いつの間にか外が暗くなっていることに気付いて、ソルはランプに火を灯した。
途端に見えやすくなった原稿に向かいながら、片手間にたばこを吸う。すっかり習慣化してしまっているので、吸わなければやっていられない。
それでも今日は随分進み具合が良い方だった。本人はそうと気付いていないが、カイと出かけてからソルの機嫌が良くなっていたせいだ。
しかしそれでもそろそろ疲れてきたのか、ソルは机の上に万年筆を転がした。
「……腹減ったな」
そうぽつりと呟きながら、ソルはたばこを灰皿に押し付けて立ち上がる。自分の腹が減ったときが食事時だと信じて疑わないソルは、カイに催促しに行こうと思ったのだ。……いや、それよりもむしろ宣言通り……。
「殴りに行くか……」
だるそうな口調で物騒なことを言いながら、ソルは首を回して凝り固まった筋肉をほぐす。
そして部屋を出ようと扉に手を掛けた瞬間ーー扉が向こう側から開いた。
ごんっと鈍い音が響く。
「っ……痛ぅっ」
「え、あ、旦那様!? だ、大丈夫ですか!!?」
扉の縁が額に直撃したソルは、思わず呻く。扉の向こう側から顔だけ出したカイが慌ててソルの安否を気遣ったが、ソルは問答無用で殴りつけた。
「ノックぐらいしろ!!」
「す、すみません……っ」
痛む頭を押さえながら、涙目でカイが謝罪する。ソルもズキズキ痛む額を押さえながら、扉を手前に引いた。取っ手を掴んでいたカイはそれに引っ張られるように、部屋の中に転がり込んでしまう。
「わ!……っわぷ」
勢い、ソルの厚い胸板にぶつかってしまったカイは、冷汗を流しながら恐る恐る顔を上げた。すると、眉間に皺を寄せて不機嫌オーラを放つソルの顔が間近にある。
カイの顔色がさっと青ざめる。
「す、すみませんッ。次からちゃんとノックしますので……!」
「もういい」
際限なく謝りそうなカイを制して、ソルは溜め息混じりに聞いた。
「……で、何か用か?」
そう言われて、カイはここへ来た理由を思い出す。突然のアクシデントに気が動転して、本来の目的を忘れそうになっていた。
「あのっ……夕食の用意、できたんですけれど」
ソルから距離を取ってカイがそう言うと、ソルが少し面白くなさそうな顔をする。
「もう一発殴れるかと思ったんだがな」
「……はい?」
「いや、なんでもない」
謎の言葉を呟くソルに、カイは首を傾げた。その動作が妙に可愛らしい。
なんとなくカイの頭を撫でてみたくなったソルは、手を伸ばしかけて……動きを止めた。
今更ながら、カイの服が変わっていることに気付いたのだ。
「? 旦那様??」
「……ん。ああ」
呼び掛けても生返事しか返ってこないので、カイは訳が分からず、なにやら驚いているソルを見つめた。
不審げに見られ、ソルは口許に手を当ててどう言おうか悩んだ。
「……服、着てみたのか」
ソルがそう呟くと、カイが少し照れたように頬を染めた。
「はい! 何着もあったので、どれを着ようか散々迷ったんですけど……あの、に、似合いますか?」
自分の胸元に手を当てて聞いてくるカイを、ソルは改めて上から下まで見つめる。
カイが着ていた服は黒のシャツと黒のズボンで、極シンプルに全身が黒で統一されていた。別に特筆すべき点もない格好なのだが、色合いがなんとも絶妙だ。黒という色が、もともと細い体を更に細く見せ、だが同時にしっかりとした存在感も与えている。そのうえ華やかさに欠ける色で全身を包んでいるからこそなのか、髪の色と目の色が際立ち、鮮やかによく映えていた。
しかしなにより目が行くのは、開いた襟から覗く白い肌だ。服の色と対照的なので、余計にその白さが目立つ。
