どんな時でも自分を映していたその蒼い瞳。何よりも深く、美しい蒼。海の色にも空の色にも適わない、二つとしてない蒼。
挑むときも、笑うときも、泣くときも、こちらを捉えて放さなかった真っ直ぐな瞳。決して逸らされることなく自分を必死で追っていた瞳。
それが、今。全くこちらを見ていなかった。あんなにも強く注がれていた視線は、自分に向いていなかった。目を合わせようとすると、それは拒絶するように逸らされた。
自分を見ない瞳。いつも自分を捕らえて放さなかった瞳が自分を見ない。いつも追われることが当たり前だったのに、逃れようと必死でもがく。
どんな時もそばに居たのに、望んだらいつもそこにいたのに、どうして離れようとする。
何故だ、何故だ、何故だ何故だ何故だ――。
「こっち見ろ、坊や」
怒りを滲ませて、ソルは荒い息を吐きながら唸った。勢いで、繋がった腰を乱暴に揺する。乱れた金髪はその衝撃でびくりと震えて床に散った。
それでも、カイはこちらを見なかった。視線は自分を通り越して天井をさ迷い、顎を逸らせて壁を見つめる。どこを見ているか分からないその瞳は、いつもの青さがなかった。生気が抜け落ちたようにくすみ、強い意思を秘めていたはずの鋭い視線はどこにもなく、焦点は合っていない。
「おい、こっちを見ろ」
引き裂かれて服の合間から覗く白い肌に爪を立て、ソルは顔を近づけた。その動作で、自分の肉棒は深くカイの体を抉っていく。か細い足を開かせ、より羞恥を煽るように小さく引き締まった尻を空気に晒して撫であげる。
突き上げるといつも泣きそうな顔で快楽を訴えるカイの感じる箇所を探り当て、ソルは暖かい壁の一点を故意に何度も突き上げた。叩きつけるように何度も何度も突き上げて、軽い体を揺さぶる。何度も、何度も。
なのに。どうして。いつものように泣きそうな顔をしない。快楽を訴えてよがらない。何故、縋り付きながら潤んだ目でこっちを見ない!
「こっちを見ろっつってんだよッ!」
衝動で殴った。血の気のないその頬は、一瞬で真っ赤に腫れ上がる。衝撃でカイの小さな頭は床にぶつかり、床から舞い上がった埃が金髪を汚した。生気のない瞳は、何も変わらずに虚空を見つめ続ける。
違う。こんなカイじゃない。こんなカイは自分が惚れたカイじゃない。
「いい加減にしやがれッ、クソガキ!」
いつもの艶を失った金髪を乱暴に掴みあげた。何も映さないその瞳を覗き込む。自分を映そうと、覗き込む。
必死だった。くすんでいても、意思を持っていなくても、自分が愛したその人の瞳に変わりなかった。離れていくのを黙って見過ごせるような、並みの執着心ではもうなくなっている。相手の意思を尊重するとか、そんな綺麗事は言えない。自分の手からいなくなるという事実が、恐怖以外の何でもなくなる。
それは、かつて彼女に抱いた感情とは全くの別物だった。ただ一緒に過ごして、楽しみを分かち合って、愛を確かめ合って……そんな、まるで真綿で包まれたような恋とは違う。貪欲に相手を欲し、独占欲が先に立つ。何を犠牲にしてでも手に入れたいという狂暴な思い。そしてそれ以上に、身を狂わせるような愛しい想いが溢れ出て止まらない。
彼女への想いが嘘だったわけではない。その時は本当に愛していたし、今でも彼女の敵を討とうと思う意志は変わらない。大切な存在であったことは本当だった。
だが、彼女にこんな危険なほどの想いを抱いたことはなかった。自分には勿体無いほどの人、誰かに取られても仕方がない、相手の気持ちが離れてしまったら諦めるしかない。そんな、どこか踏み込めていないところを残したままの関係だった。互いの心臓を鷲掴みにていても大丈夫だと言いきれるほどの信頼はそこになかった。
「俺を見ろ、坊や……」
彼女は、彼女。カイは、カイ。今更ながら、この気持ちが同一でないことを知った。全く別物だと、やっと気付いた。
だから。だから、お願いだ。
俺を見てくれ。俺だけをその瞳に映してくれ。
その声で俺を呼んで、その手で俺に触れてくれ。彼女が知ることのない、俺の今の名を、その唇で呼んでくれ。
「カイ……」
掠れた声で、彼の名を呼んだ。鼻が触れ合うほどの距離で、カイはそれを聞いたのか、微かに眉をひそめる。
そして――拒絶するようにゆっくりと瞼を閉じた。
「――」
まるで、心臓を握りつぶされたような衝撃を受けた。カイの髪を掴みあげた手が小刻みに震える。唇は次に発する言葉を失い、喉は飲み込む唾もないのに上下した。
「……なんで」
散々乱暴に扱ったカイの頬をぎこちなく撫で、ソルはため息とともに乾いた唇で囁いた。
「なんで、俺を見ない……」
人形のように何の反応も返さないカイに触れる。答えはきっと返ってこない。自分が本当はどうするべきかということに気付くのが遅かったから、カイは心を閉ざした。
答えはない。
反応もない。
そう思ったとき――、カイの薄い唇が微かに動いた。
「……お前は私を……見ていない……」
抑揚もなく、淡々と、悲しみも麻痺したその声が漏れた次の瞬間――カイはそのまま気を失って崩れ落ちた。












