を上げる。
「なんてことするんですか!? そういう反抗はコウムシッコウボウガイですよ!」
「警察でもねぇのにほざいてんじゃねぇッ!」
「バッドガイだなんて、いかにも犯罪者っぽいからいいんです!」
「理屈が通ってねぇだろッ!!」
負けじと大声で叫び返すソルに、ブリジットは噛みつかんばかりの勢いで自分勝手な理屈を並べる。
水掛け論となりそうな二人の言い合いに、カイは思わず苦笑いを浮かべた。
「ブリジットさん、ソル=バッドガイは偽名ですので、気にしなくてもいいですよ」
問答無用でブリジットを殴って黙らせそうな勢いのソルに代わってカイがそう言うと、ブリジットは複雑そうな顔をして首を傾げた。
「偽名? 悪趣味ですねぇ〜。そんなに元の名前が嫌いなんですか?」
ブリジットの何気ない一言に、カイはハッとソルの方を見た。そういえば今まで気にしたことがなかったが、ソルが過去にどんな名前で呼ばれていたのか、カイは全く知らない。あまりにもそのふざけた偽名に出会った頃は怒りさえ感じていたが、今ではすっかり定着してしまっていて、完全に失念していた。
今とは違う時代に、今とは違う姿だったソルは、一体なんと呼ばれていたのだろうか。それを知るすべも権利も……カイにはない。もしも知ることを許されたとしても、きっとその過去に嫉妬するだけだろう。自分以外の誰かが隣にいて、その人がソルを別の名で呼んでいるという、過去に……。
今でさえも、カイは愉快な気分ではなかった。名前のことを聞かれ、ソルが表情を消したからだ。
敢えてそれに気付かない振りをして、カイは穏やかな口調でブリジットに言った。
「……それに、ソルは名前を出してないんです。だから記録は残っていませんよ」
「えー? それじゃあ、無実だっていう証拠はないじゃないですか」
すぐに偽名の話から元の話題に戻り、ブリジットはソルを値踏みするように見つめる。ソルが不自然に大人しくなったことには全く気付いてないその様子に合わせて、カイは「そうですね…」と顎に手を当てた。
「ギルドの登録証明カードを見たら納得してもらえますか?」
「……ああ、その手があったな」
横でソルが徐に頷き、ジャケットの内ポケットを探った。
脅しも何も通用しないこの少年を早く納得させて追い払いたかったのか、ソルは手早くカードを探り当ててブリジットの方へ放る。
それを危なっかしく受け止め、ブリジットはカードをまじまじ見つめた。そして次の瞬間――悲鳴に近い声がそのパステルピンクの唇から漏れた。
「ゴールドスター!? うそっ! なんで??」
「……? ゴールドスター?」
ブリジットが発した単語の意味が分からず、カイは聞き返した。すると、ブリジットは興奮した様子で身を乗り出して説明し始める。
「ゴールドスターっていうのは、年間受け取り賞金総額が五本指に入る人だけが貰える称号みたいなものですっ! すごいですよ、生で見られるなんて!」
カイが身を乗り出して見てみると、確かにそのカードの証明写真の横には金の星が記されており、その斜め下にはギルド認定の印とサインが書かれていた。
本当に感動しているのか、ブリジットはきらきらと目を輝かせてそう言い、ソルを尊敬の眼差しで見つめる。説明を聞いて感心したカイも、ソルの方を見た。おそらくソルは五本指に入るどころかダントツにトップであるように思われたが、その辺りは敢えて口にしない。余計にブリジットが騒がしくなるような気がしたからだ。
今までの刺々しい視線とは打って変わって、まるで神様でも拝めるように大きな瞳を向けられ、ソルは鬱陶しげに眉をひそめた。
「……とりあえずこれで納得しただろ。もう用はないな」
