「あれが悪の巣窟なんですね!?」
「お願いですから、彼らの前でそれだけは口にしないでくださいね」
息巻くブリジットを押し留めながら、カイは声をひそめて注意した。今回の捕まえる対象である男が雇ったらしい用心棒がさほど離れていないところにいるというのに、ブリジットはまるで御構いなしである。
二人は、随分前に使われなくなったホテルの向かい側の建物にいた。賞金首として指定されている犯罪者は一人だけだが、かなりの権力と財産を持ち合わせているので、どこからどんな攻撃が来るか分からない。おかげで今はまだ突入する機会を窺っているだけだ。
今回、カイが個人的にソルのもとへ持ち込んだ仕事は、政治的な問題を孕んでいた。ターゲットの男自身はすでに政界から身を引いたことになっているのだが、未だに上層部の幾人かと繋がりがあり、汚職を増長させている。多くの犯罪組織に援助をし、禁止されている物を売り捌いたりとろくなことをしていないのだが、実はそれは表沙汰にはされていない。賞金がかけられているのは事実だが、それは偶発的に起こった傷害事件についての賞金だった。犯罪を取り締まるはずの国際警察機構にも少なからず繋がりがあり、誰もその男を捕まえようとする者がいない状態なのだ。権力のある連中は皆、自分の身が可愛いだけで、それで苦しむ弱者は完全に見放している。
カイは先日、その傷害事件の被害者に会った。しかし会ったといっても、被害者は重体で意識はなく、その家族と少し話をした程度だった。被害者はちょうどブリジットと同じくらいの年齢の女の子で、今後状態が回復したとしても右腕が千切れたままなので、不自由な生活を余技なくさせられるだろう。そうして人ひとりの人生を変えておきながら、その男はのうのうと生き延びているのは大いに理不尽である。
だが最初、警察はその事件をうやむやにしようとした。特にその男から恩恵を受けている連中は必死だった。おそらく芋蔓式に自分の汚職が明るみに出るのを恐れてのことだろう。内部にいるからこそそれがよく分かるカイは、強く働き掛けて無理矢理捜査をさせた。上層部にも腐敗が食い込んでいたので、本来カイの立場ではそこまで権限はないのだが、カイは条件を提示することで呑ませた。
一つは、その傷害事件だけについて捜査すること。もう一つは、捜査期間を十日で打ち切ることだった。
臭いものには蓋をする主義の連中にはこのうえない好条件だ。
なぜそんなことを条件にしたかというと、その男が行った犯罪はその傷害事件以外すべて権力者と何等かの形で繋がっていたからだ。捜査を反対する連中は自分の身が可愛いだけで、別に仲間意識で男を庇っているわけではない。そこをついて、わざわざ関係のない事件を取り上げて承諾させやすくしたのだ。カイにしてみれば、捕まえる名目さえあればどちらでも良かった。
そして捜査をなぜ短期間に設定したのかというと、『警察が事件として捜査し、なおかつ手に負えなかった』という事実を作ってしまいたかったからだ。腐敗した警察の捜査で事件が解決するなど、カイももはや思っていない。早く事件を放棄させ、ギルドの方に賞金を掛けてもらおうという魂胆である。傷害事件が一件だけなので大した金額ではないが、要は捕まえることができる状態を作ってやればいいのだ。
カイが一個人としてその男を捕まえることを、誰も阻めはしない。
だが逆に、それは援助は望めないということで、ソルに話を持っていかざるをえなかった。ソルは協力に承諾してくれたが、成り行きで同行することとなったブリジットがあまり足手まといにならないことを祈るしかない。
「ねぇ、カイさん。早く突入してしまいましょうよ」
カイの思いなど知らず、ブリジットは無邪気にそう言った。その如何にも楽しそうな様子に幾分困りながら、カイはちらりと男が潜伏している向かいのホテルを見る。
「まだ駄目ですよ。ソルが陽動で幾らか守りを崩してからです。しばらくしたら合図を入れてくると思うので……」
