「チッ……!」
隙を狙った渾身の一撃がかわされ、ソルは舌打ちした。たたらを踏んだその背後から鋭い閃光が迫り、ソルは咄嗟に体を捩って直撃を免れる。
しかし完全に避けきれず、僅かにかすった衝撃がソルの動きを鈍らせた。それを見て取ったイノが、オーロラのように色を自在に変える目をぎらつかせ、手に持った凶器を振りかざす。
「ハッ! その程度かよ、××××野郎!」
「ざってぇんだよ、××××女!」
エメラルドグリーンのギターがソルの足をへし折ろうと唸り声をあげる。それを聞きながら、ソルは気配だけでその攻撃の軌道を捉え、地に付けた手をバネに高く宙返りをした。
空振ったギターが地面に当たって悲鳴をあげたその瞬間、ソルが空中で剣をなぎ、イノの肩を切り裂いた。剥き出しの肩口がぱっくりと開き、そこから勢いよく血が噴き出す。しかし鮮血が飛び散る中で、イノは薄く笑うだけで怯む様子も見せずにギターを手元に引き寄せた。
「!」
「掻き鳴らしてやるよ!」
爪に赤いマニキュアが塗られた細い指が弦の上を滑り、音であって音でない無音の衝撃波が生み出される。それを、巨大化したイノの帽子がスピーカーを通すが如く何倍にも増幅させ、万物を破壊する死の調べへと変格させた。音であるがために体を容易く貫通したそれは、ソルの体を内部から歪ませる。
「うぉあッ!」
間接や骨が軋み、筋肉が引き付けでも起こしたように捩られ、ソルは声をあげた。表面の皮膚が内部から破裂するようにパンッ!と音を立てて裂け、体中のあらゆる箇所から血が噴き出す。しかしその攻撃に怯んだのはほんの一瞬のことで、ソルは凶悪な笑みを浮かべて周辺に炎を巻き上げた。追撃しようとしていたイノはそれを回避すべく、まるで重力を無視したような滑らかな動きで空中に舞った。
両者は睨み合いながら距離を充分に開けて着地した。ものの数秒の間で、互いに血まみれになっていたが、ソルもイノも薄く笑うだけで何のダメージにもなっていなかった。
そう。闘いが長引く理由はここにあった。ソルもイノもリミッターを外しているせいで底知れない回復力になっていたのだ。こうして少し休むだけで、思わず目を背けてしまうような傷も一瞬で塞がってしまう。
まずい……。
イノと睨み合いながら、ソルは表情には出さず、内心焦った。イノはギアというわけではないか、ギア並の力を持つ。つまりはソルとほぼ同等なのである。このまま消耗戦を続ければ、いずれどちらかが倒れるだろう。
……いや、俺が先か。自分の状態を冷静に分析して、ソルはそう思った。実はイノを見つけるまでに、既にいくらか体力を消費してしまっていたのだ。
ソルがちらりと視線を向けた先には、一人の少女が地面に横たわっていた。羽根の生えた少女は、先程イノのマインドコントロールで暴走状態にあった。流石ギアだけあって、その暴走は並大抵でなく、その周辺の木々は見事に灰も残っていない有様で、まさに手が付けられない状態だった。ソルは通信メダルを通して警察機構のギア探査装置にアクセスしていたのでディズィーの居場所を知り、早々に駆け付けて暴走を止めたが、代償は大きかった。ディズィーを殺してしまわないように上手く気絶させるため、相当な体力と神経を使ってしまったのだ。
そのせいで今は少々押され気味だった。
「ヤッてる最中によそ見とはいい度胸じゃないか。ああ?」
不意に飛んできた野次に、ソルは視線をイノへ戻した。
イノは血のように赤い紅を引いた唇を皮肉げに釣り上げ、ギターに手を掛ける。その肩の傷は、既に赤い線の跡しか残っていない。
「そんなに3Pがいいなら、そうしてやるよ!」
「――!」
しまったと思ったときには遅かった。イノが強烈な力を纏って、ディズィーの方へ高速で突進していた。ソルも遅れて後を追ったが、ぎりぎり間に合いそうにない。どこか別の場所に非難させておけばよかったと今更後悔するが、すべて後の祭りだった。
だがその時、甲高い少女の声が響き渡った。
「させないよ! グレート山田アターック!!」
「きゃあああ!」
この場が森であるにも関わらず突如として現れた大鯨が、ディズィーに手を掛ける直前だったイノを大きく吹き飛ばした。体当たりでイノを攻撃した大鯨は役目を終えると同時にたちまち幻のように消え失せ、代わりにオレンジ色の服を身に纏った少女が木々の間から姿を現す。
