カイは別に、ゲームが好きなわけではなかった。しかし何も思い入れがないとは言い切れぬほどには、少なからずその世界に関わっていた。
だから、突然現れたフレデリックと名乗る男に賛同してしまったのかもしれない。……いや、単に彼を信じたかっただけだろうか。
嘘をついているとも思えないし、そうしたときのメリットも特にない。それだけで信じる理由にしてしまったこと自体が、生真面目なカイにしては特別なケース
だ。やはりそれは、冷静に思い返しても辻褄の合わぬことだった。
ゲームでは叶わない、目と目を合わせて話す機会を得て、カイはフレデリックを信じるに値する相手と定めた。直感というべきか、信じて大丈夫だと思った。
それが間違いでなかったことを、カイはフレデリックに招かれた一室で確信することになる。
「俺の会社だ。好きに見て回っていいぜ」
「……まさか、こういうことだったとは」
コーヒーショップから移動し、二人はとあるビルへと足を運んでいた。そこは一見会社のオフィスに見えるが、通常と違うのは働く社員がまちまちな私服を着ており、机の上が随分と個性的なことになっていることだった。
そう、ここは『冒険者』と対をなすと言われるほどにオンラインゲームで最近急成長したゲーム会社だった。
「あなたは前の会社を辞めた後……別の会社を立ててオンラインゲームを作っていたのですね。しかも、あの『パーティライフ』だとは……」
さほどゲームに詳しいわけでもないカイですらよく耳にするゲームの名を挙げると、フレデリックは眼鏡の奥で意味深に笑った。
「正確には、辞めた後じゃないがな。あの会社でうんざりしてた頃に、もうプロトタイプは出来上がってた。…で、辞めるときに賛同してくれた仲間と別の会社を立ち上げたってわけだ」
「……それはつまり、会社の何人かはあなたについて辞めたということですか。随分と痛手だったでしょうね、『冒険者』にとっては」
「まあな。ざまぁみろってところか」
カイが隣に立つフレデリックを見上げて聞くと、彼は肩を竦めて笑った。
『パーティライフ』とは、最近主流になってきているオンラインゲームだ。『冒険者』は技術もクオリティも一流で他のゲームの追随を許さないほどだが、ゲームを始めるための機械や周辺機器が高価であることがネックとなっており、全体の普及率が高いとは言えない。
対して、『パーティライフ』は安価な設備ですぐに始められるというのがウリだ。ただのオンラインゲームでは見られない、プレイヤーの動作を読み込んでリアルタイムにキャラクターへ反映するシステムを、持っている携帯電話のカメラで代用して読み取るなど、既存の機械をフル活用した経済的なゲームになっている。多少の性能の劣化は否めないが、ゲームを始めやすい環境設定は新規ユーザーに対して敷居を下げた。
それをまさか、フレデリックが作っていたとは。
カイは驚きの眼差しでフレデリックを見つめ返すも、どこかで納得していた。復讐に駆られてというよりは、どこか割り切ったような態度と自信に満ちた表情は、ここから由来していたのだろう。
けじめだと言った言葉は、嘘ではないようだ。
「あっれ〜? どったの、旦那。カワイ子ちゃん連れて」
「……!」
突然背後から声を掛けられ、カイはびくりと肩を跳ねさせた。慌てて振り返ると、いつの間にか鮮やかな金髪にバンダナを巻いた男が立っていた。
堀の深い顔立ちのその白人は、恐らく普通にしていれば男前の分類にはいるのだろうが、それをへらりと緩い笑みで彩り、どちらかというと愛嬌の方が目立った三枚目な表情を浮かべていた。
「いいなぁ〜。ねねっ、俺にも紹介してよ」
「テメェは、女いるだろうが」
「それとこれとは、べっつぅ〜。観賞用のカワイ子ちゃんは、何人いててもいいんだよ♪」
実に軽いノリで話すバンダナ男に、フレデリックが至極平然と言葉を返す。ポンポンと会話を交わす二人に呆気に取られてしまったカイだったが、違和感を覚えて慌てて口を挟んだ。
「あの……! 私、男ですよ?」