「待ってばかりいたら、せっかくの賞金首を逃してしまいますよ。突入してしまいましょう!」
「え……ちょっと!?」
言うが早いか、ブリジットはすでに飛び出していた。あまりに性急なその行動にカイは思わず声をあげたが、ブリジットは何の躊躇いもなく用心棒の男に駆け寄っていき、素早い動きで懐からなぜかヨーヨーを取り出した。
それを見たカイがえ?と疑問符を浮かべたその瞬間、ブリジットは相手が気付いて振り返るより早く手元のヨーヨーを勢い良く投げ付けた。それは狙いを外れることなく、鈍い音をさせて用心棒の後頭部に当たり、その男はその場でばったりと倒れてしまう。
えっと……今、何か著しくおかしなことがあったような……。
カイは冷汗を流しながら、やった♪と跳ね回るブリジットを見つめた。
ヨーヨーは確か遊び道具であって、人にぶち当てて気絶させる代物ではなかったと記憶しているのだが、どうやら知らないうちに違う使い方が編み出されていたらしい。これが流行りというものなのだろうか。
しかしカイの驚きも何もかも無視して、ブリジットがホテルの中に入っていくのを見て、カイは流石に慌てた。
「ちょっ、ちょっとッ、ブリジットさん!?」
「カイさんも早く来て下さいよ〜☆」
無邪気にそう言うブリジットは、ホテルの入口付近に立っていた男にもヨーヨーを投げ付けて薙ぎ倒しながら、建物の中へと入っていってしまった。カイは思わず頭を抱える。
「どうしよう。無茶苦茶だ……」
計画も 何もあったものではない。本来なら、こういう派手な襲撃はソルに任せていたというのに。
「あ、そうか。それなら役割を変更したら……!」
まだソルから突入の合図を受けていないので間に合うかもしれないと思いつつ、カイはポケットからメダルを取り出して通信を開いた。
「ソル! 聞こえるか!?」
「あ? なんだ」
すぐにソルの声が返ってきたことに、カイはホッと胸を撫で下ろす。せっかくの計画が駄目になるのは防げるかもしれない。
「ごめん。役割を急遽変更したいんだが……」
「無理だ」
「……え?」
カイが言い終わらぬうちに、ソルはきっぱりと断った。その返答に、カイは焦る。
「なんでなんだっ?」
縋るような気持ちでカイが聞くと、ソルは不自然に一拍置いてから口を開いた。
「もう突入しちまってるからな」
「計画性というものがないのかッ、お前達はーッッ!!」
悪びれもなくさらりと告げるソルに、カイは渾身の力で怒鳴り返した。ブリジットといい、ソルといい、人の考えなど完全に御構いなしだ。身勝手にもほどがある。
「ああ、もうっ!」
やけになって叫んだカイは乱暴に通信を切ってから、封雷剣を収めたケースを持ってブリジットの後を追った。




屋内は完全な乱闘状態だった。そうしている一番の原因である二人は、わざわざ倒さなくてもよさそうな用心棒の連中も綺麗に地べたへ這わせて好き放題に暴れている。その現状に目眩を覚えて、カイはこめかみを押さえた。
唯一の救いと言えば、ブリジットが意外に強く、足手まといにはならなさそうだということくらいだが、それも騒ぎを助長させているような気がしてならない。
カイはドア付近で仁王立ちになり、大きく息を吸い込んだ。
「全員、止まりなさーいッッ!!」
大音量で叫んだカイの声に、かろうじて残っていた相手方の二人の男がびくりと動きを鈍らせ、飛んできた封炎剣とヨーヨーを避け損ねて、ばたりと倒れ伏した。ソルとブリジットとカイだけが立っているその空間は、白々しいほどの静寂に包まれる。
「……どういうことですか、これは」
怒りでひくつきそうになる顔をなんとかして笑顔にして、カイはソルとブリジットを見つめた。カイが怒っていることに気付いているソルは、さっと目を逸らせて、地面に突き刺さったままの封炎剣を取りに行く。
それを見咎めたカイは、途端に目をつり上げた。
「こらっ、ソル! 逃げようとするなッ!」
「カイさん、ナイスですね♪」