ジェリーフィッシュ快賊団の一人である怪力少女、メイだった。どうやらソルの通信を信じてディズィーを迎えに来てくれたらしい。これでソルが負けたときのデメリットはなくなる。ディズィーはソルにとってまさにアキレス腱だったからだ。
「おい、チビ。早くそこにいるやつを連れていってくれ」
「ムッ。チビってなによ!? 女の子に対して失礼じゃない!」
「うっせぇ。とにかく早くしろ」
恐れもなく噛み付いてくるメイに、ソルは耳を塞ぐ仕種をする。それを見て余計にメイがうるさくなったが、倒れていたイノが徐に起き上がるのを見て、口を閉じた。
倒れたままのディズィーを庇うようにメイが巨大な錨を構えると、それを見たイノがヒャハハと狂ったような高笑いをした。
「いい気になってんじゃねぇよ、チチ臭いガキがぁッ! てめぇらまとめてイカせてやるぜ!」
そう叫ぶと同時に、イノが弦を掻き鳴らす。その瞬間、目に見えない音波がソルとメイの体を叩いた。
「きゃッ!?」
「跪きな!」
イノがさらにギターへ力を注ぎ込もうとしたそのとき――予想もしなかった方向から刃が閃いた。
「……!」
「うちのクルーにそれ以上手出しはしないでもらおうか」
イノの背後から男の声が響く。そして、チキ…と刀が鞘に戻される音と共に、イノのギターのヘッド部分が地面に転がり落ちた。弦がばらばらに散り、自分の愛用のギターが使い物にならなくなったのを見て、イノは顔を歪ませて舌打ちする。
「ジョニー!」
「お前さんなぁ、そうやって無鉄砲に飛び出すのは危ないからやめろっていつも言ってるだろ」
「だって、ディズィーが危なかったんだから、しょうがないじゃない!」
突然現れたその男の正体は、メイの表情を見れば明白だった。ジェリーフィッシュ快賊団のリーダーであるジョニーだ。
黒いコートをなびかせて現れたその男に、ソルは目を細めた。
「大事なもんなら、きちんと管理しとけ。暴走してたぞ」
「すまなかったな。だが、二度はない」
ジョニーは帽子の縁に触れながら、余裕たっぷりで笑う。その、反省しているのかしていないのか分からない態度にソルが明からさまに難色を示すと、ジョニーはふと何か思い出したように少し顔を上げた。
「今の言葉、そっくりアンタに返そうか。大事なものはきちんと手元に置くだな。死にかけてたぞ」
「……?」
ジョニーの揶揄を含んだその言葉の意味が分からず、ソルは眉間に皺を寄せた。説明を求めようと口を開きかけたソルは――視界の端で動いたものの方に視線を走らせた。
「てめぇ、逃げる気か!」
いつの間にか随分離れた場所へ移動していたイノを見て、ソルは叫んだ。つられて気が付いたメイが、「あ!」と非難の声をあげる。
「ボクの仲間に怪我させておいて、無事に帰れるだなんて思わないでよ!?」
「あ、こらっ! メイ!」
ジョニーの制止も無視して、メイはイノの方へ走り出していた。
空中に浮くイノは紅い唇の端を妖しく釣り上げて、その二人の剣幕を鼻で笑う。
「道具が駄目にされちゃったから充分に遊べないんだもの。また今度ね」
「ざけてんじゃねぇ! 逃がすかッ」
体が淡く光り、その像が薄れていくイノ目掛けて、ソルは駆けた。威嚇するように払った剣は、足りない長さを補うように炎を噴き出す。それをさも暑苦しそうに手で払い除けたイノは、ソルとメイが自分を追ってディズィーのもとを離れたことに薄笑いを浮かべた。
「ああでも、寂しくないように面白いものを残していってあげる」
時空の狭間へと溶け込んで消えたイノの視線の先に気付き、ソルはハッとディズィーの方へ振り返った。メイとジョニーはまだその意味に気付いていない。
倒れているディズィーの近くに、一つの影が近付く。ソルにはその気配が、自分の同族の類いだと分かった。
遅らばせながらジョニーがその奇妙な存在に気付いた。メイもつられてジョニーの視線の先を辿って悲鳴をあげる。
「ディズィー!」
その叫び声を受けたように、地面に張り付いていた影が突如として伸び上がった。
「私ヲ受ケ入レルニ相応シイ体ッ!」
影は不気味に歓喜の言葉を発し、ディズィーの中へ侵入しようと手を伸ばした。
とても間に合いそうではないと分かってはいたが、ソルとジョニーは止めるべく動き出そうとした。
