『冒険者』と呼ばれる、ネットゲームが存在する。
これは最新の機械を用いた、他のネットゲームとは一線を引く体感型のゲームだった。機械が高価であることは難点だが、その性能は群を抜く。
PCに取り付けたカメラでプレイヤーの表情を読み取り、キャラクターの表情に随時反応させていくシステムや特殊グローブの装着による武器や物の重さを味わえ
る触感の採用など、次世代ゲームとしては最高峰とされている。
それをプレイして『カイ』と出会ったのは、つい先日のこと。フレデリックは待ち合わせに指定したコーヒーショップで、コーヒーを飲んでいた。
まとまりの悪い茶髪に、欧米人特有の彫りの深い顔立ち。スーツを着崩してはいるが、銀フレームの眼鏡をかけているせいか、あまり煩雑な格好には見えない。
足を組んで椅子にもたれかかって、フレデリックは店の外を行く人の流れをなんとはなしに見つめていた。
「あ……の」
か細い、不安げに揺れる声が聞こえた。聞き覚えのある声音に、フレデリックは顔をそちらへと向ける。
振り向くと、格好は違えどゲームと寸分違わぬ『カイ』が立っていた。
蜂蜜色の金髪に、抜けるように青い瞳。乳白色の染み一つない透き通った肌と、小造りではあるが輪郭のはっきりした顔。
あまり日の当たらない欧州特有の薄い色素で彩られた青年は、この場において眩しくさえ見え、存在が際立っていた。ワイシャツに水色のスラックスという簡素な出で立ちだったが、線の細いスラリとした体がそれを上等な服に見せている。
縫い止められたように、フレデリックと青年は互いに視線を絡めたまましばらく呆然とした。
「アンタ……そのままだったのか」
「そういう、あなたこそ……」
フレデリックのうめくような言葉に、青年も驚いた表情で呟く。
ネットゲームをプレイするときは普通、自分の分身として全く違うキャラクターを作る方が一般的だ。『冒険者』は、高性能のカメラでプレイヤーの顔をスキャニングしてポリゴンを作成できるシステムがあるが、プライバシーを晒さないためにほとんどの者が、自分の顔に手を加えるか、もしくは既存パターンの組み合わせやオリジナル作成でのキャラクターを使用する。
だが驚くことに、青年はゲーム中での『カイ』と同じ容姿だった。自分に自信があるのか、あるいはよほど無頓着なのか、スキャンして手を加えることなくそのまま登録したようだ。
普段のフレデリックならば、そんな青年を一笑に伏していただろう。馬鹿な奴だと、ナルシストだと。
だが、正直今は彼がそのままの姿であったことに、僅かながら心が踊っていた。
いくら精巧にできていても、所詮は無機質なデジタルであるネットゲームでは、感じることのない温もりがそこにある。
綺麗なグラフィック、故意に作られた嘘のキャラクター性は嫌というほど見てきた。だが、全くそのまま……むしろゲームより遥かに綺麗に思える青年に、思わずフレデリックも感心する。
本物の方が、遙かに綺麗だ。
「あなたも……一目で分かりました。もっと変えているものかと思っていたのに」
こちらを凝視したまま、青年が呟く。その言葉にフレデリックは少し首を傾げて、吸い込まれそうな青い瞳を見つめ返した。
「俺は色々変わってるだろ。額の赤い防具もねぇし、髪の長さも違う。……眼鏡もかけてるしな」
「でも……基本的に顔そのものは、同じですよね。こんなに格好良いなら、何もあんな目元の隠れるような装備をしなくても……」
ソルの淡々とした指摘に、青年は慌てたように反論の言葉を口にし……途中で、我に返ったように顔を赤らめて硬直した。世辞でなく、本心から褒め言葉を口にしてしまったことに気付き、恥ずかしくなったのだろう。
白磁のような頬をほの赤く染め、青年は急に慌ただしく周囲を見渡した。
「えっと、……私も何か飲み物を買ってきますねっ!」
「あ…ああ」
無理矢理話題を変えて、店内のメニューを見渡してそう言う青年に、フレデリックも思わず生返事を返す。そして承諾を得るや否や、青年は背を向けて急いでレジの方へと向かって行った。
しばらく呆然とその背中を見送ったフレデリックは、店員に慣れぬ様子でメニューを注文する青年の姿を見て、堪えきれずに噴き出す。
「……ク、……ハハッ」
大したことでもないのに、あの動揺っぷり。素直な反応も、それを恥じ入る姿も、自分の擦り切れた世界ではあまりに新鮮だった。