そのごつい肩を掴もうとカイが駆け出した瞬間、ブリジットが横からひょいと飛び込んできた。けらりと笑ったその顔に全く邪気はなく、とんでもないことをしたという自覚は皆無らしいその様子に、カイは複雑な顔をする。
「ナイスって……どういう意味ですか?」
謎の言葉にカイが疑問を投げかけると、ブリジットはにっこりしてVサインを見せた。
「連携プレイ、ナイスだったじゃないですか♪ カイさんが声を張り上げてくださったおかげで、ここの敵は全滅出来ました!」
「……」
確かに結果的にはそうなったかもしれない。でも断じてそんなつもりはなかった。
そう胸中で呟くものの、カイはそれを口には出さず、溜め息だけを零した。
「……もういいです。とりあえず一部は再起不能にしたわけですから、次に行きましょう」
何を言っても無駄だと判断したカイは、ブリジットの背を押した。するとその少年はグッと両手に拳を握り、
「はい♪ 次もガンガン薙ぎ倒しましょう!」
「だから全滅させなくてもいいんですってば!!」
カイは力の限り反論するが、ブリジットはきょとんとした表情を返した。
「悪は根こそぎ潰すのが鉄則でしょう?」
「……」
本当に何を言っても無駄かもしれない。そんなことをぼんやり思いながらも、カイはブリジットの意見を頭ごなしに押さえ付けることはできなかった。昔のカイ自身が、そういう風に考えていたからだ。
世の中には正義か悪しかないと本気で信じていた頃。正義を掲げる者には奇跡が起こって必ず幸福になり、悪の道を行くものはいつか必ず破滅するのだと信じていた。だが、聖騎士団に入った頃からその幻想は徐々に崩れ去っていった。
これが民から讃えられた聖騎士団だろうか。これが憧れていた道だったのだろうか。裏で渦巻く人々の醜い思惑に気付き、まだ幼かったカイは愕然とした。
人は感情を持っている限り、決して正義<ジャスティス>には成りえない。誰もが罪<ギルティ>を背負っているのだ。
カイは不意に苦笑を漏らした。カイ自身、聖戦で多くの部下を死に至らしめた罪がある。
「坊や、さっさと行くぞ」
封炎剣を肩に担いだソルがこちらを振り返った。カイはそれに静かに頷く。
「……ここにいるのはみんな雇われた人達ばかりみたいですし、行方を聞いても無駄でしょう」
同意見だったらしいソルは特に何も言わずに、階段の方へと歩いて行った。そのあとを、ブリジットがついて行く。
「……」
自分の最大の罪は、この男を愛してしまったことかもしれない。
ソルの広い背中を見つめながら、カイは不意にそう思った。
「カイさ〜んっ、早く行きましょう!」
振り返ったブリジットがぱたぱたと手を振って催促してくるのを、カイは少しぎこちない笑みで答え、ようやくその場から歩き始めた。
しかし、先行する二人にカイがちょうど追いついたとき、不意に階段の辺りから声が聞こえた。
「有休を潰してまでのお仕事、御苦労様だね。カイ=キスク長官」
捜していた男は自分から現れたようだった。男を何度か見掛けているカイには、声だけでも判断できる。
案の定、角を曲がると男が立っていた。大勢のおまけ付きだが。数十人の用心棒に囲まれたまま、男は皮肉げな笑みを浮かべている。果たして度胸があるのかないのか分からない。
カイは奥に立っている男を静かに見据え、ケースから封雷剣を取り出した。
「今の私に肩書きはいりません。あなたを捕まえるのは、私の個人的な事情からです」
「そうか。なら、構うことはないな」
男はふんと鼻で笑い、徐に周りの用心棒に合図を送った。
「あいつらを消せ。方法はお前達にまかせる。好きにしろ」
そういうと、男はすぐに身を翻す。用心棒に足止めをさせておいて、自分はさっさと逃げるつもりのようだ。
カイは咄嗟に意識を集中した。
「逃がしはしませ……」
「カモ〜ンッ! ロジャー!!」
「……え……?」
突然、ブリジットが元気のいい声で叫んだので、カイの集中は一瞬で途切れてしまった。
ロジャー……??