はっきり言ってカイの格好は、美しいという言葉しか出てこいものだったが、ソルは素直にそれを口に出せずに苦しんだ。
「……別に普通だろ」
他人にあまり褒め言葉を送らないソルは、思わずそう言ってしまう。期待外れな言葉が返ってきたもので、カイは少し落ち込んだ。
あからさまにしゅんとなったカイを見て、ソルは慌てて別の事を聞く。
「サイズはそれで合ってたか?」
「え? ……あ、はい。ピッタリですけど……そういえばなんで私のサイズ、知ってたんですか?」
逆に聞き返されて、しまったヤブヘビだったかと思いながら、ソルはカイから視線を逸らして言った。
「……触った感じがそんなもんだったからな」
「え、触って?? ……ああ、もしかしてあの時」
買い物に出かける前にソルが体に触れてきたことを思い出し、カイは合点が行く。しかし、触ったくらいで分かるものなのか?とちょっと首を傾げた。
何かまだ悩んでいるらしいカイの背を押して、胡麻化すようにソルは部屋を出る。
「飯、できてんだろ? 早く行くぞ」
「あ、はい。そうですね」
促されてカイは頷いたが、もう一つの用事を思い出して足を止めた。
歩こうとしないカイを怪訝そうに見つめるソルに、カイはずっと片手に持っていたものを見せる。
「あのぅ、旦那様? 服と一緒にこんなものが入ってたんですけれど」
言って差し出したのは、黒いベルトに鎖が付いたものだった。しかし普通のベルトにしてはやけに短く、鎖の付き方が微妙に変だ。
それはどう見ても……首輪にしか見えない代物だった。
目の前に差し出されたそれを見てソルは一言、
「首輪に決まってんだろ」
と軽く言ってのける。あんまりさらっと言うので、カイは混乱した。
「な、なんで首輪なんかが服と一緒に……!?」
「それはお前がつけるんだよ」
当たり前のように言いながら、ソルはカイの手から黒い首輪を取って、それをカイの首に嵌めてしまう。
「な、ちょ、ちょっと……っ!?」
「へえ、結構似合ってんじゃねぇか」
突然のことに慌てるカイを、ソルは意地悪な笑みで見つめた。明らかに面白がっている。
ソルが主人である以上逆らうことができないカイは、困ったように眉を寄せた。
「なんでこんなことするんですか」
首輪を外そうとはしないが目で訴えてくるカイに、ソルは顔を近付ける。
「お前は俺の奴隷なんだから、鎖つけて飼っておくのが主人の務めってやつだろ?」
「そんな……」
カイが一瞬泣きそうに顔を歪めた。
ソルはそれを慰めるように、首からぶら下がった鎖を掴んでカイを引き寄せ、薄い桜色の唇に口付ける。
「……!」
一瞬で離れてしまったが、キスされたのだと認識したカイは、驚いて至近距離にあるソルの顔を見つめた。
鼻が触れ合うほど間近にいるソルの表情は、今までに見たこともないほど穏やかなものだったので、カイをどきっとさせた。
「お前は俺のものだからな……」
「……っ」
言っている科白は傲慢なのに、ひどく優しい声音だったので、カイは思わず顔を赤らめる。咄嗟にどういう態度を取っていいのか分からなくなったカイは、ソルの視線を避けるように俯いてしまった。
ただ触れただけのキスで初々しい反応を返すカイに、ソルは不意にいたずらな笑みを浮かべる。
「なんだ、キスもしたことないのか?」
「え…そ、それは…っ! …うぅ」
図星を指されて何も言えなくなったカイは、羞恥も入り交じって、顔を真っ赤にした。黙り込んでしまったカイの頭を撫でて、ソルはどこか楽しげに廊下を歩き出す。
「さて……最初にあれだけ啖呵切ったんだから、さぞかし美味い料理なんだろうな?」
ある意味半分脅しのようなソルの言葉に、カイは何も言えないまま頼りなく笑った。


