存在認識 (中編)







先の戦いは、一応聖騎士団の勝利となった。とはいえ、攻めてきたギアを撃退したに過ぎず、殲滅したわけではない。
カイの強力な魔法で、不利と感じたギアが撤退したことにより侵略を防ぐことはできたが、損害も大きかった。負傷した兵士の多さもさることながら、戦況をひっくり返したはずのカイも動けぬ状態に陥ったのだ。
暴れるだけ暴れて蹲ってしまったカイは、力を使い果たして当然ながら戦力外になってしまう。おかげで一人前線で戦うはめになり、ソルにはそれが面倒でならなかった。巻き返してこようとするギアに追い討ちをかけるため、少し制御を緩めて力を使ったほどだ。その奮闘振りを、『カイ様を守るため』と好意的解釈をされたことが、ソルとしては非常に不本意だったが……。本来なら、ソルが守っていなければカイの使った法術で味方も被害を被っていたというのに、暢気な話である。
被害の大きさに事態を重く見たクリフは、明日には兵を連れて帰還予定と聞く。拠点を落とされては元も子もないということだろう。
「……暇だな」
ギア故に回復が早いソルは、少しの休憩で全快してしまったが、そういうわけにもいかない他の団員達は、態勢の立て直しで慌ただしかった。カイはあれから、一応自分の足で救護班の元まで行ったようだが、あの消耗具合では今日明日の間は使い物にならないだろう。
そんな戦いの後で騒然とした中に顔を出せば、手伝えと面倒事を押し付けられるか、あまりに早い回復力に疑問を抱かれるかのどちらかだ。それ故ソルは面会謝絶と言い切って部屋に立て籠っているのだが、流石に1日中いるのは空腹と退屈で耐えかねる。一眠りしてから目覚めたソルは、寝過ぎで鈍い頭をばりばり掻きながら、ベッドから抜け出した。
少し出歩こうかと思い至ったのは、ほんの気まぐれ。
食べ物を求めて歩くのもありかとは思ったが、確実に誰かと会う可能性が高いので空腹は我慢することにした。書物でもあれば時間潰しになるかと思い、図書館へと足を向ける。
一般に開放されている方は粗方読んだ、あるいは既に読んだことのあるものばかりだったので、上級役職者のみ閲覧可能の図書が保管されている地下へと行くことした。一応の管理態勢はあっても、所詮お飾り程度である。戦場で人手不足が続くなかで、文化財を守るところまで手が回るわけがなかった。
入り口に魔法の封印が施されていたが、ソルはそれをなんなく解いた。中に入り込んだあとで、前と寸分違わない結界を張り直す。痕跡を残さず地下図書館に侵入を果たしたソルは、音もなく蔵書の合間を歩き、目ぼしい本はないかと視線を走らせた。
しかし幾分も歩かぬうちに、優れたソルの聴覚が何かの音を拾った。
話し声だ。誰か、二人が会話している。
人に関わるのは面倒だが、わざわざこんな特定の者しか入れないところで密談しているのは気になる。盗み聞きくらいなら構うまいと、ソルは気配を絶って興味本位にそちらへ足を向けた。
鬱陶しい法衣を音もなく捌き、本棚をひとつ隔てただけのところまで近付いたソルは、そこに居た人物に眼を向け――驚きに眼を見開く。
「――こんなことになってしまって、本当に申し訳ありません」
「いいえ、そんな風に言わないでください……カイ様」
そう言葉を交わしていたのは、先の戦いで消耗しているはずのカイと、その部下とおぼしき騎士だった。密会としか言い様のない場面を目の当たりにして、ソルは眉をひそめる。
別にカイが誰と会っていようと、それはどうでもいいことだ。だが、まだ確実に動けぬであろうはずのカイがこんなところにいるのは、どういうことか。一見したところ顔色も悪くはなく、普段より多少弱い法力を纏っている程度で、思った以上に回復していた。
周り(主にソル)に迷惑をかけておいて、謝りもなしとは一体どういう了見だ。そんな不機嫌に眉を顰めつつも、気配はきっちりと消したままソルが二人の様子を窺っていると、徐にカイがその場で膝を折った。
何をするつもりだと怪訝な眼差しを向けるソルの視線の先で、カイは跪いたまま、目の前の部下の手を取り――金に輝く睫毛を伏せて、その甲に唇を触れさせた。
「……!」
まるで誓いのキスのような仕種に、ソルは内心驚く。だが部下の方はそれを静かに見つめるだけで、驚いた様子もなかった。
静寂の中、近付いた時と同様にゆっくりと離れたカイは、憂いを帯びた眼差しを部下に向けて、ほの赤い唇を開く。
「どうか……無事に、帰ってきてください」
まるで、愛しい者を見るように翡翠の瞳が細まった。金色に瞬く睫毛が、儚く震える。
どこか陶然とした顔で見上げ、色香を纏ったカイの姿に、ソルは反射的に眉を寄せた。戦場では常に厳しく勇ましい表情しか見せず、自分には説教を伴って呆れの眼差ししか寄越さないあのカイが、『愛情』と分かる感情を晒していることに違和感を覚えたのだ。
しかし当の部下は無言のまま、沈痛な面持ちで見つめ返していた。目の肥えたソルから見てもカイの容姿は類い稀で、男だということを差し引いても手にキスされたくらいで嫌悪するほどではないはずだが……。
「では……行ってきます」
部下はゆっくりと一礼すると、それ以上何も言わずに身を退いた。
本棚の奥へと静かに隠れたソルは、通り過ぎていく男を蔵書の隙間から観察する。団員の顔などいちいち覚えていないが、長年の経験から顔を見ればどんな性格で、どれほどの腕前か大体読み取れた。
性格は真面目そうだが、意志のはっきりしない眼と筋肉の少なそうな体は、あまり戦闘向きとは言えない。内包した法力の大きさから言っても、学者向きだろう。秀逸したカイの相手としてはいまいち釣り合わないなと、ソルは勝手な感想を抱く。
法力の結界をすり抜け、部屋から姿を消した男を見送り、ソルが残ったカイの方へと意識を向けると、思いの外気配が近付いていることに気付いた。
「こんなところまで入り込んで盗み聴きとは、感心しませんね」
「暇だったんでな、読書に勤しもうとしたら逢い引きに出くわしただけだ」