訳の分からない行動に、全員の視線がブリジットに集まった。
しかしブリジットはその視線に気付いた風もなく、腕を伸ばして決めポーズをしている。
男はしばしその様子を見つめていたが、特に何も変化がないと認識して、鼻で笑った。
「一体何のつもりだ、お嬢ちゃ……」

『うぬは己に負けたのだ』

「……!!?……」
どこからともなく聞こえてきた野太い声に、今度は男が言葉を遮られた。同時にその声を聞いたソルとカイ、そして用心棒達も思わず周囲を見渡す。だが、その声の主らしき姿は見当たらなかった。
いや、『人は』と付け加えた方が正しいかもしれない。ちょうど男の頭上辺りに、なぜか熊のぬいぐるみが浮かんでいたからだ。容赦なく不自然に空中を漂うそれに気付き、皆の視線が自然と集まり始める。
その奇妙な視線が集中していることにようやく気が付いた男が、ゆっくりと顔を上げた瞬間――。

『蛙よ、大海を知れ』

「ぎゃああぁぁーッッ!!?」
なぜかその熊のぬいぐるみが、炎に包まれた二輪車(どこから出したかは不明)に乗って猛烈な勢いで男へとぶち当たっていったのだ。野太いその声は、どうやら熊のぬいぐるみから聞こえてくるらしい。どういう仕組みなのかさっぱり分からないが、そのぬいぐるみは男をあっという間に火達磨にし、絶叫させた。驚愕と熱さで意味不明の言葉を発する男に周りの者も慌てたが、その奇怪な現状を恐れて近寄ることさえできない。
ソルとカイも呆然としたまま言葉を発せずにいたが、横にいたブリジットは勇ましげにヨーヨーを構えて、よく通る声で叫んだ。
「熊さん! そのまま全員やっちゃってくださいっ☆」
『うむ』
なぜか熊のぬいぐるみが答える。意志を持っているかのようなそれは、ブリジットの言葉通りに他の者のところへ向かってペダルを漕ぎ始めた。
愛らしいはずのぬいぐるみが炎の二輪車に乗って突進してきたので、用心棒達は蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。たかがぬいぐるみ、とも思うが、外見と凶器にあまりにもギャップがあり、もはやホラーの域である。
混乱を極めるこの状況をどうすることもできずに眺めていた警察機構の長官は、暴れまくる熊のぬいぐるみを目で追いながら呟いた。
「……えっと、何が起こってるんでしょう……?」
「俺に聞くな」
凄腕の賞金稼ぎもその光景を眺めながら、呻く。
ただはっきりしたのは、その熊のぬいぐるみをけしかけているのはブリジットだということだった。
「あの……ブリジットさん」
「え? なんですかぁ?」
ブリジットは無邪気な顔で、カイの呼び掛けに答えた。彼の後ろでは、炎のニ輪車に跳ね飛ばされた用心棒が悲鳴をあげている。なんとも恐ろしい光景だが、カイは敢えて無視した。
「ブリジットさん。賞金首の男、燃えてますが……いいんですか?」
「え? だから、滅ぼした方がいいんでしょう??」
「顔が分からないくらい焼けてしまったら、照合できなくて賞金がもらえませんよ」
「あ……」
カイの指摘に、ブリジットの表情が凍った。そして弾かれたようにぬいぐるみの方を振り返った。