優に十人は座れる大きなテーブルの真ん中に陣取ったソルの前に料理を並べながら、カイは最初に謝っておこうと思って口を開いた。
「正直……他の仕事に追われていて、あまり凝ったものを作れなかったんです。 だから特別おいしいかと聞かれたら、ちょっと自信がないんですけど……」
おずおずとカイがそう言うと、ソルはナイフで切った一口大のムニエルを口に放り込んだ。無言のまま暫く咀嚼していたソルがごくりと飲み下すのを見て、カイは緊張した面持ちで聞く。
「どう……ですか?」
「……美味い」
ソルはそれだけぽつりと言うと、今度はパンプキンスープに口をつけた。
「……言うだけのことはあるじゃねぇか」
ソルがにやっと口端を上げて笑うのを見て、カイはほっと胸を撫で下ろす。
「よかったぁ……。料理は少し余分に作ったので、おかわりしたかったらどうぞ言って下さい」
腕が認められて安心したカイは、にこにこ笑って言った。
しかし、なぜかそのまま部屋の隅で待機しているカイをソルは見つめる。
「なんで、んなとこに立ったままいンだよ」
「え? あ、気になって嫌でしたか? それなら私はキッチンの方に行きますので、どうぞごゆっくり……」
「違う違う、そういう意味じゃねぇ」
奥に引っ込もうとしたカイを、ソルは咄嗟に引き止めた。
「そうじゃなくてだな……。なんでお前も一緒に飯食わねぇのか、って聞いてんだよ」
「えっ? 何を言っているんですか? 私みたいな者が旦那様と食をともにするなど……」
心底驚いている様子のカイを、ソルは鋭い眼光で睨付けた。
「うっとしい奴だな。そんなどうでもいいことにこだわってんじゃねぇ。……早く俺の前に座って食えよ」
正面の席を指差しながら、ソルは苛立った口調で言う。ソルの機嫌を損ねさせた理由が分からなかったカイは、できませんと言った。
「従者が主人の前に座って食べるなんて、おかしいです」
「ごちゃごちゃうっせぇ。俺の言う通りにしろ」
紅い双ぼうに押し殺した怒りを宿してソルが命じてきたので、カイは思わず縮こまった。なぜそんなことで怒られるのか分からないまま、仕方なくソルの前の席に自分の夕食を並べ始める。
なんとなく納得のいかない顔つきで着席したカイに、ソルはナイフとフォークを皿の上に置いてから静かな口調で言った。
「この屋敷の中にいるのは俺とお前だけなんだからな。変に遠慮とかすンの、やめろ」
「でも私は……」
「お前は俺より低い立場にいるだけだろ。犬猫と一緒になれなんて言ってねぇぜ」
そう言われて、カイは俯いて首輪から垂れ下がった鎖をいじる。首を戒めている存在を思えば、犬猫と同等の扱いを受けているとしか思えなかった。
その動作でカイの気持ちを察したソルは、暫く思案する。
「……どうしても嫌ならその首輪、外せばいいだろ」
「え?」
「特注で本革のベルトと純銀の鎖で作らせたから高かったんだがな、ソレ」
「……そんなこと言われたら、余計に外せないじゃないですか……」
恨みがましい目でソルを見ながら、カイは呻いた。
「大体、なんでそんな高級な素材でこんなもの作ったんですか……」
呆れたように聞くカイに、ソルは難しい顔で逡巡してから、不意に不敵な笑みを浮かべてみせる。
「お前が他の連中に甘く見られてほしくないからに決まってんだろ」
紅い瞳に屈強な色をたたえたまま、ソルは口許を柔らげた。思わぬ赤裸々な言葉に、カイは驚き――そして頬が熱くなるのを感じる。
「それ……ホントですか?」
「当たり前だろ。俺の召し使いはお前一人なんだから、そこいらの奴と一緒にされちゃ困る」
はっきりとソルは肯定した。それが嬉しくて、カイは華のように微笑んだ。なんであれ、自分が人に必要とされるのは嬉しい。