ぎっしり本の詰め込まれた棚を隔ててカイが声を掛けてくるのを、ソルは肩を竦めて応答する。存在に気付いていたらしい。恐らく、誰もいないと思って入り口の結界を弄ったときに、磁場の動きでばれていたのだろう。
相変わらず可愛げもなく抑揚のない声音で問うカイは、何を考えているのか分からないが、ソルの揶揄に気分を害したようだった。
「逢い引きではありません。先程の方には、今日退けたギアの追撃に先発隊として行っていただくよう、お願いしていたのです」
「……ほう?」
カイの説明に予想と違った事実を見い出し、ソルは片眉を上げる。
追撃とは言うが、今日襲ってきたギアはカイとソルが揃っていて尚、押される程に強大な集団だった。いくら手負いといえど生半可な手勢で討伐できる相手ではない。それを知っていながら、さほど実力のない団員に追撃を命じるということは、死ぬと分かっていて戦場に送ったも同じである。
……以前にソルへ壁役を命じたように、カイは先程の男を駒として扱ったのだ。
何のことはない、愛情に見えたカイの表情はただの同情であったと理解し、ソルは白々しく肩を竦めた。
「冥土の土産にキスひとつか。団長の秘蔵っ子ってのは、唇ごときでも随分高くつくんだな」
「……!」
皮肉に口許を歪めてそう言ってやると、周囲の法力が僅かに乱れた。怒りに、カイが電気を纏ってしまったのだろう。
殺気の滲む眼が、隔てた本棚などものともせずソルを鋭く射抜いた。
「そんなつもりは……ありません」
「ククッ、そうかァ? なら景気よく一晩くらい寝てやれよ、それくらいでなきゃ割りに合わねぇだろ」
喉の奥で笑い、わざと下品な物言いで煽る。瞬時に、法力の攻撃を伴ってもおかしくないほどの視線が、こちらへ向いた。
いつもどこか常人とズレた反応を示すカイだが、流石に頭にきたらしい。自分の思い通りの反応が返ってきたことに、僅かに満足して口端を上げたソルだったが、本棚の向こうで動く気配に目を瞬いた。
カイがブーツの音を響かせ、無言のまま遠ざかっていく。姿は遮られて見えないが、気配を目で追っていくと、棚の端からこちら側にカイが現れた。わざわざ回り込んできたカイは、怒りを滲ませながらもやはり表情の無いまま、ツカツカと早足でこちらに近付いてくる。
正面から文句を言いに来たらしい。ソルは身動くことなく、カイが距離を詰めてくるのを待った。
あと1歩で触れるところまで来て、歩みが止まる。何も映さないガラスのような青い瞳が、真っ直ぐにこちらへ向けられた。
「それが出来るのなら、私はそうしても良かったんです」
「……?」
罵りの言葉が飛び出ると思われた唇は、予想外のことを呟いた。反射的にソルは眉をひそめるが、カイはそれに気付かなかったように徐に膝をつく。
つい先程、盗み見た動作のはずだった。しかしその動きがあまりに自然だったため、制止の機会を逸してしまっていた。
表情筋がないかのような無表情のまま、カイはソルの手を取って口付けていた。
「!」
意外な行動にソルは僅かに目を瞠った。
だがその口付けは、グローブと手甲の上からの軽い接触は、『触れた』という認識すらさせない。その代わりに、ピリッと静電気が走った。思わず振りほどくほど強いものではないが、多少驚くには至る。
もしやわざと脅す意味で法力を使ったのだろうかと一瞬疑いの目を向けるが、力を展開した形跡はなく、自然発生したか気のせいのようだった。恭しく誓いのようなキスを施した当人は、変わらず感情の浮かばない顔を上げる。
「貴方はどうなるんでしょうね。今度こそ、死ぬんでしょうか?」
「なんだと――?」
突然放たれた、不吉な言葉。
思わず顔を顰めるソルの眼に映ったのは、精巧な人形のような端正な容姿に、死んだようなどろりと曇った蒼い両目を向けて跪く少年の姿だった。下手に見た目が完璧に美しいだけに、生気の感じられない瞳は異様で、項に寒気が走る。
不気味さに、反射的に手を振り払おうとしたソルだったが、唐突に横合いから飛んできた声に行動を遮られた。
「――! 何してるんですかッッ!」
顔を引き攣らせ、叫んだのは一人の団員だった。いつの間にか近付いていたようだ。部屋の入り口からこちらを見て、青褪めた顔をしている。
地下図書室の管理を任されているのか、眼鏡を掛けたその男は胸に名札を挿しており、事務員の風体だった。
投げかけられた不可解な言葉はともかく、手を取られてキスを施されたこの体勢を見れば、ソルとカイの関係を誤解するには十分だろう。既に遅いが、ソルは舌打ちしてカイの手を振り払った。
乱暴に解かれたそれを特に気に留めるでもなく、カイはすっと立ち上がり、無言のまま背を向ける。そしてこちらを凝視して固まっている男に一瞥もくれず、カイはその横を通り過ぎた。部屋の『鍵』を持っているものは自動で通れるようになっているのか、結界をすり抜けて部屋からカイが出て行くと、見せ掛けだけの扉が軋みをあげながら閉じた。
薄明かりだけの、湿気臭い図書室に沈黙が下りる。未だに事務員は口を半開きのまま固まっているが、ソルはどう説明したものかと、痒くもない頭を掻いた。
何のつもりか知らないが、面倒なことをしてくれるガキだと思いながら思考を巡らせていると、フリーズ状態から戻った男が、急にこちらへ駆け寄ってきた。
「大丈夫でしたか!? あなたッ!」
「……あ?」
凄い剣幕でそう聞かれ、ソルは盛大に顔を顰めた。一瞬、何を言われたのか全く理解できなかった。当たり前だ、容姿と戦力だけは一級品のカイに手を出したとなれば、非難を受けると思っていたのだから。
しかし、目の前の男は予想外の反応を示した。
「あなた、『洗礼』を受けていたでしょう!? 無事なんですかっ?」
「はぁ? ……洗礼?」
飛び込んできた耳慣れない言葉に、ソルは思わず間抜けな声で問い返した。そして、非難するでなく明らかにこちらを心配して強張った事務員の顔に、違和感を覚える。
心配している? ……そうだ、この男は迷わず俺が『被害者』だと、認識したんだ。
「どういうことだ」