「ロジャー! もういいよっ、戻ってきてーッ!」
手を口許に当ててメガホン代わりにしてブリジットが叫ぶと、その命令を受けた熊のぬいぐるみはニ輪車から降り(というよりニ輪車が掻き消え)、今度は腕を振り回しながらこちらに向かってやってきた。さして早い速度ではないが、たまたま軌道上にいた用心棒の一人が殴られて倒れる。
「……」
「……」
徐々にこちらへ向かってくる熊のぬいぐるみを、ソルとカイは静かに目で追った。それはブリジットの目の前まで来ると、糸が切れた人形のように動きを止め、重力に従って落下し、主人の細い腕にしっかりと抱き留められる。
それを愛おしそうに一撫でして、ブリジットはこちらに振り返り、熊のぬいぐるみをこちらに差し出した。
「この子、ロジャーっていうんです。可愛いでしょ♪」
思わずぬいぐるみ相手に半歩退いて身構えたソルとカイの反応に気付かず、ブリジットはご満悦の様子で自慢した。純粋に可愛がっているのだとは分かるが、どうも手放しに褒める気にはなれない。なにしろあんなにも燃え盛っていたニ輪車に乗っていながら、その毛並みは焦げてさえいなかった。
「そ、それよりも賞金首を捕まえるのが先ですよねっ!」
カイは強引に話題を変え、焦りながら周囲を見渡した。ブリジットとソルもつられて周りへと視線を向けるが、そこらじゅうから炎が出ていて、煙であまり見えない。法力の炎ならば本人の意志で消すことは可能だが、燃えたままでいるところを見ると、普通の炎らしい。つまりそれは、こちらの任意で消えてくれないということを意味している。
「建物の全体に火が回らないうちに、消し止めておきましょう」
カイは意識を集中して、呪文を紡ぎ出す。あまり得意とは言い難いが、一応水属性の法力も扱えるので、空気中に残っている水分をかき集めて具現化させた。
「うわぁ〜、すごいですね。手品みたいです」
「いえ、あなたには劣りますよ……」
カイは幾分疲れた声でそう言い、はしゃぐブリジットの目の前で水を霧に変えた。それを万遍なく炎に浴びせ、難無く鎮火させる。
煙りはまだ籠ったままだったが、ひとまずは確認が先だと思い、カイは足を踏み出そうとした瞬間――いきなりソルに腕を掴まれた。
「待て。……下がってろ」
「え……?」
一体何、とカイは口を開きかけたが、結局言葉は出てこなかった。カイも遅れ馳せながら気が付いたのだ。ただならぬ気配に。
「まさか……」
「別に今更驚くことじゃねぇだろ。今までヤツは色んなもんを売り捌いてきた」
まだ煙りに覆われた室内は視界が悪い。だが、忘れたくても忘れられないその独特の気配にカイが表情をなくす横で、ソルはどこか皮肉な笑みを浮かべた。少し離れた位置に立っているブリジットは、気配に気付かないのか不思議そうに目を瞬かせている。
「よくもコケにしてくれたな、カイ=キスク君……」
不意に煙で見え隠れする向こうから、幾分ダメージを負った男の声が聞こえた。
その科白の内容に幾らか訂正を入れたかったが、それを抑えてカイは無言のまま封雷剣を構えた。ソルも封炎剣を強く握り込んだようだった。
「この礼は、たっぷりしてもらおう。君達の死をもってな」
GYAAOOOON!!