ナイフとフォークを手に取って再び食べ始めたソルを見つめながら、カイは首輪に手を添えて言った。
「そうおっしゃるなら、つけておきます。……その代わり、私を捨てないでくださいね。精一杯頑張りますから」
はにかんだように笑うカイの瞳が、一瞬不安に揺らめく。それを認めたソルは、怪訝そうな顔をした。
「何言ってんだ、お前は? 誰が捨てるかよ。仕事サボったら殴るとは思うけどな、別に追い出しゃしねぇよ。……馬鹿なこと言ってねぇで、さっさと食え」
さもつまらなさそうな口調で言って、ソルは黙々と料理を平らげていく。そのいっそ清々しいほどはっきりした態度に、カイは胸が熱くなった。たぶんこうやって誰かに必要とされたのは初めてだ。必要だと口に出して言ってくれたのも、きっとこの人が初めてだ。
そう思うと、食べ飽きた自分の手料理がひどくおいしいものに思えた。
暫く黙ったまま食べていたソルは、最後のパンを引き千切りながら、カイの方を見ずに尋ねた。
「なんでお前は逃げないんだ?」
「え……?」
サラダをつついていた手を止めて、カイはソルの方を見る。ソルも手を止めた。
「奴隷なんかになっちまったら、普通逃げるもんじゃねぇのか」
「ああ……。人買いの連中にさらわれたのなら、たぶんそうするんでしょうね」
ソルが疑問に思う理由が分かって、カイは自分の考えを話す。確かなことではないだろうが、カイも貧しく荒れた街に住んでいたので、大きく外れてはいないだろうと思った。
「でも買い取ってすぐに逃げられたら信用が落ちるからって、最近はあんまりさらってきた人を取引しませんね。主に高値で売られるのは、自分から身を売った人か逆らえない弱みを握られている人ですよ」
事務的に淡々と説明するカイを、ソルは複雑な表情で見つめる。
「……お前は弱みを握られたクチか?」
そう聞かれて、カイは驚いたように目を丸くした。
「そんな風に見えましたか? 私は前者ですよ。生憎、私には弱みどころか初めから何も持ってませんから」
なんでもないことのように、カイは言う。無邪気に語る分だけ、何か残酷な気がした。
思っていたよりも随分厳しい世界でカイが生きてきたらしいことが分かって、ソルはこれ以上突っ込んで聞いて良いものか悩んだ。しかしソルは良くも悪くも自分の欲望に忠実だったので、更に深く尋ねることにする。
「じゃあなんで身売りなんてしちまったんだ?」
はっきり言ってソルには、カイが自分から身を売ったなど信じられなかった。なにしろカイは外見が際立って美しい。身を売ってしまったら、それこそ何をされるか分からないのだ。
しかしカイ自身は自分の価値を全く分かっていないらしかった。
「母の治療のためにつくった借金を返すためです。……結局母は助からなかったんですけど、借りたのは事実ですから返さないといけませんし」
至って真面目にカイがそう言ったので、ソルは思い切り顔をしかめた。
「あ? お前、馬鹿か。親が助かったんならまだいいが、死んじまってんのにそんな律儀に返す必要ねぇだろ。踏み倒せよ、そンなの」
「ダメですよ! お金を貸す人の方にだって生活があるんですから」
「だからって身を売る馬鹿がどこにいる。……いや、いるんだったなここに」
ソルは心底呆れて、溜め息をつく。馬鹿だ馬鹿だと連発されて、カイはむーっとスネた顔をした。
怒ったように黙ったまま食べているカイを、ソルは食後の一服を吸いながら見つめた。
「……しかしマジで馬鹿だよな、お前。いくら借金があったんだか知らねぇが、少年売春夫になって何回か我慢して穴掘らせてやりゃ、簡単に稼げたのにな。絶対お前ならかなりいい客がついてたぜ」