「まさか貴方、知らないんですか? ……もしや、最近ここへ来た人?」
ソルの疑問に、男は信じられないとばかりに、眼鏡の奥の目を瞠る。だが最近入ったかという言葉にソルが黙って頷くと、男の表情は急に気の毒そうなものへと変わった。
「それは……なんというか、――運の悪い」
「だから、なんだってんだ? 説明しろ」
神妙そうな声で呟かれ、ソルは苛立ちに唇を歪める。カイの恭しいが言い表せぬ気味悪い口付けを指して、『洗礼』と言っていることは分かるが、明らかに悪い意味で使われているように思われた。
ソルの威圧的な眼差しに、男は少し視線をさ迷わせ、図書室の奥へと指を向けた。
「奥で話しましょう。上に聞かれると……あまり良くないので」
苦笑いを浮かべながら、男はカイが出て行った扉を肩越しに振り返る。他の者、とりわけ上の耳に入るのを恐れているようなその仕草に、ソルは黙ったまま自ら部屋の奥へと足を進めた。






カイ=キスクの口付けを受けた者は、近いうちに死ぬ。
それが団員の間で囁かれている噂――いや、どちらかというとジンクスと呼ばれるものの1つだった。
今でこそ守護天使の地位を持ち、先頭で剣を振るうカイ=キスクだが、もちろんのこと入団した当初は一兵士に過ぎなかった。
事務員の男の話によると、その頃の出来事が『死神』と陰で囁かれる原因だという。団長の養子同然ということで特別視されることはあったが、まだ他の団員と差がついていなかった時期だけに真相を知る者は少なく、あくまで噂に過ぎない。
しかし実際に、カイと親しくしていた団員の何人かは確実に死んでいるらしく、ただの迷信とは言い切れない部分もあるようだ。闘いに出る以上、誰にでも等しく戦死する可能性はあるが、大隊長クラスの人物が死傷率の低い戦闘で死亡するなど、確かに不運を招いているように感じられ、今も密かに『洗礼』と呼んでカイの儀式的な口付けに恐れを抱く者は多いらしい。
「……くだらねぇな」
だが、元々科学の領域にいたソルからしてみれば、関係性の立証できていないようなジンクスを信じるはずもなく、失笑にさえ値しなかった。一通り話は聞いたものの、呆れたように肩を竦めるソルに、事務員の男は「本当なんですよ!」と声を荒げて訴えたが、聞き流した。こんなご時世、疑心暗鬼になってマイナス情報を信じて恐れてしまう心理は分かるが、確証もないことで味方を疑うのは賢明とは言い難い。
しかし悲しいかな、科学が衰退した現在においては怪しい話も、結果さえ伴えば信じられてしまう。そこに理屈や根拠など関係なかった。多くの者が信じれば、それは真実になってしまうのだ。どこか冷めて見えるカイ本人も、例外ではない。触れれば呪われると周囲に噂されて、本当だと思い込んでいる節がある。
ジジイは何してやがる。思わず胸中で、放置していることに詰りを入れた。一兵士時代からということは、かなり以前からだということだ。
ただでさえ団長の養子ということで近寄りがたい条件は揃っているというのに、不吉な噂で周辺が遠巻きにしているからあんな奇人に成り果てるのだ、とソルはカイの人形めいた顔を思い出す。結果や効率の為ならば手段を選ばない非情かと思えば、妙に素直なところが垣間見える、ちぐはぐな印象を受けるのだ、あの少年は。
だが、すべての事態の大元を糺せば自分達なのだという事実が、胃にたまる汚泥を感じさせた。ギアさえいなければ、あんな研究などしなければ、あの男に出会わなければ。腹の中に腕を突っ込まれてゆるりと掻き回されるような息苦しさに、ソルは顔を顰めた。後悔してどうにかなるものでもない、謝って済むことでもない、分かってはいるが考えてしまう『もしも』に苛立ちは倍増する。
そんな陰鬱な面持ちで当て所なく廊下を歩いていたソルは、鳴り響いた警鐘に顔を上げた。
ギアの出現を知らせる鐘の音だ。カイから先発隊の話を聞いて幾らか時間が過ぎているので、もう第一陣は突破されたということだろう。
本日二度目の、本格的な討伐隊出撃の知らせがアナウンスで流れる。同時に、先程戦った騎士達にも注意を促す言葉が聞こえてきた。援護に向かえるよう、準備を怠るなという指示だ。
先の戦いに参戦したソルは、勿論それに該当する。今回の本隊がギアを殲滅し切れなかった場合、本部から迎撃する為の援護部隊ということだ。後方支援法術部隊は防壁を築くために本部前に集合、残りは準備を整えて待機という命令が下る。
しかしソルはその指示を流し、武器庫へと足を向けた。ギアが来るまで待つなど、そんな上品なことをするつもりは端から無い。ソルにとって最優先事項は、ギアを狩ることだ。人外の体になってまで生き延びるのを決めたとき、自分へ課した義務である。
底抜けに明るく晴れた空はそのままだというのに、今日の状況は随分と暗雲が立ち込めている、とソルは太陽を見上げながら思った。








足元が血に濡れていた。びちゃり、と音を立ててぬかるむほど、夥しいそれらは大地を侵食していた。
ギアも、赤い血を流す。だが今のところは、人の流した血の方が多いかもしれない。辿り着いた頃には、先駆け部隊はほぼ壊滅していた。
原型など分からなくなった肉片を見ていると、命の尊さを解く説法が如何に絵空事であるかを思い知る。殺さなければ、殺される。剣を片手に、血を流していかなければ生きていけない。そんな、弱肉強食の世界。
率先してギアへと斬りかかるカイは、そんなことを遠い意識で考えながら、的確な指示を後方の団員へと飛ばしていた。
自分の倍以上の大型ギアの腕が、唸りをあげて迫る。こちらの一撃はギアを少し弱らせる程度だが、向こうの攻撃はほんの少しかすっただけで大惨事だ。なんとも割りに合わない闘いだと、いつものことながらカイは思う。
強靭な肉体に重きを置いた最強の生物と戦うには、人間の体はあまりに脆弱すぎた。道具に頼り、知恵に頼り進化してきた為に、肉体は遺伝子レベルで弱くなってしまっている。自然界の動物であっても、熊や鮫などのように素手では全く歯が立たない相手も多い。