しかしちょうどそのとき、青白い光が走った。
「ライト・ザ・ライトニング――!」
「ギャアァァ!?」
突然現れた、雷を帯びた光が影にぶつかった。それが接触した瞬間、バチィィッ!と凄まじい音を立て、影を大きく弾き飛ばす。ちょうどこちらに飛んできたそれに、ソルの炎とジョニーの居合いが交差し、さらに影を後方へと吹き飛ばした。それはそのまま木々の間に落ちたが、恐らく虫の息だろうから気にすることもないだろう。
それよりも、とソルはディズィーの方へと視線を向けた。いや、正確にはその傍らに立つ人物に目を向ける。まだ全身に法力の余韻を残した金髪のその青年はこちらに背を向けたまま、地面に突き立てた封雷剣に寄りかかるような前傾姿勢で立っていた。
今朝別れたはずの綺麗な青年。今更思い出したように、心が渇望し始めた。それが『カイ』に対してなのか『彼女』に対してなのかは、まだよく分からないが、再会を喜ぶ自分がいる。
しかし、なぜここにいるのかと尋ねようとしたソルは、カイの言葉で遮られた。
「坊――」
「ジョニーさん、さっきのは何だったんですか?」
カイは近づいてきたジョニーを仰ぎ見て、そんなことを聞いた。ソルの存在には全く気付いていないようだった。
片膝を付いてディズィーの無事を確認したジョニーは一先ずホッと息を吐いて、カイの方を見た。
「さぁ〜な。俺にもあれが何だったかなんて、分からないさ。世の中にはミステリアスなことが多いからな」
「そうですか。とりあえずディズィーさんが危険なようだったから排除しましたが……よかったのでしょうか」
「ああ、ホント感謝するぜ。うちの大事なクルーを守ってくれたしな」
そう言って爽やかに笑ったジョニーは、軽い動作でディズィーを担ぎ上げた。そして、纏う雰囲気は穏やかなものの体が硬直しているらしいカイに、心配げな視線を送る。
「大丈夫か? アンタ」
「ええ、まあなんとか……」
困ったように笑うカイの声は、どこか苦渋を押し隠したものだった。ジョニーもそれに気付いてはいるようだったが、ぐったりしたままのディズィーと、早く戻ろうと騒ぐメイを優先してカイに手は貸さなかった。代わりに、「送るから乗っていくといい」と言ってジョニーはカイに飛空艇の乗船を勧める。カイは「すみません」と謝罪の意を込めて感謝の言葉を口にし、先を行くメイについて歩き始めた。
ディズィーは守れたもののイノに逃げられてしまったソルは、微妙に取り残されたような気分で頭を掻いた。メイとジョニーが一緒にいるのは当然として、その二人と当たり前のように会話するカイは、彼らの敵である警察のはずだ。
なぜこんなにも仲好し小好しなのか解せないものを感じながら突っ立っているソルに、ジョニーがふと振り返って言った。
「お前も乗っていくか? 一応うちのクルーを守ってくれたわけだしな」
「ああ……」
ジョニーの勧めに頷きながらも、ソルは遠い眼差しでカイを見つめた。
少し重い足取りで歩くカイはメイと何事か楽しく語らっていて、こちらに全く顔を向けなかった。




なんとも暗い乗客だ、ジョニーは思った。
ディズィーも見つかり、無事に部屋へ寝かし付けられてホッとしたのもつかの間、今度は問題の二人に頭を悩まされていた。ソルの方はともかく、カイの方は今ソルと会うのは全く望ましくない。ソルとの関係にどう決着をつけるかは本人の意思次第であり、ジョニーはそれに関与する気はさらさらないが、今のカイがそういうごたごたに耐えうる精神状態でないことは明白だ。もう少し時間を空けるとかすればカイも少しは落ち着いてまともな判断力が戻っただろうに。
あるいは、ソルが何か気の利いた科白でもカイに掛けてやればいいのだが。ソルが本当のところ、どんな気持ちでカイに手を出しているかは知らないが、少なくともカイを大切にしていることは部外者のジョニーが見ても分かる事実だ。博愛主義者でもないソルは、興味のないものに執着などしない。
『愛してる』だの『お前しかいない』だの、はっきりカイに言えばそれで一発解決なのだが……あの男にそれを期待するのは酷というものか。
コックピットで舵を握るエイプリルに指示を出しながら、ジョニーは後ろの二人へ向き直った。ソルは堂々とタバコを燻らせ、クルーの数人から睨まれている。カイは生気のない目で、ひたすらに青い空をガラス越しに見つめていた。二人が話した様子は全く見受けられない。