「……ッ!!?」
ソルが突然言い出した言葉に、カイは思わずスープを吹き零しそうになる。カイにとって馴染みのない表現がふんだんに使われていて、細かいことまでは理解できなかったが、何か非常に卑猥な話題を振られたのは分かった。
ごほごほと咳き込んだカイは、息苦しさに涙を滲ませながら、ソルを見る。
「な、何か今すごいこと言いませんでしたか!?」
「別にすごかねぇだろ。少年売春夫なんて今時珍しくもねぇよ」
さらりと言うソルを、カイは思わず軽蔑の眼差しで見つめた。
「売春婦がいるのは知ってますけど、男でそういうのがあるなんて……。まさか旦那様も……そういうところに行かれるんですか?」
そうだと言われたらなんか嫌だなぁと思いながらカイが聞くと、ソルはハッと笑い飛ばした。
「誰が行くかよ。男なんて抱いて、何が楽しいってんだ。豊満な女を何人もはべらしてる方がいいに決まってる」
「……どっちにしろ胸張って言えることじゃないと思います……」
たばこを吸いながらさも当然とばかりに言うソルを、カイは疲れたような口調で嗜める。
この人にはどこかついていけない部分があるなあと改めて思いながら、カイはごちそうさまと言って手を合わせ、ソルの食べ終わった食器と自分の食器をキッチンに運んだ。
「食後の飲み物はコーヒーか紅茶、どちらにしますか?」
「コーヒー」
即答で言われ、カイはソルがコーヒー派であることを頭の中にメモする。
カイ自身は紅茶派だったのだが、ソルに合わせようと思って二人分のコーヒーを入れ始めた。
しかし食後のデザートにと思っていたケーキとコーヒーが合わない気がしてならない。ソルに好きに選んでいいと言われてカイが選んだのはフルーツが一杯のった生クリームのケーキだったので、コーヒーの味に負けてしまいそうだ。
勝手に判断して良いものか計りかねたカイは、綺麗に皿へ盛ったケーキをテーブルに運びながらソルに聞く。
「コーヒーはケーキと一緒に持ってきた方がいいんでしょうか? ケーキの味がコーヒーに負けてしまいそうなんですけど」
いつの間にかソファの方に座っていたソルは、読んでいた本から目を離した。
「あ? 俺はケーキなんていらねぇからお前の好きなようにすればいいだろ」
「え!? なんでケーキ食べないんですか!?」
カイは驚いてソルを見る。自分の分も買ってこいと言ったのはソル自身のはずなのに、なぜかいらないというのだ。
あ、もしかして!と叫んで、カイはソルに近付いた。
「私が選んだケーキが嫌でしたかっ? そ、それなら今から何か別のデザート作りますので……!」
「そうじゃねぇ。単に俺が甘いもの苦手なんだよ」
焦ったようにぱたぱたと手を動かしているカイを見て、ソルは首輪の鎖を引っ張ってカイを引き寄せる。急な接近に顔を赤らめて慌てるカイの頬を、ソルは無言でぷにっとつねってた。
「痛っ。な、なにするんですか!?」
「お前がそうやってなんでもかんでも遠慮するから、買いやすいように俺の分もわざと頼んだんだよ」
「え……」
カイは驚いて間近の不機嫌そうなソルを見る。じっと見つめられて、ソルは居心地悪そうに顔を逸らして鎖から手を放した。
「だから俺の分もお前が食えばいい」
「そ、そんなことできません!」
「そんなら、捨てるぞ」
「……有難く頂きます……」
仕方なく折れたカイが、力なく項垂れる。
まだ複雑な表情をしているカイの背を、ソルは押した。
「早くコーヒー持ってきてくれ」
「あ、はいッ!」
半ば飛び上がるようにして返事をしながら、カイは慌ててキッチンの方へ駆け込む。