そんな脆弱な人間が百年もの間、衰退しつつも今日まで生き延びてこられたのは、ひとえに法力のおかげだろうとカイは思う。ギアも使うことはあるが、的確に操るものは少なかった。
ジャスティスか、それに匹敵する司令塔ギア以外は、本能のままに暴れていることが多い。それが経験上分かっているカイはわざと攻め込み、ギアの荒い反撃を誘う。
不利な状況ほど冷静に、確かな足場を積み上げていかねばならない。連戦による疲弊で流石のギアも数を減らしてきているが、こちらの被害もまた増す一方だった。大事を取ってカイ以外の面子を入れ換えているが、それ故に戦力不足は否めない。先程の防衛戦では現状で出来うる限りの実力者を中心に集めていたため、今カイが率いている隊は本来なら二軍に相当していた。
だから、ここにはクリフもソルもいない。
フォローしてくれる人がいるからこそ先の戦いでは全力を出せたが、今回はそういうわけにはいかなかった。クリフの帰還がまだ先であることを考えると、今更ながらソルを挑発してきたことが悔やまれる。
からかいの言葉など軽く流せば良かったものを、腹立たしさのままに口付けてしまった。誹謗中傷などもう慣れていたはずなのに、何故か噛みついてしまっていた。
死の戦場へ部下を送る、無慈悲な男。キスは死の宣告でありで、受けた者は生きて帰ることができない。それが決して誇張でないことはカイ自身が一番分かっている。
負けられない闘いで、情ほどいらぬものはない。誰を犠牲にして最大限の効果を引き出すか、常に考えている。チェスのように対等な条件ならば犠牲を出さない方法も取れるが、今の状勢では無理な話だった。
そんな中で、最大戦力であるソルを出撃させられない状態にしてしまった自分の迂濶さに、本当に今更ながら呆れる。大事を取って今回の討伐には参加させなかったが、その空いた穴は大きかった。
自分が蒔いた種は、自分で始末をつける他ない。そう思い、カイは痛む体をおして最前線で戦っていた。
ここに来なければ、少なくともソルの戦死は起こり得ない。
「GYAAAA!」
大振りの攻撃を見計らって切り飛ばした腕に、ギアが不協和音のような断末魔をあげる。血飛沫の上がる様に痛そうだと、遠い感覚の向こうで感想を抱きながら、カイは立て続けにギアの足を切り払った。人間で言うならば踝辺りで切断されたようなものなのだろう。ギアは転倒し、のた打つように体を蠢かせながらも再び起き上がる気配はなかった。
今のうちにトドメを刺さなければと、考えるより先に足が前に出る。だが知覚した周囲の気配に、カイは動きかけた体を無理矢理捻った。
「Kiii――ッ!!」
後ろにいた団員に飛び掛かろうとしたギアを、カイは振り向きざま雷撃で弾き飛ばした。攻撃を捌ききれずに狙われていた団員が、思わぬ救いの手にカイの方を振り返る。
「す、すみませんっ。有り難うございます」
「礼はいりません。目の前の敵に集中しなさい!」
頭を下げかける団員に、カイは顔も向けずに叱咤を飛ばした。正直、少しの余所見も死に繋がりかねない状況だ。
まだ命の取り合いを完全に理解はしていないであろう相手に苛立つ感情と共に、それに巻き込んだ自身への罪悪感に見舞われる。本来ならまだこんな前線に連れ出すべきではない、成長途中の団員が今回は多くを占めていた。半日経たずの二度目の戦いに、やむ無く疲労した手練れではなく、経験の浅い者を選んだのだ。
将来の財産とも言うべき彼らだが、今の状況ではとにかく人類が生き残ることを優先と考え、カイは敢えて弱い者が捨て駒になる可能性がある方を選んだ。死の危険に晒している自覚は、もちろんある。だが、物資も人材も限られた状況では取られる手段が限られている。
確実に勝つ方に、確実に生き残れる方に、賭けざるを得なかった。
ここでもし撤退を余儀なくされたとしても、敵もまた相当疲弊するであろうことは確実。討伐に失敗して本部を攻められても、僅かながら休息を得た一軍部隊が仕留めてくれるだろう。
だから敵の数を減らすこと、そして弱らせることが今回の戦いにおいて最も優先するべきことだった。
――だがそれでも、一人でも死なすまいとしてしまう自分の行動は、罪滅ぼしにもならない単なるエゴなのだろうか。
「ッ!」
転倒した斜め後ろの団員に法力で防壁を展開しながら、カイは空中から急降下してきた鷲のようなギアを迎え撃つ。鋭い爪が肩口を掠めるが、強引に胴へと剣先を突き刺し、横に引き裂いた。
わざと振り撒いたギアの血に、他のギアが僅かに身を退いた瞬間にカイは後ろを流し見、苦戦を強いられている団員の前にいる巨大なギア目掛けて槍のような雷を放つ。着弾を確認することなく他へと視線を向けたカイは、同じように迫り来る周囲のギアに三撃打ち放った。
眼前の敵への牽制効果が途切れるのを心の中で数えていたカイが、後ろへ飛びすさるのと同時に、先程までいた地がギアの剛腕で抉られる。予想より僅かに早かったギアの攻撃に、カイは内心冷や汗を流した。コンマ一秒の差で生死が決まる戦いは、やはり慣れることがなさそうだ。
他の団員をサポートしながらの戦いもまた、慣れたものではない。少しでも狂いが出れば、共倒れする可能性があるのだから。
僅かな判断、僅かな計算ミスが、人の命を奪う。それはどれだけ経験し、頭で分かっていても緊張を強いられることだった。
とにかく眼前の敵を殲滅しなければ、始まらない。カイは長剣を構えてギアの首筋を狙った。如何なギアとて、脳が胴から離れて生き遂せることはない。
振るわれた大振りの拳をすり抜け、カイは一気に懐へと飛び込んだ。鱗のような装甲の合間に見える、露出した皮膚の部分を狙う。
爬虫類有鱗目の外的特徴からトカゲを思わせる、背丈の2倍は軽く超えるそのギアに飛び掛るように、カイは地を蹴って舞い上がった。遠心力をたっぷり乗せた刃が狙い通りの場所へ、真っ直ぐに沈み込む。
完全に捕らえたと、思った。
「――!」
しかし次の瞬間、カイの耳に響いたのは硬質な金属が割れる音だった。ビイィィンッと肘まで伝わる振動に反射的に歯を食い縛り、カイは目を見開く。