顔立ちから性別をよく間違えられるカイは、自分を指さしてそう言った。だが、バンダナ男は一瞬きょとんとしてから、破顔してカイの背をバシンと叩いた。
「うん、どっからどう見ても男だよね! 細いけど、骨格の造りが違うし分かるよ。……でもさ、キレイな子にはそういうの関係ないんだ〜。目の保養ってやつ。……ね?、旦那」
出会って早々に気安く叩かれ、カイは思わず目を白黒させる。彼の言っている内容にも意味を計りかね、混乱した頭を抱えた。
そんなやり取りに、ソルは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「気安く触んな。イイとこの坊ちゃんなんだ、驚くだろ」
「なになに〜? そんなこと言っちゃって、ホントはうらやましいんでしょ〜。男の嫉妬はみっともな……」
「やめろっつってんだろ」
フレデリックは、悪ノリしてカイの肩を抱こうとする男を容赦なく殴りつけた。
流石に本気ではないとはいえ、プログラマーとは思えないほど筋肉のついた腕がうなりをあげて男の横面にめり込み、途端に悲鳴があがる。
「痛ッ! ちょっと旦那! 俺様の男前な顔が、台無しになっちゃうでしょ!?」
「安心しろ、もとから男前じゃねぇよ」
「ひッど!」
にべもないフレデリックの言葉に、バンダナ男は大げさに殴られた頬を庇って嘆いてみせた。過激なやり取りに、思わず呆気に取られたカイだったが、気付いて慌ててバンダナ男の様子を窺う。
「あの、大丈夫ですかっ? すごい音がしましたが……」
「心配してくれてるの? 嬉しいな〜vv 俺様、感激! キスしちゃおっかな、ん〜っ」
「は……ぇええッ!?」
男はカイの手を取って喜ぶと、いきなり唇を尖らせて迫ってきた。予想外の行動にカイはどうして良いか分からず、思わず固まってしまう。冗談と分かっていても、慣れていないのでどう返せばいいかわからなかった。
「ったく、遊ぶな」
「…わ…っ」
困っていたところで、横からフレデリックが手を伸ばしてカイを強引に男から引き剥がした。二の腕を力任せに掴まれて思わずよろめくが、ワイシャツの下にあるフレデリックの胸筋がカイの背を受け止める。
一見すると分からないが、かなりの筋肉質な胸部であることに気付いて、カイは驚く。しかしそんな様子に頓着することなく、フレデリックはカイの肩を引き寄せて強引に方向転換を促した。
「馬鹿に構うな。放っとけ。さっさと行くぞ」
「え…あの」
バンダナ男に背を向け、廊下の方へと連れて行こうとするフレデリックに、カイは戸惑いの眼差しを向ける。茶化していた男も驚いて、フレデリックの袖を引いた。
「じょ、冗談じゃんっ、旦那〜! 怒らないでよ、ね、ね?」
「……怒ってんじゃねぇよ。呆れてんだ」
いきなりすがりつくバンダナ男を鬱陶しげに引き剥がし、フレデリックが盛大にため息をつく。その様は本当にただ呆れているだけで、根っから嫌っているわけでもないことが窺えた。
一応は社長という立場にあるフレデリックに対してこの態度を取れることと、それを許しているフレデリックを見ると、恐らく最初に会社を立ち上げたときの仲間なのだろう。
「マジ? 怒ってない? じゃあまたあとで、暇になったらそのカワイ子ちゃん連れてきてよ♪」
「調子に乗ンのも大概にしろよ、この阿呆が」
「痛てててッ!」
懲りない発言に、フレデリックが青筋を立てて男の耳を引っ張り上げる。途端に涙目になって、男は悲鳴をあげた。
その、あまりにくだらない喧嘩を繰り広げる様に驚いていたカイだったが、思わず笑ってしまう。
「楽しそうですね」
「ンなわけあるか」
思ったことを口にすると、フレデリックが吐き捨てるように言葉を返した。しかし本気で嫌そうな顔かというと……そうでもないようだ。
「俺、アクセルっていうの。また後で遊んでね♪」
「あ…はい。私はカイ=キスクです」
もうそれ以上は絡むつもりはないのか、バンダナ男――アクセルはそう言って手を振り、見送る。そのノリに未だに戸惑いつつ名乗っていると、フレデリックが部屋を出るように背中を押した。