その動きの可愛らしさに、ソルは密かに苦笑した。フランス人形のように端正で優美な外見だというのに、それを鼻にかけないどころか自覚さえしていないのだから、中身はまるで子供のように無邪気で純粋無垢だ。清ましていることもなく表情をころころ変えるその様は、飾り物のような印象は決して与えず、むしろ見ている方を楽しませる。
こんな子供に、とも思ってしまうが、どうしようもなくひかれている自分を自覚せざるをえなかった。
「コーヒー、お入れいたしました」
「ん」
ソルはカイがトレーにのせて持ってきたカップを受け取った。カイはケーキを食べるために、自分のカップを持ってテーブルがある方へ行く。
テーブルとソファの間にはさして距離はなかったのが、自分が触れられる範囲にカイがいないことに、ソルは不満を感じた。「坊や、こっちで食えよ」
自分の隣りに空いたスペースを指し示しながら、ソルはカイに呼び掛けた。自分のカップを持ったまま、カイは振り返る。
「お皿を持ったままケーキを食べるなんて、行儀が悪いですよ」
「いちいち細けぇ奴だな……」
呆れるほどの几帳面さに辟易しながら、ソルは仕方なく近くにあったサイドテーブルを引き寄せる。
「これでいいだろ。こっちで食えよ」
「……はい、じゃあそうします」
少し怒ったような口調で言われ、カイは理由がよく分からないまま、カップとケーキを持ってソルの隣に座った。それで納得したらしいソルは、本に再び視線を戻して自分のカップに口をつける。
主人のソルがコーヒーを飲み始めたのを見て、カイもケーキを食べ始めた。クリームがたっぷりのった部分を少しフォークに突き刺して、口に頬張ると、途端にほんのりした甘さが口の中を満たしたので、カイは思わず笑みを零す。ゆっくりクリームの甘さを楽しんだあと、ケーキの上にのっているどのフルーツから食べようかとカイが悩んでいると、ソルが本から目を離して、
「美味いか?」
と聞いてきた。
カイはソルの方を見て、笑みを浮かべる。
「はい! とってもおいしいですっ」
「ふーん。……なら、少し味見させてもらおうか」
「え……?」
口端を上げて笑うソルが、カイの鎖をくっと引いた。そして、突然のことに驚いているカイの唇にソルの唇が重なる。
「! なッ…んっ、う……んんっ」
カイが声を上げようと口を開いた瞬間に、ソルの舌がぬるりと口腔内に入ってきたので、カイはびくっと体を強張らせた。逃げようにも首輪を抑えられているので逃げられず、カイは頬を染めながら口腔内でソルの蹂躙を許してしまう。分厚い舌がゆっくりと歯列をなぞり、歯茎をくすぐっていく感触に、カイは肌が泡立つような痺れを感じてソルの腕に縋り付いた。
それに気付いたソルは更に深く舌を差し込み、奥で小さく怯えるカイの舌を搦め取って、強く吸い上げた。急な刺激に、カイが素直に艶のある声を漏らす。
「んぅ…ぁう、んっふ…」
互いに絡め合った舌が熱くなって、カイが無意識に自分からねだるように舌で微妙な愛撫を加え始めたとき、ソルはカイから唇を離した。
「あ……」
「ごちそうさん。確かに美味かった」
ソルは人の悪い笑みを浮かべたまま、放心状態のカイにそう言ってやる。するとしばらくしてやっと理解できたカイが、ゆでだこのように真っ赤になって慌て始めた。
「な、な、なにを……!」
「だから、味見しただけだって言っただろ」
「っ……でも、今の…」
わけがわからず、カイが戸惑ったようにソルを見つめると、ソルはカイをソファに押し倒した。
「なんだ、味見だけじゃ物足りねぇってか。そんなに喰ってほしいのかよ?」
「え、え? どういう意……あっ」