以前似たタイプのギアと戦った時に効いたはずの急所だったが、そのギアには通用しなかった。そればかりか、法力を乱発して力任せに振るっていた武器は耐えられず、砕け散ってしまっていた。
弾け飛んだ破片は幸い体に当たることなく散っていったが、細身の刀身は3分の2失われ、歪な欠け口を覗かせている。普段ならば気を回してしかるべきであるはずだった武器の耐久力を失念していたことに、思わずカイは行儀悪く舌打ちした。張りつめた縄の上を渡るような危うい均衡が、音を立てて崩れたのを感じる。
今まで戦ってきたギアの種類や性質、弱点はすべて網羅しているつもりだった。過去の資料も読み漁り、頭に叩き込んだはずだった。だが、その浅はかな抵抗を嘲笑うようにギアは着実に進化していたようだった。
事態が不利になったと認識するや否や、カイはギアの固い体を蹴って一気に距離を離した。音もなく舞い上がりながら、優れた動体視力で改めてギアの全体を捉えたカイは、記憶との相違を見い出して顔をしかめる。
爬虫類としての特徴が顕著であったそのギアの背の辺りが、鱗とは違った光沢を放っていた。色は濃い緑の延長だが、恐らく甲殻類の遺伝子を取り込んだと思われる、てらてらと滑らかに光る殻がそこにあった。
このギアは進化して殻を持つことにより、皮膚全体の強度が増したのだろう。今まで無数のギアを葬ってきたカイの剣を、砕いてしまうほどに。
「GUUU……!」
標的を見失ったギアは一瞬動きを止めていたが、近くの団員へと目を向けた。理性もなく破壊衝動で動くギアは、とにかく目の前を動く生物を標的にする。
腕を振り被る巨腕を見て、カイは風の法力を纏って急降下した。体を小さく折り曲げ、落下速度を一気に上げてギアの大きな殻へと手を伸ばす。
殻と皮膚の隙間に指先が触れた瞬間、カイは高密度の雷を発生させた。爪の先から、心臓が引っ張られるような痛みと脱力とともにが視界が、真っ白に染まる。
「――!」
殻の内側を伝い、流し込まれた高圧電流に流石の巨大ギアも耐えられず、可聴域限界の甲高い悲鳴を上げた。断末魔に鼓膜が震える不快さに顔を歪めながら、カイはまだチカチカと赤や白に点滅する視界の中で方向転換し、着地場所を探す。
確実に活動を停止させる為に放った強力な一撃は、一時的に自らの視覚も奪っていたが、空気中の水分密度を法力で読み取り、距離を割り出せるカイには問題なかった。障害物のない地へと体を捻って舞い降り、カイは膝を着く。
即座に顔を上げ、油断なく周囲の気配へ神経を向けたカイは、他の標的を直ぐ様捉えた。二メートル近い丈に、法力を振り撒くような動き。人間ではない。
まだ点滅し、世界を奇妙な色で見せている視界のまま、カイは足を踏み込んだ。
剣を失った軽い掌に、高密度の電気を発生させる。長さや輝きを目まぐるしく変化させる棒状の電流は、不安定さを訴えているようだったが、武器がない今は致し方なしとカイは割りきって標的へと向ける。
地を蹴り、音もなく走り出す。血でぬかるむ地面を風のように駆け、ぼんやりと映る大きな図体のギアを視界に収めて、棒高跳びでもするように跳ね上がった。
体が捩れるほどの遠心力をつけ、青白い火花を散らすその法剣を、ギアの背目掛けてぶん投げる。
ビョンと風の唸る声ととも、鮮血が咲いた。金属を擦り合わせたような不快な金城り声があがり、ギアに傷を負わせたことを確認する。
まだ霞む眼を苛立たしげにつむりながら、カイは反動を殺すように軸足で地面を滑った。それでも体勢を崩しかけて、カイが地に手を付こうとした時――思わぬ反撃が頭を殴打した。
2メートルはある岩で殴られたような、生身では物理的に耐えられない激痛が、こめかみから踝まで右半分全体を襲う。
耐え難い痛みに、カイは崩れかけそうになって咄嗟に足を踏みしめた。だが、力が入りきらずに途中で膝が折れる。ガクンとぬかるんだ地に沈んだところで、嫌な気配にカイは咄嗟に顔を上げた。
それは反応できない体の代わりに、危険を捉えようとする条件反射でもあった。
しかしこの瞬間は――災いとなった。
視力が戻り始めた視界いっぱいに映ったのは、丸太のような太さの腕らしきもの。
「――ッッ!」
額に打ち付けられたそれは、頭が割れたと思わせるほど強烈だった。軋みをあげた骨の音が、脳に直接響く。視界が一瞬で、ブラックアウト。
ここで脳髄の潰れる感触があったなら、そこでもうカイの短い人生は終わっていただろう。だが幸いにも、先程右半身に負ったダメージにより体が傾き、額を襲った打撃が右側に流されて地面を打つ音が聞こえた。
九死に一生を得たとはこの事かと思う間もなく、真っ赤に染まった視界の中で、空を切る何かが迫る。向けられる殺気、警報のように鳴り響く脳内の危険信号。
法術、短時間で成立しない。防御、右側が動かない。武器、とっくに壊れた。反撃の余地無し。
立ち上がれ。回避しろ。……でないと、死ぬ!
しかし、叱咤した足は血溜まりに沈んだまま震えるだけだった。どうにもならない、手詰まりの現実がカイを蝕む。気配を読みきれなかった自分の負けだ。
襲いくる衝撃に、カイは奥歯を噛み締めた――が、大気を揺るがす轟音は痛みを伴わなかった。
固いものを金属が弾く、硬質な音が鼓膜を震わす。顔を上げた先は赤に染まったまま何も見えないが、代わりに砂塵と熱気と……圧倒的な存在感がそこにあるのが分かった。
刺すような野生に溢れた気配。それでいて、恐ろしく静かで波が無い。気付けば強烈なのに、何故か気付かない、そんな相反した要素が共存した気配を、カイは唯一人しか知らない。
「ソ、ル……?」
呆然としたまま、思わず呟く名。しかしそれが信じ難く、真偽を確かめたくてゆるゆると上げた左腕で、カイは自分の眼を拭った。
まだ赤い血が端にこびり付く曇った視界を、翻った白い裾が満たす。見えない力にケープがはためく音とともに、炎が湧き立つように周囲を渦巻いた。肌をひりりと焼く熱風と、マグマが噴出するような底の見えない法力の塊に、体が反射的に竦む。
まさか。何故?