「俺の部屋へ行く。今後の作戦を立てる必要があるしな。……『冒険者』に繋ぎながら調整するか」
ゲーム機は一通り揃っている、というフレデリックにカイは無言で頷た。
いくら裏ワザが使えると言っても、その能力は一部にしか働かない。完全に無敵なわけではないことから、お互いの戦闘能力を把握して綿密に戦略を立てる必要がある。
二人で同時にログインしようと提案して会社へ連れてきたのは、フレデリックだった。慣れた足取りで廊下を歩く男の背を追って、カイも歩を進める。
廊下では忙しなく行きかう会社の人達に、軽く挨拶を交わされた。実質的にフレデリックは社長のはずだが、社員は上司への敬意は払いつつも、持ち上げるような態度は取らなかった。恐らく、気を使わないようにと予め言ってあるのかもしれない。
しばらく歩いた後、案内された部屋はカイの予想に反してまるで倉庫のような煩雑さだった。
研究に重点を置いた、薄暗く雑多な部屋をカイは見回した。何本ものコードが床を這い、積み木の如くただ上から置いて積み重ねた精密機械の山。これを見て、社長の部屋だと分かる人間はまずいないだろう。
「ヤツと対決する前に、しばらくは準備を整えるか。ここならいろいろ揃ってるし、これからも落ち合おうぜ」
「……え?」
『冒険者』の電源を入れて、操作用アームとゴーグル、インカムを放ってくるフレデリックにカイはそれらを受け取りながら眼を瞬かせた。
「ボイスチャットがあれば、離れていてもいいのでは……」
「盗聴される恐れがある。特に俺は常にマークされてるからな」
リアルで会う必要性があるのかとカイが聞くと、フレデリックは事もなげにそう返す。相手が元同僚とあって、顔は完全に割れているのだろう。監視されていることを、フレデリックはすんなり告げた。
しかしそれを思うと、カイには一つの懸念があった。
「そういえば、気になっていたのですが……あなたのIDそのものが消されてしまう危険性は、ないのですか?」
「あ? ……ああ、それか」
躊躇いながら質問したカイに、フレデリックは外した眼鏡を口にくわえながら、インカムを首に掛けて頷く。
「既に、一回やられてる」
「……え!?
「――が、訴訟起こしてやったらIDを復帰してきやがった」
消されたと聞いて驚くが、それを訴えたというフレデリックに二度驚く。流石にIDを押さえられてはやりようがなかったため、法を持ち出したということか。
「容赦がないですね……」
「何言ってやがる、当たり前だ。俺が今の『ソル』を作りあげるのに、どれだけ手間かけたと思ってる。わざわざまだるっこしい方法で決着をつけてやろうってのに、その土俵自体ぶっ壊しやがって、敵前逃亡もいいとこだ」
忌々しそうに、フレデリックは舌打ちしてそう言う。インカムを耳に当てたカイは、その横顔を見てフレデリックのこだわりの深さに感心した。
このゲームはやり込んだものの、カイは基本的にゲーム自体にさほど詳しくない。だからフレデリックが、制作者としてもゲームファンとしても相手を許せないと思う気持ちに深く共感はできない。大体は理解していても、その奥の気持ちは共有できない範囲だった。
同じ志で同じものを作り上げていたからこその二人の確執は、カイの知り得ないところにある。
……少し、寂しいな。
ふと、胸中にわき上がった感傷に、カイは我に返って驚いた。この件に関わってまだ半日すら過ぎていないというのに、いつの間にか仲間になった気でいる自分の変化に戸惑う。
「……先に、ログインしますねっ」
「? ああ」
奇妙な感情を振り払うように、カイはゲーム画面に触れた。その様子にフレデリックは一瞬怪訝な眼差しを向けるが、特に気にすることなくゴーグルを掛ける。
操作パネル付きグローブを装着した右手で、カイは『冒険者』のタイトルロゴに触れ、IDとパスワードを打ち込んだ。『Well come!』の言葉とともに、掛けていたゴーグルにゲーム画面と同じ画面が映し出され、現実の外界はシャットアウトされる。勇ましいテーマ曲が、インカムから耳に直接流れ込んできた。