ブリジットの方を見ることもなく追い払うような口調でそう言い、ソルはカードを取り返してから徐に立ち上がる。そしてこちらを横目で見て、低くかすれの混じった声で「いくぞ」と言った。カイが思わず「え?」と返すと、ソルが不機嫌そうに目を細める。
「仕事の件、何も話してねぇだろうが」
そうだった、とカイが慌てて立ち上がると、それを認めたソルはさっさと歩き出した。
だが――…
「待ってください! 先輩ッ!!」
「「!?」」
大声でブリジットが叫んだ言葉に、ソルとカイはその場で硬直した。まるでそこで時間を止められたかのように、体のどこも動かなくなってしまう。
それでもしばらくの不自然な空白の後、ソルとカイは互いに顔を巡らせて視線を合わせた。足は縫い止められたように動かなかったので、今度はそのまま恐る恐るブリジットの方へと顔を向ける。
ブリジットは勇ましげに両方の拳を握って、期待…というより自信に満ちた顔をしていた。
「ウチもその仕事に参加させてください! というか、どこまでもついて行きますッ、先輩!」
「――」
ソルの顔がはっきりと引きつるのを、カイは見た。思わず瞑目して心の中で十字を切る。
凍り付いたまま動きを見せないソルに、カイは哀れみに満ちた目を向けた。
「……だそうですよ。先輩」
「うがあぁぁッッ!!」
意味不明の雄叫びをあげ、ソルは頭を抱えてのけ反った。血管でもキレたんじゃないだろうかと思うような唐突さだった。だが、その反応をカイは同情の意味も含めて納得した。おそらくこれほどまでにソルの自尊心を打ち砕く単語はないだろう。
自分がどれほど恐ろしいことを言ったのか分かっていない張本人は、小リスのような身のこなしでこちらまでさっと駆け寄り、未だ頭を抱えたままのソルの前で、ぴょんと跳ねた。
「じゃ、そういうことでサクサク行きましょう! 先輩☆」
「勝手に決めてんじゃねぇーッ!!」
ソルは力の限り叫んだ。それはもう視線で人も殺しかねない形相付きだ。
しかし、ブリジットはそれをきょとんと見つめてから、何か納得したように頷いてにっこり笑った。
「あっ、もちろん取り分は半々ですよ? 全部取ったりしませんから、安心してください♪」
勘違いのうえに、がめつい。
最近は平和になって子供も色々変わってきたなぁと、カイは老人の心境で思った。
ある意味、諦めの境地と化しているカイとは違い、ソルは納得など到底できないようで、ブリジットに詰め寄った。
「いい加減にしろッ、クソガキ! 遊びじゃねぇんだぞ!!」
かなり本気でキレているソルがそう怒鳴ると、ブリジットはムッと少し怒ったように真剣な瞳を向けた。
「そんなことは百も承知ですっ! でもウチはお金を稼ぐまで村には帰れないんです!!」
必死なその叫びに、ソルは動きを鈍らせる。カイも気に掛かるその言葉に、ブリジットの方へ視線を向けた。
「それは……出稼ぎとか、そういうことですか?」
勢いを削がれたらしいソルに代わってカイが質問すると、ブリジットは力なく首を横に振った。
「違います。ウチ自身は豊かな方です。でも村全体はあまり豊かではなく、今でも昔の迷信が当然のように信じられていて……ウチがこんな格好をしているのはそのせいなんです」
「……」
肩を落としてそう言ったブリジットの言葉を、カイは一瞬どう解釈していいのか分からなかった。豊かでないから迷信が未だに村人達を縛っている、という部分ではない。発展がなく新しい風の吹かない場所には昔の習慣が強く根付くものだと、カイも理解している。よく分からないのは、迷信のせいでこの少年が女装しているということだ。
……まさか男は全員女装する、とか……?