置いてきたはずの男の姿を認め、カイは大きな碧眼を見開いた。突然現れた男の存在に驚くと同時に、自分が彼に救われたのだと知る。ソルはカイを背に庇う様に、その長身でギアの前に立ちはだかっていた。
「なんで小僧が、最前線にいやがる……ッ」
不意に、舌打つように発せられた、低い唸りが鼓膜を打つ。珍しくこもった怒りを抑え切れぬような声音に、カイは起き上がりかけながら眼を瞬いた。
この男はいつも凶悪犯も裸足で逃げ出す面構えで悪態をつくが、その赤茶色の瞳は常に冷めた光を帯びているのをカイは知っている。への字に曲げられた薄い唇から遠慮なく文句が発せられても、それは怒りに起因するものではなく、呆れに近い感情だ。うんざりなんだとでも言うように。
だから、仄暗い顔を苛立ちに歪める様は不思議に思えた。
だが湧いた疑問が明確になる前に、ソルが紅を纏って無骨な剣を振り抜いた。鉄板のような大きな獲物だが、それでもギアの本体とは距離が開いている。届くはずのない立ち位置を埋めるように、灼熱の炎が迸った。
舐めるように端から絡み付いたそれは、まるで大きな掌のようにギアの巨体を包み込み、一気に握り潰す。圧縮させた空気が弾け飛ぶような爆発音とともに、火柱が上がった。
唐突な乱入者の攻撃に事態が理解できぬまま、焼け付く痛みにギアが咆哮をあげる。蛋白質の焼ける香ばしい薫りは、一瞬にして鼻をつく焦げた匂いへと変貌した。通常の火力では考えられないほど短時間で真っ黒に炭化したその巨体は、炎を纏わせたままグズグズと崩れていく。
周囲のギアも、生き残っていた騎士達も、その威力に驚きを隠せぬまま呆然と動きを止めていた。あまりのレベルの差に、敵味方関係なく畏怖の呪縛に囚われる。
しかしカイには、そんなことなどどうでも良かった。ただ、ソルがこの場にいるということが信じられなかった。
我に返ったカイは、驚愕に見開いていた眼を細め、秀麗な顔を歪める。そして自分でも驚くほど低く威嚇するような声が、白い喉を震わせて飛び出ていた。
「何故、貴方がこんなところにいるんですかッ!」
身のうちから沸き上がる激昂を抑えようとして、抑制できぬままカイはソルの広い背を睨みつけた。痛みと疲労に息を弾ませる緊張状態なだけに、自身のコントロールが上手くいかない。
珍しく声を荒げたカイに、ソルがヘッドギアの奥に隠れた眉を上げ、面白そうに口端を歪めた。仕留めた獲物から視線を外して、ソルがこちらを振り返る。
「ァん? そりゃこっちのセリフだ。死にかけてたガキが、偉そうに」
「そ…ッ…」
そんなことなどない!
そう叫びかけて、カイは寸でのところで止めた。無事では済まない状況だったことは事実だ。助けてもらっておいて、文句を並べるのはお門違いというものだろう。
咄嗟に息を詰め、カイは怒りに乱れかけた思考を抑えた。現状を冷静に考えれば、独力で場を切り抜けられなかった自分に非があるのだ。
カイは軽く深呼吸をし、胸の燻りを振り切るように近くに転がっていた剣を鷲掴んだ。既に事切れた騎士の物だが、一律で団から支給される剣なだけに覚えのある感触が伝わる。
割れるような頭痛を伴って額から流れる血を拭い、カイはふらつく体を立たせた。右半身はまだ肩や腰を中心に痺れるような痛みを訴えているが、意識を強く持って苦痛を押さえ込む。
「……貴方には、召集をかけていなかったはず。助けていただいたことは感謝しますが、本部まで引き帰して下さっても構いません。本来この場を制するのは、我々の使命です」
「ハンッ、つくづく可愛いげがねぇな」
カイは努めて冷静に、上司として警告を促したが、この男には虫の羽音程度のものらしい。吐き捨て、早くも次の獲物に焦点を合わせていた。血色の瞳が本能のままに、ぎらつく。
存在など見ていないとばかりの態度に、カイは堪らず口を開きかけ――諦めたように、溜息に変えた。
そうだ。噂は聞いただろうに、呪いやジンクスなど気にも止めずに戦場の最前線に現れた男だ。今更、何を言って思い留まらせることが出来ようか。
「……忠告はしました。死んでも、化けて出ないでくださいね」
そう言ってカイはソルに背を向け、別のギアに照準を合わせた。ギアを狩ることこそ生き甲斐だとでもいうような男だ、今更帰れと言って帰るわけがないだろう。
ならばもう腹を括って受け入れる他ない。それに正直なところ、ソルほどの戦力が加われば事態が好転することは確実だ。存分に利用した方が良い。
この強力な駒を最大限に活かすには、自分はどう動くべきか。周囲の状況をつぶさに見ながら、カイは戦略を組み立て直していく。奇しくもソルが居るというだけで、取れる選択肢が大幅に増えたのだ。
再び攻撃態勢を取り始めたギアを睨み据え、距離を計る。握った剣には真新しい血が付着していた。自分が散らせた命だと、カイは心に刻み付けながら構える。
もう視線すら向けないカイの背をちらりと見遣り、ソルが珍しく小気味よく喉の奥で笑った。
「なかなか言うじゃねぇか、小僧。だがそうなるのは、テメェの方かもしれないぜ」
「……化けて出てあげましょうか?」
「冗談じゃねぇ。四六時中、説教は勘弁だ」
少しムッとしてカイが言い返すと、ソルが肩を竦める。人を馬鹿にしたような態度は相変わらずだった。
しかし、茶化したような短いやり取りが血生臭い空気を少し軽くしてくれたように思う。口の悪さや粗野なところは好きになれないが、背中を預けられる信頼感は確かにあった。
カイはただ、呪いが実現しないことを心の中で祈り、ギアに向かって駆け出した。







いつもは作戦を把握していても、それに参加せず単独で動いていたソルだったが、今回は素直にカイの策にのった。
それというのも、カイの取った行動は先の闘いに比べてまさに慎重の一言に尽き、正直に言えば従って悪い気がしなかったのだ。
指揮官が別人なのではと疑いたくなるほどに、カイの指示と動きは的確かつ適切だった。敵と味方の戦力や位置をデータ化して頭に叩き込んでいるかのように、戦場をよく把握している。
尚且つ刻一刻と変化する状況を随時取り込みながら、その細腕が振るう剣筋は鈍ることがなかった。主力をソルに任せているとはいえ、それでもサポートが完璧なのには思わず舌を巻く。
カイはソルが駆け付けたことで、敵軍へのダメージよりも味方の生還に重点を置いたようだった。人口が減少の一途を辿るなか、人材は何よりも貴重だ。特にカイが今回率いてきた騎士は、まだ成長途中の者が多い。
騎士団本部の陥落と新米騎士の命とを天秤に賭ければ、本部の防衛が優先となるが、出来れば切り捨てたくない要素なのは明白だ。
今後の立て直しや、一軍騎士の復帰の時間稼ぎを含め、出来る限り敵の勢力を削ぎながら後退して生還する方法を、カイは取ることにしたようだった。それが最善の策だろうと、ソルも思う。
だが流石一筋縄ではいかないというか、カイは戦略や方針を明言化し、疲弊し始めていた騎士達を奮い立たせた。甘く幼い外見とは裏腹に飛び出る言葉は、非情とも言える割り切ったものだった。
「致命傷を受けた者は、全体の足枷となる危険性がある。万一助からないと判断した場合は、速やかに排除する!」
自らの手で命を刈り取るとまで宣言するカイに、騎士達はもちろんソルも不安に駆られたが、その効果はてきめんだった。青春物語のように全員生きて帰ろうと言われるより、よほど行動に慎重さが生まれるのだ。
そして有言実行とばかりに、すでに重症だった騎士の命を皆の前で無言で絶つ姿は、見ていて寒ささえ感じた。だがそれこそが、経験の浅い騎士達に自己防衛の意識を高めさせたのだろう。
それぞれが冷静に努めようと無意識に気を引き締めたところで、カイの徹底的な役割分担による指示が飛ぶ。一対多数で戦えるように地形を利用して敵を誘い込み、主力3人補助1人の小チームで当たらせることで、確実に敵を撃破していった。
地道ではあるが、目に見えて相手の数が減っていくことは達成感にも繋がるようだった。最初は不安と緊張で強張っていた騎士達の顔が、次第に自信に溢れた精悍なものへと変わっていく。
この一戦で、この二軍騎士達は一軍に匹敵する成長を遂げるだろう。予感というよりは確信を抱いて、ソルはそう思った。経験はどんな知識よりも優る。
――とはいえ、ギアの数も半端ではない以上、一対多数の闘いを展開すれば余ったギアがこちらに回ってくるのは当然の成り行きで、一人で五体を相手する嵌めになってしまっているソルは文句の一つも言いたい気分だった。
サポートにまわってくれているカイは、確かに優秀だ。攻撃の隙を防壁でカバーしたり、法力を増幅させる法陣を敷いたりと、欲しいものを欲しいときにくれる。
だが、流石に複数を一度に相手するのは楽なことではない。適材適所の言葉通り、カイは容赦なくソルの最大対応数を寄越してきたようだ。能力の限界を正確に把握しているからこそのさじ加減だが、もし俺が人間だったらヘバってるぞと胸中で愚痴ってしまうくらいには過酷だった。
……ああ、もう流石に面倒臭い。全部吹っ飛ばしてもいいか!?