しばらく装備選択やアイテムなどの整理をしていると、右上に小さいサブウインドが現れ、フレデリックがログインに参加してきたことが分かる。
『ソル=バッドガイ』の名前が表示されたのを見て、カイはマイク越しに声を掛けた。
「フレデリックさん、行き先はどこに設定し――」
そう、カイが問いかけた瞬間だった。突然、視界がぐるんと回った。
「!?」
強い脱力感に体が蝕まれ、カイは訳が分からないままであるものの咄嗟に力を入る。だが平衡感覚を失った体は重く、支えきれずに膝からくず折れる。
後ろへの転倒を免れようと前に重心を掛けたカイは、両膝をついて床へとの倒れこんだ。
――ッゴ!と鈍い音とともに、カイの意識はそこで途切れた。







イヤホンから聞こえていた声が、突然途切れた。続けて鈍い音が響き、硬いものが床に当たって遠くへ弾け飛ぶ音がした。
「!」
不穏な物音に、フレデリックは慌ててゴーグルを押し上げて辺りを見回す。そして隣へと視線を走らせた瞬間――目の前の光景に息を飲んだ。
「カイッ!?」
前のめりに倒れ込んでいるカイに気付き、フレデリックは思わず声を上擦らせる。引き剥がすようにゴーグルを放り出して駆け寄ると、カイは力が入らないのか床にだらりと四肢を投げ出したまま、肩で荒い息をしていた。
「どうした!?」
「……、…っ…分か…ら…な…」
背を揺すって声を掛けると、一瞬の沈黙の後、か細い声で途切れ途切れにカイが答える。意識は取り戻したようだが、体がいうことを利かないようだ。
血の気が引いて普段より更に蒼白になったカイを、原因が分からないまま迂濶に動かすのは危険だと思い、フレデリックは落ち着かせように背をさする。
「大丈夫か? 耐えられないようなら救急車……」
そこまで言ったところで、フレデリックも異変を感じて言葉を止めた。
ぐらっと、平衡感覚を失う感覚。嫌な感触に、フレデリックは思わず眉を寄せて耳を押さえた。
――そこで聴こえた、微かなノイズ。
「!」
イヤホンから流れてくる僅かな違和感に気付いたフレデリックは、弾かれるようにインカムをむしり取って床へと放り投げた。ガシャッと鋭い音が響くが構わず、念のためにグローブも乱暴に外す。
すると、足元をすくわれるような奇妙な気持ち悪さが和らいだ。完全にはすぐ消えなかったが、軽い船酔いのような状態でしばらくじっとしていれば治まりそうな程度だ。
「くそ…ッ、 超低周波か!」
フレデリックは体調不良の原因に気付き、カイの耳元からもインカムをむしり取った。そして体と床の間に手を差し込み、ゆっくりカイを仰向けにさせる。ゴーグルとグローブも外して、襟元を緩めた。
一般に人が聴くことができる音の周波数範囲 (可聴域) は20Hz〜20kHzとされており、周波数20Hz以下の音波 (可聴域外) を超低周波音という。そしてこれは、時として頭痛や眩暈を起こさせる。人間の背骨に直接振動を与えるためだ。
騒音公害と言われるレベルのものをそれを完全な形で再現することは、実際のところ難しいのだが、『冒険者』は聴覚だけでなく視覚と触覚にも働きかける機械を用いていることを考えれば、三半規管を狂わせることは可能だろう。
幸い、カイとフレデリックとではログインするタイミングがずれていたため、症状が出るまでの時間に差があった。カイが倒れた時点でフレデリックがゴーグルを外したことも、症状を軽いもので済ませた要因だろう。視覚での影響を、受けずに済んだ。
フレデリックは『冒険者』を強制終了させてから、横たえたカイへと向き直った。
「原因は取っ払った。しばらく安静にしてろ」
「…ご…めん……い」
「謝るな、馬鹿。……ヤツの仕業だ」
冷や汗を浮かべた蒼白の顔でカイが謝るのを、フレデリックは遮る。一瞬入ったノイズで気付いたが、あれはもとのBGMに低周波を合成させたものを割り込ませた結果、ツギハギした箇所が雑音となって表れたのだろう。
