青い目の人形




「人探し、ですか」
薄暗い酒場のカウンターで作業をしていた青年が珍しそうに、だが抑えた声で呟いた。その向かいに立つ筋肉質の男は、目だけで頷く。
「金髪碧眼で色白の優男だ」
低く掠れた声で言った男の言葉に、そこのマスターでもある青年はグラスを拭く手を休めぬまま、やや眉をひそめた。
「そんな、特徴であって特徴でないようなことを言われても特定できないのですがねぇ……。顔写真とか、ないんですか」
「あるにはあるが、表に出すとマズイんでな」
「そうですか。それなら仕方がないですね……」
人探しを依頼しておきながら写真を提示しない理由を、青年は追求しなかった。
裏のルートで人探しをしようとすると、かなり色々な人物に情報を流して協力を請わなければならないため、大物の犯罪者の捜索だと横取りされかねなかったり、身内の捜索だと面が割れたりしてしまったりと、リスクは大きい。
「他に特徴らしいものはないんですか? 正直、それだけでは捜しようがありませんが」
青年が正直にそう言うと、男はくわえていたタバコを口から離し、少し考えるような仕種をした。
「……やたらと美人だ、女かと思うくらいにな。ただ、身長は178だから男だと分かる」
「美人、かぁ。正直、微妙な特徴ですね。……いや、あなたが言うくらいだから、並大抵の綺麗さじゃないかもしれませんが」
頭の端で捜索方法を絞り込みながら、青年は呟く。男はそれ以上詳しく言うつもりがないのか、青年が視線を向けても何も言わないので、仕方なくあれこれと考えた。
無表情のままタバコを燻らせて答えを待つ男に、青年はふと現実的な問題を聞いた。
「どれくらい、お礼をもらえますかね?」
当然ながら手間が掛かれば掛かるほど、金もかかる。利益が少なかったり、下手をすれば損をする依頼はあまり受けたくないのが普通だ。
それを聞いて、男は静かに手で金額を示した。
「……これくらいで足りるか」
「そんなに払うつもりですか?」
男が提示した額の大きさに、青年は驚いた。普通の人探しでの相場の二倍近い額である。もともと青年にとってその男はお得意様ではあるが、いつも仕事内容に見合った額しか支払わないのだ。
それが突然気前が良くなったわけを不思議に思いつつも、青年は聞かなかった。
下手に深く首を突っ込むと自分の身が危ない。
「ではその仕事、引き受けさせていただきます。確実に探す方法を取りますので、多少手間取るかもしれませんが……よろしいですかね?」
「ああ、頼む」
男は軽く顎を引いて頷いた。話はまとまった。
そのまま酒場を出ていく男の背をしばらく見送り、青年は拭き終わったグラスを置いて裏へと引っ込んだ。他の信頼できる筋に協力を要請するためだった。
「……なぁ、今の聞いたか?」
ふと、その酒場の端で陣取る大柄な男が、向かいに座る痩せた男に話掛けた。話を振られた痩せ男は、意味が分からずに首を傾げる。
「なんだ、なんだ? 何かあったかぁ?」
「馬鹿。聞いてなかったのかよ、マスターと人相悪い男がしゃべってたこと」
言い様、大柄な男に頭をごつっと叩かれ、痩せ男は頭を押さえてテーブルに突っ伏す。体力派ではないせいか、で打たれ弱かった。
呻いている痩せ男を気遣う風もなく、大柄な男は自分の耳を指してにやにやと笑う。
「俺は耳がいーからな。聞こえたぜ? かなりの儲け話になりそうだ」
「儲け話ぃ? ホントならありがてぇんだけどなぁ」
「ちゃんと聞いたっつっただろッ」
「痛ッ!」
胡散臭げな眼差しを送ったために再び叩かれた痩せ男は情けなく悲鳴をあげた。
大柄な男は、これ見よがしに溜め息をつく。
「金髪碧眼、色白の優男を捜してるんだと。かなり美人の、身長178。見つけた謝礼は、この前狩った賞金首の三倍分」
一気にそこまでいうと、大柄な男は少し身を乗り出した。他に誰もその酒場にいなかったが、声をひそめる。
「な? かなりオイシイ話だと思わねぇか?」
「あ。それにぴったし当てはまる奴、ついこの間見たぜぇ?」
得意げに言う大柄な男に、痩せ男はあっさりとそう言った。大柄な男は一瞬固まった後、痩せ男の胸倉を掴み上げる。
「なんだと!? それをもっと先に言えよな! さっさとそいつを連れてきて引き渡すぞッ!」
「うわ、わ。落ち着けよ、お前」
すぐにでも飛び出していきそうな勢いの大柄な男を、痩せ男は宥める。そして不意に仕事の顔になった痩せ男は、薄笑いを浮かべてみせた。
「でもなぁ、実際見て驚いた。あんな綺麗な男は、そういない。見かけたときからちょっと狙ってたんだ。裏で競りにかけたら、絶対その謝礼のさらに五割増しで確実に売れるぜぇ?」
「……なに?」
にやにやと意味深に笑う痩せ男に、大柄な男は戸惑って聞き返した。だがそれに対しては明確に答えず、痩せ男は自分を指さす。
「体力はないが、俺の目利きが確かなのをお前も知ってるだろぉ?」