流れる汗も拭えぬまま、自棄になってきたソルはそんなことを思う。確実な戦略だとは思うが作業感が否めず、特に休む暇のないソルは一方的に疲労していくばかりだった。
煩わしい状況を一度打破しようと、ソルは味方軍がある程度離れているのを確認して、ヘッドギアに手を当てた。素早く操作解除キーを唱え、ギア細胞の抑制を少し緩めるように設定し直す。
多少の解放ならば、カイにも気付かれまい。そう考えながら剣を握り直すと、奥底から沸騰するように活性化し始めたギア細胞が、体の傷を塞いでいった。
ギア細胞は活性化し過ぎると外見にも変化を及ぼすが、ほんの少しの解放は身体能力の向上程度で収まる。端から見れば火事場の馬鹿力程度のものだろう。
一気に目前の敵を焼き払おうと身構えたソルに、しかし後方から鋭い声が飛んだ。
「! 大きな法力を使ってはいけません、ソル――ッ」
焦ったような制止の言葉と、ソルが業火の焔を纏ったのは同時だった。叫ばれた意味を理解できぬまま、勢いにのって炎を解き放つ。
自身の産毛をも焼く熱を発し、炎が扇状に広がって目標の五体へと襲い掛かった。しかしその一瞬、ソルのこめかみに微かな痛みが走る。
「!?」
それは、ほんの軽い頭痛だった。立ちくらみ程度の、普段ならば気にも止めないものだ。
だが仮想空間からエネルギーを引き出し、現世に炎として具現化する方向決定をしていた最中だった為、式に乱れが生じた。途切れた命令に、誘導ラインを失った炎が一気に拡散する。
結果、目標に到達する寸前で、炎は爆発へと変じた。
「くッ……!?」
巻き上がった爆風と熱気に、法衣が忙しなく靡く。結わえた髪が容赦なく後頭部を引くのに眉を寄せながら、顔を腕で庇った。
泥と血生臭い砂塵に視界を奪われるなか、操作を誤ったことにソルは舌打ちした。頭を殴られながらでも反撃の魔法を放てる自信があったのに、たかだか頭痛程度でしくじるとは勘が鈍ったか。
らしくないと思いながらも、ソルは直ぐに前方の爆心地へ意識を向けた。直撃をくらったのは着弾点にいた一体だけだろうから、他の四体はさほどダメージを受けていない可能性が高い。
そう思って身構えた矢先、視界を遮る煙の中から丸太のような腕が二本襲い掛かってきた。やはり先の攻撃は失敗だったかとソルは舌打ちながら、砲弾のようなそれを剣で迎え撃とうとし――何かに、足元を薙ぎ払われた。
「ッ……!?」
金属棒で殴られたような激痛が、両足を襲った。思わずうずくまりたくなるようなそれに奥歯を噛み締めて堪え、軸足は辛うじて踏ん張ったが、もう片方の足から一気に体が崩れる。視界の端を掠めたのは、長く黒い鞭のようなもの……恐らくはギアの尻尾か触手のようなものだろう。下からの攻撃に気付いていなかったのは迂闊だった。
翳した剣を不安定に下げたソルの頭を狙って、ギアの両腕が襲い掛かる。流石にこんな巨大なものに殴られれば、無事では済まない。トマトの如く頭部が弾け飛ぶ様を脳裏に描いてしまい、自分の豊かな想像力を呪った。
だが、迎撃案を捨てて防壁の展開をしようとしたソルの横を、一陣の風が通り抜ける。割り込んだ白い影は、瞬時に前方へ三重の防壁を構成し、襲撃の軌道を阻んだ。
接近戦で用いる簡易防壁は、展開速度は早いもののダメージは殺しきれない。それ故に強力な力が加わる、もしくは連続で攻撃を受ければ容易く崩壊し、意味を為さなくなる。対して、詠唱や法陣を用いる防壁は強固な分だけ隙が大きく、実践的でない欠点を持つ。
なるほど、それらの中間を取れば確かにこうなるか、とソルはどこか遠い意識で目の前の三重防壁を認識した。発想は単純だが、発生時間を揃えなければいけない分、作業の難易度は倍増する。
「おい……!」
しかし何故また、こんな自分を庇うように前に出てくるのだと思いながら、ソルは姿を現した金髪の少年に手を伸ばし掛けた。先程までの戦いで、どんなにソルが攻撃を受けようと後方から治癒と補助しかしなかった奴が。
押し退けようとしたところで、ギアの両腕が一枚目の防壁に到達し、引き千切るように打ち破った。今度は二枚目の防壁に触れ、激しい火花を散らせる。
流石に今、カイを押しやるのは危険だと感じ、ソルの手が空をさ迷った。防壁は攻撃のように放てば終りではなく、持続させる必要がある為、集中している最中に神経を乱してはすべてが無に帰す。
だがその一瞬の遠慮が、後悔の種へと変わった。先程襲ったギアの尻尾が死角から忍び寄り、カイの細身を引き裂いたのだ。
「ぅ……ッ!」
小さく呻き、派手に血飛沫を舞い上がらせたカイだったが、たたらを踏んでその場に留まった。防壁も一瞬ノイズを発しただけで、維持される。腕で庇いはしたものの太股から肩口まで走った紅い線は決して浅い傷ではないというのに、大した根性だ。
思わず舌打ちしたソルは、死角を狙うように砂塵から新たに飛び出してきた小型ギアを蹴りつけた。象をも昏倒させる一撃は、爬虫類型の頭部を砕き、内蔵まで骨ごと押し込んで奇妙なオブジェへと変える。
惨状を見届けぬまま、カイを襲った黒い尻尾に視線を移していたソルは、鉄板のような剣を振るって容赦なく切断した。不明瞭な悲鳴とともに、尻尾は血と髄液を飛び散らせながら砂塵の中へと消えていく。