ジョニーは、はぁと盛大に溜め息をついた。
「……で? アンタらを一体どこら辺で降ろせばいい?」
ジョニーがそう言ってまずソルの方を見ると、ソルはちらりと横目でカイを見てから何か思案し始める。実は何か言いたいがどうしていいか分からない、といったところか。あるいはカイの出方を待っているのか。
先にカイから聞いた方が良さそうだと判断したジョニーは、今度はカイだけに向かって再び同じことを聞いた。
「カイ、どこで降ろした方がいい?」
「……え? ああ、そうですね」
すっ飛んでいた意識が戻ってきたらしいカイは、少し首を傾げながら考えた。
「できることなら警察本部へ戻りたいんですけど……それはお互いに色々問題がありますし、その隣町へお願いします」
「オーケイ。確かにそこら辺が妥協点だな」
行き先に無理がなさそうなことと、一応は冷静であるらしいカイの様子に安堵して、ジョニーは笑顔で承知した。そのままソルの方へ視線を移し、目で答えを促すと、ソルは徐にタバコを口許から離した。
「俺も同じところでいい」
さらりとそう言ったソルの言葉に、カイが顔を歪めたことに、ソルは気付かなかったようだった。ジョニーは内心で『鈍感男め』と詰りながらも、分かったと頷いた。
「二人とも同じところで降ろすが、それでいいな?」
「……嫌です……」
ふと、蚊の鳴くような声でカイがぽつりと言葉を漏らした。壁に凭れ掛かっていたソルが、口許にタバコを引き寄せようとしていた手を止める。多少カイとは離れた位置にいるにしても、ギアであるが故に五感の優れたソルには聞こえたのだろう。
ジョニーにもその言葉は聞き取れたが、確認のために敢えてもう一度聞いた。
「ん、何て言ったんだ?」
「嫌なんです。ジョニーさんにはお手数をお掛けしてしまって申し訳ないですが、そこの男と一緒は嫌です」
今度ははっきりと言い切った。緑がかった青い瞳が、決意を秘めてこちらを射抜く。そう決めたのなら、もうごちゃごちゃと口を出す権利はこちらにない。
だがその後ろで、ソルの紅い瞳が狂暴な色を放ったことにカイは気が付いていないようだった。強い視線が纏わり付いていることを知らぬまま、カイが決定的な言葉を言い放つ。
「そこの男がいないところなら、どこでも構いません。こんな奴といるのは、今この場でも苦痛で仕方ない――」
言い終わるか終わらないかというところで、カイは背後からソルに腕を捩り上げられた。カイは一瞬息を飲み、次いで「放せ!」と叫んでソルから離れようともがいたが、その筋肉質の腕は何をしようともはずせないようだった。
ソルは口を薄く開き、鋭い八重歯を覗かせて笑っていた。その、どこか捕食者めいた酷薄な表情に気付き、カイの全身から見る間に血の気が引いていく。
「……一部屋、借りるぞ」
許可を請うものでなく、当然のことのようにソルは言った。それを聞いたジョニーは大仰に肩を竦め、通路を指さす。
「通路をまっすぐ行って最初の角を右に曲がったところに、俺の部屋がある。好きにしろ」
「えっ、ジョニーさ……痛ッ!」
てっきりソルの行動を止めてくれるのだと思っていたらしいカイが、非難の声をあげかけてところで、無理矢理ソルに引きずられて行く。それを、ジョニーは平然と見送った。
一度じっくり話し合った方がいい。ジョニーはそう思ったのだ。
助けがないと分かって本気で暴れ出したカイを強引に押さえ付けながら、ソルは悪鬼の表情のままコックピットを出ていった。
「……ねえ、ジョニー。放っておいて良かったの? カイさん、可哀相だよ」
不意に、横で見ていたメイが非難がましく呟く。傷ついたカイに同情的で何より恋愛に関して敏感なメイだが、それでも本人達がいなくなってから言ったのは、ジョニーの我関せずの態度を尊重してだろう。
ジョニーはそんな心優しいメイの頭を撫でてから、苦笑を零した。
「アイツらの問題はアイツらで解決するべきさ。人の恋路を邪魔しちゃ馬に蹴られるってな」
そう言ったジョニーを、メイはまだどこか納得のいかない不満顔で見つめていた。






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