男の言葉と共に、建物全体を揺るがす咆哮があがった。地面が縦に揺れ、ブリジットが短い悲鳴をあげてよろめく。
「ななななんですか!?」
驚いているらしいブリジットの手を取り、カイは彼を背後に庇った。対照的にソルは一歩進み出て、ニヤリと凶悪な笑みを刻む。
ちょうど男の声が聞こえた辺りから、何か軋むような音が響いてきた。
「ブリジットさん、下がっていてください。来ます……!」
カイが言い終わると同時に、轟音と共に壁が吹き飛んだ。新たに煙と瓦礫をまき散らしたそれは、上の階まで空いた穴からゆっくりとその巨体を現す。踏み出した蹄の下で、床がその形に陥没した。
それは大きさが四メートルにも及ぶ異形の者だった。体全体は骨だけのように細く、干からびたような皮膚がそれを覆っている。頭部と腕が異様に長く、顔らしき場所には目が六つ付いていた。
その恐ろしげな姿に、ブリジットが驚愕を露にした。
「な、何ですかっ!? あれッッ!!」
「……大型ギアです。おそらく扱いやすいように改良が加えられているのだとは思いますが」
カイは淡々と答える。それ以上の説明は不要だろうと判断した。ギアは人間の手によって作られたものであり、本人の意志で動いているわけではない。それを使う側の意志だ。
カイが姿勢を低くして構えると、ソルはそれに先行して動いた。一足飛びにギアまで近づき、懐まで入り込んでしまう。
「いつまでもこんなもんに頼りやがって」
低く呟いたソルは息を吐くと同時に、引いていた剣をギアの腹に突き刺した。裂けたというよりも肉が突き崩れたという感じの生々しい音が響き、ギアが空気を揺るがすような悲鳴をあげる。
だが、それだけだった。一度口を限界まで開けて吠えたギアは、唾液を滴らせたまま六つの目をぎょろつかせてソルを見る。傷口は裂けてはいたが、血は一滴も零れていない。
異変に気付いたソルは咄嗟に身を退こうと後ろへステップを踏んだ――が、腹の傷口から突然牙が生え、封炎剣を搦め取った。一瞬の判断でエモノよりも自分の身の安全を取ったソルはそのまま封炎剣を残して飛びすさり、背後から掬い上げるように襲い掛かってきた長い腕をかわして着地する。
ソルの後を追って駆け出していたカイは、ソルを掴み損ねたその腕に雷撃を放ち、退けながら射程範囲に踏み込んだ。そして、叫ぶ。
「ソル!」
発すると同時に、カイは封雷剣に強く握りしめ、全身に駆け巡る法力を呼応させた。剣自身の力も合わさり、それ自体が振動するほどに力を集め、カイは弓を弾くように封雷剣を法力で弾く。それは搦め取られたままの封炎剣が刺さっている位置に向けられた。
「邪魔くせェ。燃えろ」
無造作に、ソルが親指を立てた拳を逆さに振り下ろす。強く荒れ狂うような炎が、共鳴するように封炎剣から立ちのぼった。同時にその一点に突き立った封雷剣も標的に向けて法力を解放する。
「……消えてください」
カイは静かに呟いた。封炎剣と封雷剣の共鳴で更に増幅された強大な法力を叩き込まれ、ギアが断末魔の醜い悲鳴をあげる。一瞬で全身に広がった炎と雷は、絡み合いながら網の目のようにすべてを覆い尽くし、白い閃光を放った。
直視すれば視力を奪われかねないその光りから守るように、カイはブリジットを背後に隠し、防御壁を張った。確認はしていないが、おそらくソルも自分で身を守ったはずだ。
OOOOO……
地響きのような唸り声で尾を引きながら、ギアは消滅した。それこそ灰も残っていない。まさに消し飛んでいた。封炎剣と封雷剣だけが、ガランッと音を立てて落ちる。
「す…すごい……」
背後に庇っていたブリジットが恐る恐る顔を覗かせ、呆然とした様子で呟いた。
それを、カイは苦笑しながら聞いていた。
「面倒だったので、大ざっぱに倒しただけなんですけどね」
今は男を追うことの方が先決である。足止めに余計な時間を喰っている暇はなかった。それでも、使い捨てにされたギアを憂い、カイは静かに十字を切った。
「さあ、先を急ぎましょう。奴に逃げられてしまっては元も子もありません」
「はい!」
ブリジットは元気良く返事をすると、走り出したカイの後について駆け出した。
ソルは、すでに二人の前を走っている。






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