フレデリックは掌でカイの眼元を覆って、眼を閉じさせた。恐らく目眩で視界が定まらないはずなので、視界からの余計な情報を遮断する。
「ゆっくり、深く呼吸しろ。……そうだ、落ち着けば楽になる」
苦しそうに眉を寄せながら呼吸を繰り返すカイに声を掛けながら、フレデリックはシャツの前を開けていった。ゆっくりと上下する、薄いが筋肉質の胸部が思いのほか透けるように白く、一瞬目を奪われるが、その視線を引きはがしてカイの項辺りに両手を這わす。
耳の裏から首筋へ、首筋からなぞるように鎖骨へ。フレデリックはリンパ腺を辿るように、緩い力でカイの首元を撫でた。気休め程度だが、血流の流れを良くするためのマッサージだ。
ゆるゆると施していると、しばらくして険しい表情が和らぎ、カイの頬に血の気が差し始めた。息遣いも穏やかになってきたのでフレデリックが手の動きを止めると、金の睫毛が震えて薄っすらと眼が開いた。
蕩けたような、濡れた蒼い瞳に見上げられ、フレデリックの鼓動が不協和音を奏でた。
「……大丈夫か」
「はい…。すみません、迷惑を掛けました」
覚えのある昂揚に気付かない振りをしてフレデリックが具合を問うと、カイは再度謝罪の言葉を口にした。
謝るべきはこちらの方だというのに。
フレデリックは首を横に振った。
「いや、俺の方こそすまない。考えなしにお前を巻き込んだ。俺の味方に付けば標的にされるって、分かりきってたのにな……」
悪かった…と許しを請うようにフレデリックは繰り返し、カイの前髪を撫で上げる。蜂蜜色の髪に隠れていた額が露になり、かすり傷程度だが赤くなっている箇所に気付いた。倒れた時に額から床にぶつけたのだろう。
血が滲んでいるところに、何気なくフレデリックは唇を寄せた。
「…っ…!」
舌先を伸ばして舐め上げると、カイが身を震わせて眼を瞠る。だがお構いなしに、フレデリックはもう一度丁寧に傷口を舐めた。
今度は、カイの体が大きく震えた。
「あ……、フレデリックさん…っ…?」
意図が読めずに戸惑った声をあげるカイに内心で苦笑しながらも、フレデリックは固い声で忠告する。
「今なら引き返せる。俺が話した件は忘れろ」
「……え」
「隣に仮眠室があるから、そっちでしばらく寝てろ。そのあと、家まで車で送ってってやるよ」
「ちょ…ちょっと、何を言……っわ」
慌てたように制止の声をあげるカイを無視して、フレデリックは見た目以上に軽い体を横抱きに抱え上げた。カイは待ってと叫んでフレデリックの腕から逃れようとするが、体調がまだ戻っていないのか弱弱しくフレデリックの胸を押すことくらいしかできない。
こんな自分好みの上玉、そうそう出会えるものじゃない。フレデリックはそう思いながらも、それが自分の勝手な都合で傷つけるのであれば関わるべきではないと思った。どういう相手を敵に回していたのか、もっと自覚を持つべきだったのだ。
「フレデリックさんっ? 待って…待ってください――」
カイが何か言い募ろうとしたその時、フレデリックの胸ポケットに差し込まれていた携帯電話が着信音を奏でた。
QUEENの着信メロディに一瞬驚いて言葉を止めたカイを尻目に、フレデリックは一度近くのソファにカイを降ろして胸ポケットの電話を探った。
ディスプレイを見ると、見覚えの無い電話番号からだった。
「……はい」
「やあ、久しぶり」
警戒しながら電話に出たフレデリックは、場違いなほど朗らかな声に出迎えられて眼を瞠る。名乗らなかったが、誰であるかフレデリックには明白だった。
「ボクからのプレゼントは、気に入ってくれたかい?」
「! テんメェ……ッ!!」
元同僚とはいえ、今は『冒険者』の存続をかけて対立しているというのに、まるで何事も無かったかのような物言い。先ほど、ゲームに超低周波を仕掛けた張本人だというのに、悪びれた様子も無い。
フレデリックは銀フレームの眼鏡が押し上げられるほどに皺を寄せ、獰猛な表情をした。
「ふざけんのも大概にしやがれッ! 今すぐテメェんトコの会社に乗り込んで、メインコンピュータをぶっ壊してやってもいいんだぞ!?」