突然ソルの無骨な手に、服の上から胸の飾りを弄られ、カイは身を捩る。しかし退こうとしたカイの腰をソルは強い力で引き寄せ、白い首筋に唇を押し当てた。頸動脈の上をきつく吸われ、カイは短く悲鳴を漏らす。
「やっ…やめて…っ、旦那様……!」
次々に服をはだけさせていくソルに、カイは思わず制止の声を上げた。しかしソルはカイの言葉など無視して、唇の位置を徐々に下げていく。滑り下りたソルの舌先に直接胸の突起を舐められて、カイは鼻にかかった甘い悲鳴をあげた。
体の奥が熱くなってきたカイは、乱れ始めた息をなんとか整えようと無駄な努力をしながら、叫ぶ。
「旦那様……ッ! さ、さっきと話が違います!」
胸の飾りを両方同時に、舌と指先で攻められて泣きそうになっているカイを、ソルはちらっと見つめた。
「あ? なんのことだ?」
「だって…っ、男は抱かないって言…ぁんっ…やっう」
「ああ、そのことか」
ソルはこともなげに頷いて、カイのズボンに手を掛けた。
「安心しろ。俺は男を抱きたいわけじゃない。……お前だから、抱きたいんだ」
「……!」
やわらかい笑みを見せたソルを、カイは驚きの目で見つめる。ソルは思わず抵抗を止めたカイの額に軽くキスを落とし、一気に下肢を剥いた。我に返ったカイが羞恥に頬を染めて、慌ててソルの手を止めようとする。
「だ、だめっ! 止めて…ぁあっ」
剥き出しになった恥ずかしい箇所をソルに触られ、カイはビクンッと体を震わせた。
幾らか硬くなり始めているそれを、ソルはゆっくりと根元からなぞり上げる。途端にカイが白い喉を見せて、のけ反った。
「は、っん……ぃやぁ…っ」
「嫌じゃねぇだろ。ここ……こんなに濡れてるぜ?」
ソルはわざといやらしい音を立てながら、何度もそこを扱いた。きまぐまれにくびれを抉るってやると、カイが瞳を潤ませて鳴き声をあげる。ソファの上に金糸の髪を散らして快楽に喘ぐカイの姿は、とてつもなく淫靡で美しかった。
「どうだ、気持ちイイだろ? ……待ってな、もっとよくしてやる」
「え…? あ、あッ! だめぇ…っ…!」
熱を持った部分が生暖かく湿った粘膜に包まれ、カイは甘い声で制止の言葉をあげる。まさかそんなところを口に含まれるとは思いもよらなかったカイは、なんとかして引き離そうと、ソルの髪を掴んだ。しかしソルの巧みな舌遣いに翻弄され、カイの手はソルを引き離すどころか、逆に押さえ付けてしまった。促されるままに口での愛撫を激しくさせていくソルの動きについていけず、カイは時折腰を揺らして啜り泣きのように喘ぐ。すっかり張り詰めてしまったものがもう限界だと感じ取って、カイは頬を染めたまま叫んだ。
「や…っあ…、出ちゃう…! 出ちゃうから、放してぇ…っ!」
「……いいぜ、出せよ」
カイの哀願を無視して、ソルは喉の奥でカイ自身を強く扱いた。途端にカイの体がビクッと跳ね上がる。
今までに感じたこともない快楽の波に耐えかねて、カイははしたなくもソルの口腔内で達してしまった。
「あ、あー……!」
長くか細い悲鳴をあげて、カイはぐったりとソファに沈む。桜色の唇から吐息が漏れた。
顔を上げたソルは手についた白濁の滴を舌で舐め取りながら、空いている手をサイドテーブルに伸ばす。あまりのことに呆然となっているカイに、ソルは鷲掴んだケーキの残りを近付けた。
「折角買ってやったんだから、ちゃんと食えよ」
そう言って、ソルは半開きのままの唇へケーキを押し付ける。虚ろな瞳のまま、カイは小さな口を開いてそれを受け入れた。熱に浮かされて判断力が鈍っているのか、ソルの手から与えられるものを稚拙な仕種でただただ食べていく。
カイが甘ったるいケーキをすべて食べ終わったころ、ソルは口端を上げて笑いながら、クリームで汚れた指をカイの口にくわえさせた。