爆風が幾らか晴れ、ギアの影が見え隠れした。動いているのは残り三体、プラス新たに湧いて出たギアが距離を置いて二体。
結局三枚目の防壁に阻まれて引いて行った巨大な腕を追うように、ソルは突進した。瞬時に演算した炎の式を展開・実行する。コンマ数秒の時間で処理できる最大変数を充てたそれは、空中の水分をすべて奪うように焔を発生させた。
設定規模の大きさを読んだカイが、後方で悲鳴をあげかける。
「駄目です! 止め――」
「御託はァ、いらねェェエッッ!」
制止の声を掻き消すように、振り抜いた剣先から突風と烈火が巻き起こった。今度こそ乱れもなく放出されたそれは、叩き付けるように三体のギアを呑み込んでいく。
眼球さえ渇く圧倒的な熱量に、ギアの体は炭化を過ぎ、灰へと変じて塵となった。広範囲に及んだそれらは、弱まることなく尚貪欲に後方のギアも喰らう。
視界を埋め尽くす紅。生物の生存を許さないとでもいうような炎の海に、半身を血で濡らしたカイが茫然と視線を向けた。
「……何、故」
「ァんだ?」
深手の傷さえ忘れたかのように目を見張るカイへ、ソルは肩越しに振り返り怪訝な眼差しを送る。まるで法力による炎が広がっているのが、信じられないとでもいうようにサファイアの瞳が揺れていた。
ソルが炎を使うことに、カイが今更驚くことはない。ということは、先程叫びかけていた、大きな法力を使ってはいけないという言葉に関係するのだろうか。
しかし一度目はしくじったものの、二度目の法力は特に異常もなく放てた。一体何の問題が……いや、逆なのか? 問題がなかったことに、カイは驚いているように見える。
意味を問いただそうとソルが口を開きかけたところで、カイの後方で戦う騎士の様子が目に入った。順調にギアの数を減らした騎士達が、次の指示を求めるようにこちらへ顔を向け始めている。
そうだ。自分は駒だが、カイは司令塔だ。その身に何かあれば、全体に影響を及ぼす。
ソルは空いた片手で空を撫で、治癒の式を展開した。冷静に省みれば自分など庇う必要などなかったと思うが、実際にカイの負ってしまった傷は浅くない。
白い法衣を鮮血で染めた少年の姿は秀麗な容貌のせいで尚更、憐憫を抱くほど儚げに映った。並外れた戦闘力を持っていると知っていても強く掴めば簡単に折れてしまいそうな子供の体を改めて認識し、ソルは珍しく気遣うように手を伸ばしたが――カイは弾かれたように身を退いた。
「っ!」
息を呑み、触れられるのを嫌う露骨な避け方をしたカイに、ソルは反射的に眉を寄せる。一応、治癒魔法を宿した手なのだから意図は分かるだろうと、ソルが咎めるような視線を送ると、カイは無表情に僅かな悲しみの色を乗せて首を振った。
「触らないで」
小さく、囁くような言葉が零れる。懇願とも取れる弱い呟きに反射的に眉間の皺が二割増しになるが、嫌だと言うのなら仕方がないと、ソルは遠隔治療用に式を書き換えた。触れないように手を翳して治癒を施すと、カイは新たな血が流れるのも構わず、頭を下げる。
「すみません、有り難うございます」
「何でさっき前に出てきやがった」
あと、動くな。と、ぶっきらぼうに言って謝るカイを制止しながら、ソルは煤けた金髪頭を見下ろした。とりあえず治癒術を掛けてはいるものの、血濡れになってしまっている為に傷口が塞がっているかどうか、見た目では判断がつかない。
白い法衣をグラデーションに染めるほどの失血のせいか、あるいは他の何かか、カイは常にないほど青白い顔でソルの問いに唇を噛み締めた。
「……私のせい、だから」
懺悔をするような、消え入りそうな声。随分とらしくない、とソルは感想を抱く。必要ならば表情ひとつ動かさず部下を死地に追いやるようなこの少年が、剥がれた仮面の奥から別の顔を覗かせているような、そんな錯覚に陥った。
何を考えているのだか分からない無表情と、怒りを押し殺した苛烈な眼差ししか知らなかったソルは、少し驚きをもってその表情を観察する。眼前のカイはソルの眼差しに気づいてか、憂いの色を消し去り、顔を上げた。
「お強い貴方がしくじるとは思いませんでしたので、少し動揺してしまったんです。心臓に悪いので、以後失敗のないように精進してください」
「……おい」
「さて、まだ敵は残っていますよ。よそ見している場合ではありません」
小憎らしいほど整った無表情で手を打ち鳴らし、カイが追い立てるようにそう言う。誰のせいだ誰の、と出かかる文句を押し留め、ソルは目を細めた。この切り替えの早さが、恐らくカイの処世術なのだろう。いくら傷を癒したといっても痛まないはずはないのに、もう全快したかのように動きは機敏だ。
司令官としてのカイ=キスクはもう既にこちらを見ることなく、他の騎士達へと勇ましい顔を向けていた。
「ギアの前衛は叩きました。これより本部へと撤退し、援軍とともに万全の態勢で残りのギアを迎え撃ちます!」
剣を振り下ろし、カイが叫ぶと、騎士達が歓声をあげる。擦り切れ、血で汚れた法衣であっても誇らしげに翻るそれは、いっそ頼もしく映った。
追求したいことは幾つかあったが、ソルは口をつぐんで剣を担ぎ、カイに従うことにした。










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