思わず一番身近にいる男がブリジットの修道女のような服を着ている姿を想像しそうになり、カイは慌ててその考えを打ち消した。あの筋肉質な体でそんな格好をするのは流石に犯罪の域だ。
引きつりそうになった顔をなんとか笑みに変え、カイは重ねて少年に尋ねた。
「ええっと……迷信の内容を詳しく教えていただけますか?」
「ウチの村では、男の双子は不吉だと言われているんです。だから本来は片方が里子に出されるのですが、両親はウチを手放さないために女の子として育てたんです」
「ああ……そういうことでしたか」
複雑な事情を聞き、カイは思わず視線を下げた。まだ安定していない社会は、こんな形でも影響を与えているのだと思うと、自分の力の至らなさに腹が立つ。自分の性別を隠すために、この少年が払ってきた代償は大きかったはずだ。
カイは大きく息をついた。公僕である自分がこんなことをしては示しがつかないのではと思いながらも……
「わかりました。そういう事情でしたら、今回だけは私達についてきても構いません」
「ホントですか!?」
ブリジットはパッと明るい顔になって、子供らしさ全開のきらきらした瞳でカイを見つめた。それに、カイは優しく笑みを返すが、ソルに二の腕をぐっと引っ張られ、怒りを押し殺した紅い瞳に間近から睨まれた。
「おい、どういうつもりだ」
重圧感のあるその声に、ソルが冗談ではなく怒っているのが窺い知れる。ソルは何もブリジットが邪魔だとか鬱陶しいからだとかそういう意味だけで怒っているのではない。自分達がこれからこなす仕事は危険と切っても切り離せないものだからだ。なにしろ相手も当然の如く反撃してくるわけだから、こちらも下手をすれば殺される可能性がある。莫大な賞金はそれと引き換えのものだ。
そんな危険に晒して、万が一ブリジットが死に至ったりなどしたらどうするつもりだと、ソルは言外に言っているのだ。カイもそれは充分に理解していたが、睨付けてくる紅い瞳を静かに見つめ返した。
「ついてくるなと口だけで説得して、果たして彼は納得してくれますか? 今までずっと食い下がってきたしつこさなのに」
「……」
「もしも置いて行けたとしても、なにがなんでも絶対後からついてきますよ。それこそ、賞金首に逃げられる可能性も考えずにあちこちで私達の行方を聞き込みをするでしょうし」
「……」
「そんなことをしないように言い聞かせて素直に帰ってもらう方法、何かあるんですか? 私にはありません」
「……確かに、ないな」
カイが畳み掛けると、ソルは力なく同意した。哀れな程に盛大な溜め息をつき、ソルはこちらの手を放してブリジットの方へと視線を投げる。
そして聞こえるぎりぎりの域で、呟いた。
「……好きにしろ」
「やった〜♪」
『先輩』からお許しをもらえ、ブリジットは満面の笑みでソルとカイの間に飛び込んでくる。その反応にカイは驚いたものの、勢いでバランスを崩しかけたブリジットを笑顔で受け止めた。大人のいざこざばかり仕事て処理しているカイには、こういう子供の純粋さがとても眩しく映る。
ソルもじゃれてくるブリジットをそれほど嫌だとは思わなかったようだが、それを素直に表情に出す性格ではないので、渋面を作ったままだった。
「自分の身は自分で守れ。それだけは肝に銘じとけよ」
「分かっています! 任せてください☆」
内股でしなの入ったガッツポーズをするブリジットに、ソルは眉をひそめる。本当に大丈夫なのか、疑わしくなったのだろう。
その気持ちが分からなくもなかったので、カイはソルの耳元に唇を寄せて囁いた。
「ブリジットさんは私が守りますので、仕事の方をあなたに任せてもいいですか」
「ああ。叩きのめすだけなら俺だけで充分だ」
ソルは軽く顎を引いて頷く。本当はカイも闘いたいところだが、ソルがブリジットを守りながら闘ってくれるようには思えないので、カイが守りを一点に引き受けるしかない。
自分の頭上で言葉を交わす二人を不思議そうに見上げているブリジットに気付き、カイはその幼い顔の少年に笑いかけた。
「仕事の内容は行く道で話しましょう。時間があまりありませんから」
「はい!」
ブリジットは元気良く返事をすると、カイの腕を取って、先に歩き始めたソルの後についていく。ブリジットに半分引っ張られる状態になったカイは、思わず苦笑を零したが、前を歩くソルのぼそっと呟いた言葉を聞きとがめて柳眉を跳ね上げた。
「うるさい坊やが二人になっちまったぜ……」
「なんですって!?」
カイは鋭く叫ぶと同時に、思い切りソルの後ろ髪を引っ張った。「うぉ!?」と声をあげてのけ反るソルを見て、ブリジットは楽しそうに笑った。
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