幾分濁ったその細い目は、自信に満ちていた。






ベルを鳴らすこともなければ声を掛けることもない不法侵入者に、家のセキュリティシステムは作動しなかった。
だが、それが故障でも何でもなく、家主が特定の人物にだけそう設定しているのだと知っていたアクセルは、気配に気付いて玄関まで走った。ちょうど行った先で思った通りの人物を見つけ、アクセルは百万ドルの笑顔を見せる。
「おかえり、旦那〜♪ どうだった?」
「……」
現れたソルはアクセルの方を見ることもなく、何も答えないまま部屋へと入っていった。思い切り無視されてしまって笑顔を微妙に引きつらせたアクセルだったが、今のソルの心情を察すると怒る気にはなれなかった。
いつも笑顔で出迎えてくれたはずのカイ。しかし今、彼はここにいなかった。この家が彼のものであるにも関わらず。
作為を感じる賞金首の事件から始まり、イノがディズィーを殺そうとするまでの間に起こった数々の奇妙な事件。とりあえず誰もが大事に至らず無事に解決したが、その後、事件に巻き込まれた者同士で情報交換をして事件を整理した。結局簡潔に述べると、『あの男』の部下であるイノが自分にとって都合の悪いと思われる人物を排除しようとしたのと、『終戦管理局』と名乗る組織がジャパニーズ及びアジア系に関係のある人物を狙ったこととが重なって起きた事件であった。首謀者を捕まえることや黒幕の特定はできなかったので、こちら側からすれば完全にいいとこなしの出来事だったといえる。
そしてそんななか、運悪くソルとカイが仲違いをしてしまった。日頃のズレに加えて、タイミング悪く降り掛かった事件の数々の末、現在カイは行方不明である。ジェリーフィッシュ快賊団のメイに地上へ降ろしてもらった直後にカイは警察本部へ連絡を入れ、一週間の休暇を申し込んでいたのだが、それ以降行方を晦ませている。わざわざ警察本部に連絡を入れたということは、放っておいても一週間後に姿を現すということでもあるが、カイは一連の事件で瀕死状態に陥ったことと擦り切れた精神状態であることを考えると、衰弱死もしくは自殺をしている可能性が全くないとは言い切れなかった。
もしかすると、カイを失うかもしれない。そんな恐怖に駆られてか、ソルはそれからずっとカイの行方を追っている。今日で三日目になるが、カイも流石に警察だけあって、まだソルの情報網に引っ掛かっていない。
もともとソルはカイの自宅へ訪れることが多かったため、フランス内にはそれなりに伝があった。それらを使って最初の二日間はフランス内で行方を洗ったのだが、カイの所在は全くと言っていいほど掴めなかった。そして今は隣国のドイツ、イギリス、スペイン、スイスをソルは飛び回っている。
最後にカイを見たのは他ならぬメイで、降ろした先はフランスだと後から聞いた。だが、自宅に立ち寄った気配も痕跡もなく、何よりそこで寝泊まりさせてもらっていたアクセルはカイの姿を見かけていない。
カイちゃん、早く戻ってきてよ……。
アクセルはそんなことを祈るような気持ちで、内心呟く。カイの状態をかい摘まんでしか聞き及んでいないアクセルには、カイよりもソルの方が心配に思えていた。
いつものようにソファを一人で陣取るソルは、眉間に皺を寄せたまま内ポケットからタバコの箱を出し、トンと叩いて一本だけ取って火をつける。人の家にも関わらず横柄な態度で喫煙するこの男を、よく知らない者はふてぶてしいと思うかもしれない。だが、その無表情から細かな感情を探り取ることのできるアクセルには、彼が相当憔悴していることが分かっていた。普通の人間と違って体力が並み大抵でないギアであるソルがこんなにもダメージを受けているのは、何も各国を飛び回っているせいだけではない。精神的なものが大部分であろう。
アクセルも二人の仲違いの原因がほとんどソルにあったことを聞いている(ソルは何も答えないのでジョニーから聞いた)。浮気や別の名前で間違って呼んだなどは確かに不実な行いではあったが、ソルが本気でカイに飽きてそうしたというわけではないことを、部外者であるアクセルですら――いや、部外者であるからこそなのか、よく分かっていた。
いつもソルが誰を見ていたか。それを考えれば単純な答えであったように思う。
「ねぇ、旦那。カイちゃんが帰ってくるまでしばらく待ってみたらどうかな?」
座るタイミングを逃したアクセルは、突っ立ったままでそんなことを言ってみた。一週間の休暇しか取っていないのだから、まさか死ぬことはありえまいと思っていた。しかし、ソルはタバコを挟んだままの唇を開こうとはしなかった。
重苦しい沈黙に支配された空気に、アクセルは取り繕うように笑った。
「だってさ、ほら……カイちゃんって精神的に強いじゃん? 大丈夫だよ、きっと――」
「強くねぇよ、アイツは」