「うわぁ、怖いなぁ。今の、テロ宣言? 脅迫? どっちにしろ訴えられてもおかしくないよ〜?」
「それならテメェも同じだろうが! 不法侵入のうえに機械に細工しやがって……!」
惚けた言い様に煽られ、フレデリックは電話口で怒鳴りつける。しかし相手は面白そうに笑うだけで、何も恐れていないかのようだった。
「あはは。フレデリック、罪状が2つ足りてないよ? 盗聴と盗撮、してることに気付かなかった?」
「――! テ…ンメェ…ッッ!!」
いっそここまで罪の意識が無ければ、清々しくさえ思ってしまう。それほどに、電話の向こうの男は無邪気だった。
そして――、相変わらず狂っていた。
「埋められてたアリアの遺品の中に、君の部屋の鍵があったから使っちゃった♪ とりあえず余計なムシは払ったから、あの娘も喜んでるよね」
「お前……! 仮にも自分の妹の墓を……暴いたのかッッ!!」
「そうだよー? だってあの娘のものは、家族であるボクのものなんだから。……もちろん、君もボクのものだよ。フレデリック」
フフフと、電話の向こうで男は笑い続ける。フレデリックは自分のこめかみが引きつるのを自覚した。怒りと憤りで、頭がじくじくと痛む。
フレデリックの恋人だったアリアという女性は、2年前に交通事故で亡くなっている。そのアリアの兄が、電話の向こうで不気味に笑い続ける男だった。
前々からどこかネジの飛んだ言動の多い男ではあったが、妹が死んでから余計にその奇抜な行動は増えた。既に袂を分けた後ではあったが、男の異常ぶりは噂になってフレデリックの耳にも届いていたのだ。
そしてこの男は、何故かフレデリックに固執する。理由は分からないが、それ故にカイまでもが攻撃対象になったのは想像に難くない。
幾らアリアの件があったにしても、既に同情の余地はなかった。
「テメェなんざ、俺一人で十分だ。さっさと終止符打ってやる――」
言葉を叩きつけるようにフレデリックは叫んだ。
……が、その瞬間。握っていた電話が、フッと手の中から消え失せていた。
動いた気配に気付いて眼で追うと、いつの間にかソファで上体を起こしていたカイが、フレデリックから奪った携帯電話を耳に当てていた。
作り物めいた端正な顔が、冷たい微笑を湛える。
「事情は知りませんが、私も被害を被った以上、あなたを倒しに行きます。……無事に済むとは思わないことですね」
カイは青い炎を纏ったような、涼しげな表面上とは裏腹の鋭い牙を剥いた。
底知れぬ、だが鮮烈な怒りを露にするカイの表情に、フレデリックは思わず息を呑む。怒った表情がこんなにも綺麗だと思ったのは、初めてだった。
しばし呆然としている間に、カイは何食わぬ顔で携帯電話を切って、フレデリックに差し出した。
「――というわけですので、今更仲間外れはナシですよ。フレデリックさん」
「……お前」
ニッコリ笑ってそう言うカイに、フレデリックは顔を歪める。折角まだ引き返せそうな状態だったというのに、まさか自ら飛び込んでくるとは。
大きくため息をつきながら、フレデリックは携帯電話をカイから受け取った。
「あんな啖呵の切り方したら、アイツはもう見逃しちゃくれねぇぞ。くだらねぇ正義感なんざ出すから……」
「正義感ではありませんよ」
別の意味で頭が痛くなってきたフレデリックが、眼鏡を押し上げてそう言うと、カイは意外にもはっきりと否定してきた。視線を向けて眼で意を問うと、カイはどこか小生意気な笑みを浮かべて言い切る。
「100%私情ですから、安心してください」
「……? どういう意味だ」
カイが楽しそうに笑う理由が検討もつかず、フレデリックは眉間に皺を寄せた。
危害を加えられたことに関してなのか、もしくは例の弟のことでなのか。理由は複数思い当たれども、これといった決定的なものがない気がする。
だが、それ以上問うてもカイは微笑むだけで、理由を明かすことはなかった。







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