仕事仕事仕事、たまの休みも因縁に縛られてネットゲーム。そんな自分の毎日ではとんと見かけなかった、たわいないやり取りにフレデリックは奇妙な安心感を得る。
「ホント、ゲームのときと変わんねぇなぁ……」
店員に謝ったり礼を言ったりと無駄に忙しい青年の様子を見ながら、フレデリックは自分でも珍しいくらい彼が帰ってくるのを大人しく待っていた。














「『冒険者』を……潰す?」
青年はコーヒーに口をつけながら、呆然とフレデリックの言葉を繰り返した。それに頷き、フレデリックは酷薄に笑いながら眼鏡を押し上げる。
青年は、本名を『カイ=キスク』と名乗った。フレデリックがなんとなく予感していた通り、カイは本名をキャラクターの名前に使っていたようだ。
元々あまりゲームなどには興味がなかったのに、祖父から流行りだからと『冒険者』のゲーム一式をプレゼントされたので、ろくに意味が分からぬまま自分をそのまま登録してしまったらしい。ここしばらくはプレイしていなかったが、日本に留学中の今、久しぶりにネットカフェの『冒険者』専用ルームを利用して参加したそうだ。
だが、そもそもロールプレイング自体知らないのにいきなりネットゲームなど始めたものだから、転職できるということそのものをカイは知らなかった。あまつさえ、プレイヤー同士でチームを組むことも、ボイスチャットができることも、しばらくは気付かなかったようだ。説明書がゲーム慣れした人間を対象に書いたものだったため、話し掛ける・調べる・戦うなどの基本行動すら最初は全く意味が分からなかったらしい。
その結果一人でずっとレベル上げをする状態が長く続き、基本職の白魔道士でレベル99という事態になったのだ。なるほど、そう言われてみれば確かにあのゲームは説明やチュートリアルで特有のシステムばかり解説していた気がする。全くゲームを触ったことのない人間を、対象にしていなかった。
しかし、そのシチュエーションによってカイのような”イレギュラー”と出会えたなら、悪くない偶然だ。フレデリックには、その裏技が使える人間が必要だった。
会って間もないのにわざわざ実際に会おうとしたことや、カイでなければならなかった理由を簡単に説明したフレデリックに、カイは驚愕の眼差しを向ける。
「あなたは『冒険者』の初期開発メンバーで、ゲームのデータを……破壊するためにプレイしている、というのですか?」
「ああ」
カイの確認に、フレデリックは頷く。
持ちかけた話は、『冒険者』のデータを破壊するために一緒にプレイしてほしいという内容だった。正確には、プレイキャラクターでのみ侵入可能区域へ行く門で待ち構えているモンスターを倒すのに、カイの力を借りたいということだった。
「今、『冒険者』はバックアップが存在しないまま稼働している。しかも、元データは暗号化されてロックが掛かっているから、全くいじれない状態になっててな。唯一生きてる緊急措置は、とある隠しマップで起動させられるデータの抹消のみ。……だから、それが成功すれば二度とゲームは元に戻らねぇ」
「……え、えっと。でも……何故、そんなことを? それに、なんでそんな……データが危険な状態になってるんです?」
フレデリックの話に眉間に皺を寄せて、カイが首をひねりながら聞く。そういうコンピュータ系には疎いようで、話についていくのが精いっぱいな感じだった。
その困り顔に内心笑みを誘われながらも、フレデリックは厳しい表情で鞄からファイルを取り出して広げて見せた。
「最近問題になってる、ネットゲームのデータを金銭でやり取りするってやつ……知っているか?」
フレデリックは切抜きされた新聞の記事を指示し、カイに聞いた。
最近『冒険者』が、その問題でニュースに取り上げられている。ユーザーが自分で手に入れたレアアイテムなどを、他のユーザーに現金で売る行為が増えているという内容だ。アイテム同士の交換、またはゲーム内での通貨で売買することは一般的だが、それを実際の金銭でやり取りするとなると話は別だ。
強い武器、希少なアイテムをユーザー同士の個人的な取引において、納得のいく形でなされているならば、それは構わないだろう。しかし実際は、お金だけ受け取ってデータを渡さずに姿を消したり、安くで取引したデータを他のユーザーに高値で転売することで儲けたりと、詐欺や不道徳の温床になっていることの方が多い。