まだぼんやりする視界で視線を泳がせながら、カイは天井を見上げていた。ぺたんと床に腰を下ろし、壁に痛む背を預けたまま何をするでもなくそうしていた。
気を失っている間に、汚れた体は綺麗に洗われていた。おそらくそれをしたであろう人物は今、シャワーを浴びているようで、ここにはいない。
いないことを、カイは心から喜んでいた。
あの目で見られたくはなかった。自分を通り越して誰かを見る目に、耐えられなかった。
彼が望む人物は、恐らく彼の手に入らなかったのだろう。だから、彼は代わりである自分を失うことに怒りを覚えた。代わりでいいから自分のものにしたかったのだ。
それを自分は拒絶した。代わりなどごめんだ。なぜ、そのために抱かれなくてはならない。
愛のかけらもないのに。
「忘れよう……」
あんな奴はいなかった。どこにもいなかった。自分と関係など微塵もなかった。
「忘れよう……」
あの優しい声も、暖かい手も、炎のような視線も。
全部、全部。なかったことに。
カイは薄く笑い、自分の体を抱きしめた。
「あんな薄情な奴……もう知らない」
愛していると、一言も言わなかったあんな奴。
もう知らない……。
そう呟くカイの頬を、一筋の涙が伝った。















いい加減そろそろ追い出しにかかろうか。ジョニーはそんなことを思って、乗船している客がいるであろう自分の部屋へ向かって歩いていた。
恐らくとんでもないことになっているだろうが、あまり長居をされるとクルー達の情操教育に関わる。二人ともいい大人なのだから、ここでなければならないというわけではないだろう。
そう、比較的軽い気持ちでジョニーは歩いていた。だが、前方からふらりふらりとしながらやってくる人物に気付き、目を丸くする。
「カイ……?」
その人物は、まさしくカイだった。金髪碧眼、抜けるように白い肌、女のような体の細さ、それでも女には有り得ない長身。どこをどうみても、カイ=キスクだった。
しかし、名を口に出してみないと俄かには信じられない状態だった。容姿はそのまま同じなのに、雰囲気が全く違うのだ。前を通られれば誰だって視線を止めてしまう、その洗練された雰囲気と意志の強さはどこにもなかった。今のカイは、目に留めるどころか気配さえ捉えられなくなるほどの存在の薄さになっていた。
まるで、幽霊だった。からだの半分以上をどこかに置き去りにして、さ迷っているようにしか見えない。
「一体どうした……」
思わず早足でカイのもとへ近寄り、小柄な顔を覗き込む。カイは定まらない視線をこちらに向け、しばらく時間を要してからジョニーだと認識したようだった。
「……ジョニーさん」
カイは微笑んだ。精一杯、普通に笑おうとしていた。だが、ジョニーには泣き顔にしか見えなかった。
しかしそれを指摘する間もなく、カイは不安定な体でぺこりと頭を下げた。
「あの……ジョニーさん、すみません。服を一着……無断で借りてしまいました」
そう言って謝るカイの姿を、ジョニーは改めて見る。確かにカイはさっきまで着ていた服を着ていなかった。いつの間にやら、ジョニーが普段着用に持っている黒のシャツとズボンを身に着けている。サイズが違うせいか、かなりだぼついているようではあるが。
「ん。ああ、いや、別にそれは全然構わないが……」
お前さん、大丈夫か?
思わず声を掛けながら、乱れた金髪に付いた埃を払う。その動作を、カイは特に嫌がらなかった。
この様子では、何をされたかは明白だった。いや、それ自体はジョニーも予想していたことだった。だが、それは同意のうえでということだ。
無理矢理など、欠片も考えていなかった。
痛々しいその有様に、ジョニーが言うべき言葉に迷っていると、不意にカイは顔を上げてこちらを見つめた。
「……図々しいとは思うのですが、一つお願いを聞いてもらえませんか」
突然の申し出に驚きながらも、ジョニーはすぐに頷いた。カイをこんな状態にしてしまったのはひとえにソルのせいだが、それを止めることができたはずの自分も同罪だ。埋め合わせには全く足りないが、多少の無茶は聞き入れよう。
「ああ、構わないさ。好きに言ってみるといい。ノープロブレムだ」
ジョニーがそう言うと、カイはあまり嬉しそうでもない疲れきった顔で、ありがとうございますと言った。
「私を、ここで降ろしてくれませんか。ソルがいない、今のうちに」
「……いいのか?」
なんとなく予想はしていたため、驚きは少なかった。その代わりに、本当に良いのかと聞く。
カイは迷いなく頷いた。
「はい。少し、気持ちを整理したいだけです」
「そうか……」
それは半分嘘だろうとジョニーは思ったが、顔には出さなかった。気持ちの整理をつけたいのは確かだろうが、このままソルに引き込まれて離れられなくなったら怖いという気持ちも多分にはあっただろう。
だが、自分にはどうこうできることではない。ただ、請われた時に手を貸すことくらいのものだ。
「降ろすくらい、全然構わないさ。ただ、本艦ごと降りるとソルに気付かれる可能性があるだろうから、メイに頼んで小型機で出るといい」
「……ありがとうございます」
深々と頭を下げて礼を言ったカイはしばらくして顔を上げると、ジョニーの脇をすり抜けてコックピットへと向かった。
その頼りない背を見つめてから、ジョニーは再び自分の部屋へと向かって歩き出した。









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