不意に、ソルは吐息に混じえて低く囁いた。それをかろうじて聞き取ったアクセルは、え?と視線を送る。
羽織っている外套も脱がないまま紫煙を吐いていたソルは、徐にタバコを口許から離した。
「強いと思ってた、俺もな。確かに坊やは普通より頑丈ではあるんだが……いつも立ち直ってくるわけじゃねぇって、今回思い知った」
何か思い出したのか、ソルは空中を凝視する。その仕種が、事態の深刻さを表しているように思えた。
カイは、弱い。本当は弱かった。それを失念していたアクセルは、ソルの言葉で今までのカイの細かな表情を思い出した。
ソルに挑むときはいっそ清々しいほど生意気な笑みを浮かべ、本当に嬉しいときは年不相応なくらい幼い笑みを浮かべて喜んだカイだったが、ソルを傍らで見つめている時や一人でいる時はむしろ寂しげな笑いしか零さなかった。アクセルはまともな時間軸を過ごしていないせいで分かりにくかったが、確かに最近になればなるほどカイは心の底から笑っわなくなっていた。
いつからか、無理をしていたのだろう。多少のことなら大丈夫、と勝手に解釈してしまっていた自分に気付き、アクセルは自己嫌悪に陥った。
「まずいんだよ、今のアイツの状態は。あのまま裏の連中に目を付けられたら、二度とまともな状態で帰ってこれねぇ」
ほとんど確信に満ちた口調で、ソルは言った。人よりも遥かに長く裏で生きているからこそ、余計によく分かってしまうのだろう。
いい解決策どころか、まともな慰めの言葉さえ出てこない。それきり沈黙するソルの前で突っ立ったまま、アクセルは自分の役立たずさに情けなくなる。
「ええっと……旦那、コーヒーでも飲む?」
とりあえずこの重苦しい空気をなんとかしようと、アクセルは場を和ませてみる。確かカイが買い置きしていたインスタント・コーヒーがあったはずだからすぐに入れられるだろう。落ち着けば、また何かいい案が思い浮かぶかもしれない。
そう言い出したアクセルを無視するように、ソルは徐に立ち上がった。外套を羽織ったままで玄関へと向かっていくソルに、アクセルは驚く。
「ちょっとっ、旦那! どこ行くのさ!?」
「……もう少し探す範囲を広げる」
そう言って、足音さえ立てず淀みのない動作で部屋を出ていくソルの背を、アクセルは慌てて追いかけた。玄関先でどうにかソルの前へ回り込むことに成功したアクセルは、内心しり込みしつつもソルの険しい表情を正面から見据えた。
「旦那、少しでいいからちゃんと休みなよ。そんな疲れた状態じゃ、いい結果にならないって」
「俺が疲れるわけねぇだろ。そこをどけ」
頑なに拒否するソルは、アクセルを鬱陶しそうに押し退ける。それに強く逆らうことも出来ぬまま、アクセルは言い募った。
「ねぇ旦那。部屋とか綺麗にしてさ、花なんかも飾ってカイちゃんの帰りを待とうよ。旦那の方が倒れたら、それこそ意味ないじゃん」
ソルはギアであるために体はさして疲れていないだろうが、精神的には結構なダメージを受けている。実際に倒れることはなくとも、どこかで判断を誤りかねない。
しかしアクセルの訴えも容易く無視し、ソルはその横を擦り抜けた。
「ちんたら待ってなんざいられるか。あいつは俺のものだ」
傲慢に言い放つそれとは裏腹に、ソルは苦渋の表情だった。今までは当然のようにそう思っていたが、もしかするともう自分の手を離れたかもしれないという不安が、見え隠れしている。
どこか切羽詰まったその様子で、果たしてソルは大丈夫なのだろうか。カイと顔を突き合わせたとき、落ち着いて話ができるだろうか。
俄かに不安を感じたアクセルは、尚もソルを止めようと口を開きかけて――突然、覚えのある感覚に苛まれて顔を強張らせた。
また、時空を跳ぶ……!
焦ったアクセルは、咄嗟に叫んだ。
「旦那っ、絶対絶対カイちゃんと仲直りしてよッ!?」
体が透け、自分の存在が薄れていく中で、アクセルは今まで引き止めていた言葉を翻して声を張り上た。何であれ、アクセルは自分の友人達が幸せであることを心から願っていた。
いつものタイムスリップだと気付いたソルは、僅かに目を見開いてこちらを見た。その紅い瞳を真っ直ぐに見ながら、アクセルはぶれる視界の中で叫ぶ。
「今度俺様が来たとき、二人が一緒にいなかったら絶対許さないからね――……!」
必死に声を張り上げた。ソルに通用しないかもしれないが、力の限り凄んで脅すように言った。
それらの言葉を言い終わらぬうちに、アクセルの意識は混濁した時の中へと溶けてしまった。それでも、言いたかったことは伝わっているはずだと思った。
本当の意味で幸せが得られるのは、互いが一緒にいることなんだよ?
アクセルはどこともつかない空間の狭間で、微笑みながら囁いた。








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