それらを取り上げて批判しているその新聞や雑誌の記事を見せた瞬間、カイの顔が驚きに染まった。だがそれは初めてそのことを知る顔ではなく、嫌悪の眼差しが含まれていることにフレデリックは気付く。
「知ってるようだな」
「……はい」
問いに、カイは素直に頷く。顔のラインに比べれば大きめな青い瞳を伏せ、カイは息を吐いた。
「実は私も、この問題で久しぶりにプレイしたんです。祖国……フランスに弟がいるのですが、そのデータを買うのに学費を使い込んでしまいまして……」
「ああ……なるほどな」
沈痛な面持ちのカイに、フレデリックは理由を理解して納得した。自分の弟がそういうことになっていれば、嫌でも気になるだろう。
しかし不謹慎かもしれないが、フレデリックはそれを聞いて歓喜が込み上げた。経緯は違えど、少なくとも『冒険者』に対して感じる問題点は同じだと分かったのだ。
フレデリックはファイルを閉じ、横柄に組んでいた足を解いて身を乗り出した。
「じゃあ、このレアアイテムの取引が会社ぐるみで行われていることは、知っているか?」
「……なんですって?」
人の悪い笑みを浮かべて聞くフレデリックに、カイは目を剥く。一瞬、まさかと否定の色を浮かべた表情だったが、すぐに何かに思い当たったのか、青い瞳がフレデリックを見つめ返した。
「会社がゲームのデータをコピーすれば、レアアイテムなどいくらでも増やせる……そういうことですか?」
「ご明答。希少価値なんざ関係なくなる。どんなアイテムデータだって、ただの0と1の集合体だからな」
しかもそのデータを高値で売買すれば、それは元手なしに利益になる。無闇に売りさばくのではなく数を調整したり、元を辿れないように他のIDを使ったりと、やり方は実に巧妙だ。
会社がユーザーを騙して荒稼ぎをするなど、許されるべきことではない。
「俺が3年前にあの会社を去ってから、そういう動きが見え始めた。企業の買収を繰り返して、今では無駄に金と権力の強い会社になっちまった」
呆れのため息を吐き出しながら、フレデリックはコーヒーカップを手に取る。黒い液体を舌に乗せると、それは少しぬるくなっていた。
同じようにコーヒーに口を付け、砂糖とミルク入りのそれを味わうカイは、頭の中を整理するように斜め上の空間を見上げた。
「……あなたは、今の社長とは同僚だったのですよね。どうして、会社を辞めてしまったんです?」
会社創立時のメンバーで、しかも技術や知識が高いのだからそれなりに役職をもらえる立場だったのではと問うカイに、ソルは首を横に振る。
「自分から辞めたつもりはねぇな。……いきなり朝来たら、クビだった」
「……え」
突き放して嘲笑うような返答に、カイが端正な顔を歪めた。赤茶色の瞳でその様子を見つめてから、フレデリックは視線を外す。
「会社が小さかった頃は、良かったんだがな。『冒険者』が当たって急成長してから、会社の方針でもめるようになった。……で、邪魔だったから消したってことだろ」
「そんな……一方的に?」
「ああ。……まあ、正式に訴えれば勝てないこともなかっただろうが、俺も流石にそこまでする気もなかったしな」
肩をすくめてそう返答するフレデリックに、カイは更に眉間に皺を寄せた。海色の瞳が、怒りに光彩を帯びる。
今までの柔和な眼差しが一変し、カイは唐突に射抜くようにフレデリックを睨みつけた。体に緊張が走るほどの気迫を感じ、内心恐く。
カイの苛烈な瞳が、フレデリックを真っ直ぐに貫いていた。
「いけませんよ、そういうことは! ハッキリさせなければ、相手の思う壺です。あなたが泣き寝入りする必要はありません!」
柳眉をつり上げて、カイは強く叫んだ。背筋を伸ばしてテーブルに拳を押し当てる勇ましい姿勢に、フレデリックは思わず目を瞠る。
真正面から、こうもハッキリと怒りをぶつけられるのは久しぶりだった。
――いや、カイのそれは、ただの怒りではない。相手を思いやったうえで、叱っているという感じに近い。
まるで、親が子供に対するかのように。
「……クッ」
「え?」
「クックック…、ハハッ」
耐え切れず、フレデリックは肩を震わせて笑い出していた。その反応に、カイは訳が分からずポカンと惚けた顔をする。
あどけないとも表現できる、大きな目を瞬くその表情に、更に笑いが込み上げてきたフレデリックはずり落ちる眼鏡を押し上げながら、伸ばしっぱなしの長い前髪の合間からカイを見つめた。