「指も綺麗に舐めろ」
非情な声でソルが命令すると、カイは嫌がることもなくとろんとした目のままソルの言葉に従う。上気した顔で、カイは指一本一本を丁寧に嬲った。溢れた唾液が顎を伝い、ソルの指をたっぷり濡らしていく。
一頻り柔らかな粘膜の感触を楽しんだソルは、カイの口から指を引き抜いた。そして、その充分に濡れた指でカイの秘孔を弄る。
「! や、ぁ…っ」
奇妙な異物感に、夢見心地だったカイの体が強張った。奥へ奥へと入ってくる長い中指から逃れようと、カイは体をずり上げたが、ソルの筋肉質な腕に動きを阻まれ、それはずぶずぶと奥まで入ってしまう。
「いやぁ…っ…抜い、てぇ…」
「今は我慢しろ。……すぐによくなる」
そう言って、ソルは柔らかな中を指で淫らに掻き回した。直接中をまさぐられる不快感と、そうされることで煽られる羞恥心に、カイは艶かしい喘ぎ声を漏らした。
「はっ、あ…やっ……あんっ!」
「イイ声だぜ…」
快楽に乱れて体をくねらせるカイを見つめながら、ソルは情欲の混じった声音で囁く。大きく呼吸を繰り返すたびに浮き沈みする鎖骨に舌を這わせながら、指の本数を増やしていくと、カイが熱い息を吐いてしがみついてきた。
小刻みに震えるカイを慰めるように、さらさらの金髪を梳いてやりながら、ソルは埋め込んだ指をクチュッと音を立てて開くと、中がひくつくのが分かる。頃合とみたソルは、中から指を一気に引き抜き、自分のものをあてがった。
「力、抜けよ」
「ぁあ…っ! い、痛いぃ…ッ!!」
指とは比べものにならないほど大きなものが無理矢理押し入ってきたので、カイは苦痛に涙を零した。しかしカイの悲鳴など御構いなしに、ソルは自身を埋めていく。
最後まで入ったところで、ソルは一旦動きを止め、痛がるカイに唇を重ねた。開いたままの口唇から口腔内に舌を滑り込ませ、小さく可愛らしいカイの舌を誘い出して、吸い上げる。
カイの中は幸い裂けはしなかったが、隙間なくソルが埋まっていて強烈な痛みを伝えてくる。しかし、暫く口腔内を舌で愛撫されているうちに慣れてしまったのか、最初ほど痛みを感じなくなった。
カイが無意識にキュッと締め付けて催促し出したのに気付いて、ソルは唇を離した。
そして、突然乱暴に奥まで突き上げる。
「ひ、ぁッ!! …っぃやあ、ぁ…!」
カイは目を見開いて、くっと背中を弓なりに反らした。立て続けに数回内側を貫かれ、カイは不快感と苦痛に声を上げる。
しかし、痛みに悲鳴を上げていたカイも何度かソルに中を抉られているうちに、背筋を駆け上がる甘い快感に支配され、自ら腰を揺らし始めた。
「あ…ぅん、ふ…あぅ、んっ」
内側の壁がソルのものと擦れるたびに、カイは艶のある声をあげてソルを奥へと誘う。淫らに蠢くカイの裸体を見つめながら、ソルは一際激しく奥まで貫いた。
「ぁああッ! は、ぅっ…ふ…ん」
カイは頬を染めて身悶える。熱いものがしきりに自分を求めて突き上げてくる感触に、二重の悦びを感じていた。
奥の感じる場所を先端で穿つたびに締め付けてくるカイに、ソルは目眩さえ覚えながら、カイの耳元で熱い息を吐く。
「お前は俺のものだ……」
「あ、ふっぁ……旦那様ぁっ…!」
ソルの腰に足を絡めたまま、カイは嬌声を上げて、二度目の頂点を迎えた。ほどなくして、ソルもカイの中に欲望を吐き出す。
心地良い脱力感の中、ソルは失神してしまったカイの額にキスを落とし、聞こえていないことを承知で囁いた。
「絶対、放してなんかやらねぇからな……。覚悟しとけよ、坊や」




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