赤茶の眼を細め、唇を笑みでつり上げる。
「随分とまた、青臭い正義感だな」
「! そんなことはありませんっ、正論です! あなたには訴える権利があるのだから……!」
冷めた物言いに、カイが猛然と反発した。いつもの大人しい印象とは裏腹に、カイは結構な情熱家なようだ。稀に見る端正な顔だが、惜しみなく表情を変える様はフレデリックの目を楽しませる。
ただひ弱で臆病な相棒は、いらない。これくらいの跳ねっ返りが、ちょうどいい。
まだ眼は笑いつつも、喉の奥で唸るような笑いは収めて、フレデリックは柳眉をつりあげるカイを流し見た。
「心配すんな。それ相応の代償は、きっちり払わせた」
「……?」
フレデリックの言葉に、カイが怪訝な顔をする。それにフレデリックは、眼鏡の奥で人を食った笑みを浮かべた。
「そもそもなんで、こんな話を持ちかけたと思ってる? バックアップデータを抹消したのも、メインデータにロック掛けて改変できなくしたのも、俺なんだぜ?」
「……!」
そう、ゲームの存続をあと一歩のところまで追い詰めたのは、他ならぬフレデリック自身だった。
最初はただ面白いゲームが作りたくて始めた会社だった。だがそれは皮肉にも、成功したことで得た権力と金の前に霞んでしまった。みんなに楽しんでもらうためのはずのものは、いつの間にか儲けるための道具と化した。だから、フレデリックはそんな今の有り様が許せない。
このゲームがもはや利用者を蔑ろにするだけの代物となってしまったというのなら――それは自分の手で無に帰すべきだと、フレデリックは思ったのだ。
バックアップもなく、元のデータにも手を出せない今、稼働しているデータを消去すればすべてが終わる。
「アンタには何の関係もないことだってのは、分かってる。……だが、もうあのゲームは終わったも同然だ。俺はけじめとして、全部終わらせたい」
フレデリックは、正面からカイを見据えた。眼差しの強さに、カイが青い瞳を僅かに瞠る。
「無理にとは言わないが、手助けをしてくれねぇか。……カイ」
全く関係ないカイには、ただのゲームに過ぎない。だがそこを真剣なのだと伝えたくて、フレデリックはカイを見つめる。
店の喧騒も掻き消え、二人の間には沈黙が降り下りた。視線を逸らすことなく、見つめ続ける。
カイのブルーサファイヤの瞳が、僅かに揺れた。
「……分かりました」
大きく息をつき、カイはそう言ってゆっくり頷いた。その返答にフレデリックが思わず口端を上げると、それに気付いたらしいカイが少し悔しそうに口元を引き締めて顔を横に逸らせる。
「普通ならば……そんな突拍子もない話、信じたりしません。けれど、私もあのゲームで偶然ああいう力を手に入れてしまって、困っていました。弟も、例の事件の被害者の一人でもあります。……私にも、理由はある」
コーヒーカップに手を添え、カイはフレデリックを見る。挙げた理由は協力するには弱い理由だと感じたが、それをフレデリックへの気遣いかもしくは正義感で埋め合わせてくれたのだろうと思った。
銀フレームの眼鏡を押し上げ、フレデリックは鋭い眼をカイに向ける。
「データをすべて消去できる場所は、相手にもバレてる。モンスターのステータス設定は制限があるとはいえ、限界まで強さを上げれば半端なもんじゃねぇ。アイツが作り出した無数の敵を蹴散らすのは、並大抵のことじゃないだろう。……それでも、いいのか?」
「今更ですね」
最後の警告とばかりに念を押すが、意外にカイは当然のように頷く。その様に芯の強さを垣間見、フレデリックはクッと喉の奥で笑った。
仲間などいらないと思っていのだが……こういうパートナーならば、いいかもしれない。思い切って強引に切り出して、正解だったようだ。
ソルはコーヒーカップを持ち上げ、笑みを浮かべた。
「じゃあパーティー契約成立、だな。乾杯」
「ええ……私は全くの素人ですが、できる限り頑張りますので宜しくお願いします。……乾杯」
おどけてカップをグラスに見立てて差し出すと、カイも鮮やかに笑ってカップを持ち上げた。
コーヒーショップの中で、控え目にカツンと陶器の触れあう音が響いた。








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